宮本浩次さんが歌うのを今聞いて、涙が出るほど胸を打たれた。そして芋づる式に、若い頃に聞いた歌の数々を思い出した。
「ハロー、CQ,CQ・・」高校生になっても、いろいろな部のいいとこどりをして終わったらやめる、を繰り返していた。
4歳ぐらいの頃、50銭銅貨というものがあった。たしか飴玉は買えたと思う。50円玉は今のより大きくて、穴がなかった。
マクドナルドもスターバックスもない時代の初デート。高校2年だったから、かなり遅い方だと思う。
運動会には、家から体育の服装をして、男の子は帽子をかぶり、女の子は「はちまき」をして、地下足袋で登校した。
この旅行の本当の目玉は、湖で休憩したり、近くに宿泊したときに、男女でボートに乗ることだった。
新幹線も青函トンネルもない時代。高校の修学旅行は、上野発の夜行列車→青函連絡船で北海道へ行った。
バレンタインデーに女性から男性にチョコレートを贈るという習慣は、私たちが高校生の頃はなかった。
「王子と踊子」と聞いて、御伽噺なのかと思っていたのに全然違った。幼い目からは彼女が美人には見えなかった。
ビンディングは、カンダハーと呼ばれて、蝶番のようなものをガッチャンと前に押し倒す形式のものだ。
「私、あの人大嫌い。あの人むっつりすけべえなのよ」と言ったそうだ。むっつりすけべえ?私が?
V部分に胸当てがなかった。夏はいいが、冬になると、スースーして寒い。カーディガンは禁止された。
授業は興味が持てなかったので、勉強はあきらめようと思い、映画や軽音楽、異性への関心に気持ちを向けた。
フックが二つ付いている、長持ち洗濯ハンガー。かなり高いけど丈夫で安定感があり、お気に入り。難点もある。
3年生の時、新田次郎の「風の中の瞳」という小説が流行った。久しぶりに夢中になって読んだ小説だ。
忘れ物をしない日はほとんどなかった。学習に必要な道具、宿題、持っていくお金などなど。
好感を持っている男子が、どの女子を気にしているのかを気にしたりと、そっちのほうが忙しいものだ。
夏休みに植物採集の宿題が出た。「いやだなあ」めんどくさくて、やる気がしない。何段階もの作業があるものは大の苦手。
自動車学校の貸しコースで教えてもらったのだが、夫の教え方がなんかわかりにくく、けんかしながら行った。
トイレは別棟、もちろん水洗ではなく汚くて臭かった。あんなトイレでよく用を足せたなあと今は思う。
小さい時から、場面の転換にすばやく順応することができず、すぐ泣いたり、ぐずったりしていた。
修学旅行の時、先生が好きという気持ちが一気に盛り上がり、スイッチが入ったように燃え上がってしまった。
校長先生は、南方の戦地で「椰子の実」の詩を、その時のご自身の境遇に重ねてよく歌ったと話された。
あの有名な「時計」という曲が流れると、教室のあちこちから「あ、百万人の英語だ」と言う声が聞こえた。
中学生になると、ほとんどの女の子は男の子を、男の子は女の子を気にするようになる。
「第三の男」は映像のプロフェッショナルが作った、映画の中の映画じゃないかと思う。
みんなから嫌われていることに気づかされ落ち込んだ。どの発言が友だちを傷つけているのか、わからなかった。
月桂冠を望マンデー 火に水かけてチューズデー 水田に苗をウエンズデー 木刀腰にサースデー 金ぱつ料理はフライデー お土産持ってごぶサタデー
そのころ米軍の家族宿舎や兵舎であるワシントンハイツが代々木にあり、小田急線の参宮橋辺りから見えた。
そのころは日本で製作したテレビ番組が少なかったのか、アメリカから輸入した番組がとても多かった。
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