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2020/07/12

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  • 主の目は主を恐れる者に注がれる

    見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。(詩篇33:18) 33篇は、主を賛美しようという呼びかけで始まる。 正しい者たち、主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。竪琴に合わせて、主に感謝せよ。十弦の琴に合わせて、ほめ歌を歌え。(1-2) 「賛美は直ぐな人たちにふさわしい」。 ほんとうにそのとおりだ。 心がねじ曲がっていたら、賛美はできない。 反対に、賛美することで心が真っ直ぐに整えられるともいえる。 わたしはいま、「直ぐ」な心だろうか。 詩人は、賛美の根拠を挙げていく。 まことに、主のことばは真っ直ぐで、そのみわざはことごとく真実である。主は正義と公正を愛される。…

  • 私の背きを主に告白しよう

    私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると、あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。(詩篇32:5) 32篇のテーマは、“罪の赦し”だ。 幸いなことよ、その背きを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ、主が咎をお認めにならず、その霊に欺きがない人は。(1) 意識するとしないとにかかわらず、人間一人ひとりにとって最大の問題は「罪」の問題だ。 「罪の問題が解決されたら、ほとんどの病院は空っぽになる」と聞いたことがある。 それほどに、人間の苦しみの根っこに「罪」の問題が巣くっているのだ。 ダビデは、罪を犯さなかった人が幸い…

  • 主は誠実な者を保たれる

    主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、厳しく報いをされる。(詩篇31:23) 31篇は、苦難の中にあっても主に信頼しようとするダビデの証しだ。 主よ、私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって、私を助け出してください。(1) ダビデは、「あなたに身を避けています」と言った。 彼は、自分の資産や、戦力や、知恵などに頼ろうとはしなかった。 というよりも、あとの節でわかるように、彼は何もかも失い、もはや主にのみ頼らざるを得ない状況にあった。 あなたこそ私の巌、私の砦。あなたの御名のゆえに、私を導き、私を伴ってくだ…

  • 夕暮れには涙が宿っても

    まことに、御怒りは束の間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(詩篇30:5) 5節後半の「夕暮れには―」は、詩篇の中でも人気のあることばだ。 わたしも好きなみことばの一つだが、これはただ単に、“いまは辛くても将来かならず祝福がある”という意味だけではない、と今回気づかされた。 そのことについて、書いておきたい。 ダビデは(表題に「ダビデによる」とあるのでダビデの作として見ている)、何らかの病にかかり、その後いやされた。 わが神、主よ、私が叫び求めると、あなたは私を癒やしてくださいました。主よ、あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私を生かしてくださ…

  • 栄光と力を主に帰せよ

    力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。(詩篇29:1) 29篇の冒頭では、「主に帰せよ」という言葉がくり返される。 「帰す」とは、本来の所有者に返すことにほかならない。 「栄光と力」は主のものだから、「主に帰せよ」ということだ。 『ローマ人への手紙』にはこうある。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) すべてが神から発し、神によって成り、神に至る。 神がほんとうにおられるならば、当然のことだ。 にもかかわらず、自らを誇り、神の栄光をかすめ取るのが、わたしたち人間だ。 「主に帰す」とは、ひ…

  • どうか彼らの羊飼いとなって

    どうか御民を救ってください。あなたのゆずりの民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも彼らを携え導いてください。(詩篇28:9) 28篇の前半では、ダビデは祈りを聞いてくださるよう、主に嘆願している。 主よ、私はあなたを呼び求めます。わが岩よ、どうか私に耳を閉ざさないでください。・・・私の願いの声を聞いてください。(1-2) 悪者と主の目にかなう者との違いは、祈りが聞かれるかどうかにある。 悪者と同じ扱いをしないでくださいと、ダビデは声を上げた。 私に沈黙しないでください。私が、穴に下る者どもと同じにされないように。(1) どうか、悪者や不法を行う者どもと一緒に、私を引いて行…

  • 主の麗しさに目を注ぎ

    一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。(詩篇27:4) ダビデは敵に囲まれていた。 私の肉を食らおうと、悪を行う者が私に襲いかかったとき、崩れ落ちたのは、私に逆らう者、私の敵であった。たとえ、私に対して陣営が張られても、私の心は恐れない。たとえ、私に対して戦いが起こっても、それにも私は動じない。(2-3) その中にあっても、彼は、「恐れない」「動じない」と言えた。 強者だったからではなく、主を見上げていたからだ。 主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちの砦。だれを私は怖がろ…

  • あなたの住まいのある所

    主よ、私は愛します。あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所を。(詩篇26:8) テレビCMのなかでも、特に“家”のCMはよくできているなぁと思う。 家族の物語がたくみに織り交ぜられ、あんな家に住めたら素敵だなと思わされる。 しかし、狭い家に住む者のひがみではないが、ダビデは大邸宅にはるかにまさる最高の「住まい」があることを教えている。 「あなたの住まいのある所、あなたの栄光のとどまる所」、その場所をこそ「私は愛します」と、彼は告白した。 羊にとっては、良き羊飼いのそばにいることが何よりも幸せで安全だ。 そのようにダビデは、主の住まいで主とともにあることを愛した。 主の住まいで過ごすに…

  • 貧しい者にご自分の道をお教えになります

    主は貧しい者を正義に歩ませ、貧しい者にご自分の道をお教えになります。(詩篇25:9) 詩篇を読んでいると、ダビデが大好きになる。 きょうも、ダビデの歌から学ぼう。 25篇は、主がどういう者と親しくされ、導いてくださるかを教えている。 上のみことばにあるように、主は「貧しい者」を導かれる。 「貧しい者」とは、どういう人のことだろうか? 1.主を信頼する者 主よ、あなたを、わがたましいは仰ぎ求めます。わが神、あなたに、私は信頼いたします。(1-2) 主を仰ぎ見ること、信頼すること。 ダビデの唯一の拠りどころは、主を仰ぐことだった。 2.主に教えを乞う者 主よ、あなたの道を私に知らせ、あなたの進む道…

  • 手がきよく、心の澄んだ人

    だれが、主の山に登り得るのか。だれが、聖なる御前に立てるのか。手がきよく、心の澄んだ人、そのたましいをむなしいものに向けず、偽りの誓いをしない人。(詩篇24:3-4) 24篇の冒頭で、ダビデはこう歌う。 地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの。主が、海に地の基を据え、川の上に、それを堅く立てられたからだ。(1-2) この全世界のものは、主のもの。 主がその創り主であるから。 当たり前といえば当たり前だが、いったいこの事実を、わたしはどれほど信じているだろうとはっとした。 聖書の啓示は、つねにこのようだ。 人が信じようと信じまいと、認めようと認めまいと、証明できよ…

  • 主は私の羊飼い

    主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。(詩篇23:1) ダビデは、若き日を羊飼いとして過ごした。 羊飼いと羊、双方の気持ちを熟知する彼は、自らを羊に、主を羊飼いにたとえた。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。(2) 羊飼いは羊を、砂を噛むような砂漠には連れて行かない。 羊が健全に過ごせ、いこいを得ることができる場所に導く。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます。(3) 羊飼いは羊の心を満足させ、間違った道から守って正しい道へと誘導する。 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。あなたのむ…

  • わが神、わが神、どうして私を

    わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず、遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。(詩篇22:1) 22篇はメシア預言そのものだ。 メシアの苦難が克明に表されていることから、イザヤ書53章の詩的表現とも言われる。 この冒頭のことばも、キリストが十字架上で発せられたものとして知られる。 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46) 苦難の描写はつづく。 しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的、民の蔑みの…

  • あなたの御力を王は喜びます

    主よ。あなたの御力を王は喜びます。 あなたの御救いを、どんなに楽しむことでしょう。(詩篇21:1) 21篇は、20篇の続きのような詩だ。 20篇は、世の力を求めず、主の御名を呼び求めるという信仰告白であった。 この21篇では、「主の御力」に焦点が向けられる。 ダビデは「あなたの御力を王は喜びます」と歌ったが、「王」を「私」に替えてもいいのではないか。 「主よ。あなたの御力を私は喜びます」と。 ありがたいことだ。 わたしたちは、自分の力を喜ぶ必要はない。 自分の力はなんと頼りなく、移ろいやすいことか。 とても喜べるものではない。 しかしわたしたちは、「主の御力」を喜ぶことができる。 これが、わた…

  • 私たちの神、主の御名を呼び求める

    ある者は戦車を、ある者は馬を求める。しかし私たちは、私たちの神、主の御名を呼び求める。(詩篇20:7) 20篇は「ダビデの賛歌」(表題)とあるが、こう始まっている。 苦難の日に、主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の御名が、あなたを高く上げますように。(1) ここにある「あなた」とは、最終節からも「王」であることがわかる。 主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに答えてください。(9) これがだれを指すのかは、よくわからない。 サウル王なのか、息子アブサロムなのか、はたまた自分自身なのか。 ともかくダビデは、王のためにとりなしの祈りをささげる。 あなたの心の望みを、主がかなえてく…

  • 傲慢から守ってください

    あなたのしもべを、傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。(詩篇19:13) 19篇は、壮大な描写からはじまる。 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話しもせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒は全地に、そのことばは世界の果てまで届いた。(1-4) たとえその声は聞こえなくとも、神の創造された世界が神の栄光を告げている、とダビデは歌った。 続いてダビデは主のみおしえに思いを馳せ、その4つの性質と人に対するはたらきを述べる。 完全→たましいを生き返らせる 確か→浅はかな者を賢くする 真っ直ぐ→心を…

  • 主はわが巌、わが砦

    彼は言った。わが力なる主よ。私はあなたを慕います。主はわが巌、わが砦、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。(詩篇18:1-2) ドラえもんの秘密道具に「デンデンハウス」というものがあった。 カタツムリの殻の形をしていて、お尻につけるとスルスルと中に入ることができる。 中はとても快適で、近くに爆弾が落ちてもびくともしない・・・。 子ども心にも、(こんなのがあったらいいなぁ)と思ったのを覚えている。 子どもだろうが、大人だろうが、人はみな、“絶対的な守り”に憧れるのだ。 ダビデは、「主はわが巌、わが砦」と歌った。 彼にとって、絶対的な守りとは、主ご自身であった。…

  • 目覚めるとき、御姿に満ち足りる

    しかし私は、義のうちに御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。(詩篇17:15) 17篇は「ダビデの祈り」(表題)であるが、理不尽な攻撃に対しどのように対処したらよいのかを教えてくれる。 このときダビデは、敵に追い詰められていた。 瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください。私を襲う悪しき者から、私を取り巻く貪欲な敵から。彼らは、鈍い心を固く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。彼らは私たちの跡をつけ、今、取り囲み、目を据えて、地に投げ倒そうとしています。それはまるで、かみ裂くことに飢えた獅子、待ち伏せしている若い獅子のようです。(8-12) ダビデは、相手の挑発に対して言…

  • 私はいつも、主を前に

    私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。(詩篇16:8) 先日から述べているように、ダビデの生涯は、けっして幸福とはいえないものだった。 彼は常に戦いの中にあり、多くの時を敵に追われて過ごした。 しかし、同時に彼は、偉大な幸福家でもあった。 その“幸せの秘訣”が、この詩篇16篇にある。 「ダビデさん、あなたは大変な状況にありながら心に喜びを失っておられませんが、その秘訣は何ですか?」と問われたら、彼はここを指し示すのではないだろうか。 私は主に申し上げます。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」(2) 心からこのよう…

  • 心の中の真実を語る人

    主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。全き者として歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。(詩篇15:1-2) 15篇でダビデは、「聖なる山に住む」人とはどういう人か、について語っている。 2節の「心の中の真実を語る」とは、どういう意味だろうか? 心の中にあることをそのまま語る、という意味ではなさそうだ。 それなら、「心の中を真実に語る」となるはずだ。 しかも、3節には次のようにある。 舌をもって中傷せず、友人に悪を行わず、隣人へのそしりを口にしない人。(3) 心の中をそのまま出す人は、中傷したり、人をそしることも口にするだろう。 往々にしてわ…

  • 善を行う者はいない

    主は天から人の子らを見下ろされた。悟る者、神を求める者がいるかどうかと。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。(詩篇14:2-3) 14篇の冒頭は、とても印象的だ。 愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて、忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。(1) 現代人、特に日本人には、「神は信じない」と言う人が多い。 または、「よくわからない」「わかりっこない」、「いるとしても特定の宗教に限定するのはいけない」と言う人も多い。 わたし自身、キリストを信じる以前はそんな感じだった。 あなたは、どうか? 少なくとも聖書は、「神はいない」…

  • あなたの恵みに依り頼みます

    私はあなたの恵みに依り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。(詩篇13:5) 13篇は、6節あまりの短い詩篇だ。 2節ずつ、三段階に分けてみよう。 嘆きの告白(1-2) 主への訴え(3-4) 主への信頼と賛美(5-6) ダビデは、まずはじめに、辛い気持ちを主の前に注ぎ出す。 主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。(1) ダビデの名はユダヤ史において燦然と輝くものであるが、彼自身はけっして幸福な生涯を送ったわけではなかった。 つねに敵に追われ、戦いのなかにあった。 ダビデ自身、主からの言葉として、次のように言っている。 「しか…

  • へつらいの唇と傲慢の舌

    主が、へつらいの唇と傲慢の舌をことごとく断ち切ってくださいますように。(詩篇12:3) この詩篇のテーマは、「唇」「言葉」だ。 主よ。お救いください。敬虔な人は後を絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。(1) 時代はどんどん悪くなる一方だ、神を敬う敬虔で誠実な人はすっかりいなくなった、とダビデは嘆く。 聖書によれば、終わりの時が近づくほど、ますます人は堕落する。 ならば、ダビデの時代から三千年を経たいまのほうが、当時よりはるかに悪いといえよう。 終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、・・・…

  • 主に私は身を避ける

    主に私は身を避ける。(詩篇11:1) 主に信頼するのか、それとも主以外の何かに信頼するのか、11篇はそれを問うている。 どうしてあなたがたは私のたましいに言うのか。「鳥のように、自分の山に飛んで行け。それ見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗がりで心の直ぐな人を射抜こうとしている。拠り所が壊されたら、正しい者に何ができるだろうか。」(1-3) 注釈によれば、これは友人たちからの忠告のようだ。 「きみが主にのみ信頼するというのはわかる。しかし、悪者はすぐそこまで来ているのだ。早く山に逃げなさい」 彼らの言葉は、理にかなっている。 しかし問題は、山に逃げることの良し悪しではない。 それによっ…

  • あなたのさばきは高すぎて

    彼の道はいつも栄え、あなたのさばきは高すぎて、彼の目に入りません。敵という敵を、彼は吹き飛ばしてしまいます。(詩篇10:5) 聖書がすごいと思うのは、神を信じる者たちが体験するありとあらゆる悩み苦しみが描かれていることだ。 それも、たとえばこの詩篇などは、少なくとも2500年以上も昔の言葉だ。 それがいまも、わたしたちの心に迫り、胸を打つ。 10篇で語られるのは、神を信じない者の繁栄だ。 神を畏れ敬う者たちが苦しみ、神を神とも思わぬ者が富み栄える。 考えるだけで、苦しくなってくる。 主よ。なぜ、あなたは遠く離れて立ち、苦しみのときに、身を隠されるのですか。(1) 理不尽な苦しみに、「なぜ」と問…

  • 心を尽くして、私は主に感謝を

    心を尽くして、私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。(詩篇9:1) 「心を尽くして、主に感謝をささげる」とのダビデの言葉に、はっとなった。 わたしは、「心を尽くして」感謝しているだろうか。 たしかに、祈りのなかで「感謝します」と口にするが、漠然としたあいまいな気持ちで言っているのではないか。 人と会ったときに、「いつもありがとうございます」と言われるのと、「先日は〇〇のことで、ありがとうございました」と言われるのとでは、相手の気持ちが伝わるのは後者のほうだ。 そう考えると、あのこと、このことについて、きちんと主に感謝申し上げていないことに気づかされる。 昔の祈り…

  • あなたの御名は全地にわたり

    主よ、私たちの主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。(詩篇8:1) 8篇は、創造主としての神をほめたたえる賛歌だ。 「全地」を見るとき、人はだれでも、意識するしないにかかわらず、神の存在を覚える。 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。(ローマ1:20) それを素直に認めるのは、幼子たちだ。 幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは御力を打ち立てられました。(2) もし4~5歳の子どもが「私は神など信じな…

  • 神は心の直ぐな人を救われます

    私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われます。(詩篇7:10) 7篇においてダビデは、神の義とさばきについて歌っている。 私の神、主よ。私はあなたに身を避けます。どうか、追い迫るすべての者から私を救い、助け出してください。(1) 彼は、多くの敵から追われ続けた。 主に助けを求めると同時に、自らも主の前に吟味されるべき者としてひれ伏した。 私の神、主よ。もしも私がこのことをしたのなら、もしも私の手に不正があるなら、・・・敵が私のたましいに追い迫り、追いつき、私のいのちを地に踏みにじるようにし、私の栄光をちりの中に埋もれさせてください。(3・5) 6節以降も神のさばきを求めながら、やはり自分自身…

  • 私は衰えています

    主よ。私をあわれんでください。私は衰えています。主よ。私を癒やしてください。私の骨は恐れおののいています。(詩篇6:2) 主を生き生きと覚えることができず、遠くに感じることがある。 祈りは形式的になり、みことばも心に響かない。 その原因はひとえに、自分の“罪”にある。 ダビデは、それを自覚していた。 主よ。御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。(1) それでもダビデのすばらしいところは、弱った自分をそのまま主の前にさらけ出したことだ。 「私は衰えています」「恐れおののいています」。 主よ。帰って来て、私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あな…

  • あなたに身を避ける者がみな喜び

    どうか、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちが、あなたを誇りますように。(詩篇5:11) ダビデという人の特徴は、とても素直なことだ。 自分の弱さも、汚さも、主の前に取りつくろうことをしない。 私のことばに耳を傾けてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王、私の神、私はあなたに祈っています。(1-2) うめくような苦しさ、叫ばざるをえない衝動、ダビデはそれを「聖徒らしからぬこと」と抑え込むのではなく、むしろ主に「聞いてください」とさらけ出した。 その上で彼は、義なる神に…

  • ご自分の聖徒を特別に

    知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(詩篇4:3) 4篇の表題には、こうある。 指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌。(表題) ダビデは竪琴の名手だった。(1サムエル16:23) 音楽を愛し、音楽を通して主を賛美した。 この4篇も、ダビデが歌い、後世に引き継がれたものだろう。 ダビデは、「主はご自分の聖徒を特別に扱われる」と歌った。 このとき彼は成功と幸福の頂点にあった・・・のではない。 追いつめられたとき、あなたは私を解き放ってくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(1) 彼は、3篇と同様、敵に取り囲まれていたのだ。 人の…

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