小川村(2017)から。載せる写真がないときは小川村に頼りますが、前に掲載したかもしれません。 プロ野球の野村克也氏が「王や長嶋はヒマワリ。俺は月見草」という言葉を残したことは、特に私の世代(60代)で野球を好きな人にはよく知られています。 花屋さんで月見草(オオマツヨイグ...
木島平村から。 小布施町を流れる千曲川の河川敷には「〇〇ノ起」の地名がみられます。 たとえば、「午(うま)ノ起」「戌(いぬ)ノ起」「巳(み)ノ起」などなど。 文献(信濃の巨流千曲川)に下記記述がありました。 ------------ 小布施橋を西へ渡りきった左岸の地籍を「寅...
木島平村に分水工(上堰円筒分水)がありました。 円筒分水工は水田に使う水を正確に分ける施設として知られています。 下記サイトには分水工のわかりやすい説明があります。 ----------- 一本の水路から運ばれてきた水を、3つの集落に分けるとします。各集落は大きさもまちまち...
千曲川(2010.8)から。 道路元標が手前に写っています。 前に水害(千曲川)に関する文献を読んでいたら、興味深い記述がありました。 -------------- 沿岸住民の知恵”境界石” 水難地域では、境界論争が起る。このために境界石が設けられる。境界石は文字や印が刻ま...
信濃町(2010.9.1)から。 電話の呼びかけに「もし、もし」と言います。 この「もし、もし」に語源があったことを前に、知りました。 文献(事物はじまりの物語)に下記記述(括弧は私の追記)がありました。 ------------ 明治維新後、役所につとめる吏員(りいん)は...
信濃町(2010.9.1)から。 学生の頃(41,42年前)、将棋部の同級生と将棋タイトル戦の対局(大山康晴永世名人VS中原誠永世名人)を見に行ったことがあります。両対局者の和服がきれいで整然とした雰囲気に圧倒されました。 帰りのエレベーターに乗った時、小説家として有名な阿...
飯山市から。 撮影当時(2009.8)、飯山市でもタバコの葉を栽培していました。 吉村昭氏のマッチに関するエッセイ(史実を追う旅)を読んでいたら下記記述がありました。 -------------- 江戸時代には日本にマッチはなく、燧石(ひうちいし)をたたいて火を起していた。...
栄村秋山郷(2007.8)から。 この周辺(切明温泉)は、秘境で天然手堀り温泉ができる場所として知られています。 昔、現地調査した土地周辺に「大曲」という字名があり、地域誌に”近くの川の流れが蛇行して大きく曲がっていた箇所”と記載されていました。 現在の川は直線になっている...
2011年9月静岡県へ行ったとき、有名な登呂(とろ)遺跡を訪れました。写真は、その遺跡内にある古代米栽培のようす。 赤米・緑米・黒米・紫米が栽培されていました。古代米を販売しているのは、あちこちで見かけますが実際に栽培している所は当時初めて見ました。また、緑米以外は、白米の...
石川県羽咋(はくい)海岸(2009.8)から。 当時、海岸を車で通ることができるので驚きました。 私が小さい時、洗濯機が地方に普及し始めた頃で、それまで母親がたらいに水を入れ、洗濯物を洗濯板の上にのせ石けんで洗っていました。当時、手や体を洗うのも石けんでした。 その後、家に...
小谷村栂池高原(2010.8)より。 私が中学生の頃、レストランへ行くときは緊張しました。ナイフ、フォークの使い方が心配で。また、音をたててはいけないように言われました。 東京で修行時代(35年前)、師匠に西洋料理の草分けである上野精養軒(明治5年創業)へ連れて行ってもらえ...
岡山県(2012.8)から。 我が家で、けむりのでる蚊取線香に火をつけるのはいまだにマッチを使っています。電池の切れた石油ストーブの芯に火をつけることにも。 私が小学生の頃(50年前)、マッチを使ってガスコンロに火をつける時、いつも不安でした。たまに大きくボンと燃えましたし...
岡山県(2012.8)から。 私が小さい頃、傘のことを”コウモリ”と読んでいました。 コウモリは漢字で書くと「蝙蝠」ですから難しいですね。 昔、実家では夕方にコウモリが群れをなして飛んでいるのをみかけました。当時、気味悪かったことを覚えています。 文献に下記記述があり、納得...
中野市(2020)から。 江戸末期、ペリー来航がありました。乗組員たち約500名が27艘のボートに分乗して岸に着き水兵と陸戦隊員が上陸して整列しました。会議はオランダ語で行われ、日本側の通訳として前回ブログで紹介した森山栄之助が活躍しました。森山の英会話は会議に使うレベルに...
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小川村(2017)から。載せる写真がないときは小川村に頼りますが、前に掲載したかもしれません。 プロ野球の野村克也氏が「王や長嶋はヒマワリ。俺は月見草」という言葉を残したことは、特に私の世代(60代)で野球を好きな人にはよく知られています。 花屋さんで月見草(オオマツヨイグ...
飯山市から。山だけですが、緑がきれいで思わず写しました。 花屋さんにクローバーたるシロツメクサが売っていて驚きました。思わず家内に”あれ、雑草じゃない”と言いました。 文献(豊野町の自然)にクローバーの記述があります。 「有史以前は日本海側は渡来植物の表玄関口と考えられる。...
飯山市から。標高663mの豪雪地帯にあるため池です。 前に団子屋さんにヨモギ団子が売っていました。私は草の香りが体に合わない感じがして苦手です。 そういえばヨモギをモグサともいいますが、文献(豊野町の自然)に記述がありました。 「ヨモギは人との関わりが多く,薬草としては夏こ...
安曇野市(2021.5)から 農地の下限面積要件(50a,2ha)が令和5(2023)年4月1日の農地法の改正に伴い廃止となり、あわせて市町村の農業委員会が設定した下限面積も廃止となりました。今後は面積の大小に関わらず、農地の権利取得が可能となります。 農業委員会が設定した...
京都府の天橋立(2015.5)から 先日、飯山市の「道の駅」にイナゴの佃煮が売っていました。小さい頃、カイコのさなぎ同様、朝食によく食べました。 今の家族は”イナゴは見るのも気持ち悪いし、バッタと同じ”といいますが、バッタは気持ち悪くて私でも食べられません。確かに似ています...
長野市大岡村(2016.5)から 江戸時代、鬼無里地区(現長野市)から松代藩(真田藩)へ献上した品々の記述が文献(鬼無里村史)にありました。 1 御用蕨 殿様食用のワラビの塩漬を献上、桶や塩は松代藩から送られてきました。 漬け終わると人足61人で運んだそうですから大変な量(...
飯綱町?(2015.5)から。正確にはどこで写したかははっきりしません。 先日、坂城町方面の店にて大根おろしそばを食べました。辛味大根が効いていて満足な気分に。坂城町には伝統野菜として辛味の強い「ねずみ大根」があります。 そういえば松尾芭蕉の有名な句を思い出しました。 文献...
徳島県から。昔(2011.6)、うずしおを見に行きました。 1924(大正13)年7月22日芥川龍之介が軽井沢へ創作のため訪れました。 その時の印象が文献(峠を越えて)にありました。 -------- 芥川は第一印象を、「町には西洋人が多い故中々ハイカラである」と軽井沢から...
飯山市(2013.5.2)から 飯山市には変わった古い地名(諸説あり)があります。 たとえば戸狩(とがり)=鳥狩で狩場の意、秋津(あきつ)=日本の古名である蜻蛉洲(あきつ)に由来など。 また、小佐原(こざわら)の地名は、付近を流れる皿川(さらがわ・一級河川)の字名たる小皿が...
長野市豊野町の「つつじ山公園」から ヤマツツジが約1万株あり、その規模は長野県の北信地区最大です。積雪地帯のため木が斜上しています。 140年前の明治時代前半(1884年)、鳥居川の山沿いにつつじ山の整備がされました。 文献(豊野町の民俗と地区誌)によると文豪田山花袋がつつ...
小諸市の小諸城跡から 石垣と八重桜のコントラストがいいですね。また、立派な石の大きさに驚きました。 河川の読み方がわからないことがよくあります。 昔、中野市の美沢川(よしざわがわ)や佐久市の鹿曲川(かくまがわ)の読み方を聞かれてわからず、恥をかいたことがありました。 土砂災...
松川村から 水田に逆さ北アルプスが写っていて少し驚きました。田植え前だったからでしょう。 湯福川(ゆぶくがわ)のはん濫について古い記録(江戸時代から)が文献(長野市郷土史研究会機関誌・引用)にありました。はん濫の推移をみると善光寺一帯は湯福川の扇状地ということを再認識させら...
飯山市北竜湖(2013.5)から 飯山市へ行った際、笹寿司を買って帰ることがよくあります。笹寿司は笹の上に酢飯を敷いてその上にクルミ、ゼンマイ、シイタケ、ショウガなどの具材をのせたもので、飯山市及び新潟県上越地域に郷土料理として伝わります。飯山市富倉地区は新潟県妙高市と接し...
飯山市菜の花公園から 先日、長野市市街地の町名の由来に関する郷土史を読んでいたら「岩石町(がんせきちょう)」についての記述がありました。昔、おそらく大きな岩があったのだろうと思っていました。 文献(長野復刻昭和47年度)によると下記記述があり、納得しました。 「岩石町=岩石...
飯山市菜の花公園から 現在、長野市で一番地価の高い場所は長野駅前付近ですが、戦前は善光寺周辺であったことが文献(長野市誌)に記述されています。 ------- 大正十四年(一九二五)当時、各町の最高地価は大門町(だいもんちょう)・後町(ごちょう)・元善町(もとよしちょう)・...
長野市(2016.4.20)から [平賀源内1]で紹介した白土の小市(こいち)地区を含む安茂里(あもり)地域は古くから花火とのかかわりをもっていました。 実際、それを裏付けるいくつかの事象や資料も残されています。 たとえば安茂里(差出北)出身で1889(明治22)年生まれの...
小川村表立屋(2015.4.27)から 先日、引札(ひきふだ)の歴史が書かれた文庫本(広告世相史)をパラパラめくっていたら平賀源内についての記述に目が止まりました。引札はちらしや広告の意味です。 江戸時代に嗽石香(そうせきこう)なる箱入り歯磨き粉があったことに驚きました。 ...
長野市安茂里小市(あもりこいち)地区の沢沿いの山(2006.4)、白土と言われるのもわかります。 写真を整理していたら昔(2006年)、白土について興味がわき、安茂里小市地区の山へ行ったことを思い出しました。この辺、航空写真でも白く写っています。 。 最初、白土は陶土用に使...
小川村(2015.4)から 昔、農家住宅地に隣接する作業所(農産物処理加工施設)敷地の固定資産税評価額が非常に安いので驚いたことがあります。登記地目は宅地ですが、農家住宅の敷地評価額と大きな差がありました。後に作業所敷地は農用地の農業用施設用地であったことを知り納得しました...
小川村(2015.4.27)から 先週、固定資産税評価における地方公共団体の固定資産評価事務取扱要領に、宅地、雑種地のほか農業用施設用地も高圧線下地補正(所要の補正)の対象になると記載されていたので少し驚きました。 高圧線下地には中高層の建物が建てにくい、又は建てられない建...
小川村(2012)から。写真は前にも掲載したかもしれません。 家内と園芸店へ行った際、ガラスの外壁をみて建物の種類が「温室」の下記登記を見たことを思い出しました。附属建物も温室でいくつかあったように記憶してます。 堅固な基礎を有していて屋根および周壁にガラス質の材料を用いた...
大町市(2013)から。 前回の続き 「公用文作成の考え方」で気になる箇所を抜粋してみました。 -------------------------------- イ 曖昧さを避ける。 (ア)「から」と「より」を使い分ける。 例)東京から京都まで 午後1時から始める 長官...
生坂村山清路(さんせいじ)から(2010)。 今年発売の一太郎2023案内書を見ていたら、次の言葉に引っかかりました。 「70年ぶり改定の新しい公用文ルールに対応」 新しい「公用文作成の考え方」がでていることを知りませんでした。 早速、文化庁の「公用文作成の考え方」を読んで...
麻績村(2009.5)から ゴールデンウィークに家電量販店へワイヤレスのイヤホンかヘッドホーンを買いに行った際、骨伝導ワイヤレスイヤホンが展示してありました。 試しに耳にかけてみたところ、装着感があまりに良くて驚きました。つけているのを忘れそうです。 音質も大満足、5分で急...
白馬村(2010)から 先日、ブログ”投石”で徳川軍が石投げに悩まされた旨の記述を書きました。 詳しくは下記文献にあります。 【武田信玄ひきいる戦国最強の武田軍団には、よく訓練された「石投げ隊」が編成されていました。徳川家康を敗走させた元亀3年(1572)の三方原の戦では、...
長野市(2009.5)から 。古い写真ですが・・・。 昨年、建物の種類が「詰所」になっている登記をみかけました。新築年月日が記載されていなかったので登記は相当古い時期にされたものと思われます。 工事や建築現場におけるプレハブの「飯場(はんば)」や「詰所」のように、その建造物...
上田市(2010.5)から。上田市にはため池が多くみられますので決壊した場合の浸水想定区域が公表(参考サイト参照)されています。 テレビの大河ドラマや歴史物を見ていると鎧(よろい)武者が刀を振り回して相手の防具の上から切りつけるシーンをよく見かけます。 昔、刀がどうして折れ...
生坂(いくさか)村(2007.5)から。昔の写真ですが気に入っています。 たまに読む文献(信州学大全)に乗合馬車の歴史(【】引用)が書かれていました。 【自動車がほとんどなかった明治時代の道路交通は、馬車と人力車に代表された。当時の道路改修は、すべて馬車が通行しうる幅員に拡...
長野市(2015.6)から 長野県の坂城町に「鉄の展示館」があります。日本刀、小刀などを展示している美術館です。坂城町は昭和38年に刀匠の宮入行平が人間国宝に認定され、弟子を数多く育成したことから刀匠の町とも言われます。その展示館で今年の3/29~5/21まで「どうしよう ...
安曇野市(2017.5と2021.5)から 山間部や川沿いの高台の地名や集落名に「〇〇尾」というように「尾」の字がつくことがあります。なぜなのか昔から少し疑問に思っていました。 たとえば小川村に花尾、稲尾、梶尾、穴尾、長野市に細尾、狸尾、上栗尾、下栗尾など。 文献に [山腹...
高山村湯峰展望広場付近(2016.5)から 先日、園芸店へ行ったら”クロモジ”の木が売っていました。昔、園芸店の人から”この木は虫がほとんどつきませんから育てやすいですよ”と言われたことを覚えています。 下記文献によると ”樹皮は緑色で黒斑(くろふ)があり、それが文字のよう...
麻績村(2013)から 地名に関する文献を読んでいると「〇〇田」という地名が多くみられます。 用水開発者の名前をつけたり(例:権兵衛田)、地形や地質の特徴を表したり(例:狭間田)することがあります。 文献(佐久地方の地名と語源)によると〇〇田には下記の説明があります。 神田...
小川村(2013)から 仕事で最寄りのバス停を確認することがありますが、郊外や山間部のバス停が乗合タクシーの停留所に変更されていることがあります。乗合タクシーは電話予約が必要で通常のバスと異なり、不定期なのが特徴です。 前に文献を読んでいたら下記記述に驚いたことがあります。...
長野市大岡(2013.5)から 樹木図鑑をみていたら「イヌコリヤナギ」に下記記述があり、面白い名前の付け方だなと感じました。 「近縁のコリヤナギは枝の皮をむいて柳行李(やなぎごうり)」をつくるが、本種は行李づくりには使われず役に立たないために「イヌ」を冠して名づけられた。」...
須坂市(2018.4)から 前回の続き 上田市の大名(5万2千石)の献上品(括弧文献引用)は次のとおりです。 「参府献上は御太刀・錦二十把・金馬代・御暇拝領は巻物五である。 時献上は、正月三日御盃台文様松竹梅、同月干鯛、六月御薫袋(においぶくろ・麝香《じゃこう》などの香料を...
山ノ内町(2021.4)から 前回の続き 飯山市の大名(2万石)の献上品(括弧文献引用)は次のとおりです。 「以下、武鑑掲載順を追って解説する。(略) 年始八朔御太刀…(略) 時献上は、正月三日御盃台。これは盃を載せて客に薦める台である。(略) 五月串海鼠(いりこ・干しなま...
長野市(2014.5)から 昔、郷土史研究会の文献をみていたら江戸時代の信州諸大名が将軍に献上した品に驚いたことがあります。 文献(括弧が引用)によると 「安政六年(1859)刊の『武鑑』(ぶかん)によって、信州諸大名の、献上・拝領の品を調べてみた。(略)図版2は参府(参勤...
写真は長野市若穂牛島(わかほうしじま)にある蓮生寺の鐘楼(しょうろう)門前から。 鐘楼とは釣鐘(つりがね)をつり下げてつき鳴らすための建物をいいます。1階は出入口、2階は釣鐘がつり下がっていないので、近所の方にお伺いしましたがわかりませんでした。 この寺は現在、牛島区及び信...
飯綱町(2021.4.21)より 下記サイトの調査報告書(個人住宅の新築工事費に関する調査・研究)を見ていると時代の流れを感じます。 この報告書は個人住宅(戸建て住宅)の新築工事費に関する調査結果を掲載しています。私は仕事でよく参考にしています。 ・エネルギー供給方式はオー...
山ノ内町(2021.4)より 長野市七二会(なにあい)谷原には”割り上げ岩”と呼ばれる大きな岩があります。長野市誌に掲載されている写真から推定すると高さは2.5mくらいありそうです。昔、現地へ行ってみましたが場所はわかりませんでした。 同市誌に”割り上げ岩”の下記説明があり...