一日の雑用を昼前に済ませて散歩に出る事前に調べておいた羽黒神社が今日の目的地地図に小さくその名が載ってはいるが初めての訪問期待はしていない往々にしこの種の神社は小さなやしろのみで期待外れの事も多く落胆させられる案の定神社の名は大きいが町内の集会場と、個人所有と思われる墓苑の片隅だがこう言った人知れずひっそりしたどこか穴場のような寺社は嫌いではない参拝を済ますと失礼しカメラを構える特にお断りすべき人もいないので無断小さいとはいえ六地蔵もあれば石仏も数点備わっている見れば末社のような社もここでいたずら心が扉が施錠されていなかったのを幸いにそっと開けてみると・・・これはまた。。。。。羽黒山との因縁はしらないが何でここにと思う知識の浅い身が知らないだけでそれなりの繋がりがあるのかもしれないだが私はとても悪い事をしたよう...羽黒神社・川口
この道路わきに追いつめられてフェンスに囲まれどこから接近して良いのやら何とも荒廃感漂う神社が石田三成を祀る神社であるとの事信じ難い思いだが由来は三成の側室の孫が乳母に守られ幕府の追跡を逃れ、この地にやってきた逃げきれぬと観念し、大刀と孫をこの地の豪農家に預け養育を依頼したというその孫が先祖の霊を祀ったのが等、石田神社で一族の氏神となった・・・とか真偽のほどは定かではない武将・三成を祀るには余りにも貧弱ではないか歴史をひもとけば遺族はそれほど冷遇されたわけではなく生き永らえたと聞くどうもその点からも眉に唾つけたい話ではあり個人的には信じられぬ思いだ拝殿前の石に彫り込まれた各々4文字『万民安寧』『帝国静謐』気に入らないまるで戦時中の国民への戦意高揚のようではないか後日、備えられた物で在ればいいのだがそれにしても「石...石田神社
「稲魂」を「闘魂」と読み違えていたようだ近ごろ闘争心をなくし趣味の穴倉に閉じ籠っているばかりの自分自身を鼓舞するたっめにお参りすべきかと。。。。社会人生活をとうに卒業し競争社会とは決別「もう誰とも競わなくていいんだ」点数至上の世界とは縁を切って趣味の世界に自らを埋没させようと心に決めたなんと居心地の良い世界ではないかそお思ってきたここ数年それで通しただがそうは問屋が卸さないここににも点数社会が追いかけてきたしつこくも逃げようかそれとも適当にいなし避けようか闘争心を奮い起こし再戦するか方向定まらぬ中での稲魂社詣りなのだが来てみれば屋敷神ほどの小さけれど立派なやしろどっちつかずの我が心のように慌てるには及ばない大勢の友もいることだ成り行きに任せようかと、稲荷を参拝とうこんしゃさいたま市南区大谷場稲魂社浦和
ふらりと立ち寄った小雨模様のこの日普段なら境内で遊ぶ児童の声がするのだがさすがにこの日は無人六百数十年前京都北野天神より勧鎮座したものであり「文教都市」を標榜する当地の守護神でありながら住人の移り変りと今次大戦の争乱から一時は荒廃の度を加えたようだが地元の方のご尽力により復活、今は地元に根付いていると聞く天神社、天満宮は菅原道真を祭祀とするようだ(別の説もあるようだが)道真が亡くなった後、平安京で落雷等の天変地異が相次いだことから「道真の怨霊が雷神となりそれが天に満ちた事がその名の由来と聞くその後、道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、多くの受験生が合格祈願に詣でる参拝して筆を買うように立ったとか当神社での参拝風景は知らないが、普段ここで遊ぶ学童たちもその時期になれば筆を買い求め合格を祈...起志乃天神
中国禅宗の始祖達磨は南インドに生まれたというが実際は謎に包まれた人らしい嵩山の少林寺での厳しい修行が有名で「面壁九年」の故事が伝わる人々に生きる喜びと力を与えた菩提達磨は、150才あまりの長い生涯の終わりを日本で迎えたともいわれている『転んでも転んでも其の度に起き上がりまた一から始めなさい今度はきっとうまくいくでしょう』これが達磨の心とか神明社では拝殿の前でいきなり『福だるま』に出会う拝殿内にも・・・・以前は初詣の参拝者に縁起物として提供していたらしいがいつしかこうした形になったらしい赤い達磨は病厄を除け家内安全・商売繁盛を願い白い達磨は幸せを呼ぶという商売繁盛や幸せまでは望まないからせめて厄病退散だけ頼みますと、ちいさな明神様にひたすらの思いを込めて伏し拝んだきしまちしんめいしゃさいたま市浦和区岸町神明社の福だるま
正一位は位階及び神階のひとつ諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、従一位の上にあたる因みに人物では国家に対し偉勲の著しい者が叙されている生前に叙された者は史上でも6人しかおらず没後追贈位が殆どでそれも織田信長を最後とし以降叙位の例はなく現、内閣制度下で叙任者はいないuikupedeiaより神社においても正一位が神格の最高位の称号で全国で20社ほどがこれにあたるそれなのにである国内に三万社あるという稲荷神社が」『正一位』名乗るのは不自然且つ尊大にすぎないか稲荷社を訪れるたびに考えることなのだ街中で観る小さな「やしろ」だけの神社には格式が高すぎないかとは日頃の思い鎌倉時代に後鳥羽天皇が京都伏見稲荷大社を訪れた際に¥分霊先でも正一位を名乗ることを許可したとされているらしい以来、全国に約3万ある「分...正一位稲荷
『6』という数字にはどこかまがまがしいものを感じるのはなぜだろうか古い以前に観た映画(オーメン)のせいか頭に「666」の痣を持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語の印象がいまだに心に残っているからだろうか「第六天」にも「魔王」との知識がかすかに頭の中にはあるのだが思い出せないこの神社との因縁はないのだろう素直に因縁を忘れ参拝しようか近郷近在に古くから尊崇されてきた当、第六天神社はふるさとの奉斎する謂れある土地の守護神であります縁結び、子育神、商売繁盛、厄除け神等民福安栄の象徴として後世までお祀りされ信仰され縁起の良い。。。と、標識には書かれているまがまがしさなんて一点もない先入観で観てはいけないのかなと思いつつ手を合わせるも不敬ながら第六天は悪魔だとの思いも消せず帰って調べなければなるまいと腹で考えての今日の天気のよう...第六天神社さいたま
睦神社はもともと当地にあった富士浅間社に明治維新後に合わせて10社の神社を合祀して成立した神社で社号の『睦』は合祀で一つになった諸社及びその氏子が「睦び和むように」との願いを込めたものであるらしいその際の経過は不明ながら祭神はもとより氏子一同も果たして納得しての事なのだろうか気になるところ神様は素通りなのかしらあるいは明治の政府の強制的専断かしらとの邪推も働くのだがそんな思いとは無関係に風もなく汗ばむほどの陽気の中そんな過ぎた昔のことお前が考えるには及ばぬとばかりに境内はひっそりと・・・。しらはたむつみじんじゃさいたま市南区白幡白幡睦神社
地名は「神田」と書いて《じんでん》神社は「月読」を《つくよみ》と呼ぶ生半可の知識を振り回すと恥をかくことになりそうどこにも仮名を振ってないから猶更だ神田の名はこの辺りは大古の昔伊勢神宮の神領であったその神領の中に一反五畝四歩の伊勢田との呼ばれる田があり農耕の守護神として祀られた。神田に因み村号を神田(じんでん)と名付けられたそうである月読社の由来は長くなるので省略するが明治時代には氷川社とし神田村の村社だったその後、村民の希望で月讀社と改称し祭神も須佐之男を改め月讀命としたとの履歴を持つようだ月読社の『月待行事』が当地で行われているかは辺りに人もおらず聞けなかった十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み悪霊を追い払うと...月読社さいたま
「花も咲いてないしなーんも撮るところ無いっしょ」落ち葉を掃き清めていたらしい女性に話しかけられる花の寺でもなく、ましてこの季節当然の問いかけ何にもないから良いんですと、答えて境内を見回すなるほど何にもない・・・があるではないか文化14年造立七観世音菩薩の石塔がかたすみにひっそりと観世音は世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩人々の姿に応じて人々の願いに応じ千変万化の相となるといい、その姿は三十三観音、六観音、とも評される天台宗では一つ加えて七観音だが当山は真言宗とあるいつの事か宗旨替えしたのかも知れない聖、十一面、千手、馬頭、如意輪、准胝、不空羂索を七観音と称し、六道輪廻の思想に基づき、観音が道に迷う衆生を救うという考えから生まれたものだとの事だが一つの石塔に七観音全て彫り込んだのは初めて拝見彫も深く...七観音菩薩川口法福寺
五劫思惟阿弥陀仏は頭髪が「アフロ」のような大きな髪形をしている経典によると阿弥陀仏が修行していた昔、もろもろの衆生を救わんと大願をたて五劫の間、頭髪をすることもなく思惟をこらしていた時の姿であるとのこと一劫とは四十里立法の大岩に天女が百年に一度舞い降り羽衣で撫でて、岩がすり減り小さくなり形が無くなるまでの気の遠くなるような永い時間の事だ五劫はそれが繰り返されること5回とんでもなくなが~いなが~い年月落語の「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ」はここからきている珍しい五劫思惟阿弥陀仏を上尾・少林寺で観るここでは難しい仏教を簡潔にまとめ解説版で教えてくれるのがありがたい五劫についてもそれからの転載当山があの少林寺拳法との関わり合いについての解説はなかったと思うので不明だそれにしても落語って奥がふかいなー。五劫のすりきれ
生前草花が好きだった亡妻が現状を見たら怒るか悲しむか荒れるに任せた我が家の庭足腰の利かなくなった身では除草もママにならないそんな中、気が付けば雑草と枯れ葉に紛れ水仙が芽を出し、成長しつつあるまだ少し早い気もする無事,開花を迎えることができるだろうか心もとない日頃草花に対し無頓着な私だ球根を植え替えたわけではなく放りっぱなしだ草花は人間と同じで手をかけすぎないほうが育つとは我が持論ではあるがこんな不精な庭に花が咲いたらそうら見ろちゃんと咲いたぞとあの世の妻に威張れるのだ水仙の花言葉は『うぬぼれ』持論が証明される日が来るのが今から待たれる水やりやらの手間をかけるのはやめて様子を見ようと思う水仙の芽
真乗院は日光御成道の鳩ヶ谷宿と大門宿との間にあり、日光社参の折に徳川将軍の御休所となったという往時に植栽の樹木が今や空を圧するほどの巨木となって街道を静かに見守っているこのうちコウヤマキは樹高4.8㍍市、指定天然記念物そのそばにはカヤやスタジイの大木もありまさに「巨樹の寺」だ静かに石仏と巨樹に見入っていると誰かから見られているような・・・。閻魔堂からかナ?違うようだどうようやらこちららしい君達は誰だ?スタジイの亀裂を格好の住家とした名は何というのかその方面に知識はないがどこかで見たことがあるような愛嬌もん団栗の精とその子供たちかしら?そんな訳はないのだが弁当を使う私にしきりに話しかけてくるような気がするお寺さんだってこんな「あそびこころ」があってもいい楽しく拝見、語り合う勿論、寺院だ石仏もあるのだがこちらに見と...真乗院(川口)巨樹の寺
車道わきの小高くなったまるで古墳を思わせるようなところ柵に囲まれた石造物が3体以前から気になってはいたが交通量が激しい所で一瞬の間に通りすぎてしまい確認せぬまま今に至っていたが今日、その正体を確認三体の神代の時代のような装束の石造物何かいわくのありそうな気もするが結局、その正体は不明周囲に説明版らしきものはなぜか見つからない写光線の具合で写りが悪く恐縮だが個別写真をご覧いただくどこか既視感がありそうな気もするがなんとも思いは浮かばないこの辺りの地名が「石神」素人判断ではこの石造物と地名とはどこかで結びついてるような気がするのだがまだまだ我が狭小な知識では及ばない事がたくさんあるようだ謎の石造物
『常楽寺』の名にひかれ信号待ちの合間に目に付いたさみし気な寺に立ち寄る時としこんな勝手な動機で覗いた寺に思わず見とれる紅葉や石仏があったりする期待は見事に外れたお寺さんには済まないが想像とは違い見事に外れた荒れ気味な寺には紅葉もなければ気に入った石仏もない過度なそして不純な期待を抱いた我が方の過ちでありお寺さんの責任ではないわずかに本堂わきの石像に惹かれるものがあったので参拝記念に撮影するまぁそうそう偶然に期待を超える被写体に出会えるなんて事はめったにはないまして寺院は一風来坊の期待を満たすために存在している訳ではないのだからごめんなさい参拝の動機があまりにこちら本位でしたと謝罪して立ち去るじょうらくじさいたま市桜区上大久保さいたま常楽寺
仲間内での「ハイキング」がいつの間にかその名も「ウオーキング」に変わった行動が制約される昨今本来ならこの碧空の下野・山を指して行きたいところだが近場歩きで糊塗するしかなく苦肉の策として手近ところの歩きとなった模様勿論、登り降り移動がつらくなった体力事情もあっての事でもあるだろうがそんなもの吹き飛ばすだけの『元気』が残っているうちは歩きまわりたいのだが野山を闊歩する日がいつか再び訪れることを期待して今はここいらでの楽しみを謳歌しようと思う模索の上の提案がここならばここで思いきり。。。仲間とおおいに語り、遊んだ一日だった模索続く。。。
ここの獅子山に乗った狛犬が気にいっているのだが樹木に遮られうまくいかない勇壮な姿が我が好みではあるのだがこの神社では毎年冬至の日に催される冬至祭において、火渡り神事が行われるこの祭りでは供物のユズを火に投げ入れるのでユズ祭とも呼ばれるこのところ日に日に寒くなってきた冬至にはまだまだ日があるのだが下見と狛犬を見るのとで訪れてみる祭礼は境内中央に積み重ねられたヒバの山の前で祝詞奏上などを行い火を付ける山の周りを神職が回り、燃え終る頃に宮司がユズを投げ入れ、おき火の中に道を作り塩を撒く宮司を先頭に次に講員はあらかじめ配布された人形(ひとがた)に家族の名を記し、行者が人形を納めた木箱を担いで火渡りし一年の災厄を清めるよく見る「火渡り」の行事であるがこれを間近に見、撮りたいものとの思いからの下見だったが危惧された如く本年...一山神社さいたま
穏やかに晴れた日カメラをぶら下げて出かけたいところ…だが昨夜からたまには家にいて「家事」とやらをやらねばと、そんなわけで数日前の記録からむくろじの大樹があるという寺を訪ねたむくろじは漢字で「無患子」と書く「無患子」と書くことから子供が病気をしないとその名が縁起が良いとされていた古くからその実は石鹸として使われていたり固くて黒い種が羽根つきの珠やつないで数珠の材料にも使われ使い込むごとに濃い光沢が出る為高級品として扱われたというそんなむくろじのある龍山院を訪ねる寺の名が何処となく気に入ったからでむくろじの存在も山門を入って初めて知ったロック歌集のダイヤモンド☆ユカイという人が「ムクロジの木」というのを歌っているのはつい最前知ったこの歌手を殆ど知らずてっきりお笑いタレントだと思い込んでいたほどだもちろん歌手と当寺院...むくろじのある寺
上大久保氷川神社これと言って変わったところのある神社ではない元々の鎮座地一帯が埼玉大学の敷地となったため、昭和41年に当地に遷座したというが今は街の幼稚園児の格好の遊び場になっているようだそんな神社の鳥居の片隅の小さな「やしろ」が気になる『客人社』って何なのだ見回したところこれと言って来歴や由緒を示す何物もない己の無知を恥じつつ調べてみるもこれも何やら難しくここに披露するのはお手上げだ思えば大宮氷川神社の摂社にも『門客人神社』があったがそれと関係あるのか?客人社は客人(まれびと)即ち他所からやってきたお客様だとPCが教えてくれる客人は民間信仰による神で神社の主神に対して対等或いはやや低い地位にあり曖昧な関係にある神格である旅の安全やら子孫繁栄を主とした村の守り神として信仰されたようであると一般にはいわれているが...客人社って何だ
時間が逆行するが上尾市に出かけたのは孫の「学童野球」を観るためだ少年野球チームに所属する彼のユニフォーム姿を観るのは初めて不器用で運動嫌いな祖父(俺のことだ)に似ない凛々しい姿には危なく涙が。。降るんだか降らないのだかはっきりしない天気に自宅にこもり読み本を探す「野球少年」が目に焼き付いてそちらの本をと思うも我が書棚には見つからない処分寸前の文庫本の中からプロ野球がらみながら且つて感動した本を改めて読むノンフィクション短編集の中にある『江夏の21球』を読み直す感動的な名編だ江夏豊広島カープ在籍時代近鉄バファローズと日本シリーズ3勝3敗での第7戦4-3わずか1点差9回裏の大ピンチリリーフの切り札と自他ともに認める投手の心理の一断面この時、ブルペンが動いた江夏の張りつめた気分はカキ乱された「そうか俺はまだ完全には信...少年野球
所用で上尾市に出かけ氷川神社に立ち寄るところで市内には氷川神社を名乗る神社が当社を含め10社もあるとの事明治時代の神社合祀や近世の宿村分離やら各々それなり事情があっての事と思うが偶々の訪問者にはわかりにくい事この上ない当社は上村の氷川様と一般に称されているようではある祭神は素戔嗚の命氷川神の成り立ちには他にもいくつかの説があるようで気に入りは別の説で実は本来の「氷川神」はスサノウではなく見沼の水神とも謂われる自然神であってその信仰がヤマト民族や出雲族の産土神であるスサノオ信仰と融合してできたのが現在の氷川信仰であるとの説がある現在の氷川神社分布からも納得がいくのだがそれはそれとしてこの狛犬の重厚さが気に入っている石工は樋川町横田良助昭和7年建立というからさほど古いものではないが・・・。神社の履歴にはさして興味は...氷川神社
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