クラシック音楽や絵画など、興味のあることについて考え、文章にまとめて投稿することを続けております。
かなり硬派のブログです。 偏屈おやじが、人生の残り時間を費やして、さまざまなことについて考える、というコンセプトです。 記事は、それぞれ、けっこう長文です。かわいい写真なんか、一枚も出てきません。 それでもよかったら、どうぞ、ご覧ください。
【本稿は、「わたしの眼に映った死の実相(その1)」の続きです。「わたしの眼に映った死の実相(その1)」を読んた後に読むことをお勧め致します。】振り返れば、背後の掃き出し窓の外は、すでに漆黒の闇に支配されていた。時刻は、午後8時半を少し回っている。わたしは、よく、自身の実家の環境を紹介するときに、「右を向いても、左を向いても、そこに有るのは、田んぼと畑と耕作放棄地ばっかりなんです」と紹介するのだが、...
カテゴリ「このサイトについて」の2020年5月10付けの記事で予告させて頂いた「復刻版【キムチ通信】の第5回配信です。今回は、第5編である「第4号『点数』」をお届け致します。★★★ 復刻版【キムチ通信】 引用開始 ★★★ 近くて遠い国、韓国。 首都ソウルには、日本人が嫌いできらいでしようがない、という1200万人のひとびとが暮らしていた。 韓国から日本に送り続けたエッセイの数々。それは、ソウル駐在員哀歌...
このカテゴリ「美というものについて考える」の前稿においては、クラシック音楽の「ロマン派」時代の特色について概説致しました。本稿では、この時代に活躍した主要な作曲家について簡単に取り上げておこうと思います。ただし、それぞれの作曲家の詳細については、現在、このカテゴリにおいて実施している絵画史/音楽史の概説が終了した後に、「画家/作曲家列伝」というかたちで、個別に取り上げて掘り下げる予定にしております...
しゃくじいコウペンえき:駅名変更によって証明された我が大仮説
わたしの最寄り駅は、東京の池袋から埼玉の秩父に向かう西武池袋線の「石神井公園」駅です。近くに、わりあいと大きめの都立の公園「石神井公園」があることから、この駅名が付けられたものと想像されますが、この駅の駅名が、なんと、「しゃくじいコウペンえき」という名前に変わった、というのです。いや、普段、電車に乗ることがない、わたしが知らなかっただけのようでして、実は、一年ほど前から変わっていたのだ、と家人から...
本日は、2020年5月27日です。このブログサイトは、最初の投稿が、2020年4月25日付けで行われておりますので、その立ち上げから、約一か月が経過した勘定です。この間、わたしとしては、「なにをどのように書くべきか」について試行錯誤する毎日の連続でしたが、いま振り返れば、あっという間の一か月であったようにも思います。その一方で、現時点において、このブログは、「にほんブログ村」の「男性シニア」という...
カテゴリ「このサイトについて」の2020年5月10付けの記事で予告させて頂いた「復刻版【キムチ通信】の第4回配信です。今回は、第4編である「第3号『汚職』」をお届け致します。★★★ 復刻版【キムチ通信】 引用開始 ★★★ 近くて遠い国、韓国。 首都ソウルには、日本人が嫌いできらいでしようがない、という1200万人のひとびとが暮らしていた。 韓国から日本に送り続けたエッセイの数々。それは、ソウル駐在員哀歌...
時刻は、夕方の七時前である。九月の下旬ではあるが、四国のこの地においては、外はまだ明るさが残っており、夏の名残なのか、網戸になった掃き出し窓からわずかに入ってくる風も、初秋にしては、いまも微妙な夏の熱を持っているように感じられた。わたしは、八畳の和室の中央に置かれた大きな介護用のベッドを前にして、椅子に腰かけている。わたしの眼下のベッドには、母が横たわっていた。暑いので、布団は、かけられていない。...
このカテゴリ「美というものについて考える」の前稿においては、西洋絵画の歴史について、「レアリスム」及び「バルビゾン派」まで(つまり、19世紀半ばまで)紹介致しました。本稿においては、これに並行する音楽の時代である、18世紀後半の古典派に続く「ロマン派」の時代について書いてみたいと思います。一般に、19世紀初頭から20世紀初頭にかけての音楽の時代を「ロマン派」又は「ロマン主義」の時代と呼んでいます。...
わたし、ずうっっっと不思議に思っておりました。人間の赤ちゃんは、生まれた直後に、なぜ、大声で「ギャーギャーッ」と泣くのでしょうか。どの動物でもそうですけれど、お産というのは、「天敵から身を守る」という観点においては、もっと脆弱な状況の1つではないかと思います。お産の直後に天敵に発見されると、お産で弱った母親も食われてしまうだろうし、生まれたての赤ちゃんも、当然、無防備であって、抵抗できませんから、...
カテゴリ「このサイトについて」の2020年5月10付けの記事で予告させて頂いた「復刻版【キムチ通信】の第3回配信です。今回は、第3編である「第2号『名前』」をお届け致します。★★★ 復刻版【キムチ通信】 引用開始 ★★★ 近くて遠い国、韓国。 首都ソウルには、日本人が嫌いできらいでしようがない、という1200万人のひとびとが暮らしていた。 韓国から日本に送り続けたエッセイの数々。それは、ソウル駐在員哀歌...
このカテゴリ「生死について考える」の前稿においては、「神仏の正体」を暴いてしまう、という乱暴なことをしてしまいましたが、とりあげず、現在までのところ、宗教界から特段の抗議が届いた、という事実は、ございません。我がブログの影響力のなさを改めて噛み締めさせられているわたしです。残念!予告どおり、本日は、我々の「いのち」というものの本質について、わたしの考えるところを述べてみたいと思います。前回お話しし...
わたしには、愛猫がおりました。名を「おちいちゃん」といい、不細工で汚い猫でしたが、猫だけに、「猫かわいがり」をしておりました。そもそもは、娘にバイオリンを教えてくれていた先生が、レッスンのときに我が家に連れてきた猫でした。当時、大きさは、少し大きめのネズミくらい。おそらくは、生後2週間ぐらいだったのでしょうか。「うちの娘がね、公園で拾ったんですよ。でも、うちでは飼えなくて。で、一旦、知り合いに引き...
このカテゴリ「美というものについて考える」の前々稿及び前稿においては、クラシック音楽の「バロック時代」から「古典派の時代」にかけての変化について書き進めてまいりました。この勢いで、本稿においても、「実は、この古典派の時代を本当の意味で完成させたのが、ブラームスなんですよ。それでね・・・」とクラシック音楽について書き続けようかな、とも思ったのですが、あんまり、音楽の話ばかりしていると、絵画の世界に戻...
カテゴリ「このサイトについて」の2020年5月10付けの記事で予告させて頂いた「復刻版【キムチ通信】の第2回配信です。今回は、第2編である「第1号『税金』」をお届け致します。★★★ 復刻版【キムチ通信】 引用開始 ★★★ 近くて遠い国、韓国。 首都ソウルには、日本人が嫌いできらいでしようがない、という1200万人のひとびとが暮らしていた。 韓国から日本に送り続けたエッセイの数々。それは、ソウル駐在員哀歌...
社会というものに対する、「淡い恋慕」にも似た感情を持て余しているわたしですが、本稿では、そういうわたしのことはさておいて、知り合いの高齢女性のことについて書いてみようかと思います。仮に「Tさん」としておきましょう。わたしよりも、多少、年上のご様子で、お年は、70代前半のようにお見受け致します。わたしは、区が運営している独居高齢者見守り事業のお手伝い(ボランティア)をやっておりますが、Tさんも、その...
今回は、宗教界のみなさん全員から蹴とばされそうな、お話を致します。それは、「神とはなにか?」、「仏とはなにか?」、ということです。宇宙は、137億年前に、「ビッグバン」と呼ばれる大爆発によって生まれたんだそうです。しからば、ビッグバン以前は、どういう状態にあったのか、というと、「なんにもありませんでした」と物理学者のみなさんは仰います。「ホンマかいな? 無から有が生まれるわけないじゃん?」とわたし...
「一度あること二度、三度?」 それとも、今度こそ、「三度目の正直?」
わたしの60余年の人生において、自身の「人生の危機」を感じたことが二度あります。最初の危機は、1985年のプラザ合意を契機とする急激な円高が進行したときのことでした。プラザ合意の時点においては、1$=240円前後であったものが、「あれよあれよ」という間に、わずか2年ほどで、1$=120円になってしまいました。倍ですよ、二倍の円高。むちゃくちゃです。当時、わたしは電機メーカで海外担当の若手の営業職と...
カテゴリ「このサイトについて」の2020年5月10付けの記事で予告させて頂いた「復刻版【キムチ通信】の配信を本日から開始させて頂きます。まずは、第1編である「第0号『開題』」をお届け致します。★★★ 復刻版【キムチ通信】 引用開始 ★★★ 近くて遠い国、韓国。 首都ソウルには、日本人が嫌いできらいでしようがない、という1200万人のひとびとが暮らしていた。 韓国から日本に送り続けたエッセイの数々。それは...
信じた者こそ、救われる? 気づいた者こそ、救われる?(その3)
この「信じた者こそ、救われる? 気づいた者こそ、救われる?」シリーズにおいては、まずは、一神教について概説し、次いで、仏教の歴史と日本における奈良/平安仏教の変化について述べましたが、今回は、このシリーズの最終回として、鎌倉時代以降の日本仏教の変化について、お話ししたいと思います。既述のように、平安時代には、叡山の最澄(伝教大師)と高野山の空海(弘法大師)という宗教的2大巨人が出現し、それぞれに繁...
このカテゴリ「美というものについて考える」の前稿においては、音楽の「バロック時代」についてお話ししたので、本稿でも、再度、絵画に戻るのではなく、音楽の歴史のお話を続けたいと思います。J.S.バッハが亡くなった1750年にバロック時代が終了した、ということについては、前稿で述べたとおりです。そして、これを境に始まったのが、「古典派」の時代。世紀が19世紀に変わった後も、20年くらい、さらに続くことに...
読者の方からの「会社ごっこに対する、わたしの見方が辛辣過ぎるのではないか」というご指摘を受け、急遽、前稿は、余談に逸れましたが、話を元に戻します。このカテゴリ「社会との間合いについて考える」の前々々稿において、お話ししたように、社会とまるっきり付き合わないと、どうしてだか、「寂しいなあ」という感情に苛まれます。しかし、だからと言って、その一方で、前々稿においてお話ししたように、実際に社会と接してみ...
昨日、パソコンのデータファイルの整理をしておりましたら、いまから30年ほど前、わたしが韓国ソウルに駐在していたときに、その日常を綴っては日本のパソコン通信(ニフティ)に発表していた「キムチ通信」というエッセイ集のデータが出てまいりました。全部で49編ありましたが、懐かしいなあ。当時、わたしが、まだ30代のころですよ。多感な、とは言いませんけれど、まだそれなりに感性が豊かであったころに、わたしの目に...
それまで勤めていた電機メーカーを45歳のときに退社し、フリーランスの翻訳者として、自営独立した後には、女房子供を養うために、一生懸命努力致しました。わたしの身勝手で、安定した大企業のサラリーマン生活を捨て、不安定な自営業の道を選んだわけですから、まかり間違っても、女房子供が路頭に迷うようなことにするわけにはまいりません。翻訳の腕を継続的に磨くことに加えて、少しでも上質の取引先を確保するように、営業...
信じた者こそ、救われる? 気づいた者こそ、救われる?(その2)
にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ前稿では、「信じたものこそ、救われる」型の宗教の代表である一神教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教)について主にお話ししました。本稿では、仏教、特に、日本における仏教について話すことになります。仏教の創始者である釈迦が亡くなったのは、紀元前544年である、とする説があります。そのことの真偽は、ここでは、どうでもいいことですね。とにかく、「い...
にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ皆川達夫さんが、先月(4月)亡くなった、ということは、知っておりました。「また1つ、巨星落つ」ということだなあ、と思っておりましたら、数日前に、NHKのEテレで、15年くらい前に放送された皆川さんの「ヨーロッパの中世/ルネサンス期の音楽」に関する特集番組が再放送されており、たまたま、これを見る機会を得ました。前稿で、西洋絵画のバロック時代につい...
わたしの父方の先祖は、いずれも四国の田舎(現在の徳島県)で暮らしていたようです。わたしから数えて5代前になる人物(高祖父の父)は、名を「市左衛門(いちざえもん)」といい、その人生の大部分を幕末において過ごしたひとでした。彼は、藍百姓であったようです。彼が暮らす阿波徳島藩は、江戸期を通じて、特産品として藍の生産を大規模に行っており、その利益が膨大であったことから、表高は、24万石でしたが、実際には、...
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