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2020/04/28

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  • カーシャを作りました

    今日の昼ごはんに、ロシアやポーランドなど東欧の代表的な家庭料理の「ソバの実のカーシャ」を作りました。カーシャとは穀物で作った粥のことで、特にソバの実を使った粥がよく食べられています。今回はソバの実のカーシャでキノコのピラフを作りました。材料は次の通りです。ソバの実とタマネギ、エリンギ、ひき肉です。(作り方)・ソバの実を1時間ほど水につける。・ソバの実を10分ほど煮て、水を切る。・粗みじん切りのタマネギを炒め、ひき肉とエリンギを加えてさらに炒めます。・ソバの実と塩を加えて軽く炒めて出来上がりです。(感想)独特のしっかりとした食感で、かなり食べごたえがあり美味しかったです。それと後で気が付いたのですが、とても腹持ちが良かったです。ソバの実はダイエットには良いかもしれません。カーシャを作りました

  • コーヒーと東インド会社-イギリス・オランダの躍進(5)

    コーヒーと東インド会社-イギリス・オランダの躍進(5)「モカ・コーヒー」という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。でも、モカ・コーヒーの名前の由来については、よほどのコーヒー好きしか知らないと思います。モカはアラビア半島の南東部のイエメンにある港町で、15世紀末からコーヒー貿易の拠点となっていました。そして、このモカ港から積み出されたコーヒーのことをモカ・コーヒーと呼んだのです。東インド会社もモカ港でコーヒーを仕入れてヨーロッパに運びました。そしてこれが世界中にコーヒーを広めるきっかけとなりました。ちなみに、イギリスの飲み物と言えは「紅茶」を思い浮かべますが、紅茶がイギリスで広く飲まれる以前はコーヒーがたくさん飲まれていました。18世紀の前半には、ロンドンとその周辺部に合わせて8000軒ものコー...コーヒーと東インド会社-イギリス・オランダの躍進(5)

  • イギリスとオランダの戦い-イギリス・オランダの躍進(3)

    イギリスとオランダの戦い-イギリス・オランダの躍進(3)今回はイギリスとオランダの「東インド会社」の続きです。イギリス(イングランド)とオランダはともに数少ないプロテスタント国で、オランダの独立ではイングランドが支援を行うなど、両国の関係は良好でした。ところが、両国が東インド会社を設立した後は「昨日の友は今日の敵」という言葉の通り、イングランドとオランダは東南アジアでの香辛料の貿易をめぐって激しく争うようになります。オランダは経済的に非常に栄えており、たくさんの船を貿易に投入することができました。一方、イングランドはまだまだ貧しく、オランダほどの多くの船を利用することはできませんでした。両国の戦いの結果は火を見るよりも明らかでした。今回はこのような両国の争いを軸に、当時の香辛料の生産と流通について見て行きます。...イギリスとオランダの戦い-イギリス・オランダの躍進(3)

  • 東インド会社の誕生-イギリス・オランダの躍進(3)

    東インド会社の誕生-イギリス・オランダの躍進(3)「東インド会社」は中学の歴史の授業でも習う重要な項目です。世界史の年表では必ず出てくるようです。東インド会社は言葉の響き自体は覚えやすいのですが、私は「東インド」で作られた「会社」って何だろうと疑問に思いながら、授業をしっかり聞いていなかったのもあって、十分に理解しないまま大人になりました。実際、東インド会社はヨーロッパの各国に設立され、国によって内容や歴史も異なるし、時代とともにその様相も変化することから、一まとめにして説明するのは難しいものです。そこで今回は、17世紀の初めに設立されたイギリスとオランダの東インド会社の誕生の様子を見て行きたいと思います。なお、話を分かりやすくするために、東インド会社が設立される前のポルトガルによる東インドでの貿易から話を始め...東インド会社の誕生-イギリス・オランダの躍進(3)

  • 女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)

    女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)今回は、イングランド女王エリザベス1世が重用した海賊フランシス・ドレイクを取り上げます。彼はイギリスがスペインの無敵艦隊(アルマダと呼ばれた)を打ち破ったアルマダの海戦で大活躍したことで有名ですが、それ以外にもエリザベス女王のために様々な功績を残しています。彼がいなかったら、イギリスが大国へと成長することは無かったと考える学者も少なくありません。エリザベス1世の頃は、ブリテン島の南半分がイングランドで、北半分はカトリック国のスコットランドでした。また、南のドーバー海峡をはさんだ対岸にはカトリックの大国フランスがあり、両国は断続的な戦いを続けていました。それに加えて、海洋帝国として日が昇る勢いを見せていたスペインがイングランドへの侵略の機会をうかがって...女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)

  • スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)

    4・6イギリス・オランダの躍進スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)歴史に「if」は無いと言われます。でも、「もし織田信長が本能寺の変で死んでいなかったら、その後の日本の歴史は大きく変わっていただろう」などと考えると、いろいろな妄想が頭の中を駆け巡って、少しワクワクするものです。今回取り上げるスペイン王フェリペ2世も、「もし彼があの時しくじっていなかったら、その後の世界史は大きく変わっていただろう」と思えるほどの、歴史の転換点にいた重要人物です。彼に相対したのがイングランド女王のエリザベス1世で、彼らの時代にスペインとイギリスはいくたびもの戦いを繰り広げました。その中でもっとも有名なものが「アルマダの海戦」で、スペインが誇る無敵艦隊がイギリス海軍に敗れるという大番狂わせが起こったとされています。フェリペ...スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)

  • イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)

    イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)今回はイギリスの宗教改革と食について見て行きます。イギリスでは他の国とは異なった原因で宗教改革が起こりました。その原因を作り出したのはヘンリ8世です。彼は歴代のイギリス国王の中ではかなり有名で、これまでに何冊もの本になっています。今回はまず簡単にイギリスの歴史を振り返ってから、ヘンリ8世が始めた宗教改革と彼の時代の食について見て行きます。ヘンリ8世**************イングランド王国は1066年にヴァイキングで知られるノルマン人によって建国された。これをノルマン朝と呼ぶ。国王はフランス北部のノルマンディーにも所領を持つノルマンディー公であり、イギリス王であると同時にフランス国王の家臣だった。このため宮廷ではフランス語が主に使用されてい...イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)

  • カラバッチャを作りました

    今日は昼ごはんにルネサンス期のイタリア・トスカーナ地方で食べられていた「カラバッチャ」を作りました。いわゆるオニオングラタンスープの原型です。(材料)材料は下の写真のように、パンと玉ねぎ、パルミジャーノチーズ、そして野菜スープの素です。本当は野菜をじっくりと煮込んで野菜スープを作りますが、今回はスープの素で手抜きです。それ以外に、塩、コショウ、ニンニク、ハチミツです。(作り方)・玉ねぎをくし切りにして鍋に入れ、オリーブオイルで10分ほど炒めます。・水を加え、スープの素、塩、ハチミツ、ニンニクを入れて20分ほど煮ます。・玉ねぎスープを耐熱皿に入れてトースターで焼いたパンを乗せ、コショウとパルミジャーノチーズを振りかけたらオーブンに5分入れて出来上がり。(感想)なかなか素朴な味ですが美味しかったです。でも、少し味付...カラバッチャを作りました

  • カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)

    カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)宗教改革の指導者としてルターと並び称されるのがカルヴァンです。カルヴァンの教えはルターの教えよりも厳格と言われています。ルターの教えは主にドイツ北部とデンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国に広まりました。一方のカルヴァンの教えは主にオランダ(ネーデルラント)とイギリス(イングランドとスコットランド)、そしてフランスに広まりました。なお、フランスではその後カトリックが再び主流になります。また、スペインやポルトガル、イタリアなどのそれ以外の西ヨーロッパの国々はカトリックのままであり、東ヨーロッパではギリシア正教が信仰されました。このようなキリスト教の宗派の違いは人々の日々の食事にも影響を与え、それは現代でも残っています。今回はカルヴァンの宗...カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)

  • ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)

    ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)宗教では特定の食べ物を食べることが禁じられていることがあります。例えば、日本の仏教では葬式などで肉食をひかえるなど、動物性の食べ物を口にすることが禁じられており、昔のお坊さんは日常生活でも肉を食べることはできませんでした。また、イスラム教やユダヤ教では豚肉など特定の食品を食べることが禁じられています。現代のキリスト教では聖職者を除いて食の制限はほとんどありませんが、中世には断食日に肉を食べることが禁じられていました。この断食日は1年間に93日もあり、特に復活祭の前の46日間は四旬節と言って、肉に加えて乳製品や卵なども禁止されていました。このようなキリスト教の食の戒律を大きく変えるきっかけとなったのが、ルターが始めたとされる「宗教改革」です。今回は宗教改革...ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)

  • フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)

    フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)前回はハプスブルク家の始まりのお話をしました。今回はハプスブルク家と激しい戦いを繰り広げたフランス王家のお話です。フランスの歴史が分かるように、少し時代をさかのぼって、ゲルマン民族の大移動後から話を始めたいと思います。なお、今回も食の話は少なめです。************4~6世紀のゲルマン人の大移動の後、ゲルマン人の部族ごとに複数の国家が形成された。それらはお互いに覇権を競い合ったが、最終的にフランク王国が戦いに勝利する。フランク王カール大帝(在位:768~814年)の時代には、フランク王国はイベリア半島とイタリア南部、ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域を支配した。なお、カール大帝はキリスト教を国教とし、ローマ教皇より帝冠を授けられたことから初代の神聖ロ...フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)

  • ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)

    4・5戦争と宗教改革と食の革命ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)北イタリアを中心にルネサンスが花開いていたちょうどその頃、ヨーロッパでは2つの大きな戦いが始まりました。1つ目はハプスブルク家とフランス・ブルボン家の戦いで、2つ目はカトリックとプロテスタントの戦いです。戦いの当事者たちは気づいていなかったと思いますが、この2つの戦いはヨーロッパ社会を大きく変えるきっかけになりました。今回からのシリーズでは、この2つの戦いの経緯をたどりながら当時のヨーロッパの食について見て行きます。今回は、ヨーロッパの超名門一族であるハプスブルク家の始まりの歴史についてです。************16世紀後半にフランスとイギリスを除くヨーロッパのほとんどを支配していたのがハプスブルク家だ。その支配地の大部分...ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)

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食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命
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