拙著の『「食」が動かした人類250万年史』が読売新聞の11月12日(日)の書評コーナーで紹介されました。大きな取り上げられ方ではなかったですが、新聞の書評に載るのが一つの目標だったので、素直にうれしかったです。コンビニで新聞を買ってしまいました。文化放送ラジオ『くにまる食堂』の邦丸さんも拙著をとてもおもしろいと言ってくださり、皆さんにそれなりに好評のようで良かったです。さて、次回作はあるのかな?読売新聞で紹介されました
脳と食の研究者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。
今日の昼ごはんに、ロシアやポーランドなど東欧の代表的な家庭料理の「ソバの実のカーシャ」を作りました。カーシャとは穀物で作った粥のことで、特にソバの実を使った粥がよく食べられています。今回はソバの実のカーシャでキノコのピラフを作りました。材料は次の通りです。ソバの実とタマネギ、エリンギ、ひき肉です。(作り方)・ソバの実を1時間ほど水につける。・ソバの実を10分ほど煮て、水を切る。・粗みじん切りのタマネギを炒め、ひき肉とエリンギを加えてさらに炒めます。・ソバの実と塩を加えて軽く炒めて出来上がりです。(感想)独特のしっかりとした食感で、かなり食べごたえがあり美味しかったです。それと後で気が付いたのですが、とても腹持ちが良かったです。ソバの実はダイエットには良いかもしれません。カーシャを作りました
コーヒーと東インド会社-イギリス・オランダの躍進(5)「モカ・コーヒー」という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。でも、モカ・コーヒーの名前の由来については、よほどのコーヒー好きしか知らないと思います。モカはアラビア半島の南東部のイエメンにある港町で、15世紀末からコーヒー貿易の拠点となっていました。そして、このモカ港から積み出されたコーヒーのことをモカ・コーヒーと呼んだのです。東インド会社もモカ港でコーヒーを仕入れてヨーロッパに運びました。そしてこれが世界中にコーヒーを広めるきっかけとなりました。ちなみに、イギリスの飲み物と言えは「紅茶」を思い浮かべますが、紅茶がイギリスで広く飲まれる以前はコーヒーがたくさん飲まれていました。18世紀の前半には、ロンドンとその周辺部に合わせて8000軒ものコー...コーヒーと東インド会社-イギリス・オランダの躍進(5)
イギリスとオランダの戦い-イギリス・オランダの躍進(3)今回はイギリスとオランダの「東インド会社」の続きです。イギリス(イングランド)とオランダはともに数少ないプロテスタント国で、オランダの独立ではイングランドが支援を行うなど、両国の関係は良好でした。ところが、両国が東インド会社を設立した後は「昨日の友は今日の敵」という言葉の通り、イングランドとオランダは東南アジアでの香辛料の貿易をめぐって激しく争うようになります。オランダは経済的に非常に栄えており、たくさんの船を貿易に投入することができました。一方、イングランドはまだまだ貧しく、オランダほどの多くの船を利用することはできませんでした。両国の戦いの結果は火を見るよりも明らかでした。今回はこのような両国の争いを軸に、当時の香辛料の生産と流通について見て行きます。...イギリスとオランダの戦い-イギリス・オランダの躍進(3)
東インド会社の誕生-イギリス・オランダの躍進(3)「東インド会社」は中学の歴史の授業でも習う重要な項目です。世界史の年表では必ず出てくるようです。東インド会社は言葉の響き自体は覚えやすいのですが、私は「東インド」で作られた「会社」って何だろうと疑問に思いながら、授業をしっかり聞いていなかったのもあって、十分に理解しないまま大人になりました。実際、東インド会社はヨーロッパの各国に設立され、国によって内容や歴史も異なるし、時代とともにその様相も変化することから、一まとめにして説明するのは難しいものです。そこで今回は、17世紀の初めに設立されたイギリスとオランダの東インド会社の誕生の様子を見て行きたいと思います。なお、話を分かりやすくするために、東インド会社が設立される前のポルトガルによる東インドでの貿易から話を始め...東インド会社の誕生-イギリス・オランダの躍進(3)
女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)
女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)今回は、イングランド女王エリザベス1世が重用した海賊フランシス・ドレイクを取り上げます。彼はイギリスがスペインの無敵艦隊(アルマダと呼ばれた)を打ち破ったアルマダの海戦で大活躍したことで有名ですが、それ以外にもエリザベス女王のために様々な功績を残しています。彼がいなかったら、イギリスが大国へと成長することは無かったと考える学者も少なくありません。エリザベス1世の頃は、ブリテン島の南半分がイングランドで、北半分はカトリック国のスコットランドでした。また、南のドーバー海峡をはさんだ対岸にはカトリックの大国フランスがあり、両国は断続的な戦いを続けていました。それに加えて、海洋帝国として日が昇る勢いを見せていたスペインがイングランドへの侵略の機会をうかがって...女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)
4・6イギリス・オランダの躍進スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)歴史に「if」は無いと言われます。でも、「もし織田信長が本能寺の変で死んでいなかったら、その後の日本の歴史は大きく変わっていただろう」などと考えると、いろいろな妄想が頭の中を駆け巡って、少しワクワクするものです。今回取り上げるスペイン王フェリペ2世も、「もし彼があの時しくじっていなかったら、その後の世界史は大きく変わっていただろう」と思えるほどの、歴史の転換点にいた重要人物です。彼に相対したのがイングランド女王のエリザベス1世で、彼らの時代にスペインとイギリスはいくたびもの戦いを繰り広げました。その中でもっとも有名なものが「アルマダの海戦」で、スペインが誇る無敵艦隊がイギリス海軍に敗れるという大番狂わせが起こったとされています。フェリペ...スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)
イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)
イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)今回はイギリスの宗教改革と食について見て行きます。イギリスでは他の国とは異なった原因で宗教改革が起こりました。その原因を作り出したのはヘンリ8世です。彼は歴代のイギリス国王の中ではかなり有名で、これまでに何冊もの本になっています。今回はまず簡単にイギリスの歴史を振り返ってから、ヘンリ8世が始めた宗教改革と彼の時代の食について見て行きます。ヘンリ8世**************イングランド王国は1066年にヴァイキングで知られるノルマン人によって建国された。これをノルマン朝と呼ぶ。国王はフランス北部のノルマンディーにも所領を持つノルマンディー公であり、イギリス王であると同時にフランス国王の家臣だった。このため宮廷ではフランス語が主に使用されてい...イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)
今日は昼ごはんにルネサンス期のイタリア・トスカーナ地方で食べられていた「カラバッチャ」を作りました。いわゆるオニオングラタンスープの原型です。(材料)材料は下の写真のように、パンと玉ねぎ、パルミジャーノチーズ、そして野菜スープの素です。本当は野菜をじっくりと煮込んで野菜スープを作りますが、今回はスープの素で手抜きです。それ以外に、塩、コショウ、ニンニク、ハチミツです。(作り方)・玉ねぎをくし切りにして鍋に入れ、オリーブオイルで10分ほど炒めます。・水を加え、スープの素、塩、ハチミツ、ニンニクを入れて20分ほど煮ます。・玉ねぎスープを耐熱皿に入れてトースターで焼いたパンを乗せ、コショウとパルミジャーノチーズを振りかけたらオーブンに5分入れて出来上がり。(感想)なかなか素朴な味ですが美味しかったです。でも、少し味付...カラバッチャを作りました
カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)
カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)宗教改革の指導者としてルターと並び称されるのがカルヴァンです。カルヴァンの教えはルターの教えよりも厳格と言われています。ルターの教えは主にドイツ北部とデンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国に広まりました。一方のカルヴァンの教えは主にオランダ(ネーデルラント)とイギリス(イングランドとスコットランド)、そしてフランスに広まりました。なお、フランスではその後カトリックが再び主流になります。また、スペインやポルトガル、イタリアなどのそれ以外の西ヨーロッパの国々はカトリックのままであり、東ヨーロッパではギリシア正教が信仰されました。このようなキリスト教の宗派の違いは人々の日々の食事にも影響を与え、それは現代でも残っています。今回はカルヴァンの宗...カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)
ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)宗教では特定の食べ物を食べることが禁じられていることがあります。例えば、日本の仏教では葬式などで肉食をひかえるなど、動物性の食べ物を口にすることが禁じられており、昔のお坊さんは日常生活でも肉を食べることはできませんでした。また、イスラム教やユダヤ教では豚肉など特定の食品を食べることが禁じられています。現代のキリスト教では聖職者を除いて食の制限はほとんどありませんが、中世には断食日に肉を食べることが禁じられていました。この断食日は1年間に93日もあり、特に復活祭の前の46日間は四旬節と言って、肉に加えて乳製品や卵なども禁止されていました。このようなキリスト教の食の戒律を大きく変えるきっかけとなったのが、ルターが始めたとされる「宗教改革」です。今回は宗教改革...ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)
フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)前回はハプスブルク家の始まりのお話をしました。今回はハプスブルク家と激しい戦いを繰り広げたフランス王家のお話です。フランスの歴史が分かるように、少し時代をさかのぼって、ゲルマン民族の大移動後から話を始めたいと思います。なお、今回も食の話は少なめです。************4~6世紀のゲルマン人の大移動の後、ゲルマン人の部族ごとに複数の国家が形成された。それらはお互いに覇権を競い合ったが、最終的にフランク王国が戦いに勝利する。フランク王カール大帝(在位:768~814年)の時代には、フランク王国はイベリア半島とイタリア南部、ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域を支配した。なお、カール大帝はキリスト教を国教とし、ローマ教皇より帝冠を授けられたことから初代の神聖ロ...フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)
4・5戦争と宗教改革と食の革命ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)北イタリアを中心にルネサンスが花開いていたちょうどその頃、ヨーロッパでは2つの大きな戦いが始まりました。1つ目はハプスブルク家とフランス・ブルボン家の戦いで、2つ目はカトリックとプロテスタントの戦いです。戦いの当事者たちは気づいていなかったと思いますが、この2つの戦いはヨーロッパ社会を大きく変えるきっかけになりました。今回からのシリーズでは、この2つの戦いの経緯をたどりながら当時のヨーロッパの食について見て行きます。今回は、ヨーロッパの超名門一族であるハプスブルク家の始まりの歴史についてです。************16世紀後半にフランスとイギリスを除くヨーロッパのほとんどを支配していたのがハプスブルク家だ。その支配地の大部分...ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)
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拙著の『「食」が動かした人類250万年史』が読売新聞の11月12日(日)の書評コーナーで紹介されました。大きな取り上げられ方ではなかったですが、新聞の書評に載るのが一つの目標だったので、素直にうれしかったです。コンビニで新聞を買ってしまいました。文化放送ラジオ『くにまる食堂』の邦丸さんも拙著をとてもおもしろいと言ってくださり、皆さんにそれなりに好評のようで良かったです。さて、次回作はあるのかな?読売新聞で紹介されました
来週は2つほどメディアに登場します。まずは11月6日発売の週刊プレイボーイの「本人襲撃」というコーナーにインタビュー記事が掲載されます。拙著『「食」が動かした人類250万年史』を軸にお話が展開されています。そして、11月8日(水)の午前11時からラジオ文化放送の「くにまる食堂」にゲスト出演します。12時頃までの出演になります。食の話をメインにお話しする予定です。ラジオ出演は初めてなので、少しドキドキしています。「週刊プレイボーイ」と「くにまる食堂」
拙著の『「食」が動かした人類250万年史』が好評らしく、本日はある週刊誌が紙面で紹介をしたいということで、1時間ほどインタビューを受けました。担当の編集者さんと記事を書くライターさん、そして拙著の出版社の広報の方とのオンライン面談でした。ブロードマン10野の話が印象的らしく、ライターさんは「私はブロードマン10野のとりこなんです」とおっしゃっていました。今後の食の動向について聞かれたので、「だんだんと肉食が減って行きますよ」と言ったら、皆衝撃を受けていました。SDGsのことを考えると、肉食は減って行く運命なのですよね。記事は11月6日発売号に掲載される予定です。掲載が決定したら、またお知らせします。それと、11月8日に関東圏のラジオ番組に出演することになりました。ゲストとして、お昼の1時間ほど登場させてい...週刊誌の取材を受けました・・・それと、ラジオ出演について
本日から拙著の『「食」が動かした人類250万年史』の発売が開始されました。一部の書店では店頭に並んでいるそうですが、多くの書店では明日以降になるみたいです。本書の章立ては以下のようになっています。第一章人類の進化と食第二章先史時代の食第三章古代の食第四章中世の食第五章近世の食第六章近代の食第七章現代の食と未来の食そして、編集部がトピックスとしてあげたのが、次のようなお話です●人類の脳は肉食で大きくなった●ヒトは雑草を進化させて食料を生み出した●塩が古代文明を支えた●古代ローマ人が愛した調味料ガルム●イスラムが生み出した蒸留酒の世界●最初は危険と思われたトマト●食の工業化が人口爆発を引き起こしたご興味のある方は一度書店で手に取ってください。「食」が動かした人類250万年史の発売開始です
https://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/よろしくお願いいたします。9月14日週刊新潮に出ます
9月14日発売の週刊新潮に私のインタビュー記事が掲載される予定です。うまく食欲を抑える方法や病気になりにくい食事方法、そして健康に良い食材などについて語っています。興味のある方は是非ご覧ください。9月14日発売の週刊新潮に記事が掲載されます
いよいよ来週の土曜日に拙著が発売になります。画像にあるように、PHPの方が綺麗な表紙を作ってくれました。一人でも多くの人に読んでもらえると嬉しいです。「食」が動かした人類250万年史ー9月16日発売です
サツマイモはなかなか花を咲かせないと言われています。サツマイモを育てたことがある人も、ほとんどの人は花を見たことが無いと思います。そのように珍しいサツマイモの花を見かけました。とある試験農場で咲いていました。とても綺麗な花ですね。サツマイモの花の花言葉は「乙女の純情」です。この花を見ていると、確かにそんな雰囲気を持っていますね。良いものを見ることができました。珍しいサツマイモの花
本日、某週刊誌の取材を受けました。「肥満と食欲」について語ってほしいというので、最新の食欲の話を含めて1時間半ほどお話ししました。9月中旬くらいに記事になるとのことです。さて、新刊の方は著者校正がやっと終了しました。あとは編集者が最終版を仕上げて、印刷所に送るだけです(と言っても、編集は白焼と呼ばれる印刷版の最終チェックを行うそうですが)。私に残された作業は、出版社に献本してもらうリストを提出するぐらいですね。長かった道のりもあと少しで終わりです。週刊誌の取材を受けました
9月発売予定の新書について、3回の著者校正のうち2回目が終了しました。大幅な変更が許されるのは2回目の校正までで、数ページ分を削ったり増やしたり、加筆訂正したりなどの作業をギリギリまで行っていました。結果、自分ではなかなか面白い本になったのではないかと思っています。ちなみに本の構成は、人類の進化と食の関係について語った第1章から、先史時代・古代・中世・近世・近代・現代の7章立てになっています。ブログでは近代の途中までしか進んでいませんが、新書では食の未来について考察して終了という感じです。すぐに3回目の校正が返って来るので、今は少しの間のお休みを楽しんでいます。新刊情報:ただいま校正を進めています
皆さま、本ブログをご覧いただきありがとうございます。最近はほとんど更新できておりませんが、毎日たくさんの方々に訪問いただいて、たいへんありがたく思っております。さて、今回は記事の更新ではなく、お知らせとなります。今年の9月に、本ブログを元にした書籍をPHP新書から出版予定です。現在の本のタイトルは『「食」が動かした人類250万年史』となっています。でも、もしかしたら変更になるかもしれません。詳細が決まりましたら、またこのブログで報告させていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。新書を出版予定です
近代フランス料理の巨人アントナン・カレーム-近代フランスの食の革命(1)今回から「近代フランスの食の革命」と題して、新しいシリーズが始まります。フランスの近代とは、1789年のバスチーユ牢獄襲撃に始まるフランス革命から1871年のパリ・コミューン革命までの期間と言われています。フランス革命では、1792年に王政が廃止され、共和制(君主を置かずに、国民の代表者が政治を行う体制)に移行しました。そして、1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されました。その後は、ロベスピエール率いるジャコバン派が権力を握りましたが、彼は3万人もの反対派の人々を次々に処刑したため、この時代は恐怖政治の時代と言われています。そのロベスピエールも1794年7月に処刑されます。そして1795年には5人の総裁が政治を主導す...近代フランス料理の巨人アントナン・カレーム-近代フランスの食の革命(1)
空気から肥料を作る-近代の肥料革命(3)植物の必須の栄養素は窒素(チッソ)(N)、リン(P)、カリ(K)の3つですが、今回は窒素の話です。窒素は生物の体を作っているタンパク質の構成要素の一つで、窒素が無いと生命は存続できません。窒素は身近な物質で、空気の約78%は窒素です。ところが、ほとんどの生物は空気中の窒素を利用できません。マメ科の植物と共生する根粒菌などの一部の微生物が、空気中の窒素から窒素化合物を作ることができるだけです。また、自然界では、雷によっても空気中の窒素から窒素化合物が生成されます。放電のエネルギーによって空気中の窒素と酸素が結びつき、窒素化合物ができるのです。雷が落ちると作物が良く育つと昔から言われていますが、その理由はこうして生まれた窒素化合物が肥料になるからだと考えられます。このよ...空気から肥料を作る-近代の肥料革命(3)
骨とリン鉱石-近代の肥料革命(2)植物の肥料の三大要素はチッソ(N)、リン(P)、カリ(K)です。今回は、この中のリンを取り上げます。リンの身近な例としてはマッチがあります。マッチ箱の側面の赤黒い部分は赤リンが主成分になっています。この赤リンはリンの単体ですが、リンは酸化されやすく、自然界のほとんどのリンは酸素と結びついたリン酸として存在しています。そして、植物が根から吸収する時も、このリン酸の形で吸収します。カリは比較的土壌に多く含まれているし、チッソはマメ科の植物に付く根粒細菌などによって土壌に供給されることがありますが、土壌中のリン酸はそれほど多くなく、自然に供給されることもないため、しばしば枯渇してしまいます。そのため、リン酸を含む肥料は非常に効果がある肥料として利用されてきました。リン酸が主成分...骨とリン鉱石-近代の肥料革命(2)
グアノとチリ硝石-近代の肥料革命(1)今回から「近代の肥料革命」というタイトルで、新しいシリーズが始まります。化学肥料の成分はチッソ(N)、リン(P)、カリ(K)の3つが主になっています(この3つを肥料の三大要素と呼びます)。1841年にこの3つが植物にとって必須の栄養素であることを見出したのが、ドイツの天才化学者のユストゥス・フォン・リービッヒ(1803~1873年)でした。この発見をきっかけに、これらの成分を含む鉱石などが肥料の原料として用いられるようになるのです。三大要素の中で、リン(P)とカリ(K)は鉱山などから比較的容易に手に入れることができるのですが、チッソ(N)を含む原料には限りがありました。チッソと言っても、空気中のチッソではダメで、硝酸やアンモニア、尿素などのような窒素化合物でなければ、...グアノとチリ硝石-近代の肥料革命(1)
中国系移民の食-アメリカの産業革命と食(10)移民の国アメリカにはたくさんのアジア人もやってきました。その中で、アメリカの食に大きな影響を及ぼしたのが中国人です。しかし、アメリカにやって来た中国人の生活は決して安泰なものではありませんでした。人種差別による迫害を受けたからです。今回はこのような社会背景とともに、中国系移民の食を見て行きます。***********アメリカへの中国からの移民は1840年代から始まり、1860年代になると急増した。この背景の一つには、中国とイギリスの関係がある。それを簡単に言うと、次のようになる。18世紀の終わりにかけてイギリスで紅茶を飲む習慣が広まり、茶の需要が高まった。その結果、中国(清)からの茶葉の輸入が増加したのだが、イギリスの主要輸出品であった綿製品は中国では売れなか...中国系移民の食-アメリカの産業革命と食(10)
第五章近代の食の革命1イギリスの産業革命と食(1)イギリスの産業革命(2)イギリスの紅茶の歴史(3)イギリスの砂糖の歴史(4)産業革命期のイギリスのパン(5)イギリスの酒場「パブ」の誕生(6)ジンの光と影(7)ジャガイモ飢饉(8)パクス・ブリタニカの食生活(9)スコッチ・ウイスキーの躍進2アメリカの産業革命と食(1)西部開拓時代(2)肉を運ぶ鉄道(3)アメリカ西部の農業の発展(4)シリアルの始まり(5)びん詰食品の歴史(6)缶詰の歴史(7)ドイツ系移民の食(8)ユダヤ系移民の食(9)イタリア系移民の食(10)中国系移民の食第五章近代の食の革命
イタリア系移民の食-アメリカの産業革命と食(9)アメリカは移民国家です。アメリカへの移民は、19世紀の終わりまでは、イギリスやアイルランド、ドイツ、北欧からのものが主でしたが、19世紀末以降は、イタリアやポーランド、ギリシア、ロシア、そして中国や日本からの移民も多くなりました。そして、各民族は混ざり合うことはなく、それぞれが独自の民族集団を作っていました。食文化も同様で、それぞれの民族が独自の料理を作り、食べていたのです。これらがアメリカの食として一般化して行くのは、20世紀に入ってからのことです。今回は、ピザやスパゲッティのように、現代のアメリカの食の中でも大きな存在感を示しているイタリア移民の食について見て行きます。**********中世以降、イタリアは小国に分裂していたが、19世紀の中頃から最北部...イタリア系移民の食-アメリカの産業革命と食(9)
ユダヤ系移民の食-アメリカの産業革命と食(8)ユダヤ人の国と言えばイスラエルで、2014年の調査ではおよそ610万人のユダヤ人が暮らしているとされています。イスラエルに次いでユダヤ人の多い国がアメリカ合衆国です。国内には500万人以上のユダヤ人が居住しているそうです。アメリカの人口は3億人を超えるためユダヤ人の比率はそれほど高くないのですが、ビジネスや科学、芸術などの世界で成功したユダヤ人が多いため、アメリカの政治や社会に対する影響力はかなり大きいと言われています。アメリカ政府が親イスラエルなのは、このような理由もあると思われます。ところで、ユダヤ教には厳密な食の戒律があることが知られています。そのため、ユダヤ系移民の食文化はアメリカでも独特なものと言われています。今回はこのようなユダヤ系移民の食について見て行...ユダヤ系移民の食-アメリカの産業革命と食(8)
ドイツ系移民の食-アメリカの産業革命と食(7)「アメリカンドリーム」とは、「誰もが身分や出自の関係なく平等に機会を得て、豊かな生活を追求できる」というアメリカ合衆国建国以来の理想理念と言われています。そして、アメリカには、アメリカンドリームの実現を目指して、主にヨーロッパからたくさんの人々が移住してきます。アメリカへの移民は、1880年頃までは主にドイツやアイルランドの出身者でしたが、それ以降はイタリアなどの南欧の国や、ポーランドやロシアなどの東欧、中国や日本などのアジアといったように出身国の多様性が高まります。そして、これらの国々からはその国独自の食文化がアメリカに導入され、それらがイギリス料理を基本としたアメリカ料理に融合することで、アメリカ独自の料理が生み出されて行きます。今回からアメリカにやってきた移民...ドイツ系移民の食-アメリカの産業革命と食(7)
近代フランス料理の巨人アントナン・カレーム-近代フランスの食の革命(1)今回から「近代フランスの食の革命」と題して、新しいシリーズが始まります。フランスの近代とは、1789年のバスチーユ牢獄襲撃に始まるフランス革命から1871年のパリ・コミューン革命までの期間と言われています。フランス革命では、1792年に王政が廃止され、共和制(君主を置かずに、国民の代表者が政治を行う体制)に移行しました。そして、1793年にルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されました。その後は、ロベスピエール率いるジャコバン派が権力を握りましたが、彼は3万人もの反対派の人々を次々に処刑したため、この時代は恐怖政治の時代と言われています。そのロベスピエールも1794年7月に処刑されます。そして1795年には5人の総裁が政治を主導す...近代フランス料理の巨人アントナン・カレーム-近代フランスの食の革命(1)
空気から肥料を作る-近代の肥料革命(3)植物の必須の栄養素は窒素(チッソ)(N)、リン(P)、カリ(K)の3つですが、今回は窒素の話です。窒素は生物の体を作っているタンパク質の構成要素の一つで、窒素が無いと生命は存続できません。窒素は身近な物質で、空気の約78%は窒素です。ところが、ほとんどの生物は空気中の窒素を利用できません。マメ科の植物と共生する根粒菌などの一部の微生物が、空気中の窒素から窒素化合物を作ることができるだけです。また、自然界では、雷によっても空気中の窒素から窒素化合物が生成されます。放電のエネルギーによって空気中の窒素と酸素が結びつき、窒素化合物ができるのです。雷が落ちると作物が良く育つと昔から言われていますが、その理由はこうして生まれた窒素化合物が肥料になるからだと考えられます。このよ...空気から肥料を作る-近代の肥料革命(3)
骨とリン鉱石-近代の肥料革命(2)植物の肥料の三大要素はチッソ(N)、リン(P)、カリ(K)です。今回は、この中のリンを取り上げます。リンの身近な例としてはマッチがあります。マッチ箱の側面の赤黒い部分は赤リンが主成分になっています。この赤リンはリンの単体ですが、リンは酸化されやすく、自然界のほとんどのリンは酸素と結びついたリン酸として存在しています。そして、植物が根から吸収する時も、このリン酸の形で吸収します。カリは比較的土壌に多く含まれているし、チッソはマメ科の植物に付く根粒細菌などによって土壌に供給されることがありますが、土壌中のリン酸はそれほど多くなく、自然に供給されることもないため、しばしば枯渇してしまいます。そのため、リン酸を含む肥料は非常に効果がある肥料として利用されてきました。リン酸が主成分...骨とリン鉱石-近代の肥料革命(2)
グアノとチリ硝石-近代の肥料革命(1)今回から「近代の肥料革命」というタイトルで、新しいシリーズが始まります。化学肥料の成分はチッソ(N)、リン(P)、カリ(K)の3つが主になっています(この3つを肥料の三大要素と呼びます)。1841年にこの3つが植物にとって必須の栄養素であることを見出したのが、ドイツの天才化学者のユストゥス・フォン・リービッヒ(1803~1873年)でした。この発見をきっかけに、これらの成分を含む鉱石などが肥料の原料として用いられるようになるのです。三大要素の中で、リン(P)とカリ(K)は鉱山などから比較的容易に手に入れることができるのですが、チッソ(N)を含む原料には限りがありました。チッソと言っても、空気中のチッソではダメで、硝酸やアンモニア、尿素などのような窒素化合物でなければ、...グアノとチリ硝石-近代の肥料革命(1)
中国系移民の食-アメリカの産業革命と食(10)移民の国アメリカにはたくさんのアジア人もやってきました。その中で、アメリカの食に大きな影響を及ぼしたのが中国人です。しかし、アメリカにやって来た中国人の生活は決して安泰なものではありませんでした。人種差別による迫害を受けたからです。今回はこのような社会背景とともに、中国系移民の食を見て行きます。***********アメリカへの中国からの移民は1840年代から始まり、1860年代になると急増した。この背景の一つには、中国とイギリスの関係がある。それを簡単に言うと、次のようになる。18世紀の終わりにかけてイギリスで紅茶を飲む習慣が広まり、茶の需要が高まった。その結果、中国(清)からの茶葉の輸入が増加したのだが、イギリスの主要輸出品であった綿製品は中国では売れなか...中国系移民の食-アメリカの産業革命と食(10)
第五章近代の食の革命1イギリスの産業革命と食(1)イギリスの産業革命(2)イギリスの紅茶の歴史(3)イギリスの砂糖の歴史(4)産業革命期のイギリスのパン(5)イギリスの酒場「パブ」の誕生(6)ジンの光と影(7)ジャガイモ飢饉(8)パクス・ブリタニカの食生活(9)スコッチ・ウイスキーの躍進2アメリカの産業革命と食(1)西部開拓時代(2)肉を運ぶ鉄道(3)アメリカ西部の農業の発展(4)シリアルの始まり(5)びん詰食品の歴史(6)缶詰の歴史(7)ドイツ系移民の食(8)ユダヤ系移民の食(9)イタリア系移民の食(10)中国系移民の食第五章近代の食の革命
イタリア系移民の食-アメリカの産業革命と食(9)アメリカは移民国家です。アメリカへの移民は、19世紀の終わりまでは、イギリスやアイルランド、ドイツ、北欧からのものが主でしたが、19世紀末以降は、イタリアやポーランド、ギリシア、ロシア、そして中国や日本からの移民も多くなりました。そして、各民族は混ざり合うことはなく、それぞれが独自の民族集団を作っていました。食文化も同様で、それぞれの民族が独自の料理を作り、食べていたのです。これらがアメリカの食として一般化して行くのは、20世紀に入ってからのことです。今回は、ピザやスパゲッティのように、現代のアメリカの食の中でも大きな存在感を示しているイタリア移民の食について見て行きます。**********中世以降、イタリアは小国に分裂していたが、19世紀の中頃から最北部...イタリア系移民の食-アメリカの産業革命と食(9)