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美しい夕焼け https://blog.goo.ne.jp/beautiful-sunset_20

美しい晩年を目指して さまざまな困難が襲ってきた年月を、夢中で生きてきました。これからの最後の日々を、できるだけ美しくと思っています。

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2020/04/07

  • 旅 帝釈峡

    54才の時、乳がんが見つかり、抗がん剤、手術、放射線などの治療を受けました。家族に心配かけて、友人にも心配かけて、自分も死を身近に感じて、苦しんだときでした。妹が、なんとか普通に暮らせるようになった秋に(手術は8月の初めでした)、私たち家族と自分の家族で、広島県の北部にある帝釈峡へ行こうと言ってくれました。私の全快祝いをみんなで1泊してしようということでした。帝釈峡は、秋のモミジが美しいところです。休暇村があり、コテージに泊まることができるのでした。私たち家族と妹夫婦と姪、それからローリーとピーターで一緒にコテージの中で、雑魚寝しました。それはなんだかほのぼのとして、暖かい心遣いに満ちていました。こんなに温かい旅はあまりありません。気を使うこともなく、ああ生きていてよかったなあとしみじみ感じた旅でした。絵...旅帝釈峡

  • 旅 沖縄

    沖縄には、友達が住んでいて、彼女が沖縄に住むようになってから、2回か3回行った様に思います。彼女とは、中学・高校・大学と一緒で、沖縄に行く前にもよく泊まりに行っていました。沖縄は、暖かさが気持ちを緩くしてくれるのか、あまり人との関係が細かくないように感じていました。でも、それは、住んでいないものの勝手な思い込みかもしれませんが。昔、友達に年を取ったら、沖縄に住みたいよ、といったら、彼女は、ひとこと「暑いよ」。友達は、沖縄の布や染め物、瀬戸物などの特産品の工房などを案内してくれ、それは普通の観光ではなかなか見られない、とても魅力的な沖縄を見せてもらいました。夫と二人で行ったのは1度だけ。二人で、観光地や夜のジャズ喫茶などを巡りました。こちらは、海やホテル、音楽、ファションなどを見て歩き、これも私たちなりの観...旅沖縄

  • 薔薇の季節は終わりました

    薔薇の季節は1年中、と言ってもいいほど、薔薇はよく咲きます。ただたくさんの薔薇が1か月ほどの間に次から次へと咲くのは、5月だけです。今、わが家の薔薇は、咲き終わった薔薇たちと、これから咲こうという蕾が付いています。これから咲くのは、ほんの少しの薔薇たちで、もう今までのように花のシャワーのようには咲きません。花柄も切ってあげないと実になったりして、花の木のためにはよくありません。ただ私はこの頃、薔薇に使う時間が少なくて、花柄がいっぱいのちょっと乱れた庭になっています。ハイブリッドティローズやシュラブ・ローズの中には、2番花が6月に咲くものがあり、シュラブローズは、夏から冬にかけても花を咲かせます。ハイブリッドティー・ローズは10月頃にまた秋の花を咲かせます。そんな風に、その花の仕組みで、春から冬の初めまで、...薔薇の季節は終わりました

  • 「ドリアン・グレイの肖像」

    美しい自分の肖像画に、年を取るのは自分ではなく、肖像画がとればいいと願ったことで、肖像画が年を取り、自分は年を取らなかったことで陥る不幸なドリアン・グレイの一生を描いた小説です。肖像画は、若さと美しさで息づいているようでした。ドリアンは、自分の美しさを理解し、このままの姿でいたいと願い、そして、肖像画に自分の代わりに年を取ってくれるように願ったのでした。それが聞き入れられるとは思いもせず。初めて、それを見たのは、付き合っていた女性を無残に捨てた時でした。自分の肖像画の口元に嫌なしわができていたのです。驚いたドリアンは、その肖像画を人目につかない部屋に運び、誰にも見せないようにしました。そして、その絵の変わっていく姿を見続けていました。絵は次第に醜くなり、それは、ドリアンを恐れさせました。絶対他人には見せな...「ドリアン・グレイの肖像」

  • 満開になった庭

    5月20日ころにわが家の庭は満開になりました。たくさんの薔薇が咲いています。テラスに出て、ぐるりと見回せば、満開!、に見えます。あまり花を切って飾るということをしないのですが、たまたま間違えて切った薔薇が1本とてもきれいだったので、この前の白寿の時に母からもらった花瓶にさしました。右側のブレイリーNO.2、それに合わせて、ケニギン・フォン・デンマークとスイート・ジュリエットを切りました。ハイブリッド・ティー・ローズのように茎の長い花は飾りやすいですが、オールド・ローズやシュラブ・ローズ、つる薔薇などは茎の短いものが多いので、丈の短い花瓶に花の枝を切って飾ると、とてもかわいらしくて、薔薇のクラシックな感じがよく出ます。わが家で今咲いている花をご紹介します。最初は、オールド・ローズ。順番にメイドンズ・ブラッシ...満開になった庭

  • チャーリーアレルギーでダウン

    チャーリーはアレルギー体質だと動物病院で言われていたので、右目の周りが赤くなったり、目が明きにくくなっても、あまり気にしていませんでした。病院へ行くと、薬を出されるので、それもあまりよくないと思っていました。それで、3月から時々右目が赤くなったりしていても様子を見ようと思っていました。ところが、5月に入ってから、目の周りがだんだん赤くただれたようになり、目も明かないことがありました。それでも病院に行こうとせず、様子を見ていたのが悪かったのでしょう、ただれがどんどんひどくなり、目も明かなくなってしまいました。私はこの頃車の運転をしなくなり、タクシーで行こうかと考えたのですが、キャリーケースにチャーリーを入れて、連れていくことに不安がありました。足がふらふらするため、重いものは持てません。チャーリーを入れたケ...チャーリーアレルギーでダウン

  • 5月中旬のわが家の薔薇

    満開だったスパニッシュ・ビューティーは散り始めています。それに代わって咲く薔薇は、ブレイリー・NO.2、ケニギン・フォン・デンマークなどのオールド・ローズ、ジェーン・オースティン、ザ・ピルグリム、スイート・ジュリエット、などのイングリッシュ・ローズ、そして、たった1種類だけが残っているハイブリッド・ティー・ローズのクリスチャン・ディオール、つる薔薇は、アンジェラとつるコンパッションです。今、庭には17本の薔薇があります。でも、元気なものは10本くらい。元気でないものは、花も少しだけしか咲きません。昔、元気だったころ、庭に40本くらいの薔薇を育てていました。それはとても大変な日々でしたが、5月は、夢のような心弾み豊かな1か月でした。今は、もう病気のせいもあり、体力も気力もなくなってしまい、できるだけ何もしな...5月中旬のわが家の薔薇

  • 5月初旬のわが家の薔薇

    早く咲き始めたスパニッシュ・ビューティーはもう満開になり、少しずつ花びらが散っています。庭の入り口のアーチにはわせているのですが、たくさんの花が咲き乱れ、見とれるほどの花の姿でした。スパニッシュ・ビューティーは少し香ります。たくさん咲くとそのアーチの下を通ると、ふわりと香ります。華やかであか抜けた薔薇が、今は満開の時を迎えています。満開のスパニッシュ・ビューティーのアーチの写真です。他の花は、なかなか咲いたといえるものが無く、株の中に1輪・2輪咲いているもの、蕾のものがあります。その中で、花を一番つけているのがイングリッシュ・ローズのジェーン・オースティンです。黄色がかったあんず色の大人びた薔薇です。香りも強く、さわやかな香りに包まれます。ジェーン・オースティンの写真です。他には、シュラブのアンジェラ、つ...5月初旬のわが家の薔薇

  • もう開花、薔薇が咲き始めました

    わが家の薔薇は、5月の初めころから咲き始めると思っていました。時には、4月の終わりということもありましたが、今年は4月25日に最初の花が開きました。とても温かいこの頃の気候のせいでしょう。咲いたのは、スパニッシュ・ビューティーというつる薔薇です。とても華やかで、洗練された雰囲気の薔薇です。夫が一番好きな薔薇でした。25日の夕方、アーチの上の1輪が、ふんわりと花びらが1枚開いていました。これは、薔薇の季節の始まり、ととても嬉しく、26日の夕方、写真を撮ろうと、庭に出ました。1枚は撮れたのですが、そのあと電池がないと表示され、せっかくの薔薇が花開いた庭で、あーあとため息をついたのでした。撮れた1枚が何とかピンボケでなかったので、載せることができました。これから1か月くらいは、薔薇が咲く庭を味わうことができます...もう開花、薔薇が咲き始めました

  • 旅 京都

    今まで、海外への旅を書いてきました。あとグァムに行ったことがありますが、海外は、ハワイ、香港、イタリアへ旅しました。どこもいろいろなことを感じて、旅することの面白さを知りました。でも、海外はやはりお金もかかり、日程も長くなりますから、それほど行くこともできませんでした。お休みが取れればどこかに行きたいねーと、気持ちが旅に向かいます。国内では、京都が私の一番好きな旅でした。京都は、夫と二人で、若いころ2回行きました。そして、母と3人で、2回行きました。絵は、2009年仁和寺で撮った写真を見て描きました。夫がお休みのお正月に行き、廊下を薄いタイツで歩き、次に来るときはスリッパを持ってこようと決心したことを覚えています。京都は見るところがたくさんあって、思い出すところはたくさんありますが、広隆寺の弥勒菩薩半跏思...旅京都

  • 白寿のお祝い

    私の母は、今年の1月3日に99才になりました。今も一人で歩けるし、自分の生活は何とかできます。99才になったので、今年は白寿のお祝いをしようということになりました。4月10日に、私と妹夫婦の3人とお食事をして、ケーキを食べて、おしゃべりをしました。暖かくなってから、ということで、4月10日になりました。白寿というのは、還暦や古希のように、中国からの輸入ではなく、喜寿、米寿などと同じく、日本の習慣だそうです。この頃は、あまりお誕生日のお祝いも改まってはしなくなったので、みんなでお食事をするのもいいと思い、お祝いしました。母に何かプレゼントをと思ったのだけど、母は何もいらないといいます。アクセサリーは以前凝っていたこともあり持っているし、洋服はカタログが来たら欲しいものは買うので、何もいらないといいます。考え...白寿のお祝い

  • 心に甦ること

    毎日なんということもなく、ぼんやりしていると、昔のことが心に甦ります。それはたいていは、つらかったこと、苦しかったこと、その時に人に言われたこと、されたこと、心に満たされた思いは、あまりよいものではありません。でも、私はこの頃、自分の心がそういうものを甦らせて、自分の一生の姿をトータルに見せようとしているのだと思うのです。私の一生はこんなことに満たされていて、あまり素敵ではなかったかもしれないけれど、でも、一生懸命そういうことに対してきたよねと、自分を振り返って思います。どんなにつらくても、それを避けることはできなかったのなら、一生懸命にそれを見て、経験して、やってきたと思います。それは、私にどんなふうに影響したのかはわかりませんが、そんな様々なことが私を作ってきていて、今の私がいるのだと思うのです。人は...心に甦ること

  • 旅 イタリア

    姪が大学3年生のころ、友達が誰もイタリアに行かないというので、おばちゃん一緒に行ってくれない、と訊いてきました。もちろん私は行きたい、と思いましたが、2004年に乳がんの手術をして2年でしたから、大丈夫かなと思う気持ちがありました。夫に相談すると、行っておいでよといわれ、やっぱり行きたいよねと思い、2006年の3月にイタリアへ姪と一緒に旅立ちました。ヨーロッパは初めてで、それは歴史と伝統で骨格ができているという格調高い姿で、私を惹きつけました。建物は淡いベージュからレンガ色のグラデーションで高くそびえていました。観光客を意識して、そういう部分を作っているという見方もありましたが、でも、そういう歴史を持っているということはよくわかりました。ナポリ、ローマ、フィレンチェ、ピサ、ヴェネチア、ミラノと南から北まで...旅イタリア

  • チャーリー、階段を無視!

    チャーリーの階段が届きました。長さがあるものなので、私や母が躓かないように、部屋を少し模様替えをしました。それでも、やはり狭くなったなーと感じられます。チャーリーには、2・3回上がり降りをさせたのですが、とても嫌がりました。あまり無理すると、使わなくなってはいけないと今は放っています。階段のそばで、上がったり下りたりして、何か見せつけているようです。きっと「僕はこんなもの全然いらないもんね」と言っているのでしょう。いつかベッドに上がれなくなったり、降りるのが怖くなったりすれば、きっと使ってくれるでしょう。それまで、あまり無理強いしないようにと思っています。居間がチャーリーのための部屋になっていきます。今までも、犬が年を取ると、家の中を少しずつ変えていきました。年を取るのは、とても不自由で、つらいものだと、...チャーリー、階段を無視!

  • 少しずつ年を取っていくチャーリー

    チャーリーは、14才のヨークシャーテリアです。14才になってから少しずつ年を取っていくなあと感じていました。目があまりよく見えません。耳もあまり聞こえません。2月頃から足が時々横滑りするようになりました。そして、トイレがあまり我慢できなくなりました。以前は、私と母のベッドに一緒に寝ていました。トイレもベッドのそばに置いていたのですが、子供の時からのトイレに行きたいので、私を吠えて呼んでいました。時々、私がその声を聞かなかったりすると(お風呂に入っていたり、映画を観ながら眠っていたり)、ベッドのそばのトイレに行っていました。ところが、それに間に合わなくなってきたのです。トイレの失敗が3回続いたあと、私は決心しました。チャーリーと一緒に居間のベッドで寝ようと。私は居間に、ベッドを置いています。時々体が辛いとき...少しずつ年を取っていくチャーリー

  • 「図書館の魔女 烏の伝事 (からすのつてこと)」

    去年の夏に「図書館の魔女」を読んで、本を読むことの醍醐味を思い知らされました。この「烏の伝事」もきっと気持ち持っていかれるなあと思いながら読み始めたのです。ところが、図書館の魔女が出てこない、えっという気持ちでしたが、でも面白い。今回は山賊(やまがつ)と呼ばれる山で暮らす者たちが、ニザマの姫君を南のほうへと向かう船の出る港に案内するというところから始まります。山賊たちと姫君とそれを守る護衛の近衛たちの旅は、港の廓に着いたところで終わったはずだったのに、山賊たちは、自分たちの命が危ないことに気が付き、夜のうちに逃げ出します。近衛たちは3人ばかりが命からがら逃げ出すことができたのですが、姫君は廓に留め置かれます。港は荒れ放題の様相で、山賊も近衛も逃げ出すことができません。そして、地下の穴倉に住む鼠と呼ばれる子...「図書館の魔女烏の伝事(からすのつてこと)」

  • 旅 香港

    1997年1月、夫と香港へ行きました。1997年7月に、香港はイギリスから、中華人民共和国へと返還されることになりました。中国は「一国二制度」を約束し、香港に共産主義をすぐに施行しないとして、香港側の不安を取り除いたのですが、あれから、ずっと中国は、香港の中国化を目指しているように見えます。多くの人たちが戦い、傷ついた様子をテレビで見て、国の約束など何の価値もないものだと、思っています。その自由な香港の最期を見るということで、香港への旅は人気がありました。私たちもそんな気持ちで香港へ行ったのでした。香港は、スピーディーで、人々が闊歩し、高層ビルが立ち並んで経済の街という感じの街でした。香港の女性も男性も小柄ですが、きりっと締まり、前を見ながらさっそうと歩いていました。私はなんだかこのスピード感についていけ...旅香港

  • 旅 ハワイ

    初めていった外国はハワイでした。母と2人で40代の初めに行きました。母と暮らすようになって、母が海外旅行をしたことがないので行きたいといったからです。私は、その頃は、海外に行くことなど考えていませんでした。人はどこの人も同じだと思っていたのです。わざわざ出かけていくことなどないじゃないかと思っていました。でも、母がどうしても外国に行きたいというし、飛行機にも乗りたいといったので、旅行代理店に行き、相談しました。初めての海外ならハワイがいいでしょう、といわれ、日本語が通じるし、たくさんの日本人が行きますから。私は、英語なら、中学校から大学1年までやったのだから、きっと大丈夫と思い、ハワイに行くことにしました。どこの人も同じだという思いは、ハワイですっかりなくしてしまいました。人は、住む国にも、住む環境にも、...旅ハワイ

  • つる薔薇の誘引

    冬はつる薔薇の誘引をしなければなりません。私は、もう薔薇の世話は難しいと思うので、あまり積極的な気持ちではありませんでした。妹が、私がやってあげるから、座って指示を出してといいます。その気持ちにほだされて、できるだけ暖かい日にやることにしました。一番最初に咲くスパニッシュ・ビューティーから始めました。座って指示というのはなかなか難しく、どうしても手を出してしまい、結局低い場所を自分でやることにしました。妹は、アーチの高い部分を脚立に乗って、やってくれました。枝が絡んでいて、難しかったと思います。妹のおかげで、つる薔薇を1本誘引しました。これからも暖かい日に少しずつやっていくことになりました。放っておくと、枝が伸びて、邪魔な部分は切らなくてはなりません。形も美しくないですし、花もきっときれいには咲かないでし...つる薔薇の誘引

  • 夫のゴルフクラブ

    妹の子供・甥がメールで、おじちゃんのゴルフクラブをもらえないかと訊いてきました。夫はとてもゴルフが好きでしたし、甥のこともとても可愛がっていましたので、置いておくよりも、使った方がいいだろうと思い、あげますとメールしました。そうすると、その週の土曜日に子供を連れて、取にきました。甥は岡山県に住んでいます。仕事の関係でしなくてはならなくなり、おじちゃんのクラブのことを思い出したようでした。甥は夫のゴルフの道具を気に入ったようで、大事に使うといいました。庭でスイングの練習をしていたのを見て、誰かに習っているの?と訊くと、おじちゃんに習ったといいました。えっいつ?と聞くと小学校のころ庭で教えてもらったといいました。それを覚えているの?と聞くと、クラブの握り方も、スイングの仕方も、打つときに打つ方ではなく、ボール...夫のゴルフクラブ

  • この頃思うこと

    最近は、年のせいか体が痛みます。いろいろなところが痛み、いつも痛みと一緒にいます。思うことは、どんなふうに死ぬかということ。毎日生きていて、ほとんど変わらない日を送っていると、できれば、こんな風に生きているままに、死にたいと思うのです。毎日起きて、食事をして、顔を洗って、髪をとかし、洗濯をし、干してたたむ、食事の用意をし、食べて、片づけて、ルンバをかけて、インターネットを見て、映画を観て、お風呂に入り、本を読み、眠る、そのほかに、絵を描く日があり、病院へ行く日があり、そんな風な日を送っています。毎日のルーティーンをやっているうちに、そのままスーッと死ねたらいいのにと、思うのです。自分の生活の中で楽に死ねたらいいなあと、勝手な思いを持っています。私が愛したローリーというミニチュアダックスフントがいます。彼は...この頃思うこと

  • 「夜と霧」

    人に薦めたい本として、「夜と霧」を書いたところ、ブログで仲良くなったお友達から、その本の感想を聞かれました。私はもう40年くらい前に読んだ本なので、この本を人に薦めたいと思ってきたけれど、詳しいことは覚えていなかったのです。それで、読んでから感想を書くと伝えました。そして、読みました。ヒットラー、ナチスがユダヤ人とナチスに反対する人たちを強制収容所に拉致し、閉じ込め、残虐な仕打ちを続け、飢えと悲惨な状況から、死に至るものも多く、それよりも、労働に向かないものは、ガス室で集団虐殺されていたのです。ヴィクトル・E・フランクルはウィーンに生まれた、精神医学士で臨床の医者でもありました。そして、彼はユダヤ人でした。アウシュビッツに送られたフランクル教授は、過酷な労働と飢えと不潔な環境の中で、医者としての役得を使わ...「夜と霧」

  • 新しい年になりました

    2024年になりました。おめでとうというのもはばかられるような、大きな地震が北陸地方を襲いました。何年かに一度は大きな災害が起こるようになり、災害に合われた方へのお見舞いの気持ちでいっぱいです。そして、いつ自分たちがそういうことになるだろうかと、芯から心配しています。私たちは、もう年金の暮らしで、健康でもなく、再生など考えられないかもしれないと思うのです。毎年、新年を迎えると、今年は全部生きられるかなーと思います。そういう人間の最後の時間を心地よく過ごしたいと思うのは、贅沢ではないと思うのですが。今年になっていいこともありました。3日、母の誕生日です。99才になりました。何とか健康で歩くこともできますし、自分の生活は自分でできるということが、私にはとても嬉しいことです。ヨークシャーテリアのチャーリーも、1...新しい年になりました

  • ありがとうございました

    今年ももうすぐ終わります。何とかやってきたなあとこの1年を振り返っています。毎年、年が明けると、今年は体調が悪くなるのではないか、とか、命が終わるかもしれないと思います。でも、だんだん弱ってきたように思いますが、今年も何とか生活しています。年を少しずつ取っていきますから、弱っていくのは仕方ありません。病気はあまり変わらず、病気自体は薬の影響で、良い状態だと医師には言われています。ただ、病気になったときからの足の痛みは変わらず、しびれてもいます。体はいつもだるく、この頃は、体のいろいろなところが、痛むようになりました。鎮痛剤を毎日5錠飲んでいるのですが。将来のことは何も考えられず、ただ毎日、やらなくてはならないことを頑張ってやっています。どこに行くことも考えられない生活というのは、つまらないものです。それで...ありがとうございました

  • チャーリーと暮らす日々

    ローリーが死んで2年、犬のいない生活をしました。家族3人で旅行も行けたし、気楽な生活をしたように思います。犬がいるとやはりほかの命のことを考えなくてはならないからです。ローリーの温かさを、少しずつ過去のこととして考えられるようになったのは、2年経った頃でした。夫に犬が欲しい、というと、「もう犬は飼わないんじゃなかったの?」と笑いながら言い、「犬を飼うのなら、早い方がいい。もう僕たちは犬を飼う年齢のぎりぎりだろうから」といいました。ミニチュアダックスフントは、メリーとローリーだけでいいし、他の犬種を飼うことにしました。そしてやってきたのがヨークシャーテリアのチャーリーです。チャーリーは、小さいころから活発で、怖れを知らず、私たちのほうが怖れてしまうほどの子でした。やんちゃで、あまり素直ではなかったですが、で...チャーリーと暮らす日々

  • ローリーとピーター

    ピーターは、ローリーと一緒に生まれたお兄ちゃんです。妹のところで育ちました。メリーが元気な時は、去勢してなかったピーターが追いかけるので、あまり連れてこられませんでした。ローリーがメリーの死後、元気をなくしたので、妹がピーターを連れてくるようになりました。2匹はとても仲良しで、元気のなかったローリーも少しずつピーターのおかげで、元気になりました。年を取ってからは寒がるので、おそろいの洋服を着ていました。この時は、色違いで、オレンジがローリー、ピーターはブルーグレイの洋服を着ています。2006年の4月に津和野や山口に行った時の写真を見て描きました。ローリーとピーターは14才。顔の白いのは白髪です。私は、57才。乳がんの手術後、少し髪が伸びてきたころです。ピーターは、生まれてすぐのころは、とても穏やかで、のん...ローリーとピーター

  • ローリーのいた日々

    犬のいる日々は、自分の周りに、少し暖かい空気が流れているような気がします。犬は人に気持ちをつたえ、人も犬に気持ちを伝えて、お互いに分かり合えるように思います。私が一番愛した犬は、ミニチュア・ダックスフントのローリーです。ローリーはメリーの生んだ犬の1匹でした。メリーのように賢さがピンピン伝わる犬ではありませんでしたが、その代わり温かな空気がふんわりと周りに流れているような犬でした。なんでもメリーの真似をして、それで納得しているようでした。自分が自分がという感じは全然ありませんでした。自分の興味のあるところでは、やりたいことをやるという感じでしたが、周りを気にして何かをするという感じはありませんでした。家族が大好きで、メリーも大好きでした。メリーが一度動物病院へ入院たことがありましたが、その時は帰ってきたメ...ローリーのいた日々

  • お友達

    沖縄の友達が、お母さんの法事のために広島に帰ってきて、わが家を訪ねてくれました。去年も会ったので、1年ぶりです。広島には、お母さんがいらしたころには、時々は帰ってきたので、今より会う機会は多かったのですが、今は、もうあまり会えなくなりました。彼女とは、高校1年生のころに同じクラスになり、4人でお友達になり、そして、今続いているのは、彼女だけです。高校のころはそれほど親しくはなかったのですが、大学が同じだったので、若いころの仲間意識や、同志的な思いや、友情など、いろいろなつながりがあり、大学の4年間で、友情を培ったと思います。もう一人、大学時代にお友達になった人は、亡くなってしまい、彼女が今生きていたら、芯から話せるお友達だっただろうにと、とても残念です。こうして若いときにお友達ができたのですが、今日訪ねて...お友達

  • メリーのいた日々

    メリーとは、私が母と暮らすようになっった時に、一緒に暮らすようになりました。2才のミニチュアダックスフントでした。女の子で、とても賢い犬でした。夫と私には、すぐに慣れましたが、芯から好きという感じではありませんでした。私は、間違った情報を信じて、女の子は、出産すると癌にならないと思い、メリーはおかげで2回子供を産みました。そして、2回目に産んだ子犬を1匹一緒に育てることにしました。それがローリーです。ローリーがいるようになって、メリーはちょっと変わりました。ローリーへ対抗心を持ち、いつも争っています。一度は、ローリーの耳にかみついて、ちょっと出血したりしました。びっくりした私たちは、メリーの心を想像して、元からいたメリーを大切に考えていることを伝えるようにしました。それからメリーは少しずつ変わって、私たち...メリーのいた日々

  • 20代後半のころ

    25才になるちょっと前の24才の時に結婚して、夫が福岡に転勤になり、新しい生活は、本当に新しい生活という感じで始まりました。結婚したということは、今までとは違ったことが始まります。家庭を自分がやっていかなくてはならないということが、とても大変でした。そして、夫の親や親せきとの付き合いも始まりました。自分が責任を取らなくてはならないことがとても多くなったことに、少々戸惑っていたと思います。福岡に住むことも、また慣れない地域で、大変だったと思います。夫は私のことをとても気にしてくれて、休みごとに、いろいろな名所に連れて行ってくれました。この絵を描いた時に見た写真は、北九州のどこか名所に連れて行ってもらった時に写したものです。今までの気楽な自分だけのことを考えていた私が、世の中というものを少しずつ知っていった時...20代後半のころ

  • チャーリーと"ママ"

    きっと馬鹿だねと笑われるだろうと思いますが、チャーリーのことをちょっと自慢したいと思います。犬と一緒にいる人には、お分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが、人間の言葉を理解しているように思うことがよくあります。それなら、人間の言葉をしゃべれるんじゃないかと、チャーリーに"ママ"と呼ぶように、時々言っていました。チャーリーに向かって、ママよと言って、チャーに向かい、チャーリー、と呼んでいました。まさかママというとは思わなかったのですが、時々、口に周りをちょっと舐めて、言いにくそうですが、"ウーウ"というようになりました。いつも鳴く声とは全然違います。妹と、えっあれは、「ママ」といったんじゃない?というようなことが時々ありました。何日か前、チャーリーがベッドに横になっている私の向かい側に座り、私を見て、口の...チャーリーと"ママ"

  • お誕生日、でした

    11月8日、74回目のお誕生日でした。まああまり嬉しい年でもないですが、私が生きている記念として、ちょっと良い姿勢になったかなと思います。いつもお誕生日には、お友達1人、妹からお祝いのメールが届きます。妹の夫から、お祝いの電話もかかりました。お友達の一人とは、18才の時からプレゼント交換をしています。今年は、回文の絵本「よるよ」が届きました。作者のコジヤジコさんは、彼女の息子さんです。回文に凝っているのだそうで、絵本も出版されました。絵は、中山信一さんです。とても温かな絵で、ふんわりと弾んでいくような絵です。そして、回文の軽さとぴったりしています。子供がいると、こんな風に楽しいこともあるんだなと思いました。74才になって、いつまで生きられるかと思っていたこの数年でしたから、ああ頑張ってるね、と自分に言って...お誕生日、でした

  • 2か月に1回の検査に行きました

    私は、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という難病にかかっています。ぜんそくの患者から、たまに起こる血液の病気です。以前はステロイド剤を飲んでいましたが、今は、ステロイド剤は減らして、ヌーカラという薬を1か月に1回おなかに注射しています。自分で3本打つのですが、もう何度も打っているのに、注射には慣れません。いつも痛い痛いと思って打っています。その注射が効いているのか、この頃は、好酸球の%が減って、10月31日の検査の時には、0という数字だったのです。医者はステロイド剤を減らしたいと思っているようですが、私は、ステロイドが減ると、体調が悪くなります。今は、毎日5mgと4mgを交互に飲んでいます。これは、ステロイドがあまりに減ると、体調が悪くなるのを予防するために、5mgと4mgを交互に飲んでいるのです。体が、ステ...2か月に1回の検査に行きました

  • 今年も柿がいっぱい!

    去年柿が200個以上できたので、今年は、あまりできないだろうと思っていました。ところが、取ってみると、100個ありました。それも美味しいのです。種も少なくて、食べやすいです。今は、妹が庭のことをしてくれているので、あまり無理を言えません。だから、今年は、摘果が少なかったし遅かったと思っていました。葉っぱの中を数えてみると、50個くらいはあるかなと思っていたのが、100個だったのです。2回に分けて、10月の終わりに取りました。後で取ったものは、大きくて既製品みたいです。来年は、今年が少なかったので、もう少したくさん取れるでしょう。肥料も薔薇と同じようにあげるので、種も少なく、味もよいです。(肥料のせいかはわからないのですが)母も妹もチャーリーも私も柿が大好きなので、この頃は柿三昧の日々を送っています。美味し...今年も柿がいっぱい!

  • 高校生のころ

    高校生のころ、私には、とても嫌なことがありました。書くのをどうしようかと迷ったのですが、もうずいぶん昔のことだし、これを読んでもあまり実感する人もいないだろうと思って書くことにしました。私は、文芸部に入部していて、文芸誌に何か書くようにといわれ、創作した物語を書きました。それを読んで、担当の教師(現代国語)が、「あなた、書けるじゃない」と言ってくれ、それはとても嬉しいことでした。でも、秋になり、文化祭に提示するものを友達と書いていたら、帰る時間が遅いと、その教師にひどく怒られました。そして、一緒に連れて帰られて、ひどく叱られ、小突かれたりしました。私も友達も同じ列車で通っていたので、時間を見て、やっていたのでした。それは、私たちにとっては、あまりにも理不尽な怒られ方でした。多分、私の態度が素直でなかったり...高校生のころ

  • 20代前半のころ

    この絵を描くときに見た写真は、私の20代前半の終わりごろ、もうすぐ結婚することが決まっていたころです。私は、大学を卒業してから、一般企業に就職し、事務職などやっていました。本当は自分のやりたいことは違うのにと思いながら、何もしないままに時間が過ぎていた頃です。友達も夫も何か書いたら、といい、あなたの文章を楽しみにしているといった友達もいて、私は、いったい何をしているんだと思っていました。思うような自分の人生はどうすれば送れるのかと、いつも気持ちが揺らぎ、暗いところへ向かっていきました。いろいろな社会の取り決めなどに振り回され、自分というものをすっかりなくして行った頃だと思います。お給料はもらえたので、親に貯金として渡したもの以外は、自分の好きな洋服や化粧品、本やレコードに使っていました。その時代の流行など...20代前半のころ

  • 60代前半のころ

    60才になったら、絵を習いに行こうと決めていました。学生が習うような美術学校の大人教室に行き始めました。そこで、最初は石こうデッサンをしました。私は、油絵を描きたかったので、5,6枚描いた後、油絵を描いてよいといわれました。でも、最初は石こうを描き、次はチャーリーを描きました。そして、次は、タマラ・ド・レンピッカの絵を模写しました。そして、次は静物画を描くように言われました。私は、人物画を描きたいと思っていたのですが、なかなかそういう風にはなりませんでした。思うようにならないという気持ちがあり、その教室を2年で止めました。そのあと行き始めた教室は、自由に絵を描いてもいいと言われたので、そこで、自分の写真を見て描くことにしました。そこで、写真を撮らなくては、と、母に頼んで、写真を撮りました。笑わないで優しい...60代前半のころ

  • 50代前半のころ

    この絵を描くときに見た写真は、53才の時に撮ったものです。54才で乳がんが見つかり、私の健康な時代の最後のころです。この後は、ずっと病気をしているか、治療をしているという感じでいました。絵は、私には似ていません。50代前半の女性の絵という感じで見ていただくといいと思います。40代で、自分のやりたいことは何だろうといろいろ悩み、やってみたのですが、何もわからず、50代に入る頃には、庭に薔薇を育て始めました。生き物を扱うことはとても面白く、薔薇づくりにだんだんはまっていきました。本当は、庭仕事は嫌いだったのにです。このころには、薔薇の庭もかなり思うようになり始め、薔薇のこともわかるようになり、面白いと思っていました。そこで、病気です。薔薇も50本以上ありましたから世話も大変で、暗澹とした気持ちになりました。そ...50代前半のころ

  • コロナワクチンでぐったり

    7回目のコロナワクチンを6日に打ちました。それからずっとぐったりしています。今までの6回は、何事もなく、ちょっと痛みが翌日くらいまであったくらいでしたが、今回は、今もだるさが続いています。私は毎日、鎮痛剤を飲まないとだるく、何もできません。だから、鎮痛剤を飲んでいるのに、こんなに痛みやだるさが続くのは、自分の体がますます弱くなったのかと思います。今回、コロナワクチンを打つころは、ずっと体調が悪く、元気がありませんでした。でも、いつもだるいのだから、と伝えると、医者は、「ああ、いつものようにだるいのね」と言って、打ってくれました。その日は、夜熱っぽい気がして、測ると37,2度でした。熱というほどのものではないですが、いつもよりは高く、肩から腕全体が痛み、ちょっとこれは副作用かなと思っていました。次の日は、腕...コロナワクチンでぐったり

  • 20代前半のころ

    私の20代は、ミニスカートの時代でした。10代後半だったと思いますが、イギリスのツイッギーというモデルがミニスカートで世界を席巻しました。誰もかれもがミニスカートをはきました。私もミニスカートが大好きで、軽やかな気持ちになったものでした。このころから、ファッションは、次々にいろいろなものが流行して、今は、人それぞれの好きな格好をする時代になりました。ファッションは、その人の表現だと思います。仕事の時は、その人の仕事を表し、自由な時間は、自分らしさを表せればいいと思います。私は、明るい色が好きです。フリルやレースが好きです。花柄も好きです。今、年を取って、いつまでかわからない命なのですから、好きな格好をしています。でも、ミニスカートは、もうはけません。足がむくんでいるので、スカートは足首まであるのがいいです...20代前半のころ

  • チャーリーの背中にふくらみ

    先月毛を短く切ったチャーリーの背中をさすっていたら、首の下のほうの皮膚の中にプックりとふくらみができています。直径1.5cmくらいの硬いふくらみです。チャーリーは9月5日のお誕生日に14才になりました。やはり病気になる年齢なので、これは癌なのかしらと、ひどく心配になりました。少しの間小さくならないかと見ていましたが、8月の半ばに気が付いて、9月の終わりまで大きさが変わらないので、動物病院へ行きました。獣医さんは、そのふくらみを触ってみて、注射器のようなもので、その部分を吸い取り検査、そして、大丈夫、脂肪繊維の炎症です、といわれました。私は、気持ちの緊張がするりと抜けて、本当に安心しました。脂肪繊炎ということで、抗生物質をもらいました。消滅することもあるし、残るかもしれないけれど、大丈夫、ということでした。...チャーリーの背中にふくらみ

  • 1才のころ

    これは、1才の時写真屋さんで写してもらった写真を見て描きました。母が編んでくれたニットのワンピースを着ています。母は「このころはかわいかったよー」といいます。おんぶしていると、後ろから来た人に、よく「可愛い赤ちゃん」といわれたそうです。髪の毛はなかなか伸びなかったそうです。高校生くらいになると、髪が邪魔という風に思っていたのですから、不思議なものです。母の母がその頃は一緒に住んでいたので、私の世話は、祖母がずっとしてくれたようです。私も祖母が大好きでした。いろいろな人にかわいがられて、人生で一番幸せだったころかもしれません。何も覚えてはいないのですが、きっと一番幸せな時間を過ごしたのでしょう。それから、記憶が残っている頃になると、いろいろな悩みや辛さがありましたから。母がこの絵を見ると、とても喜んでくれま...1才のころ

  • チャーリー14才になりました

    チャーリーは9月5日がお誕生日です。今年で14才になりました。犬の14才は、以前教えてもらった人間の年で言えば、72才です。ああ、こんなに年を取ったんだねーと、感慨深いです。チャーリーは私が60才の年に生まれました。干支が一緒です。この頃は、年も同じくらいになりました。お互い、年を取ったねーと思います。今年は、長かった毛を短くしました。これは年を取ったということです。わが家は、これから、みんなが年を取り、死に近づいていくということだと実感しています。何をしても、元気になることはなく、少しずつ衰えていきます。その速度がゆっくりだったらいいと願っています。お誕生日に、妹がプレゼントをくれました。ブルーの星とピンクのイチゴの小さなぬいぐるみです。口にくわえるのに、ちょうどいい大きさです。チャーリーはとても気に入...チャーリー14才になりました

  • 65才のころ

    65才のころ、私は自分の気まぐれのまま生きていました。子供がいないせいもあり、経済的には不自由もなく、薔薇の庭を作り、絵を習っていました。この絵は、2014年に夫が倒れた年の、薔薇の庭での写真を見て描いたものです。凛子さん65才でした。実際の私の写真は、こんなにきれいではありませんが、まだ描き慣れていないため、いいように描いてしまうのです。写真を見て、そのままの特徴が描ければいいと思っているのですが、もう少し時間がかかりそうですね。絵を描いていると、その頃の自分が思っていたことを思いめぐらし、自分の生きてきた様子が少し見えるような気がします。65才は、私の生きてきた時間に楔が撃ち込まれた年です。気楽に夫との老後を思うというほどでもなく、ただ、毎日その時のことをやっていたという気がします。死というものがそん...65才のころ

  • 足痛めてしまいました

    さあー、絵を描くぞと気持ち弾んでいたのに、転んでしまいました。私は、左足股関節に器具を入れていて、転んだ時、ひねったようで痛みがきりりと走りました。そのあと、歩けるし、大丈夫かなと思っていたのですが、やっぱり心配で、妹に病院へ連れて行ってもらいました。レントゲンの結果は、股関節の器具や周りは異常なし、他に骨折もなし、ただ尻もちのせいで、骨にひびが入っていることもあるが、治療の方法はないということでした。痛みはひどいものでしたが、足にも骨にも異常なしなので、安心しました。妹が泊まり込みで、家事をしてくれて、本当に感謝しています。転んだのは、ブロックを敷いている場所の、5mmくらいの段差に躓いたためです。できるだけ足を高く上げて歩くようにしていますが、だんだんそのあげ具合が低くなっているのです。足に力がなく、...足痛めてしまいました

  • 5才のころ

    絵を描くと思うと、何かしら心弾んで、何の予行演習もなく書き始めてしまいました。5才のころの凛子ちゃんです。写真を見て描きましたが、全然似ていないです。似ているのは、ヘアスタイルだけですね。描いているうちに思い出したこともあり、描き終わって思い出したこともあり、これからはもう少し、ましになると信じたいです。このころは、浴衣を着て、金魚のお昼寝などを家族の前で踊ったり、お祭りにお化粧してもらって着物を着て参加したりしていました。にぎやかで、華やかなことがすきだったと思います。洋裁の上手だった母が、黒のビロードのワンピースに白いレースの襟を付けてくれたものを着ています。絵には洋服の感じがあまりよく出ていませんが可愛かったです。何かしら覚えているのです。レースの縁どりの球を引っ張ってレースをメチャメチャにしたこと...5才のころ

  • なにかできないかな?

    夏も終わりに差し掛かっています。この頃は、体調があまりよくなく、以前より、トアラセットをもう1錠と思う日が多くなりました。出かけるのは、母と自分の病院、月1回の日用品の買い物、月半ばにゆうちょ銀行、それだけです。それでも、出かけると疲れて、次の日は休んでいます。家事も、あまり積極的にするわけではなく、やらなければならないことをやって、あとはベッドに寝転んでいます。映画やアニメや連続ドラマの面白かったものを録画しているので、毎日それを1本か2本観ています。でも、そんなに面白いものはなく、途中寝てしまうこともよくあります。寝る前には必ず本を読みます。面白い本に当たると1時間以上読んでいます。本を読むのは、子供のころからの、自分の生活の姿でしたから、本がないと暮らせません。こんな風に毎日暮らしています。でも、こ...なにかできないかな?

  • 「図書館の魔女」

    一の谷の王宮の後ろにそびえたつ高い塔の図書館があります。そこに、政治・経済・文化のすべての書物を繙き、多くの言葉を操り、国のすべてのもとを決めていく「図書館の魔女」と呼ばれる女性がいます。その魔女マツリカのもとへ、彼女のお世話をするためにキリヒトという少年が送られてくる、という場面から始まります。魔女マツリカは、言葉をしゃべることができず、音は聞こえるので、相手は言葉を話して、手話でマツリカの言葉を理解するというスタイルで会話します。それでも、多くの事柄を話し聞いて、多くの本を繙いて、国のすべてのもとを決定するマツリカは、素晴らしい能力の魔女として、人々に恐れられています。周りの人たちは、マツリカを見たこともあまりなく、彼女がまだ少女といえるほど幼いことをあまり知りません。そんなマツリカのもとへキリヒトが...「図書館の魔女」

  • チャーリー、ショートカットになる

    チャーリーが毛を短く切りました。最初は、毎月2cmくらい切って最終的には、サマーカットといわれるショートカットにしようということでした。私は、今まで、ずっとチャーリーの毛を伸ばしてきましたから、本当に名残惜しくてたまりませんでした。それで、インターネットでヨークシャーテリアのカットを調べてみると、からだはショートカットで、耳と足の毛が長いヨーキーの写真を見つけました。ああこれだ、とその写真を持ってトリマーさんのところへ、相談に行きました。あまりこういうカットはしないといわれたのですが、頼んでやってもらうことになりました。そして、今日、チャーリーはショートカットになりました。耳の毛は長くしてあります。チャーリーはヨーキーとしては大きいので、しっかりした感じがして、かわいいですと、トリマーさんに言われました。...チャーリー、ショートカットになる

  • ステロイドという薬

    私は、毎日、ステロイドの錠剤を4mgか5mg飲んでいます。病気が分かったときに、たくさんのステロイド液を静脈注射してから、ずっとステロイド剤を飲んでいます。最初はステロイドのせいで体調が悪くなったのだと思っていました。いつも体がだるく感じられていました。ステロイドを飲む量が減ると、きっと元気になるだろうと思っていたのです。ステロイドはだんだん減りましたが、体調がよくなることはなく、ステロイドが4mgに減ると、足に力が入らなくなって、立つのが難しくなりました。ステロイドのせいで、体調が悪くなったというのは間違いでした。反対にステロイドのせいで、体調を保っていたのかもしれません。ステロイドを長くたくさん飲んでいるので、体が自分でステロイドを作らなくなっているそうで、一度にやめてしまうと、体が炎症を起こすことも...ステロイドという薬

  • 力について

    先日、力のことを書きました。世の中に、力があると、そこには、人やものが集まり、力を中心に、それぞれが自分と力との関係を探し、小さな世界を作っていくのだと思います。力というものを実際に認めていなくても、自分のいる世界は安定していて、よく考えると、中心には力があるのだと思います。そんな世界がたくさんあり、例えば家族、地域、学校や会社、そして、国、それらが交錯したり、並行したりして、だんだん大きな世界になっていくのでしょう。そんな中で、自分のいる位置が分からないものがいるのです。どんな世界にも自分が属していないと思い、居場所がないと思うのです。でも、それでも、生きている国などはあり、日本のように一応安定している国で、自分の居場所などないと思いながらも、何とか生きているのですから、それは、その国の力を認めているの...力について

  • 力があるということ

    この頃、毎日生きていくことが辛い、と情けない気持ちになっています。何か元気が出ないという気分、何もしたくないという気分、体が動かない気分、そんな気分にとらわれています。楽しいこと、心が震えるようなこと、そんなことを書いていこうと思うけれど、そういうことがないのです。体が思うように動かないから、ということがあるかもしれません。病気になってしまってから、気持ちも動かないようになったと思います。年を取ったからかもしれません。何もしたくないので、映画を観たり、ドラマやアニメを観たりします。本も心が躍るようなものを読みたいと思います。そして、毎日、そういうものに囲まれていて、"力"ということを考えるようになりました。映画もドラマもアニメも本も、力あるものが主人公です。そういうものでないと面白くないのです。世の中で、...力があるということ

  • チャーリーのカット

    チャーリーが美容に行き、トリマーさんから、シャンプーした後のドライヤーをかけるとき、遠吠えのような鳴き声を出したといわれました。ほかの犬でもあることなので、心配はしなくていいとも言われました。ただ、年を取ってきて、目も耳も不自由になったことで、いろいろな今までされていたことが不安になるのだろうといわれます。そして、もしかすると、毛を長くしておくのは、考えた方がいいかもしれないということでした。ブロウするのは、犬にとってはかなり負担になるので、長い毛の犬は、可哀想だということでした。特に高齢になってからは、カットもシャンプーもブロウも、なるべく早く終わらせてあげることを考えるといわれます。それで、チャーリーの毛も短くすることを、考えた方がいいかもしれないといわれました。私は、ヨークシャーテリアなので、できれ...チャーリーのカット

  • 70才を超えても、、、

    私は、洋服や身につけるものを自分の表現だと思い、こだわってきました。夫が元気なころは、ちょっと値段の張る外国ブランドなどを買っていました。ブランド物は、コマーシャルに踊らされているだけで、値段ほどの価値はないと、知り合いの人たちが言うのを聞いてきました。でも、私は、モノの値段は、やはりそれなりの価値があるからついているのだと思うのです。高いものには、品質の良さや、美しさが見えると思います。でも、今は、私は年金だけで暮らさなければなりません。貯金は、困ったときや大きな買い物のときのために、と思っています。夫が倒れた時には、洋服のことなど、頭に浮かびませんでしたが、だんだん落ち着いた生活になってくると、洋服ほしいなーと思うようになりました。でも、今までのような高いものは買えません。インターネットで、いろいろな...70才を超えても、、、

  • ブービー賞

    この頃あまり楽しいことがなく、ブログにも愚痴や人への非難が多かったようなので、ちょっと反省しています。ブログを始めたのは、老後の楽しいこと嬉しいこと心が躍るようなことを書いて、自分の人生をそんなに悪いものではなかったと思いたいという気持ちで始めたのでした。Beautiful-sunsetというのはそんなつもりで付けたタイトルなのでした。それなのに、楽しくないことばかり書いてしまいました。なぜかといえば、楽しいこと、心の踊るようなことが私の周りで起こらないからというのが、一番の理由でしょう。出かけるのは、病院がほとんどで、あまりよいことはないので仕方ないですね。私は、毎日、映画やドラマやアニメの面白いものを観て、そして、寝る前には、本を読みます。それは、どれも楽しいことなのですが、受け入れるばかりのことのよ...ブービー賞

  • 親と暮らす

    母が足を痛めてから、いろいろなことを言われます。それは納得することもあるけれど、たいていは、あなたは親と暮らしてるのですか?親と暮らしたことはあるのですか?高齢の親と。そういう風に思います。私は自分が病気ということもあり、あまり人の世話をすることはできません。特に身体的なことは、難しいです。私が病気だということを知らない人も、知っていても病気の状態を知らない人は、親のそばについていなくてはと言います。でも、それはとても難しい。私の親は、98才ですが、わりに元気ですから、私と同じ程度のことはできます。それをしてもらっているときに、人から見ると、親を虐待しているように思われるのです。私は、親も私も、施設に入ることはできるだけしたくないのですから、家で二人で手分けして暮らさなければなりません。もし、転んでけがを...親と暮らす

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