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天香山命と久比岐のあれやこれや https://koshi-areyakoreya.hatenablog.com/

素人がネットを検索しまくり天香山命と久比岐について探ってみる。

以前やっていたブログ「天香山命あれやこれや」をバージョンアップしました。

比佐家
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2020/03/15

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  • 自説変更:丹波大己貴は丹波勢じゃなかった

    唐古鍵から見て、冬至の日の出は三輪山の山頂から昇る。その冬至ラインの途中に纏向がある。唐古鍵から冬至の日の出を拝むと、結果、纏向を拝むかたちになる。 なので、纏向が大物主。 これまで当ブログが『丹波大己貴』と呼んできた、日本書紀神代下第九段の本伝と一書第一に記される大己貴は、纏向の有力者。158年天岩戸日食の頃に畿内入りした山陰勢が纏向をつくる。 とりあえず。今回以降、丹波大己貴の呼称を改め『3世紀の大己貴』とする。併せて杵築大己貴も改め『5世紀の大己貴』とする。

  • 筑紫日向は長州

    筑紫国から見て日の出の方角にある土地が『筑紫日向』 日向国は南九州と長州の2か所。唐古鍵系瓊瓊杵こと景行[12]は南九州に、纏向系瓊瓊杵こと誉津別は長州に降臨。 神代下第十段(海幸山幸)は、逆だった。訂正する。海幸(火闌降)が南九州、彦火火出見は長州または筑紫。 神武[1]が出立した日向は長州。椎根津彦と出会った速吸之門は関門海峡。志賀島阿曇氏が椎根津彦。 戊午年の夏四月丙申朔甲辰、長髄彦と対戦する逸話から、神武[1]の中の人が変更。ここまで神武[1]だった長州出身の皇孫は降板して五瀬になる。新しい神武[1]の中の人は、安芸か吉備出身。長髄彦は南九州出身の刺領巾。 六月乙未朔丁巳、名草戸畔を誅…

  • 建御名方の正体

    懿徳[4]は唐古鍵と纏向の統合を試みたが、事故か暗殺か、返し矢により絶命したために頓挫する。矢を返したのは高皇産霊(信越勢)である。 信越勢の働きで、統合の流れは一時停滞した。だが、信越勢にも統合を推進する一派がいたのだろう。それが古事記の建御名方だ。 古事記の建御名方の母は奴奈川姫(信越勢)であり、父は丹波大己貴だろう。懿徳[4]が試みた唐古鍵と纏向の統合が順調に進んでいれば、建御名方はその王位にもっとも近かったのではないか。 統合の流れを阻止するため、建御名方は同族により纏向から排除された。そして建御名方はルーツである信越へ行く。 だが諏訪の伝承では、建御名方が敗戦した事実はないという。同…

  • 天稚彦の試みと政教分離と和風諡号の日本

    夢のお告げにより大物主の祭祀を大田田根子に、倭大国魂の祭祀を市磯長尾市に任せたと、崇神紀は記す。 日本書紀 崇神七年 秋八月 秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田々根子命為祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神主 必天下太平矣 大物主(三輪山)を祀るのは唐古鍵。倭大国魂を祀るのは纏向。 第4代懿徳天皇(大日本彦耜友天皇)=天稚彦天稚彦は、日本書紀神代下第九段の本伝によれば、顕国玉の娘の下照姫を娶り、葦原中国の統治者になろうとした。 天稚彦は、唐古鍵と纏向を統合しようとしたのではないか。 これに高皇産…

  • youtube動画の告知

    改作です。 #0008日本書紀前半の構成 天岩戸日食 始馭天下之天皇/御肇国天皇 Happy GIRL's day!

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