新作にしてシリーズ最終回です。 #0015スサノオ 山陰の大己貴 月読 八岐大蛇 ほか Happy birthday ATOM. ――― 訂正 ――― 今回も大規模に持論を改定しました。大きな変更は、武内宿祢は紀伊勢。伊香色謎を葛城氏/尾張氏/和珥氏の系譜につらなる。大物主を唐古鍵と纏向の融合した存在。古事記もある程度は年代を揃えてある。等です。ほかにも幾つか変更があります。
素人がネットを検索しまくり天香山命と久比岐について探ってみる。
以前やっていたブログ「天香山命あれやこれや」をバージョンアップしました。
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新作にしてシリーズ最終回です。 #0015スサノオ 山陰の大己貴 月読 八岐大蛇 ほか Happy birthday ATOM. ――― 訂正 ――― 今回も大規模に持論を改定しました。大きな変更は、武内宿祢は紀伊勢。伊香色謎を葛城氏/尾張氏/和珥氏の系譜につらなる。大物主を唐古鍵と纏向の融合した存在。古事記もある程度は年代を揃えてある。等です。ほかにも幾つか変更があります。
日本書紀前半の構成の詳細版を作成中。 日本書紀前半の構成 詳細版 懿徳[4]と仲哀[14]は早逝してるので短くした。ヤマト大王は女系継承との推測から、母系先祖で色分けした。ここでいう尾張氏は瀛津世襲に近い《日本海側の尾張氏》のこと。 神功皇后は父系の「息長」ばかり吹聴されるが、母系は「葛城」である。母の名は「葛城高顙媛」、母系の曾祖母の名は「当麻之咩斐」という。垂仁7年の逸話に登場する「当摩蹶速」のいた当麻邑は、wikipediaによると現在の葛城市にある。 日本書紀 垂仁7年 七年秋七月己巳朔乙亥 左右奏言 当麻邑 有勇悍士 曰当摩蹶速 其為人也 強力以能毀角申鉤 wikipedia 当麻蹴…
新作です。 #0014天孫降臨と海幸山幸 日向の3勢力 Happy e-mail day.
【日本書紀 神代上第七段 一書第一】 故 即以石凝姥為冶工 採天香山之金 以作日矛 又 全剥真名鹿之皮 以作天羽韛 用此 奉造之神 是即 紀伊国所坐日前神也 天香山=瀛津世襲の尾張氏(和珥氏)矛≒剱(突き攻撃が主体の武器) 紀伊国一宮日前宮の社伝とは異なるが、この日矛は草薙剣ではないか? 鹿=丹波勢 丹波勢の遺産でフイゴを作り、新たな神を祀りはじめた。この丹波勢は、第7代孝霊天皇だろう。 とすると、天照祭祀は4世紀後期以降の和歌山平野ではじまったことになる。
今年の Carol of the Bells 再現度の高さに慄くNightmare Before Christmas よいお年を!
新作です。 #0013星神討伐③ 星神香香背男 高志国の阿彦 nice wear, meet, book, swell-fish, stationery.
隼人族の祖である海幸は《南九州勢》である。 日本書紀神代下 第九段 本伝 始起烟末 生出之兒 號火闌降命 是隼人等始祖也 火闌降 此云褒能須素里 日本書紀神代下 第十段 一書第二 火酢芹命苗裔 諸隼人等 至今不離天皇宮墻之傍 代吠狗 而 奉事者矣 本伝と複数の一書からなる日本書紀は、神の象徴する地域が逸話ごとに異なることがある。例えば、国譲り神話の大己貴は、本伝が唐古鍵の大己貴、一書第一が纏向の大己貴、一書第二が山陰の大己貴である。 よって海幸と山幸も、逸話によって異なる地域を象徴する可能性がある。第十段では、一書第二以外の逸話の海幸は、南九州勢ではないかもしれない。その可能性を残しつつ推測す…
新作です。 #0012星神討伐② 分裂するヤマト 瀛津世襲と狭穂彦 纏向大己貴 Tofu is delicious!
新作です。 #0011星神討伐① 関東の天津甕星 関東の国造 出雲国造神賀詞 midsummer day of the ox.
願矯其枉 youtube カナダ人ニュース6.23 Biden息子捜査妨害の全貌公開Part①6.24 史上最悪の隠蔽の真実 日本書紀 神代上 第五段 一書第六 伊弉諾尊 既還 乃追悔之曰 吾 前到於不須也凶目汚穢之処 故 当滌去吾身之濁穢 則往 至筑紫日向小戸橘之檍原 而 秡除焉 遂将盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬 是太疾 下瀬 是太弱 便濯之於中瀬也 因以 生神 號曰八十枉津日神 次将矯其枉 而 生神 號曰神直日神 次大直日神
吉野ケ里遺跡の石棺墓発掘調査に便乗して、ひとつの疑問。頓珍漢な発想かもしれないが。 魏志倭人伝 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑彌呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫壻 有男弟佐治國 一般に「年已長大 無夫壻」の部分は「年はすでに長大、夫婿なし」と読まれている。そしてこれを理由に、卑弥呼は生涯独身だったと言われている。 「夫婿を無くす」と読んではダメなのか? 「長生きしてるうちに配偶者に先立たれた」とか「長生きしていて(今は)夫壻がいない」とは読まない理由を知りたい。 巫女は清らかな身でなくてはならないという西洋史由来の解釈はナシの方向で。
また忘れそうなのでメモ。 清寧紀 元年 冬十月癸巳朔辛丑 葬大泊瀬天皇于丹比高鷲原陵 于時 隼人 晝夜哀號陵側 與食不喫 七日而死 有司 造墓陵北 以禮葬之 是年也 太歲庚申
新作です。 #0010欠史八代 ④ 葛城氏 尾張氏 和珥氏 Happy birthday, NARITA INTERNATIONAL AIRPORT.
動画で言及したけど、ブログではまだ未使用だったネタ。倭姫命世記の豊鍬入姫巡歴は、古代における奈良盆地の覇者を列記している。 天照を《唐古鍵の象徴》と定めるに至る決定打がこの《豊鍬入姫巡歴》。第一の元伊勢に笠縫邑を2つ記す理由を考えた結果だ。 解説が複雑になりすぎるから、動画では言わなかったことが1つ。 清寧(白髪武広国押稚日本根子)の母系先祖は海神族の尾張氏。海神族は纏向。だから第六の元伊勢が倭国三輪になっている可能性もある。
新作です。 #0009欠史八代 ③ 国譲り神話 纏向vs.唐古鍵 Happy Buddha’s Birthday!
日本書紀神代下第九段が記す3つの国譲り神話を整理。皇祖神・天照を定義することを躊躇していたが、このたび勇気を出して決断した。その結果、本伝と一書第一の瓊瓊杵を取り違えていたことに気づいた。 国譲りの差異 高皇産霊は信越勢。筑紫日向のあたりから東征して纏向を建てた初代大王が、信越勢の珍彦を倭国造に任じる。第2代纏向大王が神渟名川耳天皇こと綏靖[2]。よって本伝は纏向視点。 本伝の大己貴は唐古鍵の有力者。唐古鍵から丹波へ移住。のちの丹後王国。 天照は唐古鍵の象徴なので、一書第二は唐古鍵視点。丹波への移住は、纏向の圧力が原因ではあるが、唐古鍵の人々が自分たちで決断した。帰化人が流れ着く日本海を重視し…
唐古鍵から見て、冬至の日の出は三輪山の山頂から昇る。その冬至ラインの途中に纏向がある。唐古鍵から冬至の日の出を拝むと、結果、纏向を拝むかたちになる。 なので、纏向が大物主。 これまで当ブログが『丹波大己貴』と呼んできた、日本書紀神代下第九段の本伝と一書第一に記される大己貴は、纏向の有力者。158年天岩戸日食の頃に畿内入りした山陰勢が纏向をつくる。 とりあえず。今回以降、丹波大己貴の呼称を改め『3世紀の大己貴』とする。併せて杵築大己貴も改め『5世紀の大己貴』とする。
筑紫国から見て日の出の方角にある土地が『筑紫日向』 日向国は南九州と長州の2か所。唐古鍵系瓊瓊杵こと景行[12]は南九州に、纏向系瓊瓊杵こと誉津別は長州に降臨。 神代下第十段(海幸山幸)は、逆だった。訂正する。海幸(火闌降)が南九州、彦火火出見は長州または筑紫。 神武[1]が出立した日向は長州。椎根津彦と出会った速吸之門は関門海峡。志賀島阿曇氏が椎根津彦。 戊午年の夏四月丙申朔甲辰、長髄彦と対戦する逸話から、神武[1]の中の人が変更。ここまで神武[1]だった長州出身の皇孫は降板して五瀬になる。新しい神武[1]の中の人は、安芸か吉備出身。長髄彦は南九州出身の刺領巾。 六月乙未朔丁巳、名草戸畔を誅…
懿徳[4]は唐古鍵と纏向の統合を試みたが、事故か暗殺か、返し矢により絶命したために頓挫する。矢を返したのは高皇産霊(信越勢)である。 信越勢の働きで、統合の流れは一時停滞した。だが、信越勢にも統合を推進する一派がいたのだろう。それが古事記の建御名方だ。 古事記の建御名方の母は奴奈川姫(信越勢)であり、父は丹波大己貴だろう。懿徳[4]が試みた唐古鍵と纏向の統合が順調に進んでいれば、建御名方はその王位にもっとも近かったのではないか。 統合の流れを阻止するため、建御名方は同族により纏向から排除された。そして建御名方はルーツである信越へ行く。 だが諏訪の伝承では、建御名方が敗戦した事実はないという。同…
夢のお告げにより大物主の祭祀を大田田根子に、倭大国魂の祭祀を市磯長尾市に任せたと、崇神紀は記す。 日本書紀 崇神七年 秋八月 秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田々根子命為祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神主 必天下太平矣 大物主(三輪山)を祀るのは唐古鍵。倭大国魂を祀るのは纏向。 第4代懿徳天皇(大日本彦耜友天皇)=天稚彦天稚彦は、日本書紀神代下第九段の本伝によれば、顕国玉の娘の下照姫を娶り、葦原中国の統治者になろうとした。 天稚彦は、唐古鍵と纏向を統合しようとしたのではないか。 これに高皇産…
動画で言及したけど、ブログではまだ未使用だったネタ。倭姫命世記の豊鍬入姫巡歴は、古代における奈良盆地の覇者を列記している。 天照を《唐古鍵の象徴》と定めるに至る決定打がこの《豊鍬入姫巡歴》。第一の元伊勢に笠縫邑を2つ記す理由を考えた結果だ。 解説が複雑になりすぎるから、動画では言わなかったことが1つ。 清寧(白髪武広国押稚日本根子)の母系先祖は海神族の尾張氏。海神族は纏向。だから第六の元伊勢が倭国三輪になっている可能性もある。
新作です。 #0009欠史八代 ③ 国譲り神話 纏向vs.唐古鍵 Happy Buddha’s Birthday!
日本書紀神代下第九段が記す3つの国譲り神話を整理。皇祖神・天照を定義することを躊躇していたが、このたび勇気を出して決断した。その結果、本伝と一書第一の瓊瓊杵を取り違えていたことに気づいた。 国譲りの差異 高皇産霊は信越勢。筑紫日向のあたりから東征して纏向を建てた初代大王が、信越勢の珍彦を倭国造に任じる。第2代纏向大王が神渟名川耳天皇こと綏靖[2]。よって本伝は纏向視点。 本伝の大己貴は唐古鍵の有力者。唐古鍵から丹波へ移住。のちの丹後王国。 天照は唐古鍵の象徴なので、一書第二は唐古鍵視点。丹波への移住は、纏向の圧力が原因ではあるが、唐古鍵の人々が自分たちで決断した。帰化人が流れ着く日本海を重視し…
唐古鍵から見て、冬至の日の出は三輪山の山頂から昇る。その冬至ラインの途中に纏向がある。唐古鍵から冬至の日の出を拝むと、結果、纏向を拝むかたちになる。 なので、纏向が大物主。 これまで当ブログが『丹波大己貴』と呼んできた、日本書紀神代下第九段の本伝と一書第一に記される大己貴は、纏向の有力者。158年天岩戸日食の頃に畿内入りした山陰勢が纏向をつくる。 とりあえず。今回以降、丹波大己貴の呼称を改め『3世紀の大己貴』とする。併せて杵築大己貴も改め『5世紀の大己貴』とする。
筑紫国から見て日の出の方角にある土地が『筑紫日向』 日向国は南九州と長州の2か所。唐古鍵系瓊瓊杵こと景行[12]は南九州に、纏向系瓊瓊杵こと誉津別は長州に降臨。 神代下第十段(海幸山幸)は、逆だった。訂正する。海幸(火闌降)が南九州、彦火火出見は長州または筑紫。 神武[1]が出立した日向は長州。椎根津彦と出会った速吸之門は関門海峡。志賀島阿曇氏が椎根津彦。 戊午年の夏四月丙申朔甲辰、長髄彦と対戦する逸話から、神武[1]の中の人が変更。ここまで神武[1]だった長州出身の皇孫は降板して五瀬になる。新しい神武[1]の中の人は、安芸か吉備出身。長髄彦は南九州出身の刺領巾。 六月乙未朔丁巳、名草戸畔を誅…
懿徳[4]は唐古鍵と纏向の統合を試みたが、事故か暗殺か、返し矢により絶命したために頓挫する。矢を返したのは高皇産霊(信越勢)である。 信越勢の働きで、統合の流れは一時停滞した。だが、信越勢にも統合を推進する一派がいたのだろう。それが古事記の建御名方だ。 古事記の建御名方の母は奴奈川姫(信越勢)であり、父は丹波大己貴だろう。懿徳[4]が試みた唐古鍵と纏向の統合が順調に進んでいれば、建御名方はその王位にもっとも近かったのではないか。 統合の流れを阻止するため、建御名方は同族により纏向から排除された。そして建御名方はルーツである信越へ行く。 だが諏訪の伝承では、建御名方が敗戦した事実はないという。同…
夢のお告げにより大物主の祭祀を大田田根子に、倭大国魂の祭祀を市磯長尾市に任せたと、崇神紀は記す。 日本書紀 崇神七年 秋八月 秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田々根子命為祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神主 必天下太平矣 大物主(三輪山)を祀るのは唐古鍵。倭大国魂を祀るのは纏向。 第4代懿徳天皇(大日本彦耜友天皇)=天稚彦天稚彦は、日本書紀神代下第九段の本伝によれば、顕国玉の娘の下照姫を娶り、葦原中国の統治者になろうとした。 天稚彦は、唐古鍵と纏向を統合しようとしたのではないか。 これに高皇産…
改作です。 #0008日本書紀前半の構成 天岩戸日食 始馭天下之天皇/御肇国天皇 Happy GIRL's day!
新作です。 #0008欠史八代② 高皇産霊(造化三神) 天穂日(誓約の五男神) Happy CAT's day!
唐古鍵遺跡は弥生前期~古墳前期。古墳時代は3世紀後~6世紀。おおまかに前期は4世紀、中期は5世紀、後期は6世紀。 国指定文化財等データベース(文化庁) 奈良県唐古・鍵遺跡出土品 謹製『初期天皇の活動年代表』によれば、4世紀後期は孝元[8]と仲哀/神功[14]、仁徳[14]の世代。 初期天皇の活動年代表 孝元[8]:大日本根子彦国牽:山陰勢日本書紀の神代上第八段(八岐大蛇)本伝が記す大己貴(素戔嗚の子)に推定。 素戔嗚=武内宿祢八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]、忍熊王、麛坂王、菟道稚郎子、大山守王、両面宿儺など。ただし忍熊王+麛坂王=両面宿儺の可能性が濃厚) 唐古鍵遺跡の終焉と、第八段本伝の山陰勢に…
今までずーっと見落としてたけど、天津彦根の子孫が書いてあった。天津彦根は大阪湾でした。とすると、東海は活津彦根なのでしょう。 日本書紀 神代上第六段(誓約)本伝 而 吹棄気噴之狭霧 所生神 號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 次天穂日命 是出雲臣土師連等祖也 次天津彦根命 是凡川内直山代直等祖也 次活津彦根命 次熊野櫲樟日命 凡五男矣 wikipedia 凡河内氏 2023/02/10転写 上代の凡河内国、すなわち後世の摂津、河内、和泉にわたる広い地域に国造氏族として勢力を持っていた。 wikipedia 山代氏 2023/02/10転写 支族は摂津国廣田神社の祝として奉仕し、子孫は鷹羽を名乗った[…
フィンランド語はわからないが冴えてる熟女。そして何故か黒柴。 Värttinäは2016年のアルバム「Viena」もおすすめ。3曲目の「Kanaset」は突き抜けた陽気さが最高! うたごえにいのちをかんじるんだ。
沖津島と日御碕神社は、ほとんど30度のライン。言い換えると、日御碕神社から見る冬至の太陽は沖津島に沈む。 宗像大社沖津宮祭神の田心姫は、天照の御業で素戔嗚の所有物から生まれた三女神の一柱。 日御碕神社神の宮(上の宮)の主祭神は素戔嗚、ほかに三女神。日沉宮(下の宮)の主祭神は天照、ほかに五男神。 このラインを北東へ延長すると、惜しくも南へ1、2度ずれてしまうが、須須神社と度津神社がある。言い換えると、日御碕神社から見る夏至の太陽は須須神社や度津神社のあたりから昇る。 須須神社祭神は瓊瓊杵と御穂須須美と木花咲耶姫。 出雲国風土記によれば、御穂須須美は奴奈宜波比売と天下所造大神の娘。 度津神社主祭神…
日本書紀神代下第九段(国譲りと天孫降臨)の本伝が記す瓊瓊杵は、日向国に降った丹波勢である。 日本各地に侵攻していった丹波勢をひとつにまとめて、景行[12]の事績にしている。景行[12]は丹波の日葉酢媛から誕生したと記されているが、これを暗に否定する逸話がある。 応神紀13年の一云(鹿皮を被った牛)については、2022/11/22の記事で言及した。 もうひとつ、垂仁紀87年の「牟士那の腹から八尺瓊勾玉がでた」逸話も、日向国へ降った丹波勢の瓊瓊杵の出自を否定するものだろう。丹波の皇統は鹿のはずだ。正統でない貉腹の瓊と揶揄しているのだろう。 本伝の瓊瓊杵(丹波の日葉酢媛の子と記される景行[12])は…
数年前にyoutubeで見たヨーロッパのテレビ放送のクリスマスコンサートで(違法アップロードだったかもしれない)とても気にいった曲。 かつて気に入ったコンサート動画はもう見つからず、多くのミュージシャンによる様々なアレンジを聞き比べて自分好みの演奏を見つけた。原曲はウクライナの民謡だそうなので、時世柄にも合致。
新作です。 #0007欠史八代① 第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇・第4代懿徳天皇(2022/12/25公開) メリークリスマス。
古事記の神語歌前半、八千戈が奴奈川姫に求婚(脅し)する逸話で、奴奈川姫は自分を浦渚の鳥に例える。また、八千戈が鵺、雉、鶏に例えているのは奴奈川姫の集落(久比岐)の人々だろう。 奴奈川姫の久比岐は椎根津彦(珍彦)のルーツだ。よって、鳥は海神族の象徴と推定する。 そのほか。日本書紀に登場する隼人第一号は履中紀の刺領巾だ。履中[17]は5世紀前期の人物と考えられ、2世代前の4世紀中期に景行[12]が日向高屋宮にて御刀媛とのあいだに豊国別を儲けている。 天孫降臨の瓊瓊杵=景行[12]鹿葦津姫=御刀媛・日向髪長大田根山幸(彦火火出見)=豊国別(日向国造)海幸(火闌降)=日向襲津彦(阿武国造)=仲哀[14…
小倉百人一首は歴史の教科書だ。と、聞いたことがある。何年か前にはネットでも記事を読んだ。と、思う。たぶん。 それで以前、阿倍仲麻呂の歌を考察した。だが今になって、結論が間違っていたと考えている。 小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出(い)でし月かも 【当ブログの解釈】あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長い仁徳[16]まで)ふりさけみれば →振り裂けみれば →振り裂けるように終わってみればかすが →春日和珥氏(忍熊王討伐・両面宿儺討伐を行った和珥武振熊の子孫)なる →成る →成りあがるみかさのやまにいでしつき →三笠山(奈良盆地の北…
丹波勢(孝霊[7]=大国主)の国譲りが本伝、山陰勢(孝元[8]=大国主)の国譲りが一書第二であるように、八岐大蛇退治の本伝と一書第一と一書第二も、三つの勢力の事績だろう。 八岐大蛇退治の本伝は山陰勢 素戔嗚=孝元[8]の父=武内宿祢大国主(素戔嗚の子)=孝元[8]八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]の一族) 脚摩乳が奇稲田姫を「少童」と呼んでいる。日本書紀は神代上の第五段(神生み)の一書第六(黄泉戸喫)にて、ワタツミを「少童」と記す。奇稲田姫が海神族である証左だろう。 神代上 第五段(神生み) 一書第六(黄泉戸喫) 有朝霧 而 薫満之哉 乃吹撥之気 化為神 號曰級長戸辺命 亦曰級長津彦命 是風神也 又…
非常にあやふやな記憶で、「古代の航路を表す五男神のうち天津彦根と活津彦根の交わる場所が彦根説」を教えてくれた彦根市のタクシー運転手に、北陸出身であると話したら、天穂日だと言われたような言われなかったような気がしていた。それで、この不正確な記憶を頼りに、五男神があらわす航路を推定したけれど、間違ってた。 孝元[8]は山陰勢。武力行使により丹波勢(孝霊[7])を追い落として、ヤマトの大王になる。この出来事が、八岐大蛇退治の神話になる。八岐大蛇退治の素戔嗚=武内宿祢。 開化[9]は物部氏。山陰勢との話し合いにより物部大前(開化[9])がヤマトの大王になる。この出来事が、国譲り神話の一書第二になる。 …