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比佐安田さんのプロフィール

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以前やっていたブログ「天香山命あれやこれや」をバージョンアップさせたものになります。

ブログタイトル
天香山命と久比岐のあれやこれや
ブログURL
https://koshi-areyakoreya.hatenablog.com/
ブログ紹介文
素人がネットを検索しまくり天香山命と久比岐について探ってみる。
更新頻度(1年)

76回 / 365日(平均1.5回/週)

ブログ村参加:2020/03/15

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比佐安田さん
ブログタイトル
天香山命と久比岐のあれやこれや
更新頻度
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天香山命と久比岐のあれやこれや

比佐安田さんの新着記事

1件〜30件

  • 反九州の気運

    前回の要点: 狭穂彦=阿彦=天津甕星、狭穂姫=支那夜叉、支那太郎=誉津別。 草薙剱は越前素戔嗚から子孫の丹波大己貴へ渡り、阿彦討伐に使われた。 同じ頃、科野と関東が争い、饒速日勢が科野を援けて関東勢を退けた。しかし記紀はなぜか八綱田(関東勢)が狭穂彦を討伐したと記して、丹波の勝利を横取りしている。 伊弥頭(越中西部)・三国・江沼(越前)国造は蘇我氏であり、上宮記は凡牟都和希王が継体[26]の祖と記す。 神代下第二段 海幸山幸: 兄の火闌降(海幸)と弟の彦火火出見(山幸)が試しに幸を交換してみたら、どちらも利を得なかった。悔やみつつ兄は弟に弓矢を返し、釣針を返すよう求めるが、釣針を紛失した弟は返…

  • 天津甕星と狭穂彦と越中阿彦

    前回の要点: 武渟川別の東海道派遣は、科野と関東の交流を投影したもの。 協調派と対立派に意見が割れていた丹波では、国譲りののち対立派が優勢になり、日本武と仲哀による九州出兵が起きた。九州から武振熊が来て仲哀庶子の忍熊王を討伐して以降、丹波は衰退する。九州は翡翠産地に入り込んだ丹波の血筋も排除した。これが両面宿儺であり、椎根津彦嫡流の久比岐青海氏は消失する。この抗争の敗者が大物主であり、祭主の三輪氏は久比岐青海氏の流れを汲む。 崇神は個人としても勢力としても実在しない。 「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田・御諸別」は敵対勢力。 越中西部の首長が観松彦・観松姫であり、事代主後裔にあたる。綏靖[…

  • 崇神非実在説

    前回の要点: 淡路の大彦を夫にした久比岐の女性が武渟川別を生む。 大彦が初代神武天皇で、武渟川別が第二代綏靖天皇(神渟名川耳天皇)。 椎根津彦嫡流の久比岐青海氏から分家して近畿へ移住した人々が倭氏。 饒速日は伊勢津彦であり、科野へ移住した。 第三代安寧天皇から第九代開化天皇までは神武(大彦)の子孫ではないが、ヤマト建国神話で活躍した実在の人物が列記されている。 四道将軍 武埴安彦討伐は国見岳八十梟帥討伐であり、四道将軍の大彦は神武、武渟川別は綏靖、吉備津彦は吉備の首長、丹波道主は丹波の首長と考える。 東海道へ派遣されたと記される武渟川別だが、おそらく行ってないだろう。考古出土品から、弥生末期に…

  • 綏靖、並びに欠史八代

    前回の要点: 天稚彦=兄磯城=彦湯支。味耜高彦根=弟磯城=味饒田。 神武(淡路)と椎根津彦(久比岐)が共闘して兄磯城を挟み撃ちにする。丹波大己貴の国譲りとは、このとき淡路・久比岐との対立を避けて素通りさせたこと。 淡路勢と対立する長髄彦は葦原醜男と須世理毘売の子孫。 媛蹈韛五十鈴媛 神武は橿原に宮を造営したのち高貴な女性を求める。進言を受けて媛蹈韛五十鈴媛を正妃に迎え、自身の天皇即位にあわせ皇后とする。 媛蹈韛五十鈴媛の父には大物主説と事代主説があり、神代上第八段(八岐大蛇)一書第六は双方の説を記す。大物主にしろ事代主にしろ越前素戔嗚の子孫なので、この違いにこだわる必要はないだろう。 このエピ…

  • 畿内平定

    前回の要点: 国譲りの大己貴は、本伝は丹波大己貴、一書第二は杵築大己貴のこと。 共通して登場する天穂日および経津主と武甕槌は杵築大己貴に関与した。丹波大己貴には関与してないが、本伝にも登場させることで本来は異なる大己貴を同一存在であるかのように偽装した。 古事記が記す建御名方と武甕槌の勝負は、大己貴の国譲りとは一切関係ない関東で起きた出来事を元にした創作。 味饒田と彦湯支 自宅へ来訪して鳴く使者の鳥に矢を撃つエピソードの類似性から、天稚彦と兄磯城は同一と推測する。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝 於是 高皇産靈尊 賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢 以遣之 此神亦不忠誠也 來到 即娶顯國玉之女子…

  • 国譲り神話

    前回の要点: 日本海を航行した科野安曇氏が八岐大蛇であり、草薙剱の所有者。 八岐大蛇退治は逐降の原因。 時系列を逆転させて美談に転換したのは、山陰出雲に受け入れてもらうため。素戔嗚を山陰出雲に関連づけることで翡翠の産地を隠匿した。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝: 高皇産霊が孫の瓊瓊杵を葦原中国の主にすべく天穂日を降ろすが音沙汰なく、次いで降ろした天稚彦も音沙汰なくて、無名雉を催促に遣わす。天稚彦は天探女の讒言を聞いて無名雉を射殺し、その矢が反矢となって天稚彦を射殺す。葬儀に弔問した友人の味耜高彦根は容姿が天稚彦と似ていたため遺族に故人と間違われ憤慨する。 高皇産霊は経津主と武甕槌を降ろ…

  • 八岐大蛇

    前回の要点: 丹生川上の祭祀で使用した土器の原料を採取したところの地名「埴安」は、武埴安彦を暗示するキーワード。 武埴安彦討伐と国見岳八十梟帥討伐と逐降は、同一の事変を描いている。 大彦=神武=高皇産霊 武埴安彦=国見岳八十梟帥=大国主(※) 大物主=八千矛=素戔嗚(※) 倭迹迹日百襲姫=奴奈川姫=稚日女 ※武埴安彦=国見岳八十梟帥と大物主=八千矛=素戔嗚は同一と云えるが、登場するエピソードの主旨が異なるため分割した。 大物主は、素戔嗚を祖として大己貴を後裔とする氏族が治める地方勢力。 天岩戸日食は158年の日入帯食であり、阿波国の天磐戸神社が元ネタ。 神代上第八段 八岐大蛇: 天より降った素…

  • 逐降と国見岳と埴安(2)

    前回の要点: 神武は高皇産霊。国見岳八十梟帥は大国主、兄磯城も大国主。 越前の丹生山地と国見岳は素戔嗚ゆかりの地。 素戔嗚の狼藉が原因で神退った稚日女は、高志と瀬戸内をむすぶ経路(琵琶湖・淀川)を活動域にしていた息長氏に縁がある。 天岩戸で諸神が講じた策と、丹生川上で神武が行った祭祀は、天香山と真坂樹が共通する。天香山は弥彦神社祭神の名でもある。 埴安 神武[1]紀の末尾、東征を締めくくり即位するエピソードの直前に「或曰(或るいは曰く)」として、天香山の埴土を取った場所を「埴安」と云うとある。 神武[1]紀 己未年春二月壬辰朔辛亥 或曰(或るいは曰く) 天皇 以前年秋九月 潛取天香山之埴土 以…

  • 逐降と国見岳と埴安(1)

    前回の要点: 誓約で生まれた五男神は瀬戸内を指し、宇佐対馬間の三女神と合わせ、朝鮮半島から鉄ていを仕入れる交易路を表す。 鍛冶技術を携え入植した淡路勢は、翡翠の産地である久比岐勢と交流していた。 これより前、日向から伊勢に入植した饒速日勢は、同じく翡翠の産地である越前東部から東海に入植した尾張勢と交流を持ち、兄猾を討って畿内勢に対する強い影響力を得た。 物語は神武の吉野巡幸をもって一区切りとする。続く国見岳からは新章に入る。 神代上第七段 逐降と天岩戸: 高天原で数々の狼藉を働く素戔嗚を許容できなくなった天照が岩戸に籠り、闇に閉ざされた世界を憂える諸神が策を講じて岩戸から天照を引きだして、素戔…

  • ヤマト建国前夜の畿内

    前回の要点: 誓約で生まれた三女神は、宇佐と対馬をむすぶ交易路を司る。 素戔嗚は、狗邪韓国を象徴する。 誓約で生まれた五男神(一書第三は六男神) 三女神が宇佐と対馬をむすぶ交易路ならば、同時に生まれた五男神もそれに類する存在だろうと予測すると、瀬戸内海が思い当たる。 2004年(平成16年)台風23号により淡路島は被災した。その後の普及事業において埋蔵文化財の調査が行われ、五斗長垣内遺跡にて2世紀頃と目される鍛冶の痕跡が確認された。 淡路市 五斗長垣内遺跡発掘調査報告書について 第1章 第2章 淡路島日本遺産 五斗長垣内遺跡と出土品 日立金属 たたらの話 製鉄の始まり 製鉄云々に関しては賢い学…

  • 素戔嗚と三女神

    第五段(神産み)では、さまざまな神と三貴子(天照、月読、素戔嗚)が誕生する。三貴子は、本伝と一書第二では伊弉諾と伊弉冉の両親から、一書第一と第六(黄泉戸喫)では伊弉諾の片親から生まれるが、どちらにせよ素戔嗚は乱暴な気性ゆえに、親により根国へ追放される。 続く第六段(誓約)では、根国へ行く前に姉に会おうと考えた素戔嗚が、高天原を訪ねる。高天原を奪いに来たのではと疑う天照と、悪意はないと主張する素戔嗚が誓約した結果、三女神と五男神(一書第三は六男神)が生まれ、素戔嗚の主張が通る。 誓約で生まれた三女神 現代の宗像大社は、沖ノ島にある沖津宮に田心姫、大島にある中津宮に湍津姫、九州本土にある辺津宮に市…

  • smalltalk - おすすめ動画

    GOODボタンをポチ。 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 中編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 後編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】

  • 自説の骨子 2021夏

    神代紀の誓約から国譲りまでは、倭国大乱を描いている。 神武[1]紀の東征は、倭国大乱のころの近畿地方と中部地方を描いている。 崇神[10]紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 コツを押さえれば日本書紀は、ヤマト建国の立役者は淡路勢と久比岐勢であると読める。それを読めなくさせた要因は3つ。 (1) 久比岐(糸魚川)が翡翠の産地であることを忘れた。 (2) 淡路島に先進的な製鉄施設が存在したことを忘れた。 (3) 古事記の嘘に振り回された。 (1)は昭和初期、(2)は平成半ばに発見・認知されたため、もはや障壁たりえない。 残る問題は(3)の…

  • 事代主は淡路・久比岐勢に同調した

    国譲り本伝(※)で事代主は海に隠れる。一般にこれを自死と解釈するようで、当ブログもそれに順じていたのだが、この既成概念からも脱しようと思う。 日本書紀 国譲り 本伝 故 以熊野諸手船 亦名天鴿船 載使者稻背脛 遣之 而 致高皇産靈尊勅於事代主神 且問將報之辭 時 事代主神 謂使者曰 今天神有此借問之勅 我父宜當奉避 吾亦不可違 因於海中造八重蒼柴 柴 此云府璽 籬 蹈船枻 船枻 此云浮那能倍 而 避之 故 熊野諸手船を以て 亦の名を天鴿船 使者の稲背脛を載せる 之に遣わす 而 事代主神に高皇産霊尊の勅を致す 且つ将報の辞を問う 時 事代主神 使者に謂い曰く 今し天神は此の借問の勅有り 我が父は…

  • 歪められた古代越中史

    記紀神話がどのように記そうと、越前の剱神社は素戔嗚を称えている。飛騨の両面宿儺(※)も地元では慕われている。地元とはそういうものだと思うし、そうあるべきとも思う。 そういう点で、喚起泉達録が記す阿彦の伝承は気分の良いものではない。なぜ地元の阿彦が悪しざまに語られねばならないのか。若干の不快感さえ覚える。 この伝承はおそらく余所者の視点で語られているのだろう。 これを、泉達録がもてはやす大若子や大己貴が属する丹波勢の視点とするなら話は単純だが、応神[15]以降の丹波はおとなしい。阿彦討伐は垂仁[11]御代の出来事だから、丹波が越中に干渉できたと思われる期間は三、四世代しかない。地元の言い伝えを捻…

  • 自説変更:再戦時の長髄彦=伊勢津彦

    3/6に「再戦時の長髄彦=国譲りの大国主」という記事を書いたが、取り消す。 たびたび出雲贔屓を非難してきたくせに、その影響下から私もまだ抜け出せていなかった。既成概念を払拭することは斯くも難しい。 大国主は皇統と対立したはずという思い込みから、杵築大己貴が経津主である物部氏に討伐されるストーリーを想定していた。これが間違いの元だ。宇摩志麻遅が山陰で討伐した凶賊が、杵築大己貴と対立する勢力である可能性を考えるべきだったのに、思いつきさえもしなかった。 石見国一宮 物部神社 御由緒 御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一…

  • 僭上者の治世は短い

    磐長姫が「其生兒 必如木花之移落(其の生す兒 必ず木花の移ろい落ちるが如し)」と呪った(※)はずだが、初期天皇には長寿が多い。 仁徳[14]が最後の長寿天皇で、wikipediaによれば110才で崩じたという。 神武[1]から継体[26]までの治世年数を書きだすと、 神武76 綏靖33 安寧38 懿徳34 孝昭83 孝安102 孝霊76 孝元57 開化60 崇神68 垂仁99 景行60 成務60 仲哀9 (神功69) 応神41 仁徳87 履中6 反正5(6) 允恭42 安康3 雄略23 清寧5 顕宗3 仁賢11 武烈8 継体23 仁徳以前では、仲哀[14]の治世9年が目立って短い。 履中[17…

  • 仲哀[14]は簒奪者

    記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。 wikipedia 両道入姫命 記紀ともに一致して記載している仲哀天皇の享年から計算できる生年(成務天皇18年・148年)が日本武尊の死去から36年後にあたるという矛盾を抱えており、日本武尊と仲哀天皇、そして両者をつなぐ存在である両道入姫命が本当に実在していたかどうかは不明である。 これを根拠に応神新王朝説を唱える向きが多いが、当ブログは仲哀[14]簒奪者説を提唱する。仲哀の子である忍熊王が素戔嗚を敬い、剱神社に祀った伝承から、仲哀および忍熊王は素戔嗚の後裔氏族である丹…

  • smalltalk - 孝昭[5]かも?

    孝昭[5]の和風諡号は觀松彦香殖稲(みまつひこかえしね)天皇。 皇后は尾張氏祖の世襲足媛。 wikipedia 天八現津彦命 八現津彦命[1]、観松彦伊侶止命(みまつひこいろとのみこと)、観松彦色止命、観松比古命、御間都比古命とも表記される。 父神は『諸系譜』において事代主神、『日本事物原始』では阿遅鉏高日子根神となっているが、いずれにしても大国主神の後裔とされた。 おそらく尾張氏のルーツは越中。 孝昭[5]が事代主後裔なら、越中国婦負郡の四隅突出型墳丘墓と関係するか? また自説変更すべきか。 欠史八代は、ヤマト建国神話の関係者を象徴する架空の人物? 綏靖[2] 神渟名川耳天皇 ――奴奈川 安…

  • 大物主=丹波大己貴=彦坐王

    科野安曇氏から越前八千矛が奪った草薙剱は天照へ献上されることなく、子の丹波大己貴に受け継がれ、垂仁の御代に丹波の大若子がこれを用いて、越中の狭穂彦・狭穂姫を討ったと、当ブログは考える。 草薙剱は現代、尾張国の熱田神宮が祀っている。 丹波勢からすれば熱田大神=天津甕星を抑えるためかもしれないが、尾張氏としては同族である狭穂彦や科野安曇氏の御魂を慰めているのだろう。 丹波大己貴は三穂津姫とともに丹波亀岡の出雲大神宮に祀られている。 国譲りの一書第二によれば、高皇産霊が娘の三穂津姫を娶らせたのは大物主だ。したがって大物主=丹波大己貴と考えられる。 wikipedia 丹波国造 出雲神話で有名な大国主…

  • 科野戸隠の九頭龍大神=八岐大蛇

    久比岐の伝承によれば、奴奈川姫の前夫は松本の豪族だという。 松本市の北に隣接する安曇野市に、穂高見と綿津見を祀る穂高神社がある。両市を流れる犀川は長野盆地へ抜けて千曲川(信濃川)に合流する。信濃川を下れば越後平野が広がり、天香山を祀る弥彦神社のご神体である弥彦山がある。 穂高見は、志賀島で綿津見を祀る阿曇氏祖の宇都志日金拆と同一とされる。 科野の安曇氏は日本海を航海して北陸各地と交流したと考えられ、それは栗林式土器に小松式土器の影響が見られることが裏付けになるだろう。 科野安曇氏が戸隠神社の九頭竜大神であるとして。 首に股が八つあれば頭は九つなのだから、八岐大蛇=九頭龍と推測できる。科野安曇氏…

  • smalltalk - 戸隠神社の九頭竜大神

    なんとなく地図を眺めて、科野の戸隠神社に九頭龍社を見つけ、思いだした。 子どものころ行ったことがある。 そして同行の大人から、ここに祀られている九頭龍大神は八千矛に殺された奴奈川姫の夫ではないか、という私説を聞いたと思う。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 10.市野々(いちのの)の地名 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られて…

  • 狭穂彦(阿彦峅)の謀反は濡れ衣

    喚起泉達録は江戸時代(享保、吉宗[8])に富山藩士の野崎伝助が著した越中郷土史。伝助の孫の野崎雅明は越中通史の肯構泉達録を著した(文化、家斉[11])。 上記二書は、越中の阿彦が大若子に退治される話を収録している。 国立国会図書館デジタルコレクション 肯構泉達録 喚起泉達録が記す阿彦について、ファンタジー色を抜いて大雑把にまとめると。 (1)北陸道へ派遣された大彦は、越中を手刀摺彦に任せ帰洛した。 (2)阿彦峅も走長に任じられたが、大彦の帰洛後はこれに従わず、民を虐げた。 (3)阿彦峅の姉の支那夜叉は越後黒姫山の邵天義に嫁ぎ支那太郎を生んだ。苛烈な気性の母子は、温厚な邵天義の殺害を企てたが察知…

  • smalltalk - 垂仁[11]=神八井耳、狭穂彦=越中阿彦峅

    神武東征までを上手くまとめたいのだが難しい。 それでつい脳みそが思索に逃げがちで一向に進まないのだが、逃げた先でひょっこり糸口っぽいものが見えたのでメモ。 狭穂彦=阿彦峅 垂仁皇后狭穂姫(妹)=支那夜叉(姉) 彦坐王(父、丹波道主の父でもある)=阿彦国主(父) 垂仁[11]=邵天義(久比岐黒姫山)=神八井耳 椎根津彦=椎摺彦 越中で祀られている大国主は、古くは阿彦国主=彦坐王だったのでは?

  • 自説の骨子2021春

    自説変更が積み重なって解読困難なブログになってきたので、神武東征まで読み終えて一段落した今、読むに堪えるテキストに構成しなおすことにした。改めて書き直したのち紛らわしい過去記事は、はてなブログから削除する。それらは忍者ブログに蓄積しておく。 2021/3/28 (ver.002) 日本書紀が描く倭国大乱 日本書紀の神代の誓約から国譲りまでは、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の神武紀の東征も、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の崇神紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 第一のコツ 「神は地域を表す」 第二のコツ 「北九州勢の戦果…

  • 自説再考

    当ブログは、素人がネット検索で得た知見を考察して書き綴っている。 ゆえに筆者が新たな知見を得たとき、それまで唱えていた自説を棄てて新しくすることが、ままある。筆者が素人であるゆえに、新たな知見に遭遇する頻度が高いのだから仕方なかろう。 そういうわけで、再考すべき箇所がまた複数見つかったので、一挙放出する。 吉備は独立した在来勢力 神武が吉備国に高嶋宮を建てたという記述から、吉備津彦は九州人ではないかと推測したが、これを改める。 先代旧事本紀 国造本紀 吉備中縣國造 瑞籬朝御世 神魂命 十世孫明石彦 定賜國造 神魂=神皇産霊。 古事記では、出雲大己貴になにかと便宜を図ってやる神。 神皇産霊が吉備…

  • smalltalk - 倭

    椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。 筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。 金印の印文は「委奴」の二字でイトと読む説もある。 翡翠を採集できた姫川下流はイトイガワ(糸魚川)。 これはこじつけか…… 稚日女は天照の妹分らしい。 日本書紀の稚日女には奴奈川姫が当てはまる。 「倭」の字は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろう。 そして記紀は、出雲大己貴、越前八千矛、大和葦原醜男(?)が大国主だと云う。 大国主は倭国大乱の敗者に関係すると考えるのが自然だろう。 大国主に「倭」の字を使わせるとは思えない。 倭大國魂神は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろ…

  • 伊勢は邇藝速日を祀っていた

    なにか見えてくるのではと思い、先代旧事本紀の国造本紀から神武[1]と崇神[10]の頃に定められた国造をピックアップしてみた。 ―――神武(橿原朝)――― 大倭国造:以椎根津彦命 初為大倭國造 葛城國造:以剱根命 初為葛城國造 凡河内國造:以彦己曾保理命 為凡河内國造 山城國造:阿多根命 為山代國造 伊勢國造:以天降天牟久怒命 孫天日鷲 勅定賜國造 素賀國造:始定天下時従侍来人名 美志印命 定賜國造/遠江国東部 紀伊國造:神皇産霊命 五世孫天道根命 定賜國造 宇佐國造:髙魂尊 孫宇佐都彦命 定賜國造 津島縣直:髙魂尊五世孫 健弥己己命 改為直 素賀(遠江国東部)について。 『伊勢国風土記』逸文に…

  • smalltalk - スピリチュアル視点で

    新潟から出土した遺物には、山陰から直接影響を受けた様子がない。 久比岐と出雲の関わりはごく浅いものだった。 この見解を発端に、日本書紀が描く倭国大乱を読み解いてきた。 崇神[10]紀にある倭迹迹日百襲姫の言葉。 吾聞 武埴安彥之妻吾田媛 密來之 取倭香山土 裹領巾頭而祈曰 是倭國之物實 乃反之 物實 此云望能志呂 吾は聞く 武埴安彦の妻の吾田媛 密(ひそか)に来る之 倭香山の土を取る 領巾(ひれ、女性が肩から垂らす細長い布)で頭を裹(果、つつ)みて祈り曰く 是は倭国の物実 乃ち之を反(かえ)す 物実 此れ云う望能志呂(ものしろ) 越後一宮弥彦神社の祭神は天<香山>だ。 倭国大乱後、久比岐海人族…

  • 鹿島勢は倭国大乱に関与してないかも?

    弥生中期以降、科野洲羽勢が広範な地域と交流していたことが、発掘された考古資料から推測されている。相模国三浦半島など、東京湾岸まで及んでいたようだ。 小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料ダウンロード フォーラム小松式土器の時代2「小松発・北陸新幹線ルートの弥生文化を探る」資料集[PDF] 第 12 図 変質輝緑岩製 ( 榎田型 ) 磨製石斧と栗林2式新段階の分布 :60/79ページ 世の常として、交流は必ずしも友好関係を築けるとは限らない。 出雲国譲りとは一切関係ない理由で、場所で、時期に、科野洲羽勢(建御名方)と鹿島勢(武甕雷)は敵対したのかもしれない。 武御雷は、春日大社に勧請されたこと…

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