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天香山命と久比岐のあれやこれや https://koshi-areyakoreya.hatenablog.com/

素人がネットを検索しまくり天香山命と久比岐について探ってみる。

以前やっていたブログ「天香山命あれやこれや」をバージョンアップしました。

比佐家
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2020/03/15

1件〜100件

  • 安倍仲麿の歌について仮説

    天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 753年に安倍仲麿が詠んだ歌。仲麿(仲麻呂)は阿倍比羅夫の孫。比羅夫は越国守や大宰帥を務めた。安倍氏は大彦の子孫と伝わる(異説あり)。 あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長い仁徳[16]まで) ふりさけみれば →振り裂けみれば →振り裂けるように終わってみれば かすが →春日和珥氏(忍熊王討伐・両面宿儺討伐を行った和珥武振熊の子孫) なる →成る →成りあがる みかさのやまにいでしつき →三笠山(奈良盆地の北東。のち768年に春日大社が西麓に造営)に出る月 奈良盆地の南東にある三輪山は神々の時代から続く太陽信仰。祭…

  • 天日別と天兒屋について仮説

    藤原不比等が春日大社を創祀。春日大社の祭神は武甕槌・経津主・天兒屋・比売神。比売は天兒屋の妃神と伝わる。 春日和珥氏と皇統の関わり 中臣佐久が改名して米餅搗大使主になったと、阿波国続風土記に記されている。 wikipedia 米餅搗大使主 脚注 出典の3 「仁徳紀十三年秋九月始立茨田屯倉因定 此ヨリ以前ハ中臣佐久命ニテ舂米部起テヨリ米餅舂大使主ト称フ事明ナリ」『阿波国続風土記』5巻、大麻比古神社項。 阿波国造(成務[13])および粟国造(応神[15])は忌部氏。忌部氏の斎部広成が古語拾遺を著しており、中臣氏を糺す意欲があったと考えられる。 wikipedia 古語拾遺 内容より 記紀とは異なる…

  • 第六代孝安天皇について改訂

    欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。 孝安[6]の和風諡号は「日本足彦国押人天皇」である。孝元[8]の和風諡号が「大日本根子彦国牽天皇」であり、「国牽」は「国押」と対になる。 「国牽」が国引き神話を連想させることから、孝元[8]は杵築大己貴を推定した。そこでもう一人の大己貴、丹波大己貴が孝安[6]に該当するのではと当初は予測した。 だがしかし、丹波大己貴は孝霊[7]のほうがふさわしい。孝霊[7]の和風諡号は「大日本根子彦太瓊天皇」であり、「太瓊」が垂仁[11]紀の逸話にある「丹波のムジナの腹から出た八尺瓊勾玉…

  • 倭国大乱について仮説

    応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか? 垂仁[11]から仁徳[16]までの即位順と親子関係は、史実と異なるかもしれない。垂仁は仲哀[14]と同世代の4世紀か? 景行紀は九州の動乱を多く記す。景行[12]は、2世紀後期の人物とは考えられないか? 倭国大乱 畿内説 倭国大乱 九州説 2世紀中期 158年 天岩戸日食 158年 天岩戸日食逐降(素戔嗚放逐)=国見岳八十梟帥討伐=武埴安彦討伐兄磯城討伐、長髄彦討伐大彦=後半の神武[1]、椎根津彦 2世紀後期 …

  • 誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

    釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大系. 第7巻 釈日本紀巻第十三 第十七 男大迹王。譽田天皇五世孫。彦主人王子也。母曰振姫。:コマ番号354/484 継体[26]系図 上記デジタル書籍より転写 倭氏系図は、市磯長尾市の孫世代に都彌自足尼を記す。市磯長尾市は崇神[10]紀・垂仁[11]紀に記される人物。国造本紀によれば、都彌自足尼は応神[15]朝に明石国造になっている。 先代旧事本…

  • 神武東征(日向出立~八咫烏)について仮説

    【Attention!】頭を柔らかくして考察してください。 素戔嗚には出雲国熊野大社(櫛御気野)と越前国劔神社(八千戈)の二柱がいる。大己貴には出雲国杵築大社(現・出雲大社)と丹波国出雲大神宮の二柱がいる。襲津彦(ソツヒコ)は幸彦(サチヒコ)であり、海幸彦と山幸彦の二柱がいる。 仲哀[14]=海幸彦。神功紀六十二年が記す百済記逸文の沙至比跪も同一存在の可能性がある。また、日向襲津彦(阿牟君の祖)も同一存在の可能性がある。 豊戸別(火国別の祖)=山幸彦。山幸彦 ── 鸕鶿草葺不合 ── 五瀬・稲飯・三毛入野・磐余彦(神武[1]) 長髄彦との初戦で矢傷を負い薨去した五瀬=住吉仲皇子。長髄彦の軍勢=…

  • 出雲大社(杵築大社)に思うこと

    当ブログの『建国神話を読む』シリーズをしっかり読んでくださらない方々は意外に思われるだろうが、現在、ブログ筆者である比佐安田に出雲大社(杵築大社)を批判する意図は一切ない。 なぜなら出雲大社の有りようは高志や丹波の伝承と融和するからだ。筆者が批判しているのは、江戸後期に台頭した西国出身の維新志士が解釈を歪めてしまったこと、そして戦後から左巻きがその歪みを悪用していることである。 日本書紀神代上の巻末(第八段の一書第六)には、大己貴が大物主と邂逅するエピソードが記されている。この部分の著者は出雲大社に縁のある人物だろうと筆者は考える。冒頭に列記される大国主の別名のなかで、大己貴だけが「命」である…

  • 景行と成務と仲哀について仮説

    景行[12]と仲哀[14]は九州へ赴き、熊襲を討伐している。うろ覚えなのだが、この頃の力関係は筑紫(北九州勢)のほうが上だった説を、何時だったか誰かが言っているのを聞いた気がする。 景行は自身が筑紫入りするまえに使者を送って様子をみる。神夏磯媛は賢木に剱と鏡と瓊を掛けて使者を迎える。仲哀が筑紫に幸したときは、熊鰐が船の舳にたてた賢木に鏡と剱と瓊を掛けて出迎える。 この説では、景行と仲哀が筑紫に恭順したことを、剱・鏡・瓊の神器を暗喩に使って表しているという。皇統の正当性を謳うための歴史書に、天皇が人間に頭を下げたとは書けないから、神器を崇めたことにした。 さらに伊睹(イト)国の五十迹手は賢木に掛…

  • 襲津彦についての仮説

    仮説 ――当ブログでは「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、表題に仮説と謳うこの記事などは、眉に唾して読むことを推奨する。 襲津彦には葛城の他にも一人、景行[12]皇子の日向襲津彦がいる。母は日向髪長大田根。日向国の益安神社に祀られている。 宮巡 宮崎県神道青年会 益安神社(ますやすじんじゃ) 景行[12]紀 次妃日向髮長大田根 生日向襲津彥皇子 是阿牟君之始祖也 次妃の日向髪長大田根 生む日向襲津彦皇子 是は阿牟君の始祖也 景行紀は、日向襲津彦が阿牟君の祖であると記す。阿牟君を阿武国造(山口県萩市/阿武郡、長門国西部)と同一視できるだろうか?阿武国造は景行のころ任命された神魂の後裔だ。 カ…

  • smalltalk - おすすめ動画

    とても勉強になる動画。公開から半年経っても15,000回視聴に届かないのはもったいない。 youtube 富士市 令和2年度 浅間古墳調査報告会

  • 伊勢内宮についての仮説

    当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。たとえば、この記事のような類いである。 何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体が埋まっている」というオカルト話を読んだ。垂仁[11]紀にある殉死者のご遺体だと云う。 垂仁[11]紀 二十八年冬十月丙寅朔庚午 廿八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟倭彥命薨 十一月丙申朔丁酉 葬倭彥命于身狹桃花鳥坂 於是 集近習者 悉生而埋立於陵域 數日不死 晝夜泣吟 遂死而爛臰之 犬烏聚噉焉 二十八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟の倭彦命が薨(みまか)る 十一月…

  • 四道将軍武渟川別の痕跡

    千葉県市原市にある神門5・4・3号墳は、3世紀半ば築造の前方後円墳と目されている。市原市の辺りは上海上国造か菊麻国造と思われ、どちらも成務[13]朝の任命で天穂日後裔だ。 千葉県 神門5号墳 神門5号墳 概要 2021年9月転写 これら3基の古墳から出土した土器に、在来の土器に混じって、近畿・東海・北陸地方の系譜をもつ土器が数多く含まれることから、外来的な要素の強い古墳としても注目されている。 先代旧事本紀巻十 国造本紀 上海上国造志賀高穴穂朝 天穂日命 八世孫忍立化多比命 定賜国造 菊麻国造志賀高穴穂朝 无邪志国造祖兄多毛比命 兒大鹿国直 定賜国造 これまで神門古墳群の存在を知らなかったので…

  • 伊勢神功の外宮と内宮

    むかし、伊勢の内宮と外宮は争っていた。 内宮は中臣氏。 外宮は度会氏。 日本書紀の建国神話を読み解いた結果、中臣氏に関わる「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田」の貢献は、どうも嘘くさい。多大な実績があるなら中臣氏も大連か大臣に就いてもよさそうなものだろう。 外宮の祭神である豊受大神は、もとは丹後の籠神社に祀られていた。 籠神社の海部氏系図は内容を疑問視されているが、そのうちの幾つかは、高倉下が越中東部の豪族であり、東海の尾張氏は傍流であると認めれば解消できそうだ。 外宮の度会氏は丹波国造の同族とされる。 wikipediaによれば丹波国造にも、但遅麻国造同祖(彦坐王後裔)説と尾張氏同祖(高倉…

  • smalltalk - 彦根

    和様建築を見たくなって、滋賀県の西明寺を拝観したときのこと。 うろ覚えなのだが、地元タクシーの運転手さんが、大昔の彦根はハブ港だったと仰っていたと思う。曖昧な記憶だが、たぶん聞いた。 あれは五男神の天津彦根と活津彦根のことを言っておられたのではないかと思う。 西明寺は建築も庭も素晴らしい山寺でした。

  • 建国神話余話 誓約の五男神

    神代上第六段(誓約)で誕生する五男神は、順序こそ違うが、顔ぶれは変わらない。 一書第三は五柱に熯之速日を加え、六男神としている。この熯之速日は、神代下第九段(国譲り)本伝に武甕槌の親として登場する。 本伝 一書第一 一書第二 一書第三 天忍穂耳天穂日天津彦根活津彦根熊野櫲樟日 天忍骨天津彦根活津彦根天穂日熊野忍蹈 天穂日天忍骨天津彦根活津彦根熊野櫲樟日 天忍穂耳天穂日天津彦根活津彦根熯之速日熊野忍蹈 神代下第九段 国譲りと天孫降臨 本伝 是後 高皇産靈尊 更會諸神 選當遣於葦原中國者 曰 磐裂 磐裂 此云以簸娑窶 根裂神之子磐筒男磐筒女所生之子經津 經津 此云賦都 主神 是將佳也 時 有天石窟…

  • 建国神話余話 関東の国譲り

    神代下第一段(国譲り)の一書第二は、高皇産霊が大己貴に「當主汝祭祀者天穗日命」と言い、天穂日が大己貴を祀ることを約束する。 天穂日は、誓約で誕生した五男神(六男神)の一柱である。 本伝は、天穂日に「是出雲臣土師連等祖也」、天津彦根に「是凡川内直山代直等祖也」と添書きする。先代旧事本紀巻十の国造本紀によると、この二柱の後裔から多くの国造が輩出されている。その内訳は関東に多い。 天穂日は、无邪志・上海上・伊甚・菊麻・阿波・新治・高/成務[13]、下海上/応神[15]の国造に任じられている。 天津彦根は、師長・須恵・馬来田・筑波/成務[13]、胸刺/記載なし、茨城・道口岐閇/応神[15]の国造に任じ…

  • 建国神話余話 洲羽神話のモリヤ

    洲羽の伝承では、建御名方が地元の神である洩矢(守屋大臣)を打ち負かして入植したという。この伝承の元になる史実として、ふたつの可能性が考えられるだろう。 訪史料データベース 諏訪信重解状 『諏訪信重解状』とは 上記リンク先より2021年8月転写 諏訪大社上社の大祝(おおほうり)を務めた諏訪(諏方)家に伝わる文書の中に、13世紀半ばに上社の大祝を務めた諏訪信重(すわ のぶしげ)が諏訪下社の大祝・金刺盛基の訴えに対して、諏訪社の本宮は上社であることを主張して鎌倉幕府へ提出したと言われる解状(げじょう、原告が裁判所に提出する上申書・訴状)がある。それが宝治3年(1249年)3月の奥書を持つ『諏訪信重解…

  • 反九州の気運

    前回の要点: 狭穂彦=阿彦=天津甕星、狭穂姫=支那夜叉、支那太郎=誉津別。 草薙剱は越前素戔嗚から子孫の丹波大己貴へ渡り、阿彦討伐に使われた。 同じ頃、科野と関東が争い、饒速日勢が科野を援けて関東勢を退けた。しかし記紀はなぜか八綱田(関東勢)が狭穂彦を討伐したと記して、丹波の勝利を横取りしている。 伊弥頭(越中西部)・三国・江沼(越前)国造は蘇我氏であり、上宮記は凡牟都和希王が継体[26]の祖と記す。 神代下第二段 海幸山幸: 兄の火闌降(海幸)と弟の彦火火出見(山幸)が試しに幸を交換してみたら、どちらも利を得なかった。悔やみつつ兄は弟に弓矢を返し、釣針を返すよう求めるが、釣針を紛失した弟は返…

  • 天津甕星と狭穂彦と越中阿彦

    前回の要点: 武渟川別の東海道派遣は、科野と関東の交流を投影したもの。 協調派と対立派に意見が割れていた丹波では、国譲りののち対立派が優勢になり、日本武と仲哀による九州出兵が起きた。九州から武振熊が来て仲哀庶子の忍熊王を討伐して以降、丹波は衰退する。九州は翡翠産地に入り込んだ丹波の血筋も排除した。これが両面宿儺であり、椎根津彦嫡流の久比岐青海氏は消失する。この抗争の敗者が大物主であり、祭主の三輪氏は久比岐青海氏の流れを汲む。 崇神は個人としても勢力としても実在しない。 「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田・御諸別」は敵対勢力。 越中西部の首長が観松彦・観松姫であり、事代主後裔にあたる。綏靖[…

  • 崇神非実在説

    前回の要点: 淡路の大彦を夫にした久比岐の女性が武渟川別を生む。 大彦が初代神武天皇で、武渟川別が第二代綏靖天皇(神渟名川耳天皇)。 椎根津彦嫡流の久比岐青海氏から分家して近畿へ移住した人々が倭氏。 饒速日は伊勢津彦であり、科野へ移住した。 第三代安寧天皇から第九代開化天皇までは神武(大彦)の子孫ではないが、ヤマト建国神話で活躍した実在の人物が列記されている。 四道将軍 武埴安彦討伐は国見岳八十梟帥討伐であり、四道将軍の大彦は神武、武渟川別は綏靖、吉備津彦は吉備の首長、丹波道主は丹波の首長と考える。 東海道へ派遣されたと記される武渟川別だが、おそらく行ってないだろう。考古出土品から、弥生末期に…

  • 綏靖、並びに欠史八代

    前回の要点: 天稚彦=兄磯城=彦湯支。味耜高彦根=弟磯城=味饒田。 神武(淡路)と椎根津彦(久比岐)が共闘して兄磯城を挟み撃ちにする。丹波大己貴の国譲りとは、このとき淡路・久比岐との対立を避けて素通りさせたこと。 淡路勢と対立する長髄彦は葦原醜男と須世理毘売の子孫。 媛蹈韛五十鈴媛 神武は橿原に宮を造営したのち高貴な女性を求める。進言を受けて媛蹈韛五十鈴媛を正妃に迎え、自身の天皇即位にあわせ皇后とする。 媛蹈韛五十鈴媛の父には大物主説と事代主説があり、神代上第八段(八岐大蛇)一書第六は双方の説を記す。大物主にしろ事代主にしろ越前素戔嗚の子孫なので、この違いにこだわる必要はないだろう。 このエピ…

  • 畿内平定

    前回の要点: 国譲りの大己貴は、本伝は丹波大己貴、一書第二は杵築大己貴のこと。 共通して登場する天穂日および経津主と武甕槌は杵築大己貴に関与した。丹波大己貴には関与してないが、本伝にも登場させることで本来は異なる大己貴を同一存在であるかのように偽装した。 古事記が記す建御名方と武甕槌の勝負は、大己貴の国譲りとは一切関係ない関東で起きた出来事を元にした創作。 味饒田と彦湯支 自宅へ来訪して鳴く使者の鳥に矢を撃つエピソードの類似性から、天稚彦と兄磯城は同一と推測する。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝 於是 高皇産靈尊 賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢 以遣之 此神亦不忠誠也 來到 即娶顯國玉之女子…

  • 国譲り神話

    前回の要点: 日本海を航行した科野安曇氏が八岐大蛇であり、草薙剱の所有者。 八岐大蛇退治は逐降の原因。 時系列を逆転させて美談に転換したのは、山陰出雲に受け入れてもらうため。素戔嗚を山陰出雲に関連づけることで翡翠の産地を隠匿した。 神代下第一段 国譲りと天孫降臨 本伝: 高皇産霊が孫の瓊瓊杵を葦原中国の主にすべく天穂日を降ろすが音沙汰なく、次いで降ろした天稚彦も音沙汰なくて、無名雉を催促に遣わす。天稚彦は天探女の讒言を聞いて無名雉を射殺し、その矢が反矢となって天稚彦を射殺す。葬儀に弔問した友人の味耜高彦根は容姿が天稚彦と似ていたため遺族に故人と間違われ憤慨する。 高皇産霊は経津主と武甕槌を降ろ…

  • 八岐大蛇

    前回の要点: 丹生川上の祭祀で使用した土器の原料を採取したところの地名「埴安」は、武埴安彦を暗示するキーワード。 武埴安彦討伐と国見岳八十梟帥討伐と逐降は、同一の事変を描いている。 大彦=神武=高皇産霊 武埴安彦=国見岳八十梟帥=大国主(※) 大物主=八千矛=素戔嗚(※) 倭迹迹日百襲姫=奴奈川姫=稚日女 ※武埴安彦=国見岳八十梟帥と大物主=八千矛=素戔嗚は同一と云えるが、登場するエピソードの主旨が異なるため分割した。 大物主は、素戔嗚を祖として大己貴を後裔とする氏族が治める地方勢力。 天岩戸日食は158年の日入帯食であり、阿波国の天磐戸神社が元ネタ。 神代上第八段 八岐大蛇: 天より降った素…

  • 逐降と国見岳と埴安(2)

    前回の要点: 神武は高皇産霊。国見岳八十梟帥は大国主、兄磯城も大国主。 越前の丹生山地と国見岳は素戔嗚ゆかりの地。 素戔嗚の狼藉が原因で神退った稚日女は、高志と瀬戸内をむすぶ経路(琵琶湖・淀川)を活動域にしていた息長氏に縁がある。 天岩戸で諸神が講じた策と、丹生川上で神武が行った祭祀は、天香山と真坂樹が共通する。天香山は弥彦神社祭神の名でもある。 埴安 神武[1]紀の末尾、東征を締めくくり即位するエピソードの直前に「或曰(或るいは曰く)」として、天香山の埴土を取った場所を「埴安」と云うとある。 神武[1]紀 己未年春二月壬辰朔辛亥 或曰(或るいは曰く) 天皇 以前年秋九月 潛取天香山之埴土 以…

  • 逐降と国見岳と埴安(1)

    前回の要点: 誓約で生まれた五男神は瀬戸内を指し、宇佐対馬間の三女神と合わせ、朝鮮半島から鉄ていを仕入れる交易路を表す。 鍛冶技術を携え入植した淡路勢は、翡翠の産地である久比岐勢と交流していた。 これより前、日向から伊勢に入植した饒速日勢は、同じく翡翠の産地である越前東部から東海に入植した尾張勢と交流を持ち、兄猾を討って畿内勢に対する強い影響力を得た。 物語は神武の吉野巡幸をもって一区切りとする。続く国見岳からは新章に入る。 神代上第七段 逐降と天岩戸: 高天原で数々の狼藉を働く素戔嗚を許容できなくなった天照が岩戸に籠り、闇に閉ざされた世界を憂える諸神が策を講じて岩戸から天照を引きだして、素戔…

  • ヤマト建国前夜の畿内

    前回の要点: 誓約で生まれた三女神は、宇佐と対馬をむすぶ交易路を司る。 素戔嗚は、狗邪韓国を象徴する。 誓約で生まれた五男神(一書第三は六男神) 三女神が宇佐と対馬をむすぶ交易路ならば、同時に生まれた五男神もそれに類する存在だろうと予測すると、瀬戸内海が思い当たる。 2004年(平成16年)台風23号により淡路島は被災した。その後の普及事業において埋蔵文化財の調査が行われ、五斗長垣内遺跡にて2世紀頃と目される鍛冶の痕跡が確認された。 淡路市 五斗長垣内遺跡発掘調査報告書について 第1章 第2章 淡路島日本遺産 五斗長垣内遺跡と出土品 日立金属 たたらの話 製鉄の始まり 製鉄云々に関しては賢い学…

  • 素戔嗚と三女神

    第五段(神産み)では、さまざまな神と三貴子(天照、月読、素戔嗚)が誕生する。三貴子は、本伝と一書第二では伊弉諾と伊弉冉の両親から、一書第一と第六(黄泉戸喫)では伊弉諾の片親から生まれるが、どちらにせよ素戔嗚は乱暴な気性ゆえに、親により根国へ追放される。 続く第六段(誓約)では、根国へ行く前に姉に会おうと考えた素戔嗚が、高天原を訪ねる。高天原を奪いに来たのではと疑う天照と、悪意はないと主張する素戔嗚が誓約した結果、三女神と五男神(一書第三は六男神)が生まれ、素戔嗚の主張が通る。 誓約で生まれた三女神 現代の宗像大社は、沖ノ島にある沖津宮に田心姫、大島にある中津宮に湍津姫、九州本土にある辺津宮に市…

  • smalltalk - おすすめ動画

    GOODボタンをポチ。 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 中編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 後編【真・日本の歴史】 韓国人が日本の文明を造ったという大嘘 前編【真・日本の歴史】

  • 自説の骨子 2021夏

    神代紀の誓約から国譲りまでは、倭国大乱を描いている。 神武[1]紀の東征は、倭国大乱のころの近畿地方と中部地方を描いている。 崇神[10]紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 コツを押さえれば日本書紀は、ヤマト建国の立役者は淡路勢と久比岐勢であると読める。それを読めなくさせた要因は3つ。 (1) 久比岐(糸魚川)が翡翠の産地であることを忘れた。 (2) 淡路島に先進的な製鉄施設が存在したことを忘れた。 (3) 古事記の嘘に振り回された。 (1)は昭和初期、(2)は平成半ばに発見・認知されたため、もはや障壁たりえない。 残る問題は(3)の…

  • 事代主は淡路・久比岐勢に同調した

    国譲り本伝(※)で事代主は海に隠れる。一般にこれを自死と解釈するようで、当ブログもそれに順じていたのだが、この既成概念からも脱しようと思う。 日本書紀 国譲り 本伝 故 以熊野諸手船 亦名天鴿船 載使者稻背脛 遣之 而 致高皇産靈尊勅於事代主神 且問將報之辭 時 事代主神 謂使者曰 今天神有此借問之勅 我父宜當奉避 吾亦不可違 因於海中造八重蒼柴 柴 此云府璽 籬 蹈船枻 船枻 此云浮那能倍 而 避之 故 熊野諸手船を以て 亦の名を天鴿船 使者の稲背脛を載せる 之に遣わす 而 事代主神に高皇産霊尊の勅を致す 且つ将報の辞を問う 時 事代主神 使者に謂い曰く 今し天神は此の借問の勅有り 我が父は…

  • 歪められた古代越中史

    記紀神話がどのように記そうと、越前の剱神社は素戔嗚を称えている。飛騨の両面宿儺(※)も地元では慕われている。地元とはそういうものだと思うし、そうあるべきとも思う。 そういう点で、喚起泉達録が記す阿彦の伝承は気分の良いものではない。なぜ地元の阿彦が悪しざまに語られねばならないのか。若干の不快感さえ覚える。 この伝承はおそらく余所者の視点で語られているのだろう。 これを、泉達録がもてはやす大若子や大己貴が属する丹波勢の視点とするなら話は単純だが、応神[15]以降の丹波はおとなしい。阿彦討伐は垂仁[11]御代の出来事だから、丹波が越中に干渉できたと思われる期間は三、四世代しかない。地元の言い伝えを捻…

  • 自説変更:再戦時の長髄彦=伊勢津彦

    3/6に「再戦時の長髄彦=国譲りの大国主」という記事を書いたが、取り消す。 たびたび出雲贔屓を非難してきたくせに、その影響下から私もまだ抜け出せていなかった。既成概念を払拭することは斯くも難しい。 大国主は皇統と対立したはずという思い込みから、杵築大己貴が経津主である物部氏に討伐されるストーリーを想定していた。これが間違いの元だ。宇摩志麻遅が山陰で討伐した凶賊が、杵築大己貴と対立する勢力である可能性を考えるべきだったのに、思いつきさえもしなかった。 石見国一宮 物部神社 御由緒 御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一…

  • 僭上者の治世は短い

    磐長姫が「其生兒 必如木花之移落(其の生す兒 必ず木花の移ろい落ちるが如し)」と呪った(※)はずだが、初期天皇には長寿が多い。 仁徳[14]が最後の長寿天皇で、wikipediaによれば110才で崩じたという。 神武[1]から継体[26]までの治世年数を書きだすと、 神武76 綏靖33 安寧38 懿徳34 孝昭83 孝安102 孝霊76 孝元57 開化60 崇神68 垂仁99 景行60 成務60 仲哀9 (神功69) 応神41 仁徳87 履中6 反正5(6) 允恭42 安康3 雄略23 清寧5 顕宗3 仁賢11 武烈8 継体23 仁徳以前では、仲哀[14]の治世9年が目立って短い。 履中[17…

  • 仲哀[14]は簒奪者

    記紀は仲哀[14]を、日本武と両道入姫命(垂仁[11]皇女)の子で、成務[13]の甥と記すが、誕生年の問題が指摘されている。 wikipedia 両道入姫命 記紀ともに一致して記載している仲哀天皇の享年から計算できる生年(成務天皇18年・148年)が日本武尊の死去から36年後にあたるという矛盾を抱えており、日本武尊と仲哀天皇、そして両者をつなぐ存在である両道入姫命が本当に実在していたかどうかは不明である。 これを根拠に応神新王朝説を唱える向きが多いが、当ブログは仲哀[14]簒奪者説を提唱する。仲哀の子である忍熊王が素戔嗚を敬い、剱神社に祀った伝承から、仲哀および忍熊王は素戔嗚の後裔氏族である丹…

  • smalltalk - 孝昭[5]かも?

    孝昭[5]の和風諡号は觀松彦香殖稲(みまつひこかえしね)天皇。 皇后は尾張氏祖の世襲足媛。 wikipedia 天八現津彦命 八現津彦命[1]、観松彦伊侶止命(みまつひこいろとのみこと)、観松彦色止命、観松比古命、御間都比古命とも表記される。 父神は『諸系譜』において事代主神、『日本事物原始』では阿遅鉏高日子根神となっているが、いずれにしても大国主神の後裔とされた。 おそらく尾張氏のルーツは越中。 孝昭[5]が事代主後裔なら、越中国婦負郡の四隅突出型墳丘墓と関係するか? また自説変更すべきか。 欠史八代は、ヤマト建国神話の関係者を象徴する架空の人物? 綏靖[2] 神渟名川耳天皇 ――奴奈川 安…

  • 大物主=丹波大己貴=彦坐王

    科野安曇氏から越前八千矛が奪った草薙剱は天照へ献上されることなく、子の丹波大己貴に受け継がれ、垂仁の御代に丹波の大若子がこれを用いて、越中の狭穂彦・狭穂姫を討ったと、当ブログは考える。 草薙剱は現代、尾張国の熱田神宮が祀っている。 丹波勢からすれば熱田大神=天津甕星を抑えるためかもしれないが、尾張氏としては同族である狭穂彦や科野安曇氏の御魂を慰めているのだろう。 丹波大己貴は三穂津姫とともに丹波亀岡の出雲大神宮に祀られている。 国譲りの一書第二によれば、高皇産霊が娘の三穂津姫を娶らせたのは大物主だ。したがって大物主=丹波大己貴と考えられる。 wikipedia 丹波国造 出雲神話で有名な大国主…

  • 科野戸隠の九頭龍大神=八岐大蛇

    久比岐の伝承によれば、奴奈川姫の前夫は松本の豪族だという。 松本市の北に隣接する安曇野市に、穂高見と綿津見を祀る穂高神社がある。両市を流れる犀川は長野盆地へ抜けて千曲川(信濃川)に合流する。信濃川を下れば越後平野が広がり、天香山を祀る弥彦神社のご神体である弥彦山がある。 穂高見は、志賀島で綿津見を祀る阿曇氏祖の宇都志日金拆と同一とされる。 科野の安曇氏は日本海を航海して北陸各地と交流したと考えられ、それは栗林式土器に小松式土器の影響が見られることが裏付けになるだろう。 科野安曇氏が戸隠神社の九頭竜大神であるとして。 首に股が八つあれば頭は九つなのだから、八岐大蛇=九頭龍と推測できる。科野安曇氏…

  • smalltalk - 戸隠神社の九頭竜大神

    なんとなく地図を眺めて、科野の戸隠神社に九頭龍社を見つけ、思いだした。 子どものころ行ったことがある。 そして同行の大人から、ここに祀られている九頭龍大神は八千矛に殺された奴奈川姫の夫ではないか、という私説を聞いたと思う。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 10.市野々(いちのの)の地名 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られて…

  • 狭穂彦(阿彦峅)の謀反は濡れ衣

    喚起泉達録は江戸時代(享保、吉宗[8])に富山藩士の野崎伝助が著した越中郷土史。伝助の孫の野崎雅明は越中通史の肯構泉達録を著した(文化、家斉[11])。 上記二書は、越中の阿彦が大若子に退治される話を収録している。 国立国会図書館デジタルコレクション 肯構泉達録 喚起泉達録が記す阿彦について、ファンタジー色を抜いて大雑把にまとめると。 (1)北陸道へ派遣された大彦は、越中を手刀摺彦に任せ帰洛した。 (2)阿彦峅も走長に任じられたが、大彦の帰洛後はこれに従わず、民を虐げた。 (3)阿彦峅の姉の支那夜叉は越後黒姫山の邵天義に嫁ぎ支那太郎を生んだ。苛烈な気性の母子は、温厚な邵天義の殺害を企てたが察知…

  • smalltalk - 垂仁[11]=神八井耳、狭穂彦=越中阿彦峅

    神武東征までを上手くまとめたいのだが難しい。 それでつい脳みそが思索に逃げがちで一向に進まないのだが、逃げた先でひょっこり糸口っぽいものが見えたのでメモ。 狭穂彦=阿彦峅 垂仁皇后狭穂姫(妹)=支那夜叉(姉) 彦坐王(父、丹波道主の父でもある)=阿彦国主(父) 垂仁[11]=邵天義(久比岐黒姫山)=神八井耳 椎根津彦=椎摺彦 越中で祀られている大国主は、古くは阿彦国主=彦坐王だったのでは?

  • 自説の骨子2021春

    自説変更が積み重なって解読困難なブログになってきたので、神武東征まで読み終えて一段落した今、読むに堪えるテキストに構成しなおすことにした。改めて書き直したのち紛らわしい過去記事は、はてなブログから削除する。それらは忍者ブログに蓄積しておく。 2021/3/28 (ver.002) 日本書紀が描く倭国大乱 日本書紀の神代の誓約から国譲りまでは、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の神武紀の東征も、倭国大乱について書いてある。 日本書紀の崇神紀には、神武東征の記述を改竄したような倭国大乱の記述がある。 これを読み解くにはコツが必要だ。 第一のコツ 「神は地域を表す」 第二のコツ 「北九州勢の戦果…

  • 自説再考

    当ブログは、素人がネット検索で得た知見を考察して書き綴っている。 ゆえに筆者が新たな知見を得たとき、それまで唱えていた自説を棄てて新しくすることが、ままある。筆者が素人であるゆえに、新たな知見に遭遇する頻度が高いのだから仕方なかろう。 そういうわけで、再考すべき箇所がまた複数見つかったので、一挙放出する。 吉備は独立した在来勢力 神武が吉備国に高嶋宮を建てたという記述から、吉備津彦は九州人ではないかと推測したが、これを改める。 先代旧事本紀 国造本紀 吉備中縣國造 瑞籬朝御世 神魂命 十世孫明石彦 定賜國造 神魂=神皇産霊。 古事記では、出雲大己貴になにかと便宜を図ってやる神。 神皇産霊が吉備…

  • smalltalk - 倭

    椎根津彦の後裔が倭氏を名乗った。 筑前志賀島から出土した金印の印文「漢委奴国王」の委は、倭とする説が主流だ。 金印の印文は「委奴」の二字でイトと読む説もある。 翡翠を採集できた姫川下流はイトイガワ(糸魚川)。 これはこじつけか…… 稚日女は天照の妹分らしい。 日本書紀の稚日女には奴奈川姫が当てはまる。 「倭」の字は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろう。 そして記紀は、出雲大己貴、越前八千矛、大和葦原醜男(?)が大国主だと云う。 大国主は倭国大乱の敗者に関係すると考えるのが自然だろう。 大国主に「倭」の字を使わせるとは思えない。 倭大國魂神は倭国大乱の勝者に関係すると考えるのが自然だろ…

  • 伊勢は邇藝速日を祀っていた

    なにか見えてくるのではと思い、先代旧事本紀の国造本紀から神武[1]と崇神[10]の頃に定められた国造をピックアップしてみた。 ―――神武(橿原朝)――― 大倭国造:以椎根津彦命 初為大倭國造 葛城國造:以剱根命 初為葛城國造 凡河内國造:以彦己曾保理命 為凡河内國造 山城國造:阿多根命 為山代國造 伊勢國造:以天降天牟久怒命 孫天日鷲 勅定賜國造 素賀國造:始定天下時従侍来人名 美志印命 定賜國造/遠江国東部 紀伊國造:神皇産霊命 五世孫天道根命 定賜國造 宇佐國造:髙魂尊 孫宇佐都彦命 定賜國造 津島縣直:髙魂尊五世孫 健弥己己命 改為直 素賀(遠江国東部)について。 『伊勢国風土記』逸文に…

  • smalltalk - スピリチュアル視点で

    新潟から出土した遺物には、山陰から直接影響を受けた様子がない。 久比岐と出雲の関わりはごく浅いものだった。 この見解を発端に、日本書紀が描く倭国大乱を読み解いてきた。 崇神[10]紀にある倭迹迹日百襲姫の言葉。 吾聞 武埴安彥之妻吾田媛 密來之 取倭香山土 裹領巾頭而祈曰 是倭國之物實 乃反之 物實 此云望能志呂 吾は聞く 武埴安彦の妻の吾田媛 密(ひそか)に来る之 倭香山の土を取る 領巾(ひれ、女性が肩から垂らす細長い布)で頭を裹(果、つつ)みて祈り曰く 是は倭国の物実 乃ち之を反(かえ)す 物実 此れ云う望能志呂(ものしろ) 越後一宮弥彦神社の祭神は天<香山>だ。 倭国大乱後、久比岐海人族…

  • 鹿島勢は倭国大乱に関与してないかも?

    弥生中期以降、科野洲羽勢が広範な地域と交流していたことが、発掘された考古資料から推測されている。相模国三浦半島など、東京湾岸まで及んでいたようだ。 小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料ダウンロード フォーラム小松式土器の時代2「小松発・北陸新幹線ルートの弥生文化を探る」資料集[PDF] 第 12 図 変質輝緑岩製 ( 榎田型 ) 磨製石斧と栗林2式新段階の分布 :60/79ページ 世の常として、交流は必ずしも友好関係を築けるとは限らない。 出雲国譲りとは一切関係ない理由で、場所で、時期に、科野洲羽勢(建御名方)と鹿島勢(武甕雷)は敵対したのかもしれない。 武御雷は、春日大社に勧請されたこと…

  • 諏訪神話も倭国大乱を伝える

    まず、当ブログのスタンスをおさらいしておく。 古事記の国譲り神話は全くの虚偽であり、建御名方は出雲大国主の子ではないと考える。根拠は、八千矛が越前平野の首長と考えられることや、出雲国風土記ですら大国主の子に建御名方を含めないことだ(過去記事:道臣が忍坂で討った土雲八十建=八千矛)。 建御名方が久比岐勢の血筋であることは確定として。 父方について考えるなら、建御名方がいつの時代を生きたかが重要だろう。 神逐以前ならば、松本の豪族が候補たりえる。 神逐以後ならば、淡路勢が候補たりえる。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 10.市野々(いちのの)の地名 ――略―…

  • 日本書紀の神武東征を誤読させる原因

    倭国大乱について、日本書紀は思いの外きっちり書いている。 丹生川上の神事の意味さえ読み取れれば、大和が負けたと読めるのだから。 国譲りの切っ掛けが、横暴とも思える高皇産霊や天照の思いつきである点にも、負けた側の被害者意識が垣間見えているのではなかろうか。 存外、だだ漏れである。 国譲り 本伝(※) 天照大神之子 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 娶高皇産靈尊之女𣑥幡千千姬 生天津彥彥火瓊瓊杵尊 故 皇祖高皇産靈尊 特鍾憐愛 以崇養焉 遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊 以爲葦原中國之主 天照大神の子 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 高皇産霊尊の娘の𣑥幡千千姫を娶る 天津彦彦火瓊瓊杵尊を生む 故 皇祖の高皇産霊尊 …

  • 兄磯城=天稚彦=彦湯支=(欝色雄または大綜麻杵)=?

    兄磯城について追加考察。 (過去記事:兄磯城=天稚彦、弟磯城=味耜高彦根) 彦湯支は、孝元[8]皇后の欝色謎から数えると孝昭[5]世代だ。 樂樂福神社が鬼退治を伝える孝霊[7]や、同世代に吉備津彦がいる孝元[8]、大彦がいる開化[9]が倭国大乱を生きたと考えられ、倭国大乱の後半に討伐されたと考えられる兄磯城と彦湯支では世代が合わない。 天孫本紀の物部氏系図.png 彦湯支を兄磯城に推定した根拠は、妻に出雲色多利姫、子に出雲醜大臣がいるからだった。どちらも「出雲」と「シコ」を名前に含む。 先代旧事本紀の物部氏系図をみると「シコ」を名前に含む人物が他にも存在する。欝色雄、欝色謎(孝元[8]皇后)、…

  • 初戦の長髄彦は饒速日勢

    兄磯城(天稚彦)の次なので順番的に、再戦時の長髄彦には出雲勢を推定するが、初戦時の長髄彦は地理的に考えて出雲勢ではないだろう。 初戦(※)で苦戦した神武は、太陽に向かって戦うのは縁起が悪いと言って軍を退かせる。 今我 是日神子孫 而 向日征虜 此逆天道也 今し我 是は日神の子孫 而 日に向かい虜(敵)を征す 此れは天道に逆らう也 太陽の方角には、南北軸であれば南、東西軸であれば一般的に東を想定する。 長髄彦との初戦で日に向かって戦った神武は、北か西から攻撃したことになる。 出雲の北は海だ。 神武は白肩之津に着岸して下船、徒歩で生駒山を越えて戦場の孔舍衞坂に到達したとあり、出雲の北に至るルートを…

  • 再戦時の長髄彦=国譲りの大国主

    名草戸畔・丹敷戸畔・兄猾を討伐した神武とは、大和の在来勢力(橿原勢か饒速日勢)だろうと、当ブログは考える。 丹生川上の祭祀からは淡路勢が神武になり、橿原勢は弟磯城に、饒速日勢は兄磯城になる。そして畿内を纏めかけていた兄磯城を討伐した淡路勢が、鳶が油揚げを攫うように近畿で君臨した。 兄磯城討伐の勝者である淡路勢は恭順した橿原勢を従え、長髄彦と再戦する神武になる。橿原勢が闘わずして淡路勢に降ったことが史実かどうかは疑わしいが、とりあえず日本書紀の記述に準拠して、兄磯城討伐を為したのちの神武を淡路勢と橿原勢の複合体と見做す。 神武紀は兄磯城討伐のつぎに長髄彦との再戦を記す。 神代紀は天稚彦の返し矢の…

  • 淡路勢と久比岐勢が共闘して奈良盆地を制圧した

    高皇産霊を憑依させた神武が淡路勢であり、椎根津彦が久比岐海人族の青海氏であるなら、大和の兄磯城を挟撃したという神武東征の記述(※)は、地理的に整合性が取れている。 時 椎根津彥 計之曰 今者宜先遣我女軍 出自忍坂 道虜見之 必盡鋭而赴 吾則駈馳勁卒 直指墨坂 取菟田川水 以灌其炭火 儵忽之間 出其不意 則破之必也 天皇善其策 乃出女軍 以臨之 虜謂大兵已至 畢力相待 ――中略―― 果 以男軍越墨坂 從後 夾擊破之 斬其梟帥兄磯城等 この部分は、通常の読み下し文とは異なるテニヲハを付加するほうが意味が通るという問題がある。面倒を避けるため、ここに自作の現代語訳は記さない。 「出自忍坂(忍坂より出…

  • 高尾張邑の赤銅八十梟帥=?

    高倉山の物見により認識した敵(国見岳・墨坂・兄磯城)を討伐した神武の正体は淡路勢だろう。 当ブログは、神武東征の国見岳以降は神代の神逐から国譲りに相当すると考える。 それ以前の敵(名草戸畔・丹敷戸畔・兄猾)を討伐した神武は、対応するエピソードが神代に見当たらないので、橿原勢か饒速日勢か、どちらかわからないが大和在来の勢力ではないかと思う。 悩ましいのが赤銅八十梟帥(※)だ。 赤銅八十梟帥は、磯城八十梟帥と同じく弟猾の進言に登場して、読者の脳内では、高尾張邑の土蜘蛛(※)と同一視される。 弟猾の進言にて:赤銅八十梟帥 時 弟猾又奏曰 倭國磯城邑 有磯城八十梟帥 又高尾張邑 或本云葛城邑也 有赤銅…

  • 高皇産霊は淡路勢を指す

    大和の磯城氏が皇統のルーツなら、なぜ神武と敵対するのか。 この問題に対し、日本書紀は二種類の解決策を提示していると思う。この二種類は異なる考え方をしており、まったくの別物だ。 一種類めは、親戚説。 高倉山で物見した神武が夢で天神の訓を得た翌日、弟猾が夢の訓と同様の進言を奏じ、そこで磯城八十梟帥に言及する(※)。 倭國磯城邑 有磯城八十梟帥 又高尾張邑 或本云葛城邑也 有赤銅八十梟帥 此類皆欲与天皇距戰 臣 竊爲天皇憂之 倭国磯城邑 磯城八十梟帥有り 又 高尾張邑 或る本に云う葛城邑也 に赤銅八十梟帥有り 此の類は皆が天皇と距(へだた)り戦を欲する 臣 窃(ひそ)かに天皇の為に之を憂う 弟猾は、…

  • 兄磯城=天稚彦、弟磯城=味耜高彦根

    日本書紀の神武東征(※)で、神武は兄磯城に頭八咫烏を遣わすが、兄磯城は「烏鳥若此惡鳴耶(烏鳥は此の若く悪しく鳴く耶)」と言い、弓で射ようとする。 このエピソードは国譲り(※)の天稚彦に似ている。 国譲りで、高皇産霊は天稚彦に無名雉を遣わすが、天稚彦は天探女に唆され(一書第一(※)では「鳴聲惡鳥在此樹上(鳴声の悪い鳥が此の樹上に在る)」と教える)、天羽羽矢で雉を射る。 神武の使者の頭八咫烏は矢を避けるが、高皇産霊の使者の無名雉は矢に貫かれる。 だが相違点はあるものの、兄磯城=天稚彦と考えていいと思う。 とすると弟磯城は誰に相当するのか? 天稚彦の周辺で目立つ人物といえば味耜高彦根だが、行動が弟磯…

  • 坂・香山・埴安は高志を暗示する

    神武東征に登場する4つの坂(女坂・男坂・墨坂・忍坂)は、近い位置にある。 額面通りに奈良盆地を舞台と解釈するのではなく、倭国大乱に準えて西日本の広範囲に戦場を求める場合にも、この4つの坂は同じ方面にあると考えていいだろう。 その根拠は以下の2点。 (1)高倉山の頂きから神武が女坂男坂墨坂を肉眼で見れている(※)ので、この3つの坂は近い。 (2)椎根津彦が墨坂攻略を献策するとき(※)「今者宜先遣我女軍 出自忍坂(忍坂より出る)」と言うので、墨坂と忍坂も近い。 椎根津彦は久比岐の海人族である青海氏の祖だ。 そして久比岐の奴奈川姫が倭迹迹日百襲姫のモデルであると、当ブログは推測している(過去記事:倭…

  • 道臣が忍坂で討った土雲八十建=八千矛

    古事記は、国見岳の八十梟帥を記さない。高倉山の物見も、女坂男坂墨坂も、丹生川上の祭事も記さない。代わりに忍坂で道臣が討った敵の名を「土雲の八十建(※)」と記す。 日本書紀は、忍坂で道臣が討った敵を「国見岳の八十梟帥の余りの党(※)」と記し、個人名を与えない。 そして忍坂制圧後、椎根津彦は忍坂から出て墨坂を攻略したのち、皇軍と連携して兄磯城を挟撃する。どうやら制圧後の忍坂には椎根津彦が居たようだ。 神武東征における椎根津彦とは、実際には久比岐海人族の青海氏だろうから、忍坂は青海氏の領域にある可能性が高い。そして久比岐には、奴奈川姫が大国主と婚姻させられて一時、能登で暮らしたという伝承がある。 糸…

  • 国見岳の八十梟帥=福井平野の素戔嗚

    神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を表す。 同様に神武東征も倭国大乱を表す。という前提から、どの事件がどこに記されているか検討したい。 まず神逐の舞台は越前の小羽山ではないかと推測して、地図を見てみると。 小羽山と国見岳と丹生 国見と丹生は日本全国に散見される地名で、珍しくないらしい。 だが双方が揃っていて、山陰由来の四隅突出墳があり、地元民が素戔嗚を慕い祀った伝承をもつ古社があるとなると、話は違ってくるのではなかろうか。 越前二の宮 劔神社 ご由緒 神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟…

  • 記紀編纂以前の三輪山は饒速日を祀っていた

    八岐大蛇の一書第六(※)に基づき、三輪山(御諸山)の神は大物主とされている。大物主は出雲の海に忽然と現れ、汝の幸魂奇魂であると大国主に名乗った神だ。記紀神話の神々は自然物を象徴することが多いが、大物主にはそのような性格付けは為されていない。 だが一般に、三輪山には日の出のイメージがあると思う。 下記ページの写真などは正しく万人が抱いている典型的御姿と云えよう。 GAZOO 万葉集でも詠われる「三輪山」の絶景を眺め、古の風景を楽しもう! 奈良県桜井市 ネットを検索したら「唐古・鍵遺跡から見ると、冬至には三輪山から太陽が昇る」と指摘されていたので、地図で確認してみた。冬至の日の出は真東から約30度…

  • 尾張氏・倭氏・物部氏は記紀神話に反発していた

    神代の誓約から国譲りまでは倭国大乱を記したものであると、当ブログは推測する。 そして神武東征も、倭国大乱の要素を重ねているのではないかと思う。 おさらいしておくと当ブログの見解では、神武東征は無かった。 しかし北九州勢の淡路入植はあった。 初期に淡路に来た北九州勢を、記紀神話では天火明と解釈している。 神武東征が無かったとする根拠は、尾張氏と倭氏が伝えている綿津見豊玉彦を始祖に据えた系図では、市磯長尾市から世代数を数えると、神武東征の登場人物である高倉下と椎根津彦が懿徳[4]か孝昭[5]の世代になっていることだ(過去記事:椎根津彦は久比岐の海人族)。 記紀の記述と食い違う系図を伝えていることか…

  • 素戔嗚は任那の一部を指す

    対馬周辺を地図で眺めると、対馬は朝鮮半島との中継点として天照勢(北九州)も利用したはずと思う。よって対馬=素戔嗚勢とは云えないのだろう。対馬には天照と素戔嗚の二勢力が存在していた、あるいは中立勢力だったと見るべきかもしれない。 とすると、天照勢は北九州が主体だからいいだろうが、問題は素戔嗚だ。素戔嗚勢も他に主体となる地域があるのではと考えてみると。 安直ではあるが、任那・狗邪韓国が思い浮かぶ。 狗邪韓国は魏志倭人伝に記されている朝鮮半島南部に存在した倭国の領土だ。 任那も朝鮮半島南部に存在した倭国の領土であり、日本の資料に見られる呼称だ。 朝鮮半島南部には前方後円墳が、下記のPDFによれば20…

  • [与太話]お耳を拝借

    Happy Holiday! 今回、考察はお休み。 近頃、ガルマルナを好んでよく聞いている。 なかでも、このプロモーションビデオは古代史好きをトキメかせると思う。 スウェーデン語はさっぱりわからないけどな! よいお年を!

  • 素戔嗚のルーツは対馬

    天岩戸と神逐の段(※)の本伝と一書第三は、天岩戸から天照を引き出したのちに『諸神』が素戔嗚を追い払う。一書第二は天岩戸から天照を引き出したときには既に『諸神』が素戔嗚を追い払っていた。 古事記は、天岩戸から天照を引き出したのち『八百万の神』が須佐之男を追い払う。 神逐を行ったのは天照ではなく、諸神だ。天照が指す北九州は神逐に関与しなかったと解釈できる。神逐を行った諸神とは、158年の日食で0.98以上の食分だったと想定される瀬戸内の勢力と、高志に存在した椎根津彦の勢力のことだろう。 とすると、素戔嗚は小羽山古墳群の人々ということになる。 だが小羽山と宗像三女神は容易に結びつかないと思う。小羽山…

  • 天岩戸日食の舞台のモデルは阿波の天磐戸神社か?

    天岩戸日食は158年だろうと、当ブログは考えている(過去記事:天岩戸日食と卑弥呼は無関係)。 国立天文台NAOJ 国立天文台報 第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について [PDF] 恥ずかしながらΔT値については全く理解が及ばないので鵜呑みにさせていただく。 6/16(90)ページの図4:158年7月13日の日食の食帯図.によると、瀬戸内は食分0.98にすっぽり収まり、安芸埃宮は皆既になる。 6/16(90)ページの図4に地名を書き加えた また、徳島県の天磐戸神社(天の岩戸神社)も皆既になるようだ。 ただし、158年日食は日入帯食だった。天磐戸神社は山の東斜面にあ…

  • 倭国大乱後、出雲は九州に平伏した

    2020年12月現在、出雲瑪瑙をWeb検索すると多数の販売店がヒットする。そのほとんどが、朝廷へ献上していたことを出雲ブランドの裏付けとしてポジティブに受け止めておられるようだ。なので、少々言いにくいのだが。 小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料ダウンロード フォーラム「日本海を行き交う弥生の宝石in小松」[PDF] :23/51 :4 玉つくりから見た地域間交流 さらに山陰では後期中葉から花仙山産碧玉が本格的に使用され始めるが、山陰以東に流通することはなかった。逆に弥生時代後期末から古墳時代初頭にかけては山陰から北部九州へ花仙山産碧玉を携えて工人が赴き、同碧玉を用いた管玉及び平所技法によ…

  • 5世紀、畿内の九州勢は大和勢に屈した

    越前から出雲勢を追いやった神逐により、中部日本海の青海氏、琵琶湖・淀川・茅渟海の息長氏、瀬戸内・玄界灘の吉備氏が繋ぐ交易路が完成した。 国譲り後ではないかと思うが、青海氏は高志深江に進出して青海郷(現在の加茂市)を開拓したと伝わる。ちなみに加茂の名は、青海神社の御由緒によれば、794年(平安遷都)に京都上賀茂・下賀茂神社の神領になった際に御分霊を祭りはじめたことに由来するそうだ。 越後加茂青海神社 由緒 年表 京都上賀茂・下賀茂神社との縁は、大彦の妻になった久比岐の女性(倭迹々姫)が媛蹈韛五十鈴媛のモデルであることに因んでいるのだろう。(過去記事:綏靖[2]のモデルは武渟川別かもしれない) 加…

  • 椎根津彦は久比岐の海人族

    九州勢(大彦の氏族や尾張氏)の近畿入植はあったが神武東征はなかったと当ブログは考えている。皇統とされる橿原勢及び饒速日勢は、弥生後期の2世紀以前には大阪平野に根差していた在地勢力とみる。 そこへ九州勢が瀬戸内航路を開き、淡路島に住みついた。 だからといって神武東征の記述に意味がないとは考えない。 おそらく日本書紀は、虚偽の説話を創作する場合には、真実につながる暗示を織り交ぜている。 例えば、当ブログが奴奈川姫をモデルに倭迹迹日百襲姫が創作されたと考えるのは、崇神[10]紀(※)にある「天皇の姑」という、欠史八代[2-9]紀の系譜とは食い違う記述を根拠にしている。また、亡くなった姫を葬るための箸…

  • 天火明は瀬戸内航路の開通まもなく入植した九州人を指す

    天火明は、誓約で誕生した五男神の長男である天忍穂耳の孫、または子だ。弥彦神社祭神である天香山の父で、日本書紀は尾張氏の遠祖と記す。 しかし尾張氏が伝える海神豊玉彦を始祖とする系図に天火明、天香山の名は無い。 Wikipedia「尾張氏」より転写 系図に見える海神豊玉彦の孫の天前玉を天火明と同一とみなし、その子の高倉下を天香山と同一とする説もある。 先代旧事本紀は饒速日と天火明を同一、天香山と高倉下を同一とする。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大系. 第7巻 先代旧事本紀 天孫本紀 :コマ番号139-140/484 天照國照彥天火明櫛玉饒速日尊。亦名天火明命。亦名天照國照彥天火明尊。亦…

  • 瀬戸内航路をふさぐ淡路島

    瀬戸内の潮流について考えてみると、厄介なポイントは鳴門海峡、明石海峡、来島海峡、大畠瀬戸の四つの海峡だろう。明石海峡は、鳴門海峡よりマシということで必ず通らねばなるまい。しかし鳴門、来島、大畠は通らずとも良さそうだ。 せとうち情報局『潮流推算』から取得した画像に地名を書き加えた 屋代島の南、倉橋島の東を通って安芸沿岸を行く航路なら、九州から淡路島までなら潮流4ノット以下で到達できる。ただし、あくまで現代のデータだが。 瀬戸内は埋立てや掘削箇所が多く、現代のデータはそのまま古代に当てはまらないかもしれない。例えば備讃瀬戸は、吉備の穴海(吉備児島の北)を埋め立てて水路を一本潰したのだから、潮流は速…

  • 出雲は天穂日が四隅突出墳丘墓を伝えたと誤認していた?

    誓約で誕生した五男神が瀬戸内航路の寄港地であるとする。 瀬戸内も広いので範囲を狭めたい。 考えるに、どんなに広めに解釈しても祝島より東だろう。祝島と姫島を結ぶ玄界灘横断航路が古くからあり、この航路を鎮める神が宇佐八幡ではないかと思う。 前回、リンクを貼らせてもらった海上保安本部の『潮流推算』によれば、祝島と姫島の間は大潮(満月と新月)でも1ノット以下だ。 対馬海流が1~1.5ノット以下で、宗像の沖ノ島(沖津島)と大島(中津宮)は50km弱の距離がある。祝島と姫島の間は30km弱なので、たぶん渡れた。 大潮時の上げ潮流(関門海峡は1時間後にピンクの矢印になる) 瀬戸内の東側を考えてみる。 まず淡…

  • 誓約の五男神は瀬戸内の寄港地

    以前の記事『神代の誓約から国譲りまでは欠史八代と時期が重なる』にて、誓約で天照の子になった五男神は播磨、吉備、安芸、周防および丹波ではないかと推測したのだが。今になって、宗像に合わせて考えるなら、瀬戸内の主要な寄港地ではないかと思い至った。 調べてみたら、瀬戸内海はたいそう癖の強い海らしい。 広島と愛媛にまたがる芸予諸島では「船に乗るより潮に乗れ」と云うほどだとか。 Wikipedia「芸予諸島」の項より抜粋 なかでも、四国と大島とに挟まれた来島海峡はちょうど瀬戸内海の中心に位置し海峡幅も広いため現在では国際航路として様々な船が航行しているが、古くは「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関瀬戸」と…

  • 天岩戸日食と卑弥呼は無関係

    神逐が指す歴史上の事件は天照と素戔嗚の戦争であるという見解を、2010年に述べられた先達がいらっしゃると最近知った。 国立天文台NAOJ 国立天文台報第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について [PDF] 天文学者がいない時代の,あるいは天文学者がいない地域での日食が比較的詳しい挿話とともに,伝承や歴史として残るときの条件があるように思われる.次の3つの条件が満たされるとき,「日食が記録として残ることがある」というのが正確かもしれない.「必ず残る」とは言えない. ( i )日食が皆既または金環であること(あるいはそれに近い深食であること). ( ii )重要な歴史的…

  • ちょっとヒートアップ

    倭大國魂は久比岐・能登の神だと一般に広く認知されて欲しいと思っているので、直近の3記事(前々々回、前々回、前回)は極力、客観的に書いた。 今回は、直近3記事では削った意見を述べる。 当ブログを読まれた方は、なんでもかんでも久比岐に当て嵌めすぎじゃないかと思われたのではないだろうか? 実のところ私にもそういう気持ちが少しだけある。 だがしかし。 崇神[10]の御代に大和の勢力下にあった地域は、近畿と紀伊北部、越前・若狭、久比岐・能登だけと思われる。東海は近隣の友好的な独立勢力だ。瀬戸内沿岸は九州勢が押さえており、九州は対出雲における盟主だ。そして紀伊南部と越中・加賀は反大和の気風が強い。 お膝元…

  • 大倭神社註進状:大地官と地主神を同一視する暴論

    『大倭神社註進状』を読むと気になる点が二つある。 ひとつは、日本書紀には存在しない孝昭[5]の夢のエピソード。 ひとつは、大地官を地主神に読み替える強引さ。 まず、孝昭[5]の夢について記す段落を、ここに書きだす。 日本書紀家牒曰 腋上池心宮御宇天皇孝昭元年秋七月甲寅朔 遷都於倭國葛城 丁卯 天皇夢有一貴人 對立殿戸 自称大己貴命曰 我和魂 自神代鎮御諸山 而 助神器之昌運也 荒魂服王身 在大殿内 而 爲宝基之衛護 即得神教 而 天照大神 倭大國魂神 並祭於天皇大殿之内 日本書紀家牒に曰く 腋上池心宮御宇天皇[孝昭]元年秋七月甲寅朔 倭國葛城に遷都する 丁卯 天皇の夢に一貴人有り 殿戸に立ち対…

  • 『大倭神社註進状並率川神社記』写し

    前回の記事にて、倭大國魂は久比岐・能登の神であるとする客観的根拠を示した。 公平を期して、倭大國魂を大国主と同一とする説の根拠になっている『大倭神社註進状並率川神社記』を写したので挙げておく。 参考資料は以下の三冊。 国文学研究資料館の資料をベースとし、相違箇所は多数決に依る。 国文学研究資料館 新日本古典籍総合データベース 大倭神社註進状並率川神社記 ※ 返り点有り 裏書き無し 国立国会図書館デジタルコレクション 三輪叢書 大倭神社註進狀並率川神社記 :コマ番号162-170/470 ※ 返り点無し 裏書き有り 国立国会図書館デジタルコレクション 群書類従. 第21-22冊 大倭神社註進状 …

  • 倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

    とても残念なことに倭大國魂を祀る大和神社(奈良県)は、『大倭神社註進状』なる一書を拠り所として、倭大國魂は大国主であると主張している。 しかし倭大國魂の創祀に関わる重要人物は久比岐・能登に関わっている。 大和神社 大和神社由緒 倭大國魂は崇神[10]紀と垂仁[11]紀に登場する。 崇神紀(日本書紀)の倭大國魂が登場する箇所を以下に要約する。 崇神5年に致死率の高い疫病が流行、翌6年にも流行は続いた。民は離反して国は治まらず、崇神は朝に興(おこ)り夕に惕(おそ)れて神祇に請罪した。 先是 天照大神 倭大國魂 二神並祭於天皇大殿之内 然畏其神勢 共住不安 故 以天照大神 託豐鍬入姬命 祭於倭笠縫邑…

  • 国譲り後も出雲は存続した

    出雲国譲り神話とは実際のところ、出雲が天照勢へ高志国を譲ったのであり、その後も出雲国は山陰の雄として存続した。 上の文は、ブログの書き初めの頃に書いたものとほぼ同じだが一か所、「大和へ」を「天照勢へ」に修正した。 久比岐に入って出雲軍を追い払ったのは建御雷こと九州の軍だろうとの推測による。 ※ブログ移転時に該当記事は削除しました。 そして出雲へ攻め入った経津主は大和の軍だろうと推測する。 このとき出雲は久比岐・能登へちょっかいを出しており、兵力を分割していたから、初動が遅れるなどあって敗戦したのではないかと思う。 一書第二では高皇産霊が、国を譲り受ける見返りに以下の条件を提示する。 汝則可以治…

  • 事代主には広義と狭義がある

    国譲りの段の事代主は、 本伝では大国主の子と定義されて海へ避け去るが、 一書第二では大国主が避け去ったのちに大物主と共に登場して去らない。 また事代主は、神功紀にも登場して「祠吾于御心長田國」と宣い、神戸の長田神社に祀られる。このとき稚日女も登場して「吾欲居活田長峽國」と宣い、神戸の生田神社に祀られる。 稚日女は逐降の段の一書第一で、素戔嗚が斎服殿に投げ入れた逆剥ぎの斑駒に驚いて神退ったことになっている。 長田神社 [framタグ使用] 生田神社 神代に死亡した記述がある二神が再登場する神功紀の主人公・神功皇后は、諡号を気長足姫(おきながたらしひめ)と云い、息長氏を出自とする。 息長氏の本拠は…

  • ちょっとクールダウン

    メインカテゴリーの『天香山命あれやこれや』がだいぶ進んだので、ここらで私感を書いておく。 まず最初に、敬称をことごとく削っている点を言い訳したい。 記紀の神々には神・尊・命といった敬称を末尾につけることが望ましいと、実は私も思っている。しかし神であるという概念が、神の振舞いを史実と見做せるか考察する際に邪魔になる。人によっては平気なのかもしれないが私には無理だった。 また、神・尊・命のあいだには序列がある。これも邪魔だ。いずれの神も地域や氏族を表す象徴として平等に考えたい。 このように思い、あえて末尾の敬称は省略した。 次に、出雲への当たりがきつい点について。 率直に言って、出雲はこれまで持て…

  • 大田田根子は大国主の曾孫かもしれない

    媛蹈韛五十鈴媛と似た伝承を持つ大田田根子の系譜について考える。 日本書紀の崇神紀[10]にある大田田根子の自己紹介は「父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祇之女也」だ。 陶津耳(奇日方天日方武茅渟祇)の娘である活玉依媛と大物主のあいだの子という。 古事記は「僕者 大物主大神娶 陶津耳命之女活玉依毘賣 生子名櫛御方命之子 飯肩巢見命之子 建甕槌命之子」となっている。 陶津耳の娘である活玉依毘賣と大物主のあいだの子が櫛御方、その子が飯肩巣見、その子が建甕槌で、その子であるという。 奇日方(くしひかた)と櫛御方(くしみかた)、武茅渟祇(たけちぬつみ)と建甕槌(たけみかづ…

  • 綏靖[2]のモデルは武渟川別かもしれない

    事代主を高志に関連づけるならば、事代主の後裔とされる媛蹈韛五十鈴媛の系譜について上手い解釈を考案せねばなるまい。 媛蹈韛五十鈴媛は事代主の娘であり、神武[1]の皇后であり、綏靖[2]の母だ。 綏靖[2]の和風諡号は神渟名川耳といい、名前に「ヌナカワ」を含む。 同じく「ヌナカワ」を名前に含む人物に、武渟川別が思い当る。 武渟川別の父は大彦であり、母は崇神紀[10]の記述から推測して倭迹々姫であり、これは奴奈川姫の縁者にあたる久比岐の女性であろうと推理した。 綏靖[2]も武渟川別も、母が高志に所縁ある女性と考えられ、この共通性から、綏靖[2]は武渟川別がモデルではないかと推測する。 綏靖[2]は、…

  • 国譲りの段の一書第二は高志寄りの視点で書かれた

    天照は九州、素戔嗚は出雲、高皇産霊は大和、建御雷は九州軍、経津主は大和軍の動向を指す。事代主は高志を指すのだが、この神だけは「動向」より「関係性」を指すと云うほうが適切かもしれない。 一般には大国主の子と思われている事代主だが、一書第二では様子が違う。 一書第二の事代主は、大国主が「避け去った」あとに帰順して、大物主とともに八十萬神を率いて天に昇り、高皇産霊に誠款(誠と真心)を陳上する。大国主の子とは書かれてない。 つまり、大国主の子と定義される本伝の事代主が海に「避け去る」のに対し、大国主の子とは定義されない一書第二の事代主は国譲りのあとも存在する。 この差には、おそらく理由がある。 父子は…

  • 御穂須須美は能登半島の先端の神奈備

    出雲国風土記は、奴奈川姫と八千矛のあいだに御穂須須美が生まれたと記すが、久比岐の伝承には無い。おそらく実在せず、ふたりに子は生まれなかった。 出雲の美保関では美保神社の末社である地主社に御穂須須美を祀っているが、元々は国引き神話に因んで祀り始めたのかもしれない。 島根県 『出雲国風土記』の「国引き神話」 なにしろ出雲国風土記は奴奈川姫と八千矛の時代から四・五百年後の編纂だ。 年寄りにはつい最近に思える二千年ミレニアムイヤーの四百年前が関ヶ原合戦であるからして、多少の不確かさは致し方ないと思う。 御穂須須美は、能登半島の先端の神奈備と思われる。 石川県神社庁 須須神社 石川県神社庁 須須神社奥宮…

  • 古代、出雲は高志を見下していた

    前回の記事において、倭迹迹日百襲姫のモデルが奴奈川姫である可能性を述べた。 背景には、久比岐が産する翡翠が価値の高い威信財だったこともあるだろうが、出雲を牽制する意図もあったのではないかと思う。 奴奈川姫と八千矛が生きた時代から四・五百年くらいのちに成立した出雲国風土記。 日本書紀(720)よりあとに成立した出雲国風土記(733)には、高志に対する出雲の姿勢がちゃんと表れているようだ。 早稲田大学リポジトリ 『出雲国風土記』の出雲と越 -「天下」の創出- 一方、美保郷条では、「所造天下大神命、娶…略…奴奈宜波比売命而、令産神、御穂湏々美命」となっている。 ~ 略 ~ 『出雲国風土記』は、補助動…

  • 倭迹迹日百襲姫は卑弥呼ではない

    先代旧事本紀・天孫本紀は、宇摩志麻遅の子である彦湯支が出雲色多利姫を妾にして一男を儲けたと記す。そして子には出雲醜大臣がいる。 宇摩志麻遅が実在する個人かどうかは、判断しかねる。 天香山が久比岐・能登へ侵入した九州軍を表す象徴であるように、宇摩志麻遅も出雲へ侵攻した大和軍の象徴かもしれない。 この系図で実在感があるのは彦湯支以降だろう。 出雲の女性を妻にして子を儲けた彦湯支は、天稚彦のモデルかもしれない。 この時代には、婚姻を戦後処理に活用したという。 ならば、大彦の子である武渟川別は名前にヌナカワを含むのだから、大彦は奴奈川姫の縁者にあたる久比岐の女性を妻にしたのかもしれない。 武渟川別の母…

  • 大彦と吉備津彦は九州人

    日本書紀は、大彦を孝元[8]の第一子、吉備津彦を孝霊[7]の庶子と記す。 また崇神紀[10]には四道将軍として、大彦を北陸道へ、吉備津彦を山陽道へ派遣したと記す。 大彦の北陸道派遣は、国譲り神話の建御雷こと天香山に相当するだろう。 吉備津彦の山陽平定は、天照と素戔嗚の誓約において天照が五人の息子を得たこと、及び神逐に相当するだろう。 天照と建御雷は九州勢として書かれている。 よって系譜とは異なるが、大彦と吉備津彦は九州人である可能性がある。 吉備津彦の山陽平定は、神武東征の一部も担っているかもしれない。 安芸の埃宮と吉備の高嶋宮は、九州勢が瀬戸内海を安全な航路として利用するために設置した拠点と…

  • 建御雷∩天香山、経津主∩宇摩志麻遅

    日本書紀の国譲り神話に登場する高皇産霊の行動は大和の動向を指す。経津主は大和の軍の動向を指し、建御雷は九州勢の軍の動向を指す。 石見国一宮 物部神社 御由緒 その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) とされました。 記紀では、大国主は戦わず国を譲ったとしているが、戦ったらしい。 現代でも堂々と主張してしまうくらい物部氏にとって重大な勝利なのだろう。 この物部氏の…

  • 8月15日の記事を削除して書き直した

    暑さで頭が茹っていたのか。 一昨日の朝に更新したブログを夕方読み返したら筋が通ってなくて、自分でも驚いた。このとき削除した記事を書き直したのでアップする。

  • 欠史八代は五代孝昭以降うっすら実在感がある

    神武から数世代を、宮を多く橿原周辺に造営したので橿原勢と呼び、のちに物部氏になる勢力を、祖先神をとって饒速日勢と呼ぶことにする。 この二つが融合した勢力を大和と呼ぶ。 記紀神話は神武[1]一代で東征と近畿平定を成したとするが、戦後処理に掛かる手間を考えると現実的には難しいだろう。よって神武東征は史実を基にしたフィクションであり、実際には数世代に渡る業績と考える。 橿原勢と饒速日勢が融合した時期は、饒速日勢を出自にする欝色謎命を皇后にした孝元[8]または孝霊[7]の頃と考える。幅を持たせたのは、孝霊が高齢の場合に子を政略結婚させた可能性を考慮した。 孝霊[7]は吉備津彦の父とされ、遠征した説話が…

  • 古代、久比岐は出雲を嫌った

    反論として、高志に大国主を祀る古い神社があること、妙高市に小出雲の地名が残ることを挙げられると思う。しかしこれらは後の時代の痕跡だろう。延喜式が編纂された平安時代中期は、箸墓古墳の築造から600年も経過している。 古代、弥生時代末期から古墳時代にかけてのことだ。 久比岐の伝承が、奴奈川姫は八千矛と不仲だとしている。 糸魚川市 奴奈川姫の伝説 幾つかの説話は、奴奈川姫が入水して自死したと伝える。大国主から逃れるための自死であると伝える説話があり、大国主に前夫を殺されたと伝える説話もある。 奴奈川姫は八千矛を好いてなかった。 しかし古事記の妻問いの解釈は、奴奈川姫が八千矛に好意を持っていたとする見…

  • 八岐大蛇は出雲が蹂躙した高志の怨霊

    八岐大蛇は川の氾濫を指し、奇稲田姫は水害に脅かされる稲田を指す。 問題は、出雲国を流れる川の化身である八岐大蛇が高志から来たとしている点だ。高志を源流とする川など出雲には流れてないのに何故、高志に関連づけるのか。 八岐大蛇のくだりは神逐の次、高天原を降ってすぐの出来事として書かれている。 神逐は、九州勢が若狭・越前から出雲勢を駆逐したことを表す。 そこには、出雲勢が若狭・越前で犯した悪事、破壊と強奪と強姦について記してある。 破壊のうち畔や溝を損なうのは、戦場であれば必然ではなかろうか。田に斑駒を放つというのも、戦いで荒れ果てた田に野生動物が侵入したと考えられる。これらは出雲に限らず、何処の戦…

  • 神代の誓約から国譲りまでは欠史八代と時期が重なる

    当ブログでは、誓約から国譲りまでの神代は、開化[9]以前の日本海側の情勢を表していると考えている。 高天原は架空の場所であり、日本のどこでも高天原になり得る。つまり、エピソードによって九州だったり山陰だったり北陸だったりする。 素戔嗚の行動は出雲の動向を表す。いわば出雲国を擬人化したもので、集落のリーダーたる大国主とは似て非なる存在だ。 天照の行動は九州の動向を表す。 上記の解釈を、天照と素戔嗚の誓約に当て嵌めてみる。 誕生した宗像三女神は宗像地方を指し、もとは天照の勢力下だったが素戔嗚の勢力下へ転じたことを表す。 次に誕生した天忍穂耳をはじめとする五男神が指すものは、断定はできない。 だがし…

  • 出雲は野心的な軍事国だった

    山陰から受けた影響の度合いで高志を分けると、非常に少ない久比岐・能登、限定選択導入の越中・加賀、そして濃い越前になる。高志の西端は越前だが弥生末期には、西隣の若狭と近しい傾向があったようにみえるので越前・若狭をまとめたい。 出雲国風土記は、大国主が「越の八口」を平定したと記す。 平定とは武力を行使した側での言い方であって、大概にして制圧された側では侵略、または弾圧などと言う。 「越の八口」は越前・若狭辺りが有力ではないかと思う。 出雲は東方面を武力で圧迫していた。 西はといえば、のちに宗像三女神になった田心姫・湍津姫と大国主が婚姻を結んだ。 記紀神話の宗像三女神は、天照と素戔嗚の誓約により誕生…

  • 久比岐が出雲の勢力下にあった期間は短い

    記紀神話でいうところの国譲りが、歴史上のどの時期に起こった出来事なのか。 第9代開化天皇の頃ではないかと私は推測するが、異説も多くあるだろう。しかしどんなに幅を持たせても、箸墓古墳の築造以前という認識で概ねまとまると思う。 弥生時代の出来事だ。 この時代の久比岐を知るに、新潟市が主催したフォーラムの資料がわかりやすい。 この資料では、新潟県で発掘された弥生土器の傾向が示されている。 新潟市 平成28年度史跡古津八幡山 弥生の丘展示館企画展4関連講演会 信濃川をめぐる弥生時代の越後と信濃の交流 [PDF] これによると久比岐・高志深江から出土する土器は、東北系・北陸系(小松式)・信州系(栗林式)…

  • 出雲は敗者であって被害者ではない

    世間では、大和に屈服させられた可哀そうな出雲、という風潮がうっすら存在するように感じる。しかし、可哀そうな出雲など存在しないと私は考える。 倭国大乱と呼ばれる時代に西日本で勢力を保有するには、軍事力が不可欠だったはずだ。当然のこと、出雲も相応の軍を所持し、行使したであろう。戦争無くして勢力の維持拡大はありえない時代だ。 出雲もまた軍事国だった。 支配地域の拡大を目論む二国が争い、大和が勝って出雲が敗れただけのこと。 大和と出雲、二国は久比岐が産する翡翠の占有権を求めたと考えられる。 翡翠の産地である久比岐をめぐって対立した。 これを高志の視点で考えれば、出雲は侵略者その1で、大和は侵略者その2…

  • 一部の神々は祭祀氏族の祖先が為した事績を持つ

    天香山命と久比岐について考えるうえで重要な神社と地域を、弥彦から近い順に、敬称を略して記述する。 社名 主祭神 国 初代国造 任命時期 弥彦神社 天香山 高志深江 素都乃奈美留 崇神[10] 天津神社並び奴奈川神社 瓊瓊杵並び奴奈川姫 久比岐 御戈命 崇神[10] 穂高神社 穂高見(宇都志日金拆) 科野 武五百建 崇神[10] 諏訪大社 建御名方 洲羽 武国彦 景行[12] 熱田神宮 草薙剣(?) 尾張 小止與 成務[13] 石上神宮 布都御魂剣(経津主) 倭 椎根津彦 神武[1] 大和神社 倭大國魂 伊勢神宮 天照 紀伊 天道根 神武[1] 出雲大社 大国主 出雲 宇迦都久怒 崇神[10] …

  • 自説の骨子

    世の歴史系ブログの執筆者は往々にして自説を持っているものだろう。 当ブログも例にもれず一癖ある持論を掲げており、これに基づき考察を重ねていくのだが、ブログというものは続けていると過去記事がどんどん埋もれていく。そして伝わりにくいテキストの集合体になっていく。 そこで、自説を熱く述べた序盤の記事へのリンクを以下に列記した。タイトルだけでも当ブログの傾向が表れていると思う。 20200714 一部の神々は祭祀氏族の祖先が為した事績を持つ 20200718 出雲は敗者であって被害者ではない 20200722 久比岐が出雲の勢力下にあった期間は短い 20200726 出雲は野心的な軍事国だった 202…

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