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2020/02/19

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  • 変形性股関節症16年目の記録(魚の目編)

    変形性股関節症を患ってから約16年が経っています。 一生自分の股関節を自力で調整していくつもりでいるので 手術はしないという気持ちに変わりはないです。 一年前、二年前の記事を見返してみると、股関節の状態には大きな変化はないようです。 以前のように激しい痛みは出なくなっているけれど、長距離歩き続けることはできません。脚長差も改善されていません。 全体的に悪化している様子はないけれど、これといって改善している実感も薄いかな~、といった感じ。 でも、軽いストレッチなどが習慣化されてきたので、これからはもう少し改善の実感が得られるのではないかなと、安易に考えています。 ところが先月、初めて腰痛らしき痛…

  • 認知症になった母とならなかった父との違い

    2019年に父は95歳で、2022年に母は96歳で他界しています。 今わたしは過去の自分の日記を改めて見返していくうちに なんとなく見えてきたことがあります。 それは認知症になった母とならなかった父との違い。 認知症は、こうすれば防げるといった絶対的なものは今のところないのかもしれないけれど、晩年の父は認知症になりにくい傾向を持つ生き方をしていたように思えるのです。 父は母より2歳上です。70代頃までのふたりを比べると、母の方がずっとしっかりしていて父はマイペース。主体性がなく母に頼っている感じでした。 「この先 ボケるとしたら絶対父親のほうだね」 と、母や兄とも言っていました。 ところが、8…

  • 思い込みと痛み: 心の働きと身体の関係

    私は変形性股関節症を自覚してから今年(2025年)で、約15年程が経過するわけですが。 今のところ、数年前に感じたような激痛に見舞われるようなことはなくなり、なんとか自分の脚で生活はできています。 痛みのレベルとしては自力でかなり改善された感じはしますが、痛みがないわけではありません。 痛みの感じ方、捉え方には個人差があると聞きますが 人によっては今私が感じている痛みレベルでも、すぐに手術に踏み切る人もいれば、活動的に動ける人もいるような気がします。 私と同じように股関節が悪そうな人でも、介護施設や病院の職員として働いている人を、今までに何人も見かけました。 デスクワーク中心の仕事ならまだしも…

  • ジェンダー不平等と介護施設での最期

    2022年に96歳で亡くなった母の最期を振り返って記事にしました。 母の最期は介護施設でした。 介護施設には約2年9か月お世話になり、担当していただいたケアマネさんをはじめ、スタッフの方々はみな優しく親切で、本当に良い施設に恵まれたと感謝しています。 ですが、たったひとつだけ今でも私の心の隅にくすぶっている、ある介護士さんへの思いもあるのです。 それは母が亡くなりストレッチャーに乗せられ、施設の裏口から外に運び出されるときのことでした。 ストレッチャーを運んできたのは、葬儀社の方とそのスタッフなのか施設側のスタッフなのかはハッキリ記憶していませんが、数名いました。 そしてその周りを囲むように家…

  • 子供のいない独身の老後を考えてみた

    私はずっと独身で生きてきたので、子供はいません。 私の場合、自分の子供を欲しいと思ったことはないので 子供がいたらな~といったことを考えることもありません。 こんなふうに淡々と言ってしまうと、冷酷人間のように思われてしまうかな。 でも、子供は好きですよ。 子供のいない人生というのが、私の中では当たり前になっているだけ。 今となっては 私にはかけがえのない存在である兄がいますが、兄がいなかったら、と考えると、生きる力が衰退してしまう気がします。 同世代のひとりっ子の友人には、 「だんだん歳を取ってくると、きょうだいがいた方がいいと思ったことある❔」 と聞いてみるのですが、 いつもなんとなく曖昧な…

  • 私が人工股関節にしたくないわけ

    変形性股関節症を患って、すでに15年以上経過している私ですが、手術という道を考えたことは一度もありません。 なぜ、私が手術をしたくないのか、その理由について、自分の気持ちを再確認する意味でも、記しておきたいと思います。 なお、この変形性股関節症になっても「手術したくない理由」については、あくまでも私個人の見解であり感想です。勘違いして捉えている部分もあるかもしれません。 そこで、手術という選択肢もお考えの方は、読むと不安感をあおる内容も含まれているかもしれませんので、精神的に揺れやすい繊細な方は、読まれない方がいいかな、と思います。 それでは本題です。 股関節の手術といってもいくつかの方法があ…

  • 亡くなった父には今でも謝り続ける私

    父が95歳で亡くなってから、今月11月で5年経ちました。 早いもので来年はもう七回忌が巡ってくる。 5年経った今でも、この季節が巡ってくると、時折激しい悲しみの感情に襲われ、涙が止まらなくなることがあるのです。 父が亡くなった後、私は母の死も体験したわけだけれど、母のことを思い出しても、今はこんな激しい悲しみの感情に襲われることはないのに。 それは母に対する想いは父に対するほど強くなかった、ということではなく、むしろその逆。 私は子供の頃から、父よりも母の方がずっと好きだった。 父の存在のありがたさに心から気づけたのは、亡くなってからといっても過言ではないのです。 父は亡くなる2年ほど前までは…

  • おばあさん、おじいさんと呼ばれたことのなかった両親

    私の両親はすでに95歳と96歳で他界しているのですが、それまでの人生でどんなに歳を取ってからも、「おばあちゃん!」とか「おじいちゃん!」といった呼び方をされたことはほとんどなかったはずです。 それは、ふたりとも超絶!若く見えたから! ではなく。 両親には孫がいなかったというのが大きい要素だと思います。 かなり高齢になっても、病院や介護施設などでは名前を呼んでくださるので、おばあさん、おじいさんと呼ばれることはありません。 ただ、たまに店員さんによっては母のことを「おばあちゃん」と呼びかけたことがあったような気がします。 母は気にもしていない様子でしたが、そんなとき私は心の中でかなりムッ!として…

  • 過去の行動がもたらす母の認知症

    2022年に96歳で亡くなった母のことを振り返ってみます。 母は持病などはなく身体はずっと健康でしたが、晩年は認知症になりました。 初めて介護認定を受けたのは2014年 88歳の時。 要介護3の認定が下されました。 その時点ですでに認知症はかなり進行していたようです。 冷静に思い起こせば、母は2007年の81歳頃から認知症の兆候はみられたような気がします。 さらにさかのぼって考えれば、母は60歳を過ぎる頃から認知症になりやすい生活パターンや行動をしていたようにも思えるのです。 今の私が過去に戻れれば、もしかしたら母の認知症状を改善させたり、遅らせることはできたかもしれないな、なんてこともよく考…

  • 高齢者予備軍としての今の心境

    私は今月8月で62歳になります。 2024年現在 高齢者の定義としては65歳以上ということになっているので、今のところまだ自分は高齢者ではないと考えているけれど、予備軍としての意識は日に日に強くなってきています。 思い起こせば50代は親の介護に追われ、自分自身の変形性股関節症へのケアに当てる時間もほとんど取れず、50代ならではの身体や心の変化といったものは、ほとんど感じる余裕はありませんでした。 介護から解放されようやく落ち着いて気持ちを向けられるようになってきた今、還暦を過ぎ自分の心と身体がどのような段階にいるのかが、ようやく見えてきたように感じます。 どの年齢でどの程度老化を感じるかという…

  • 介護していた時代がだんだん遠く感じるようになってきた

    2022年6月に母が亡くなって、2年が経ちます。 今月は三回忌の法要も控えています。 もう2年。。まだ2年。。 どちらにも感じる不思議な時が過ぎました。 母を亡くしてからは2年ですが、母を在宅で介護していた頃からは、すでに5年近い月日が流れようとしています。 母を介護施設に預けたことにより私自身は、介護からその時点で卒業しました。 卒業してからも、長い間、介護をしていた感覚が自分の中に深く残り、このブログにも介護記録をリアルな感覚のまま記すことができました。 その当時の日記を見れば、まだまだ介護していた頃の記録したいエピソードや、あの頃感じた気持ちや考えなどははっきりと思い出すことはできるけれ…

  • 変形性股関節症15年目の記録

    変形性股関節症を患ってから15年が経過しています。 ここ数年は大きな変化はないものの、記録としてはきちんと残しておきたいので、今現在の状態や改善に向けて努力していることは、時折記しておこうと思います。 ちょうど1年前(変形性股関節症を患ってから14年)の記録記事を見てみたら、股関節の状態としては今とあまり変わらないかな~って感じです。 miyuyuchang.hatenablog.com 悪くなっているということはないですが、昨年に比べて良くなってきたということもない感じです。 ただ、少しずつ室内で行える簡単な筋トレやヨガ、廊下ウォーキングなどもやり始めたので、悪化させずに現状維持ができている…

  • 小津安二郎の作品から今だからこそ見えてくるものがありました

    小津安二郎の作品に触れてみたい気持ちが高まり、「東京物語」「お早う」「秋刀魚の味」を観てみました。 「東京物語」は1953年(昭和28年) 「お早う」は1959年(昭和34年) の作品。 どちらもまだ私が生まれる前の時代のものです。 「秋刀魚の味」は1962年(昭和37年)で、ちょうど私が生まれた年の作品でした。 小津安二郎の作品は、たしか40代の頃にも2作品ほど見たことがあるような気がしますが、この当時はなんの作品を観たのかよく覚えていません。 でも、観た印象としては、「自分が生まれる前の時代だけれど、自分がかなり小さかった頃の雰囲気も感じられて、懐かしいな~」といった程度のものでした。 小…

  • 不調をなんでも股関節のせいにしてはいけないと気づいた

    変形性股関節症と付き合って、今年でもう15年目ほど。。になるかな。 介護を終えたここ数年は、自分の身体と向き合える時間も取れるようになり、だいぶ安定はしています。 股関節の痛みそのものは、数年前までとは大きく違って、だいぶ軽減され脚の力も付いてきた感じはしています。 ただ、よくよく自分の身体を観察していくと、私は全身の筋肉の痛み、のようなものを慢性的に感じている、ということに改めて気づいた。 肩や首の凝りもひどい。 長時間PCに向かってから立ち上がって動き出そうとしても、全身が固まったようになっていて動き出しは「イタタタ。。」って感じに必ずなる。 この現象はずっと以前から感じていたことだったけ…

  • 親の死というリアルな記憶には消費期限がある

    私はすでに両親を見送った身であるけれど。 だからこそなのかな。 今でも親の介護をしている人や、親を看取った人のことがとても気になります。 学生時代からの親友とは、ほぼ時期を同じくして両親を見送りました。 なので、親友の母親や父親が亡くなるたびに、自分の親の死をリアルに思い出し、まるで自分の親を失ったように悲しみに暮れました。 2024年今現在だと私は、父を亡くしてから4年と2ヶ月。母を亡くして1年と7ヶ月ほど経ちました。 その間には、親友のように近しい間柄の相手だけでなく、SNS上だけでのつながりのある人や、こっそり閲覧していただけのブロガーさんの中にも、親の介護をしている人はたくさんいて、悲…

  • これからの時代の60代で生きる

    2024年私の人生においてもまた 新しいページが開かれました。 私は今年の8月で62歳になります。 以前は自分の年齢を堂々と公表することには抵抗がありましたが、60代になってきてからは、そうでもなくなってきましたね。 それは、もう歳なので開き直ったんだ、ということではなくてですね。。 最近の60代はみんなずいぶん若々しくて、歳を重ねる素敵さを醸し出している方もたくさんいて、若い頃に想像していた60代の印象とはだいぶ違います。 なので、歳をとったことを恥じる必要はないのかな、と気づき始めてきたわけです。 あ。でも。。歳を取ることを恥じたり、年齢を言うことに抵抗感があった自分って、なんなんだろう❔…

  • 親が生きている人をうらやましく想う

    高校時代からの友人と、大学時代からの友人とは、長年に渡りブランクもなく、ずっと付き合いが続いています。 女の人は一生の友達が作りにくい、などという説も聞きますが、私も友人たちもずっと独身だったせいか、生涯の友として成立しています。 大学時代からの友人は、私と同じようにここ数年のうちに両親を亡くしました。 高校時代からの友人は、母親はまだ健在です。 彼女は母親が23歳のときに生まれたそうなので、まだ84歳です。 私は母が36歳のときに生まれたので、生きていたら97歳か。 同級生でも、親がいつ生んだかによってだいぶ年齢は違いますね。 母がもっと早く私を生んでおいてくれたら、母ともっと長い時間を過ご…

  • 認知症になりやすい生き方ってあるのかな

    認知症になる人とならない人の違いってなんなんだろう? 私はこのことを、認知症だった母のことを思い出しながら、時々考えます。 認知症のリスクを高める要因は、食生活や運動習慣、そして遺伝的な要素というのは以前から言われていたことでもあり、たしかにそれは否定できないだろうな、とは思います。 ただ私は、それ以外にもその人のものの考え方とか、心の持ち方とか、一見しては気づきにくいその人の生き方そのものにこそ、リスク要因がかなりあるような気もしてる。 「悪いけど。。少し休ませてもらいます」 これは認知症がかなり進行し要介護4だった頃の母の寝言です。 認知症になる前の母は、自己犠牲的とも言えるほど、家族のた…

  • ちっぽけな父の遺品も捨てられない

    2019年11月に父が亡くなって、4年が経とうとしています。 あれから11月が巡ってくるたび、いつもとは違った特別な感情で 父のことを思い出す時間が増えてきます。 父は1ヶ月半ほど入院した後に 病院で亡くなりました。 家に居られた最後の1ヶ月間ほどは たくさんの薬を苦しそうに飲んでいた姿が忘れられません。 普段は朝と晩に飲む薬を小分けにセットしておき、父の食事が終わったら私がその都度出してあげていました。 父の薬は徐々に薬が増えていき、不安でした。 初期の頃は、血圧の薬が一粒だけだったのに。。 父が家に飲み残した大量の薬を、4年経った今でもまだ捨てられずに、あの当時置いておいた棚の所に、置いて…

  • 変形性股関節症になった頃の多大な不安感

    私は、2009年47歳頃から股関節の違和感や痛みが強く出始め、変形性股関節症であることが判明しました。 その当時の私は、多大なる不安感と将来への絶望感を覚えました。 というのも、変形性股関節症は治せるものではなく、そのまま放置しておくと進行していく障害だという情報を知ったからです。 手術 (人工股関節置換術)という選択肢もあるようでしたが、数々のリスクも懸念され、それ以上に私は、自分の身体を傷つけることへの抵抗感が人一倍強いので、手術は絶対にしたくないと思いました。 命に関わるようなことでなければ、自分の身体は絶対に傷つけたくない! そんな信念のような強い思いが私にはあるのです。 なので私は若…

  • 親の死を受け入れるということ

    2019年に父は95歳で他界、2022年に母は96歳で他界。両親を亡くした今、親の死を受け入れるということについて、思ったことを綴ってみます。 子供時代の私は、親が死ぬなんてことは普段はほとんど考えたことはなかったけれど、いつか親が死んでしまったら。。ということをふと想像し、悲しくなって泣いたことは多々あるな。 よくよく考えてみると、子供時代だけじゃなく、介護をする前の40代位までは、親の死なんてとても受け入れられないという、子供時代と同じような感覚でいたような気がします。 親の死、というと、両親という意味合いに捉えられるかもしれないけれど、特に母親の方です。 父が亡くなったら、と想像して泣い…

  • 母の人生は本当に不幸だったのだろうか

    2022年に96歳で亡くなった認知症の母について、思うことの記事です。 母が亡くなって1年以上過ぎました。 この1年間は、介護で大変だった頃の母を思い出すことが多かったのですが、次第に私は母の人生そのものについて考えるようにもなってきました。 母は生まれたときから最も身近な存在で 母のことはなんでも知っていたような気になっていたけれど。 母がまだ若かった頃の写真を見ると、そこには私の知らない母の世界が感じられ 私は改めて 母のことをもっと深く知りたくなりました。 見た目には母は明るく元気で 愛情深い人だったけれど。 ネガティブな感情も強く そのような発言をする事も多かった。 本気なのか冗談半分…

  • 歳を重ねるのも悪くないことを感じている

    先日、同世代の友人からこんな言葉を聞きました。 「歳はとりたくないな~って思わない?」 友人は徐々に弱ってきている母親を見ての言葉だったようですが。 親の介護を散々経験した私としては、 「ほんと。そ~だよね~」って、同調してあげたい気もしたけれど。 結局私の口から出た言葉は、 「若い頃の方がそう思ってたかな~」だった。 還暦を過ぎ親の看取りを終えた今の私の本心は、歳を重ねることも悪くない!むしろ楽に生きられる、といったポジティブなもの。 でも、このように感じる人は、世の中たしかに少ないと思う。 今の私は変形性股関節症であるため、同世代に比べ足腰はかなり弱くなっているけれど、それは単に老化が原因…

  • 自動ドアの幽霊現象

    2022年6月。最愛の母が96歳で亡くなり一年が経ちます。 母は認知症を発症し徐々に体力も衰え、約9年ほどの在宅介護の後、介護施設に2年と7ヶ月いて最期を迎えました。 看取りに入ってからも、母は施設で穏やかに過ごしてくれました。 亡くなる当日もほんの少しだけゼリー食を口にし、その後ウトウトとまどろんでいるうちに、眠るように命の炎を燃やし尽くした母。 葬儀は家族葬でお願いしましたが、母の亡骸は一般葬用の安置室を使わせていただくことができました。 安置室まで運ばれる間、私達兄妹は一般葬儀場の広い正面玄関に面したロビーの椅子に座り、ほんの数分待たされたのです。 ロビーには私達兄妹以外誰もいません。 …

  • 変形性股関節症今現在の状態

    2009年の末頃から、私が変形性股関節症の痛みが本格化してから今年で14年になります。 痛みがひどく眠れない夜もあったというのに、手術もせず、これいった保存療法に励むでもなく、それでもなんとか元気に日常生活は送れています。 過去の股関節の状態に関してはこのブログでも記していますが、今現在の状態についてはあまり記していないことに気づき、このあたりで少し記録していく必要があるかなと感じました。 今現在の私は、杖なしで歩けています。 歩き出しはかなり痛みが強いですが、しばらく歩いているうちに安定してくるようです。歩き続けるのはやはり苦痛です。それは脚の痛みというより、疲れてきてしまうからです。一日の…

  • 家族揃って暮らせた最後の平和な年 2017

    2017年は とりあえずではあるものの 父も母も生きていて 誰ひとり入院することも施設に入ることもなく 我が家で一緒に暮らすことができた最後の年になりました。 この年の9月で父は93歳に。 歩行もしっかりしていて、まだ自転車で、近所の歯医者さんや床屋さんには行くことができました。 ただ、この年の春先に風邪をひいて体調を崩した時には、夜間トイレに行く際にだいぶフラついていたようで、廊下や布団まで汚してしまうということがありました。 父の場合、こんなことは初めてだったので、今までにはない老衰を感じショックを受けました。 2012年に腹部大動脈瘤の手術で挿入してあるステントグラフト(人工血管)の周囲…

  • 整形外科の通院をやめたわけ

    2010年の年明け頃から変形性股関節症の症状が強く出始めた私は、その後2012年5月から2017年5月まで、近所の整骨院に通っていました。 通い始めの頃は、月に数回通っていましたが、徐々に月に1回のペースで定期的に5年間通いました。 以前の記事にも書きましたが、数年間通っていくうちに、整骨院に通うことの効果に疑問を感じるようにも。 👇 miyuyuchang.hatenablog.com 整骨院に通い始めた頃は院長先生が担当し、股関節の症状などを親身になっていろいろと聞いてくれました。 「絶対によくしてあげますから!」 そういった心強い言葉もいただけて、安心感を覚えました。 施術を受け始めた当…

  • 古いカセットテープに残された母の言葉

    うちにはまだ古いカセットテープが何本も残されています。 もう何十年も聴いてないものばかりで、なにが残っているのかずっと気にはなっていましたが、なんとなくそのままになっていました。 しかし、介護も終え自分の時間もある程度作れるようになったので、動作確認も兼ね少しずつ聴いていくことにしたのです。 確認してみるとほとんどのテープが、当時好きだった曲を録音したものだったのですが、予想外に家族の声を録音したものもたくさん出てきました。 古いものは、1970年代前半くらい。私が10歳頃の録音も残っていました。 みんなで歌を歌ったり、お互いにインタビューしたり、母親が夕食準備しているところに取材に行ったり、…

  • 93歳まで自転車に乗っていた父

    私の父親は、2019年に95歳で亡くなりましたが、亡くなる1年半前までは、近くの歯医者さんや床屋さんなどには自転車で出かけていました。 今思うと、93歳でも自転車に乗って出かけることができた父親の凄さを、改めて感じます。 その後は、入院することもあったりし、自転車には乗れなくなってしまいましたが、亡くなる3ヶ月前くらいまでは、ほぼ自分のことは自分でやっていました。 父とは、亡くなる3日前に入院先の病院で会ったのが最後でした。 そのときにはもう会話をするのは辛そうでしたが、頭はしっかりしていて、私のことも兄のことももちろんわかっていたし、施設に入所したばかりの母のことも気にかけていました。 娘で…

  • 手をはさむケガをよくしていた頃の母

    在宅介護6~7年目、2015~2016年。認知症だった母の要介護3だった頃の様子を書き記しておきたいと思います。 2015年4月21日 整形外科の帰りにタクシーに乗り込む際、母は閉めようとしたドアに思い切り手をはさんでしまい、大騒ぎになりました。 この時は、兄が母と一緒に後部座席に、私が前の助手席に乗りました。後部のドアは自動で閉まるのですが、助手席側は手動でしか閉められないので、私はいつも通り乗り込んだ後、ドアをバタンと閉めました。 するとその途端、後部座席にいる母親の悲鳴が😱!! 一体、どこに手を置いていたのかよくわからなかったのですが、母親の手からは流血していて、ケガに弱い私達兄妹はあた…

  • トレーニンググッズをあれこれ買っていた頃

    今回は変形性股関節症発症から7年目 2016年後半の日記をもとに、その頃の状態を記しておきたいと思います。 10月2日 夜は疲れてぐったり。脚の筋力がさらに落ちたのかすぐに疲れ、脚も動かなくなり持ち上がらない。 10月3日 夜、初めて(患側ではない方の)右脚の力が抜けて、布団の上に転倒してしまった。 10月22日 筋膜ほぐしローラーというものを見つけ、脚の痛みに効きそうな気がしたので購入。 使ってみたら気持ちいい。股関節周辺の筋肉のコリに効く感じ。 あ。今でも同じ商品見つけました。これですこれ! ↓ La-VIE(ラヴィ) 筋膜ローラー ほぐ師 マッサージローラー La-VIE(ラヴィ) Am…

  • ブログを書き続ける意味について考えてみた

    2023年がスタートしました。 このブログものんびり更新ながらも、書き続けて3年以上経つんだなぁ。 書き始めたのは父が亡くなった後からだ。 その当時の母は、介護施設に入所したての頃でまだ生きていました。 このブログは親を介護した中での数々の体験を、当時の日記をもとにその時の想いと共に、ブログとしても残したいと考え綴り始めました。 そして、自分自身の変形性股関節症の状態も、時の経過と共にどのように変化していくのか、自分でも興味深く見つめながら、過去の日記も引用しながら記録として残していきたいと考えました。 親の介護をテーマにしたものは、過去の体験談がたくさんあるので、書きたいことはまだまだありま…

  • 2022年は別れの年でした

    2022年も残すとこあとわずかとなりました。 毎年、今年の漢字を自分なりに考えてみるのですが、今年は別れの【別】にしようと思います。 今までの人生を振り返って、いつになく別れを多く体験した年だったように感じるから。 まずは何を置いても今年一番の別れは、6月末に亡くなった 最愛の母親との別れです。 miyuyuchang.hatenablog.com それよりも3ヶ月ほど前ですが、満開の桜の季節に 学生時代からの親友の母親も、亡くなっています。 miyuyuchang.hatenablog.com 彼女と私は生まれた日は10日違い、そして母親を亡くしたのは3ヶ月ほどしか離れていなかったので、特別…

  • へたしりこむと立てなくなる母に手を焼く

    在宅介護5年目 2014年10月~11月頃の母のことを記しておきます。 10月27日 この日は昼頃、母は兄に付き添われ、タクシーで1分ほどの距離にある整形外科から帰ってきました。 この当時母は月に一度、骨粗しょう症の薬をもらいに、定期的に受診していました。 最初の頃は歩いて通えていたのですが、次第にたった5分の距離も歩けなくなり、タクシーで通うことに。 そして、この日タクシーからは降ろせたものの、きちんと立つことができずに、そのまま地面にへたりこんでしまいました。 このパターン。家の中でも何度も経験していて、立たせるまでに最長2時間位かかったこともあります。 兄と二人で脇を抱えて立たせようとす…

  • テレビの情報番組はどこまで信じていいものか?

    お題「気になる番組」 私は、健康に関するテレビの情報番組はわりと気にして観るほうです。 ここ数年で医学も急速に進んでいるようで、癌に関しても近い将来撲滅できるようになるとか、最近の抗がん剤治療は昔に比べて、副作用はだいぶなくなった、といった情報も先日テレビで観て、癌に対する不安感も軽減される気がしました。 癌では死なない、認知症も治せる、そんな時代も、そんなに遠くない未来にやってくるんだろーなあ、という希望も見えてくる気がします。 先日は、NHKで「チョイス@病気になったとき」という健康情報番組で、変形性股関節症をテーマにしたものを放送していました。 ただ私は、自分に関連した変形性股関節症をテ…

  • 股関節が悪いので転倒には気を付けないと

    2016年 変形性股関節症発症から7年目の記録をもとに、書いてみたいと思います。 私は股関節が悪いわりには、転んだりつまずいたりといったことは、今のところほとんどありません。 ただ2016年11月に、お店の外階段3段くらいあるところを上った際、軽く転んでしまったことはあります。 靴も片方脱げてしまい、すぐに立ち上がれないでいたら近くにいた人に 「大丈夫ですかっ?」 と、心配して声をかけられ恥ずかしかった。。(/ω\) 立ち上がっても痛みもケガもなく大したことはなかったのですが、股関節が悪くなってから転ぶことなど初めてだったので、ショックと不安は大きかった。 これからちょくちょくこんなことが起こ…

  • 腹部大動脈瘤の破裂を未然に防げた父

    2019年11月に亡くなった父ですが、2012年10月(当時88歳)には腹部大動脈瘤の手術を受けています。 あれからちょうど10年経ちました。 腹部大動脈瘤とはお腹のところにある大動脈が 通常の太さの1.5倍以上に膨らんでしまった状態です。正常な人だと2㎝位のところ、父の場合にはなんと!3倍以上の6.5㎝にまで膨らんでいて、いつ破裂してもおかしくない危険状態にありました。 そもそもなぜそんなに大きくなるまで発見されなかったのかといえば、この症状は多くの場合、自覚症状は出にくく、お腹の部分の異常は感じにくく、健康診断でも見過ごされてしまうことが多いようなのです。 それでも、かかりつけのドクターが…

  • 親の介護に不慣れな息子や娘が気になる

    両親の介護を卒業した今、ついつい目にとめてしまうのは、娘や息子に介護されている高齢の親達の姿です。 先日も、月に一度の内科受診に行った先のクリニックで、40代位の息子が付き添ってきていた80代位のお母さんを見かけました。 その日は、市の健康診断を受けるために来たようなのですが、どうやら申込書を持ってこなかった模様。 「市の方から、A4サイズ位の封筒届いていませんでしか?」 看護師さんに訊かれると、息子さんの方がお母さんに 「そんなのきてた?」と、全く知らない様子。 するとお母さんのほうは、 「そういえばなにか来てたけど、よく見てこなかったわ」と。 お母さんのほうは認知症ではないようでしたが、杖…

  • ついに還暦を迎え気持ちは複雑です。

    タイトルからもお分かりの通り、私はこの夏、ついに還暦を迎えました。 年齢など気にしないで生きようとは思っているものの、やはり慣れ親しんだ50代から未知の60代という世界に入っていくには、抵抗感を含んだ緊張感があります。 60代か~。60代と言えば、もはや高齢者の仲間入りだよな~なんて思いも、正直言って拭い去れない部分はあるものの、 自分が子供の頃とか若者時代に見ていた60代と、今の時代の60代とはずいぶん印象が違う。 たしかにどの年代を見ても、時代とともに若々しくなってきてます。 60代という未知のエリアを一歩踏み出し、これから自分はどうなっていくんだろう❔ いやいや待てよ。どうなっていくんだ…

  • ロンググッドバイ認知症の母との数々の別れ

    少しずつ記憶を失って、ゆっくりゆっくり時間をかけて遠ざかっていくことから、アメリカでは認知症のことをロンググッドバイ(長いお別れ)と呼ぶこともあるようですね。 スローグッドバイなどと表現していたのも聞いたことがあり、認知症の母と長い年月をかけてお別れした今の私には、心から納得する表現だと感じています。 世の中には母親との縁が濃い人もいれば薄い人もいる。 母親のことを大好きな人もいれば、なんらかのワケがあって好きになれない人もいる。 そう。母親との関係は人それぞれ。 私は子供の頃から母のことは宇宙で一番大好きで、母が死んでしまったら私も生きていけないとずっと思っていた。 「いつの日か母が死んでし…

  • 葬儀に参列する人が少なくてもいい

    この2年半ほどの間に、父と母、ふたつの葬儀をあげました。 ともに家族葬で、参列者は私と兄のふたりだけ、という小規模なものではありましたが、菩提寺もありやるべきことはきちんと丁寧にやれたと思っています。 両親ともに兄弟姉妹は多く、親戚付き合いも広かったので、今まで数え切れないほどの冠婚葬祭に親達は関わってきました。 特に高齢になってからは年に何度も、葬儀や法事に呼ばれていたことを思い出します。 生きている間にそれだけたくさんの人達を見送った両親ですが、自分達が亡くなる頃には、もはやほとんどの兄弟姉妹はこの世からいなくなってしまいました。 両親の甥や姪に当たる人達はまだ生きています。 私達からする…

  • これで介護施設ともお別れです

    2022年6月 要介護5だった母は96歳で亡くなりました。 先日、母が入所していた介護施設の退所手続きを済ませました。 その介護施設はショートステイで約1年、その後入所し約3年、合計4年近くお世話になりました。 介護施設やケアマネさんに関しては、当たり外れがあるとか、相性が合う合わないがあるとかよく聞きますが、母をお願いしていた施設は皆さん温かく親切丁寧で、良い所にお願いできたと思いました。 介護施設は、ケアマネさんから紹介されたのではなく、私が自分で決めました。 決め手になったのは、家から比較的近い所にあることと、そこは私が子供時代を過ごした地域であり、母にとっても馴染みのある環境だと思えた…

  • 老衰で弱った母を元気にした言葉

    介護施設に入所していたに母が老衰で亡くなる一ヶ月ほど前(2022年5月)に、母の弟(私達にとっては叔父さん)に会わせることができました。 母の兄弟はたくさんいましたが、長生きしていると皆 他の兄弟たちは次々と亡くなってしまいます。 唯一生き残った叔父さんは、母とはひと回り違う弟です。 その時点での母は、そろそろ看取りに入る直前だったので、会いに行ってもウトウトまどろんでいることが多く、呼びかけても全く目を開けてくれないこともありました。 ちなみに看取りというのは、無理な延命治療は行わず、自然に亡くなるまでの過程を見守ることです。 しかしこの日、母の弟である叔父さんが顔を見せると母は珍しく目を精…

  • 96歳の母は理想的な老衰死を遂げました

    2022年6月 介護施設にいた母は 96歳で天寿を全うしました。 お昼に少しだけゼリーなどを口にした後、ベッドに戻りウトウトしているそのちょっとの間に、母の呼吸は止まっていたようです。 認知症はありましたがその他には取り立てて持病はなく、要介護レベルは今年3月の最後の認定で要介護5でした。 そろそろ危ないかもしれません、と言われてから亡くなるまでの間、ずっと気持ちがざわめいていて、ブログの記事を書くこともできませんでした。 いろいろな事が片付いて、気持ちもだいぶ落ち着いてきたので、また少しずつ書き残していけたらと思います。 そろそろ危ないと言われた看取りの段階に入ってから 一ヶ月以上は生きてい…

  • 親の物を処分するということ

    在宅介護5年目の2014年から、週二日ほど母にはデイサービスに行ってもらうようになったことから、私はそれまでなかなかできなかった家の片付けや大掃除に励みました。 認知症の母はもちろん、父もだいぶ物の管理能力は低下してきていたので、私がふたりの持ち物をすべて管理できるよう、物の数はできるだけ減らす方向で片付けました。 とは言っても、母がいない間にこそやることは他にも山積みだったので、不用品などの片付けにはその後も5年ほどかけてやっていきました。 世間では、親の実家を片づけるのに大変苦労している人がたくさんいるようですね。 実家が別にあって、その実家には両親の大量の物があって、それをなんとかしなけ…

  • ぶら下がり健康器具を買ってみた

    今回は変形性股関節症発症から7年目 2016年6月の記録をもとに書いています。 この時期には、通常の親の介護に加え、家の大掃除や長年倉庫にあった不用品の片付けなどをしていたこともあり、脚の痛みはいつも以上に強く出ていたようです。 整骨院には、月に一度くらいのペースでまだ通っています。 この当時の日記によると、このところすぐに疲れてしまうので、家事などの立ち仕事がつらい、と記されています。 ある日、何気なくホームセンターのチラシを見ていたら、ぶら下がり健康器が目にとまりました。 変形性股関節症により身体のゆがみを強く感じていることから、ぶら下がってみるとけっこう気持ちいいのではないかと思い、ぶら…

  • 高齢者が点滴になってからの余命は?

    2022年3月末 桜が満開の頃に親友のお母様が亡くなりました。 親友である彼女とは学生時代からの長い長い付き合いです。 お互いにずっと独身で実家で両親と一緒に暮らしていた、という、とても似た境遇であり、今となっては身内に近い存在になっています。 病院ではずっと面会できなかったようで、危篤状態となり約3ヶ月ぶりに、そこでやっと母親に会えたようです。 親の介護がスタートしたのは、私の方がだいぶ早かったのですが、彼女もここ4~5年前くらいからは、在宅での介護をすることになりました。 彼女のお母様は昨年の秋頃までは自宅にいられたようですが、徐々に食事がきちんと摂れなくなり入院。その後、12月頃から病院…

  • デイサービスでの母の残された能力に驚き!2014年7月の記録

    今回は、2014年7月 母の在宅介護5年目の記録を振り返ります。 この年の5月から母はデイサービスに通い始めています。 この頃、デイサービスでの様子をたくさんの画像と共にプリントしたものを初めていただきました。「デイだより」のような新聞形式になっていて、その後も毎月発行されて、家族も見るのを楽しみにしていました。 それを見ると、母は塗り絵やボールゲームをしたり、料理を手伝ったり、歌を歌ったり、お花見や様々なイベントに参加している様子がわかりました。 この頃には家では家事などすることは一切なく、まして料理なんて危なくてさせられるはずはなかったのに、デイでの写真を見ると、包丁を持って野菜を切ってい…

  • ストレスからか手湿疹に悩まされる。2016年3月

    変形性股関股節症発症から7年目 2016年3月~5月頃の様子と、2022年現在の様子も併せて書いておきたいと思います。 今回は、股関節痛とは直接関係のない症状についての記録となります。 2016年、この頃から、手の指にポツポツと湿疹が出るようになり、皮膚科に何度か通っています。 最初は手だけだったので、家事や水仕事などをする人によく現われる手湿疹と診断され、塗り薬を処方され、素手で洗い物はしないように言われました。 なので、洗い物をするときには中に綿の手袋をして、外側はゴム手袋といった完全防備状態に。 在宅介護をしていた時期だったので、なにかと洗い物は多く、そのつど二重手袋をするのはとても大変…

  • 介護用おむつの厚みが増していく頃。2014年6月の在宅介護記録

    今回は、2014年6月 母の在宅介護5年目の記録を振り返ります。 母がデイサービスに行っている間には、日頃できない箇所の掃除などをこなしておく。 母の洗濯物が多い。梅雨時は大変。アイロンも使って頑張って乾かす。 この頃にはまだ少しだけ余裕も作れたのか、図書館にもたまに行っていました。 6/16 母は一晩中右肩を痛がっていて、私も気になりよく眠れず。 一日前のデイサービスでなにかあったのだろうか? 送ってきた際に、ワーカーさんからは特に報告は受けていなかったけれど。 この日の夕方からは体の力も抜け、熱が8度2分ほど出る。 夜寝てからも、なかなかトイレに立つことができず。 翌6/17日 深夜0時過…

  • 失われていく過去に思いを馳せる

    今週のお題「復活してほしいもの」 今回は「復活してほしいもの」というお題に沿って書いてみたいと思います。 長く生きていると復活してほしいものといえば、ちょっとやそっとでは語りきれないほどたくさんあるものですね。 まず、私が今真っ先に頭に浮かべた復活して欲しいものは、2年ちょっと前に亡くなった父親かな。 亡くなった人がこの世に復活するなんて、絶対に無理なこととはわかっていても、また会いたいし、この手で触れることができたらどんなにいいだろう、と今でもずっと考えてしまいます。 いつか天国でまた会える! そう信じる気持ちがあるからこそ、その想いに支えられ、自分の人生のゴールまで一生懸命に生きられる気が…

  • 浮き指がウオノメの原因に。2016年1月~2月

    変形性股関節症発症から7年目 2016年1月~2月頃の様子と、2022年2月現在の状態についても併せて記録したいと思います。 まずは、2016年2月には、相変わらずウオノメの痛みに悩まされ、スピ-ル膏(薬剤付きのパッド)なども使って除去するために励んでいます。 スピ-ル膏は、ボコッと盛り上がっている部分はよく取れるものの、芯の部分は残ってしまうケースが多く、この当時はウオノメの数も多かったので、思うようにはなりませんでした。 それに、何度も繰り返し使っていると、なんだか皮膚がおかしくなってしまうような不安も感じ、長く使い続けるのは控えました。 ウオノメ削り用のカッターなども使ってマメに削ったり…

  • デイサービス帰宅後 2014年 5月と2022年1月の母の様子

    今回は、認知症になった母の在宅介護5年目 2014年5月の記録と、2022年1月現在施設にいる母の様子について書いておきたいと思います。 5/3 初めてのデイサービスに行って帰ってきてからは、思ったより元気そうに見受けられました。しかし、夜間トイレに入ってから出るときに脚の力が入らなかったらしく、トイレの前で転んでしまいました。 突然慣れない環境に身を置いて、肉体的にも精神的にもかなり疲れていたのでしょう。 見た目だけでは なかなかわかりませんでした。 転んだことは本人 ショックだったようですが、特にケガをしている様子はなく、多少打ったところが痛い程度で済みました。 翌朝起きてからも、特にどこ…

  • 変形性股関節症になってよかったこと

    今回は、変形性股関節症になってよかったと、思えることについて書こうと思います。 えっ!? よかったことなんて、本当にあるの❔ と、ほとんどの方は当然思われるでしょう。 もちろん、心からよかった、なんて思えることはありません。 でも、私の人生において簡単には取り除けないこの障害は、私にとってなにか意味のあるものではないかと捉え、そのポジティブな意味についてずっと考えていました。 最初に思いついたよかったことは、障害のある人に対する緊張感がなくなった、という点です。 脚に問題がなかった頃には、障害を持った方が身近にいなかったこともあり、なんとなく抵抗感や緊張感がありました。また、必要があればサポー…

  • 確実に老衰に向かっている母2021年12月

    12月中旬、ドクターから家族にお話があるとのことで、母のいる介護施設から連絡があり、兄とふたりで行ってきました。 施設内の医務室に通され、施設長さんやケアマネさんも同席されました。 今現在の母は、食事が十分に摂れなくなり、体重の著しい減少が起こっています。 昼間でも眠っている時間が多くなっています。 ヘモグロビンの値が5.7と低く、かなりの貧血状態です。 体内出血などはないかの確認のため、簡易CTを撮ったらしいのですが、そこでは明らかな問題は見つからなかったようです。 ただし、入念な検査をしてみれば、重篤な病気は見つかるかもしれません。 今の段階でも、水腎症、腎臓に石、肺にも少し水は溜まってい…

  • 施設にいる母親の変化2021年12月

    母が入所している施設では、制限時間は15分となっていますが、11月からはパーテーション越しではなく、直接会うことができるようになりました。 先週も会いに行ってきたのですが、今までにはなかった母の老衰変化を感じ、いつになく不安になりました。 いつものように車椅子で連れてこられた母は、ウトウトして半眠りの状態。 今までにも、会っている間に眠りそうになってしまうことは何度もあったし、そんな時はちょっと身体を揺すったり、呼びかけたりしてみればすぐに目を覚ましてくれたので、今回も同様に起きてもらおうと思いました。 ところが、今回はどんなに揺すったり呼びかけたりしてみても、深く眠り込んでいて一向に目を覚ま…

  • 貧乏ゆすりに励んでみた 2015年9月~12月の記録

    変形性股関節症発症から6年目 2015年9月~12月の記録 この年の9月頃からは 変形性股関節症に効くと言われていた、貧乏ゆすりも取り入れ、意識して脚を動かすようにしてみました。 この場合の貧乏ゆすりとは、股関節や膝関節を自分で意識して小刻みに動かす運動(ジグリング)のことです。 その細かい振動を起こすことにより、軟骨の再生を促し股関節がスムーズに動かせるようになり、股関節痛にも効果が高いとされています。 健康雑誌でも貧乏ゆすりは変形性股関節症に効果的!といったテーマのものが、今でも時折登場しています。 ちなみに、その貧乏ゆすりのやり方は、 ■ 足の裏がきちんと床に着く高さの椅子に座り。ひざの…

  • 父親の最期に間に合わなかった無念

    父が亡くなって今月11月で丸2年が経ちます。 今回は2019年11月に、95歳で亡くなった父のことを書きたいと思います。 今でもまだ、父がなくなった日のことはもちろん、亡くなる前までの父の様子は鮮明に思い出すことができます。 11月に入った途端、この時期らしい空気感とか空の色とか、夕暮れの雰囲気とか、そういったものにより、父への想いが、普段より強く引き出されてくる感じがします。 父は入院し2ヶ月足らずで亡くなってしまいましたが、それまで自宅で生活できていたことは、95歳という年齢を考えれば、とても恵まれた晩年だったといえるような気がします。 病院から危篤の連絡を受けて駆け付けたときにはもう、父…

  • 施設にいると母とようやく直接会えました。2021年11月

    感染者数がだいぶ落ち着いていることから、母が入所している介護施設では、11月から面会の制限がだいぶ緩和されました。 要介護4で、介護施設に入所している母親(95) とは、今月1年と8ヶ月ぶりに直接会って触れ合える形での面会を果たすことが可能になったのです。 10月まではパーテーション越しに2m位の距離をあけて会うことしかできなかったので、触れることも会話もままならず、もどかしい思いをしてきたものです。 距離を置いて面会していた頃は、アクリルボードの先にいる母が、まるでバーチャル空間に存在するアバターのような、実体のないものに思えるように。。 ようやく直接会えて、1年8ヶ月ぶりに母の手を握った瞬…

  • 大きな変化を迎えた10年でした。

    はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」 今回は、募集テーマのひとつであった「10年で変わったこと・変わらなかったこと」について書いてみたいと思います。 2011年頃からの10年間は、私の人生の中でも、あらゆる意味で一番大きな変化を迎えた10年だったと思えます。 この10年間で、子供の頃からずっと一緒に暮らしてきた父は亡くなり、母は認知症になり次第に在宅介護も限界を迎え、介護施設に入りました。 生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた4人家族が、兄と2人になってしまいました。 この10年間で、私の変形性股関節症は進行し、歩行が困難になり、日常生活にかなり支障が出る…

  • 外反母趾が進行している 2015年7月8月

    変形性股関節症発症から6年目 2015年7月8月の記録 (青地部分=当時の記録) 7/20 股関節症の痛みのない方の、右足先の外反母趾がどんどん進行している。 とりあえず、手軽に解消できそうな足指パットを注文した。 足指パットは、外反母趾の矯正に効果のある、足の指の間にはめて使うこれです。 👇 100均でもよく見かけるのですが、たまたま欲しい時には見つからず、この時はわざわざネット注文して取り寄せました。 この後、シリコン製のものも買い求め、今でも時々使っています。 👇こんな感じのものです。 足指サポーター 足指広げる 足指開き 足指矯正パット 【改良新型・外出/自宅2パタン厚み】 外反母趾 …

  • 初めてのデイサービス 2014年5月

    認知症になった母の介護5年目 2014年5月の記録 5/1 あさってからデイサービスを依頼している施設のセンター長さんが、ケアマネさんと共に午後からわが家へ訪問。 契約書などの説明を受け、多数の書類を預かりました。 母も一緒に話を聞いたのですが、何についての会合なのかは、わかってはいませんでしたね。 それでも、ケアマネさんやセンター長さんが母に向けてもいろいろ話して下さり、その都度母も、適当に返事したり調子よく相槌を打ったりしていました(笑) この当時の母は、耳が遠くなければもう少し状況は理解できたかもしれません。 この日も私に対しては、「お茶菓子とかあったでしょ?」「もっとなにか出したら」と…

  • 股関節症が悪化する前の私

    変形性股関節症が悪化しはじめたのが、2010年(48歳頃から) それ以前(たぶん40代前半頃)に書いたと思われる記述があったので紹介します。 👇 数年前のことですが、歩くたびに左脚の付け根の辺りに違和感を感じるようになり、次第に疲れると痛みも加わるようになってきました。とりあえず整形外科を訪れ診てもらったところ、私の場合、先天的に股関節がやや脱臼気味とのこと。 そして加齢と運動不足などにより筋力が衰えてくると、その支えが鈍くなり不調を感じるようになるとのことでした。 こういうタイプの人は別に珍しくはないし、緊急に治療の必要もないようなことを言われ、「出来る限り無理をしないように」という助言とシ…

  • ケアマネさんとデイサービスの見学へ 2014年4月

    認知症になった母の介護5年目(2014年4月)の記録 4/11 先月申請しておいた介護認定の結果通知が届く。 初めての認定結果は「要介護3」でした。 この段階ではまだ母の身体能力の方はそんなに低下していなかったので、要介護には該当しないかもしれない、などと心配していたくらいなのに。 予想していたより高めに出て、ちょっと驚きました。 認知能力にかなり問題あり、とみなされたような気がします。 しかし、失禁も始まっていたし、今思うと要介護3は妥当な評価でした。 4/14 最寄りの在宅介護支援センターを訪問し、今後のことを相談してきました。 4/15 翌日には担当してくれるケアマネジャーさんが、お昼前…

  • トレッキングポールを使って歩いてみた 2015年5月 6月

    変形性股関節症発症から6年目 2015年5月6月の記録 5/10 注文しておいたトレッキングポール届く。 5/13 少し遠出の外出をする際に、トレッキングポールで歩いてみる。 5/14 杖をやめてトレッキングポールに替えたせいか、ある程度歩いた翌日でも、筋肉痛の出方がたいぶ違う。 5/15 ステッパーを踏む。膝上げ筋トレ左右10回。テニスボールと結束ヒモを使ったいつもの脚の矯正をこなす。 5/25 夜間、脚が痛くて、楽股ちゃんで押すことが多くなってきた。 6月 蒸し暑くなってくるにつれ、頭痛、関節の痛み強く出るようになる。 脚の痛みと体調悪い中、細々と仕事も請け負い、介護もこなす。 ※※※※※…

  • いよいよ介護認定に踏み出す 2014年3月

    認知症になった母の介護5年目 2014年3月の記録 3/7 市役所へ介護申請の手続きに行く。 申請にあたって、調査員が後日訪問し、母の現状を調査するとのこと。 主治医の意見書も必要とのことで、依頼して下さいとのこと。 それから10日後の3/17 調査員の女性がひとり来ました。 母には、認知能力を判断するような簡単な質問や、身体能力を見る動きのチェックなどをしました。 介護者である家族には、母の日常の様子や介護で困っていることなど質問されました。 介護認定が受けられた後、利用したいサービスについても聞かれたと思います。 うちではとにかく、母の入浴問題が深刻化していたので、定期的にお風呂に入れても…

  • 脚力アップのためステッパーを踏む 2015年3月

    変形性股関節症 発症から6年目(2015年4月)の記録 4/16 電車と徒歩で往復2時間位の外出をした翌日。家事をするのもやっと、といった感じの筋肉痛が強く出ています。 この当時はある程度歩くときには杖を使っていたので、腕の筋肉痛も強く出ていたと思います。 ただ、私はどんなに痛みが出ても痛み止めの薬は使いませんでした。 湿布薬も使いませんね。 薬で痛みを抑えてしまうと、良くなったと勘違いして無理してしまいそうだし、その後どこをどうケアしていけばいいのか、自己判断できなくなるからです。 痛みという信号を頼りに、休んだり、ほぐしたりすることができるし、痛みの原因となった動きなどを割り出すことができ…

  • 座っていて突然意識を失った母 迷走神経反射

    認知症になった母の介護5年目 2014年3月11日 この日、母のことでとてもビックリさせられることが起きました。 この頃の母はまだ、短時間であればひとりにしておいても、そんなに危険なことはなかったので、私は洗濯物を干すためにベランダに出ていて、しばらく目を離していました。 いつものように洗濯物を干し終え、戻ってきてみると、母は椅子に座ってはいたものの、体勢は崩れ目はうつろで、グッタリしていました。 私はただただ驚いて、大声で呼びかけましたが反応がありません! 急いで兄も呼んで、ふたりで母の体をさすったりしながら何度も呼びかけましたが、しばらくは反応もなく、口からはよだれを流し始め、目からは涙も…

  • 階段は片足ずつしか上がれなかった 2015年1月~3月

    変形性股関節症 発症から6年目(2015年1月~3月)の記録です。 1/3 椅子に座ってできる足の運動を始めました。椅子に座ってできる運動は、股関節が痛くてもできるものがけっこうあります。 1/8 脚の運動の効果か、階段の手すりにつかまってなら、左足からも上がれるようになっています。 そうでした! この頃は、手すりにつかまった状態でも、先に痛みの出ない右足を上げて、次に左足を横に揃えて上げるしかできなくなっていたのです。 つまり、一段ずつ両足を揃えてからでないと、次の段に進めないということです。 この当時は、痛い方の左足から階段を上がろうとしてもまったく力が入らず、無理に体重をかけたりすると、…

  • ひとりでお風呂に入れるのも限界か 2014年

    認知症になった母の介護5年目 (2014年1月~2月) 1/2 年明け早々、またまた母はトイレを詰まらせました。 大量のトイレットペーパー、そして時にはペーパーの芯まで流し、詰まってしまっても何度も何度も水を流そうとするので、次第に溢れ床まで水浸しに。。。 1/6 早朝のトイレで、下着もパジャマも濡らしてしまいました。 1/14 この日もまた、トイレを詰まらせトイレットペーパーが溶けた水を床に溢れさせ、その後の処理に疲れ果てました。 1/18 母がお風呂から出た後の浴槽の中を見ると、トイレットペーパーのカスや髪の毛などがたくさん浮いていました。たぶん、この頃はもう自分で身体を洗うことはできなく…

  • たった一日だけ過去に戻れるなら。。

    はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 もしも一日だけ過去のどこかに戻してもらえる魔法があるとしたら、私は9歳の頃の、ごくごく平凡な日に戻してもらいたいと考えています。 時代的には1971年(昭和46年)です。 1971年 私は小学校2年~3年生でした。 その頃うちは、父がサラリーマンとして働き、母は専業主婦、兄は私とは7学年離れていたので、中3~高1でした。 両親と子供二人という、ごくごく平凡な4人家族でした。 私は毎日元気に小学校に通い、帰宅してからは友達と遊ぶか、家で本を読んだり母と過ごしていました。 習い事はまったくしていませんでした。 私自身なにかを習いたい気持ちはな…

  • しゃがみ込んだら立ち上がれない 2014年後半

    変形性股関節症発症から5年目(2014年後半)の記録 この年にはもう、電車、バス、徒歩などの手段を使って、片道一時間程度の移動距離が限界になってきています。 今現在もたぶん、遠出するならこの位が限界だと思います。 この年の7月 キッチンでしゃがみ込んで低い位置にあるものを整理していたら、立ち上がれなくなった、と日記には記されています。 しゃがみ込んでいる時間が短時間であれば、近くにある椅子やテーブルなどに手を付いて立ち上がれたはずなのですが、この時は少しだけしゃがみ込んでいた時間が長かったようです。 手近にある物につかまっても、脚に力が入らず立ち上がれません。 仕方なく、思い切って尻もちをつい…

  • リハビリパンツデビューの年 2013年介護4年目

    認知症になった母の介護4年目 2013年11月~12月 この年の11月から、母は初めてリハビリパンツを使い始めました。 リハビリパンツは紙おむつではありますが、パンツタイプになっていて、まだトイレに行ってできる人が主に使うものです。 私がリハビリパンツの存在を知ったのは、この前の年2012年に父が腹部動脈瘤の手術をした際、一時的に必要になった時からです。 手術後に病院側から、 「リハビリパンツも買って用意しておいて下さい」と言われ、 リハビリパンツってなんだろ?と思い、売店に行って聞いてみて、 なるほどこれか! と、知りましたが、吸収量にもいろいろ差があり、サイズも幅広く用意されていて一瞬戸惑…

  • 家族揃って過ごせた最後の日

    はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 今回はテーマ投稿に合わせた内容で書かせていただきます。 2019年9月26日木曜日 その日は生まれてからずっと一緒に暮らしてきた、両親と兄そして私という、家族4人での暮らしが最後になる日でした。 認知症で要介護4となった母は、翌日から介護施設の入所が決まっていました。 父は95歳、母は93歳、兄は63歳、私は57歳でした。 10年近く、兄と力を合わせ在宅での介護を頑張りましたが、とっくに限界を超えていました。 入所までにかなり待たされ、やっと順番が回ってきたのですが、ほっとする気持ちなどまったくなく、ギリギリまで母を手放したくない想いに駆…

  • 介護に疲れ自分の脚のケアができない 2014年前半

    変形性股関節症発症から5年目(2014年前半)の記録 この年のお正月頃の日記を見ると、脚の痛みはわりと安定している、と書かれてあったものの、1/10日頃にはまた 自転車に乗るために脚が上がらなくなったりしています。 わりと調子が良いときもあれば、悪いときもあるといった繰り返しです。 電車と歩きを使っての移動も、1時間以内の距離が限界となってきています。 ある程度歩いた日の翌日は、全身の筋肉痛に苦しめられました。 発症した最初の数年は、変形のある左股関節周辺の筋肉が痛いだけだったのに、右脚や腕なども含む全身の筋肉痛がひどく出るようになってきました。 この頃には、変形性股関節症の保存療法についての…

  • 昼夜逆転で不穏になる母 介護4年目

    認知症になった母の介護4年目 2013年7月~10月の記録です。 この年の7月 母は朝起きて着替える際に、パジャマを着たままその上に部屋着を着ようとするようになりました。着替えの仕方が、自分ひとりではわからなくなってきたようです。 暑い日に窓を開けておくと、すぐに窓を閉めようとしました。 逆に、エアコンを入れて窓を閉めると、今度は開けようとするようにもなりました。 温度に対する感覚も鈍くなってきたようです。 相変わらずお風呂に入ってもらうことには 苦戦し続けました。 服の脱ぎ着がまともにできなくなっているにも関わらず、私が手出し口出しするのを嫌がりました。 私が事前に替えの下着やタオルなどを用…

  • 生まれて初めて杖を使った日 2013年後半

    変形性股関節症 発症から4年目(2013年後半)の記録 この年の7月 私は生まれて初めて、杖を使って外出してみることにしました。 その日は、最寄駅から電車で30分位の所で、高校時代からの親友と会うことになっていたのです。 脚の痛みがひどく出ていた時期だったので、杖があるとかなり楽でした。 ただ、高齢者ではないのに杖をついて外出することに、多少抵抗感はありました。 周囲の人から今の私は、どんな風に見られるのだろう?という、杖を使うことに対する羞恥心ようなものも多少感じていました。 でも、杖を持って思い切って外に踏み出してしまえば、抵抗感なく当たり前のように使えました。 この日、私が杖をついて歩く…

  • 歯が抜けたのをきっかけに気力も低下した母 介護4年目

    認知症になった母の介護4年め 2013年 前半の記録です。 この年から、母の認知症は大きく進行した感じがします。 5月半ば頃から、朝起きる時間になっても、なかなか起きなくなりました。 それまでの母は、認知症であったにも関わらず、朝はダラダラすることなくシャキッと起きる母でした。 きっかけは、一本だけ残っていた自分の歯が取れたことにあるようです。 母はほぼ総入れ歯でしたが、一本だけ自分の歯が残っていて、それは活せるように入れ歯も作られていました。 今までは自分の歯があることで安定していた入れ歯でしたが、歯を失ったことで安定感がなくなり、グラグラして食べにくいらしく、母の食欲が一気に落ち、まともに…

  • 激しい痛みに襲われる 股関節症4年目

    股関節症4年目 2013年前半の記録です。 この年の5月頃から、激痛といえる位の激しい痛みを感じるようになってきました。 股関節のかみ合わせの悪さによる、グキッとした激しい痛みが、脚を踏み出すたびにグキグキ襲いかかります。 その痛みは、目から火花が散るような痛みなので、痛い方の脚を踏み出す瞬間は、まさに地雷を踏むくらいの恐怖で、怖くて最初の一歩がなかなか踏み出せません。 横になっても痛くて、寝返りを打つのも必死で、十分に睡眠がとれない日も増えました。椅子に座っているのが、一番ましな体勢でした。 それまでにも感じていた痛みが、さらにグレードアップした感じです。 この頃の痛みこそ、痛みレベル最強の…

  • 人生最後の里帰り 母の介護3年目

    2012年 認知症になった母の介護 3年目の記録です。 母の実家は東京都と言えどかなり自然豊かな所で、うちから車で一時間以上行ったところにあります。 そこはほんとうにもう、ここは東京都なの!? っていう位のカントリーです(*'ω'*) 母が元気だった頃は、実家との行き来も頻繁にありましたが、実家に住んでいる叔父さん叔母さん(母の弟夫婦)も高齢になり、徐々にその回数も減っていきました。 それでも、叔父さんはこの頃はまだ、時折母の様子を見に来てくれました。 しばらく顔を合わせていなかったせいか、叔父さんは、母の様子がこれまでとは違うことに、ちょっと戸惑っているようでした。 この頃の母は、まだ会話も…

  • 自転車の乗り降りが困難になる 股関節症4年目

    変形性股関節症発症4年目。2013年に入ると、自転車の乗り降りがとても困難になってきました。 乗って漕ぎだしてしまえば大丈夫なのですが、乗り降りするために片足を上げることができません。 特に、買い物をして帰る時には、すでに脚も疲れて痛みも出ていることが多く、ほとんど脚を上げることができず、自転車を引いて帰ることもよくありました。 「電動自転車にしてみたら?」 と、人からはよく言われましたが、漕ぐのが困難なわけではなく、乗り降りの際の脚が上がるか上がらないかの問題なので、電動自転車では解決できません。 それに、電動自転車は重すぎて、駐輪する際など とても扱いにくい気がします。 疲れていたり、気温…

  • 失禁のはじまり 母の介護3年目

    母の認知症介護3年目 2012年の年明け頃から、母にはそれまでには見られなかった異変が出始めるようになってきました。 夜間、トイレの床が濡れていたり、まだ家族が寝静まっている朝方、母は下着をこっそり着替えたりしていることが増え始めました。 今の私の感覚からすると、その位のことで動揺していた過去の自分の未熟さに驚く程ですが、あの頃の私は、その気配に気づきかなり動揺しました。 そして、そのことに気づきつつも、母に状況を詳しく聞くことは、しばらくの間できませんでした。 真実を認めるのが 怖くて聞くに聞けない。 それが、あの頃の正直な私の気持ちだったと思います。 母も私に助けは求めませんでした。認知症…

  • 股関節症3年目からは痛みが本格化!(2012年)

    変形性股関節症の発症から3年目(2012年)の記録です。 2012年1月 この年から初詣に行けなくなっています。それまでは毎年、神奈川県にある川崎大師に初詣に行っていました。うちから川崎大師までは電車を使って2時間半~3時間位はかかってしまう距離です。この年、川崎駅まではなんとかたどり着けたのですが、その先は脚の痛みが強く出て断念しました。 2月頃からは、全身の筋肉痛が出始めました。それまでは、左側の股関節周りだけの痛みで治まっていたのが、徐々に身体全体にも痛みが出ています。 4月 両脚共に筋肉痛がひどく出ています。特に、鼠径部の辺りの硬直感が強くあり、脚を曲げるのにひどい痛みを感じていました…

  • 介護1年目の記録(2011年)

    2011年4月から 母は認知症と診断され、薬も飲み始めました。 miyuyuchang.hatenablog.com この年以前から、母はできなくなることが増え、多少おかしな言動もしていましたが、一応この年を介護1年目として記録しておこうと思います。 この年の1月。母は入れ歯の調子が悪くなり、新しい入れ歯にしていますが、これがなかなかうまく馴染めず、その間、普通の食事が摂れなくなりました。 1/19~4/4までずっと歯医者に通って調整していました。 本来なら調整だけにこんなに長く通う必要はなかったのですが、母は歯医者さんに、入れ歯が当たる箇所をきちんと伝えられなかったり、今までとは違う、ちょっ…

  • 股関節症2年目は意外と歩けていた

    2009年の年末頃から発症した、変形性股関節症2年目 2011年の記録です。 この年の日記をざっと読み返してわかったことがあります。 変形性股関節症を発症した2年目も、思っていたほど痛みは強く出てなくて、ある程度遠出したり、散歩したりといったことができています。 今の私の感覚記憶としては、この年辺りからかなり痛みが強くなり、距離を歩くこともできなくなっていたような気がしていたのですが、それほどでもなかったようです。 2009年の年末頃の発症時には、かなり強い痛みを生じていたにも関わらず、その後2年ほど、日常生活は支障なく動けていたことがわかりました。 とはいっても、股関節には常にみょうな違和感…

  • 母の認知症をはっきり受け入れた日

    母はアルツハイマー型認知症で、2021年現在95歳、要介護4で介護施設に入所して1年7か月ほど経ちます。今でも笑顔はあり、言葉も少し発するものの、会話にはなりません。家族である私や兄のことも、はっきりとはわかっていない様子です。 母の認知症の発症がいつからかということは、一緒に暮らしていた私にもはっきりと自覚することはできません。ただ、日記にはわりと記録を残してあるので、自分の記憶と重ねて 前兆となるようなことも探っていければと思っています。 私たち家族が母の認知症をはっきりと自覚し受け入れたのは、2011年から。 2011年4月~母は認知症の薬を飲み始めています。85歳でした。 毎年、介護予…

  • 股関節症1年目2010年の記録

    2009年の暮れから股関節の激しい痛みを我慢していた私は、2010年1月5日 整形外科の年明けの診察が開始するとすぐに受診しました。 変形性股関節症発症から1年目 2010年の記録です。 このときレントゲン画像を見ながらの説明を受けた中では、はっきりとした病名は出なかったので、変形性股関節症ですか?と、こちらから確認し、「そうです」という答えをもらいました。 ドクターの説明によると、変形はありますが まだ深刻な状態ではなく、骨の壊死は起こっていないとのこと。ただ、変形は確実にあり接触部分は白っぽく写されていました。この状態が進行すると、骨の壊死も起こり歩行困難になるなど、手術が必要なレベルにな…

  • インフルエンザになっても介護は休めず

    今週のお題「下書き供養」 3年前のちょうど今頃、私はインフルエンザにかかりました。 2018年の4月半ば 父が入院していた時期でした。父と同じ病室の人がインフルエンザを発症していたことが後でわかりました。どうやら私は父の見舞いに行った際に、うつされてしまったようです。 私は今でもそうですが、マスクは苦手です。 マスクは息苦しくなるので、その当時の私は病院でもほとんどマスクは着けていませんでした。病院側でも春になり、インフルエンザの流行が収まってきた時期ということもあってか、マスク着用を呼びかける表示もなくなっていました。 日記によると、父の見舞いに行ったその翌日は 父の寝室の大掃除や下着や寝巻…

  • 痛みの感じ方は人それぞれ

    冬の寒い時期に硬直していた筋肉が、春先になり暖かくなってくると緩むせいか、ここ数年春先には春先特有の股関節の痛みが生じていましたが、今年はそうでもないです。 もちろん、全く痛みがないわけではないですが。 私は常々思います。私と同じ股関節痛を抱えている人は、どの位の痛みを感じ、どの位のレベルの痛みになったら耐えかねて手術を決断しているのだろうか、と。 脚の障害を抱えた方でも、社会に出て働いている方をたくさん見かけます。 変形性股関節症を患っていても デスクワークの仕事なら、できなくはないのかなと思いますが。看護師さんや介護施設のワーカーさん、スーパーのレジ打ちやウェイトレスのお仕事をされている人…

  • 検査検査で引っ張り回された93歳の父

    2018年の今日3/27日。父は肺炎で入院しました。このとき父は93歳でした。 思い起こせば、ここからが両親共々介護するという、厳しいW介護の幕開けでした。 父が具合が悪くなってから入院するまでは、1週間ほど期間がありました。 かかりつけのクリニックで薬や注射をしてもらっても良くならず、総合病院への入院を手配してもらうも、週末は受け入れができないようで、かなりひどい状態にまで陥ってしまいました。 週明けに紹介状を持って総合病院に行った結果、そのときの父は、肺炎により心不全も起こしていました。さらに、2012年に腹部大動脈瘤の手術をした際に入っているステントグラフト周辺に炎症が認められ、深刻な感…

  • 股関節症 発症時2009年の記録

    股関節の痛みが本格的に出始めたのは、2009年10月頃から。47歳でした。 それまでは、多少歩きすぎても特に長引くような痛みが出ることはなく、旅行に行くこともできたし、普通に生活できていました。 30歳頃と40歳頃にも、股関節の痛みと違和感を感じて、整形外科や治療院に少しだけ通ったことはありましたが、それは長引くことなく治っていました。 当時の日記によると、2009年10月20日に日帰りで軽井沢に遊びに行き、2万歩以上歩いています。この後、痛みが何日間にも渡りずっと続いています。 また、この年には第九の合唱に参加していて、そのための練習にも毎週通っていました。年末までの本番に向け、練習もハード…

  • 休める喜びは 忙しいほど大きいものなのかも。

    今週のお題「〇〇からの卒業」 両親を在宅で介護していた生活から卒業して はや1年半ほど経ちます。 両親の介護をしていた頃は、股関節の痛みも常にあるため、とにかく日々疲れて疲れて、心底疲れ果て、それでも気力を振り絞って身体を動かしていました。 「ほんの一瞬でもいいから休みたい、休みたい、休みたい。。」 という想いが、常に頭の中を渦巻いていました。 母がデイサービスやショートステイに行っている間にも、買い物や掃除、父の身の周りの世話や雑用など、やるべきことは山積みで、ゆっくり休んでいる暇などありませんでした。 自分のことでやりたいこともたくさんありましたが、やりたいことができるなんて、当時は夢のま…

  • 変形性股関節症でも手術はしないという選択

    2009年の晩秋から左股関節にひどい痛みを生じ始め、一時期は激痛で一歩も歩けない時期や、杖歩行をしていた時期もありましたが、2021年現在、痛みはあるものの、杖なしで歩け、自転車にも乗れ、まずまず普通の日常生活は送れています。 それでも、変形性股関節症の進行レベルで確認すると「末期」に相当します。 脚長差があります。ある程度のスピードで歩けますが、休みなしで歩けるのは15分位が限界です。階段は、手すりなしでは無理です。立ち上がり時や歩き出しの第一歩は、かなりの痛みです。 (でも、痛いことにはだいぶ慣れてしまいました。。(◞‸◟) 私と同じように、変形性股関節症と折り合いをつけながら、頑張って生…

  • 元気な認知症というのも それはそれで手がかかりました。

    母親が介護施設に入所して、そろそろ1年半近く経とうとしています。 必死で在宅介護していた頃のリアルな感覚は、少しずつ薄れていますが、当時の記憶はまだ鮮明に思い出せます。 母は認知症でしたが、その他にこれといった持病はありませんでした。 当時の主治医からも 「お母さんは、心臓も肺もこの年齢にしてはとても元気ですよ」 と、健康診断のたびに言われていたのです。 それでもやはり、認知症である限り、手がかからないはずはありませんでした。 介護認定で要介護3レベルの頃の母は、まだある程度足腰が元気だったので、畳の上に座った状態から自力で立ち上がることもできていました。 壁伝いに歩いて、ひとりで家の中を歩き…

  • 子供の頃の夢は歌手でした!

    今週のお題「告白します」 物心ついたころから私はずっと 歌手になりたいと思っていました。 特にその想いを強く持っていたのは、小学6年生頃~中学1年生頃でしたね。 時代的には、スター誕生という歌手を目指す人のオーディション番組の全盛期で、そこからは山口百恵やピンクレディーなど、昭和を代表するたくさんの有名人が世に出ていました。 とにかく歌うことが好きだったので、レコードやカセットテープレコーダーをかけながら、毎日歌を歌っていました。 私と同じように歌手に憧れる友達もいたので、放課後には一緒に歌の練習をしたりしてました。 歌手になりたいという夢を持っていることは、友達はもちろん、家族もみな知ってい…

  • 当たり前の日常が夢になる

    お題「#この1年の変化 」 コロナ禍での この1年の個人的な変化としては、やりたいことがようやくできました。 介護から解放されたらやってみたいと思っていたことが、ゆっくりこなせた1年でした。 私の場合、本を読んだりネット検索することによって 得たい知識や学びたいことがたくさんあります。 PCやネットに関する知識も、古い情報のまま止まっていましたが、だいぶ現代に追いつけるようになってきました。 ブログ3つを書き続けるのも大変ではあるけれど、そのための知識を吸収したり、ネタを考えたりすることが習慣化され、思考の柔軟性や幅も広がった気がします。 そして4人家族からその半分になってしまった家の片付け。…

  • 普通に歩けないことが当たり前になっている

    変形性股関節痛により日常生活に支障をきたしてから、約10年。 夜寝る時まで痛みがひどく、立ち上がりや歩き出し時には激痛が走る時期もありましたが、今のところはわりと安定しています。 安定している、と言ってしまうと、普通に歩けて生活できているのか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。 何かにつかまらないと痛くて立ち上がることはできないし、歩くたびに股関節に響く痛みは必ずあります。 休まずに続けて歩くのは、10分~15分くらいが限界です。 今は杖は使わずに歩いていますが、「あ。あの方は脚が悪いのね」と 周囲からは思われるだろう歩き方になっています。 普段の買い物は自転車で移動しています。…

  • 霊安室の存在が怖かった

    今週のお題「鬼」 人が亡くなることを「鬼籍に入る」なんて言い方もありますね。 一昨年、私は父が亡くなるまで、人の死というものに深く関わったことがなかったこともあり、死というものがとても恐怖でした。 幽霊なんて生まれてこの方一度も見たことはないくせに、事故現場の近くを通ったりすると、ビクビクしてしまう性分なのです。 ある時期まで、私は病院内にある霊安室の存在がとても気になっていました。 どう気になるのかといえば、「幽霊が出そうで怖い」という、いい歳した大人が考えるとは思えない理由によってです。 でも怖いのだから仕方ありません。 父はわりと大きな総合病院で手術をしたり、入院していました。何棟もある…

  • 2021年冬コロナ禍での想い

    2021年冬。コロナ禍で、緊急事態宣言出て生活している、今の私の状況や心境を記録として残す意味でも綴っておこうかなと思います。 まず冬は好きだし寒さには強いので時期的なことに関しては問題なし。とは言っても、雪の多いところで生活している人や、極寒の中で働いている人などいることも考えると、安易に冬は好き、なんて発言できない気もしますが・・。 これは体質にもよるものだと思うのですが、夏の場合は暑さが辛いだけではなく、身体の不調があちこち出て、精神的にも参ってしまうのですが、冬に関してはそういうことはないのです。 室内温度は20℃位に保って生活していますが、家事などして動いているときはすぐに汗ばんでく…

  • なぜドクターは病名を伝えてくれないのか

    私は、どこか不調があって病院に行った時、はっきりとした病名を告げられたことはほとんどありませんでした。 風邪とかインフルエンザの時には、はっきり言われた記憶がありますが、風邪ではない謎の喉の炎症とか皮膚湿疹とか、そういった症状で受診した際には、結局病名は伝えられることなく、「炎症を抑える薬を出しておきましょう」といったような感じで終わっていました。 私としても、特に病名を言われないということは、特に心配いらない症状なんだな、とその都度軽く考えていました。 ドクターは必ずしも病名を伝える必要はないのかもしれませんが、私にとっては深刻な、変形性股関節症の病名だけは、最初に受診した際にはっきり伝えて…

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手術しない股関節症と親の介護ブログ
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