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魅了されたもの・・・
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https://blog.goo.ne.jp/hakusyu_20031201
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戦争遺跡とか<br>航空機とか<br>廃とか<br>
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1回 / 14日(平均0.5回/週)

ブログ村参加:2020/01/31

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HAKUSYUさんの新着記事

1件〜30件

  • 東京第二陸軍造兵廠 弾道検査官B

    東京第二陸軍造兵廠弾道検査官Aはここ板橋火薬製造所(昭和15年以降は東京第二陸軍造兵廠)内におかれた火薬研究所があり弾薬の性能実験などが行われていました。長さ十数メートル、内径686mmのコンクリート製で、これは技術者の間ではトンネル射場と呼ばれているもので、火薬(発射薬)の種類や量を変えて、弾丸の速度などを測定観測する装置であり、戦前の同廠構内の図面からは、弾丸がこの築山の標的に向かって撃ち込まれていた事が分かります。弾道検査管(爆速測定管)の標的東京第二陸軍造兵廠弾道検査官B

  • 東京陸軍第二造兵廠 電気軌道C(板橋火薬製造所

    東京陸軍第二造兵廠電気軌道B(板橋火薬製造所はここ写真に見える、道路のように見えているのが板橋火薬製造所を通る電気軌道跡です。軌道は北区十条の銃砲製造所や王子にあった分工場とも結ばれており、製造所内外の物資や人の運搬に大きな役割をはたしていました。明治40年度には、製造所内の火薬研究所(現:加賀公園、野口研究所付近)や本部(現:東板橋体育館付近)、原料倉庫(現:金沢小学校付)を結ぶために軌道が延伸していきます。以降も軌道網の整備は進められ大正12年の構内図によれば、ほとんどの建物が軌道によって結ばれており、さらには清水町から北区西が丘にかけてあった兵器支廠(後の補給廠)にも延びていました。東京陸軍第二造兵廠電気軌道C(板橋火薬製造所

  • 2020年 元旦

    2020年元旦

  • 桜島海軍基地(第五特攻戦隊 司令部)

    昭和20年4月から7月にかけて、佐世保鎮守府部隊の第4海上護衛隊を改編して第5特攻戦隊を編成しました。この基地は、第5特攻戦隊の司令部です。第5特攻戦隊には、蚊龍・海瘤24隻、回天46隻、震洋725隻在籍していました。魚雷などの武器・弾薬なども貯蔵してあったようで山全体が施設ではないかと思われるくらい奥が深いそうで、壕の高さ・幅は共に2~3メートル程で、手掘りによって作られたトンネンが網の目状に張り巡らされています。壕の中を隙間から④魚雷調整室の辺りを撮影。同様に壕内を隙間から②動力室の辺りを撮影。③、④の間の壕口ですがブロックで塞がれている。桜島海軍基地(第五特攻戦隊司令部)

  • 碓氷線 第五橋梁

    碓氷線第六橋梁はここ横川と軽井沢を結ぶアプト式鉄道が開通したのは1893年でした。すでに上野~高崎間は1884年に開通し、1886年から1888年には直江津~軽井沢間が開通していたので、これにより東京と信越を結ぶ鉄道が完成しました。碓氷峠越えの鉄道は、群馬や長野の蚕糸業に大きな影響を与えただけでなく近代日本の工業化の推進にも重要な役割を果たしました。この碓氷線に残された橋梁の1つがこの第5橋梁です。アーチ径間11メートル、高さ8.8メートル、頂部長さ15.8メートル補強のため橋台をコンクリートで固めアーチをひとまわり小さくしています。碓氷線第五橋梁

  • 碓氷線 第六橋梁

    碓氷線熊ノ平駅2はここ横川と軽井沢を結ぶアプト式鉄道が開通したのは1893年でした。すでに上野~高崎間は1884年に開通し、1886年から1888年には直江津~軽井沢間が開通していたので、これにより東京と信越を結ぶ鉄道が完成しました。碓氷峠越えの鉄道は、群馬や長野の蚕糸業に大きな影響を与えただけでなく近代日本の工業化の推進にも重要な役割を果たしました。この碓氷線に残された橋梁の1つがこの第6橋梁です。アーチ径間11メートル、高さ17.4メートル、頂部長さ51.9メートル、隅角部を切石で補強し高い橋台と片蓋柱と長い側壁を持っています。長さやレンガの使用量では第3橋梁に次ぐ規模のものです。碓氷線第六橋梁

  • 海底電線陸揚室3

    海底電線陸揚室2はこここの建物は明治30年に建てられたもので、沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた所である。明治28年の日清戦争終結後、日本は領有するところとなった台湾との間に軍用海底線を敷設する必要が生じたことから、明治29年、まず鹿児島と沖縄本島との間に、次いで明治30年、石垣島を経て台湾との間に海底線を敷いた。これによって、本土-沖縄本島-石垣島-台湾の通信施設が完成したのである。開通したこの海底電信線は、当初陸軍省が管理していたが、のちに逓信省に移管され、一般公衆用通信にも共用された。太平洋戦争の際には連合軍の攻撃目標となったので、無数の弾痕が残る。今回は向かって右側の室内の写真です。海底電線陸揚室3

  • 海底電線陸揚室2

    海底電線陸揚室1はこここの建物は明治30年に建てられたもので、沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた所である。明治28年の日清戦争終結後、日本は領有するところとなった台湾との間に軍用海底線を敷設する必要が生じたことから、明治29年、まず鹿児島と沖縄本島との間に、次いで明治30年、石垣島を経て台湾との間に海底線を敷いた。これによって、本土-沖縄本島-石垣島-台湾の通信施設が完成したのである。開通したこの海底電信線は、当初陸軍省が管理していたが、のちに逓信省に移管され、一般公衆用通信にも共用された。太平洋戦争の際には連合軍の攻撃目標となったので、無数の弾痕が残る。今回は向かって左側の室内の写真です。入口から室内を見る同、室内上面室内中央より左方を見る...海底電線陸揚室2

  • 鹿島海軍航空隊F

    鹿島海軍航空隊Eはここ基地施設図との位置関係が微妙ですが、地上演習場に関する建物の基礎かと思われます・・・鹿島海軍航空隊F

  • 鹿島鉄道線 鉾田駅

    石岡南台駅1ここ2007年撮影石岡南台駅2ここ2007年撮影玉里駅ここ2007年撮影榎本・桃浦駅ここ2007年撮影1面1線駅ここ2007年撮影鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。1921年10月行方鉄道株式会社設立1922年9月称号を鹿島参宮鉄道に変更1924年6月石岡-常陸小川間営業開始1926年8月常陸小川-浜間を延伸1928年2月浜-玉造町間を延伸1929年5月鉾田までの全線開通1965年常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる1979年4月自動車輸送の発展による経営悪化の為関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業収支が更に悪化した。親会...鹿島鉄道線鉾田駅

  • くりはら田園鉄道

    くりはら田園鉄道は2010年の廃業までの約90年間、細倉鉱山からの鉱石や金成耕土で収穫されたお米を運び、栗原の東西の移動手段として、多くの人々に利用されていました。くりはら田園鉄道

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