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  • 東京湾要塞 大房岬砲台A5

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA5ここ2012年撮影(2022年記事A4ここ2012年撮影(2022年記事A3ここ2012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等...東京湾要塞大房岬砲台A5

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A4

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA5ここ2012年撮影(2022年記事A4ここ2012年撮影(2022年記事A3ここ2012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等...東京湾要塞大房岬砲台A4

  • 峰B

    峰Aはここ峰Aの写真を撮影したのは、2003年頃。それから20年近く経過した集落には、ほとんど何も残ってはいなかった。古い焼き物を探す?収集する?ような趣味もあるようで今回の撮影(2021年)の時にも数人いた。また周囲の木々は伐採、新道も作られていた。峰B

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A3

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA52012年撮影(2022年記事A42012年撮影(2022年記事A3ここ2012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等を地下に...東京湾要塞大房岬砲台A3

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A2

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA52012年撮影(2022年記事A42012年撮影(2022年記事A32012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等を地下に鉄筋...東京湾要塞大房岬砲台A2

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A1

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA52012年撮影(2022年記事A42012年撮影(2022年記事A32012年撮影(2022年記事A22012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等を地下に鉄筋コンクリート造りで完成させ、昭和20年の終戦まで横須賀...東京湾要塞大房岬砲台A1

  • 廃校 粟野中学校B

    廃校粟野中学校A(2015年撮影)はここ1949年に建築された桁行53メートルの木造二階建ての中学校校舎で、桟瓦葺きの切妻屋根を載せ、外壁は下見板張り、木製桟のガラス窓がはめられ、建築に際しては粟野財産区の良材をよく吟味し合せ柱とした事から、現在でも狂いの少ない姿で残されています。2003年、56年間の歴史を閉じて閉校となりました。林業が豊かな時代、その産地として栄えた旧粟野町の歴史を物語る建物である。校舎前面校舎後方廃校粟野中学校B

  • わたらせ渓谷鉄道 廃線部2(足尾本山駅)

    わたらせ渓谷鉄道廃線部1はここ明治時代の初めまで、産出した銅や鉱山で使用する材料の運搬は馬や牛に頼っていましたが、生産量の増加によって運びきれなくなり馬車鉄道による運搬を始めましたが、さらに多くの荷物を運べるよう桐生から足尾まで鉄道を建設することになりました。1912年12月桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通しました。足尾鉄道は国の重要路線であることから1918年、国が買い上げて鉄道院の足尾線となりました。戦後、ディーゼル機関車に変わって近代化されましたが、1973年に足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送量が大きく減少し1998年6月間藤~足尾本山駅間の鉄道事業免許が失効し、間藤駅から足尾本山駅まで伸びていた貨物線を廃線とした。わたらせ渓谷鉄道廃線部2(足尾本山駅)

  • わたらせ渓谷鉄道 廃線部1

    明治時代の初めまで、産出した銅や鉱山で使用する材料の運搬は馬や牛に頼っていましたが、生産量の増加によって運びきれなくなり馬車鉄道による運搬を始めましたが、さらに多くの荷物を運べるよう桐生から足尾まで鉄道を建設することになりました。1912年12月桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通しました。足尾鉄道は国の重要路線であることから1918年、国が買い上げて鉄道院の足尾線となりました。戦後、ディーゼル機関車に変わって近代化されましたが、1973年に足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送量が大きく減少し1998年6月間藤~足尾本山駅間の鉄道事業免許が失効し、間藤駅から足尾本山駅まで伸びていた貨物線を廃線とした。わたらせ渓谷鉄道廃線部1

  • 鹿島鉄道線C 石岡南台駅

    鹿島鉄道線シリーズ石岡南台駅ここ2021年撮影鉾田駅ここ2021年撮影小川高校下駅ここ2021年撮影桃浦駅ここ2019年撮影鉾田駅ここ2019年撮影1面1線駅ここ2007年撮影榎本・桃浦駅ここ2007年撮影玉里駅ここ2007年撮影石岡南台駅2ここ2007年撮影石岡南台駅1ここ2007年撮影鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。1921年10月行方鉄道株式会社設立1922年9月称号を鹿島参宮鉄道に変更1924年6月石岡-常陸小川間営業開始1926年8月常陸小川-浜間を延伸1928年2月浜-玉造町間を延伸1929年5月鉾田までの全線開通1965年常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる1979年4月自動車輸送の発展による経営悪化の為関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる葉タバコなどの農作物、航空...鹿島鉄道線C石岡南台駅

  • 鹿島鉄道線 鉾田駅B

    鹿島鉄道線シリーズ小川高校下駅ここ2021年撮影桃浦駅Bここ2019年撮影鉾田駅Aここ2019年撮影石岡南台駅1ここ2007年撮影石岡南台駅2ここ2007年撮影玉里駅ここ2007年撮影榎本・桃浦駅ここ2007年撮影1面1線駅ここ2007年撮影鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。1921年10月行方鉄道株式会社設立1922年9月称号を鹿島参宮鉄道に変更1924年6月石岡-常陸小川間営業開始1926年8月常陸小川-浜間を延伸1928年2月浜-玉造町間を延伸1929年5月鉾田までの全線開通1965年常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる1979年4月自動車輸送の発展による経営悪化の為関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用が...鹿島鉄道線鉾田駅B

  • 片島魚雷発射試験場 発射場

    片島魚雷発射試験場発射場

  • 片島魚雷発射試験場D 発射場橋

    片島魚雷発射試験場シリーズ新観測所ここ2018撮影Cここ2017年記事発射場関係ここ2016年記事建屋ここ2016年記事本部室内2ここ2016年記事本部室内1ここ2016年記事本部及び隣接する遺構ここ2016年記事観測所ここ2016年記事新観測所ここ2016年記事Bここ2016年記事A2ここ2015年記事A1ここ2015年記事佐世保鎮守府が開庁されて間もなく、海軍工廠が佐世保湾の北岸に開設された。この工場で製造される魚雷を実地に発射試験するために魚形水雷発射試験場が設置された。太平洋戦争勃発後の1942年川棚に分工廠が設置された事に伴い魚雷発射場の施設がさらに拡張され、その際に片島は海峡が埋め立てられて陸続きとなった。この動画は2018年9月に撮影したものです。片島魚雷発射試験場D発射場橋

  • 片島魚雷発射試験場D 新観測所

    片島魚雷発射試験場シリーズCここ2017年記事発射場関係ここ2016年記事建屋ここ2016年記事本部室内2ここ2016年記事本部室内1ここ2016年記事本部及び隣接する遺構ここ2016年記事観測所ここ2016年記事新観測所ここ2016年記事Bここ2016年記事A2ここ2015年記事A1ここ2015年記事長崎県大村湾に面した川棚町。ここは1918年に開設された魚雷発射試験場をはじめ海軍工廠、魚雷艇訓練所など太平洋戦争当時、旧海軍の重要な軍事施設がありました。魚雷発射試験場では佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われた。すぐそばにある大きな建物(本部)の中で、魚雷の最終検査や調整などをしていたのではないかと言われています。また当時魚雷発射の状況を記録・確認するための観測所跡も残っており、...片島魚雷発射試験場D新観測所

  • 鹿島鉄道線 小川高校下駅B

    鹿島鉄道線シリーズ桃浦駅Bここ2019年撮影鉾田駅ここ2019年撮影石岡南台駅1ここ2007年撮影石岡南台駅2ここ2007年撮影玉里駅ここ2007年撮影榎本・桃浦駅ここ2007年撮影1面1線駅ここ2007年撮影前回小川高校下駅へ訪問した時の写真は「1面1線駅」に掲載しています。鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。1921年10月行方鉄道株式会社設立1922年9月称号を鹿島参宮鉄道に変更1924年6月石岡-常陸小川間営業開始1926年8月常陸小川-浜間を延伸1928年2月浜-玉造町間を延伸1929年5月鉾田までの全線開通1965年常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる1979年4月自動車輸送の発展による経営悪化の為関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基...鹿島鉄道線小川高校下駅B

  • 鹿島鉄道線 桃浦駅

    鉾田駅ここ2019年撮影石岡南台駅1ここ2007年撮影石岡南台駅2ここ2007年撮影玉里駅ここ2007年撮影榎本・桃浦駅ここ2007年撮影1面1線駅ここ2007年撮影鹿島鉄道はJR石岡駅から鉾田駅を結んだ全長27キロの鉄道でした。1921年10月行方鉄道株式会社設立1922年9月称号を鹿島参宮鉄道に変更1924年6月石岡-常陸小川間営業開始1926年8月常陸小川-浜間を延伸1928年2月浜-玉造町間を延伸1929年5月鉾田までの全線開通1965年常総筑波鉄道を合併、関東鉄道鉾田線となる1979年4月自動車輸送の発展による経営悪化の為関東鉄道から分離、鹿島鉄道となる葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業...鹿島鉄道線桃浦駅

  • 奥多摩湖ロープウェイB

    奥多摩湖ロープウェイA(かわの駅側)はここ1962年1月29日に湖上を渡るロープウェイとして日本で2番目に開業したが僅か4年で運行休止となった。今回はみとうさんぐち駅側ここまでの写真撮影日2021年3月20日。この2枚の撮影日は2022年2月5日。どうやら2021年12月中旬から2022年1月初旬の間にこのような下品な塗装が施されたようで残念に思います。奥多摩湖ロープウェイB

  • 東京都水道局 小河内線B4

    東京都水道局小河内線B3はここ小河内貯水池建設の為に昭和27年10月に開通した専用鉄道。青梅線氷川駅を起点とし多摩川の本流に沿って西に延び水根積卸場までの約7キロメートルの線路。この専用鉄道は蒸気運転をしていたが電気運転に対応して施工されている。これ以上は先がなく進めない・・・戻る事にする。東京都水道局小河内線B4

  • 東京都水道局 小河内線B3

    東京都水道局小河内線B2はここ小河内貯水池建設の為に昭和27年10月に開通した専用鉄道。青梅線氷川駅を起点とし多摩川の本流に沿って西に延び水根積卸場までの約7キロメートルの線路。この専用鉄道は蒸気運転をしていたが電気運転に対応して施工されている。東京都水道局小河内線B3

  • 東京都水道局 小河内線B2

    東京都水道局小河内線B1はここ小河内貯水池建設の為に昭和27年10月に開通した専用鉄道。青梅線氷川駅を起点とし多摩川の本流に沿って西に延び水根積卸場までの約7キロメートルの線路。この専用鉄道は蒸気運転をしていたが電気運転に対応して施工されている。東京都水道局小河内線B2

  • 東京都水道局 小河内線B1

    東京都水道局小河内線Aはここ小河内貯水池建設の為に昭和27年10月に開通した専用鉄道。青梅線氷川駅を起点とし多摩川の本流に沿って西に延び水根積卸場までの約7キロメートルの線路。この専用鉄道は蒸気運転をしていたが電気運転に対応して施工されている。東京都水道局小河内線B1

  • 東京都港湾局専用線B

    東京都港湾局専用線Aはここ東京港の貨物専用鉄道は、東京市が1930年に汐留駅から芝浦駅を結んだのが始まりで、その後深川線・晴海線・芝浦線・日の出線と増設されていき東京港の貨物専用線の総延長は24キロメートル余になりました。高度経済成長期には化石燃料・塩・新聞巻取紙・穀物・果物野菜などの生鮮食品を取り扱い、その取扱貨物量は、170万トンに達しました。貨物は鉄道輸送から自動車輸送に転換し鉄道貨物取扱量も年々減少し1985~1989年までに順次芝浦・日の出線・深川線・深川・晴海線が廃止となりました。こうして鉄道貨物輸送に貢献してきた東京港の貨物専用線は約半世紀にわたる使命を終えて姿を消しました。東京都港湾局専用線B

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