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  • 桃花台新交通 桃花台線2

    桃花台新交通 桃花台線2

    小牧駅から桃花台ニュータウン並びに沿線の人々の交通手段として愛知県と一体となり建設された新交通システムです。愛称はピーチライナーで、新交通本来の機能を追求すると共に様々の最新技術を駆使して運転性能、安全性の向上を図りました。一方向運転の特徴を生かして乗降扉を片側だけに設けるなど、独特の非対称デザインを採り入れた車両を製作しました。僅か12年間の営業で、平成19年に廃止となりました。廃止直後に一部軌道の撤去があったようですが令和になってから残りの軌道の撤去が再び行われ始めました。桃花台新交通桃花台線2

  • 桃花台新交通 桃花台線1

    桃花台新交通 桃花台線1

    小牧駅から桃花台ニュータウン並びに沿線の人々の交通手段として愛知県と一体となり建設された新交通システムです。愛称はピーチライナーで、新交通本来の機能を追求すると共に様々の最新技術を駆使して運転性能、安全性の向上を図りました。一方向運転の特徴を生かして乗降扉を片側だけに設けるなど、独特の非対称デザインを採り入れた車両を製作しました。僅か12年間の営業で、平成19年に廃止となりました。廃止直後に一部軌道の撤去があったようですが令和になってから残りの軌道の撤去が再び行われ始めました。終点の折り返し軌道。桃花台新交通桃花台線1

  • 東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台B1

    東京湾要塞 富津元洲堡塁砲台B1

    東京湾要塞富津元洲堡塁砲台A6はここ1884年完成。堡塁砲台とは陸・海両方に対して防御する任務のをもつ。外濠を掘り海水を引き入れ、上部には28サンチ(当時はフランス読みをしていた)榴弾砲と12サンチ加農砲が据え付けられた。しかし兵器や航空機の発達により、大砲は旧式となり実践にて弾が発射される事はなかった。射場内では、旧陸軍最大口径を誇る試製41サンチ榴弾砲や90式24サンチ列車加農砲の試射なども行われた。東京湾要塞富津元洲堡塁砲台B1

  • 東京第二陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所B

    東京第二陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所B

    東京第二陸軍造兵廠シリーズ岩鼻火薬製造所Bここ2022年UL深谷製造所櫛挽工場Bここ2022年UL板橋火薬製造所その他の遺構ここ2020年UL弾道検査管Bここ2020年UL電気軌道C板橋火薬製造所ここ2020年UL板橋製造所モニュメントBここ2015年UL板橋火薬製造所招魂之碑ここ2015年UL深谷製造所給水塔ここ2015年UL板橋製造所モニュメントAここ2015年UL忠海製造所毒ガス貯蔵庫2ここ2015年UL忠海製造所毒ガス貯蔵庫1ここ2015年UL忠海製造所長浦毒ガス貯蔵庫ここ2015年UL忠海製造所トイレここ2015年UL忠海製造所発電所2ここ2015年UL忠海製造所発電所1ここ2015年UL忠海製造所1ここ2015年UL岩鼻火薬製造所Aここ2015年UL電気軌道B板橋火薬製造所ここ2014年UL電...東京第二陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所B

  • 中央高速道路 廃道部分

    中央高速道路 廃道部分

    高速道路では少しでも走りやすく、事故を減らすためなのか当初作られた道路を廃道とし、新道をつくっている所が多いです。これは一般道路にもいえる事ですが。中央高速道路廃道部分

  • 大谷資料館 B1

    大谷資料館 B1

    大谷資料館A4はここ一般の人々の目に触れることなく「未知なる空間」と呼ばれた地下採掘場跡。その広さは2万平方メートル、深さ30メートルあり深い所は60メートルにも及びます。戦時中は地下倉庫や軍需工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されました。前回は2016年1月に訪問しましたが、あまり変化はありませんでした。この壁面に付着している白い結晶は、大谷石に含まれる塩分が冬場の乾燥した時季に噴き出るもんで、夏の湿った壁面では消滅する不思議な現象です。大谷資料館B1

  • 20211211 鹿島鉄道線 車両

    20211211 鹿島鉄道線 車両

    葉タバコなどの農作物、航空自衛隊百里基地のジェット燃料輸送や通学客の利用があったが営業収入の基幹であるジェット燃料輸送が2002年3月で廃止となり営業収支が更に悪化した。親会社の関東鉄道、沿線の自治体が財政支援してきたが、2005年開通のつくばエクスプレス線の開業により、関東鉄道は常総線や高速バスの利用者が大幅に減少し、減収となった事を理由に2007年年以降の経営支援を行わない方針を示した。これを受け、親会社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、2007年3月末限りで、鹿島鉄道全線の営業を廃止、83年の歴史に幕を閉じた。この路線で活躍していたキハ601とKRー505がほっとパーク鉾田にて静態保存されている。KR-505ターボチャージャー付近20211211鹿島鉄道線車両

  • 熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場2

    熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場2

    熊谷陸軍飛行学校桶川分教場1はここ熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は昭和10年に開校熊谷陸軍飛行学校の分教場として、昭和12年6月ここに開校しました。守衛所(衛兵所)、車庫、本部宿舎、便所、弾薬庫などが現存し滑走路は荒川の対岸にあります。教官、学生以外は熊谷本校に雇用された地元の人たち(軍属)で学校事務のほか、飛行機の整備や通信、気象などの業務にあたりました。昭和18年3月までは、ほかの兵科から飛行兵を希望してきた召集下士官学生を教育し、以後陸軍少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習い士官など、昭和20年2月閉校までに20期余りの飛行兵を教育しました。昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用され、同年4月5日陸軍初の練習機による特攻となる特別攻撃隊第79振武隊が出撃基地である鹿児島県知覧飛行場に向け出発してい...熊谷陸軍飛行学校桶川分教場2

  • 土倉鉱山

    土倉鉱山

    土倉鉱山は1910年から1965年まで採掘されていた銅鉱山です。この写真は3代目の選鉱場で1942年から閉山の1965年まで稼働していました。土倉鉱山は最盛期には月産2~5千トンを生産し従業員366人、約1,000人の人が暮らしていました。土倉鉱山

  • やってしまいました・・・・

    やってしまいました・・・・

    写真の赤〇部分は何かが刺さったあとです。勿論、足にも刺さっています。草むらに隠れた尖ったものを踏んでしまったようです。激痛のあまり足も捻挫したようで、真っ赤に腫れあがっております。ただ(病院には行っていませんが)そんなに危険な怪我ではないように思います。場所が場所だけに、破傷風なども考えましたがワクチンも接種しているし、自分の周りに破傷風で亡くなった人はいませんので。少し自分の考えが甘かったって、この趣味を10年ちょっとやっていて初めて思ったのは、いけなかったと思います。もっと対策をしないとなりませんね。やってしまいました・・・・

  • 母島に残るエンジン?

    母島に残るエンジン?

    母島に残っている、エンジン部品だろうか?初見です。母島に残るエンジン?

  • わたらせ渓谷鉄道 静態保存車両

    わたらせ渓谷鉄道 静態保存車両

    わたらせ鉄道の足尾駅に静態保存されている昭和30年代に製造された国鉄気動車。乗車扉が車体外側に開くタイプですが、これは最近の新交通システムに採用されているものだが昭和30年代とては、最先端過ぎた装備だったのかもしれない。が、しかし便所に関しては、その往時としては標準的な線路脇に垂れ流しするものであった・・・・・わたらせ渓谷鉄道静態保存車両

  • 洲ノ埼海軍航空隊射撃場

    洲ノ埼海軍航空隊射撃場

    太平洋戦争は飛行機中心の戦争となり、そこで必要になったのが飛行機を整備する兵隊でした。館山海軍航空隊は戦争をする航空隊でしたが、1943年に作られた洲ノ埼海軍航空隊は飛行機を整備する兵隊を教育するための航空隊。この射撃場は、この前約100メートルの位置に戦闘機をおいて機銃の調整をおこなうための的として使われていた施設の跡です。洲ノ埼海軍航空隊射撃場

  • 鉾田陸軍飛行学校監的所

    鉾田陸軍飛行学校監的所

    太平洋戦争当時、爆撃機の射撃や砲撃などの訓練を監視した監的所だ。この戦争遺跡は鉾田市汲上の県道脇に残る。1939年の鉾田陸軍飛行学校の設置に伴い造られた。監的所の出入り口鉾田陸軍飛行学校監的所

  • 〇樫石灰工業 〇叶鉱山3

    〇樫石灰工業 〇叶鉱山3

    1854年に創業し当社現本社にて石灰の製造を開始。1967年に戸叶鉱山を開発した。石灰岩は地質構造帯別にいろいろな形態で日本中に存在しています。なかでも栃木県葛生には、古生代二畳紀2億年前の海中のサンゴ等が堆積してできた、国内でも有数の良質な石灰石の鉱床があるそうです。〇樫石灰工業〇叶鉱山3

  • 〇樫石灰工業 〇叶鉱山2

    〇樫石灰工業 〇叶鉱山2

    1854年に創業し当社現本社にて石灰の製造を開始。1967年に戸叶鉱山を開発した。石灰岩は地質構造帯別にいろいろな形態で日本中に存在しています。なかでも栃木県葛生には、古生代二畳紀2億年前の海中のサンゴ等が堆積してできた、国内でも有数の良質な石灰石の鉱床があるそうです。〇樫石灰工業〇叶鉱山2

  • 〇樫石灰工業 〇叶鉱山1

    〇樫石灰工業 〇叶鉱山1

    1854年に創業し当社現本社にて石灰の製造を開始。1967年に戸叶鉱山を開発した。石灰岩は地質構造帯別にいろいろな形態で日本中に存在しています。なかでも栃木県葛生には、古生代二畳紀2億年前の海中のサンゴ等が堆積してできた、国内でも有数の良質な石灰石の鉱床があるそうです。〇樫石灰工業〇叶鉱山1

  • 東急デハ5000系(初代)+α

    東急デハ5000系(初代)+α

    1954年に製造された航空機の技術であるモノコック構造を応用した超軽量構造と、付随車を組み込んだ編成を採用し高性能化と製造コストの両立を図ったことが大きな特徴だそうで、当時の人はパンタグラフがついているのにモーターの音がしないと、ビックリしたそうです。当時は釣り掛け方式で、モーターの重々しい音が鳴り響いていたから当然だったかもしれない。当時はコンプレッサーもけたたましい音を奏でていた。2枚目後方に移るデハ3450系は1931年より1936年にかけて50両が製造されたそうです。*個人の敷地内にあるので、外側から撮影しています。東急デハ5000系(初代)+α

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A5

    東京湾要塞 大房岬砲台A5

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA5ここ2012年撮影(2022年記事A4ここ2012年撮影(2022年記事A3ここ2012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等...東京湾要塞大房岬砲台A5

  • 東京湾要塞 大房岬砲台A4

    東京湾要塞 大房岬砲台A4

    東京湾要塞大房岬砲台シリーズA5ここ2012年撮影(2022年記事A4ここ2012年撮影(2022年記事A3ここ2012年撮影(2022年記事A2ここ2012年撮影(2022年記事A1ここ2012年撮影(2022年記事C7ここ2016年撮影C6ここ2016年撮影C5ここ2016年撮影C4ここ2016年撮影C3ここ2016年撮影C2ここ2016年撮影C1ここ2016年撮影B6ここ2014年撮影B5ここ2014年撮影B4ここ2014年撮影B3ここ2014年撮影B2ここ2014年撮影B1ここ2014年撮影*補足*現地へ訪問(撮影)した順はA→B→Cです。帝国陸軍が昭和3年から4ヶ年を費やして構築したものである。巡洋艦鞍馬の副砲二門入り砲台二基を40メートル間隔で設置し、関連施設の観測所発電所・照明所・掩灯所・弾薬庫等...東京湾要塞大房岬砲台A4

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