chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

 スサノオ・大国主建国論から縄文時代に関心を持っており、全国各地のまちづくり計画の仕事をしてきたこともあり、主に宗教論・母系制社会論・産業論・建築論・言語論・航海論・日本民族起源論などから縄文社会を解明したいと考えています。 

hinafkin
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/01/06

arrow_drop_down
  • 199 「縄文十柱」からの未来

    『人間不平等起源論』『民約論(社会契約論)』などの著書でフランス革命に大きな影響を与えた哲学者ルソーは「自然に帰れ」を唱え(たとされ)、マルクス・エンゲルスは狩猟採集社会の「原始共産制」をモデルとし生産手段の独占のない原始共産社会を理想と考えました。一方、芸術家・岡本太郎氏は縄文土器に「人間性への根源的な感動、信頼感」を覚え、「超現代日本的美観」を見出しました。 今、地球環境や食料・健康危機、格差拡大、巨大都市化、独裁国家化、戦争・地域紛争など、この250年の工業・情報化社会、人工知能ロボット社会、格差社会の行く末について多くの人達が不安を抱いてきています。 そこで、過去の歴史から教訓をえよう…

  • 198 「太陽を南から登らせる」邪馬台国畿内説

    縄文社会論にとって、邪馬台国論争は無関係と思われるかもしれませんが、魏書東夷伝倭人条が紹介するようにこの国には3世紀に邪馬壹国の女王国があり、しかも記紀(古事記・日本書紀・風土記)によれば各地に女王国(図1・2参照)があり、魏皇帝は「鄭重賜汝好物」(鄭重に汝の好物を賜ふ)として卑弥呼に大量の絹織物・絹布(紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹)や銅鏡百枚、真珠鉛丹五十斤(25㎏)を贈っているのであり、卑弥呼だけでなく邪馬壹国連合を構成する30国の王もまた女性であったとみて間違いありません。中国の粉のように「朱丹塗其身體」というのですから、鉛丹は女性用の贈物でしょう。男性用の贈物であることが明…

  • 197 「縄文アート論」メモ

    ご飯が大好きで「稲の国」「米の国」と思っていた私が縄文に関心を持つことになったのは、1960年代後半と思いますが岡本太郎さんの写真の「火焔型土器」に衝撃を受けてからです。その後、各地の仕事で縄文土器をみるたびにその個性的な素晴らしさに裏切られることはなく、このデザインは何を表しているのか、ますます関心は高まりました。弥生式土器に感情がかきたてられることがないのとは大きな違いです。 次のインパクトはこれまた岡本さんの大阪万博の「太陽の塔」(元の名前は「生命の樹」)と「縄文に帰れ」「沖縄に本土が復帰するのだ」のメッセージです。 翼を広げた白い鳥の背中の「黒い太陽」は原発を象徴し、内部の「生命の樹」…

  • 196 縄文・古代郷土史のすすめ

    gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」で連載を始めた「スサノオ・大国主建国論2 私の古代史遍歴」(221013)で私は全国各地の郷土史の問題点について次のように書きました。(連載は7で中断) 全国各地の仕事では市町村史を必ず見てきたが、不思議だったのはどこにでも必ずある縄文・弥生遺跡の次は朝廷支配が及んできた記述となり、各地にあるスサノオ・大国主一族の神社が示す歴史についてほとんど触れていないことであった。祖先霊を祀る宗教施設であるスサノオ・大国主系の神社があり、しかもスサノオ・大国主に関わる伝説がある以上、スサノオ・大国主王朝の影響が及んだに違いないのであるが、大和中心・天皇中心…

  • 「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」の紹介

    Gooブログに「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」をアップしましたので紹介します。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 母の出身集落が兵庫県たつの市揖保川町の「浦部(町史では占部説)」であり、吉備津神社の「温羅(うら)」を祀る「御釜殿」の横で乳幼児期を過ごしていたという偶然の符合があり、さらに両親が一時入所していた海側のケアハウスの前の雛山(父の名字は雛元です)から「阿曽ピンク石」の石棺の蓋が発見され、温羅の妻が「阿曽姫」で各地の阿曽が製鉄地であったという符合から、「温羅=占」王であり製鉄王であった、ということなどをまとめました。 …

  • 195 縄文社会研究の方法論

    「縄文社会研究会」では1万数千年の縄文文化・文明(採集栽培・漁労狩猟・生活・家族・集団・技術・文化・宗教・言語)の全体像を明らかにし、たかだか2千年あまりの農耕・工業・戦争の文化文明の前に全世界に共通した文化・文明を明らかにし、持続的発展可能な平和な未来社会への参考にしようと取り組んできました。 考古学は遺跡・遺物の「物」からの帰納法により「縄文社会」を推理する着実な方法ですが、当研究会では現代人さらには古代人の様々な活動から縄文人の活動へと仮説演繹的に「縄文社会」を推理してきました。 「物」からというと科学的と思われがちですが、「発見物」からの推理という大きな限界があり、「未発見物」への推理…

  • Gooブログ 「スサノオ・大国主ノート154 『アマテラス』から『アマテル』へ」の紹介

    Gooブログ「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に「154 『アマテラス』から『アマテル』へ」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 縄文社会論と関係がないように思われるかもしれませんが、縄文人の宗教が一神教の「太陽信仰」なのか、それとも氏族社会・部族社会の多神教の「霊(ひ:祖先霊)信仰」なのか、という判断に関係してきます。 「縄文人太陽信仰説」はイギリスのストーンヘンジを参考にして、石棒円形石組を「日時計」とし、環状列石などが冬至・夏至の太陽の昇る方向を向いているということと、天皇家の「アマテラス(天照)太陽神信仰」を根拠としているのに対し、私は…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、hinafkinさんをフォローしませんか?

ハンドル名
hinafkinさん
ブログタイトル
ヒナフキンの縄文ノート
フォロー
ヒナフキンの縄文ノート

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用