6歳と2歳の2児の父/これまでF1レーサーを目指したり、企業経営者を目指したりしてきた現在普通のサラリーマンが日々奮闘する物語/趣味はサッカー/
美しさの儚さに 私もまた、憧れていた けれど 私は そこに とどまりたくはない 手のひらに咲いた 小さな花 懐にしまった ありふれた石ころ それらは 名もないけれど 確かに 私とともにあった だから私は 言葉にしたい 言葉では足りないことを知っている でも、それでも 言葉で、誰かの掌に灯りを渡したい 幻ではなく、 今日という日が手の中にあったことを 記録するように、願うように 私は、書く 私は、届ける 掌花日月(しょうかじつげつ) → 手のひらにある花と光。幻想ではなく、確かに“掌にある美” ・見過ごされがちな日常のなかに ・誰かが拾い上げた優しさがあり ・
紫陽花に対しては良い印象しかない。 雨の中で咲く花 濡れて煌めく 天気予報によれば 夕方からの 降水確率は上がっている でも雨に濡れぬ場所を探すより 星空を信じ出かけよう 雨に降られたら 乾いてた街が 滲んできれいな光を放つ 心さえ乾いてなければ どんな景色も宝石に変わる 絵空事… 誰かの言葉に、そっと返したくなる夜がある。 紫陽花は、雨の中で咲くことを選んだ花。 それは、やさしさの強さの象徴かもしれない。
丘の上から海が見え始める。 今朝は強い雨も降っていて、 空と海の間は霞がうめていた。 白い波しぶきが見え、 それだけで風の強さを感じさせる。 下りカーブを立ち上がると、 本来であれば正面にくっきりと見えるはずの工場の煙も今日は霞んでいた。 それでも1番高い煙突からの煙が直角に大きく流されているのが見える。 風が相当強い証拠だ。白波が立ってるのもそのためだ。 このあたりはちょっとしたサーフィンのメッカで、 サーファーとは、こんな海でも入るのかと心配になる時もある。 今日もいるかもしれない…
何気なく通り過ぎていた景色の中に、 自然と涙が溢れるほど美しい朝がありました。 車での通勤途中に海が見える30秒。 それ以来、その貴重な景色を書きとめています。 今朝も、海は白い。 太陽は姿を見せていない。 けれど、雲が薄いせいだろうか、 雲の向こうから漏れ出した光が、 海面に反射し、白く煌めいている。 徐々に視界が広がっていく。 そのとき―― 大型タンカーが、ぐっと沿岸に近づいているのが見えた。 工場から立ち上がる煙の様子から、 風は強くないことがわかる。 それでも昨夜、海が荒れていたのだろうか、 なぜ、こんなにもタンカーが岸辺へ寄っているのか。 いつもは遠くに浮か
「白だけど白じゃない海」 今朝も真っ白。空も海も。 海が真っ白と言う感覚、 あなたに伝わるだろうか。 昨日はめずらしい場所に停泊中のタンカーは、いつもの場所に戻り、空も海も見慣れた景色となっている。 しかし同じ景色ではない。 白といっても単色では表せない。 下りカーブを立ち上がり直線に入ると、正面には工場の煙が立ち上がり、私から見て右に折れ曲がっているのが見える。 それが海から陸へ風が吹いていることを示している。 また、直角に近付くほど強いということ。 車からの眺め、視界だけが頼り、 煙の流され具合、木々の揺れ、 風の強さはそれでわかる。 しかし、風の匂いや肌にあたる感触、それ
「錨地(びょうち)/アンカレッジ(anchorage)」という場所
海の見える地点に到達すると、 そこには見渡せる限りの海が広がっていた。 ここまで見えるのは久しぶりだ。 色はエメラルドグリーンまではいかないまでも明るい緑味を帯びている。 これもまたいつ以来か。 空はというと、 白から灰色のグラデーションをなした雲が一面を覆い青空は見えない。 このあたりはちょっとした工業地帯で、入港待ちのタンカーがいつもなら止まっているはずなのに、今日はいない。 ほんの少し視線を左へずらすと、いつもとは違う場所に停泊しているタンカーが見えた。 運転しながらの30秒。 車はタンカーとは逆方向に進んでいる。 何隻だったかはわからない。 どちらかと言えば、港からも
今朝の空。白、灰色、白と層をなしていて、美しい。全体的には雲で覆われた空の中に、ほんの少し青も見える。 海が見える丘に到達すると、白い波が打ち寄せている。こうして書き止めるようになってから、打ち寄せる波を見たのは初めてかもしれない。 もう少し海を眺めていたかったのだが、トラックが道路の秩序を乱し運転に気を取られ現実に引き戻された。 たった30秒しか見れない海の景色。 海の色が、海の様子がどんなであったかいまいち思い出せない。 過ぎていく車の様に海は僕を待っていてはくれない。
夜、寝静まった家に、「パンッ」と乾いた音が響いた。 まるで誰かが手を叩いたような音。 私は瞬時に、それが何かを思い出した。 物置の扉だ。 帰宅したとき、あの扉が壁に立てかけられていたのを見た。 たぶん、夕方に息子が自転車を出すとき、邪魔になって動かしたのだろう。 壊れてもう開かないあの扉は、数年前に父が外してから、 ずっと物置の裏に立てかけてあった。 背中に冷たいものが走り、懐中電灯を持って庭に出た。 風に揺れる木々と、倒れた鉄の扉。 ああ、やっぱり――風の仕業だ。 しゃがみこんで、扉の表面にそっと手を当てた。 ざらりとした錆の感触が、指先に残った。 それは、少しだけ赤くて、あた
朝来たら、机の上は書類の山だった。 ため息まじりに椅子に座る。 毎日が、少しずつ濁って見えた。 ふと、机を片付けたくなった。 何も変わらないと思っていたのに、 手を動かすたび、気持ちも軽くなっていった。 気づいたら、光が差し込んでいた。 きっと、ずっと前からそこにあったのに。 ——私が片付けたのは、机だけじゃなかった。 いま、少ししんどくなっているあなたへ。 光が差し込む場所は、自分でつくれる。 ほんの少しだけ、動いてみてもいいかもしれない。
今朝の海は、 最近覚えた「鉛を溶かしたような色」をしていた。 私は鉛を溶かしたことがない。 だから本当にこの色なのか、自信はない。 でも、その“重さと鈍さ”が、今朝の海には似合っていた。 浜辺に近いあたりは、土のような色をしていた。 霞が晴れたせいか、海面の輪郭がはっきり見える。 それもまた、久しぶりだった。 空は白く覆われ、青はどこにもない。 曇り空のはずなのに、波の向こう、 ひとすじだけ光が差し込んでいた。 それは、鉛の海の中に生まれた細い裂け目のようで、 わずかながら、海が光を受け入れているように見えた。 正面の工場から立ちのぼる煙は、 昨日とは逆方向に折れ曲がっている
今朝は小雨。 空は一面、白く覆われている。 でも、重たい印象は不思議とない。 この街ではよく見る空だ。 なのに今日は、雨が降っている。 曇りと雨。 見た目は似ているのに、 何が違うのだろう。 霞んでいた海も、今朝はよく見えた。 海面は穏やかで、空を映して白い。 静かに揺れているその表情が、どこかやさしい。 違いがあるとすれば、 工場の煙が、海のほうへと曲がっていたこと。 風向きが変わったのだろうか。 その変化が、雨を連れてきたのかもしれない。 今日は、昨日の会議の振り返りと、 次回の課題の整理。 ここまで終われば、ようやく一息つける。 ……もう少しだ。
今日は晴れ。 けれど、空に青は見えない。 一面が白く覆われていて、それでも明るい。 青空の日が少ないこの場所では、 そんな空さえ「晴れ」と感じてしまう。 海もまた、白く霞んでいる。 でも、今朝は珍しく漁船が見えた。 その船のまわりだけ、 海面がはっきりと姿を現していて、 「ここが海だよ」と教えてくれるようだった。 今朝は、朝一番の会議のため、いつもより早く家を出た。 だから見えたのだろう、漁船の姿も、 空いている車の流れも。 たった数十分早いだけで、 こんなにも違う景色がある。 今日の会議も、うまくまとまるといい。
今日の空は灰色。 このあたりでは、突き抜けるような青い空はめったにない。 でも、灰色だけど明るい。 それだけで、なんとなく「晴れてる」と思い込んでしまう。 やがて海が見え始める。 今日も霞がかかっていて、海の表情は見えない。 それでも、どこからが空で、どこからが海かはわかる。 いつもなら、直線に入ると正面に見えるはずの工場。 今朝は、その姿が曇りに隠れていた。 明日は、月に一度の大事な会議。 進行も、企画も、案内も、会議室のセッティングも。 何から何まで、ひとりでこなしている。 本当は、1週間前からこの会議だけに集中したいくらい。 でも、実際はそうもいかない。 とうとう前日に
この先には、海の見える丘。 下りカーブを抜けて直線に入ると、正面には煙を吐く工場。 その煙が、海からの風で直角に折れていた。 信号が、青から黄色へ。 前の車は行ってしまったけれど、自分は止まった。 いつもの流れなら、きっと行けたのに。 そういえば今朝は、2台前の車がずっとトロトロと走っていた。 少しじれたけれど、それが制限速度。 何も言えない。 家を出た瞬間、思わず身をすくめるほどの肌寒さ。 ここ最近ではめずらしい。 空と海の境界は霞がかっていて曖昧だけれど、 海の中の波ははっきりと見えた。 土曜日は、強い雨だった。 日曜には止んだけど、湿度は残ったまま。 今朝も、降り出してもお
今日は同窓会。 初の。 卒業したてな訳ではもちろんない。 尖ってたのか、劣等感からか、 成功するまで出ない、という そもそも成功とはどういう状態なのか、訳のわからない理由で避けてきた。 それがどうした? 余計な力が抜けたのか、 今回は出る気になった。 出てみたくなった。 どんな心境の変化なのか。 13時から16時の同窓会。 食事が出るのか、みんなバリバリスーツなのか、どれくらい集まるのか、全くわからない。 なんせ初だから。 しょっちゅう出ている先輩に聞くと、遅めのブランチくらいが丁度良いというので、なにかしら食べられることはわかった。 大先輩たちはスーツだけど、自分らの世代はカジュア
今朝も、停泊中のタンカーが雲に浮かんでいた。 空は白い雲に覆われ、海も霞がかり、海面はすっかり覆い隠されていた。 そのせいで、巨艦はまるで雲の上に乗っているように見えた。 けれど、空も海も、真っ白というわけじゃない。 雲の薄いところから、水色がにじむように広がっていた。 昨日よりも、少しだけその色が多くなっていた気がする。 太陽は姿を見せなかったけれど、 その気配が届くあたりの海面だけが、そっと輝いていた。 「ここは海だよ」とでも言うように。 そんな景色が開けてくる直前、 車が坂を下るカーブに差しかかったとき、ふと、信号機が目に入った。 あれ? こんなところに、信号なんてあった
久々に気持ちよく晴れた朝だった。 それでも“青空”と呼ぶには、どこか遠く、 薄く伸びた霞が空を覆っている。 その霞は、海に近づくにつれて厚みを増し、海と空の境界すらない。 昨日はすぐそこに見えていたあの船でさえ、 今日は何もなかったみたいに、姿を隠していた。 まるで雲が海に降りてきたかのような景色を丘の上から眺めながら、どこかで見たような感覚 そうだ、 雲海だ。 初めてここを訪れる人なら、 そこに海があることすら気づかないだろう。 こんな朝を、誰かに見せたくて、 しばらく動画を撮っていた時期がある。 でも、どうしてもボヤけてしまって、 この感動が伝わらない。 だからいま、こう
車が丘から下り始めると、 見える景色が少しずつ、少しずつ広がっていく。 まだほんの小さなエリアしか見えていないのに、 空も海も、真っ白なのがわかった。 今朝は霞がかかっていて、 空と海の境界線すら、見えなかった。 目の前いっぱいに景色が広がったころには、その中に、入港を待つタンカーが5隻みえた。 それがまるで、雲に浮かんでいるようで、まさに、日常の中にあるファンタジーそのものだった。 こんな景色を素通りしていた数年がとてつもなくもったいなく感じる。 これからは、こうして、ひとつひとつ拾い上げていく。
この街は、ただでさえ青空が少ない。 一年を通しても、雲ひとつない青空なんて、 指で数えられるくらいしかない気がする。 今日もまた、青空は見当たらない。 だけど、今朝は濃いグレーの雲もなかった。 空一面が、明るく白い雲に覆われていて、 海はそれをそのまま映し出している。 海と空との境界線も、どこか曖昧だった。 なんてことはない景色かもしれないけど、昨日とは全く違う。 そんな些細な変化を楽しむ。 日常の中にあるファンタジー。 そうしてまた、いつもの場所へと向かう。
通勤の途中、車で丘をくだると 目の前に、突然、海が広がる。 その色、その光に、息をのむ朝が何度もあった。 けれど、ある日ふと気づいた。 あのときと、太陽の位置が違っている。 ——もしかして、同じ景色は、ないのかもしれない。 海の色、光の揺らぎ、風の気配、心のゆれ。 それらの景色が見え始め、見えなくなるまで、わずか30秒。 忘れてしまうには、もったいない朝があった。 だから私は、それを言葉に残すことにした。
今朝は小雨。青空はない。 さて、こんなときの海の色が問題だ。 私はあの色を、何色と表現して良いのかわからない。 調べると「鉛を溶かしたような色」と言うらしい。 でも、私は鉛を溶かしたことがない。 あれは、いったい何色なんだろう。 雲が濃いところの下は、海の色も濃い。 雲の影響を受けているのだろうことは、わかる。 でも、それがそのまま“雲の色”とも言えない。 青に、グレーを足したら ああいう色になるのだろうか。 ちなみに… 昨日の逆転勝利で、 私の今日の心はとても晴れやかだ。
家を出たのは5時。 目的地は国立競技場。 試合開始は13時――ずいぶんと長い待ち時間のはずだが、 お目当てのグッズ、くじ引き、会場限定配布、そんなイベントの列に並び、昼食を買うにもまた並んで、 気づけば、あっという間に時間は過ぎていた。 家を出た時、空は曇り、肌寒かったが、それが現地に着いてみれば、青空が広がり、9時にはもう暑いくらい。まもなく陽射しは強くなり、日中の気温は25℃を超えた。 娘は、朝の早さと暑さで、途中くじけかけたが、それでもなんとかついてきて、モツ煮とスペアリブを食べたあたりから元気を取り戻した。 ⸻ 普段とは違う大観衆の中、試合が始まる。 開始早々にまさか
30秒だけ見えるのか。 30秒しか見えないのか。 30秒も見えるのか。 当たり前のように通り過ぎていた時期は、それが30秒と言うことにすら気がつかなかった。 30秒の間だけ見える海の景色。 その貴重な時間を、今朝も大切に楽しもうとしてるところに、 1台の車が強引に私の前に割り込んできた。 私が車間距離を開けているのはあなたを入れるためではない。 あなたが入ったことで、私はブレーキを踏み、またあなたとの車間距離を空けなければならない。 そんなことにも気が付かないのか? そういうところの配慮。 別にその後右折する訳でもないのに、 今そんな強引に入らないといかないのか。 そんな
雲の切れ間から 地上へとまっすぐ差し込む光の束 それを「天使のはしご」ともいう * 丘を下っている途中で 視界がぱぁーっと広がる そこから見える、いつもの海 だけど今朝は その丘に差し掛かったあたりから 空には—— 目の前いっぱいに 「天使のはしご」が降りていた それが、あまりにも美しく 泣きそうになる 白から濃いグレーの雲が 複雑に混じり合い 雲の切れ間から 水色にさらに白を足したような空がのぞく それを「青空」と呼んでいいのか 少しだけ、戸惑う でも そんなことはどうでもよくて 今朝は 「天使のはしご」だけで、充分だった
昨日からの雨は上がったものの、空はまだ雲に覆われていた。 それまで全く見えないのに、 あるポイントまで来ると、突然目の前に海が広がる。 そこへ来てはじめて、海のきらめきを見て、その美しさに感動する。 そしてその上に、太陽があるであろうこと、 また、ちょっと目線をずらすと、青空が覗いていることにも気付いた。 そして、今朝の海は、何色か? 色の表現に迷う。 ぱっと見、青ではない。 もし自分で色を作るなら、 それでも青をとことん濃くすることから始めるかな… 4連休明けの気だるさを引きずり、回ってない頭で、どうしたらあの色になるのかを考えながら、いつもの場所へと向かう。
注意⚠️ネタバレあり — 高校生のときにこの本と出会いたかった — 「どんなことでもがんばれる、オールマイティーな努力家なんてきっといない。 自分ががんばれる何かを見つけた人が努力家なんだ。」 私は、誰かと比べては、できない自分によく落ち込んでいました。 でも、本当はちがったのかもしれない。 「がんばれることをがんばればいい」——この本は、そうやって自分に優しくなることを教えてくれた。 それは逃げることではなく、自分の気持ちに正直になること。 そして、自分のペースで進んでいく強さなんだと思う。 もうひとつ、印象的だったのは作品の中で「童話を作る」という手法。 しかも、それを
どうしてこの場所には、こんなにも人が集まるのだろう。 テーマパークでも観光地でもない。 特別なイベントがあるわけでもない。 それなのに、誰かがいて、そしてまた誰かがやってくる。 私は、こう思った。 ——ここは、安心していられる場所なんじゃないか、と。 休日、家族と少し遠出をして、買い物の前に食事をとった。 食後、「近くの公園に行きたい」と娘が言うので、 防災機能もある大きな公園へと立ち寄った。 ローラー滑り台や遊具は、子どもたちで賑わっていた。 でも娘は、それを少し離れて眺めたあと、混み合う遊具には近づかなかった。 代わりに選んだのは、小高い芝の丘。 その斜面に寝転がり、何度も
カーブの先は直線道路。 その直進方向正面には製鉄所。 そこから立ち上る煙が、 風の向きと強さを教えてくれる。 今朝の風は、海から陸へ。 強くはないけれど、確かに吹いていると煙が言う。 それにしては、海はずいぶんおとなしかった。 天気予報では、お昼には雨が降るらしい。 でも今は、空に青はなくても明るくて、 太陽の位置もちゃんとわかる。 その下で、海面はきらめいてさえいた。 雨が降りそうな気配なんて、どこにもなかった。 問題は、海の色。 海って、青とは限らない。 今日の海は、灰色が基調。 あの色、いったい何色を混ぜるとできるんだろう? そんなこと考えながら、 今日も、いつもの場
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