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温泉クンの旅日記 https://blog.goo.ne.jp/onsendaisuki-gogo

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2019/12/28

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  • 京都・東山、「空也の寺」に立寄り(2)

    <京都・東山、「空也の寺」に立寄り(2)>空也上人が持っている、鹿の角が先に付いている杖にはこんなエピソードがある。空也上人は鹿を可愛がり、その鳴声をこよなく愛していた。ところが、「平定盛」がその鹿を射殺してしまったために深く悲しみ、その毛皮で衣を作り、角を杖の頭につけて念仏を唱え歩いた。そのことを聞いた「定盛」は悪業を悔いて、一宇の寺を創建し、「空也」を開山とし、自ら第二世になったということが、「空也堂(中京区蛸薬師通り)」という寺の縁起に記されているそうである。空也上人は念仏により庶民を教化するだけでなく、険しい道の往来の邪魔になる岩を削って平らかにしたり、井戸を掘ったり、橋を架け、野辺に捨てられた遺骸を火葬にして弔い、市中で乞食をしては貧民に与え、囚人を供養し、孤児を慰め、病人を救い、そして鉦をたた...京都・東山、「空也の寺」に立寄り(2)

  • 京都・東山、「空也の寺」に立寄り(1)

    <京都・東山、「空也の寺」に立寄り(1)>「この近くに<空也(くうや)の寺>があったはずだな・・・」京阪電車の「清水五条」駅から、東大路通りにある「清水道」バス停に向かって歩いているときに思いついた。たしか・・・寺の名は「六波羅蜜寺(ろくはらみつでら)」。スマホで地図検索してみると近いし、途中だ。歩いて10分かからない。軽い下見気分で寄っていこう。「なぜ、口から6体の仏像が出ているんだろう?なぜ、こんなにも粗末な衣で痩せっぽちなんだろう・・・」まるでカメレオンが発射した長い舌、みたいなのに載る仏像群・・・「そうだ京都、行こう」の、<空也上人>立像に対する、そんな問いかけからスタートするキャンペーンCMを観たことが一度でもあるなら、あの画像を忘れられないに違いない。口から小さな仏様が6体出てくるというこのユ...京都・東山、「空也の寺」に立寄り(1)

  • 京都・鹿ヶ谷、法然院

    <京都・鹿ヶ谷、法然院>歩きだしたばかりの、銀閣寺へ続く“哲学の道”をすぐに山側に逸れるように小さな橋を渡り、閑静な住宅街を抜ける短い坂を昇りつめる。目の前に、鬱蒼と茂った緑のなかに「総門」の石段があった。(今まで、どうやら飛ばして観光したらしいな・・・)銀閣寺からずっと南、東福寺あたりまでの東山側一帯の寺はかなり訪れていたのだが、ここは初めてだ。洛東の鹿ヶ谷(ししがたに)にある「法然院」は、東山の支峰「善気(ぜんき)山」の山麓に建つ、小さいけれど名刹である。法然が、弟子の「住蓮」や「安楽」とともに六時礼讃法要を勤めた草庵の旧跡で、延宝8年(1680年)知恩院第38代門主「万無(ばんぶ)上人」が再興した。名刹の正式名は「善気山(ぜんきさん)法然院萬無教(ばんぶきょう)寺」と号し、別称には「本山獅子谷法然院...京都・鹿ヶ谷、法然院

  • 『おもうわよ』は、まだ早い

    <『おもうわよ』は、まだ早い>かつては罪人の流刑地だった、鳥も通わぬといわれた遠い「八丈島」からさらに70キロ離れた孤島「青ヶ島」には、『おもうわよ』という別れの言葉があるそうだ。万葉集の東歌(アズマウタ)方言とほとんど同じの青ヶ島方言で「サヨウナラ」の意味である。「オモウ」は「思う・想う」を意味し、語源的には、ある特定の人の「オモ(面・貌・顔)」を、「オモ(重)たく」想い浮かべることから生じたそうだ。別れのとき、愛しい人のことを、懐かしい人のことを、強く「オモウ」から「おもうわよ」なのである。つまり、「離れていても、あなたのことを気にかけています、思っていますからね」という意で、親しい人と別れるときに使う「じゃあね」とか「あばよ」などと比べて、心がこもったとても美しい言葉だ。昨年はよんどころない諸事情(...『おもうわよ』は、まだ早い

  • 京都・左京区、永観堂(2)

    <京都・左京区、永観堂(2)>永観堂の「御影堂(みえいどう)」は大正元年(1912年)に再建された、比較的新しい総欅造りの宗祖「法然」を祀る堂で、本尊を安置する「阿弥陀堂」よりも規模が大きい。“御影堂”とは、寺院の開基・開山や宗祖の像を安置した堂塔で、奈良時代頃から開山の没後に敬慕の心を込めて建立されるようになった。そのため御影堂は「祖師堂(そしどう)」とか「開山堂」などとも言われている。永観堂の御影堂は過去何度も再建された。応仁の乱で焼失した後、1497年に「後土門天皇」によって再建され、その後1600年と1912年にも再建がなされたのである。(驚いたなぁ・・・なんとなくセットにしちゃった「法然院」と、ちゃんと“法然つながり”になっとるやないかい!)この御影堂(大殿)だけでも、永観堂に寄った甲斐があった...京都・左京区、永観堂(2)

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