歴史や偉人についてのウンチクを明日からでも話せるようになるブログです。 3分で読めるようポイントを絞って紹介しています。 最後に面白い小ネタもあります。
1534年5月12日~1582年6月2日(享年48歳) 出身 尾張(愛知県西部) 「天下布武」を唱え、天下統一直前までいった戦国三英傑の一人です。 「大うつけ者」「第六天魔王」と多くの異名を持つ信長ですが、どんな思いで戦国の世を駆け抜けていったのでしょうね。 生涯 尾張国に生まれ、幼名を吉法師と言いました。 父の死により18歳で家督を継ぎますが、粗暴な性格のため「大うつけ者」と呼ばれていました。 そこで、傅役の平手政秀は、自らの死を持って信長を諌めるのです。 うつけ者のふりをしていた信長ですが、平手政秀の死はショックでした。 そしてここから信長の本気モードが始まるのです。 信長の反逆を企てた弟…
1853年1月29日~1931年6月13日(享年78歳) 出身 熊本県阿蘇郡小国町 研究分野 細菌学 令和6年(2024年)より新紙幣千円札の顔になる人物です。 「日本の細菌学の父」と呼ばれ、ペスト菌の発見、破傷風の治療法の開発など感染症医学の発展に大きく貢献しました。 人命を救ったという意味では、この人の右に出るものはいないのではないでしょうか。 世界最悪と言われた感染症です。発見されていなかったら2~3億人は死んでいたことでしょう。 生涯 幕末、肥後国に生まれた北里柴三郎は厳しい躾を受けて育ちます。 コレラ(別名・虎狼狸 人がコロリコロリと死んでいくのが由来)が大流行した時代であり、北里も…
1864年12月31日~1929年8月16日(享年64歳) 出身 東京都新宿区 功績 津田塾大学の創設者 令和6年(2024年)より新紙幣五千円の顔になる人ですね。 日本における女子教育の先駆者と呼ばれる人ですが、生涯をかけ日本女性の地位向上に尽力した偉大な女性です。 実は、大河ドラマにもちょくちょく登場しているんですよね。(八重の桜、花燃ゆ) 生涯 津田仙の次女として江戸に生まれました。 3歳のときに大政奉還が起こります。 明治政府の新事業の仕事に就いた父のツテで、6歳にして岩倉使節団に随行しアメリカに留学することになります。 使節団の中に女性は5名いましたが、津田梅子は最年少でした。 梅子…
1522年~1591年2月28日(享年69歳) 出身 和泉国 堺(今の大阪府) 名・号 田中与四郎 → 千宗易 → 千利休 天下一の茶人、わび茶の完成者。『茶聖』と呼ばれた人物ですね。 茶の湯だけでなく、信長、秀吉と二人の天下人の政治顧問としても多大な功績を残しています。 力自慢の武将をも投げ飛ばす、180cm以上の大男だったそうです。 生涯 堺の魚問屋「ととや」に生まれます。 当時の堺は商人の街で、大名に支配を許さず、独立した国のようでした。 17歳の頃、茶の湯を学び始め、品位や教養を身に着けていきました。 「侘び茶」と出会ったのもこの頃です。 22歳で茶会を主催します。これが記録に残る最初…
1452年4月15日~1519年5月2日(享年67歳) 出身 フィレンツェ共和国(現在のイタリア北部) 代表作品 『モナ・リザ』『最後の晩餐』 芸術家として有名ですが、実は「万能の天才」と呼ばれ、技師(軍事・土木・治水)、数学、生物学、解剖学、天文学、地質学などあらゆる知識を網羅していました。 ついでに、美男子であったとも言われています。 メモ魔でもあった彼のメモは、すべて左右が逆で暗号かと思うほどです。 これは、左利きであったことやまともな教育を受けてないなどの理由もあったようです。 生涯 15世紀、ルネサンスの時代にヴィンチ村で生まれました。 レオナルド・ダ・ヴィンチというのは、ヴィンチ村…
1528年(諸説あり)~1582年6月13日(享年54歳??) 出身 岐阜県可児市(諸説あり) 紹介作品 2020年大河ドラマ『麒麟がくる』 2020年NHK大河ドラマの主人公ですね。 みなさんのイメージはどうでしょう。「本能寺の変で信長を討った謀反人」「三日天下の人」「悪人」ってとこでしょうか。 いえいえ、明智光秀は知略に優れ、同僚や民に慕われた優しき武将だったのですよ。 生涯 明智光秀の青年期は不明な部分が多く、歴史に出てくるのは将軍・足利義昭に仕え幕臣となった39歳頃ですね。 その後、足利家の家臣として織田信長に出会い、その才能を認められ織田信長の直臣となります。 ヘッドハンティングされ…
1840年3月16日~1931年11月11日(享年92歳) 出身 埼玉県深谷市 著書 論語と算盤 令和6年(2024年)より新紙幣一万円の顔になる人です。 多くの人に慕われ、情愛の人であったと言われています。 でも、福沢諭吉さんよりは知名度が低く「えーっと・・誰でしたっけ?」って思った人も多いですねぇ。 生涯 豪農の長男として生まれ、幼少期から剣術に優れ、頭脳も明晰でした。 実は、江戸時代の終わりに生まれた彼は、倒幕を目指す維新志士だったのです。 が、その後知人のススメで一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕え幕臣になってしまいました。 この180度の急展開!すでに普通の人とは違う道を歩み始めてますね。…
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