何でも「アイヌ差別」だといえば正しいのだろうか?
日本史、世界史の見直しを「ヘーゲル哲学」を基礎に行っています。「共産主義国家を考える」「加藤陽子氏、戦争まで、批判」「アイヌは原日本人である」「戦時下の日本女性は輝いていた」「東京商科大学と大東亜戦争」など、幅広く考察します。
何でも「アイヌ差別」だといえば正しいのだろうか?
冒頭にアップしたのは、『日本放送史 上』に掲載されていた、NHKの受信契約の伸びを表すグラフである。このグラフを見ると、満州事変以後の伸びが甚だしい。戦線が中国大陸に拡大するに比例してラジオの受信契約が増加していったことが一目で分かるグラフである。 結論か
石郷岡建著『杉原千畝とスターリン』~命のバトン~たくさんの”千畝”がいた
杉原ビザを支えた沢山の「千畝」たち。こういう本が私の救いとなる。
「右翼ー即ー左翼」「左翼ー即-右翼」 思想のグラデーションデザイン。
アメリカ人は戦争が好きか⑨ ニーバー著『道徳的人間と非道徳的社会』は名著だ!
今日の日本にあっても、ニーバーが批判した「モラリスト」たちが、巷に溢れている。そして、モラリストたちによって「社会的混迷」がより深められている。
「新体制運動」は日本版ニューディール④ 「日本経済再編成試案」から企画院事件へ
昭和研究会は、笠信太郎が中心となって「日本経済再編成試案」を纏め発表する。(昭和15年8月)米国において、ニューディールの推進イデオロギーとなった「所有と経営の分離」論は、この試案においては、次のように述べられている。「企業における資本所有と経営機能との分
教育科学研究会と大東亜戦争④ 城丸章夫氏「天皇制教学論」のプロパガンダ
日本共産党を始めとする「左翼」こそ歴史に向き合うべきだろう!
日本教育学会のスターリニスト矢川徳光③ 否定の否定~鮮やかな「転向」の弁証法
戦後日本の教育界を席捲した「ソビエト教育学」の第一人者矢川徳光の正体とは?
教育科学研究会と大政翼賛会の関係は?
教育科学研究会と大東亜戦争② 冬季指導者合宿訓練は「科学的軍国主義教育」の先駆!
戦時下の「軍国主義教育」は「左翼教師」によって遂行された!
教育科学研究会と大東亜戦争① 消えかけた火を吹きおこす夜寒かな
日本軍の加害責任を問う「日教組」らは、やがてブーメランとなって「皇国民錬成」教育を推進した矢川徳光や梅根悟らの左翼・進歩的教育学者らの頭上に還ってくる!
日本教育学会のスターリニスト矢川徳光② 大日本青少年団と「教養問答」のシュプレヒコール
冒頭にアップした写真は、たまたま古書店の通販案内で見つけた大日本青少年団本部発行の月刊誌『女子版「青年」』8月号の案内である。これを見ると矢川徳光の他に後に京都府知事となった蜷川虎三の寄稿文が掲載されているのが分かる。 長浜功氏は『増補 教育の戦争責任』
田川建三著『書物としての新約聖書』を読む④ 「聖書の差別語」書き換えのドグマ
聖書の「差別語」書き換えのドグマ。「トランスナショナル」「トランスジェンダー」「トランスナチュラル」運動の「言葉狩り」の狂気について。
田川建三著『書物としての新約聖書』を読む③ 新約聖書は何語で書かれたか?
イエスキリストは何語を話していたか?「エロイ・エロイ・サバクタニ」は何語?何故新約聖書の全てはギリシャ語で書かれていいたのか?
田川建三著『書物としての新約聖書』を読む② 「新約聖書」27文書及び「旧約聖書」とは?
新約聖書の「新約」とは?「聖書」=バイブルの元の意味は?
田川建三著『書物としての新約聖書』を読む① 新約聖書の入門書とは如何にあるべきか?
一体、「キリスト教」とは何なのか?聖書とは?イエスキリストとは?ユダヤ教とキリスト教の関係は?ここに取り上げる田川建三氏は、キリスト教や聖書の門外漢である私にとって、こうした素朴な疑問に答えてくれる数少ない実証的な第一級の「聖書学者」学者であると考える
ナチス「ニュルンベルク法」はアメリカ起源③ 米国「ジムクロウ法」と「ニュルンベルク法」
ウィットマン氏は次のようにアメリカ人研究者に問うている。 「アメリカ人が問うのは「ジム・クロウ」がナチスに何らかの何らかの影響を与えたのか、という点である。」「ジム・クロウ」とは、アメリカ南部で施行され、1950年代前半から60年代中頃までのアメリカの
ナチス「ニュルンベルク法」はアメリカ起源② ナチス優生学のアメリカの影響
ジェイムズ・ウィットマン氏は、また、「ナチスによる紛うかたなき犯罪計画の一端」「とりわけナチスの優生学や残忍な東欧征服」「におけるアメリカの影響」という歴史家の研究成果についても述べている。 優生学ー即ち遺伝的欠陥をもたない「健全な」社会を築くことを目
ナチス「ニュルンベルク法」はアメリカ起源① ナチ人種法とアメリカ人種法
今回取り上げるのは、『ヒトラーのモデルはアメリカだった』(ジェームズ・ウィットマン著・みすず書房)という衝撃的な題名の著書である。著者のジェームズ・ウィットマン氏(1957年生~)は、イェールロースクールに在籍する比較法の教授である。 氏は「はじめに」
「新日和見主義事件」とは何だったのか?~「寡頭専制」政党の終焉
もうかれこれ50年以上も前のことであった。私が入学したのは、ちっぽけな名も知られていない辺境の大学であった。当時の公立大学は、エリートが入学する所謂「一期校」と偏差値の低い学生が入学する「二期校」分かれていたが、学力の低い私は、この二期校にかろうじで合格
日本教育学会のスターリニスト矢川徳光① 長浜功「教育の戦争責任」を巡って
冒頭に掲載したのは長浜功氏著『増補 教育の戦争責任ー教育学者の戦争責任』(明石書店)と題する著書である。竹内洋氏は『革新幻想の戦後史 上』(中公文庫)において、『教育の戦争責任』をとりあげ、次のように述べる。 同著は、「教育学者は、戦前の皇国主義教育に
梅根悟と大東亜戦争⑥ 戦ふ教育の高唱~一切はこの戦ひに勝つ為に捧げられなければ
日教組ブレーンの教育学者、梅根悟の戦時下言説とは?
梅根悟と大東亜戦争⑤ 政治の新体制~現御神天皇の「しろしめす」政治
戦時下の梅根悟は国家全体主義を唱える「ファシスト」であった。
梅根は、大著 「国民教育の新体制」の「第1編 国民新教育体制の基礎 第1章 高度国防国家」の冒頭において、次のように述べている。「新体制わ高度国防国家体制である。ー之は、近衛文麿公によって、その新体制の発足に際して、下された宣言である。それでわ高度高度国
梅根悟と大東亜戦争③ はじめに・・・大東亜共栄圏の確立のため・・・
では、梅根はこの著書でいったいどんなことを主張しているのか。まず、「はしがき」(序文)を読んでみることにする。 「新体制運動わ今われわれ一億国民の、国をあげての運動であり、国の運命をかけての運動である。今われわれわ、これまでわれわれが生きて来たままの生
それでは早速、梅根著『国民教育の新体制』の概要を目次を通してみてみよう。 はしがき 第1篇 国民教育新体制の基礎 第1章 高度国防国家 第2章 教育新体制の目標 第3章 自由主義と全体主義 第4章 国民教育計画の基礎としての国民職能計画
梅根悟と大東亜戦争① 日教組ブレーン教育学者の「教育新体制」論
さて、「昭和研究会」によって提唱され、近衛内閣によって推進された「新体制」運動は、日本の教育界にも大きな影響を与えた。今回のブログでは、戦時日本における「教育新体制」運動の一翼を担った梅根悟の「新体制」論をとりあげ、検討することにしたい。 まずは、
西田幾多郎と「大東亜宣言」⑥ 「大東亜宣言」と杉森孝次郎・宮沢俊義・平野義太郎
冒頭にアップした新聞記事は、11月8日~12日の毎日新聞の夕刊である。この毎日新聞の夕刊では、大東亜会議で採択された大東亜宣言を受け、大東亜宣言の5原則について、それぞれ5人の学者の論評を掲載している。見出しと執筆者は以下の通りである。 〇8日 「血で書
西田幾多郎と「大東亜宣言」⑤ 三木清「新日本の思想原理」と「東亜協同体」
さて、前回、西田幾多郎の「世界新秩序の原理」を取り上げ読んでみたが、その内容はあまりに哲学的で抽象的で分かりにくかった。そこで、今回は、西田の弟子である三木清の「新日本の思想原理」と「協同主義の哲学的基礎」と題する論文を取り上げてみよう。なぜ、三木の当
西田幾多郎と「大東亜宣言」④「世界新秩序の原理」 ⑵ 八紘為宇の理念・東亜共栄圏・皇室
全世界が一つの世界的世界に構成された「世界的世界」に於いては、「各民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的世界に結合する」ーこれが今日の世界大戦に要求せらるる「世界新秩序の原理」である。西田によれば、このような「世界新秩序の原理
西田幾多郎と「大東亜宣言」③ 「世界新秩序の原理」⑴18~19世紀思想と今日(20世紀)の世界
大東亜共同宣言は、西田が講演「世界新秩序の原理」の内容をどの程度反映しているのだろうか。まずは、「世界新秩序の原理」(岩波書店刊、西田幾多郎全集11巻所収、p444~450)を読み解くところから始めていこう。 講演の冒頭で西田は「世界はそれぞれの時代にそれぞれ
さて、周知のように、大東亜宣言とは、日本、中華民国、満州国、フィリピン、ビルマ、インドの各代表が参加して(昭和18年11月5日から6日)開催された大東亜会議において採択された「共同宣言」である。今では、この大東亜宣言なるものは、かの「大東亜戦争」と共に日本が
マカレンコ「集団主義」教育とウクライナの悲劇⑧ 「共産主義」教育としての「総合技術教育」の失敗
前回に続いて、またまた脇道に逸れるのだが、大事なことなのでご容赦願いたい。 さて、森重義彰氏は「1930年代ソ連邦における教育政策の成立過程」において「1917年の十月革命以降、おおむね1920年代までのソビエトの教育は、当時世界的に展開されていた新教育運動に
「新体制運動」は日本版ニューディール③ ミーンズ「所有と支配の分離」論から「所有と経営の分離」論へ
さて、近衛内閣は、昭和12年に「企画院」を設立させた。国家総動員機関と総合国策企画機関の機能を併せ持つ強大な権限を持つ首相直属の機関であった。これは、昭和研究会が米国のニューディール体制と同様の最高経済会議に相当するものであった。 第2次近衛内閣では、
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇⑦ 「家族死滅論」の帰結としての少年非行の増大
さて、前回のブログで私は、ソ連時代の「学校の荒れ」について取り上げ、これがスターリンの「児童学粛清」を招いたことを指摘した。今回は、スターリン政権が取り組まなければならなかった「少年非行」の増加の問題について、その大きな原因の一つとなった「家族消滅論」
「新体制運動」は日本版ニューディール② 松井春生「経済参謀本部」とは
さて、前回のブログでは後藤隆之介を中心とする「昭和研究会」の設立の経緯について記述した。同研究会では、昭和9年に蝋山政通を中心として「昭和国策要綱」を策定する作業を進めていた。「その間、高橋亀吉がアメリカ から帰朝した時に、ニューディールの話をきいたあと
「新体制運動」は日本版ニューディール① 後藤隆之介と昭和研究会
私の日本近現代史の見直しー「歴史修正」作業は、細やかな試みであるが、少しずつ実を結びつつある。特に昭和10年代の「大東亜戦争」の開戦に至る近衛ブレーン「昭和研究会」及び新体制運動については、日本の近現代史家が積極的に取り上げてこなかった。何故かというと、
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇⑥ 学校の荒れと少年非行の増加
森重氏はホームズ(米南アラバマ大学教授)の「1930年代におけるすべての教育に関する主要な決定の採択に際し、スターリンが主導的な役割を果たした」という指摘を紹介している。 今回のブログでは、森重氏が、1935年9月3日付の連邦人民委員会議・党中央委員会決定「小学
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇⑤ スターリンの教育関心と「児童学」の粛清
マカレンコの全集には、「児童コローニャにおける活動方法論の試論」(1932年頃の執筆)なる草稿で、主として児童学者たちを批判して次のように述べている。 「もし、教育学のむだなおしゃべりから、すべての粉飾的な革命的言辞と述語と呼びかけとを消し去るならば、あと
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇④ 「塔の上の旗」~キーロフ暗殺から大粛清へ
マカレンコ全集の第六巻には、「塔の上の旗」と題する小説が収録されている。この作品の最後のクライマックスの場面では、主人公のザハーロフが朝方家を出てコローニャの庭に足を踏み入れたところで目にした光景が描かれている。「・・・まだうす暗かったが、もう東の空は
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇③ 1930年行進曲と「ウクライナ・ジェノサイド」?
果たしてスターリンによる「ウクライナ・ジェノサイド」はあったのか?
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇② 「ジェルジンスキー・コムーナ」とは
『マカレンコ全集』第四巻(明治図書)には「ジェルジンスキー記念コムーナ史抄」と題する「コムーナ」での教育実践史をまとめた講演録が収録されている。(p371~) ここで問題にしたいのは、第一にマカレンコの言う「コムーナ」とは何だったのか?そして、第二として、
マカレンコ「集団主義教育」とウクライナの悲劇① 旧ソ連の「浮浪児」問題とウクライナ
ロシア軍のウクライナ侵攻が愈々現実のものとなった。ウクライナといえば、私が想起するのは、1970年代に日教組の先生方を中心として展開された「集団主義教育」である。「集団主義教育」の推進母体となったのは、全国生活指導研究会(全生研)という民間教育サークルで
アメリカ人は戦争が好きか⑧ 日本が最初に発砲するように導く!~「リメンバー・パールハーバー」」
『アメリカ史 2』(山川出版社)において紀平英作氏は次のように述べる。 「40年代後半から41年にかけて、アメリカ経済も軍需の拡大とともに37年後半から不況状態を払拭し、雇用の大幅な拡大の道をあゆみはじめた。40年11月、ローズヴェルトは景気が急速に改善にむかっ
アメリカ人は戦争が好きか⑦ 民主主義の兵器廠とは~ニューディールから国防国家へ
今回は、1940年末にルーズベルトが語った、米国は「民主主義の兵器廠」となる、との言葉の背後にある意味を考えてみたい。この言葉は、単に英国などの民主主義諸国への「武器貸与法」を指すものと思うかも知れない。しかし、それは表面的な見方である。「民主主義」だとか
アメリカ人は戦争が好きか⑥ これは「戦争法案」だ!~「武器貸与法案」を巡る論戦
三選がなったルーズベルトは、12月、「アメリカは民主主義の兵器廠とならねばならぬ」と語り、英国などへの本格的な援助に乗り出した。 1941年1月、ルーズベルト政権は連邦議会に「武器貸与法案」を提出した。ビーアド著『ルーズベルトの責任』では、この法案は次の6点か
アメリカ人は戦争が好きか⑤ 子どもたちを戦場に送るな!・「アメリカン・ファースト」
1939年9月、ソ連と不可侵条約を結んだドイツは、ポーランドを分割占領し、英仏両国がドイツに参戦し、ついに第2次世界大戦が始まった。世界大戦の勃発を受けてルーズベルト大統領は、特別議会を招集し、「中立法」の改正を図った。議会は大議論の末、交戦国(英仏)に武器
アメリカ人は戦争が好きか④ 1930年代の反戦運動と「中立法」の制定
1930年代に入ると、米国民の「反戦感情」は一段と高まった。1930年には、第1次大戦の悲惨さを描いたハリウッド映画『西部戦線異常なし』(原作は、ドイツ人作家レマルク)が制作され好評を博した。また、1934年には、『死の商人』と題する一冊の本が出版され、評判となった
アメリカ人は戦争が好きか③ 1920年代の反戦運動と「戦争違法化」論
第1次世界大戦が終わると、アメリカ国民は、自分たちが大戦に参加したのは間違っていた(bad war)と考える国民が増加していった。米国にとって、第1次世界大戦は、南北戦争以来の大戦争であり、戦死者の数も諸外国と比べて少なかったとはいえ、11万人もの犠牲は、
西田幾多郎を読まなければと思って『善の研究』を手にとってみた。けれども、何を書いているのかさっぱり分からない。もともと頭が悪いのだが、益々頭がわるくなってきている。 ※戦後、西田の弟子達の中から、左翼に転向する哲学者が多く出ている。私の知っている範囲で
レーニンの弟子ヒトラー⑬ 日本に於けるナチズム受容と「共産主義者」
これまでのブログでの私の考察によれば、ナチズムと共産主義とは、共に「全体主義」であること。また、両者が相互に移行する共通の基盤を持っていることなどが明らかになった。即ち自由主義と対抗する全体主義(ナチズム・コンミュニズム)という特色を有している。 今
レーニンの弟子ヒトラー⑫ 「トロツキスト」?デューイの「全体主義」論
今回は、日本で「進歩的教育学者」として知られる、20世紀アメリカ知識人を代表する哲学者、ジョン・デューイの「全体主義」論を取り上げる。私が依拠するのは、井上弘貴氏著『ジョン・デューイとアメリカの責任』(木鐸社)である。 ⑴赤い30年代 米国の1930年代は、
レーニンの弟子ヒトラー⑪ アレント『全体主義の起源』~[イデオロギーとテロル]について
今回は、ハンナ・アレンの主著『全体主義の起源』を取り上げる。といっても、私には、全3部にも及ぶこのアレントの大著から読み取るだけの力量と時間が欠けている。そこで、今回は牧野雅彦氏著『精読 アレント『全体主義の起源』』(講談社選書)に全面的に依拠して、その
レーニンの弟子ヒトラー⑩ レーニンとヒトラー~「全体主義」の「宣伝・扇動」術
さて、私たちは愈々「コンミュニズム」と「ファシズム」という2つの「全体主義」を同一視点で比較する地平に達することができた。 即ち、今回のブログでは、「マルクス=レーニン主義」と「ナチズム」を「思想」「体制」(党組織)「運動」の3点を区別して相互に比較する
冒頭に掲げた著書は、憲法学者長谷部恭男氏とナチドイツ研究者石田裕治氏との対談を纏めた『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)と題する新書である。この書で主張されているのは、ワイマール共和国憲法48条2項が定める「国家緊急権」がナチ独裁を招いたとする
レーニンの弟子ヒトラー⑧ 全体主義思想として「共産主義」の形成
今回は、「全体主義」思想としての「共産主義」というテーマを取り上げ、「共産主義」即ち「マルクス=レーニン主義」思想は、何故に「全体主義」と定義づけられるのかを考察してみたいと思う。 まずもって、確認して置かなければならないのは、マルクスの学的業績は、
レーニンの弟子ヒトラー⑦ ラサール祝祭~「赤旗」から「ハーケンクロイツ」へ
ーラサール派の党旗として採用された赤旗ーP55 ラサールを取り上げた関係上、ここで是非とも触れておかなければならないのは、ラサール祝祭についてである。「ラサール祝祭」とは何か?実は、私たちが今日思い浮かべる「左翼」「共産主義運動」のシンボルである「赤旗」
レーニンの弟子ヒトラー⑥ レーニンの「民主集中制」はラサール起源
前回のブログでは、ヒトラーの率いるナチ党が「寡頭制」即ち中央集権的な政党である「ドイツ社会民主党」の組織を模倣したものであったという点を取り上げた。今回のブログでは、レーニンの「民主主義的中央集権制」なる党組織が、「ドイツ社会民主党」の寡頭制党組織を模
レーニンの弟子ヒトラー⑤ ミヘルスの「寡頭政党」論及びヒトラーの党組織論
今回は、ロベルト・ミヘルスの『現代民主主義における政党の社会学ー集団活動の寡頭制的傾向についての研究ー1・2』(木鐸社)を取り上げる。ミヘルスは、ドイツ社会民主党の活動家であり、理論家であったが、その後、社会民主党に疑問を持ち、後に社会主義活動から離れ
レーニンの弟子ヒトラー④ 原田昌博著『ナチズムと労働者』の画期的意義
今回取り上げる原田昌博氏著『ナチズムと労働者』(勁草書房刊)は、前回のブログで紹介した中村幹雄著『ナチ党の思想と運動』の研究を受け継ぎ、より実証的なナチス研究の新領野を切り開いた画期的な研究書である。ただし、原田氏は、ナチス党を「労働者の党」あるいは「
アメリカ人は戦争が好きか?② 戦時下のアメリカ人女性も輝いていた~第一次大戦と婦人参政権運動
「森発言」を巡って野党議員の白い服を見て、眠っていたブログが目を覚ました。「白い服」はアメリカの婦人参政権運動の象徴らしい。そこで、米国の婦人参政権運動について調べてみることにした。 資料として用いたのは、『原典アメリカ史 第五巻 現代アメリカの形成下
加藤陽子氏「戦争まで」を読む⑪ 改訂版:「大東亜共栄圏」は左翼・マルクス主義者の発想
加藤陽子氏は『戦争まで』の中で、一九四一年七月二日の御前会議で決定された「帝国国策要綱」をとりあげ、次のように述べている。「この日の決定の内容について、教科書や年表でどのように説明されているかといえば、対ソ戦を準備する一方、対英米戦争をも辞さない、とい
「日中戦争」とラジオ報道⑦ ラジオの「ファシスト的公共性」とは?
「ラジオ放送が集団的に受容されえた状況も、蓄積される書籍より読み捨てられる雑誌と似ている。テープレコーダーなど録音装置がまだ普及していない一九三〇年代は、ラジオの流動的な特性が突出した時代であった。それは社会システムの編成替えを政治コミュ二ケーションに
「日中戦争」とラジオ報道⑥ 再乱闘・朝ドラの嘘ー古関祐而は反省も悔恨もしていない
リング上の「茶番劇」(朝ドラ・エール)に腹を据えかねて、リング上にデストロイヤー乱入。 自分の作曲した軍歌で多くの兵隊さんの命が失われた。その悔恨のため、一年半も曲が書けなくなったって?嘘だ!古関祐而は、一ヶ月半後には、放送局(つまりNHK)の依頼で菊田一
「日中戦争」とラジオ報道⑤ ラジオは「満州国」をどう伝えていたか
ー満州国の絵はがきー NHKのテレビ番組を見ると、日曜の朝などに、中国残留孤児のドキュメンタリーなどが放映されている。また、過去には、七三一部隊や満蒙開拓団の集団自決などを扱った番組などが放映されていた記憶がある。 では、いったい、昭和12~13年頃のラジオは
「日中戦争」とラジオ報道④ 日本は「内モンゴル」の独立を支援していた
さて、場外乱闘はこのくらいにして、再びリング上に戻ることにしよう。 現在、中国共産党の独裁政権下では、内モンゴル自治区のモンゴル人に対して、モンゴル語を取り上げ、中国語が強制されるなど、モンゴル民族は衰亡の危機にたたされている。揚海英氏によると、かの文
「日中戦争」とラジオ報道③ ラジオと軍歌~NHKに「反戦ドラマ」を放映する資格はあるの?
今回のブログは、プロレスで言えば、リング上の戦いではなく、リング下の場外乱闘である。NHKの朝ドラ「エール」を見て、無性に腹が立ったので場外乱闘に及んだ次第である。ドラマでは、主人公裕一に向かって元弟子(戦時中にしては太りすぎだと思うが)や友人から「軍
今回のブルログの狙いは、ラジオ放送(報道)が日本の対外・対中政策に与えた影響を考察することに主眼を置いていきたい。いったい、ラジオ放送は、日中戦争をどのように伝えていたのか。ここでは、その概要を知るため、日本放送協会発行のラジオ「ニュース解説」をとり
「日中戦争」とラジオ報道① NHK朝ドラの「嘘」~露営の歌とは
毎回思うのだが、朝のNHKドラマは、酷い内容だ。特に今回の古関祐而の生涯を扱った「エール」は、酷い。何故酷いか?登場人物からして、現代の若者がタイムスリップしたドタバタコメディを繰り広げるだけで、時代背景も満州事変から日中戦争(支那事変)そして「大東
さて、「ナチス」といえば、今日、ユダヤ人を大量虐殺した極悪人の集団とのイメージが広く定着している。ここでは、このイメージに異を唱えようと思う訳ではない。しかし、この極悪人の集団(党)= ナチス党とは、如何なる目的を持って創設され、その活動は実際のところ如
レーニンの弟子ヒトラー② 働かざる者食うべからず~「労働」とは何だろうか?
働かざるのも食うべからず ~パウロ~「テサロニケの信徒への手紙」より マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)を読むと、ルター派や英国のピューリタンによる高利貸資本主義への一貫した批判的立場が浮き彫りにされている
今回から展開するブログの標題は「レーニンの弟子ヒトラー」とすることにした。別にふざけているわけではないが、中には、この標題を見て怒り出す方々もおられるのではないかと思う。特にドイツ近現代史の専門家からは、「いい加減なことを言うな!」と、お叱りを受ける
戦時下の日本女性は輝いていた⑧ 育児と子供の生活指導ー子どもが大切にされていた
①『婦人之友』昭和19年1月号 ② 左側ー『婦人之友』昭和19年3月号 右側ー『婦人之友』昭和19年1月号 ③『婦人之友』昭和17年10月号 今回は、戦時下の育児と子供の家庭での生活指導について取り上げる。 ①は、「母乳をよく出すために」という記事
アメリカ人は戦争が好きか?① ドナルド・トランプの登場が意味するもの
アメリカ人は戦争が好きな国民なんだ・・・という言説が日本のマスメディアをはじめ巷に溢れたのは、確か湾岸戦争の頃ではなかったかと思う。今でも、「アメリカ人は戦争が好きなんだ」というイメージを抱いている日本人は案外多いのではないのかと思われる。 しかし、私
戦時下日本の女性は輝いていた① 大いなる時代は遂に来れり~羽仁もと子と「婦人之友」
以前から疑問に思っていたことがある。日本が「大東亜戦争」と名付けたあの時代は、暗い時代であり、みんなものも言えず、政府の命ずるままに若者は戦場に送り出されていった。女性は、息を潜めて戦争が終わるのを待つしかなかった・・・。これが戦時下の日本に対するイメ
加藤陽子氏「戦争まで」を読む⑧スパイ尾崎の「評価」を巡って2改訂版
尾崎秀実については多くの著書が出版されているが、ここでは、上記の二著を基に、スパイ尾崎の行動とその目的を明らかにしていくことにしましょう。左は、昭和研究会の一員でもあった酒井三郎の著『昭和研究会 ある知識人集団の軌跡』TBSブリタニカ刊、右は『尾崎秀実時
「共産主義」国家を考える③ レーニンと刑法第58条~反革命罪:改訂版
さて、前回のブログでは、梶川伸一氏訳『ソヴェト=ロシアにおける赤色テロル』(社会評論社)を基に、レーニン時代の「赤色テロル」といわれる弾圧体制を明らかにしてきた。 今回は、スターリンによる「大粛清」の拠り所となった刑法第58条(反革命罪)について、その
レーニン神話の解体に大きな役割を果たすと思われる著書が、この『ソヴェト=ロシアにおける赤色テロル(1918~23)』(S・Pメリグリーノフ著、梶川伸一訳、社会評論社刊)である。まずは、簡単にこの書の著者メリグーノフについて梶川氏の解説を聞いておくことに
東京商科大学と「大東亜戦争」⑪ アカデミズムの変節と敗戦利得
さて、このブログの最後に、敗戦後の東京商科大学がどのように変わっていったのかを見ていこう。 まずは、インターネットの「如水会ニュース」に投稿されていた「戦時体制下の学問と教育」には、戦時下の概況が次のように記されている。 「1941ー45年の正味三カ年半は、
東京商科大学と「大東亜戦争」⑩ 中山伊知郎と「総力戦論」ー経済戦略ー
今回は、「第三章 経済戦略について」を読んでいくことにする。 中山は、「経済戦略」の定義について、次のように述べる。 「経済戦略と云ふのは戦争経済を目標とする闘争の要求、手段、指導原則に付いての体系を云ふ。さう云ふ闘争がどう云ふ要求をもつか。それが如何
東京商科大学と「大東亜戦争」⑨ 中山伊知郎と「総力戦論」ー戦争経済の課題-
昭和7年の中山伊知郎 ー全集第三集ー さて、「第二章 戦争経済の課題」を読んでいくことにしよう。 「
東京商科大学と「大東亜戦争」⑧ 中山伊知郎と「総力戦論」ー経済戦の地位-
中山は、「経済戦」と云うのは、「敵の戦争経済の破壊を目的とし、併せて自国の戦争経済の防衛を目的とせる闘争である。」と定義づける。(p4)その上で、「経済戦と云ふものが総力戦の中で持つてゐる地位、詰り総力戦と経済戦との関係、之を考へるためには一応総力戦と
東京商科大学と「大東亜戦争」⑦ 中山伊知郎の「総力戦論」ーその1
さて、『経済戦略と経済参謀』(ダイヤモンド社)には、「経済指導者研究室」で行われた、講義のうち、東商大教授による次の五つが掲載されている。 「総力戦と経済経済戦略」 中山 伊知郎 「管理工場の運営」 古川 栄一 「計画交易の問題」
さて、前回までは、東京商科大の「軍ー産ー学」の協同体制について述べてきた。 昭和18年に入ると、戦況が悪化し、今まで徴兵を猶予されていた学生たちも徴兵されることになった。二ヶ月後に「学徒出陣」が迫る中、東京商科大学には「経済指導研究室」が設立された。 今
東京商科大学と「大東亜戦争」⑤ 「軍ー産ー学」協同体制と南方調査団
ここまでの東京商科大学の歩みは、一言で云えば、「軍ー参ー学」協同体制の構築という言葉に代表させることができる。この動きの背後にあるのは、学内の学問の変化ー即ち、実学としての「商学」から「経済学」への学問研究体制の進化がある。 では、東商大の「軍ー産ー学
東京商科大学と「大東亜戦争」④ 対米開戦前の「総力戦講習会」
東商大においては、昭和12年の「支那事変」の勃発に際して行われたのが「戦時特別講義」であったが、対米戦争も間近に迫る昭和16年秋には、一橋新聞社主催で「総力戦講習会」を行っている。このときの講習会の草稿を基に、教授陣が「大東亜戦争」勃発後の事態を踏まえて加
東京商科大学と「大東亜戦争」③ 「戦時経済講話」の目的と概要
上田貞次郎学長は、『戦時経済講話』の発刊に至るまでの経緯を「序文」において、次のように述べている。 「支那事変の突発した時学校は恰も夏季休暇中であつた。九月になつて新学期の始まつた時には戦局は漸く進展してゐたが世間一般には事態の重大なることを充分に認識
東京商科大学と「大東亜戦争」② 総力戦と三冊の講義録・戦時文献学の提唱
東京商科大学では、対外戦争の動向に合わせ、学内の教授を動員し、学生に講義を行っていた。その講義録が三冊の書物に残されている。一冊目は、昭和12年の蘆溝橋事件に端を発した日中戦争の開始に際して行われた連続講演を収録した『戦時経済講話』(科学主義工業社)で
「ブログリーダー」を活用して、哲人ムサシさんをフォローしませんか?
何でも「アイヌ差別」だといえば正しいのだろうか?
冒頭にアップしたのは、『日本放送史 上』に掲載されていた、NHKの受信契約の伸びを表すグラフである。このグラフを見ると、満州事変以後の伸びが甚だしい。戦線が中国大陸に拡大するに比例してラジオの受信契約が増加していったことが一目で分かるグラフである。 結論か
杉原ビザを支えた沢山の「千畝」たち。こういう本が私の救いとなる。
「右翼ー即ー左翼」「左翼ー即-右翼」 思想のグラデーションデザイン。
今日の日本にあっても、ニーバーが批判した「モラリスト」たちが、巷に溢れている。そして、モラリストたちによって「社会的混迷」がより深められている。
昭和研究会は、笠信太郎が中心となって「日本経済再編成試案」を纏め発表する。(昭和15年8月)米国において、ニューディールの推進イデオロギーとなった「所有と経営の分離」論は、この試案においては、次のように述べられている。「企業における資本所有と経営機能との分
日本共産党を始めとする「左翼」こそ歴史に向き合うべきだろう!
戦後日本の教育界を席捲した「ソビエト教育学」の第一人者矢川徳光の正体とは?
教育科学研究会と大政翼賛会の関係は?
戦時下の「軍国主義教育」は「左翼教師」によって遂行された!
日本軍の加害責任を問う「日教組」らは、やがてブーメランとなって「皇国民錬成」教育を推進した矢川徳光や梅根悟らの左翼・進歩的教育学者らの頭上に還ってくる!
冒頭にアップした写真は、たまたま古書店の通販案内で見つけた大日本青少年団本部発行の月刊誌『女子版「青年」』8月号の案内である。これを見ると矢川徳光の他に後に京都府知事となった蜷川虎三の寄稿文が掲載されているのが分かる。 長浜功氏は『増補 教育の戦争責任』
聖書の「差別語」書き換えのドグマ。「トランスナショナル」「トランスジェンダー」「トランスナチュラル」運動の「言葉狩り」の狂気について。
イエスキリストは何語を話していたか?「エロイ・エロイ・サバクタニ」は何語?何故新約聖書の全てはギリシャ語で書かれていいたのか?
新約聖書の「新約」とは?「聖書」=バイブルの元の意味は?
一体、「キリスト教」とは何なのか?聖書とは?イエスキリストとは?ユダヤ教とキリスト教の関係は?ここに取り上げる田川建三氏は、キリスト教や聖書の門外漢である私にとって、こうした素朴な疑問に答えてくれる数少ない実証的な第一級の「聖書学者」学者であると考える
ウィットマン氏は次のようにアメリカ人研究者に問うている。 「アメリカ人が問うのは「ジム・クロウ」がナチスに何らかの何らかの影響を与えたのか、という点である。」「ジム・クロウ」とは、アメリカ南部で施行され、1950年代前半から60年代中頃までのアメリカの
ジェイムズ・ウィットマン氏は、また、「ナチスによる紛うかたなき犯罪計画の一端」「とりわけナチスの優生学や残忍な東欧征服」「におけるアメリカの影響」という歴史家の研究成果についても述べている。 優生学ー即ち遺伝的欠陥をもたない「健全な」社会を築くことを目
今回取り上げるのは、『ヒトラーのモデルはアメリカだった』(ジェームズ・ウィットマン著・みすず書房)という衝撃的な題名の著書である。著者のジェームズ・ウィットマン氏(1957年生~)は、イェールロースクールに在籍する比較法の教授である。 氏は「はじめに」
もうかれこれ50年以上も前のことであった。私が入学したのは、ちっぽけな名も知られていない辺境の大学であった。当時の公立大学は、エリートが入学する所謂「一期校」と偏差値の低い学生が入学する「二期校」分かれていたが、学力の低い私は、この二期校にかろうじで合格
イエスキリストは何語を話していたか?「エロイ・エロイ・サバクタニ」は何語?何故新約聖書の全てはギリシャ語で書かれていいたのか?
新約聖書の「新約」とは?「聖書」=バイブルの元の意味は?
一体、「キリスト教」とは何なのか?聖書とは?イエスキリストとは?ユダヤ教とキリスト教の関係は?ここに取り上げる田川建三氏は、キリスト教や聖書の門外漢である私にとって、こうした素朴な疑問に答えてくれる数少ない実証的な第一級の「聖書学者」学者であると考える
ウィットマン氏は次のようにアメリカ人研究者に問うている。 「アメリカ人が問うのは「ジム・クロウ」がナチスに何らかの何らかの影響を与えたのか、という点である。」「ジム・クロウ」とは、アメリカ南部で施行され、1950年代前半から60年代中頃までのアメリカの
ジェイムズ・ウィットマン氏は、また、「ナチスによる紛うかたなき犯罪計画の一端」「とりわけナチスの優生学や残忍な東欧征服」「におけるアメリカの影響」という歴史家の研究成果についても述べている。 優生学ー即ち遺伝的欠陥をもたない「健全な」社会を築くことを目
今回取り上げるのは、『ヒトラーのモデルはアメリカだった』(ジェームズ・ウィットマン著・みすず書房)という衝撃的な題名の著書である。著者のジェームズ・ウィットマン氏(1957年生~)は、イェールロースクールに在籍する比較法の教授である。 氏は「はじめに」
もうかれこれ50年以上も前のことであった。私が入学したのは、ちっぽけな名も知られていない辺境の大学であった。当時の公立大学は、エリートが入学する所謂「一期校」と偏差値の低い学生が入学する「二期校」分かれていたが、学力の低い私は、この二期校にかろうじで合格
冒頭に掲載したのは長浜功氏著『増補 教育の戦争責任ー教育学者の戦争責任』(明石書店)と題する著書である。竹内洋氏は『革新幻想の戦後史 上』(中公文庫)において、『教育の戦争責任』をとりあげ、次のように述べる。 同著は、「教育学者は、戦前の皇国主義教育に
日教組ブレーンの教育学者、梅根悟の戦時下言説とは?
戦時下の梅根悟は国家全体主義を唱える「ファシスト」であった。
梅根は、大著 「国民教育の新体制」の「第1編 国民新教育体制の基礎 第1章 高度国防国家」の冒頭において、次のように述べている。「新体制わ高度国防国家体制である。ー之は、近衛文麿公によって、その新体制の発足に際して、下された宣言である。それでわ高度高度国
では、梅根はこの著書でいったいどんなことを主張しているのか。まず、「はしがき」(序文)を読んでみることにする。 「新体制運動わ今われわれ一億国民の、国をあげての運動であり、国の運命をかけての運動である。今われわれわ、これまでわれわれが生きて来たままの生
それでは早速、梅根著『国民教育の新体制』の概要を目次を通してみてみよう。 はしがき 第1篇 国民教育新体制の基礎 第1章 高度国防国家 第2章 教育新体制の目標 第3章 自由主義と全体主義 第4章 国民教育計画の基礎としての国民職能計画
さて、「昭和研究会」によって提唱され、近衛内閣によって推進された「新体制」運動は、日本の教育界にも大きな影響を与えた。今回のブログでは、戦時日本における「教育新体制」運動の一翼を担った梅根悟の「新体制」論をとりあげ、検討することにしたい。 まずは、