はてなにて掲載中京の一枚京都千本ゑんま堂・風祭りhttps://ta221961.hatenablog.com/京都千本ゑんま堂・風祭り
京都 紅葉100シリーズ 今熊野観音寺(いまくまの かんのんじ)NO.55
東山には隠れた紅葉の名所が数多くあります、東福寺だけ見て帰るのはもったいない。頭痛封じ・ぼけ封じのご利益で有名な今熊野観音寺。東山の中腹に位置することから、年間を通して様々な風景を楽しむことができ、紅葉の時季は境内一面が真っ赤に染まり、穴場の紅葉スポットとして人気があります。今熊野観音寺は西国三十三箇所第十五番札所。四季折々に自然の美しいいとなみが見られる幽寂なる空間、熊野権現示現の伝説の聖地。東山三十六峰今熊野山のふところにいだかれて、今熊野観音寺は荘厳なるたたずまいを見せております。後白河法皇より山号を賜り、「新那智山」と称します。平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。不思議...京都紅葉100シリーズ今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)NO.55
京都 紅葉100シリーズ 重ねあう紅葉 常寂光寺 NO.54
常寂光寺は京都市右京区嵯峨小倉山小倉町にあり、紅葉の見事さは名所ぞろいの京都でも屈指の美しさを誇ります。モミジが枝を重ねあう紅葉の参道時間が許せば常寂寺に直行したい。参道のモミジはまことに閑雅である。小倉山を背に、「常寂光土の如し」つまりひっそりとした場所にあるところから寺号がつけられたといわれています。文禄5年(1596)日蓮宗本圀寺の第16世のにっしん上人の隠居所を永年間(1624~44)お寺にあらためたものになります。この寺のよさは、かざらない住職と同じで自然そのもだということです。このお寺、塀がみあたらないのはそのあらわれともいえるでしょう「嵯峨野展望」の建て看板の場所よりもう少し上に登っていきますととっておきの眺めをみることができます。また身障者の方への配慮があり拝観料が無料車で拝観できるように...京都紅葉100シリーズ重ねあう紅葉常寂光寺NO.54
京都市右京区梅ケ畑の平岡八幡宮で7日、本殿の天井に描かれた「花の天井」秋の特別拝観が始まった。四季折々の花々に、参拝者が見入っている。花の天井は、極彩色で描かれたツバキやボタンなど44枚の絵が、本殿の天井を埋め尽くしている。平岡八幡宮は高雄へと向かう梅ヶ畑にある神社で、神護寺の鎮守社として空海によって創建され、梅ヶ畑の氏神として信仰を集めています。また、江戸時代の1829年に再建された本殿は「花の天井」としても有名。通称は「椿神社」とも呼ばれ、境内には椿の小径(こみち)もあり、古くから椿が自生する名所として知られました。子供が青年と相撲を取り、必ず勝つという三役相撲はユーモアたっぷり。八幡信仰の教えで、ご加護を受けたら子供でも大人に勝つことができるという意味が込められ、また子供達の元気な成長を願うものです...京都平岡八幡宮・例祭13日
見ごろの金福寺へ比叡山の山裾にあたる、修学院離宮周辺のエリアの隠れた紅葉の名所。修学院界隈では最も早く色付くこの寺ですが、今年も庭園の斜面にある一本のもみじが見頃を迎えていました。金福寺(こんぷくじ)山号は佛日山。本尊は聖観音菩薩。詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵がある。うき我をさびしがらせよ閑古鳥松尾芭蕉また舟橋聖一著の『花の生涯』のヒロインである村山たか(村山たか女)ゆかりの寺として知られる。864年(貞観6年)慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置した。当初天台宗であったが、後に荒廃したために元禄年間(1688年~1704年)に円光寺の鉄舟によって再興され、その際に...京都紅葉100シリーズ寺社松尾芭蕉と金福寺NO.53
神事の後、舞楽が奉納されます。当神社は三条実万、実美父子を祭り、三条家の跡地に建立。萩の神社としても知られています。染井(そめい)京都の三名水「醒ヶ井(さめがい)・県井(あがたい)・染井(そめい)」のひとつである染井の井戸が神社の境内の手水舎にあり、今も名水を拝受しております。当社境内は、藤原良房の娘明子(あきらけいこ-清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の趾で、この良房の屋敷を染殿と称し、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたという由緒があります。染井は甘くまろやかな味で、茶の湯にも適す水としても知られています。この名水の永久保存のために昭和35年に「染井会」が発足したと言われています。しかし、茶の湯との関わりはさらに深く、昭和14年12月に淡々斎宗匠(たんたんさいそうしょう)が染井の名水を使って献茶...京都梨木神社例祭10日
宝泉院と同じく勝林院の坊である、この実光院の見所もまたお庭。ただしこちらのお庭は眺める庭だけではなく、歩ける庭なのが嬉しいところ。鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く実光院の主庭ですが、もう一つの回遊式庭園は元々理覚院があった土地に、植木や石の一つ一つに至るまで、現住職が手づくりで造り上げたもの。中心をなす珍しい桜で、紅葉と桜を一度に観賞できる点でも楽しみの深いお庭です。その植物の種類は小規模の植物園並みの数。その全てを程よい大きさに保つには並大抵ではない手入れが要求されますが、プロの庭師の設計ではないからこその自由な造りのお庭には、人の暮らす庭への親密な愛情がたっぷり詰まっています。この生き生きしたお庭のそぞろ歩きは植物好きにはこの上ない楽しみ。理覚庵と名づけられた、わび加減が好ましい茶室も見ものです。声明...京都紅葉100シリーズ寺社歩ける庭の実光院NO.52
京都 壬生寺の壬生狂言 重要無形民俗文化財 10月の連休(体育の日を含む)の3日間
当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。せりふを用いない宗教劇近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、30曲であります。しかし、一般の能狂言とは異な...京都壬生寺の壬生狂言重要無形民俗文化財10月の連休(体育の日を含む)の3日間
京都の北東部に位置する大原は、かつては世を捨てた隠者たちが住んだ隠れ里。山あいの自然豊かなところです。仏教音楽、声明の生まれた地でもあります。大原は狭いエリアに見どころ一杯です、半日あれば十分。勝林院慈覚大師が開基ですが、長和2年(1013)に寂源法師によって建立されました。文治2年(1186)に浄土宗の宗祖・法然と旧仏教の碩学と宗論を戦わせた「大原問答」はあまりにも有名です。日本音楽の源流といわれる声明音律の発祥の地と呼ばれ、来迎院と並んで大原二流の一流をなしています。すぐ近くに、勝林院にゆかりのある宝泉院があります。境内には鐘楼と本堂があり、その呼び名は証拠阿弥陀堂といわれ、旧本尊は寛仁4年(1020)の「大原談義」から150年余り後の「大原問答」で説法の証を示したことから「証拠の阿弥陀」と呼ばれてい...京都紅葉100シリーズ寺社大原問答の勝林院NO.51
今宮神社と言えば、参道で販売されているあぶり餅が有名です。8日の例祭前夜祭には御神楽「人長の舞」が行われます。994年京都に流行した、疫病の退散のため朝廷が神輿を造り、船岡山に祀ったのが創祀。素盞鳴命が鎮座した日にちなんで行われるものです。神楽人の長が舞うので人長の舞といいます。手には採物(とりもの)に鏡を挨した白い輪を下げています。9日の例大祭には「東遊び」が行われます。東遊びとは、もともと東国地方の風俗歌に合わせて舞う民間舞踊が、平安時代に雅楽の一曲として形式が整えられたものです。三柱の神様は中御座:大己貴命おおなむちのみこと東御座:事代主命ことしろぬしのみこと西御座:奇稲田姫命くしなだひめのみことこの三柱の神様を本社に祀り、今まであった疫社を合わせて、「新しい宮」という意味で今宮神社と名付けられます...京都今宮神社例大祭・前夜祭8日・9日
小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院。小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、随心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。随心院は、仁海(954-1046)が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。仁海(954-1046)は真言宗小野流の祖である。神泉苑にて雨乞の祈祷をたびたび行い、そのたびに雨を降らせたとされ、「雨僧正」の通称があった。曼荼羅寺は仁海が一条天皇から寺地を下賜され、正暦2年(991年)に建立した寺である。伝承によれば、仁海は夢で亡き母親が牛に生まれ変わっていることを知りその牛を飼育したが程なく死んだ。それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き本尊としたことに因んで、「牛皮山曼荼羅寺」と名付...京都紅葉100シリーズ小野小町と隨心院NO.50
家族連れや観光客らが高瀬舟の試乗や先斗町の舞妓さんのお茶の接待など風雅な催し(過去の例では京都産業大生による落語や、クイズラリー、宝探しゲーム等も)を楽しみます。舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、1991年から毎年行っています。なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。なお、当日のみ「島津製作所創ます記念資料館」&「がんこ高瀬川二条苑の庭園」が無料開放されます。高瀬川のお話。高瀬川は木屋町二条あたりを起点とする物流用の運河で、京と大坂を結ぶ大動脈でした。角倉了以・素庵父子によって開削された運河ですが、元々は方広寺大仏殿の再興のための物資運搬を目的としていたとか。か...京都高瀬川舟まつり6日
京都 紅葉100シリーズ寺社 来栖野氷室の池勧修寺 NO.49
昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母の菩提を弔うため、生母の里であった寺を御願寺と定め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と号されました。天皇家、藤原家の帰依のもと、法親王が相次いで入寺し門跡寺院として繁栄しましたが、まもなく衰え、徳川時代、寺領寄進などにより再興されました。寝殿作り風の宸殿や、江戸初期書院作りの典型とされる書院(重要文化財)は元禄10年(1697)に明正天皇の旧殿を外賜されたもので、書院には土佐光起作とされる襖絵があります。見所は「勧修寺氷池園」と呼ばれる池のある庭園でしょう。ある書によると、この庭園を「典雅の極致」とたたえているように、この庭園はまさに平安期族の庭です。2万平方メートルの池を中心に展開する雄大な池泉舟遊式の庭園で、池の中には大小3つの島が浮かび東山を借景に15の景勝が...京都紅葉100シリーズ寺社来栖野氷室の池勧修寺NO.49
天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺という。推古二(五九四)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された。2000年5月に火災に見舞われた「寂光院」。平清盛の娘、建礼門院が隠棲したとされる寺です。火災で真っ黒に炭化した旧本尊は、今も重要文化財の指定を外される事なく、春と秋に特別公開されています。宝物殿に展示されていた2000年5月9日付けの新聞の記事に釘付けになってしまいました。記事の写真には、消火活動を心配そうに見届ける当時のご住職の姿が。何百年もの歴史を積み上げたものを、一瞬にして焼き尽くす炎を前に、ただ見守るしかできない心中はどのようなものだったでしょう。炎上する本堂から消防士に抱かれるようにして運び出される本尊の写真は、まるで黒焦げの人間の遺体のように見えてしまい、思わず目頭が熱...京都紅葉100シリーズ寺社大原寂光院NO.48
京都の代表的な秋祭ずいき(里芋の茎)など食物で飾った御輿のお祭りです。1年の五穀豊穣を感謝する祭で神前に新穀、野菜、果実などを供えたのが始まりで、室町時代から続くとされています。鳳輦(ほうれん)というお輿に御霊を移す出御祭が行われた後、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、約150人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、西ノ京の御旅所に到着します。着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。鳳輦は還幸祭の4日迄ずいき神輿とともに御旅所に駐輦(ちゅうれん)され、その間御旅所には多くの出店が連日22時頃まで軒を並べ祭り気分で賑います。神事第一日目、10月1日には午前9時半から鳳輦(ほうれん)に[御霊]を移す出御祭が行われた...京都北野天満宮ずいき祭・神幸祭1日~5日
京都 紅葉100シリーズ寺社 世界遺産 紅葉のトンネル仁和寺 NO.47
世界遺産総本山仁和寺真言宗御室派の総本山で、世界遺産に登録されている仁和寺。紅葉の見どころは金堂や観音堂の周辺と、そこに向かうまでの参道が紅葉のアーケードとなり、色鮮やかな楓を見ることができます。旧御室御所の中にある宸殿の北庭にも色とりどりの楓が植えられており、宸殿から望む松の緑と楓と絶妙なコントラストを味わうことができます。見ごろの11月中旬から12月上旬は、気品漂う境内を彩る紅葉に多くの人が酔いしれます。御室桜仁和寺の桜には特に「御室桜(おむろざくら)」の名が付いている。江戸時代から名高く、貞亨元年の雍州府志には「今御室清水為一双」、享保三年の貝原益軒の京城勝覧には「春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす」と絶賛されていた。約200本あり、八重咲き。樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、...京都紅葉100シリーズ寺社世界遺産紅葉のトンネル仁和寺NO.47
保元の乱で祟徳上皇を守った武者にちなんで、鎧兜に身を包み、りりしくもかわいいちびっこ武者が行列に出ます。(※現在は都市化、少子化のため子供みこしと花車の渡御にかわりました)。1日に境内三カ所の鳥居に斎竹を建て注連縄を張る神事を行い、11日には御本殿の御神霊を御鳳輦と子供みこしに遷すお祭り。夕刻より氏子の奉仕でお餅つきがあります。飾り付けされた御鳳輦や子供みこしや花車と共に獅子舞が氏子町を巡行して、ワッショイワッショイと威勢良く練り歩きます。10日は例祭。御本殿の扉を開き、多くのお供え物をして、宮司が祝詞を奏上。雅楽の演奏の中で執り行われます。縁切り縁結び碑高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。「○○君と幸せに結婚できますように」とい...京都安井金比羅宮金毘羅秋期大祭1日~
京都 紅葉100シリーズ寺社 ひっそりと建つ直指庵 NO.46
孟宗竹に包まれてひっそりと建つ直指庵は、浄土宗の寺。正保3年(1646)、隠元禅師の高弟の性円(しょうえん)がここに草庵を結んだのがはじまり。直指人心の禅の教えを守り、寺号を定めず、直指庵と称した。のちに荒廃していたが、幕末に、勤皇家であった近衛家の老女、村岡局によって再興された。最近は悩める女性たちの駆け込み寺として知られ、「想い出草」と名づけられたノートがあり、参詣者の思いが綴られている。竹林の中にある小さな庵の寺は、臨済禅を学んだ独照禅師が正保3(1646)年に草庵を結んだのが始まりである。独照禅師が明の国の高僧隠元禅師に黄檗禅を学び、隠元をここに請じてから大寺院となった。しかし、その後しだいに衰退、独照の墓堂だけになったが、幕末の頃、近衛家の老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再建した。現在の建物は、...京都紅葉100シリーズ寺社ひっそりと建つ直指庵NO.46
臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆で...京都紅葉100シリーズ龍寳山大徳寺NO.45
立つ風に秋の訪れの待たれる季節となりました。芸術の秋は伝統芸能を楽しむのもまた一興。温習会は「おけいこおさらい会」からできたものです。芸舞妓さんたちが、日頃の稽古の成果を発表する舞台。上方唄、長唄を井上流の舞で披露。京都の秋を感じる一日です。祇園甲部歌舞練場の隣、弥栄会館「ギオンコーナー」では日本が世界に誇る伝統文化や伝統芸能をダイジェストでご紹介。舞妓の京舞をはじめ、狂言、雅楽、茶道、華道、箏曲、文楽の7公演を約1時間でご覧いただけます。会館内には、舞妓の花かんざしなどの小物を無料展示するギャラリーを併設。舞台とあわせて、花街文化に触れることができます。■場所:八坂倶楽部2階※2階会場へは階段のご利用となります■期間:2024年10月2日(水)~7日(月)■公演回数:1日2回公演※各回定員70名様■時間...京都祇園甲部・温習会2日~7日
京都 紅葉100シリーズ 泉涌寺 来迎院(らいごういん)NO.44
泉涌寺来迎院は、正式には明応山という山号を持つ泉涌寺の塔頭で、寺伝によれば、弘法大師空海が806年(大同元年)に創建したとされています。泉涌寺自体が855年(斉衝2年)建立の法輪寺を前身としていることからしても、この創建時期自体に信憑性は薄そうですが、堂宇が建てられたのが泉涌寺第四世の月翁律師の頃(1218年(建保6年))とすれば、合点がいくところです。泉涌寺も含め、当時の伽藍は応多の乱の兵火で焼け、来迎院が再興されたのは1597年(慶長2年)、前田利家によってとなります。その後、この寺の大荒神が安産の守護神として信仰されたことから、朝廷から安産の勅願所に指定され、朝廷の菩提寺である泉涌寺の別当という地位を得るに至りました。元禄期には、大石良雄(内蔵助)が檀家となり、書院や茶席含翠軒を建立して、世間から隠...京都紅葉100シリーズ泉涌寺来迎院(らいごういん)NO.44
今朝は秋を感じる朝女の1人旅縁結び番外今宮神社へと行く前においしそうなあぶり餅で腹ごしらえ今宮神社へ。今宮神社「玉の輿守り」西陣の八百屋の娘お玉が3代将軍・徳川家光に見初められ、後に5代将軍となる綱吉を産みました。彼女は女性としては最高位となる従一位の位にまで昇りつめ、歴史上では桂昌院という名で親しまれています。これが「玉の輿」という言葉の由来だという説にちなみ、当社では「玉の輿守り」が受けられます。「京美人」という言葉がありますが、京都には本当に美人が多いのでしょうか?鴨川で産湯をつかい、その鴨川の水は軟水だから肌がきれいな女性が多いという説があります。でもほんとうは、京都のうなぎの寝床みたいな日当たりの悪い家にいたから「色白の美人」が生まれた、という説もあります。こっちのほうが信憑性は高そうです。しか...京都縁結び番外神社今宮神社「玉の輿守り」
京の都を囲む山並みはひと朝ごとに彩りを増し、やがて深山の古刹、裾野の大寺を錦に染め上げます。四季の風情がそれぞれに美しい京都ですが、やはり紅葉の古都は格別です。美しい竹林と小倉山の裾野に並ぶモミジの寺院。秋になれば多くの参拝客で賑わう嵯峨野ですが、かつては世捨て人たちの隠遁の地でした。祇王寺もまた、平家物語に登場する4人の女性が、人の世のはかなさを悲しみ、念仏を唱える日々を送った場所。平清盛の寵愛を一身に受けた白拍子・祇王の悲しい物語を今に伝えています。若い白拍子・仏御前の舞を見てたちまち心を奪われた清盛によって、それまで寵愛を受けていた祇王は屋敷を追い出された上に耐え難い仕打ちも受けます。祇王は母・妹とともに出家し、ここに庵を結びました。時に祇王21歳。後、祇王の出家を聞いた仏御前も17歳にしてこの世の...京都紅葉100シリーズ寺社平家物語の祇王寺NO.43
紅葉が赤く染まる頃、大原の賑わいはピークを迎えます。その目抜き通りである367号線、通称鯖街道から西へ外れ直ぐです。新緑の季節はみずみずしい緑が、紅葉の季節は一面の真紅が参道を覆う。それぞれ言葉を飲むほど美しい。本堂をめざして歩いていると、ひやりとした空気とともに、樹々の幹、葉、土、苔、空それぞれが、自らの純粋な色彩が迫ってくる気がする。前に1776年(安永5)建立の「弾誓仏一流本山」と刻まれた石碑がある。参道の四季折々の自然の素晴らしさは筆舌、画像につくしがたい。参道の風景は、即身仏になられた弾誓和尚の鬼気迫る雰囲気とともに、阿弥陀寺の最も素晴らしい魅力である。参道を上り詰めていくと、辺りはひらけ、山間の小さな農村のような雰囲気の石垣と懸崖に瑞雲閣が見えてくる。■時代全国行脚の末に1609年(慶長14)...京都紅葉100シリーズ阿弥陀寺NO.42
江戸時代初期、後水尾上皇は比叡山の景色を得るために各地を探した末、この地にたどり着き、幡枝離宮を造営した。寛永16(1639)年のことである。庭園も後水尾院が設計したとされるが、水利が悪いために大池泉庭園を造ることができなかったため、明暦元(1655)年、比叡山麓の修学院に新たなる離宮の造営を開始、幡枝離宮は勅願所となる。円通寺としての歴史は延宝6(1678)年、霊元天皇の乳母である円光院瑞雲文英尼大師が妙心寺第10世の景川宗隆を勧請し、尼寺として創建された。本尊の聖観世音菩薩は定朝の作と伝えられる。当時は茶室などもあったが、今は方丈、客殿、庫裏があるのみである。境内には後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑が祀られている。庭園枯山水式の庭園で国の名勝に指定されている。苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの...京都紅葉100シリーズ圓通寺(円通寺)NO.41
毎年9月最後の日曜日、平安神宮では煎茶道六流派家元が毎年輪番制で献茶奉祀されます。煎茶道六流派(皇風煎茶禮式、小川流、瑞芳菴流、賣茶本流、泰山流、玉川遠州流)の家元が毎年輪番でご神前にてお点前披露するおごそかな祭りです。祭儀は9時からで関係者以外は参列することはできませんが、終了後は各所に茶席が設けられ、お点前を味わうことができます。雨天決行。■場所:平安神宮■期間:2024年9月29日(日)■時間:9~15時(受付終了)■料金:お茶席券:2,000円(2席付)■アクセス:市バス5「京都会館美術館前」または地下鉄東西線「東山」駅より徒歩10分■お問合せ:075-761-0221■詳細ページ:http://www.heianjingu.or.jp/※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますの...京都平安神宮・煎茶献茶祭29日
今年は猛暑昨年より美しくなるかなぁ9月に入っても💦35℃以上の毎日朝夕の寒暖の差が増すごとに1日々木々彩をます爽やかな秋晴れの中ほんのりと赤く染まったモミジが彩る。今は緑と赤の楓のグラデーションが楽しめます。法輪寺虚空蔵法輪寺は京都西山・名勝嵐山の中腹にあり、『十三まいり』のお寺として知られています。本尊虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は嵯峨の虚空蔵さんとして古くから親しまれており、今昔物語・枕草子・平家物語などに記述され、智恵・福徳・技芸上達そして丑寅年生の護本尊の仏様として知られています。また、『針供養』『漆祖神』のお寺として全国から信仰を集めております。また、境内には電気・電波を守護する鎮守社『電電宮』が祭祀されています。春の新緑の季節には、虚空蔵様の恵を得ようと参詣する十三参りの男女で境内は賑わいま...京都紅葉100シリーズ虚空蔵法輪寺NO.40
山田郡大間々町の町並みを過ぎて、足尾街道の対岸を渡良瀬川に沿って登ると古生層の断崖の上に貴船神社が鎮座しています。その境内に立つと、渡良瀬の渓流が崖足をかみ、その前方の山間には民家が散在し、その奥に赤城山の雄姿を仰ぐことができ、展望がすばらしい風光明媚な所にあります。平安時代の天暦十(九五六)年、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高おかみ大神で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8(一六六八)年といわれています。貴船の物語この物語は、室町末期に書き写されたお伽草子・『貴船の物語』を現代語訳したもの...京都紅葉100シリーズ貴船神社もみじ灯篭NO.39
京都 紅葉100シリーズ 新緑と紅葉に映える古寺 真如堂 NO.38
正式名称真正極楽寺(しんしょうごくらくじ) 正式には鈴声山真正極楽寺といい、広い境内には八つの塔頭と重要文化財の本堂。三重塔が並ぶ天台宗の古刹。時代劇に迷い込んだような土塀の道を行くと、門前に着く、大人の風情を感じさせる。上質の静かさがただよう。山門をはいて右手に三重塔がそびえもみじが影を落としている。秋は紅葉の真如堂゛のたとえどおりに、深紅に照り映える。無実の罪科をはらうという殺生石鎌倉地蔵が、物静かにたたずんでいる。真如堂は984年[永観2]叡山の戒算上人[1053]の開基。本尊の阿弥陀如来立像は、元比叡山常行堂にあったもので、円融天皇女御、東三条院藤原詮子の離宮に祀られていた。阿弥陀如来立像は、慈覚大師円仁が萱の霊木に彫ったもので、大師が「一切衆生を導きなさい、特に、女人を救いなさい」と言うと、3回...京都紅葉100シリーズ新緑と紅葉に映える古寺真如堂NO.38
寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。境内創建当時存在した仏殿は焼失後再建されておらず、方丈が中心的な堂宇となっている。方丈の西に庫裏、北に書院があるが、いずれも創建当時のものではない。境内東側には偃月池・臥龍池という2つの池をもつ庭園が広がり、開山堂、霊屋、茶室などが建つ。また、境内からやや離れて黒門が建つ。庫裏-拝観順路入口に位置する。内...京都紅葉100シリーズ高台寺NO.37
京都 紅葉100シリーズ寺社 あのしぶい銀閣寺(慈照寺)NO.36
足利善政の銀閣寺は、侘び寂びの世界。でも、秋には、あのしぶい銀閣のたたずまいも紅葉に彩られ、一年中でもっとも晴れやかな景色となります。白い砂、緑の松、そして赤い楓のコントラストが絶妙です。慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院。通称銀閣寺(ぎんかくじ)、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年...京都紅葉100シリーズ寺社あのしぶい銀閣寺(慈照寺)NO.36
ご利益水の神様がなぜ心願成就?水の働きから生まれた信仰です。水は命の源ですが、汚いものを洗い流す浄化力もまた優れています。清らかな水は、心の中の汚れまでも清めてくれます。心が洗われると元気がよみがえります。だから、キフネは古くは「気生根」とも書かれてていました。「気」は生きるためのエネルギーです。水の神の鎮まるところ、それは「気の生ずる根源」だというわけです。元気がよみがえれば運も開かれるということで、運気発祥、開運の信仰が生まれました。つまり何でも願い事を聞いて運を開いて下さる心願成就の神様なのです。霊験あらたかな話もたくさん伝わっています。なぜ「えんむすび」?何でも願い事を聞いて下さる神様なら、男と女の仲の願いも聞いて下さるだろうと、今から1000年昔、あの有名な宮廷の女流歌人・和泉式部が貴船神社に参...京の奥座敷貴船神社
美しい笑みをたたえた楊貴妃観音のそばで、そっと色づく木々。ここは皇室と関係が深く、古来、御寺(みてら)と呼ばれるところ。本坊の、京都御所から移築されたという御座所の中庭では楓が雅やかな赤に染まっています。東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。ひろく「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが、順徳天皇の御代(健保6年・1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が時の宋の法式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が涌き出た事により寺号を泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れる事なく涌き続けている。大師は若くして仏門に入り、大きな志をもって中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められた。帰国後は泉...京都紅葉100シリーズ東山三十六峰の泉涌寺NO.35
京都 紅葉100シリーズ 大徳寺塔頭 高桐院(こうとういん)NO.34
高桐院は大徳寺塔頭のひとつで、細川家の菩提寺であり、細川忠興により、慶長6(1601)に建立されました。開祖である玉甫紹琮和尚は忠興の叔父にあたります。忠興は正保2年12月2日、83歳で亡くなり、遺言によって遺骨は高桐院に埋葬されました。法名の松向寺殿三斎宗立は、茶室松向軒の名として残されています。忠興はまた、利休七哲のひとりとして、茶道との深い理解者であったことも有名です。さらに、高桐院には歌舞伎の始祖として名高い、出雲の阿国の墓もあります。松向軒は、寛永5(1628)年、忠興の手で建立されました。秀吉の催した”北野大茶会”で用いたものを移築したといわれています。「茶室に珍しい黒壁は、瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である」と高く評価されています。この庭園は、江戸時代初期に造園...京都紅葉100シリーズ大徳寺塔頭高桐院(こうとういん)NO.34
赤山禅院は、修学院離宮の近くにあります平安京の東北にあり、表鬼門に当たることから、赤山大明神は、皇城の表鬼門の鎮守としてまつられました。山門を抜けると青紅葉がまぶしい、来月に成れば青葉も色づき彩をます。日本で一番古い都七福神がいらっしゃいます、ここは福禄寿。病よけにもいろいろありますが、これはぜんそく封じ。ヘチマの茎からとった水は古くから化粧水やぜんそくの薬として知られてきました。一日中祈祷を受ける人が絶えません。赤山禅院は比叡山延暦寺の別院であり、赤山苦行の霊場。この日は千日回峰の阿闍梨により、毎年中秋の名月に合わせて催されるという天台の秘法のヘチマ加持祈祷が奉修されます。本堂にはヘチマが供えられ、参詣者には比叡山の大阿闍梨が加持したヘチマ護符が授与され、御神酒、粗飯、へちま汁、抹茶の接待など盛りだくさ...京都赤山禅院・へちま加持17日
◆中秋の名月とは?昔の暦では1~3月を春、4~6月を夏、7月~9月を秋、10~12月を冬としていました。中秋というのは読んで字の如く「中」の「秋」、つまり旧暦の八月のことを言います。月始めを新月として15日目の月、「十五夜」の月が満月となるということ(実際には十五夜は新月から数えて14日後の月となるので、必ずしも満月ではありません。)、また中秋の頃が一年の間で一番空気が澄んでいて月がきれいに見えるという理由で、この時期に観月の席を設けることとなったらしいのです。そもそもの由来は中国に起源があるようで、唐代の文献には観月の行事が確認されています。中国では月見団子ではなく、月餅を供えます。この風習が平安時代頃に日本へ伝わり観月の宴となったのでしょう。現代とは違い、その頃の娯楽といえば自然の風景も立派な娯楽でし...京都大覚寺観月17日
◆中秋の名月とは?昔の暦では1~3月を春、4~6月を夏、7月~9月を秋、10~12月を冬としていました。中秋というのは読んで字の如く「中」の「秋」、つまり旧暦の八月のことを言います。月始めを新月として15日目の月、「十五夜」の月が満月となるということ(実際には十五夜は新月から数えて14日後の月となるので、必ずしも満月ではありません。)また中秋の頃が一年の間で一番空気が澄んでいて月がきれいに見えるという理由で、この時期に観月の席を設けることとなったらしいのです。そもそもの由来は中国に起源があるようで、唐代の文献には観月の行事が確認されています。中国では月見団子ではなく、月餅を供えます。この風習が平安時代頃に日本へ伝わり観月の宴となったのでしょう。現代とは違い、その頃の娯楽といえば自然の風景も立派な娯楽でした...京都観月ノススメ17日
京都 紅葉100シリーズ 迷いの窓 悟りの窓の源光庵 NO.33
源光庵は、貞和2(1346)年に徹翁(てっとう)国師が開山した寺院で、もともとは臨済宗大徳寺派の寺院として創建されました。元禄7(1694)年に加賀・大乗寺の27代目卍山道白(かいざんどうはく)禅師がここの住職を務めたことから曹洞宗の寺院に改められ、現存する本堂も建立されました。本堂にはご本尊の釈迦牟尼佛、両脇に阿難(あなん)尊者、迦葉(かしょう)尊者がおまつりされています。本堂横には、卍山禅師が享保4(1719)年に建立された開山堂があります。卍山禅師は、宗祖道元禅師の教えが当時の乱れた宗門を復古した功績から、「中興の祖」として讃えられています。山門には、「復古禅林」の額が掛けられています。卍山禅師は、天和元(1681)年に京都洛南宇治田原の山中で、霊芝というきのこからできた霊芝観世音を感得しました。す...京都紅葉100シリーズ迷いの窓悟りの窓の源光庵NO.33
京都 紅葉100シリーズ 茶室と竹垣に妙があるもみじ寺 光悦寺 NO.32
鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。江戸時代の芸術家である本阿弥光悦に元和元年(1615年)に徳川家康がこの地を与えた。『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術の集落となった。光悦の死後に屋敷は寺となり、境内には光悦の墓碑がある。茶室と竹垣に妙があるもみじ寺本阿弥陀光悦が徳川家康から拝観したこの地に結んだ草庵が始まり。本阿弥陀家は代々刀剣家を身過ぎとし、一族縁者が工芸に携わる職人衆とともに移住した光悦は、ここに鷹ヶ峰芸術村を営んだ、当時獣が通うような山里鷹ヶ峰に、55軒もの建物があったという。境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの茶室が散在し、庫裏に接して妙...京都紅葉100シリーズ茶室と竹垣に妙があるもみじ寺光悦寺NO.32
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。金閣寺、銀閣寺がともに相国寺の塔頭寺院であることは、あまり一般に知られていないのではな...京都紅葉100シリーズ金閣寺(鹿苑寺)NO.31
京都洛西の景勝・嵐山と高雄を結ぶ自然公園ドライブウェイです。秋に見頃を迎えるコスモス。漢字で「秋桜」と書くように、コスモスは桜のような可憐さがあり、また、品種によってピンク・白・紅色・黄色など、様々色合いを見せてくれるので、見る者を楽しませてくれます。紅葉より一足早いお楽しみ。「嵐山~高雄パークウェイ」に「フラワーパーク・コスモス園」が開園です。10万本以上の色とりどりのコスモスが5000㎡の敷地に咲き誇り、展望台はバリアフリーになりました。■場所:嵐山~高雄パークウェイ内「観空台遊園地」隣り■期間:9月初旬~10月中旬■料金:入園料無料(ただし、パークウエイ通行料は必要自家用車1,200円)■アクセス:新丸太町通りより清滝街道へ「嵐山清滝口ゲート」から8km、または周山街道(R162)「高雄口ゲート」か...京都フラワーパーク・コスモス園開園9月初旬~10月中旬
京都の紅葉がようやく見頃を迎えました。心待ちにしていた燃えるような秋の風景にわくわくします。これから京都へお出かけのみなさん、錦秋の都で素敵な思い出をたくさん作ってくださいね。この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる、822年-895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。一説では、「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。棲霞寺草創から...京都紅葉100シリーズ夕霧の清凉寺NO.30
京都 紅葉100シリーズ 隠れ紅葉の長楽寺優雅どすぇ NO.29
平家物語ゆかりの寺として知られている「長楽寺」。八坂神社の近くにあるので、祇園の散策に便利です。円山公園を東方へと行くと、少しずつ高台になっている情緒溢れる「長楽寺」の参道に出ます。東山は三十六峰あり、その全てに名前が付けられています。真ん中の一番高い山がこの長楽寺山。頂上は将軍塚で、今では夜景のスポットとしても人気があります。参道をゆっくり歩いて行くと、段々と心が浄化されていくようです。延暦24年(805)桓武天皇の勅命によって伝教大師最澄を開基として創建されたと伝える。はじめは天台宗であったが、室町時代の初期に国阿上人(こくあしょうにん)が中興してから時宗に改められた。本尊に十一面観世音立像をまつり洛陽33霊場の一つである。一条天皇の時(987~1011)に巨勢広高が当寺で地獄変相の壁画を描いたことが...京都紅葉100シリーズ隠れ紅葉の長楽寺優雅どすぇNO.29
女性のいのちともいうべき髪に彩りと華やぎを与えてくれる櫛に感謝するお祭り。「久志(くし)塚」前にて使い古した櫛や折れた櫛に感謝し、供養します(供養したい櫛は当日安井金比羅宮受付まで)。「元禄島田」や「耳かくし」など古代から現代までの45の髪型と衣装を装った女性が祇園界隈を練り歩く時代風俗行列があります。午後1時より塚の前で祭典が執り行われ、皆様から寄せられた櫛を塚内へ納め、拝殿で舞踊「黒髪」が奉納されます。2時頃より、伝統の髪型と風俗衣装の解説の後、時代風俗行列が神社周辺祇園界隈を練り歩きます。古墳時代から現代の舞妓の髪型まで、伝統の髪型は全て地髪で結い上げられ、大変習熟した結髪の技術を要します。毎年京都美容文化クラブの皆様ご奉仕により伝統の髪型が現代に再現されています。日本髪の美しさと結髪技術のすばらし...京都櫛まつり安井金比羅宮23日
大悲閣千光寺嵐山に来たら是非見てもらいたいのが、千光寺です。渡月橋の南岸を溯って、約1kmの嵐山温泉からさらに、つづら折りの石段を登りつめた、山の中腹にあります。京都、嵐山、渡月橋の上流、約1000mの地点を、100m山を登ったところにございます。車が横づけできず、又上り下りでとても不便といえます。でも、反面それ故に、静かな境内を保つことができています。「絶景」という言葉をかかげて皆様にアピールしています。確かに、すばらしい眺望の仏閣です。雨の後の谷川の響きも又すばらししく「渓声」という言葉も近ごろ使用しています。いつでもどうぞ。この寺は、江戸初期の豪商、角倉(すみのくら)了以の建立したものです。仕事で亡くなった人々をとむらうために、嵯峨、中院にあった千光寺を中興するということで、移転しています。保津川を...京都紅葉100シリーズ絶景かな大悲閣千光寺NO.28
善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区にある寺院。山号は西山。西国三十三箇所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。深紅、朱、黄、オレンジ色…。境内だけでなく向かいの山もさまざまな種類のモミジが染め上げる。本堂前、阿弥陀堂への石段、本坊の庭と、歩きめぐるほどに鮮やかな紅葉が目の上にも広がる。山は、十一世紀の前半に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇から「良峯寺」の寺号と聖詠をたまわって以来、歴代天皇の崇敬あつく、中世には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔を有する大寺院と...京都紅葉100シリーズ善峯寺NO.27
家族連れや観光客らが高瀬舟の試乗や先斗町の舞妓さんのお茶の接待など風雅な催し(過去の例では京都産業大生による落語や、クイズラリー、宝探しゲーム等も)を楽しみます。舟まつりは、江戸時代に豪商角倉了以が開削し京都~伏見間の重要な物資輸送路となった高瀬川を、より多くの人に知ってもらおうと、高瀬舟の復元を機に、1991年から毎年行っています。なお、「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言います。高瀬川のお話。高瀬川は木屋町二条あたりを起点とする物流用の運河で、京と大坂を結ぶ大動脈でした。角倉了以・素庵父子によって開削された運河ですが、元々は方広寺大仏殿の再興のための物資運搬を目的としていたとか。かつてはこの地と伏見を結ぶ運河で、伏見港あたりで宇治川に注いでいたそうですが、現在は十条通の手前...京都高瀬川舟まつり23日
京都 紅葉100シリーズ 世界遺産 西芳寺(苔寺)NO.26
世界遺産西芳寺(苔寺)庭園秋本番、東山、北山や嵐山方面は全国各地から京都に訪れる人で賑わっていますが、嵐山、松尾神社から苔寺界隈も華麗に彩る紅葉に染まりはじめて観光客が絶えません。庭園特別名勝及び史跡。夢窓疎石の作庭で、上段の枯山水と、下段の池泉回遊式庭園の2つから成っていた。境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残り、この部分には夢窓疎石当時の面影が残っていると思われる。今日、西芳寺庭園としてよく知られるのは苔の庭で、木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園である。山麓に位置する地形の庭園構成を池と、その上の山の斜面を利用した禅堂の庭とに分けまたこの禅堂より山に登る道があって、頂上に縮遠亭という休憩所があった。頂上からは桂川周辺を展望しようとし、池辺の2層の舎利殿(瑠璃殿)からは庭園を見下ろそ...京都紅葉100シリーズ世界遺産西芳寺(苔寺)NO.26
もみじは秋に葉が紅変する、あるいは黄変することから紅葉、黄葉と書いた。山野に出ての紅葉狩りは春の花見に劣らずわれわれの心を弾ませ楽しませ癒してくれる。実相院の板の間に写る「床紅葉」と愛称のついた黒光りする床は、先ほどの逆さ富士同様、床一面に紅葉が映って朱に染める。正午頃が一番美しいという。実相院は元天台宗の寺門派(天台宗には山門派と寺門派があります)の単立寺院で、ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王です。実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。その理由は実相院が門跡寺院であるからです。門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていました。とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派...京都紅葉100シリーズ岩倉・実相院NO.25
コミックや映画など様々なメディアでも大活躍の安倍晴明・・・現代の少女たちのスターです。その安倍晴明が年に一度、この地に舞い降りて来ると伝わるお祭がこの「晴明神社祭」なのです。ファンならずとも一度は見てみたい祭事ですね。御祭神安倍晴明御霊神晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝(こうげんてい)の皇子大彦命(おおびこのみこと)の御後胤(ごこういん)で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道...京都晴明神社祭21日22日
通称名称京の春日さん(きょうのかすがさん) 紅葉に彩られた参道から御本殿を望む境内は桜や紅葉が多い神域は8万3千平方メートルあって、うち6万6千平方メートルは緑の林になっている。山林はむかし殿上人が子の日の遊びをした跡で、いまも昔をしのぶことができる。また参道付近には紅葉や桜が多く、奈良の、猿沢池にまねて造った、鯉沢の池には、かきつばたや水蓮の花が美しい、古歌に詠まれた瀬和井(せがい)の清水は、古木の根本にかくれて清らかである。春季には名にしおう小塩桜、霧島、ぼたん、つづじなど到るところに研を競い夏季は新緑にはほととぎす、秋季は紅葉、冬季は丹朱社殿の雪景が一しおの尊厳、優雅さを添え、その風景は今なお王朝の余香を感じることができる。大原野神社鎮座のあたりは古くから開けたところで、1万年以前の有柄尖頭器が神社...京都紅葉100シリーズ社寺大原野神社NO.24
京都は西の雄、愛宕山の玄関口が清滝である。紅葉の名勝としても有名な清滝。京都の歌碑ネタをするうえで、ずっとネックになっていた一基がある。それが清滝の与謝野晶子歌碑である。ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき清滝川に架かる丹塗りの橋・渡猿橋は有名で、平安末期に文覚上人が愛宕山下の空也の滝(京都一の滝)へ修業に行く途中に、橋の近くで猿が連なって木からぶら下がり、魚を捕る姿を見てこの橋の名前を付けたといわれます。橋のすぐ下には松尾芭蕉の「清滝や波に散りこむ青松葉」の句碑が立っていることでもわかるように、芭蕉をはじめ与謝野鉄幹・晶子夫妻、徳富?花など多くの文豪がこの地を愛し、歌会を催したり、作品の創作を練った地でもあります。また、旧三高等学校の学生が集った逍遙の地で、田宮虎彦、山口誓子、織田作之助...京都紅葉100シリーズ清滝NO.23
泉涌寺ゆかりの塔頭。寺名から「ぽっくり信仰」の寺、極楽往生祈願の寺として、また那須与一ゆかりの寺としても知られています。「長わずらいをしない」ことから信者も多く、法要は地方信者のため泊まり込みの法要として行われるものです。御詠歌に始まり法要、法話が続きます。22日には中風除けの竹皮御仏飯が授与されます。那須与一当院は別名那須与一さんと呼ばれるように与一ゆかりの寺としても有名である。与一は栃木県下野の生まれ、源義経の命により出陣の途中、都まできた時、俄かに病にかかり難儀したが、当院の本尊阿弥陀如来の霊験あらかたなるを聞いて参篭し、病気平癒の祈念の結果、忽ち本尊の利益が顕われて平癒した。与一は堂宇を再建し、本尊を念持仏として、小像に刻み、甲の中に納め出陣した。特に屋島の戦では平家が軍船上に一竿を建て、竿頭に日...京都泉涌寺即成院・彼岸法要22日
金閣や銀閣、竜安寺の石庭などと並んで京都の顔とも言える“超”有名寺院です。一般的な見どころガイドは別の機会に譲り、今回は西郷隆盛との意外な縁など、あまり知られていない清水寺を紹介します。音羽の滝や地主神社、胎内巡り、子安塔など見どころの多いお寺ですが、特に本堂(国宝)の優雅な曲線を描く檜皮(ひわだ)葺きの屋根、地上約20mの高さにある清水の舞台の美しさは圧巻です。紅葉だけでなく桜の名所としてもよく知られ、秋は錦に染まり、春は桜の雲に浮かびます。清水寺の塔頭・成就院の歴代住職の中に月照・信海兄弟がいます。2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家でしたが、時は大老井伊直弼による大粛清の時代。西郷と月照は追われ、行き詰まり、ついには入水自殺を図ります。月照は入滅、西郷は奇跡的に蘇生するのですが、このとき月照に...京都紅葉100シリーズ清水寺NO.22
京都 紅葉100シリーズ 醍醐寺 [世界文化遺産] NO21
醍醐寺一日ゆっくり拝観する上醍醐・下醍醐深雪山醍醐寺・真言宗醍醐寺派総本山醍醐寺は、200万坪にもおよぶ広大な寺城を誇り、醍醐寺山[標高454m]の上と下と堂塔が分かれる。下醍醐には「国宝」金堂、五重塔が超然として佇み、とくに五重塔は京都の起状に富んだ歴史に残る貴重な建物。上醍醐「女人堂」から山頂へ至ると、清龍拝殿・薬師堂・開山堂などがあり、[醍醐味]の語源になつた醍醐水,清冽に湧き出ている。総門を入ると左側に塔頭三宝院「池泉庭園」は心を和ませるような眺めである。小野小町ゆかりの随心院は紅梅の寺としても知られる。勧修寺は庭園が見応えがある。法界寺[日野薬師]など、伝説や庭園に興味深い古寺がある。[醍醐味]醍醐寺を開いた聖宝が庵を結んだ池に醍醐水が湧き出ている。甘露な味がするこの霊水は、寺名の由来となった水...京都紅葉100シリーズ醍醐寺[世界文化遺産]NO21
京都東山の地にあり、皇室とゆかりが深く御寺(みてら)とも呼ばれる泉涌寺。真言宗泉涌寺派として一派をなす泉涌寺の塔頭の一つが、今回紹介する今熊野観音寺。四国霊場八十八箇所めぐりをしようと思っても、身体の都合や時間の都合・・・いろんな事情にしばられて実行できない方は多いことでしょう。そこで八十八箇所の砂を本堂内に敷き詰め、寺で用意された四国霊場ご法印のオイズルを着て、その上を踏んで巡りながら納札を各霊場に納め、一気に巡ってしまおうというもの。期間中は頭痛封じ・ぼけ封じ・厄除けで有名なご本尊・秘仏十一面観世音菩薩が特別公開され、多くの人でにぎわいます。また抽選で特別参拝記念品の進呈も。奉納された納札はちゃんと四国霊場に代参して納められるのでご安心の程。今熊野観音寺について1200年程前の京都、弘法大師・空海は唐...京都今熊野観音寺お砂踏法要21日~23日
京都 紅葉100シリーズ 石川丈山(いしかわじょうざん)が愛した詩仙堂 NO.20
寺号は丈山寺(じょうざんじ)。寛永18年(1641年)に草庵が完成。曹洞宗の寺院となったのは昭和41年(1966年)である。建物や庭園は江戸中期に改築され、また昭和42年に大改修され昔日の面影を取り戻した。白砂にサツキの刈込が美しい庭も作庭の名手といわれた丈山の作。庭には丈山が発明した僧都(そうず・鹿おどしのこと)があり、竹筒がコンッと石を叩く風雅な音が時折こだまし風流です。詩仙堂は一乗寺界隈きっての名所で、季節ごとの叙情をかきたててくれます。春や紅葉以外の時期でも多くの観光客が訪れています。唐様(からよう)庭園南面に開ける庭園は丈山好みという唐様庭園。白砂にサツキの刈り込みが美しく、東の隅の滝組から建物の南縁へ流れた水は、南に曲がって紅葉谷へ向かう。藤やツツジ、紅葉など四季折々の花が緑と白砂によく合って...京都紅葉100シリーズ石川丈山(いしかわじょうざん)が愛した詩仙堂NO.20
御香宮神社は、京都市伏見区にあります。京都の名水の1つ「御香水」が湧き出る神社として有名です。秀吉が伏見城の守護神とし、鳥羽伏見の戦いでは、薩軍の屯所にもなった御香宮。その能舞台で行われる秋の神能・仕舞・狂言。神能は室町時代から続く行事です。18時を過ぎると周囲のそうろくに火が灯され、舞台の雰囲気も変わります。桃山期を象徴する表門や本殿は重文です。酒どころとして有名な京都・伏見にある御香宮神社。この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇よりその奇瑞によって「御香宮」の名を賜ったという由来があり、日本の名水百選に選ばれた『御香水(ごこうすい)』が湧き出る神社として有名です。そんな御香宮神社で、毎年9月に神能が奉納されます。■場所:御香宮神社■期間:2024年9月23日■時間:17時~20時頃■料金:...京都御香宮神能23日
延暦寺(えんりゃくじ)標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧侶最澄(767年-822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。最澄の開創以来、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。「延暦寺」とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する...京都紅葉100シリーズ比叡山延暦寺NO.19
京都 紅葉100シリーズ 西山古刹 花の寺勝持寺 NO.18
勝持寺は、白鳳8(680)年に創建されたとある。しかし、応仁の乱の兵火により全てが焼失し、現在の建物は乱後に再建されたもの。秋、境内に入ると、自生のモミジが見事に紅葉している。たくさんの参拝者が訪れ美しく紅葉したモミジをバックに記念撮影する光景が見られる。この寺は、西行法師が植えたと伝えられる西行桜をはじめ、境内には400本以上のサクラが植えてあり、春はサクラの名所でもある。勝持寺は、京の西山連峰の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と称する古刹。白鳳8年(680)、天武天皇の勅によって、神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(791)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽藍を再建、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊にしたと伝える。承和5年(838)仁明天皇の勅願によって、塔頭四十九院を...京都紅葉100シリーズ西山古刹花の寺勝持寺NO.18
京都の白峯神宮では毎年9月21日に秋季例大祭・崇徳天皇祭が行われます。例大祭では浦安の舞などの奉納が行われ、夕刻からは観世・金剛流の能楽、大蔵流の狂言等が篝火の揺らめく特設舞台で演じられ、初秋の宵の幽玄な空気に包まれることができます。薪能は白峯神宮の御祭神である崇徳天皇・淳仁天皇が日本の国の発展のために成した偉大な功績を称え、また無念の生涯を終えられたことの慰霊のために始められました。上京区民の文化人の中から、金剛流は種田師、観世流は河村家、狂言は茂山社中が担当し、いちひめ雅楽会の舞楽と、上京区民の箏曲なども加わります。上京区民の文化振興のために、約40年前から行われています。淳仁・崇徳天皇を祀る同宮。古典芸能に親しんだ町ならではの祭事です。舞囃子、仕舞、箏、能、狂言などが演じられます。普段一挙に見ること...京都白峯神宮上京薪能21日
京都は北山、東山、西山と三方を山に囲まれています。その西山にあるのが光明寺です。東山、伏見城の上からのぼる太陽をながめ、毎朝お勤めをいたします。法然上人がこの場所でお称えしたお念仏は、その後800年間絶えることなく称え続けられ、私で八十四世となっております。このお念仏は法然上人が深い哀しみの中から得られた心の安らぎです。つまり、お念仏の聞こえるお寺は心に安らぎをあたえてくれます。心の癒しを求めながら現代を生きる皆様、一度光明寺に御参詣くださいますことを願っております。法然を慕い帰依した、弟子の蓮生(れんせい:熊谷次郎直実)が、建久9年(1198年)に当地に、念仏三昧堂を建立したのが始まりである。のちにここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられた。法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたという。四条天皇は...京都紅葉100シリーズ粟生・光明寺NO.17
京都御所の東南の築地塀に囲まれた仙洞御所は上皇の御所でした。仙洞御所は1627年(寛永4年)後水尾天皇が譲位された後の御所として女院御所と共に小堀遠州が作事奉行として造営しました。しかし、仙洞御所の庭園は後水尾天皇の好みで殆どがかえられているそうです。特に京都中の紅葉の名所がごった返す中、別世界に飛び込んだようでした。藤の黄葉・・・優しい色合いがとても綺麗でした。南池に架かる八ツ橋です。真っ赤な紅葉が州浜の石に映えますね。州浜には11万1千個ほどの楕円形の平たい石が池の中まで敷き詰められています。石一個につき、米一升の約束で運ばせたと伝えられ、「一升石」の別名があります。醒花亭の「醒花」は、李白の詩から取られたもので鴨居の上に拓本の額として掲げられています。この道が「桜の馬場」です。仙洞御所、いかがですか...京都紅葉100シリーズ寺社錦秋の仙洞御所NO.16
商売繁盛の御利益があるとされる大聖歓喜天を祀る養源院。1月5月9月の21日に行われる恒例行事です。一切は空であるとの思想を説く仏教の諸経典を集成した大般若経全600巻を御宝前で導師と出仕の僧4人で転読します。豊臣秀吉が浅井長政追福のために創建した養源院。彼は、当院にある大聖歓喜天を厚く信仰したとか。他にも、無病息災、家内安全にも御利益が。参拝者に御札が授与されます。血天井関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。襖絵と杉戸絵俵屋宗達作の重要文化財があ...京都養源院大般若経会21日
寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模...京都紅葉100シリーズ化野念仏寺NO.15
京都 紅葉100シリーズ 将軍塚/青蓮院門跡 別院「大日堂」NO.15
大日堂の御本尊は平安時代に作られた石造の胎蔵界大日如来で、付近の山中から発見された花頂院の遺仏と伝えられる。碑のあるところに埋もれていたものを、お堂を造り安置しています。京都の夜景スポットと言えば「将軍塚」っていいますが、東山ドライブウェイ頂上の無料駐車場の小さな展望台は「将軍塚」ではありません。本当の将軍塚は駐車場から北へ100m程行くと、青蓮院の飛地境内の「将軍塚大日堂」があります。その中の大展望台から京都全市街が一望できます。将軍塚794年(延暦13)桓武天皇が平安遷都に際し王城鎮護のため造られた、直径約20メートル、高さ約2メートルの塚です。高さ8尺(約2.5メートル)の土人形に鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせた将軍を京都の方を向けて埋めてあると「保元物語」「平家物語」などにあります。また征夷大将軍坂...京都紅葉100シリーズ将軍塚/青蓮院門跡別院「大日堂」NO.15
今回のご紹介は京都の人気観光スポットです、平安神宮の神苑無料公開日は、初夏と秋に行われます。静かな秋を感じたい。そんな時は萩やフジバカマなど秋の七草が見事な平安神宮本殿裏の神苑へ。平安神宮神苑は円山公園、無鄰庵などの数々の名園を手がけた7代目小川治兵衛が作庭した日本庭園。東・中・西・南の四つから構成される広大な日本庭園です。平安神宮の神苑は、総面積約10,000坪ある日本庭園。約200種・約2,000株が咲く姿は、見応え十分。南神苑「平安の苑」が開設された日を記念し無料で公開されるうれしい一日。ぜひ足を運んで見て欲しい光景です。■場所:平安神宮■日時9/19(※毎年同じ日程です)■時間:8時30分~16時30分(受付終了)■アクセス:JR京都駅・阪急河原町駅から市バス5系統に乗車。平安神宮前で下車、すぐ。...京都平安神宮・神苑無料公開19日
京都を代表する紅葉スポット神護寺京都に住む人に「紅葉の名称は?」と尋ねればほぼ必ずあげられるのが、この神護寺。嵐山、嵯峨野のその奥、清滝川に架かる橋からは急な石段を15分ほど登らなければならないが、あたりの紅葉を楽しみながらのんびりと進もう。途中には茶店もある。お参りを済ませたら、紅葉に染まる谷をめがけて厄払いの「かわら投げ」を楽しむのも。神護寺は高尾山寺と、河内国石河郡にあったといわれる神願寺が、824年(天長1)に合併、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改められ、その略名を神護寺と呼んだものとされる。高尾山寺は、781年(天応1)僧慶俊を本願とし和気清麻呂(平安京造営の最高責任者)を奉行として草創された愛宕五坊の一つで和気氏の氏寺であった。809年(大同4)弘法大師(空海)が入山して14年間常...京都紅葉100シリーズ神護寺NO.14
真言宗大覚寺派の寺院。山号は槙尾山、本尊は釈迦如来。高雄山・神護寺、栂尾山・高山寺とともに三尾の名刹として知られる。寺伝によれば、天長年間(824年~834年)に空海(弘法大師)の高弟智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。その後荒廃したが、建治年間(1175年~1178年)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。正応3年(1290年)神護寺より独立した。さらに兵火により堂塔は焼亡したが、慶長7年(1602年)に明忍律師により再興された。現在の本堂は、元禄13年(1700年)桂昌院の寄進により再建されたもの。本堂-元禄13年(1700年)に徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により再建。桁行7間、梁行4間。堂内に釈迦如来像(重要文化財)ほかの仏像を安置する。客殿-本堂の左...京都紅葉100シリーズ三尾名刹の西明寺NO.13
梨木神社(なしのきじんじゃ)御所の東隣にある梨木神社は、通称「萩の宮」とよばれるのにふさわしく、約500株の萩が境内一面に咲き誇ります。祭典では、紅白の萩の花を青竹に入れ、虫かごに鈴虫を入れて神前に奉納します。そして萩には俳句の書かれた短冊が下げられ、紅白の萩や菊を献花し、狂言や舞踊なども奉納されます。初日には小笠原流弓術の奉納も。萩の花を愛でながらの茶席はひときわ風流。煎茶席と抹茶席、もう少し正式なタイプの抹茶席があり、記念に絵皿つきの抹茶席券もあります。また、萩まつりに合わせて毎年恒例の「俳句大会」も開かれており、句が書かれた短冊が木につり下げられ、愛好家や参拝者らが俳句を作ります。句会は参集殿で行われます。後でネットを見て分ったのですが、これが「愛の木」でした。可愛い丸い葉っぱです。ハート形なのでそ...京都梨木神社萩まつり中旬
天龍寺紅葉静かなる禅刹の魅力があふれる庭嵐山のにぎわいを遮断するように、天龍寺は静寂に包まれる妙智院の前を通り、放生池を過ぎると、参道に、法堂へと延びる、室町幕府を開いた足利尊氏が、後醍醐天皇の冥福を祈るため、夢窓疎石を開山として「1339」年創建した。正式には[霊亀山天龍資聖禅寺]なお天龍寺は8度の火災に遭っている。最後は1864年7月19日の事で、蛤御門の変により火を受け消失した。以後再建され、禅刹の歴史を刻んでいる。現在の諸堂は明冶以後の再建であるが、禅宗寺院の主要の建物である三門、仏殿はまだ再建されていない。釈迦は東に向かって東西一直線に並び、その両側に塔頭八ヶ寺が立つ。夢窓疎石が築いた庭園は、嵐山を借景にした池泉回遊式庭園で州浜形の汀と島を配した方丈前庭は白砂と松のコントラスが鮮やかだ。この方丈...京都紅葉100シリーズ寺社禅刹の天龍寺NO.12
知恩院浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳しくは華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)と称する。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」と呼ばれている。四条天皇から下賜された寺号は「華頂山知恩教院大谷寺」という長いものであるが、この名称は、寺の歴史を説明する時などを除いて通常は使われておらず、法人としての寺院名も「宗教法人知恩院」であることから、本項では「知恩院」と表記する。知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のあ...京都紅葉100シリーズ寺社知恩院NO.11
豊臣秀吉が祭神。旧暦8月18日が命日に当たることから、新暦の当日から2日間に渡り営まれます。祭典は招待者のみ参加ですが、初日の舞楽や巫女の神楽舞の奉納等は国宝である唐門下賽銭箱前から見ることができます。翌日は薮之内家家元奉仕による献茶祭が行われます。御由緒慶長4年(1599年)、前年に薨去された太閤豊臣秀吉公を奉祀するため、朝廷より正一位豊国大名人の神階神号を賜り、東山阿弥陀ヶ峯に創建されました。社領1万石、境内域は30万坪におよび、当時の壮麗な社殿や華麗な祭礼の様子は「豊国祭礼図屏風」や様々な古記録によって知ることができます。元和元年(1615年)、豊臣氏滅亡後幕府の命で廃祀とされたが、明治元年、明治天皇は祭礼の復興を命じ、明治6年に別格官幣社に列し、明治13年方広寺大仏殿跡地に社殿を造営し再興されまし...京都豊国神社例大祭18日
京都 紅葉100シリーズ 毘沙門堂(びしゃもんどう)NO10
山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、「毘沙門堂門跡」とも呼ばれる。歴史寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)行基が開いたという。その後、平安時代末期には出雲寺は荒廃していたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興。中世末期には再び荒廃していたが、近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えた。前身寺院である出雲寺は、京都市上京区の相国寺の北、上御霊神社付近にあったと推定される。付近からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が出土しており、行基の開基であるかどうかは別としても、この付近に平城京遷都以前にさかのぼる寺院のあったことがわかる。また、一帯に...京都紅葉100シリーズ毘沙門堂(びしゃもんどう)NO10
三千院♪京都大原三千院恋に疲れた女がひとり♪声明の山里・大原天台宗五門跡寺院三千院は、宮門跡寺院になり、はじめは比叡山東塔に開創された。三千院は高野川上流にあり、妙法院、青蓮院と並ぶ天台宗三門跡寺院の一つ。延暦年間「782-806」最澄が比叡山根本中堂を造営したとき、東塔南谷に小堂を構えたのが始まり。貞観2「860」年には清和天皇の命によって承雲和尚が伽藍を整備し、比叡山山麓に里坊をもうけた。応仁の乱後現在地に移った。のちに往生極楽院を統合して本堂とし、日本における声明の本源である大原魚山の中心的な存在になる。杉並木に囲まれた境内には、実光院・勝林院・宝泉院がある。周辺の見どころ実光院天台声明の根本道場として知られる。実光院の本堂は勝林院。契心園と旧理覚院庭園の二つの名庭があり、縁側に腰を下ろして、抹茶を...京都紅葉100シリーズ錦織りなす紅葉三千院NO.9
平安時代末期の武将・源義経(幼名牛若丸)を偲ぶ法要です。義経が7歳の頃から約10年間を過ごした鞍馬山中には義経が天狗僧正坊に剣術を習ったと言われる僧正ヶ谷や、道場であった木の根道、牛若丸背比べ石などゆかりの地があります。法要後、本殿前にて行われる鞍馬流居合術の演舞に、思わず牛若丸の姿を重ねあわせてしまいます。彼の御魂は鞍馬山に戻って遮那王尊となり、護法魔王尊の脇侍として、奥の院の義経堂に祀られているといいます。牛若がこの鞍馬寺に入ったのは7才の時であった。四才で母常磐と離された牛若は、義朝ゆかりの者の住んでいた京都山科に暮らしていたが、母の配慮もあって、やはり義朝の祈祷の師であった鞍馬の別当、東光坊の阿闍梨蓮忍(れんにん)の許(もと)に預けられた。この真意については、「義経記」だけではなく、「平治物語」や...京都鞍馬寺(義経祭)15日
高野川に沿って鯖街道と呼ばれた若狭街道が走っています。京都市中から北へおよそ12キロ。比叡山への入口である八瀬を通り抜け、山に挟まれた谷間の道を走ると、やがて比叡山麓の小さな盆地に辿り着きます。のどかな田園風景が広がる大原です。どこからか頭に柴をのせ、都まで行商に出かける大原女と出会いそうな錯覚にとらわれます。春には野道に石楠花が咲き、霧島躑躅(きりしまつつじ)が鮮やかな花をつけ、夏には青田に挟まれて紫色の紫蘇畑が大原の里に彩りを添えます。大原バス停から三千院への参道を呂川に沿って上っていくとしば漬け屋や雑貨の店が軒を連ねています。秋になると参道の木々は紅葉に染まり、落葉を踏みしめて隠れ里を訪れた往時の人々への郷愁を誘います。参道が尽きる辺りに魚山橋があります。左に曲がると、そこが桜の馬場と呼ばれる三千院...京都紅葉100シリーズ大原周辺NO.8
嵐山から今日は徒歩で嵐山から高雄まで、東海自然歩道を歩きました。嵐山から歩きはじめて30分くらい行ったところに嵯峨鳥居本地区にたどり着いた。京都の大文字・五山送り火のひとつ鳥居形の曼荼羅山に沿うようにしてある嵯峨鳥居本。ここには茅葺き屋根の農家風民家と町家風民家が一つの通りに建ち並ぶという珍しい町並みがある。愛宕街道に沿って、化野念仏寺を境にして、愛宕神社一之鳥居に近い上地区には延長約650mにわたる街道筋、茅葺き屋根などの農家風の民家が建ち並び、下地区には瓦葺きでむしこ窓や京格子、ばったり床几などをもうけた町家風の民家が建ち並ぶ。この嵯峨鳥居本の町並みの特色は、このように農村的景観(農家風)と都市的景観(町家風)が共存し、さらに奥嵯峨の美しい自然と一体となって風趣のあるたたずまいを示しているところにある...京都紅葉100シリーズ嵯峨鳥居本
京都御苑内の宗像神社の例大祭にちなんで、「豊栄(とよさか)の舞」が奉納される。宗像神社は九州の宗像神宮から招かれた分社です、午前10時、社殿の周りの森でツクツクボウシの鳴く声があふれる中を厳粛に神事が行われました。小さな神社なので儀式も大がかりではありませんが本殿のごく近くで神職の作法に倣って参拝者一同が拝礼しました。そのあと神への感謝と無病息災を願う「豊栄の舞い」が巫女によって奉納されました、3人の神楽人の舞曲の伴奏もあって皆さん神妙にしながら楽しく観賞しました。平安初期、藤原冬嗣の邸・小一条院内に、筑前より勧請した宗像神を祀ったのが始まりという、御所御苑の中にある神社です。例大祭に因み「豊栄の舞」が奉納され、御神酒の無料接待などもあります。■場所:宗像神社■期間:9/15(※毎年同じ日程です)■時間:...京都神賑わいの祭り京都宗像神社15日
あっという間に過ぎゆく短かった秋を惜しみ、初冬の風情に浸ろうと葵祭で有名な下鴨神社を訪ねてみました。京都で最も古い神社のひとつに数えられ、平安時代には王城鎮護の社とされました。1994年には「古都京都の文化遺産」として世界文化遺産に登録された美しい神社です。下鴨神社の境内にある糺の森。12万平方メートルの森にケヤキ、ムク、エノキなど。色とりどりの紅葉が秋のシンフォニーを奏でています。樹齢600年にもなる大樹は荘厳な雰囲気さえ感じさせます。下鴨神社と上賀茂神社の謎下鴨神社には、「糺の森(糺すの森)」というところがある。また、木島坐天照御魂神社には「元糺の森(元糺すの森)」というところもある。「糺の森(糺すの森)」なぜ「糺す」なのであろうか?また「糺の神(糺すの神)」とは、京都下鴨神社の御祭神、東殿「玉依媛命...京都紅葉100シリーズ下鴨神社糺すの森
9世紀末の寛平年間(889-897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化9年(1812年)には一山炎上する大火災があり、近代に入って1945年(昭和20年)にも本殿などが焼失している。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。昭和期の住職・信楽香雲...京都紅葉100シリーズ鞍馬寺NO.4
おく山の岩がき紅葉散りぬべし、照る日の光、見る時なくて社魂が浄化される見返り阿弥陀如来一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。真紹は仁寿3年(853年)、歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じら...京都紅葉100シリーズモミジの永観堂(禅林寺)NO.3
法螺貝を吹き、清水の舞台を「転法秀」、「会奉行」、「夜叉神」、「四天王」と青龍、「十六善神」の神々がダイナミックに動き回ります。毎年計5日間、清水寺とその周辺には龍が舞い、参拝者の幸福を祈願。開催日には、この龍の舞を見学しようと、多くの人が清水寺に参拝します。なぜ、清水寺に龍が舞うのか。それには、四神相応の考えが関係しています。京都の都(平安京)は、四神相応の考えを基に建設されました。四神相応は、風水学的に最高の良いとされる地相だったからです。四神は、東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武となっています。四方の方角を司るこれらの神様は、特徴がある土地に生息。青龍は清水、百虎は大道、玄武は山や丘陵、朱雀は広い海や湖に住んでいますこの青龍会は2000年の本尊御開帳を機に始まりました。■場所:清水寺■期間:9/...京都清水寺観音加持青龍会14・15日
京都 紅葉100シリーズ 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)NO.2
愛宕念仏寺をぶらり散策もお勧めします、付近には沢山の見所が満載です。嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。本尊は厄除千手観音、別名千二百羅漢の寺。愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい。すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失。廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した。千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。この際いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えたが、その後は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。1922年それらを移築して現在地での...京都紅葉100シリーズ愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)NO.2
かんの虫封じや病気平癒など子どもの守り神として知られる三宅八幡宮。特に明治時代から昭和の初めにかけて熱烈な信仰を集め、子どもの無事を祈って訪れる人が絶えなかった。「多い時には一日に五、六十件も祈祷(きとう)の申し込みがあったそうです。三宅八幡は虫八幡とも呼ばれ、子供の癇(かん)の虫封じで有名。放生祭は、五穀豊穣を感謝する三宅八幡の秋の大祭。京都では、三宅八幡宮や本能寺で行われます。ふだんの殺生・肉食を戒め、慈悲を実践するために、捕らえられている虫・魚・獣まどの生き物を池や野に解き放つ仏教の行事です。歴史的には677年(天武天皇5年)に詔が下され諸国で行われたのが初見で、寺社としては720年に大分県の宇佐神宮ではじまった宇佐八幡宮放生会が嚆矢とされ、現在はその宇佐神宮をはじめとする全国の八幡宮社で行われるほ...京都三宅八幡放生会(14日~16日)
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ハテナに移動しました。京都上賀茂神社・御戸代能7月1日https://ta221961.hatenablog.com/entry/2025/06/24/044653?_gl=1*1dwsxyz*_gcl_au*OTg3NTk4MDQ3LjE3NDUxMzM0OTM.ブログ記事の引越し先
長い間閲覧応援おおきにどす(^ω^)・・・✌はてなブログに移行しました。9月末まで掲載します。https://ta221961.hatenablog.com/entry/2025/06/22/045015?_gl=1*1gcssg7*_gcl_au*OTg3NTk4MDQ3LjE3NDUxMzM0OTM.京都ぶらり宇治散策
引っ越し先のハテナです。https://ta221961.hatenablog.com/entry/2025/06/21/050630?_gl=1*xytzt7*_gcl_au*OTg3NTk4MDQ3LjE3NDUxMzM0OTM.引っ越し先です。
何時も閲覧しておおきにどす(^ω^)・・・✌此方に移動しましたので宜しくお願いします。京の一枚京都華厳寺(鈴虫寺)https://ta221961.hatenablog.com/entry/2025/06/20/044946京都華厳寺(鈴虫寺)
梅雨の晴れ間を利用して京都ぶらりと訪れては如何ですか。嵐山の観光スポットといえば見どころ満載です、嵐山の中心ともいえる渡月橋。この橋を挟んで南のエリアと北のエリアにわかれますが北のエリアの中でもオススメのスポットがこちらです嵯峨野。竹林の道(ちくりんのみち)は、大河内山荘から野宮神社の間を約200メートルにわたって続く風情のある小道です。周辺には嵐山や世界遺産の天龍寺などがあります。竹林の道は京都嵐山の代表的な観光名所のひとつで、嵐山を訪れた際には是非立ち寄って頂きたい観光スポットです。竹林は野宮神社から大河内山荘の間で特に大河内山荘前からみた竹林が画になります。嵯峨野巡りといえば、紫式部の「源氏物語」ゆかりの野宮(ののみや)神社から紅葉の名所の常寂光寺、去来の「嵯峨日記」で知られる落柿舎から、嵯峨天皇の...京都嵯峨野竹林の道
今年は例年に無く2週間も早く京都蛍乱舞中です。夕涼みにはちょっと早いも知れませんがあしを運ぶのも良いものです。種類と名前の由来日本には約45種のホタルが生息しています。「源氏螢」、「平家螢」と呼んだりしますが、源平戦に勝った「源氏」の方が体が大きめ。名前の由来には諸説ありますが、平安末期に源平争乱に敗れた平家一門の亡骸の上を、慌しく点滅する小さな螢とゆっくり点滅する大きな螢が宙を舞っていたという言い伝えがあるとか...。見える時間帯と時期だいたい20時頃から。食事は早めに済ませましょう。場所にもよりますが、5月上旬~7月中旬。梅雨が明けるまでがベストチャンスです。たくさん見るための条件こればかりは、運次第ですが、夕立が降った日は、螢がたくさん飛ぶそうです。そのため、雨が降らない日は、近所の飲食店が川の周り...京都ホタルの名所
五花街(祇園東・上七軒・先斗町・祇園甲部・宮川町)に伝わる伝統芸能の合同公演で、長唄や常盤津等の舞台が華やかに上演されます。五花街の舞妓が勢揃いする合同演目「舞妓の賑い」は、この公演でしか見る事の出来ない艶やかな演目の一つです。雨天決行。「五花街の夕べ」では、18時半より市内各老舗料亭(岡崎つる家、菊乃井、炭屋、飄亭、柊家、ウェスティン都ホテル京都)にて、舞妓・芸妓さんが接待します。平成6年、平安建都1200年記念催事として幕を開けた京都五花街合同公演「都の賑い」。祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の芸妓舞妓、総勢約80名の伎芸を一度にご覧いただけるのは「都の賑い」だけで、それはまさに夢の舞台。毎年恒例の6月の公演では、花街ごとの演目とともに五花街の舞妓の共演による「舞妓の賑い」が披露され、初夏の古...京都五花街合同伝統芸能特別公演28日(土)・29日(日)
京都に堪らぬ猛暑が来る前に京都旅行をお勧めします。今回は夏越祓(なごしのはらい)を紹介します。半年間の罪や穢れを払い(リセット)、残り半年を無事に過ごせるようにと祈る行事です。6月30日は一年間の折り返しにあたる日。この日、京都の主な神社では大きな「茅の輪」を社頭に飾り、その茅の輪をくぐると無病息災・悪厄退散になると伝えられています。またこの日、関西ではまじないとして「水無月」という和菓子を食べる習慣があります。このお菓子は、むかし貴重であった「氷」のかたちをなぞった物といわれています。夏越祓で7月1日~12月31日を折り返そう京都は盆地という土地柄、夏の暑さは日本でも有数の厳しさを誇ります。それゆえに「夏越祓」は重要な儀式だったのかもしれません。そんな夏を乗り越え、1年の後半を元気に過ごすための儀式とし...京都市内各神社・夏越祓(なごしのはらい)6月25日~30日
今年も半年をが過ぎ様としています、はやいですねリッセットしてみませんか、半年の穢れが祓われ・・・。茅の輪をくぐった後、紙の人形に名前、数え年、願い事等を書いて神苑の春の山に進み人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します。半年間の穢れを払い、残り半分無病息災を祈願しましょう。夏越祓:6/3015時~、車で通り抜けジャンボ茅の輪:7/1~/7、茅の輪をくぐった後、紙の人形に名前、数え年、願い事等を書いて神苑の春の山に進み人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します。半年間の穢れを払い、残り半分無病息災を祈願しましょう。■場所:城南宮■期間:6月25日~30日(※毎年同じ日程)夏越祓:6月30日車で通り抜けジャンボ茅の輪:7/1~/7■時間:茅の輪くぐり・人形流し・愛車の茅の輪くぐり:9~16時(期間中)...京都城南宮茅の輪くぐり人形(ひとがた)流し(6/25~/30)
チガヤで作った輪。束ねたカヤの大きな輪をくぐる茅の輪くぐり神事は全国の神社でおこなわれている。茅の輪が疫病など夏季の災厄を除くとか、身体についた穢が祓われるという呪術的な力を有しているという信仰と「大祓」が強く結びついている。茅の輪をくぐることは、ある世からの脱皮再生を図るという意味があると考えられ、6月晦日が重要な折り目であると捉えられていたことがわかる。青々とした植物は再生を促す力を宿すと考えられていたことからも、青い茅が特に重視されたのかもしれない。茅の輪くぐり神事は、独特の作法がある。まず、茅の輪を正面から入って左へまわり、また正面からくぐって右へまわり、もう一度正面から左にまわってくぐる。要するに、横8の字に3度くぐる。これは夏に流行しがちな悪疫(あくえき)を除けるための呪的な儀礼である。昔から...京都貴船神社・茅の輪くぐり6月25日~30日
桔梗の開花に合わせて、特別拝観を行っています。桃山時代に作庭の枯山水庭園一面を覆う苔と凛と咲く桔梗の花の青や白とのコントラストを愛でていただきます。紫や白の桔梗と緑鮮やかな苔のじゅうたんに雨の雫が光り、大変美しいこの時期・・・。又塀の外側には二度咲きの萩と紫陽花、昼顔が季節のハーモニーを奏でています。天得院は知る人ぞ知る花の名所。二汁五菜の「桔梗膳」も味わえます。杉苔に覆われた枯山水の庭に、春は黄緑色の桜・御衣黄桜、霧島つつじ、さつき、夏は萩、あじさい、桔梗、秋は二度咲きの萩、白彼岸花、紅葉、つわぶき、藤袴、冬は山茶花、椿と、四季折々の花が咲きほこります。6〜7月の桔梗と、11月の紅葉のシーズンは一般公開をしています。小さい庭ではありますが、心静かに庭を眺めていただき、のんびり、ゆっくりとお過ごしください...京都東福寺天得院・桔梗を愛でる特別公開28日~7月17日
菅原道真公の誕生日6月25日、命日2月25に因み毎月25日は御縁日(天神さん)として、境内周辺は露天が出店したり、多くの参拝者で賑わっています。一度訪れた方はご存じだとは思いますが、茅の輪くぐりには、決まったくぐり方があります。八の字を描く様にくぐります。また、茅輪をくぐるときの唱え言葉があり、説明には以下のように書いてありました。「一、みな月のなごしの祓い(はらい)する人は千歳(ちとせ)の命のぶるといふなり」「二、思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな」「三、蘇民将来(そみんしょうらい)。蘇民将来。(繰り返して唱ふ)」翌日の大茅輸くぐりに使用される「大茅の輪」の取り付けも、見ごたえがあるとのことです。但し、いくら目の前に立派に取り付けられてもこの輪をくぐるのは、明日(25日)までお預けで...京都北野天満宮・大茅の輪の取り付け25日
叡山電車の始発駅出町柳から鞍馬駅下車鞍馬寺仁王門まで徒歩5分ぐらいかなぁ。入口で鞍馬山の入山料200円を払い私はケーブカーに乗らず未舗装の参道を267m登って行くと由岐神社があります。階段を登って神社から更に歩いて行くと義経公供養塔がありました。ここまで来たら汗がじわっと出て吹く風が心地よいさて本殿まで791mの九十九折り(つづらおり)参道を歩いて行きます。京都の夏のはじまりをつげる祭事といえば鞍馬寺の竹伐り会式。「竹伐り会式」とは、黒い法衣に白袈裟を弁慶かぶりにした僧兵が二手にわかれ、大蛇にみたてた大竹を山刀で伐るという豪壮な会式です。日に日に緑が濃くなっていく鞍馬山中腹に建つ鞍馬寺で、この日「竹伐り会式」が行なわれます。もともとは、蓮の花が咲く旧暦七月に行なわれていたので、「蓮華会」とも呼ばれています...京都鞍馬寺・竹伐り会式20日
梅雨の晴れ間小塩山の通称「なりひら寺」へ足を運んで癒されて見ては如何ですか、帰りには紫陽花の善峰寺へ。小塩山・十輪寺は、善峰寺の2キロほど手前に位置し天台宗の古刹です。寺は、嘉祥3年(850)文徳天皇のお后、染殿(そめどの)皇后(藤原明子:ふじはらあきらけいこ)の世継ぎ誕生を祈願のため、伝教大師作の延命地蔵菩薩を安置したのが始まりです。毎年6月第3日曜日午後1時より「声明と三弦を聞く会」8月23日本尊地蔵尊秘仏ご開帳午前10時から、11月23日午後1時より「塩がま清めの祀り」が行われます。十輪寺在原業平のゆかりの地平安時代を代表する歌人在原業平。50歳を過ぎた頃から十輪寺で生活していたため、現在でもここにはゆかりのある史跡と桜が残っています。平安時代の貴族には、「塩焼」と呼ばれる塩を焼いてその煙を楽しむ風...京都十輪寺・声明と三弦を聞く会15日
平安の風情を現在に伝える黒木の鳥居に茅の輪が設けれら、他の神社よりも少し早めにくぐることができます。修学旅行生が団体になって、茅の輪をくぐる姿をよく見かけます。野宮神社は平安時代以前、斎王(さいおう)が天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする前に身を清めた神聖な場所です。斎王とは「いつきのひめみこ」ともよばれ、伊勢神宮に遣わされた未婚の天皇の娘(皇女)たちのことです。斎王となる皇女は、まず皇居内で1年あまり心身を清め、野宮神社で3年間のみそぎの後、伊勢神宮に向かいます。みそぎの場所は天皇の即位の度に決められ、この嵯峨野の野宮神社は、平安時代に嵯峨天皇の皇女・仁子内親王(よしこないしんのう)の代より、使用されるようになりました。黒木鳥居と小柴垣当社は、過去に行なわれた斎王制度の面影が残る唯一の神社で、クヌギの木を...京都野宮神社・茅の輪くぐり1日(日)~7月31日(木)
八坂神社は、祭事が多い神社ではないでしょうか。その祭事の中で、最も有名なのが祇園祭です。八坂神社例祭は、そんな祇園祭の前の月に行われます。御祭神ゆかりの日を選んで決められた大祭です。八坂神社の御祭神ゆかりの日を選んで決められた例祭で、神事にひき続き神楽舞「東遊び」の舞が披露されます。15時より綾小路流朗詠による向陽会員等の和歌の献詠披講式が行われます。■場所:八坂神社■期間:6月15日(※毎年同じ日程です)■時間:10時~■アクセス:市バス206・208「祇園」または京阪「祇園四条」駅より徒歩約5分■お問合せ:075-561-6155■詳細ページ:http://www.yasaka-jinja.or.jp/※写真は全て過去のものです。京都八坂神社・例祭15日
毎年6月15日に京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)で、青葉まつりが行われます。弘法大師空海と高野山中興の祖として知られる興教大師の誕生会法要で、青葉の美しい時期に催されることから「青葉まつり」と呼ばれています。福引(祈祷者対象で無料)や、大書院には茶席が設けられ(500円)、華道展も開かれます。皐月やツツジが見事な桃山時代の名勝庭園、及び収蔵庫の障壁画の無料公開もあります。智積院はアジサイの隠れた名所。運が良ければハート形のアジサイも見つけられるかも。智積院鎌倉時代の中期、頼瑜(らいゆ)僧正が高野山の大伝法院を根来山に移したことに始まる。智積院はその塔頭の一つで学頭寺院だった。1598年(天正13)、豊臣秀吉の根来征伐によってほとんどの堂宇伽藍が焼亡。当時の智積院住職の玄宥(げんゆう)僧正は、京都に逃れ...京都智積院・青葉まつり15日
1年に2週間しか公開されない東林院で沙羅双樹(さらそうじゅ)を愛でようと足を運んで見ては如何ですか。東林院は右京区花園にある妙心寺の塔頭です。妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山で46の塔頭があり、国宝や多くの重要文化財や非公開の織田信長の墓所などがあります。妙心寺の中にある東林院は普段は非公開ですが行事がある時は公開され、宿坊として利用する場合は入ることができます。『平家物語』にうたわれた沙羅双樹の花の庭園。椿に似た五弁の白い花をつける沙羅。沙羅の花は雨上がりか雨降りの日、または午前中に愛でると、青苔と白い花の風情があり素晴らしいそうです。苔の上に散り敷く様を心ゆくまでお楽しみ下さい。19日には夜の特別公開“沙羅の夕べ”も予定されています。双ヶ丘の東、京都市右京区には「花園」という地があります。昔、この地域に...京都妙心寺東林院・花供養とお香を聞く会9日(月)~22日(日)
貴船駅から始まるロマンチックな夏デートに織姫と彦星の伝説が伝わる七夕は、日本の節供のなかでもっともロマンチックな由来を持っている日。初夏の貴船は緑が美しく、涼やかな貴船川の清流を眺めて川床料理も楽しめる絶好のシーズン。川沿いには食事処も数多くあり、この季節ならではの鮎料理をいただくのもオススメです。青竹の筒に入れられたろうそくの光が、優しく足元を照らします。雨天決行です。8日には「貴船の水まつり」があり、境内でライブが行われる日もあります。鴨川の水源地にあたる貴船神社は、平安の昔から水の神様として知られ、境内の霊泉に浮かべると文字が浮かび上がる「水占みくじ」が有名です。その一方で、縁結びの神様として知られ、今から1000年前に、女流歌人・和泉式部が貴船神社に参拝して、恋の歌を捧げて祈り、その願いが叶ったと...京都貴船神社・七夕笹飾りライトアップ1日
天平勝宝(750年)に天皇より御戸代田一町が寄進された際に、田楽、猿楽が舞われ、これが日本能楽の先駆となったとされています。田植えが終了し虫害を未然に防ぐための祈願のお祭りです。「神歌」を奉納し、烏扇草(ひおうぎそう)や滋賀県安曇川産の鮎を供えます。■場所:上賀茂神社■期間:7/1(※毎年同じ日程です)■時間:神事:10時~能(有料):18時~■アクセス:市バス9「上賀茂御薗橋」または地下鉄「北山」駅より徒歩約15分■お問合せ:075-781-0011■詳細ページ:http://www.kamigamojinja.jp/※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。※写真は全て過去のものです。京都上賀茂神社・御戸代能7月1日
「小野小町」花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に一千有余年の時を経て人々を魅了し続ける謎の美女小野小町西に東山丘陵、東に醍醐山などの山並みを望む山科盆地。平安時代には貴族たちの遊猟場でした。その南部に位置する随心院。平安時代初期、当代一流の歌人で絶世の美女と謳われた小野小町が、晩年を過ごしたと伝わるお寺です。創建は正暦2(991)年。仁海(にんがい)僧正を開基とする、真言宗善通寺派の大本山です。往時には壮麗な七堂伽藍を構えましたが、承久の乱や応仁の乱など度重なる戦火により諸堂は焼失。現在の本堂は慶長4(1599)年の再建で、薬医門や玄関、書院などは江戸時代初期から中期に建立されました。奥書院を飾る狩野派の襖絵をはじめ、随所に施された絵図が見事。また、苔に覆われた坪庭や白壁が清々しく、...京都小野小町の随心院
景勝地の夏絵巻:大堰川鵜飼開き鵜飼は、風折烏帽子(かざおれえぼし)に腰みのの<昔ながらの装いで手綱を引き、約10羽程の海鵜を飼いならして鮎などの川魚をとる伝統的な漁法で、その歴史は古く嵐山の鵜飼は千年の昔から行われていました。かがり火が川面に揺れる幽玄の世界を楽しんでみてはいかがですか?川岸で鵜飼を見物する浴衣姿の女性が「涼」を誘います。渡月橋の上からよりもやはり川面から見る方が独特の風情があってお奨めです。鵜匠の手につながれた6羽の鵜は、船子(かじこ)のかいの音に反応して身を翻し水面の上と下を行ったり来たり。白く光るアユを次々と鵜匠の手に戻します。今も昔も変わらぬ鵜匠の装束は、いにしえの貴族の風雅な趣そのもので、景勝地ならではの醍醐味です。鵜飼いの歴史在原業平の詠んだ「大堰川うかべる舟のかがり火にをぐら...京都鵜飼景勝地の夏絵巻:大堰川鵜飼開き(7/1~9/23(※毎年同じ日程です)
今回私が散歩する修学院には、修学院離宮、詩仙堂などの名刹を始め、多くの寺社が点在しています。出町柳駅から叡山電鉄にゆられ、修学院で降りて気ままに散歩してみました。まず散歩の前に腹ごしらえ、と蕎麦を食べに評判の塩釜に向かいます。修学院の駅から東大路に出て少し下がると七人ほどの行列が見えました。店内は照明も柔らかく落ち着いた雰囲気。私はテーブル席に座り、生粉打ちせいろ900円を頼みました。一口すすると蕎麦のほのかな甘味と香りが広がります。食べ終わると見計らったように蕎麦湯が出され、つゆを割って飲み干しました。北山通りを東へ白川通りを北へ行くと音羽川が流れています。案内板を頼りに川に沿って遊歩道を歩いているとじっとりと汗が出てきました。昨日までの寒さが嘘のようです。秋の訪れを身体で感じながら先へ進むと塀に突き当...京都修学院離宮
梅雨の晴れ間を利用して京都ぶらりと訪れては如何ですか。嵐山の観光スポットといえば見どころ満載です、嵐山の中心ともいえる渡月橋。この橋を挟んで南のエリアと北のエリアにわかれますが北のエリアの中でもオススメのスポットがこちらです嵯峨野。竹林の道(ちくりんのみち)は、大河内山荘から野宮神社の間を約200メートルにわたって続く風情のある小道です。周辺には嵐山や世界遺産の天龍寺などがあります。竹林の道は京都嵐山の代表的な観光名所のひとつで、嵐山を訪れた際には是非立ち寄って頂きたい観光スポットです。竹林は野宮神社から大河内山荘の間で特に大河内山荘前からみた竹林が画になります。嵯峨野巡りといえば、紫式部の「源氏物語」ゆかりの野宮(ののみや)神社から紅葉の名所の常寂光寺、去来の「嵯峨日記」で知られる落柿舎から、嵯峨天皇の...京都嵯峨野竹林の道
聖徳太子創建のお寺聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。そのころ太子は物部守屋と争っていたので、如意輪観音に勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いを立てました。勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。ある日、泉のかたわらにある多良の木の枝に護持仏をかけて沐浴をされ、終わって仏を手に戻そうとされたが、どういうわけか、枝から離れません。その夜、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済に当たりたい」、という仏のお告げを夢で見られま...京都六角堂(いけばな発祥の地)
夕涼みにはちょっと早いも知れませんがあしを運ぶのも良いものです。種類と名前の由来日本には約45種のホタルが生息しています。「源氏螢」、「平家螢」と呼んだりしますが、源平戦に勝った「源氏」の方が体が大きめ。名前の由来には諸説ありますが、平安末期に源平争乱に敗れた平家一門の亡骸の上を、慌しく点滅する小さな螢とゆっくり点滅する大きな螢が宙を舞っていたという言い伝えがあるとか...。見える時間帯と時期だいたい20時頃から。食事は早めに済ませましょう。場所にもよりますが、5月上旬~7月中旬。梅雨が明けるまでがベストチャンスです。たくさん見るための条件こればかりは、運次第ですが、夕立が降った日は、螢がたくさん飛ぶそうです。そのため、雨が降らない日は、近所の飲食店が川の周りに水をまくとか...(笑)。煙草の、点いたり消...京都ホタルの名所
五花街(祇園東・上七軒・先斗町・祇園甲部・宮川町)に伝わる伝統芸能の合同公演で、長唄や常盤津等の舞台が華やかに上演されます。五花街の舞妓が勢揃いする合同演目「舞妓の賑い」は、この公演でしか見る事の出来ない艶やかな演目の一つです。雨天決行。「五花街の夕べ」では、18時半より市内各老舗料亭(岡崎つる家、菊乃井、炭屋、飄亭、柊家、ウェスティン都ホテル京都)にて、舞妓・芸妓さんが接待します。平成6年、平安建都1200年記念催事として幕を開けた京都五花街合同公演「都の賑い」。祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の芸妓舞妓、総勢約80名の伎芸を一度にご覧いただけるのは「都の賑い」だけで、それはまさに夢の舞台。毎年恒例の6月の公演では、花街ごとの演目とともに五花街の舞妓の共演による「舞妓の賑い」が披露され、初夏の古...京都五花街合同伝統芸能特別公演29日(土)・30日(日)
京都に堪らぬ猛暑が来る前に京都旅行をお勧めします。今回は夏越祓(なごしのはらい)を紹介します。半年間の罪や穢れを払い(リセット)、残り半年を無事に過ごせるようにと祈る行事です。6月30日は一年間の折り返しにあたる日。この日、京都の主な神社では大きな「茅の輪」を社頭に飾り、その茅の輪をくぐると無病息災・悪厄退散になると伝えられています。またこの日、関西ではまじないとして「水無月」という和菓子を食べる習慣があります。このお菓子は、むかし貴重であった「氷」のかたちをなぞった物といわれています。夏越祓で7月1日~12月31日を折り返そう京都は盆地という土地柄、夏の暑さは日本でも有数の厳しさを誇ります。それゆえに「夏越祓」は重要な儀式だったのかもしれません。そんな夏を乗り越え、1年の後半を元気に過ごすための儀式とし...京都市内各神社・夏越祓(なごしのはらい)6月25日~30日
今年も半年をが過ぎ様としています、はやいですねリッセットしてみませんか、半年の穢れが祓われ・・・。茅の輪をくぐった後、紙の人形に名前、数え年、願い事等を書いて神苑の春の山に進み人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します。半年間の穢れを払い、残り半分無病息災を祈願しましょう。夏越祓:6/3015時~、車で通り抜けジャンボ茅の輪:7/1~/7、茅の輪をくぐった後、紙の人形に名前、数え年、願い事等を書いて神苑の春の山に進み人形(ひとがた)を禊(みそぎ)の小川に流します。半年間の穢れを払い、残り半分無病息災を祈願しましょう。■場所:城南宮■期間:6月25日~30日(※毎年同じ日程)夏越祓:6月30日車で通り抜けジャンボ茅の輪:7/1~/7■時間:茅の輪くぐり・人形流し・愛車の茅の輪くぐり:9~16時(期間中)...京都城南宮茅の輪くぐり人形(ひとがた)流し(6/25~/30)
チガヤで作った輪。束ねたカヤの大きな輪をくぐる茅の輪くぐり神事は全国の神社でおこなわれている。茅の輪が疫病など夏季の災厄を除くとか、身体についた穢が祓われるという呪術的な力を有しているという信仰と「大祓」が強く結びついている。茅の輪をくぐることは、ある世からの脱皮再生を図るという意味があると考えられ、6月晦日が重要な折り目であると捉えられていたことがわかる。青々とした植物は再生を促す力を宿すと考えられていたことからも、青い茅が特に重視されたのかもしれない。茅の輪くぐり神事は、独特の作法がある。まず、茅の輪を正面から入って左へまわり、また正面からくぐって右へまわり、もう一度正面から左にまわってくぐる。要するに、横8の字に3度くぐる。これは夏に流行しがちな悪疫(あくえき)を除けるための呪的な儀礼である。昔から...京都貴船神社・茅の輪くぐり6月25日~30日
桔梗の開花に合わせて、特別拝観を行っています。桃山時代に作庭の枯山水庭園一面を覆う苔と凛と咲く桔梗の花の青や白とのコントラストを愛でていただきます。紫や白の桔梗と緑鮮やかな苔のじゅうたんに雨の雫が光り、大変美しいこの時期・・・。又塀の外側には二度咲きの萩と紫陽花、昼顔が季節のハーモニーを奏でています。天得院は知る人ぞ知る花の名所。二汁五菜の「桔梗膳」も味わえます。杉苔に覆われた枯山水の庭に、春は黄緑色の桜・御衣黄桜、霧島つつじ、さつき、夏は萩、あじさい、桔梗、秋は二度咲きの萩、白彼岸花、紅葉、つわぶき、藤袴、冬は山茶花、椿と、四季折々の花が咲きほこります。6〜7月の桔梗と、11月の紅葉のシーズンは一般公開をしています。小さい庭ではありますが、心静かに庭を眺めていただき、のんびり、ゆっくりとお過ごしください...京都東福寺天得院・桔梗を愛でる特別公開6月8日(金)~7月17日(水)
京都府京都市西京区にある徳川綱吉の生母「桂昌院」にゆかりのあるお寺です。善峰寺は西国33所の20番札所。善峯寺は京都の桜や紅葉の名所として有名ですが、夏は山肌を埋め尽くす「紫陽花」が鑑賞でき、あじさい越しに望める京都市街の風景は癒されます。「白山桜あじさい苑」のエリアは、善峯寺を開いた源算上人が写経のための墨をすったとされる湧き水「白山名水」のあった場所でした。元々眺望が素晴らしい場所でしたが、昭和初期に植えられた杉の木により、眺めが悪くなったため、杉を伐採して桜と紫陽花を植え、花と眺望を味わってもらおうと、今の姿になったそうです。善峯寺は回遊式庭園になっていて、10番目に「白山桜あじさい苑」があります。善峯寺の白山あじさい苑は、高台にあり京都の街が一望できます。京都市街と紫陽花を同時に満喫できるので、撮...京都1万株の紫陽花善峯寺
菅原道真公の誕生日6月25日、命日2月25に因み毎月25日は御縁日(天神さん)として、境内周辺は露天が出店したり、多くの参拝者で賑わっています。一度訪れた方はご存じだとは思いますが、茅の輪くぐりには、決まったくぐり方があります。八の字を描く様にくぐります。また、茅輪をくぐるときの唱え言葉があり、説明には以下のように書いてありました。「一、みな月のなごしの祓い(はらい)する人は千歳(ちとせ)の命のぶるといふなり」「二、思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな」「三、蘇民将来(そみんしょうらい)。蘇民将来。(繰り返して唱ふ)」翌日の大茅輸くぐりに使用される「大茅の輪」の取り付けも、見ごたえがあるとのことです。但し、いくら目の前に立派に取り付けられてもこの輪をくぐるのは、明日(25日)までお預けで...京都北野天満宮・大茅の輪の取り付け25日
叡山電車の始発駅出町柳から鞍馬駅下車鞍馬寺仁王門まで徒歩5分ぐらいかなぁ。入口で鞍馬山の入山料200円を払い私はケーブカーに乗らず未舗装の参道を267m登って行くと由岐神社があります。階段を登って神社から更に歩いて行くと義経公供養塔がありました。ここまで来たら汗がじわっと出て吹く風が心地よいさて本殿まで791mの九十九折り(つづらおり)参道を歩いて行きます。京都の夏のはじまりをつげる祭事といえば鞍馬寺の竹伐り会式。「竹伐り会式」とは、黒い法衣に白袈裟を弁慶かぶりにした僧兵が二手にわかれ、大蛇にみたてた大竹を山刀で伐るという豪壮な会式です。日に日に緑が濃くなっていく鞍馬山中腹に建つ鞍馬寺で、この日「竹伐り会式」が行なわれます。もともとは、蓮の花が咲く旧暦七月に行なわれていたので、「蓮華会」とも呼ばれています...京都鞍馬寺・竹伐り会式20日
梅宮大社は京都市の西部を流れる桂川にほど近い所にある。それほど大きな神社ではないが境内の庭園はなかなかの趣がある。茅葺の家を取囲むように池があり、その池の周辺に花菖蒲が咲き乱れている。梅宮大社のある梅津地域は古来から湿地が多く、杜若などが自生していたそうです。4月上旬から5月中旬にかけては杜若、あやめが見ごろとなります。そして東神苑の咲耶池、北神苑にある勾玉池には5月下旬ごろからハナショウブが咲き始めます。ハナショウブがまた、見事!種類も多彩で江戸系、伊勢系、肥後系と色とりどりに庭園を美しく染めます。群生しているポイントもいくつかありますので、ぜひじっくりと初夏の花を楽しんでください。これだけの規模で咲くハナショウブを見られるスポットは京都でもそうそう多くありません。■アクセス京都市バス【3】・【28】・...京都梅宮大社の花菖蒲
平安の風情を現在に伝える黒木の鳥居に茅の輪が設けれら、他の神社よりも少し早めにくぐることができます。修学旅行生が団体になって、茅の輪をくぐる姿をよく見かけます。野宮神社は平安時代以前、斎王(さいおう)が天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする前に身を清めた神聖な場所です。斎王とは「いつきのひめみこ」ともよばれ、伊勢神宮に遣わされた未婚の天皇の娘(皇女)たちのことです。斎王となる皇女は、まず皇居内で1年あまり心身を清め、野宮神社で3年間のみそぎの後、伊勢神宮に向かいます。みそぎの場所は天皇の即位の度に決められ、この嵯峨野の野宮神社は、平安時代に嵯峨天皇の皇女・仁子内親王(よしこないしんのう)の代より、使用されるようになりました。黒木鳥居と小柴垣当社は、過去に行なわれた斎王制度の面影が残る唯一の神社で、クヌギの木を...京都野宮神社・茅の輪くぐり
京都の東南、伏見の深草にある藤森神社は境内に2つの紫陽花苑を持っています。6月の初夏藤森神社には、オススメの時期があります。それは初夏が見頃の紫陽花(あじさい)の名所だからです。又藤森神社は馬に関するご利益がある神社です。境内には、本殿を始め、神馬像や旗塚や神鎧像などの見所がたくさんあります。藤森無神社『あじさい祭』5月5日の駈馬神事で有名な藤森神社は、紫陽花の名所でもあります。境内の約1/4を占める紫陽花園は紫、青、ピンク等色とりどりの紫陽花が咲き乱れ、幻想的な雰囲気を醸し出します。約20年前に、境内に35種類程のアジサイを植えて「紫陽花苑」が作られ、今や約3500株に。あじさい祭では、献花、献茶、神楽の奉納が行われます。日時:6月15日(※毎年同じ日程です)けまりの奉納:毎年第3日曜13時~水無月大祓...京都初夏の風物誌紫陽花の藤森無神社
ちょっと足を延ばして新緑の美しい6月は京都のあじさい処へ。三千院は、京都市左京区にある天台宗のお寺。京都市の北、大原の自然豊かな場所に存在しています。さつきの花の終わった梅雨時季には「あじさい祭」でにぎわいます。今年のこの暑さで早くも小紫陽花(こあじさい)、かわいらしく咲き始めています。雨をじゅうぶん吸った苔を照らして、まぶしいくらいです。宸殿、往生極楽院と通って、あじさい苑へ。三千院3000株以上のあじさいがあります。一般的なあじさいの他にも「山あじさい」「星あじさい」「蔓あじさい」など様々なあじさいが所狭しと咲き誇っています。散策路沿いでは、大人の背丈程のアジサイも。対照的に、せせらぎの近くではヤマアジサイが小さな花を咲かせます。期間中は全国の高僧による「チャリティー墨跡展」も開かれています。『あじさ...京都初夏の風物誌紫陽花の三千院