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2019/10/29

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  • 京都 法住寺・大護摩供 15日

    あの忠臣蔵の大石良雄も仇討ち成就の祈願を行ったという法住寺。平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれました。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたります。寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされています。この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったそうです。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれています。稚児行列・鬼法楽と続き、天狗を先頭に赤、青、黒の鬼が拍子を合わ...京都法住寺・大護摩供15日

  • 京都 龍馬祭 京都霊山護国神社 15日

    霊山に眠る坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の墓前で、15時30分頃より「龍馬祭」が斎行されます。慶応3年11月15日京都河原町近江屋にて刺客の凶刃に斃れた海援隊々長・坂本龍馬。同日、遭難し、翌16日に亡くなった下僕・藤吉、17日に亡くなった。陸援隊々長・中岡慎太郎。彼らが鎮まる霊山の墓前にて午後3時より龍馬祭を斎行しております。坂本龍馬齢33歳、中岡慎太郎齢30歳、藤吉齢25歳、新しい時代の礎を築きながらも、その大成を見ることなく、志半ばにしてこの世を去った彼らの遺徳を偲び、関係諸団体並びに崇敬者各位のご参列を多数頂戴しております。また、境内では、中岡慎太郎の郷里、高知県安芸郡北川村より軍鶏肉の寄進を受け、両援会、京都高知県人会により、ご参詣の皆さまへ軍鶏鍋が振舞われております。この軍鶏鍋は、坂本龍馬、中岡慎太...京都龍馬祭京都霊山護国神社15日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 白龍園 NO.104

    今回ご紹介するのは、じっくりと紅葉を楽しめる京都の極秘スポット、その名は「白龍園」。恐らくご存じない方も多いと思います。京都市内から洛北・鞍馬へと通じる鞍馬街道沿いにある「白龍園」は、京都市内に本社を置く子供服メーカーの青野株式会社が所有する庭園なのです。創業者である青野正一氏によって約50年前に開かれた後、山の整地、石組み、あずまやの建設など、全て社員家族の手により施工され、現在のような素晴らしい日本庭園となりました。「白龍園」は長らく一般には公開されてきませんでしたが、2012年秋に1日100人の限定条件付で、初めて一般公開されました。白龍園の素晴らしさと人数制限の秘密、それはずばり苔にあります。通常、ここまで苔が広範囲に渡って生えることは珍しく、隙間なく辺り一面を覆っているという状態はなかなかありま...京都紅葉100シリーズ寺社白龍園NO.104

  • 京都 新日吉神宮・火焚祭 14日

    平安時代末期から宮中の御産祈願に行われたという里神楽や湯立て神楽などが奉納されます。金物の神と知られる古社では、平安中期刀匠三条小鍛冶六郎宗近がこの地に「ふいご」を築き、祭神の神力を受けた3人の童の助けで名剣「小狐丸」(こぎつねまる)を鍛えたとの故事にちなみ、火焚串を美しい「ふいご」の形に積み上げ、火の勢いが衰えた頃ミカンを投げ入れます。焚かれたミカンは中風封じや風邪薬の効能があるとか。農耕に鉄器が不可欠であったことから稲荷の神を勧請し、五穀豊穣を祈るお祭です。火焚串奉納者には「おひたき(ミカン、まんじゅう、おこし)」がお下がりとしていただけます。遠方からの参詣も多く、大変にぎわう一日。雨天決行。■場所:新日吉神宮■期間:11月14日(※毎年同じ日程です)■時間:14時~■アクセス:市バス206・208「...京都新日吉神宮・火焚祭14日

  • 京都 光勝寺極楽院 空也開山忌 10日

    京都市中京区に光勝寺極楽院というお寺が建っています。天台宗開祖・空也上人を偲んで法要が営まれ、歓喜踊躍念仏と重要無形民俗文化財の芸能六斎念仏が奉納されます。阿弥陀聖とも呼ばれた空也は平安中期、西光寺(後の六波羅蜜寺)で972年9月11日に没しましたが、晩年修行のため空也堂から東国へ発つ際に、出寺の11月13日を忌日とするよう言い遺したと言われます。午前中空也が悪疫退散に供した皇福茶(大福茶)の献茶式、午後から本堂で歓喜踊躍念仏(かんきゆやくねんぶつ)と六斎念仏焼香式が行われます。ゆかりの品々も床の間に展示されます。毎年11月の第2日曜日に、空也上人を偲んで開山忌(空也忌)の法要が営まれます。王服(おうぶく)茶の献茶式の後、空也僧による歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏と重要無形民俗文化財の六斎(ろくさい)念仏焼...京都光勝寺極楽院空也開山忌10日

  • 京都 紅葉100シリーズ大原散策 NO.104

    高野川に沿って鯖街道と呼ばれた若狭街道が走っています。京都市中から北へおよそ12キロ。比叡山への入口である八瀬を通り抜け、山に挟まれた谷間の道を走ると、やがて比叡山麓の小さな盆地に辿り着きます。のどかな田園風景が広がる大原です。どこからか頭に柴をのせ、都まで行商に出かける大原女と出会いそうな錯覚にとらわれます。春には野道に石楠花が咲き、霧島躑躅(きりしまつつじ)が鮮やかな花をつけ、夏には青田に挟まれて紫色の紫蘇畑が大原の里に彩りを添えます。大原バス停から三千院への参道を呂川に沿って上っていくとしば漬け屋や雑貨の店が軒を連ねています。秋になると参道の木々は紅葉に染まり、落葉を踏みしめて隠れ里を訪れた往時の人々への郷愁を誘います。参道が尽きる辺りに魚山橋があります。左に曲がると、そこが桜の馬場と呼ばれる三千院...京都紅葉100シリーズ大原散策NO.104

  • 京都 太夫、優雅に舞う夕霧祭 清凉寺 9日

    京都の嵯峨で生まれたと伝わる夕霧太夫は大坂の新町で人気となり、その美貌と技芸から島原の吉野太夫、吉原の高尾太夫と並んで寛永三名妓と呼ばれた。同祭は、和菓子「夕霧」を販売する井筒八ッ橋本舗(右京区)が、夕霧太夫の墓がある同寺で行っております。音曲、舞踊、茶、花、和歌などあらゆる技芸に通じ、さらにその美貌で江戸の高尾、京の吉野と並び人気を集めた大阪の名妓・夕霧太夫。近松門左衛門の「夕霧七年忌」のモデルにもなったほどの名妓です。今日は島原の太夫を招いて本堂で法要を行い、その後太夫は禿(かむろ)を従え、墓地まで道中し、花を供えてお参りをします。また、霊宝館の秋季特別公開も開催されており、国宝の本尊釈迦如来像胎内納品や阿弥陀三尊像などを見ることができます。夕霧とは夕霧太夫の本名は「照」、江戸初期の延宝6年(1678...京都太夫、優雅に舞う夕霧祭清凉寺9日

  • 京都 紅葉100シリーズ 東福寺 (龍吟庵) NO.102

    東福寺は東山月輪山の山麓にあり、臨済宗東福寺派の本山。東福寺の主要伽藍の東北、本坊庫裏の背後から偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面に位置する。東福寺第三世住持、無関普門(大明国師)の住居跡で、東福寺塔頭の第一位に置かれている。毎年11月に一般公開。元々この地には藤原氏氏寺の法性寺があった。平安中期の延長年間(923-31)に左大臣藤原忠平によって創建された。鎌倉中期の1236(嘉禎2)年に九条兼実の孫の摂政関白九条道家も先例にならって、法性寺の境内に釈迦堂を建立しようとしたが、それが発展して東福寺の創建となり、法性寺はその中に吸収された。1243(寛元元)年には円爾弁円を開山として境内に普門寺(現普門院)を建立し、円爾の常在所とした。東福寺龍吟庵は東福寺の塔頭で、1291(正応4)年に東福寺第三世住持の...京都紅葉100シリーズ東福寺(龍吟庵)NO.102

  • 京都 お火焚祭 伏見稲荷大社 8日

    火焚祭とは今年一年間の収穫に感謝する行事で、伏見稲荷大社のものは全国一のスケール。立ち上る炎に圧倒されます。本殿の儀のあと、火焚きの儀が行わます。本殿裏手の斎場に3基の火床を設け、神田でとれた稲のわらを燃やし、恵みをもたらしてくれた神を山に送ります。その際、全国から寄せられた約10万本の願い事が書かれた火焚き串を焚き、神楽女の神楽舞が行われます。特に後半が見所。雨天決行。御神楽は古の鎮魂祭に基づく神事。孝明天皇の時代に、禁裏御所の特別の思召しで再興されました。薄暗い境内の庭燎(にわび)の中で、本歌・末歌・和琴・笛・ひちりきが奏でられ、早韓神が歌われるなか「人長舞」が舞われます。■場所:伏見稲荷大社(伏見区深草)■期間:11月8日(※毎年同じ日程です)■時間:本殿の儀:13時~、火焚神事:14時~■御神楽(...京都お火焚祭伏見稲荷大社8日

  • 京都 紅葉100シリーズ 天授庵(南禅寺の塔頭) NO.101

    紅葉カエデに映る池泉回遊式庭園臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭である。暦応2年(1339年)に虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立。戦国時代には衰退したが,慶長7年(1602年)に武将だが歌人としても知られる細川幽斎により再興された。細川幽斎により再興された柿皮葺屋根の建物で、内部は長谷川等伯筆の障壁画で飾られている。障壁画(長谷川等伯筆)(重要文化財)禅宗祖師図-禅の教えを表現した禅機図を等伯晩年の簡略化された筆遣いで描いたもので、等伯独特の人物表現がみられる。商山四皓図(しょうざんしこうず)-中国秦末の国難を避けて商山の山中に隠棲した4人の高士が従者を伴い,ロバに乗る姿を描いたもので、大徳寺・真珠庵にも同じ画題の障壁画を描いている。庭園方丈前庭(東庭)白砂の庭を...京都紅葉100シリーズ天授庵(南禅寺の塔頭)NO.101

  • 京都 貴船神社・御火焚祭・もみじ祭り 7日

    京の奥座敷」として親しまれている貴船は、市内よりも気温が低いため、一足早く紅葉が見られる。貴船神社は鴨川の源流、貴船川沿いに参道が続く古社で、11月上旬には参道の階段や本殿周辺が紅葉に包まれ、多くの参拝客の目を楽しませる。この時季、京都では多くの神社仏閣で御火焚神事がおこなわれる。水や火の恵みに感謝し、火の霊力によって罪穢れを祓い清めて、神様の蘇りと皆様の氣力再生を祈願します。まず本殿で、ロクロヒキリと呼ばれる古来からの火をおこす道具で神聖な火をおこし、境内斎場の約1万本の火焚き串を円柱に汲み上げた護摩壇が築かれ、神官の祝詞が奉上された後、点火されます。御火焚竈貴船神社の「御火焚竈」は、他の社寺では見られない特殊な形をしている。直径約2メートル、高さ約1.5メートル。中心部は空洞になっており、上方に丸みを...京都貴船神社・御火焚祭・もみじ祭り7日

  • 京都 松尾大社 上卯祭 11日

    古来より、卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしがあり、お酒造りにかかわる祭りの日取りもこうした昔からの慣習によるものであるとされています。稲刈りが終わり新米ができる秋、つまりお酒造りの始まる季節、毎年11月上の卯の日に執り行われる醸造安全祈願のお祭りが『上卯祭』で、このお祭りでは全国の和洋酒、味噌、醤油、酢等の醸造業はもとより、卸小売の人々も参集し、盛大に醸造安全を祈願し、守札としての大木札(だいもくさつ)を受けて持ち帰り、各々の蔵に奉斎し、お酒造りをはじめる慣わしとなっております。また年明けて、春を迎え、4月の中の「酉の日」には、醸造完了を感謝する『中酉祭』(ちゅうゆうさい)が執り行われます。また当社では、千歳講という明治時代からの講が...京都松尾大社上卯祭11日

  • 京都紅葉100シリーズ 京都御所 NO.100

    京都御所は、延暦13年(794年)に桓武天皇が都を平安京に遷した際に、今のJR二条駅の北側一帯に造営した大内裏(だいだいり)の中に造られた天皇の住まいである内裏が始まり。遷都後は、幾度となく火災に遭い、そのたびに天皇は摂関家の邸宅などを里内裏(仮皇居)として利用していた。平安時代後期になると里内裏が通例化し、大内裏の諸施設の利用頻度は減少する。その後、安貞元年(1227年)に火災で内裏が焼失したが、再建されなかった。現在の京都御所は、正元元年(1259年)に皇居閑院が焼失した際、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と呼ばれた里内裏を改築したもので、元弘元年(1331年)に光厳天皇(こうごんてんのう)がこの地で即位して以降、明治2年(1869年)まで皇居とされた。なお、現在の建物の多くは安政2年...京都紅葉100シリーズ京都御所NO.100

  • 京都 十日十夜別時念仏会 真如堂 5日~15日

    足利幕府の時代、伊勢の守貞国が真如堂で三日三夜念仏を唱え出家を決意しました。ところが、「あと3日待て」とのお告げ。思いとどまると家督相続の命が下ったのです。もし出家していたら家は絶えていたところ。そのことに感謝し、さらに七日七夜念仏を唱えました。十日十夜念仏を唱和すると極楽往生がかなうとされ、真如堂が十夜念仏の根本道場となったのです。十日十夜鉦が打ちならされ念仏が唱和されます。結願法要15日には練り法要も営まれ、年に一度の本尊阿弥陀仏が開帳され、小豆粥の接待(有料)もあります。一説によると、粥を「おじや」というのは「おじゅうや」がなまったものだとも?■場所:真如堂■期間:11/5~/15(※毎年同じ日程です)■時間:9~16時■料金:小豆粥の接待:有料■アクセス:市バス5「真如堂前」■お問合せ:075-7...京都十日十夜別時念仏会真如堂5日~15日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 天竜寺宝厳院 NO.99

    大亀山宝厳院(だいきざんほうごんいん)は、臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭寺院です。室町時代に細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。ご本尊は十一面観音菩薩、脇物には三十三体の観音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三ヶ所巡りに等しいと伝えられています。また、庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭されています。嵐山を借景として巧みに取り入れ、また「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園です。宝厳院の歴史宝厳院は、寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。創建時は、現在の京都市上京区の位置にあり、広...京都紅葉100シリーズ寺社天竜寺宝厳院NO.99

  • 京都 神泉苑(しんせんえん)・大念仏狂言 2日 3日

    今回のご紹介は二条城の南側に位置する神泉苑(しんせんえん)。神泉苑の場所は、二条城の道を挟んだ目の前。平安時代の貴族に親しまれ、そして祇園祭の発祥の地でもある寺院、神泉苑を紹介します。苑内は大池、泉、森林など緑豊かな景色が広がり、市内にあるとは思えないほどの立派な庭園です。壬生狂言の流れをくむ京都市無形民俗文化財。鉦や太鼓・笛に合わせて演じる仮面舞踏劇です。ここは古くから歴代天皇の御遊地。869年、疫病退散の神事・御霊会(祇園祭の起源)が行われた修法場としても有名です。屋根付きの椅子席で気軽に鑑賞できます。善女龍王(ぜんにょりゅうおう)伝説そんな歴史の古い神泉苑がなにゆえパワースポットして有名なのかというと、その池には古来より龍神が棲むという龍神伝説が伝わる神社だからです。その龍の名を「善女龍王(ぜんにょ...京都神泉苑(しんせんえん)・大念仏狂言2日3日

  • 京都 紅葉100シリーズ 大原 お寺・史跡散策 NO.98

    阿波の内侍の墓大きさ30センチ余りの五輪の塔三基と宝筐印塔一基が青苔に埋もれ昔のままの姿で並んでいる。建礼門院に仕えた女房大納言佐局、佐部卿局、阿波内侍、右京大夫の墓といわれている。建礼門院陵大原西陵ともいい、寂光院の上にある。東に面して円土の上に五輪の石塔と小さな石灯篭があり、石に玉垣をめぐらし、階段を設けて造られている。門院は建保元年に死去され、このところに葬られた。おぼろの清水寂光院に通ずる近道の右側、灌木の下にある小さな池である。朧とは、春の季節の月光の意味で、建礼門院が京都からはるばる寂光院へお越しの道すがら、この清水のあたりで日が暮れて、自身のお姿が月光によってこの水溜りにおぼろに写ったと言われている。落合の滝焼杉谷川と西田谷川が合流する地点にある滝で、建礼門院の御歌「ころころと小石流るる谷川...京都紅葉100シリーズ大原お寺・史跡散策NO.98

  • 京都 狸谷不動尊秋祭 3日

    狸谷山不動院は、京都市左京区にある山寺です。秋まつり・おつながり参拝が行われます。おつながり参拝とは、どのような行事なのでしょう。狸谷山不動院の本堂の奥に鎮座するお不動様。平安京が桓武天皇によって東西南北の魔界封じがされていたことはご存じでしょうか。その東北の鬼門を鎮護するよう祀られたのが狸谷山不動院です。本尊は悪鬼退散に霊験あらたかなタヌキ(当て字で「咤怒鬼」と書くのですね、これが)不動明王。立教開山にちなむ秋季大祭で、山伏・稚児らによる山内お練り行列のほか、山伏による柴灯大護摩供が行われ、参拝者の鞄・財布・衣類などを護摩の炎で加持してくれます。狸谷山不動院の秋まつりの大きな流れは以下の通りです。山伏の行列出発10時30に、狸谷山自動車祈祷殿を山伏の行列が出発。白龍弁財天・光明殿などを経て、本堂へと向か...京都狸谷不動尊秋祭3日

  • 京都 紅葉100シリーズ 植物園 NO.97

    京都の紅葉といえば嵐山や高雄などの神社仏閣が人気ですが、意外に知られていないおすすめの紅葉スポットが京都市左京区にある京都府立植物園です。京都府立植物園は大正13年(1924年)に開園した日本最古の公立植物園で、約24haの広大な敷地に約12,000種類の植物が植栽・展示されています。植物園のたくさんある紅葉スポットのひとつ目が正門までの約250メートルのケヤキ並木です。真赤な紅葉のじゅうたんを歩いて植物園の正門へと向かいます。紅葉の時期は駐車場街の車で渋滞になりますが、順番を待ちながらも紅葉を楽しむことができます。ケヤキ並木は紅葉も素敵ですが、初夏の新緑もおすすめです。広大な園内には約1万2000種類の植物が植栽・展示されており、四季折々に美しい。植物園北側には自然林を残した「なからぎの森」があり、山城...京都紅葉100シリーズ植物園NO.97

  • 京都 祇園をどり 1日~10日

    祇園をどりがスタートです。祇園をどりは京都五花街の一つ、祇園東が毎年秋に行う舞妓・芸妓による舞踏公演で、1952年に初めての公演が行われて以降、毎年11月に開催されており、今年で60回の節目を迎えます。京都の祇園には、祇園東の他に祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒と5つの花街があり、それぞれ”をどり”が行われていますが、祇園をどりは毎年テーマを変えて公演を行なっており、翌年には全く新しい舞踏が見られるのが魅力の一つ。2016年は『「歓無極園賑」?祇園祭ねり物をふたたび?』という名称のとおり、ねり物が一つのテーマでした。※ねり物とは、祇園祭の神輿洗いの日に芸妓が仮装して町を練り歩いた行事で、1960年を最後に途絶えています。京都らしい上品な舞台ですが、内容は決して取っつきにくいものではなく、源義経と武蔵坊弁慶...京都祇園をどり1日~10日

  • 京都 紅葉100シリーズ 高台寺の塔頭・圓徳院 NO.96

    1605(慶長10)年に北政所ねね(高台院)の甥、木下利房が、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を移築したのが始まり。ねねが没するまでの19年間をこの地で過ごした。高台院を慕って、徳川家康をはじめとする大名、高僧、茶人、歌人、画家が足繁く訪れた場所でもある。とくに家康との縁は深く、関ヶ原の合戦前の諸大名の駆け引きの際には大きな影響を与え、関ヶ原の合戦に大きな影響を与えた。ねねの没後9年目の1632(寛永9)年に高台寺の三江和尚を招いて、木下家の菩提寺となり、高台寺の塔頭となった。現存する方丈は、木下家が圓徳院に客殿として建立したもの。桃山時代の雰囲気を残す枯山水の北庭(国の名勝)や方丈にある長谷川等伯の襖絵(国の重文)は、特別公開時に観賞できる。特別公開時以外に観賞したい場合は電話または葉書で予約を...京都紅葉100シリーズ高台寺の塔頭・圓徳院NO.96

  • 京都 亥子祭 護王神社 1日

    護王神社は、京都市上京区にあります。亥子祭が、秋に行われる神社です。「イノシシの神社」として有名です。狛猪をはじめ、全国から奉納された多数のイノシシの土鈴や置物、色紙、剥製などが置かれています。護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地で...京都亥子祭護王神社1日

  • 京都紅葉100シリーズ 修学院離宮 NO.95

    修学院離宮を参観希望の場合、桂離宮と同様に宮内庁に申し込みが必要です。参観許可証がなければ、中にはいることができません。門の中に、待合室があり、参観者は集合時間まで中で待機します。修学院離宮の敷地は広大です。この出入り口や待合室がある場所は、まだ庭園の外なのです。京都市街地の北東部、比叡山麓にある、壮大な別荘庭園です。江戸時代初期に、後水尾上皇が自ら設計し、渓流をせきとめて池をつくり、舟遊びを楽しみました。写真の「紅葉谷」は、ひときわ紅葉の色づきが美しく、言葉を失うほどの絶景です。下御茶屋→中御茶屋→上御茶屋と順番に回っていきます。上離宮・隣雲亭前から浴龍池を望む。絶景かな!絶景かな!思わず叫びたくなる。・名称:修学院離宮(※見学要予約)・住所:京都府京都市左京区修学院藪添・アクセス:[叡山電鉄]修学院駅...京都紅葉100シリーズ修学院離宮NO.95

  • 錦秋の二条城~二条城まつり~10月25日(金)~12月8日(日)

    世界遺産・二条城では、秋の爽やかな空の下、より多くの市民や観光客の皆様に二条城の魅力に触れていただくため、「二条城まつり2023」を開催します。昼間は、城内を巡って二条城について学ぶ「二条城クイズラリー」、書・京こま・万華鏡などの文化体験企画、二の丸御殿障壁画の原画公開、小笠原流弓馬術の特別披露、京都ならではの名産品を揃える店舗が集う「京の名産品展」などの催しを行います。夜間は、「NAKEDFLOWERS2023秋世界遺産・二条城」を開催し、紅葉のライトアップとプロジェクションマッピング、華道家元池坊のいけばな作品とのコラボレーションで、昼とは異なる趣きを見せる夜の二条城を演出します。是非、二条城にお越しください。■場所:元離宮二条城■期間:2024年10月25日(金)~12月8日(日)■時間:入城時間:...錦秋の二条城~二条城まつり~10月25日(金)~12月8日(日)

  • 京都 紅葉100シリーズ 嵐山周辺 NO.94

    今回は京都の紅葉の名所の中でも人気の高い嵐山です。嵐山の全体が真っ赤に彩をます景色は圧倒的な自然の造形美に感嘆の声を上げる人で溢れる。赤や黄の錦に染まった嵐山を背景に、曲線の美しい渡月橋がかかる風景はあまりに有名。渡月橋から嵐山、嵯峨野と見どころ一杯の嵐山周辺です。1.見どころ満載、じっくり見ると一日かかります。2.竹林を廻る時は天龍寺を抜けていきましょう。3.範囲も広く人も多いので午前中からの観光がおすすめ。嵐山公園・渡月橋徒歩天龍寺徒歩野宮神社徒歩常寂光院徒歩二尊院徒歩清涼寺(嵯峨釈迦堂)徒歩愛宕念仏寺寄り道化野念仏寺交通アクセス【電車】JR嵯峨嵐山駅から徒歩約10分、京福嵐山線嵐山駅下車または阪急嵐山線嵐山駅下駐車場有料お問合せ075-343-0548京都総合観光案内所詳しくは:http://www...京都紅葉100シリーズ嵐山周辺NO.94

  • 京都 秋の古本まつり 知恩寺 10月31日~ 11月4日

    毎年恒例になった知恩寺の「古本まつり」。京都古書研究会主催が守勢されているイベントです、京都市左京区百万遍の知恩寺で開催されます。陳列される古書は約20万冊で、屋外での古書即売会としては西日本で最古、最大の規模だそうです。午前10:00から午後5:00まで開催しています。書物に感謝する、全国唯一の古本供養。児童書コーナーや百円均一コーナーも設けられます。京都古書研究会が開催しており、本の数は約20万冊にも。宅配も有料でできるので、たっぷりお得本を手に入れて読書の秋を堪能するとしましょうか。小雨決行です。■場所:知恩寺■期間:2024年10/31(木)~11/4(月)※初日には古本供養があります■時間:古本供養:9時半~10~17時■アクセス:市バス206「百万遍」または京阪「出町柳」駅より徒歩10分■お問...京都秋の古本まつり知恩寺10月31日~11月4日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 光明院 NO.93

    京都の隠れた紅葉名所、そっと訪ねる錦秋の風景。一度は見てみたい京都の紅葉の代表格ですが、混雑は必至。東福寺の紅葉をもうちょっとゆっくり見てみたいという方におススメするのが東福寺の境外塔頭「光明院」です。東福寺紅葉の穴場「光明院」少しゆっくり紅葉を眺めれます。東福寺塔頭寺院の光明院(こうみょういん)明徳2年(1391年)金山明昶により開創された。方丈前の庭園は重森三玲氏が作庭された、池泉式の枯山水庭園。州浜型の枯池に三尊石組を配した庭園は「波心庭」と呼ばれている。緑の苔が美しい光明院さんは、「虹の苔寺」として親しまれている。庭園の背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込まれている。雲の上に茶亭「蘿月庵(らげつあん)」がある。「羅月庵」は、「雲ハ嶺上ニ生ズルコトナク、月ハ波心ニ落ツルコト有り」という禅語に...京都紅葉100シリーズ寺社光明院NO.93

  • 京都 大覚寺 嵯峨菊展 11月1日~30日

    大覚寺(だいかくじ)は真言宗・大覚寺派の大本山。多くの観光スポットが集まる嵐山・嵯峨野エリアの端っこにあります。そんな大覚寺は旧嵯峨御所と呼ばれ、京都に多い皇室ゆかりの門跡寺院の一つ。茶筅を立てたような可憐な姿の嵯峨菊が600鉢も勢ぞろいする姿は見事なもの。江戸期に品種の改良が進んだ古典菊の一種で、全国から多くのファンが集います。京都で11月といえばやはり紅葉がメインで花は乏しい季節。そんな中、大覚寺では11月の一か月間「嵯峨菊展」を開催、旧嵯峨御所と呼ばれる大覚寺ならではの王朝の菊に例年多くの観光客が訪れます。旧嵯峨御所大覚寺には、嵯峨天皇が菊を手折られて殿中の瓶にいけられたところ、その菊に自ずと天地人三才の姿が備わっていた事に感動され、「爾今花を賞ずる者はこれを範とすべし」と仰せになられた事が寺伝とし...京都大覚寺嵯峨菊展11月1日~30日

  • 京都 紅葉100シリーズ 青蓮院門跡 NO.92

    以前から一度訪れてみたかった青蓮院のライトアップ。青い光に癒される「青蓮院門跡」と京都の街の夜景を一望できる「将軍塚」を廻る夜のお散歩コースです。秋から冬にかけては12月下旬までの期間限定で、夜間特別公開を行っています。皇室と縁のある格式高い青蓮院門跡へ秋の紅葉を楽しまれてはいかがでしょうか。また、毎年春と秋に、夜の特別拝観、熾盛光如来の「光」をあらわすライトアップを開催しています。青蓮院門跡の本堂へ向かうと、最初に門前にある26.1mの大木を目にします。境内には池泉回遊式の庭園があり、紅葉が美しく色付いていて多くの人々を魅了します。なかでも、小御所と池を隔てたところに色づく「立田山の楓」の美しさは有名です。別名「栗田御所」と呼ばれ、青蓮院旧仮御所として国の史跡に指定されています。また、高台からは京都市内...京都紅葉100シリーズ青蓮院門跡NO.92

  • 京都 魚山大原寺 寂源上人 勝林院

    梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)のふるさと・洛北大原にある魚山勝林院。梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽のこと。この記念法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、天台宗以外の多くの宗派も出仕して法要を執り行い、勝林院本堂を中心に繰り広げます。梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽です。その起源は古代インドに求められ、中央アジアを経て中国に伝えられ、そして仏教伝来とともに日本へも伝えられました。平安時代初め、第三代天台座主・慈覚大師円仁は唐へ留学した折、多くの声明曲を日本へ持ち帰りました。それが今日天台宗に伝えられる魚山流声明です。魚山流の声明は鎌倉時代以降、日本仏教の各宗派に伝えられました。そして日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしたの...京都魚山大原寺寂源上人勝林院

  • 京都 紅葉100シリーズ 八瀬大原 瑠璃光院 NO.91

    ここ「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛されてきました。本願寺歴代門跡もしばしば訪れたと記録に著され、明治の元勲三条実美公は、当時の庵に「喜鶴亭」と名付けて直筆の命名額を下されています。その後、大正末から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延二四〇坪に及ぶ数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景とした名庭を造営。建築にあたった棟梁は、京数寄屋造りの名人と称された中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられます。その後現在まで、日本情緒あふれる名建築・名庭として多くの人々に親しまれ、囲碁本因坊位の対戦場となったことなどが知られております。そして今、文化財の保護...京都紅葉100シリーズ八瀬大原瑠璃光院NO.91

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 浄蓮華院(じょうれんげいん)NO.90

    今回は大原は、京都の比叡山のふもとにあり、三千院をはじめとする名刹がある人気スポットです。紅葉の季節は観光客で大賑わです、三千院の少し山寄りにある浄蓮華院というお寺を紹介します。苔の庭園がひときわ美しく、“東洋の宝石箱”と賞賛されています。少し奥深い場所で、紅葉に心がなごむ人気のパワースポットです。浄蓮華院に宿泊させていただくことができます。朝のお勤めお勤めや法話に参加させてもらえるほかには、座禅、写経なども希望すれば体験させてもらえることが出来るそうです。浄蓮華院は、文政四(1821)年、比叡山の僧尭覚(ぎょうかく)上人により、桓武天皇菩提のために建立された寺院です。祀(まつ)られている桓武天皇の肖像画は、比叡山からもたらされたと伝えられています。また、本堂裏の円墳は谷口古墳と呼ばれ、江戸時代から桓武天...京都紅葉100シリーズ寺社浄蓮華院(じょうれんげいん)NO.90

  • 京都 紅葉100シリーズ 祇園白川 NO.89

    今日は京都祇園白川周辺を紅葉散歩してみます。祇園は日本を代表する芸能の街ですが、祇園の中ほどに白川の清流が流れています。白川の流れは比叡山の山麓北白川付近(比叡山山麓北白川付近地図はこちら)を水源としています。清流として知られる白川は銀閣寺前町で琵琶湖疏水と立体交差して白川通りに出て、京都府立動物園近くの琵琶湖疏水記念館(琵琶湖疏水記念館付近地図はこちら)で再び琵琶湖疏水と合流します。白川沿いをゆっくり散策すると連日カメラを手にした外人さんの「舞妓はん」「芸妓はん」への追っかけが出るほどです。白川巽橋付近は祇園白川の中心部です。辰巳大明神には舞妓はんや芸妓はんもお参りに来ます。夕方頃から夜の観光スポットにもなります。京都祇園白川紅葉散歩しましたが、紅葉散歩を楽しんでもらえたでしょうか?白川の流れに沿って祇...京都紅葉100シリーズ祇園白川NO.89

  • 京都 紅葉100シリーズ トロッコ列車と保津川下り NO.88

    はじまりは江戸時代初期、木材、薪炭など丹波地方の産物を京の都へ送るために産業水路として、角倉了以が開いたもので、約400年もの歴史があります。角倉了以(1554-1614)は大堰川、富士川、天竜川、高瀬川、など多くの河川の開発工事を行った町衆。中でも京都と伏見を結ぶ高瀬川を掘ったことは有名。多くの事業にたずさわり、朱印による海外貿易もおこなった人物。渡月橋より上流へ約1キロの山の中腹にある大悲閣(千光院)は、了以が保津川の工事で犠牲になった人々の霊を弔うため創建した寺で、晩年をここで過ごした。今は了以の木像が保津川を見守っている。保津川下りは、亀岡から京都の嵐山までの約16キロメートルの渓流を下る舟下りです。熟練した船頭が棹、舵、櫂で操り、岩の間をすり抜けてゆきます。通常は船頭は3人ですが、風、水量によっ...京都紅葉100シリーズトロッコ列車と保津川下りNO.88

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 地蔵院(竹の寺)NO.87

    今日は嵐山に近い西京区衣笠山の竹の寺を散策。山門をくぐったところは、うっそうとした竹林が道の両側を覆っていて、昼間でも薄暗く感じるほどです。竹の寺と呼ばれるゆえんです。秋に紅葉する樹木は多くはないから、緑の竹林の中に、わずかな紅葉というのは、これはこれでとても癒してくれる。寺の奥の庭園にも、秋と言うのに紅葉する樹木がほとんどありません。庭を彩る要素は多いのに、不思議とバランスよくまとまって心落ち着かせてくれる庭園。季節ごとに味わい深い楓(かえで)、足元に広がる苔の絨毯(じゅうたん)、そして境内を覆う圧巻の竹林~ここは、360°の緑と仏様の慈悲と竹の精気に包まれるパワースポットです。心と身体をリセットしに、どうぞお参りください。地蔵院は竹林の美しさで知られる臨済宗の寺院です。幼少のころ近くに生家があった一休...京都紅葉100シリーズ寺社地蔵院(竹の寺)NO.87

  • 京都紅葉100シリーズ 嵯峨野のお寺宝筐院 NO.86

    宝筐院(ほうきょういん)宝筐院は、京都嵯峨野にあるお寺です。紅葉の美しさに定評のあるこのお寺は、雑誌や書籍に幾度となく掲載されており、庭園の写真がジグソーパズルやカレンダーに使用されることもよくあります。また、秋の紅葉シーズン以外でも、四季折々の花が咲き、風情ある庭園が楽しめます。宝筐院は、平安時代に白河天皇(1053~1129)の勅願寺として建てられました。しかし、当時から「宝筐院」と呼ばれていたわけではなく、元々は「善入寺」と名付けられていました。平安の末から鎌倉時代にかけては、数代にわたり皇族が入寺して住持となりました。南北朝時代になり、貞和年間(1345~50)から夢窓国師の高弟の黙庵周禅師が入寺し、衰退していた寺を復興させ、中興開山となりました。そして、この善入寺にあって門弟の教化を盛んにし、こ...京都紅葉100シリーズ嵯峨野のお寺宝筐院NO.86

  • 京都 紅葉100シリーズ 龍安寺(りょうあんじ)NO.85

    京都を代表する観光名所として知られているのが、龍安寺です。ユネスコ世界遺産にも登録されており、国内だけでなく、海外からも多くの観光客が訪れることで知られています。総門をくぐると、左手に鏡容池。ひろやかな水面に、紅のもみじがうつりこんでいます。錦秋の境内には、楓が400本。ゆっくり散策して方丈に入ると、有名な石庭ごしにも色づいたもみじを発見します。臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。「龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で著名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である...京都紅葉100シリーズ龍安寺(りょうあんじ)NO.85

  • 京都 紅葉100シリーズ 美しさを争う竹林宝泉院 NO.84

    今日は彩をます宝泉院へ山里に広がるのどかな風景が広がる京都の「大原エリア」。京都から北東に位置し、京都駅からはバスで約1時間で行くことができます。やはり宝泉院の紅葉の見ごろの時期は境内は大変混雑中。宝泉院の紅葉は、額縁庭園や鶴亀庭園の色づく様子が美しいと人気です。宝泉院の紅葉は、やはり庭がメインのなると思います。秋の額縁の庭園は一見の価値あり。額縁庭園の正式名称は、盤桓園。盤桓とは、その場に留まってあちこち歩き回る事と立ち去りがたい庭という意味です。宝泉院関の門を入るとまず圧倒される五葉松。近江富士を模ったその大木は、樹齢なんと700年にも及びます。玄関のほうから見ると家屋が隠れてしまう程の大きさです。ここ宝泉院は古来より勝林院の住職の坊としての建物。従って、座敷も非常につましく、華美な調度品もありません...京都紅葉100シリーズ美しさを争う竹林宝泉院NO.84

  • 京都 北野天満宮 余香祭 29日

    御祭神菅原道真公が右大臣のとき、清涼殿の重陽の宴に召され詩を詠まれ、御衣を賜ったことを、一年後大宰府で追想して詩を作られた旧儀による。菅原道真公は、右大臣の位にあった昌泰3年(900年)9月醍醐天皇より清涼殿に於ける「重陽の宴」に召され詩を詠まれた。帝は菅公の詩にいたく感銘され、着衣を授けられた。一年後配流地の大宰府でその栄華を追想され、有名な「去年の今夜」にはじまる[重陽後一日]の詩篇を作られたのに因み、大正8年10月29日(往時の9月9日を新暦に換算)に、久しく絶えていた旧儀を余香祭と名付け再興し、以後毎年10月29日に行うようになる。毎年兼題を決めて全国より集まる数百首の献詠を濱崎加奈子氏の選により、京都在住の旧堂上方現在は「向陽会」の人々によって綾小路流にて献詠歌披講式を行う。当日のお供えものには...京都北野天満宮余香祭29日

  • 京都 紅葉100シリーズ 等持院 NO.83

    今回は紅葉と庭と美しい等持院の庭の散策。立命館大学の衣笠キャンパスのちょうど裏にあるお寺で、1341年足利尊氏が開山し、その2年後の1343年に現在の場所に移された。彼の死後、足利家を弔う菩提寺となった由緒正しいところ。庭園には足利尊氏のものと言われる墓もある。等持院の庭は東の池の庭園と西の池の庭園に分かれている。東の池は心字池(しんじち)と呼ばれる。心字池とは、「心」の草書体の字をかたどった池のこと。ゆっくりと庭園や池を歩くだけで何か心を癒してくれる。等持院(とうじいん)山号:万年山臨済宗天龍寺派足利将軍家の菩提寺。もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(興国2年・1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、三条高倉の等持寺の別院とした。延文3年(正平13年・1358)尊氏の死後、その墓...京都紅葉100シリーズ等持院NO.83

  • 京都 紅葉100シリーズ 東福寺 NO.82

    東山月輪山麓、渓谷美を抱く広々とした寺域に、由緒ある大伽藍が勇壮に甍をならべ佇む....東福寺の名は、「洪基を東大に亜(つ)ぎ、盛業を興福に取る」と、奈良の二大寺にちなんで名付けられました。諸堂の完成は1271(文永8)年。以来、京都五山文化の一角を担う禅林・巨刹です。11月下旬、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる楓の雲海が赤くきれいに色づいています。通天橋の上から眺めれば、まさに天にいる心地。聖一禅師が宋より持ち帰った唐楓など、現在は約2千本といわれています。東福寺の紅葉は、種類と多さと、通天橋からの眺めの良さで、数ある京都の「もみじ」名所の中でも筆頭格にあげられています。毎年みごとな紅葉が見られ、11月中旬から下旬にかけては人出も最高潮に達します。摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比...京都紅葉100シリーズ東福寺NO.82

  • 京都 青蓮院・秋期大法要 熾盛光法(しじょうこうぼう) 23日

    青蓮院・秋期大法要熾盛光法(しじょうこうぼう)青蓮院は天台密教の嫡流の一つとして、本尊にこの熾盛光如来を祭り、折々に天変地異の息災と皇室の安寧を祈願する役割を担ってきました。その勤めの修法が平成17年のご開帳を勝縁として、平成18年より一般に公開されました。熾盛光如来曼荼羅」をおまつりして行われる正式な修法を「熾盛光法大法」と申します。この大法は、慈覚大師円仁が鎮護国家を目的に、嘉祥3年(850年)初めて厳修したもので、天台宗における最も重要な修法の一つです。その祈願するところは、以下の三つです。青蓮院は天台密教の嫡流の一つとして、本尊にこの熾盛光如来を頂き、特に平安時代から鎌倉時代にかけては、宮中から中心的に勅命を受け、折々に天変地異の息災と皇室の安寧を祈願する役割を担いました。爾来、途中中断の時代もあ...京都青蓮院・秋期大法要熾盛光法(しじょうこうぼう)23日

  • 京都 紅葉100シリーズ 紅葉の馬場二尊院 NO.81

    二尊院は京都でも人気のある紅葉の名所として有名です。京都を代表する観光地、嵐山・嵯峨野エリアの小倉山山麓に立つ天台宗の古刹。ウマが駆け抜けられるほど広いことから「紅葉の馬場」と呼ばれる参道。小倉山と参道2つの美しい紅葉を同時に楽しめる。二尊院(にそんいん)承和8年(841)慈覚大師が創立した華台寺の旧跡と伝えられるが、長く荒れていたのを法然上人の高弟湛空(たんくう)が再興した。發遣(ほつけん)釈迦と来迎弥陀の二尊像(重文)を祀ることから二尊院といわれる。総門を入って、200mほどのこの道を「紅葉の馬場」といいます。総門をはじめ、堂々とした建物がいくつも建ち並び、角倉了以など名家・文人・学者のお墓も数多くあります。山中の登り口にある「しあわせの鐘」は、第一に自分の幸せ、第二に感謝の気持ち、第三に世界人類の幸...京都紅葉100シリーズ紅葉の馬場二尊院NO.81

  • 京都 先斗町「水明会」 24日~27日

    先斗町歌舞練場は大正14年(1925年)に着工し、昭和2年(1927年)に完成しました。設計は大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏です。鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階で、当時「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されました。もともとは芸妓さん、舞妓さん達の日頃の稽古のおさらいの会だったとはいえ、その粋なあでやかさは見物です。明治28年(1895)に京都が平安京遷都千百年記念祭を開催するにあたり、先斗町あげての復興事業策として現在の歌舞練場の用地を取得し、「翠紅館」(すいこうかん)と名付けられた歌舞練場が建てられました。現在の歌舞練場は、昭和2年(1927)に新築改装されたものです。鴨川をどり(5月開催)や水明会(10月開催)な...京都先斗町「水明会」24日~27日

  • 京都 紅葉100シリーズ 北野天満宮史跡御土居のもみじ苑 NO.80

    当宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家がその造営修繕に当たられました。国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)...京都紅葉100シリーズ北野天満宮史跡御土居のもみじ苑NO.80

  • 京都 伏見稲荷大社・抜穂祭 25日

    伏見稲荷大社は、全国約3万社ある稲荷神社の総本山。朱塗りの鳥居が連なる「千本鳥居」や、稲荷大神の降臨地である稲荷山を巡る「お山巡り」などが人気で、多くの参拝者が訪れています。4月の水口播種祭、6月の田植祭田に実った稲穂を刈り取り収穫する祭です。本殿祭が行われた後は抜穂の儀です。雅楽に合わせて、鮮やかな緋袴姿の神楽女が鎌と稲穂を手に古式ゆかしく「抜穂舞」を舞います。その中を、手甲脚絆・管笠姿の管笠女が、神田の稲を刈り取ります。美しく、そしてのどかな祭。刈り取られた稲は11月23日の新嘗祭に大神にお供えされ、稲藁は火焚祭にて焚き上げられます。雨天決行。■場所:伏見稲荷大社■期間:10月25日(毎年同じ日程です)■時間:11時~■アクセス:JR奈良線「稲荷」駅、京阪電車「伏見稲荷」駅■お問合せ:075-641-...京都伏見稲荷大社・抜穂祭25日

  • 京都 鞍馬・石座の 火祭 22日

    広隆寺の牛祭(※現在は中止)、今宮神社のやすらい祭とともに、京都三大奇祭の一つ。鞍馬の火祭:22日(※毎年同じ日程です)18時~雨天決行石座(いわくら)の火祭:(10月23日に近い土曜日)◆鞍馬の火祭(由岐神社)●天狗のお里が火の海に勇壮でダイナミック。一度見たら来年も絶対!!と思わせる火祭りです。鞍馬は、京の都と丹波とを結ぶ街道筋で、家々でたかれるかがり火と無数の松明(たいまつ)の炎で里中が燃えます。■由岐神社:京都市左京区鞍馬本町■日時:10月22日(※毎年同じ日程です)■時間:例祭:9時~午前0時頃終了点火:18時~■アクセス:出町柳より叡山電鉄鞍馬線「鞍馬駅」■お問合せ:075-741-1670(鞍馬の火祭テレフォンサービス9/1~10月末)動画:https://www.youtube.com/u...京都鞍馬・石座の火祭22日

  • 京都 紅葉100シリーズ 法然上人の法然院 NO.79

    今日は哲学の道をゆっくりと散歩しながら法然院へ、入口は2ヶ所有ります。入り口を登ると木々が彩を見せてくれます。法然院はそんなに広くはありませんが、とても綺麗なところです門の枠内に人が立てば、影絵のようになります。法然院の境内に入ってすぐのところに、白い砂が盛られているところがあります。これは、白砂壇(びゃくさだん)といいます。哲学の道周辺には銀閣寺をはじめ、いろんなお寺があるので紅葉散策にぶらぶらしてみるといいと思います。善気山法然院萬無教寺鎌倉時代の初め、専修念佛の元祖法然房源空上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えられた。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生...京都紅葉100シリーズ法然上人の法然院NO.79

  • 京都 時代祭り行列の見どころ 22日

    【維新勤皇隊列(明治)】幕末の遺臣が反乱を起こしたとき、山国村(現在の北桑田郡京北町)の有志が山国隊を組織し官軍に加勢した際の行列を再現。【幕末志士列(明治)】桂小五郎、西郷隆盛、坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作ほか。明治維新の頃に活躍した重要人物がたくさん登場するのがこの列。見どころ満載です。【徳川城使上洛列(江戸)】大礼や年始等、朝廷で重要な儀式等が行われる際、徳川幕府は将軍の名代として諸藩または普代の大名を上洛させて、皇室に対する礼を尽くしました。その行列は、一般の大名行列よりずっと豪華盛大で格式の高いものであったといいます。時代祭では、先頭の槍持、傘持、挟箱持の掛声と動作で当時の行列を偲ばせます。【江戸時代婦人列(江戸)】和宮、蓮月、吉野太夫、出雲阿国ほか。孝明天皇の皇妹・和宮が輿入前の宮廷女房装束...京都時代祭り行列の見どころ22日

  • 京都 紅葉100シリーズ 隠れ紅葉の名所妙覚寺 NO.78

    織田信長の洛上時の宿で、隠れ紅葉の名所「妙覚寺」妙覚寺は、北朝の永和4年(1378)、妙顕寺の跡継ぎをめぐる意見の対立から妙顕寺を離れた日実(にちじつ)上人が、信徒で富商の小野妙覚(おのみょうかく)の外護を受けて四条大宮の妙覚の邸宅に日像上人を開山に仰ぎ創建されている。日蓮宗京都十六本山の一つで、妙顕寺(上京区寺之内通堀川東入る)、立本寺(上京区七本松通仁和寺街道上る)と並ぶ具足山の一つ。本尊は十界大曼荼羅。この妙覚寺の建つ寺之内界隈には、多くの寺院が並んでいる。寺之内通は、烏丸通から紙屋川にいたる東西の道。秀吉による都市改造政策により寺町と同様多くの寺院が移転させられた寺院街。特にこの堀川通寺之内界隈は妙覚寺をはじめ妙顕寺、本法寺、妙蓮寺などの日蓮宗寺院が密集している。妙覚寺表門は寺院には珍しい武家風の...京都紅葉100シリーズ隠れ紅葉の名所妙覚寺NO.78

  • 京都 紅葉100シリーズ 平安神宮 NO.77

    平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈り...京都紅葉100シリーズ平安神宮NO.77

  • 京都時代祭り(平安神宮) 22日

    時代祭由緒時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。その意志は、京都の誕生日10月22日に「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」というもので、京都人のこころいきと誇りがふんだんに織り込まれています。時代祭行列は、京都全市域からなる市民組織「平安講社」(全10社)によって運営されています。当初は6列、人員500名の規模でしたが、現在では明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代、室町時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代の8つの時代を...京都時代祭り(平安神宮)22日

  • 京都 建仁寺禅居庵・大祭 20日

    禅居庵(摩利支尊天堂)は、京都市東山区にあります。建仁寺の塔頭寺院で、ご利益は開運勝利。祗園の京都ゑびす神社の東側に建つ「禅居庵」。ここは、禅寺・建仁寺の塔頭(たっちゅう)寺院の一つで、元弘3年(1333年)に建仁寺第23世の大鑑清拙正澄禅師(だいかんせいせつしょうちょうぜんし/1274~1339年)によって建立されました。この日は秘仏を開帳し、護摩供養も行われます。堂内を菊花で荘厳し、ご開山が将来された秘仏摩利支天の年に一度のご開帳日です。厨子の扉が開かれ五色大鏡餅が供えられた真前において、大般若経全六百巻が建仁寺山内の僧衆によって転読され、住職により燈明講々員並びにご参詣信者の家運隆昌・万難潜消・所願成就が祈願されます。ぜひ堂内にお入り頂き共にご参詣ください。「摩利支天」は、猪を眷属(けんぞく)として...京都建仁寺禅居庵・大祭20日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 南禅寺周辺の南禅寺水路閣・琵琶湖疏水 NO.76

    今日は南禅寺周辺の南禅寺水路閣・琵琶湖疏水へ見ごろの紅葉とライトアップも始まりました。京都でも屈指の紅葉の名所東山地区にある南禅寺は、1291年に亀山法皇が開基し、大名国師が開山しました。室町時代には禅寺の中でも最高の位(五山の上)が与えられ栄華を極めたお寺です。南禅寺の境内自体は拝観料が無料なため自由に出入りができます。早速、入り口から入っていくと、すぐに一面紅葉の世界が!参道脇や頭上に黄色と赤の紅葉シャワーが降り注ぎます。南禅寺付近には、古代ローマの水道橋を思わせるような水路閣や、琵琶湖疏水の一環として造られたインクライン(急傾斜鉄道)など、中世から近代へと歴史の移り変わりが感じられる見どころがいっぱい。田辺朔郎の銅像南禅寺水路閣の設計・デザインを手がけたのは、21歳という若さの田辺朔郎(たなべさくろ...京都紅葉100シリーズ寺社南禅寺周辺の南禅寺水路閣・琵琶湖疏水NO.76

  • 京都 恵美須神社 二十日ゑびす 19日・20日

    恵美須神社(京都ゑびす神社)は、京都市東山区にあります。えべっさんはお正月だけではありません。恵美須神社の祭事と言えば、十日ゑびすが人気があります。初詣と同じくらい、境内が賑わう祭事です。一方、二十日ゑびす大祭はどうでしょうか?知名度は、十日ゑびす大祭より低いです。しかし、盛り上りは負けてはいません。二十日ゑびすの日には、多くの人が恵美須神社へ訪れます。五穀豊穣を祈願して「えびす囃子」を奉納します。商売繁盛の笹や、銭袋、お札、お守りなどが授与されます。「優しくトントンと叩いてください」…エビス様、ご高齢(長寿)のため耳が遠くなっているそうで、こっちでノックしてお願いをちゃんと聞いていただくのが参拝作法だそうです■場所:恵美須神社■期間:10月19日・20日(※毎年同じ日程です)■時間:生間流包丁式:10/...京都恵美須神社二十日ゑびす19日・20日

  • 京都 下鴨神社・えと祈願祭 20日

    毎年10月9日、世界遺産の下鴨神社で崇敬会総会があり祀られている干支の神様の繁盛祈願祭がありました。豊かな秋の稔りを感謝する年に一度のお祭りで「模擬店」「福くじ」「舞楽の奉納」などが楽しめます。本殿前にある「言社(ことしゃ)」は下鴨神社の繁昌大国神である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」をお祀りしています。大国主命には名前が七つあるため、言社も七つあります。それぞれが十二支の守り神、商売繁盛の神様として信仰を集めています。繁昌大国秋祭はこの大国主命のお祭りです。境内は一日中多くの参拝客で賑わいます。商売繁盛の大黒さんとして親しまれる下鴨神社で、商売繁盛・五穀豊穣に感謝するお祭りが行われます。舞楽や日本舞踊、琴の演奏などが奉納され、出店も多く、参詣者でにぎわいます。他の神事では見ることができない黄色の提灯...京都下鴨神社・えと祈願祭20日

  • 京都 紅葉100シリーズ 隠れ紅葉日向大神宮 NO.75

    日向大神宮日向大神宮は、清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡したが、寛永年間(1624-44)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝える。境内の再奥に南面して建つ内宮本殿は桁行正面1間、背面2間、梁行2間の神明造の建物である。両脇に棟持柱を建て、屋根の棟には内削ぎの千木(ちぎ)堅魚木(かつおぎ)8本をのせている。本殿の前方に四脚門の御門の屋根にも内削ぎの千木と堅魚木6本がのり、両脇に板垣がとりついて内宮の敷地を区切っている。内宮の前方一段下がったところに建つ外宮は、本殿・御門ともに内宮とほぼ同じ規模・形式をもつが、屋根の千木が外削ぎで堅魚木がそれぞれ1本少なくなる。内宮は外宮とともに京都市登録有形文化財です。日向大神宮は京都の隠れ紅葉の名所です。南禅寺や永観...京都紅葉100シリーズ隠れ紅葉日向大神宮NO.75

  • 京都 城南宮神幸祭 20日

    平安時代から行われてきた歴史あるお祭りで毎年、10月の第3日曜日に行われています。城南祭は平安時代から続く祭礼で、氏子が餅を振る舞うことから別名を「餅祭り」ともいわれる地域最大の祭り。「下鳥羽の松みこし」「竹田の竹みこし」「上鳥羽の梅みこし」の松竹梅の3基のみこしが、城南宮から出発して氏子区域を巡幸する。15日は子供たちの獅子舞奉納が行われ、別名「餅祭り」の由来となった餅つきも行われた。城南宮の川崎重寿禰宜(ねぎ)は「以前は氏子が各家庭で餅をついて配っていたが、最近は境内で餅つきをするのが習わしになっている」という。曲水の宴で知られる城南宮は、方除けの神として広く信仰を集めています。6基の各神輿が雅楽に送られて氏子地域を練り歩き夕刻に還幸する、城南宮最大の御霊会です。還幸の際、大松明が神輿を先導し、その灯...京都城南宮神幸祭20日

  • 京都 野宮神社 斎宮行列 20日

    伊勢斎宮・源氏物語旧跡野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。黒木鳥居と小柴垣は平安の風...京都野宮神社斎宮行列20日

  • 京都 紅葉100シリーズ みごとな紅葉蓮華寺 NO.74

    若狭街道から細い参道へ。大きな寺院ではなく、住宅街の中にひっそりと佇んでいますが知る人ぞ知る紅葉の名所ですよ。山門をくぐると、もうみごとな紅葉。とくに石川丈山作の池泉回遊式の庭は見ものです。極楽浄土を意匠として造られていて、舟石と呼ばれる船に見立てた石も配置されていたりと面白い造りになっています。高野川の水を引き込んだ池にも木々の色が映え、庭一面が秋の色に染まっています。高野川の清流から成った池に映る紅葉が見事。雪月花三名園の一つに数えられる、比叡山を借景とする墨絵のような庭園。比叡の峰に積もった雪と、枯山水の庭覆い尽くした雪景色との融合はひときわ美しい。応仁の乱で荒廃した寺を、加賀藩家老の今枝近義が祖父重直の菩提のため、寛文2[1662]年にこの地に再興した。仁和寺の境内の横に隣接してある。真言宗御室派...京都紅葉100シリーズみごとな紅葉蓮華寺NO.74

  • 京都 紅葉100シリーズ 紅葉の参道 曼殊院門跡 NO.73

    今回は、比叡山の南西麓に佇む曼殊院門跡へてくてくと・・・。参道のグラデーションが美しい紅葉のトンネルが曼殊院へのプロローグとなり、参道の地面までが散紅葉で真っ赤に染まった様は圧巻ともいえます。曼殊院門跡の紅葉は、枯山水庭園で色づきます。京都の紅葉の名勝だけあって、色が濃く美しいですよ。また、紅葉の見ごろの時期には、夜間拝観も開催。ライトアップされた紅葉は、昼間と違った雰囲気を醸し出します。曼殊院は伝教大師・最澄(さいちょう)が開いた天台宗の寺である。最澄が円暦年間(782~806年)に、比叡山に建てた小堂が歴史のはじまり。当時は比叡山の西塔(さいとう)北谷にあり、東尾坊(とうびほう)と呼ばれていた。その後、天仁年間(1108~1110年)になり、曼殊院という現在の呼称に改められた。江戸時代の初期には京都御...京都紅葉100シリーズ紅葉の参道曼殊院門跡NO.73

  • 京都 紅葉100シリーズ 紫式部邸址の蘆山寺 NO.72

    廬山天台講寺圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。廬山寺は天台圓浄宗大本山で、正しくは廬山天台講寺といいます。比叡山天台18世座主・元三大師良源(慈恵大師)によって、天慶年中(938年~947年)に船岡山の南に創建されました。室町時代に応仁の乱で焼失後、元亀3年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちは正親町天皇の女房奉書により免れたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573~1593)に現在地・紫式部邸宅跡に移りました。紫式部の邸宅跡として知られる。紫式部歌碑有馬山いなのささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする大弍三位めぐりきてみしやそれともわかぬまに雲隠れにし夜半の月かな境内には紫式部の詠んだ歌の歌碑が建てられています。「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半(よは)の月かな」紫式部当地は紫...京都紅葉100シリーズ紫式部邸址の蘆山寺NO.72

  • 京都 建勲神社 船岡大祭 19日

    建勲神社は、京都市北区にあります。織田信長を主祭神として祀っている神社です。信長入洛を記念する大祭です。敦盛の仕舞・舞楽の奉納や信長の甲冑など宝物の特別公開があります。織田信長・信忠父子を祀る当神社は、明治2年の創建。信長公の甲胄は近年修復されたものです。毎年、仕舞『敦盛』や舞楽が奉納されるほか、年によって宝物の展示や、火縄銃三段打の奉納等もあります。雨天決行。建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社です。明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っています。船岡山は玄武の小山として平安京造営の...京都建勲神社船岡大祭19日

  • 京都 紅葉100シリーズ 燃えるような真紅紅葉 圓光寺 NO.71

    一乗寺にある臨済宗の寺院。山号は瑞巌山(ずいがんさん)、開山は三要元佶(閑室)、開基(創立者)は徳川家康。十牛の庭と呼ばれる庭園には洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある。秋は紅葉の名所となり、夜間ライトアップも行われる。書院の「十牛の庭」の紅葉は燃えるような真紅幻影的な美しさが広がる瑞巌山円光寺と刻まれた石柱を見て山文を入る。円光寺は慶長6「1601」年徳川家康が足利学校の京分校を伏見に創建した事に始まる。円光寺学校では僧以外の入学も許可し、「孔子家語」(こうしけご)「貞観政要」(じょうかんせいよう、貞観参照)などの多数の書物を刊行した。これらの書物は伏見版、あるいは円光寺版と呼ばれ、そのとき使用された木製の活字が保存されている。その数は約5万個にのぼり日本最古の活字であり重要文化...京都紅葉100シリーズ燃えるような真紅紅葉圓光寺NO.71

  • 京都 泉涌寺即成院 二十五菩薩お練供養 20日

    一千年の祈りを今に伝える即成院の阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会は、現世極楽浄土の絵巻物をほうふつとさせる京洛の秋の名行事として広く知られています。また御本尊阿弥陀如来と共に国の重要文化財に指定されます二十五菩薩坐像は、二十五菩薩が揃っての立体的仏像彫刻としてはわが国唯一の素晴らしい貴重な文化財でもあります。金色の菩薩面・菩薩装束をつけた稚児25名を含め総勢300名近くの人々が橋を極楽浄土と現世にみたてゆっくり練り歩く姿は、独特の華やかな風景で観光客に人気があります。菩薩が現世に来迎して衆生を安楽浄土へ導くという平安末期からの来迎思想を仮装と音楽で分かりやすく表現したもの。場所は源信ゆかりの寺院。「本堂は浄土、地蔵堂は現世」と見立てて、50mの橋を渡り、浄土と現世を往復します。約1時間、僧侶の来迎和讃...京都泉涌寺即成院二十五菩薩お練供養20日

  • 京都 紅葉100シリーズ 禅の美 妙心寺 NO.70

    妙心寺臨済禅の美しい伽藍の美しい宏壮とした山内広大な境内には、特微のある見どころが多く何よりゆったりした雰囲気が最高。南北朝時代、花園上皇の離宮を禅寺に改め、「花園と言う地名は清原夏野の山荘に草花が咲き[花園]とよばれる」妙心寺の伽藍が並び立つ「花園」池は三つの丘が連なる双ガ丘の東に位置する「双ガ丘」は徒然草の作者吉田兼好が居を構えた所でもある。臨済宗妙心寺派大法山の始まりは、1337年とされる。近世にはいて武将の帰依を受け、多くの敷地が寄進され、塔頭子院は90余宇を数えた。明冶以降も寺運は隆盛し、末寺は全国3.500寺を有している。約16万㎡の寺地に七堂伽藍は南から来たに向かって整然と置かれている。その中央には勅使門・三門・仏殿・法堂・寝堂・玄関・大方丈・小方丈・庫裏・が並び、東側には浴室・鐘楼・経蔵が...京都紅葉100シリーズ禅の美妙心寺NO.70

  • 京都 植物園・菊花展 20日~11月15日

    京都府立植物園は、京都市左京区にあります。日本で最初の公立植物園です。京都府立植物園の大芝生地に特設展示場が設けられ、「菊花展」が開催されます。大菊や小菊(懸崖作り、盆栽作り)など約1000本が展示されます。11月3日から5日は、植物園会館2階多目的室で「菊花切花展」も行われ、大菊の切り花を中心に、菊の小品盆栽など約100点が並びます。大菊、小菊、洋菊、古典菊、盆栽や縣崖仕立てなど、さすが植物園。品種が豊富です。即売もあります。■場所:京都府立植物園■期間:10/20~11/15(※毎年同じ日程です)■時間:9~17時■料金:200円■アクセス:地下鉄烏丸線「北山」駅■お問合せ:075-701-0141■詳細ページ:http://www.pref.kyoto.jp/plant/index.html※主催者...京都植物園・菊花展20日~11月15日

  • 京都 紅葉100シリーズ京都五山 南禅寺 紅葉の何禅 絶景かな・・・NO.69

    京都五山別格の三門と絶景かな・・・臨済宗南禅寺派の本山1291年亀山上皇の離宮を賜り、無関普門が創建した。南禅寺の正称は瑞龍山太平興国南禅禅寺という。臨済宗の格付けを表す、「京都五山」では「五山之上」とされ寺格は別格に位する。三門「重文」江戸時代の大阪夏の陣戦没者供養の為に藤堂高虎が再建した。門前の石燈籠は日本一の大きさを誇る。一般に山門のことを三門という場合、空・無相・無作門の三解脱門を意味し、本堂を涅槃に見立て、そこへ至るまでの門と見なされている。三門と石川五右衛門盗賊五右衛門が桜上でね大見得をきる「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門の目の前らは万両も西傾き・・・・・」で有名になった。今も観光客がここに登って「絶景かな」と口走っているのが可笑しい。五右衛門は実在したとさ...京都紅葉100シリーズ京都五山南禅寺紅葉の何禅絶景かな・・・NO.69

  • 京都 紅葉100シリーズ 神秘霊峯 隠れ紅葉の志明院 [ 洛北雲ヶ畑、岩尾山] NO.68

    当山は650年(白雉元年)役の行者が草創。829年(天長6年)弘法大師が、淳和天皇の叡願により再興、本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられ、根本中院本尊眼力不動明王は宇多天皇の勅願により菅原道真公一刀三礼の彫刻で以来皇室勅願所として崇敬深く、秘仏として即位に際し勅使を迎え開扉され、宝祚延長、万民安穩の祈願を籠めた。日本最古不動明王顕現の神秘霊峯である。皇室の崇敬の一因には鴨川の水源地である洞窟の湧水を重視、水神を祀り、清浄な鴨川の用水を祈願したと伝えられている。水の伝説として有名な歌舞伎十八番「鳴神」がある。1831年(天保2年)失火により山門を除く殆んどが焼失の悲運にあったが幸い本尊不動明王はその災厄を免れた。後、数多くの熱心な信者により次第に復興された。市の天然記念物に指定されてい...京都紅葉100シリーズ神秘霊峯隠れ紅葉の志明院[洛北雲ヶ畑、岩尾山]NO.68

  • 京都 平安神宮 神嘗奉祝祭併茶壷奉献祭 17日

    伊勢神宮にて斎行される「神嘗祭」の当日に行う祭儀です。宇治からの銘茶が茶壷に納められて奉献され、ご神前で口切り奉仕されます。このお茶は19日の孝明天皇御鎮座記念祭の献茶の儀で用いられます。■場所:平安神宮■期間:10月17日(※毎年同じ日程です)■時間:11時~■アクセス:市バス5「京都会館美術館前」■お問合せ:075-761-0221■詳細ページ:http://www.heianjingu.or.jp/※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。※写真は全て過去のものです。京都平安神宮神嘗奉祝祭併茶壷奉献祭17日

  • 京都 紅葉100シリーズ 寂びの滝口寺 NO.67

    今日はかなわぬ恋愛物語の滝口寺へ。竹柵の急な坂道をものの5分も登ると滝口寺。細い坂道を登ると一寸した広さの庭と庭に面して本堂だ。縁側に座って紅葉を眺めた時、感動が胸を打つ、しかし心が和らぐ・・・。侘び、寂びの滝口寺横笛の悲恋物語旧寺名:三宝寺(往生院(現在の祗王寺)の子院)「山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我を導け」平家物語ゆかりの寺である。「平家物語」の「維盛高野の巻」で語られている滝口入道と横笛のかなわぬ恋愛物語。滝口入道は、宮中警護を務める滝口(清涼殿の東北の詰所)の武士だった斉藤時頼(さいとうときより)内大臣平重盛(たいらのしげもり)に仕えていた。横笛は、建礼門院に仕えた女性滝口入道は、権力者平清盛(平重盛の父)が西八条殿で催した花見の宴で、建礼門院(平重盛の妹)に仕えていた横笛の舞を見て一...京都紅葉100シリーズ寂びの滝口寺NO.67

  • 京都 西本願寺の献菊展 10月中旬~11/23(予定)

    西本願寺は、京都市下京区にあります。御影堂や飛雲閣など、国宝が多いお寺です。そんな西本願寺で、秋に恒例の行事が行われます。本願寺献菊展です。菊の頃、西本願寺本堂の前庭に400鉢が展示され早朝から自由に鑑賞することができます。「お西さん」と呼ばれ親しまれている西本願寺。本願寺自体は、世界文化遺産に指定されています。丹誠込めて育てられた美しいさまざまな菊に秋を感じて・・・。本願寺献菊展は、「全国門徒総追悼法要(秋の法要)」に献花(阿弥陀如来さまへのお花のお供え)される菊花をもって開催いたします。1954(昭和29)年より本願寺第23代ご門主勝如上人のお誕生日にあわせ開催されて以来、第65回目の節目にあたります。今回はこの伝統ある献菊展をより多くの方々に親しんでいただけるよう、菊花の種類を増やし、境内各所にて展...京都西本願寺の献菊展10月中旬~11/23(予定)

  • 京都 紅葉100シリーズ 隠れ紅葉の赤山禅院 NO.66

    紅葉もピークを迎えそろそろ終盤にさしかかった季節に・・・。今回はバスで行き修学院離宮道下車して、約25分ほど歩きますと赤山禅院に着きます門をくぐると、境内へと参道が続きます。比叡山の西麓(にしふもと)にある赤山禅院。「赤山さん」の愛称で親しまれる赤山禅院は、京都の北東の表鬼門に位置し、その拝殿の屋根上にはなんと「猿」が鎮座しています。でもこの猿網の中に檻の中?。この猿には、深い意味があります。この猿は比叡山を護っている日吉神社(滋賀県)の神猿といわれ、この場所が都の北東にあたり、表鬼門に位置するため、守護として鎮座しています。赤山禅院赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山延暦寺の塔頭のひとつです。慈覚大師円仁(794年~8...京都紅葉100シリーズ隠れ紅葉の赤山禅院NO.66

  • 京都 紅葉100シリーズ 「血天井」の正伝寺 NO65

    正伝寺(しょうでんじ)臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺である。山号は吉祥山。寺号は詳しくは正伝護国禅寺という。本尊は釈迦如来。文永5年(1268年)、東巌慧安(とうがんえあん)が師の兀庵普寧(ごったんふねい)を開山として烏丸今出川に創建したのがこの寺の始まりとされる。兀庵は中国(南宋)からの渡来僧で、文永2年(1265年)に帰国しているが、東巖は師の兀庵を開山に勧請したものである。寺は比叡山延暦寺の衆徒によって破却され、東巖は鎌倉の聖海寺(現存せず)に移り、同地で建治3年(1277年)に没した。寺が再興されたのは弘安5年(1282年)のことである。同年、賀茂社の社家・森経久の援助により寺は西賀茂の現在地に移り寺運は興隆した。室町時代には天皇家、将軍家の帰依を受けたが、応仁の乱(1467年-1477年)の...京都紅葉100シリーズ「血天井」の正伝寺NO65

  • 京都 真如堂 引声阿弥陀経会 14日~16日

    今日から3日間、本堂では「引声阿弥陀経会」が勤められます。「いんぜいあみだきょうえ」と読みます。普段はテンポよく詠む『阿弥陀経』という極楽世界のことを説いたお経を、一字一字、節を付けて詠む法要です。慈覚大師円仁(794-864)は、承和5年(838)、遣唐使として渡唐。辛苦を重ねて五台山に参拝し、多くの教えを学ばれました。五台山で大師は生身の文殊菩薩にお会いになり、極楽世界の八功徳池の波の音に唱和する妙なる「引声阿弥陀経(引声念仏)」を授けられたといいます。阿弥陀経を独特の調子で鉦に合わせて唱えます。慈覚大師円仁が渡唐した際、五台山において生身の文殊菩薩から、極楽世界八功徳池の波の音に唱和する「引声阿弥陀経」(いんぜいあみだきょう)を伝授されたというものです。お経の一節を長く引いて唱える「声明」の一種で、...京都真如堂引声阿弥陀経会14日~16日

  • 京都 紅葉100シリーズ 隠れた紅葉スポット 紅葉の参道 鹿王院 NO64

    今日は嵐電沿線にある「鹿王院(ろくおういん)」へ行ってきました。山門から中門までの参道の紅葉がとてもきれいでした。12月を過ぎてなお彩をますと言っていいほどの美しさです。真っ赤なもみじのトンネルから黄色やオレンジのトンネルへと続きます。鹿王院の名の由来は、廟を建てようとして横の藪を切り開いたところ、藪の中から白鹿が出てきたために名付けたといわれています。山門には義満筆の「覚雄山」の扁額がかかっています。さぁ、山門をくぐって受付へ・・・鹿王院(ろくおういん)山号:覚雄山臨済宗系の単立寺院総門は切妻造、本瓦葺き。創建時に近い南北朝時の建立と推定される。「覚雄山」の扁額は義満の自筆。鹿王院は、三代将軍足利義満が延命を願いこの地に一宇を建てたのが始まり。康暦2年・天授6年(1380)、義満24歳のときであった。開...京都紅葉100シリーズ隠れた紅葉スポット紅葉の参道鹿王院NO64

  • 京都 宝鏡寺 人形供養 14日

    「人形寺」と親しまれ、歴代皇女が住持となった門跡尼寺で、光格天皇遺愛の人形や多くの由緒ある人形を所蔵しています。本堂で雛人形やこけし、ぬいぐるみなど約500体の人形が並べられ、住職さん達の読経が行われる中、子供や一般参加者による献花が行われます。過去一年間に納められた人形を焼いて供養し、灰を人形塚に埋めます。島原太夫の舞も披露されます。宝鏡寺では皇女方が入寺されていたことから御所より人形が贈られ、孝明天皇(こうめいてんのう)ご遺愛の人形をはじめ、由緒ある人形を数多く保存いたしておりました。そこで、昭和32(1957)年の秋より人形展(一般公開)が始まり、その後関係者によりまして年1回、秋に人形供養祭(及び関係物故者供養祭)が営まれることとなり人形塚も建立され、いつの頃からか人形の寺として名高くなりました。...京都宝鏡寺人形供養14日

  • 京都 紅葉100シリーズ 一休寺(酬恩庵)NO.63

    とんちで有名な一休禅師が再建し、晩年に隠棲した臨済宗大徳寺派の禅寺。もとは、正応年間(1288年~92年)に大応国師が建てた妙勝寺で、荒廃していたものを、康正2年(1456年)に一休禅師が御堂を建て、宗祖の恩に報いるという意味を込めて酬恩庵と名づけた。一休は風雅な檜葺きの虎丘庵に住んだという。本堂は室町時代の建築、方丈、庫裏、東司などは江戸時代のもので、一休和尚像とともに国の重文。方丈庭園は苔むした自然石が美しい。京都の生まれで後小松天皇の落胤という。幼名は、後世史料によると千菊丸。長じて周建の名で呼ばれ、狂雲子、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)などと号した。戒名は宗純で、宗順とも書く。一休は道号である。(戒名と道号については「戒名」の項目を参照のこと。)6歳で京都の安国寺の像外集鑑に入門·受戒し、周建と名...京都紅葉100シリーズ一休寺(酬恩庵)NO.63

  • 京都 紅葉100シリーズ 鈴虫、松虫の安楽寺 NO.62

    紅葉状況法然院と同様に見頃は12月。境内が拝観出来る時期はまだ見頃でない。境内の紅葉は少ししかなく、何と言っても入り口の風景が絵になる。るるぶ2000”京都を歩こう”の表紙に、紅葉の絨毯の写真が使われた。雨の日以外は朝9時過ぎに落ち葉は掃かれてしまうので、ゆっくり行ったら紅葉の絨毯は見ることは出来ない。鈴虫、松虫の伝説で知られる安楽寺は、浄土宗の寺。茅葺きの山門が石段の上に見え、楓に彩られる季節はいっそうの風情を添える。法然の弟子の住蓮坊、安楽坊が開いた念仏道場で、後鳥羽上皇の女房であった鈴虫、松虫がここで密かに出家したことから院の怒りをかい、念仏が禁止され、両僧は死罪、法然は流罪となったという。のちに住蓮、安楽坊の供養のため2基の五輪が建った。鈴虫、松虫の供養塔もあり、7月25日のカボチャ供養の際には寺...京都紅葉100シリーズ鈴虫、松虫の安楽寺NO.62

  • 京都 妙蓮寺・御会式万燈会(おえしきまんとうえ) 12日13日

    本門法華宗の大本山で、山号は柳の字を二つに分けて卯木山(うぼくさん)、本尊は十界曼荼羅です。日蓮上人より帝都弘通の命を受けた日像上人が、永仁2年(1294)に造酒屋の中興氏(柳屋仲興入道妙蓮法尼)の帰依を受けて、柳屋邸を寺に改め下京区五条西洞院に開創「妙法蓮華寺」また屋号にちなんで「柳寺」ともいいました。西陣の一角、妙蓮寺にて日蓮の命日にちなみ、著名な画家の日本画や書など200点もの作品が、境内に灯る行灯を飾り立てます。天文五年(1536)比叡山の山法師や他宗の僧等に襲撃され荒廃し、堺の法華寺に一旦退きます。天文十一年帰洛の勅許を得、大宮西小路に復興、天正15年(1587)豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、現在地に移転。天明の大火(1788)の難を逃れた「宝蔵鐘楼」を除く現在の建物は、その後再建されました。桜の...京都妙蓮寺・御会式万燈会(おえしきまんとうえ)12日13日

  • 京都 紅葉100シリーズ 毘沙門堂塔頭の双林院(山科聖天) NO.61

    早朝は空気も澄んでいて気持ちのいいのもですね。目指すは山科の毘沙門堂です。毘沙門天王と書かれた朱いのぼりに導かれるように、急な階段を登ります。毘沙門堂の少し奥にある山科聖天に到着、少し息切れが・・・。毘沙門堂の横から裏参道を歩いて数分で行くことができ、参道入口にはなぜか大きな石の鳥居が立っています。ご本尊の大聖歓喜天は十一面観音と大日如来の化身で、頭が象、首から下は人間の姿をしているとか。しかも二体が向かい合って抱擁している「男女合体神」なのだそうですが、残念ながら秘仏とされていますので、拝見することはできません。境内の右奥には岩に不動明王石像が彫られた「不動の滝」もあります。毘沙門堂と同様に、春は桜、秋には紅葉の名所となります。双林院通称名:山科聖天本尊は、大聖歓喜天。1665年(寛文5)公海大僧正によ...京都紅葉100シリーズ毘沙門堂塔頭の双林院(山科聖天)NO.61

  • 京都 紅葉100シリーズ 鳩の三宅八幡宮 No.60

    三宅八幡宮このあたりは古くは小野郷と呼ばれ小野氏の居住する地域であった。社伝によると推古天皇の時代、小野妹子が遣唐使として筑紫を過ぎる時、病に罹ったので宇佐八幡宮に祈願をこめたところ、ただちに平癒したので、帰朝後、宇佐八幡を勧請したのが、この社の起源であるという。祭神は応神天皇である。俗に「虫八幡」といい、子供の疳の虫除けの神として幕末期より崇敬を集めており、特に九月十五日に行われる例祭には子供づれの参詣者でおおいに賑わう。神様の使い-「鳩」「三宅八幡宮」の鳥居前には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれ、境内にも鳩がいて参拝者はえさをあげることができます。又、拝殿の幕にも「鳩」が描かれ、石燈籠や瓦にも「鳩」の模様があり、絵馬にも「鳩」が描かれています。神様の使い宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請した際に、白い...京都紅葉100シリーズ鳩の三宅八幡宮No.60

  • 京都 秋元神社 赦免地踊り 13日

    青年が花小袖・紅手甲・たすきがけの「灯籠着(とろぎ)」と呼ばれる女装をして、頭に赤紙で作った透かし彫りの切子灯篭を乗せ、音頭取りの太鼓に合わせて静かに踊る。仮屋の舞台では、友禅小袖に花笠の少女達も踊りを奉納。この八瀬の地は、1336年後醍醐天皇が御幸した際、村人達が無事警護を務めたことを讃え、永代地租免除の特権を与えられた。しかし1707年、延暦寺との土地争いで、特権を失いかけたが老中秋元但馬守の裁定で特権がめでたく守られた。但馬守の没後、その報恩に感謝し、赦免地踊りを奉納するようになったそう。洛北の奇祭で、無形文化財に指定されています。由来八瀬の里は、京都の市街地から北東部に位置し、比叡山の麓で古くは日本海(小浜)から京の都へ魚などが運ばれた「鯖街道」が通る山間の小さな里です。八瀬の村は昔から、皇室との...京都秋元神社赦免地踊り13日

  • 京都 紅葉100シリーズ 紅葉の名所 鷺森神社 NO.59

    鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)京都の紅葉の隠れた名所。知る人ぞ知る、京都の秋の観光地となっています。秋にはイロハカエデやイチョウが色づき、紅葉のグラデーションを楽しむことができます。また、本殿へと長く続く参道は、紅葉のトンネルへと変わります。貞観年間(859-77)創建と伝えられ、もと修学院離宮地にあったのを元禄年間(1688-1704)に現在地に遷座。本殿、拝殿、手水舎は安永4年、回廊は昭和42年の造営。スサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神である。5月5日の「さんよれ祭」は少年達が着物姿に紅たすき、菅笠姿で手には扇子を持ち‘さんよれ、さんよれ’のかけ声で鉦、太鼓で神輿とともにねり歩く。御幸橋この石橋は元修学院離宮の正面入口音羽川に架設されその昔後水尾上皇霊元法皇も行幸の時には通られた名橋。昭...京都紅葉100シリーズ紅葉の名所鷺森神社NO.59

  • 京都 紅葉100シリーズ 法然上人の金戒光明寺 NO.58

    紫雲山・くろ谷金戒光明寺浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院のはじまり。西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。紫雲山つまり黒谷の岡は東の崖が険しく、西の傾斜に本坊から山内寺院、墓までが整然と建ちならぶ。とりわけ一万基をこえる墓碑はその殆んどが西向きで建てられている。なぜだろう?答えは目を水平に西に向けると判然とする。黒谷の西二キロに京都御所、更に西十キロ余で小倉山にたどりつく、ここは西山連峰中もっとも低い鞍部になる。彼岸の中日のころは真赤な夕陽が静かに沈むのが拝める京都盆地唯一の場所である。春秋の彼岸には夕日を拝んで仏を観る日想観を...京都紅葉100シリーズ法然上人の金戒光明寺NO.58

  • 京都 大徳寺本坊、高桐院 曝凉展

    10月第2週目の日曜日、晴れた日にしか見れない大徳寺本坊曝涼展。一年にたった一度行われる曝涼展、普段は見られないお宝が所狭しと壁に掛けられています。もちろん、虫干しなので開けっ放し、途中で風が強くなりひやっとする場面もありましたが、教科書でしか見たことのない絵を目の前にして動きたくない気持ちになりました。この何が凄いかと言うと、約200点ほどの書画が掛けられたその下に見え隠れするのは、重要文化財の狩野探幽筆・山水図襖絵。多くの人がこの日のために方丈に詰め掛けるが、誰一人その下の襖絵には目を向けない。この日ばかりは探幽の襖絵も形無しと思えるほど部屋中の寺宝は素晴らしい。普段は非公開の大徳寺本坊蔵・牧谿の観音猿鶴図は必見の名作です。狩野探幽筆方丈襖絵など約100点の寺宝を、秋の虫干しを兼ねたこの1日のみの特別...京都大徳寺本坊、高桐院曝凉展

  • 京都 紅葉100シリーズ 風神雷神図の建仁寺 NO.57

    美しい紅葉を楽しむばかりでなく様々な秘宝が眠っています。荘厳な空気を醸し出す国宝たちに囲まれた寺院は、紅葉を楽しむ私たちをここを癒してもらえるでしょう。風神雷神図が有名なこのお寺。108畳もの双龍図を見上げる事ができるのも、建仁寺の法堂だけです。潮音庭の三尊石の石組と丁寧に育てられた杉苔に赤く染まった紅葉がバランスよく調和しその美しさにはため息が出るほどです。建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんに...京都紅葉100シリーズ風神雷神図の建仁寺NO.57

  • 京都 西院春日神社 春日祭 12日 13日

    京都府京都市右京区にある西院春日神社は、創建833年(天長十年)、淳和天皇が仁明天皇に譲位した際、勅諚により奈良の春日大社より勧請、守護社とした神社で、千年余の歴史を有する由緒ある神社。明治維新の少年鼓笛隊列。江戸時代初期に製作された2基の神輿と5基の剣鉾の渡御。春日祭は、西院春日神社で毎年10月第2土曜日・日曜日の両日にわたって盛大に挙行される祭礼で、無病息災・五穀豊穣を祈る秋祭り。江戸時代初期に制作されたという重さ約2トンの神輿2基を中心に、剣鉾5基と勤皇隊、若武者・童女など総勢1,000人に上る行列が巡幸する京都でも屈指のにぎやかな祭りの一つだ。特に、神社に戻った神輿が拝殿を3度回る「西院の拝殿回り」は圧巻。期間中は、春日通に露店も多く立ち並び、夜の10時頃まで数多くの人々で賑わう。初日に例祭、翌日...京都西院春日神社春日祭12日13日

  • 京都紅葉100シリーズ 隠れ名刹紅葉厭離庵(えんりあん)NO.56

    小倉山しくれの頃の朝な朝な昨日はうすき四方の紅葉葉(藤原貞家)嵯峨釈迦堂西門から愛宕道を少し歩いて住宅街の間の細い道を行くと厭離庵の表門が見える。普段は拝観拒否の札が下がっているが、秋には「特別一般拝観」が実施されている。「欣求浄土・厭離穢土」(ごんぐじょうど・えんりえど)けがれたこの世を厭(イト)い離れ、浄土を喜び求める、小倉山の麓にある厭離庵は、正にそのような所です。清涼寺から祇王寺への道、よほど注意せねば見落としてしまう石碑を見て竹垣の路地を入って行くと小さな山門に辿りつきます。ここは中納言藤原定家の山荘の跡、荒廃していましたが、縁のある冷泉家が修復し、霊元法皇より「厭離庵」の寺号を賜り、安永(1772年)臨済宗の寺院となり、明治43年、山岡鉄舟の娘、素心尼が住職に就き、それ以後尼寺となりました。藤...京都紅葉100シリーズ隠れ名刹紅葉厭離庵(えんりあん)NO.56

  • 京都 粟田神社大祭 12日~15日

    18基の剣鉾は、「祇園祭」山鉾の原型といわれています。平安時代の末頃のものや、足利義満寄進の鉾等があり、12本の木で組み立てられた竿灯と呼ばれる提灯も行列します。また剣鉾巡行、剣鉾差しもあります。町内に飾られた剣鉾10数基のうち6基が13日に巡行します。2008年の「夜渡り神事」では、約180年ぶりに「大燈呂(だいとうろう)」が復活しました。京都造形芸大の学生達が、昔の祭りの風景を復活させようと、青蓮院文書等の古文書の記録を基に、彩色を施した和紙を用いて高さ3~4mもある牛頭天王や八岐大蛇(やまたのおろち)、出世えびす等5基を製作したものです。大燈呂は、笛や鉦を鳴らしながら氏子地域を練り歩く行列と共にゆっくりと進み、内部に仕込んだ電球で光る様は「青森ねぶた祭」を彷彿とさせます。■場所:粟田神社■期間:20...京都粟田神社大祭12日~15日

  • 京都 紅葉100シリーズ 今熊野観音寺(いまくまの かんのんじ)NO.55

    東山には隠れた紅葉の名所が数多くあります、東福寺だけ見て帰るのはもったいない。頭痛封じ・ぼけ封じのご利益で有名な今熊野観音寺。東山の中腹に位置することから、年間を通して様々な風景を楽しむことができ、紅葉の時季は境内一面が真っ赤に染まり、穴場の紅葉スポットとして人気があります。今熊野観音寺は西国三十三箇所第十五番札所。四季折々に自然の美しいいとなみが見られる幽寂なる空間、熊野権現示現の伝説の聖地。東山三十六峰今熊野山のふところにいだかれて、今熊野観音寺は荘厳なるたたずまいを見せております。後白河法皇より山号を賜り、「新那智山」と称します。平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において真言密教の秘法を修法されていたとき、東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見られました。不思議...京都紅葉100シリーズ今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)NO.55

  • 京都 紅葉100シリーズ 重ねあう紅葉 常寂光寺 NO.54

    常寂光寺は京都市右京区嵯峨小倉山小倉町にあり、紅葉の見事さは名所ぞろいの京都でも屈指の美しさを誇ります。モミジが枝を重ねあう紅葉の参道時間が許せば常寂寺に直行したい。参道のモミジはまことに閑雅である。小倉山を背に、「常寂光土の如し」つまりひっそりとした場所にあるところから寺号がつけられたといわれています。文禄5年(1596)日蓮宗本圀寺の第16世のにっしん上人の隠居所を永年間(1624~44)お寺にあらためたものになります。この寺のよさは、かざらない住職と同じで自然そのもだということです。このお寺、塀がみあたらないのはそのあらわれともいえるでしょう「嵯峨野展望」の建て看板の場所よりもう少し上に登っていきますととっておきの眺めをみることができます。また身障者の方への配慮があり拝観料が無料車で拝観できるように...京都紅葉100シリーズ重ねあう紅葉常寂光寺NO.54

  • 京都 平岡八幡宮・例祭 13日

    京都市右京区梅ケ畑の平岡八幡宮で7日、本殿の天井に描かれた「花の天井」秋の特別拝観が始まった。四季折々の花々に、参拝者が見入っている。花の天井は、極彩色で描かれたツバキやボタンなど44枚の絵が、本殿の天井を埋め尽くしている。平岡八幡宮は高雄へと向かう梅ヶ畑にある神社で、神護寺の鎮守社として空海によって創建され、梅ヶ畑の氏神として信仰を集めています。また、江戸時代の1829年に再建された本殿は「花の天井」としても有名。通称は「椿神社」とも呼ばれ、境内には椿の小径(こみち)もあり、古くから椿が自生する名所として知られました。子供が青年と相撲を取り、必ず勝つという三役相撲はユーモアたっぷり。八幡信仰の教えで、ご加護を受けたら子供でも大人に勝つことができるという意味が込められ、また子供達の元気な成長を願うものです...京都平岡八幡宮・例祭13日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 松尾芭蕉と金福寺 NO.53

    見ごろの金福寺へ比叡山の山裾にあたる、修学院離宮周辺のエリアの隠れた紅葉の名所。修学院界隈では最も早く色付くこの寺ですが、今年も庭園の斜面にある一本のもみじが見頃を迎えていました。金福寺(こんぷくじ)山号は佛日山。本尊は聖観音菩薩。詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵がある。うき我をさびしがらせよ閑古鳥松尾芭蕉また舟橋聖一著の『花の生涯』のヒロインである村山たか(村山たか女)ゆかりの寺として知られる。864年(貞観6年)慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置した。当初天台宗であったが、後に荒廃したために元禄年間(1688年~1704年)に円光寺の鉄舟によって再興され、その際に...京都紅葉100シリーズ寺社松尾芭蕉と金福寺NO.53

  • 京都 梨木神社例祭 10日

    神事の後、舞楽が奉納されます。当神社は三条実万、実美父子を祭り、三条家の跡地に建立。萩の神社としても知られています。染井(そめい)京都の三名水「醒ヶ井(さめがい)・県井(あがたい)・染井(そめい)」のひとつである染井の井戸が神社の境内の手水舎にあり、今も名水を拝受しております。当社境内は、藤原良房の娘明子(あきらけいこ-清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の趾で、この良房の屋敷を染殿と称し、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたという由緒があります。染井は甘くまろやかな味で、茶の湯にも適す水としても知られています。この名水の永久保存のために昭和35年に「染井会」が発足したと言われています。しかし、茶の湯との関わりはさらに深く、昭和14年12月に淡々斎宗匠(たんたんさいそうしょう)が染井の名水を使って献茶...京都梨木神社例祭10日

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 歩ける庭の実光院 NO.52

    宝泉院と同じく勝林院の坊である、この実光院の見所もまたお庭。ただしこちらのお庭は眺める庭だけではなく、歩ける庭なのが嬉しいところ。鑑賞式庭園の契心園は江戸から続く実光院の主庭ですが、もう一つの回遊式庭園は元々理覚院があった土地に、植木や石の一つ一つに至るまで、現住職が手づくりで造り上げたもの。中心をなす珍しい桜で、紅葉と桜を一度に観賞できる点でも楽しみの深いお庭です。その植物の種類は小規模の植物園並みの数。その全てを程よい大きさに保つには並大抵ではない手入れが要求されますが、プロの庭師の設計ではないからこその自由な造りのお庭には、人の暮らす庭への親密な愛情がたっぷり詰まっています。この生き生きしたお庭のそぞろ歩きは植物好きにはこの上ない楽しみ。理覚庵と名づけられた、わび加減が好ましい茶室も見ものです。声明...京都紅葉100シリーズ寺社歩ける庭の実光院NO.52

  • 京都 壬生寺の壬生狂言 重要無形民俗文化財 10月の連休(体育の日を含む)の3日間

    当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。せりふを用いない宗教劇近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、30曲であります。しかし、一般の能狂言とは異な...京都壬生寺の壬生狂言重要無形民俗文化財10月の連休(体育の日を含む)の3日間

  • 京都 紅葉100シリーズ寺社 大原問答の勝林院 NO.51

    京都の北東部に位置する大原は、かつては世を捨てた隠者たちが住んだ隠れ里。山あいの自然豊かなところです。仏教音楽、声明の生まれた地でもあります。大原は狭いエリアに見どころ一杯です、半日あれば十分。勝林院慈覚大師が開基ですが、長和2年(1013)に寂源法師によって建立されました。文治2年(1186)に浄土宗の宗祖・法然と旧仏教の碩学と宗論を戦わせた「大原問答」はあまりにも有名です。日本音楽の源流といわれる声明音律の発祥の地と呼ばれ、来迎院と並んで大原二流の一流をなしています。すぐ近くに、勝林院にゆかりのある宝泉院があります。境内には鐘楼と本堂があり、その呼び名は証拠阿弥陀堂といわれ、旧本尊は寛仁4年(1020)の「大原談義」から150年余り後の「大原問答」で説法の証を示したことから「証拠の阿弥陀」と呼ばれてい...京都紅葉100シリーズ寺社大原問答の勝林院NO.51

  • 京都 今宮神社例大祭・前夜祭 8日・9日

    今宮神社と言えば、参道で販売されているあぶり餅が有名です。8日の例祭前夜祭には御神楽「人長の舞」が行われます。994年京都に流行した、疫病の退散のため朝廷が神輿を造り、船岡山に祀ったのが創祀。素盞鳴命が鎮座した日にちなんで行われるものです。神楽人の長が舞うので人長の舞といいます。手には採物(とりもの)に鏡を挨した白い輪を下げています。9日の例大祭には「東遊び」が行われます。東遊びとは、もともと東国地方の風俗歌に合わせて舞う民間舞踊が、平安時代に雅楽の一曲として形式が整えられたものです。三柱の神様は中御座:大己貴命おおなむちのみこと東御座:事代主命ことしろぬしのみこと西御座:奇稲田姫命くしなだひめのみことこの三柱の神様を本社に祀り、今まであった疫社を合わせて、「新しい宮」という意味で今宮神社と名付けられます...京都今宮神社例大祭・前夜祭8日・9日

  • 京都 紅葉100シリーズ 小野小町と隨心院 NO.50

    小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院。小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、随心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。随心院は、仁海(954-1046)が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。仁海(954-1046)は真言宗小野流の祖である。神泉苑にて雨乞の祈祷をたびたび行い、そのたびに雨を降らせたとされ、「雨僧正」の通称があった。曼荼羅寺は仁海が一条天皇から寺地を下賜され、正暦2年(991年)に建立した寺である。伝承によれば、仁海は夢で亡き母親が牛に生まれ変わっていることを知りその牛を飼育したが程なく死んだ。それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き本尊としたことに因んで、「牛皮山曼荼羅寺」と名付...京都紅葉100シリーズ小野小町と隨心院NO.50

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