にほんブログ村1347.11.日 貞和三年十一月日群馬県伊勢崎市昭和町1645-1 天増寺凝灰岩製山門を入り、向かって右前方に吹抜きの小堂があり、内に2mを超える石塔が祀られている。現塔高;253.5基礎下部幅;78.0 基礎上部幅;76.
「史迹と美術」第九四〇号に「九州の石塔調査報告12.法華寺観音堂角宝塔々身」が掲載されました。
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 12.法華寺観音堂角宝塔々身』が「史迹と美術」第九四〇号に掲載されました。2023年12月28日発行です。その他には『高野山青葉まつり・宗祖降誕会考』 木下 浩良 著『格狭間の起源について』『第一一一〇
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にほんブログ村1347.11.日 貞和三年十一月日群馬県伊勢崎市昭和町1645-1 天増寺凝灰岩製山門を入り、向かって右前方に吹抜きの小堂があり、内に2mを超える石塔が祀られている。現塔高;253.5基礎下部幅;78.0 基礎上部幅;76.
にほんブログ村大永八戊子天八月吉日 1528.08.吉日福岡県柳川市三橋町百丁 成就寺安山岩製塔高;84.0 境内の1画、基壇上に建つ。 蓮弁上部を欠いた光背の様な形状の安山岩自然石を用いた塔婆。多少の凹凸の残る碑面一杯に刻字がある。
にほんブログ村『九州の石塔調査報告16.元大原神社宝篋印塔』が「史迹と美術」第九四八号に掲載されました。2025年1月28日発行です。 その他には『上狛・西福寺の松尾神社神宮寺旧仏像』 八田 達男 著『京洛茶話 清少納言の稲荷詣』
にほんブログ村鎌倉時代後期千葉県船橋市宮本6-1 西福寺安山岩製 西福寺境内に入らず、門に向かって右方の路地へ回り、寺域の東側に接して1区画が設けられ、2基の石塔、宝篋印塔と五輪塔が並び建っている。その右側の宝篋印塔である。 塔は、相輪の伏
にほんブログ村鎌倉時代後期東京都葛飾区東堀切3-9-3 普賢寺安山岩製安山岩製 普賢寺の山門を入って直ぐ、向かって右側の墓域に、古塔を集めた小区画が設けられている。その区画の東側に3基並ぶ宝篋印塔の中央塔である。 関東地方中世石塔に通常設けられ
にほんブログ村『九州の石塔調査報告15.財前家墓地国東型宝塔』が「史迹と美術」第九四六号に掲載されました。2024年9月28日発行です。 その他には『いわゆる「国指定史跡 宇治川太閤堤跡」について---観光資源としての「史跡」の危うさ---』
にほんブログ村1318.03. 文保二年三月日滋賀県東近江市鈴町1315-1花崗岩製 宝塔は、吉禅寺の転居に合わせて、旧墓地から移転されたという。境内の道路沿い、塀内の1区画に、旧墓地に有った墓碑群を階段状に集積し、その中央最上段に置かれている。
にほんブログ村南北朝中期~後期奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂花崗岩製建治二年銘石棺仏と小石仏群を祀る小堂の外、毘沙門堂の壁際に並べられた石仏群の中央の石仏。石高;54.0センチ 下部幅;48.0 上部幅;37.0像高;34.52024
にほんブログ村建治二年(1276)他奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂花崗岩製他小堂内外に、石仏群が収められている厚肉彫阿弥陀如来立像石棺仏(建治二年、1276)他、善教作地蔵石仏(南北朝時代中期)、庚申塔(寛政四年、1792)その他小石仏や石塔部品など多
にほんブログ村1792.02.吉日 寛政四壬子二月吉日奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂月輪内「庚申」「村講中」「寛政四壬子年二月吉日」2024.03.05.撮影
にほんブログ村『九州の石塔調査報告14.法華寺観音堂角宝塔々身無銘(1)~(3)』が「史迹と美術」第九四三号に掲載されました。2024年3月28日発行です。 その他には『画論研究3『画筌』の研究-現代語訳付-(十四)』 寺元 健三 著『高野山奥之院
にほんブログ村『九州の石塔調査報告13.法華寺観音堂角宝塔残欠』が「史迹と美術」第九四二号に掲載されました。2024年2月28日発行です。その他には『五輪塔雑攷 彩色された五輪塔(下)』 加藤 繁生 著『第一一一三回例会 近江八幡市の長命寺と市内
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 12.法華寺観音堂角宝塔々身』が「史迹と美術」第九四〇号に掲載されました。2023年12月28日発行です。その他には『高野山青葉まつり・宗祖降誕会考』 木下 浩良 著『格狭間の起源について』『第一一一〇
にほんブログ村1392.08.18. 明徳三八月十八日福岡県福津市内殿732 渓雲寺 本堂前に東面して建つ。元は、隣の古賀市筵内の民家で庚申塔として、信仰されていたものを、管理者から渓雲寺に託され、移設されたものである。基部は、土中に直接、
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 11.相良寺角宝塔々身(下)』が「史迹と美術」第九三八号に掲載されました。2023年9月28日発行です。その他には「画論研究3『画筌』の研究―現代語訳付―(十一)」 寺本 健三 著「絵葉書に見る高野山不動堂古写真
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 11.相良寺角宝塔々身(上)』が「史迹と美術」第九三六号に掲載されました。2023年7月28日発行です。その他には「山口県下の注目すべき狛犬二題--瓦造狛犬の古例と西限の笏谷石製狛犬」 山下 立 著『第一一〇五回例会 大
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 10.浄水寺跡南无如法妙法蓮華経塔』が「史迹と美術」第九三四に掲載されました。2023年5月28日発行です。その他には『五輪塔の起源と卒都婆の変遷について(上)』 木下 浩良 著『画論研究3『画筌の研究-現代語訳付-(十
にほんブログ村『九州の石塔調査報告 9.浄水寺石燈籠』が「史迹と美術」第九三十号に掲載されました。2022年12月28日発行です。その他には『画論研究3『画筌の研究-現代語訳付-(七)』 寺本 健三 著『赤膚錦恵山銘花器をめぐって(一)』 村上 泰昭 著
にほんブログ村1276.01.09. 建治二年一月九日奈良県天理市柳本町833 毘沙門堂凝灰岩製石高;112センチ幅;52 厚;24像高;49 JR柳本駅の北東、下長岡公民館に並んだ迎蓮寺(こうれんじ)毘沙門堂脇に小石仏が集められている
にほんブログ村1468.08.23. 応仁二年八月廿三日奈良県奈良市雑司町 東大寺塔頭 知足院花崗岩製塔高;151センチ 塔は、複弁反花座、地輪、水輪、火輪、風・空輪の5石で組む。 複弁反花座を付けるのは、大和地方の地方色である。 地輪は
にほんブログ村1318.03. 文保二年三月日滋賀県東近江市鈴町1315-1花崗岩製 宝塔は、吉禅寺の転居に合わせて、旧墓地から移転されたという。境内の道路沿い、塀内の1区画に、旧墓地に有った墓碑群を階段状に集積し、その中央最上段に置かれている。
にほんブログ村南北朝中期~後期奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂花崗岩製建治二年銘石棺仏と小石仏群を祀る小堂の外、毘沙門堂の壁際に並べられた石仏群の中央の石仏。石高;54.0センチ 下部幅;48.0 上部幅;37.0像高;34.52024
にほんブログ村建治二年(1276)他奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂花崗岩製他小堂内外に、石仏群が収められている厚肉彫阿弥陀如来立像石棺仏(建治二年、1276)他、善教作地蔵石仏(南北朝時代中期)、庚申塔(寛政四年、1792)その他小石仏や石塔部品など多
にほんブログ村1792.02.吉日 寛政四壬子二月吉日奈良県天理市柳本町833 迎蓮寺毘沙門堂月輪内「庚申」「村講中」「寛政四壬子年二月吉日」2024.03.05.撮影
にほんブログ村『九州の石塔調査報告14.法華寺観音堂角宝塔々身無銘(1)~(3)』が「史迹と美術」第九四三号に掲載されました。2024年3月28日発行です。 その他には『画論研究3『画筌』の研究-現代語訳付-(十四)』 寺元 健三 著『高野山奥之院
にほんブログ村『九州の石塔調査報告13.法華寺観音堂角宝塔残欠』が「史迹と美術」第九四二号に掲載されました。2024年2月28日発行です。その他には『五輪塔雑攷 彩色された五輪塔(下)』 加藤 繁生 著『第一一一三回例会 近江八幡市の長命寺と市内