日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
お堂を左側に回りながら見ていきます。 これなあに???蟇股は高いところにあるし、彫刻は小さいし、かなり劣化しているので何の彫刻なのかわかりづらいです。 それでも、じーっと見ていると大きな魚が見えてきました。最初は姜詩の奥さんが大きな鯉を捕まえたのかと勘違いしました(笑)。 でも目を凝らすと魚に乗って書物を読んでいる人の姿が見えてきました。 ↓この角度だと尾鰭がわかりやすいですね。写真を撮る時はいろんな角度から撮影したほうがいいですね。 ↑こんな感じかな。 日光東照宮陽明門の琴高仙人。 サカナに乗って読書。乗り物酔いしそう。
正面左側の彫刻です。 唐夫人ですね。右から子ども、唐夫人、お姑さん。母を慕う子どもをお母さんが「あとでね~」と諭している感じ?
3番目。「観音堂」と書かれた額の上の彫刻です。 左のポニーテールの子は馬の首がついた棒(竹馬)を持ってるようです。右側の、膝に手を乗せて座っている人は大人かな?遊ぶ孫を見守るお爺さんとか。そんなのわざわざ彫刻にしないかな(笑)。 日本の竹馬とは違って、竹の先に木で作った馬の頭をつけて、またがって遊ぶものとのこと。 日光東照宮陽明門の唐子。竹馬遊び。 絵本直指宝から「小児騎楽の図」。右ページの子が竹馬に乗って遊んでます。 絵本直指寳. 巻之1 / 橘守国 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より この竹馬は接地箇所に車が付いてますね。改良されてますね。
正面右の蟇股から見ていきます。「観音堂」の額の右上ですね。 これは自信アリマース。郭巨ですね。大きな釜が目印。右で鍬を持っているのが父親の郭巨、左が幼子を抱く母親。 三人の顔立ちがはっきりわかっていた頃に見たかったですねー。 釜の左の、ネット状の物は何かしら。
さて初回からいきなりタイトル不明です。向拝というんでしょうか、お堂の前の柱の上にある横に長い彫刻です。何を表している彫刻なのかご存じの方、教えて頂けると幸いです。 人物は9人いるようです。 メインは中央の、このお二人でしょうね。左の人は恭しくお辞儀してます。 左の人は書類か何かを受け取っているのかしら?表彰状受け取ってるような姿勢よね。 右の人は何しているのかな。書類に何か書いてるようにも見えます。冠や烏帽子はかぶってないですね。 右側の5人がこちら。右端の人は何かに寄りかかって寝てるのかしら。 左4人がこちら。右から二番目の立っている人は後ろで座っている人に服を引っ張られて振り向いているのか…
千葉県香取市下小野にある宝蔵院。 「観音堂」の額の掛かったお堂の蟇股に彫刻があります。 かなり劣化していて、何の彫刻かわかりにくいです。一面に3つずつ、計12個の蟇股彫刻がありますが半分くらい題材がわかりませんでした。 明日から一つずつご紹介していきます。何の彫刻かおわかりになる方はぜひコメントください。
かすみがうら市 子安神社・3 柳歌君奮戦の場(国性爺合戦)かなあ??(完)
早くも最後になりました。和藤内とは建物の反対側にある彫刻です。 波の上の船頭さんと、陸地に女性が二人。さてこれは何のお話? 船頭さんは怖い顔。 真ん中で座っている女性は頭を押さえて険しい表情? 右で立っている豪華な衣装の女性は右手を伸ばして「ちょっと待ったあ!」的なポーズ。 反対側の彫刻が「国性爺合戦」の和藤内の虎退治なので、これも同じ話を題材にしているのではないかと思いました。下の画像、赤で囲んだ部分が「国姓爺合戦・柳歌君奮戦の場(りゅうかくんふんせんのば)」です。 敵に狙われた栴檀皇女を守って港へ一緒に逃げる柳歌君(皇帝の家臣の妻)。敵の一人「剛韃(ごうだつ)」は小舟で二人を探し回り執拗に…
虎に向き合う二人の人間。二十四孝の楊香と似てますね。「国性爺合戦」の和藤内だと思います。 二十四孝のメンバーではないのでカテゴリーは「番外編」にしました。 ↓ こちらは楊香(東置賜郡貞泉寺)。 この彫刻が楊香ではなく和藤内だと思われるところは・・・。 まず、場面中央の人が勇ましそうな大人の男性であること(楊香は性別不定ですが年齢はまだ14~15歳のようです)。 そして刀を差していること。左手でしっかり握ってますね。楊香は刀を差してません。 一緒にいる人物は「楊香」なら父親ですが、和藤内の隣にいる人は髪の長い女性です。母親ですね。虎を見ても楊香の父親のように逃げ腰ではありません。 和藤内の虎退治…
胴羽目の大きな彫刻は老莱子。 両親の前で子どものフリをして踊っています。髭を剃るのは思いつかなかったようですね。 変なことに巻き込まれて気の毒な子どもが二人。 おばあさんは微笑んでいますがおじいさんは冷めた表情。
明日からは、かすみがうら市東野寺の子安神社の彫刻をご紹介します。 ご紹介するのは人物の入った彫刻3枚です。一枚は本殿の胴羽目、二枚は屋根の下の三角部分・・・妻壁って言うんですか? ↓ココ!ココ!この部分。こっち側と向こう側に二枚彫刻がありました。 胴羽目の彫刻は二十四孝の老莱子です。妻壁の二枚は近松門左衛門の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」を題材にしているのではないかと思われます。
今日でラスト。最後は唐夫人。高齢で歯の悪い姑に母乳を飲ませているところですが、この角度から見ると姑が男性に見えてさらに不気味。 あーやだやだ。 この大きな動物みたいなのは何でしょうね。ぬいぐるみ?ペット? こちらは八千代市飯綱神社の唐夫人。 子どものそばに獅子頭みたいな玩具が置いてあります。 中原不動尊のは玩具というには大きいわね。 ーーー 水戸市 中原不動尊の二十四孝彫刻 終 ーーー
鍬を持った少年と象。大舜ですね。 象の尻尾がどうなっているのかよくわからない。鳥がいるのかなあ。 翼が折れたのかな? 雨引観音の大舜。大きな鳥が飛んでます。
真冬に鯉が食べたいだの(王祥)タケノコが食べたいだの(孟宗)毎日遠くの美味しい水が飲みたいだの(姜詩)、二十四孝の高齢母はわがまま言うわね。 そういうわけで孟宗はタケノコ掘り。冬にタケノコなんかあるわけないよねーと泣いていたらタケノコがニョキニョキ。 中川家の弟さんに似てない?
貧しさのあまり我が子を埋めようと穴を掘っていたら黄金の釜が出てきて喜ぶ郭巨夫婦。郭巨は幼い我が子よりも、年老いた自分の母親を守ろうとしていました。 さっそく買取業者に査定してもらいましょうねー。 着物も色あせてきたから新しいのを一枚欲しいわね。
幼い時に生き別れになった母親と何十年ぶりかで会えた朱寿昌。左端がお母さん。 真ん中の子は何のためにいるのかというと・・・。 お母さんの左手が子どもの左肩に置かれてるようですね。 髪の毛が黒いのでお母さん若く見えますが70過ぎてます。支えがあると嬉しい年頃です。 「御伽草子」ではたくさんの若い人に付き添われて玄関先に出てくる母親。 国立国会図書館デジタルコレクションより
これは庾黔婁の鉄板の構図ですね。祭壇の前で空を見上げる庾黔婁とお供え物を差し出す童子。 この彫刻では星は描かれていませんが、二人の視線の先には北斗七星があります。 こちらは雨引観音の庾黔婁。ボケボケ。ここもいつか再訪して写真撮り直したいです。
父親が蚊に刺されないよう、裸になって自分に蚊をおびき寄せる呉猛。呉猛小さいね。 お父さんの顔色は血の気がないので不幸があったのかと誤解する人がいてもおかしくなさそう。 中原不動尊のお堂を一回りして蟇股彫刻を見たとき、桜川市の雨引観音の彫刻と似てるなあと思いました。人物が丸っこい感じとか、小物の表現とか。 これは雨引観音の呉猛。 色の塗り方は雨引観音のほうが丁寧ですね。お父さんの着物の柄もカラフル。 雷神の太鼓の巴の柄も雨引観音はとても細かいです。 中原不動尊 雨引観音 中原不動尊の素朴な彩色も好きですよ~。
小さな車に乗った高齢男性と、何か食べ物を捧げる若い男性。 この絵柄、私は初めて見ましたが、これは董永だと思われます。 董永と言えば、借金返済を手伝ってくれた後、天に帰る織姫を董永が見送るシーンが多いですね。 稲敷市大杉神社の董永。綺麗な雲に乗り、従者と共に織姫は天へ。 こちらは成田山釈迦堂の董永。見送る董永の脇には織姫の残していった反物が積まれてます。 これらのお馴染みの構図だと一目で「董永」とわかります。 この挿絵は「二十四孝教近道(北尾重政二世 画)12 董永」より。 国立国会図書館デジタルコレクションより 文章の最初のほうで「父親が年老いて歩けなくなったので、小さい車を作り、田んぼの畔(…
王祥の左には雷神さま。 ギョロリと睨む雷神。 これはもしかして2 王裒の相方さんなのでは? 王裒は正面左側の蟇股。 そして雷神様は本堂を左に回った面の中央の蟇股。丸で囲んだ場所です。 こうして二人を並べると、王裒が背後の雷神を警戒して振り向いているように見えます。 二枚組が引き離されているように思われる社寺彫刻、たまに見かけますよね~。お堂の修理や塗装直しで外した時に混乱しちゃったのかな。 八千代市飯綱神社の王裒。 欄間彫刻です。これだけ横長だとお墓・王裒・雷神がゆったり入りますね。 さて彩色についての疑問。赤丸部分、背景の雲と同じ色で彩色されているけれど、これは左手で掴んでいるバチの下にある…
氷の上で寝ている王祥。体温で氷を融かして魚を捕まえる作戦。母親が魚食べたいと言ったので体を張って親孝行。 せっかく鯉が顔出してるのにね。 王祥、寝てたらダメよー。 さて先日ご紹介した千手院観音堂の王祥と今回の中原不動尊の王祥を比べてみます。 上は千手院観音堂。蟇股にきちっと収まってますね。下の中原不動尊の王祥は蟇股の手前に大きくはみ出してます。なので中原不動尊のほうが迫力ありますね。わかりやすいし。
母は雷が苦手だった。死んだ後も雷が鳴るとお墓の中で震えているに違いない。僕が行って守らなきゃ!という謎論理に従って母親のお墓へ急ぐ王裒。 背後に近づく雷雲を警戒しつつ、お墓の下の母親に優しく話しかける王裒。 映画「キャリー」だと次の瞬間・・・。
大小二つある鰐口の向こうには楊香。 虎に石を投げたり虎の首に絡みつく楊香もいますが、この楊香は穏健派のようですね。話し合いで解決するようです。 低姿勢な楊香。 自分だけ木の陰に身を潜めたり遠くへ逃げたりすることの多い父親ですが、この父親は楊香の腰に手をかけて引き留めています。 楊香やめとけよ、ちょっかい出すのは!って言ってそうなお父さん。
●水戸市 中原不動尊 水戸市中原町
明日からは水戸市の中原不動尊の二十四孝彫刻をご紹介していきます。 まずはお参りよ!と思ったらお賽銭箱がないわよ!ネットの過去の画像見たらちゃんと扉の前に置いてあるんだけど。撤去しちゃったのかしら?? 手を合わせて扉の向こうのお不動さまにご挨拶しました。 20年ほど前に町村合併で東茨城郡内原町中原から水戸市中原町になったんですね。地名にシールが貼って訂正してあります。 「昭和六十年の修理で全面塗装を施している」と書かれています。蟇股彫刻もその時彩色されたものかしらね。 お堂の回り、各面に3つずつ蟇股彫刻があります。センター位置、鰐口の奥にあるのは楊香です。楊香から左へ、順番にご紹介していきます。…
ついに最後の人になりました。鹿の皮をまとった剡子。 眼の悪い両親のために、目に良いとされる鹿の乳を求めて、鹿になりすまして山に入った剡子。 本物の鹿と間違われて猟師に狙われます。大声で「僕は鹿ではありません」とアピールして命拾いしました。 猟師の右手、もともとは何か持っていたのかな。 この絵のように弓や弦を持っていたら落ち着きますね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース ーーー 鹿沼市 千手院観音堂の二十四孝彫刻 終 ーーー
いよいよ残り二人。今日は母親の墓守をする王裒。 生前雷が大嫌いだった母親が亡くなった後も、雷が近づくとお墓へ行って「僕がここにいるから大丈夫ですよ」と励ます王裒。親孝行・・・なの??? ほかにすることないの?
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日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
訪問先で出されたミカンをこっそり持ち帰ろうとして見つかっちゃった陸績。 挨拶する時に袂からミカンが転がり落ちてしまったのでした。悪いことは出来ませんね、というお話・・・ではありません。美味しそうなミカンを母親のために持ち帰ろうとしたのでした。 鹿沼市千手院観音堂の陸績。ミカンが転がってます。 こちらの彫刻ではミカンが見当たらない。 陸績の足元がなんか怪しい。 画像を調整してみました。「浩」の下あたり、赤丸部分にミカンが数個あったのでは。ガリガリ削った跡があるし。これでは陸績が何を咎められているのかわからないですね。
性格悪くて追い出されそうになった義母を庇う閔損。 岡田玉山の閔損。義母の連れ子二人は置いていくのね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 自分の実子二人には優しく、冬には厚着をさせていましたが、先妻の子である閔損には寒くてたまらない服を着せていた後妻。 反省なんかしてないでしょうねー。 激怒する父親をなだめる閔損。お義母さんがいないと子ども三人ともこごえます!お義母さんがいれば僕は寒くても小さい子二人は暖かくしてもらえます!という謎理論で父親を説得。もっと自分を大事にしてほしいものです。 父親は閔損の謎理論に納得してしまったのか、後妻は家に…
蔡順。左上に「蔡順」と彫ってあるので蔡順。 桑の実の入った籠の横で座っているのが蔡順。なぜか籠が一個しかない。自分用(未熟)と母親用(完熟)、二つの籠がほしいところ。 で、この中央で妙なポーズを決めて、やたら目立っているお兄さんは誰なの。刀背負ってるから盗賊の一味なんでしょうけど。そのポーズの意味はなあに。お米はー?肉の片腿はー?御伽草子の蔡順のお話はこちら。 蔡順:早くご褒美下さいよー。 近所の道路わきに勝手に生えてる桑の木が、ちょうど実をつけてました。 上のように黒っぽくなったら食べごろですねー。桑の木って鳥が種を運んで勝手に生えてくるケース多いみたいですね。
年老いた母親を長生きさせるために、郭巨夫婦は幼い我が子を埋めて殺す計画を立てました。地面を掘ると黄金の釜が出てきたので生活は安泰になりました。子どもの命も救われました。 なんだか掘りにくそうな体勢。 岡田玉山の郭巨。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 郭巨はカメラ目線になっています。 奥さんは泣いてますね。彫刻で、泣いてる郭巨の奥さんは珍しいかも。 重宣の郭巨では奥さん泣いてます。 『和漢廿四孝』重宣 画 (東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース
姑のために遠いところまで水を汲みにいっていた姜詩の奥さん。その献身的な親孝行により神仏のご加護を受け、自宅敷地内から水が湧き出るようになりました。しかも毎日鯉も二匹ずつ捕れる様になりました。 水際にしゃがんで、柄杓で桶に水を汲む女性の図は「姜詩」の絵や彫刻ではスタンダード。 御伽草子 二十四孝 姜詩 国立国会図書館デジタルコレクションより 鯉が二匹水面から顔を出しています。 和漢廿四孝 (柳下亭種員撰 房種画)・9 姜詩 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より ↑この絵の中に、ご主人の姜詩は不在。 魚を運びながら橋を渡るのは姜詩かな。 水汲み場から奥の家まで結構距離ありそう。もっとも自…
董永。主役の董永は画面右上の遠いところにいます。 拡大しないとよくわからない存在。何か農具を担いで帰ってきた様子の董永。 元にしたと思われる岡田玉山の挿絵では織姫のそばにいるのにね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻では無理やり後ろを向かされている織姫。赤い部分は椅子の足なんですよね。普通に椅子に座っているのに上半身は後ろ向き。 江革や曽参、黄香も挿絵では前を向いているけれど彫刻では顔の向きが変わってます。黄香は身体ごと挿絵とは反対向きになってますが。 どうしてもこちらに向いている顔を彫りたかったのかなあ。でも織姫の姿勢は無理矢理す…
服を脱ぎ、身を挺して親の代わりに蚊に刺される呉猛。土の上に何か敷いて寝てるし。親は爆睡。呉猛の孝心に感動するより父親への批判のほうが強そうな場面。 岡田玉山・絵本二十四孝の呉猛。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 挿絵では一応屋根のある場所。 呉猛は丸々と太って血も美味しそう。蚊が狂喜する状況ですね。
漢文帝の右側には大舜。お二人の皇帝が並んでました。 つらい幼少期を過ごしながらも親を恨んだりしなかった舜。 これまでご紹介した彫刻では主に参考にしていたと見られる岡田玉山の「絵本二十四孝」ですが、大舜(虞舜)は一般的な少年時代の大舜ではなく皇帝になってからの姿が描かれてます。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の象はこちらが似てる感じ。「二十四孝教近道」の大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより バッグの中には何が入ってるのー。クンクン。
漢文帝は立派な宮殿にお住まいですね。豪邸過ぎて人物が小さくなってます。 岡田玉山の漢文帝。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の人物の部分を拡大してみましょう。 赤で囲んだ漢文帝と病床の薄太后、そして黄色で囲んだ男性二人と女性一人が彫刻にも描かれているよう。 こちらの厨房担当?の女性は挿絵には出てこない人ですね。 家の中にはこんなに使用人がいるのに、母親の食事は漢文帝自ら味見をして運んだ、というお話ですね。
夏には寝床を扇いで涼しくしてから父親を寝かせる、親孝行な黄香。 岡田玉山の黄香。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 黄香の立ち位置は違いますが、着崩した父親はよく似てますね。
雷雨の度にお墓へ飛んでいく、お墓参り好きな(?)王裒。 お墓が二つ並んでます。父親と母親のお墓でしょうね。 王裒後方頭上には雷神の姿がありますが・・・。 この画像では何だかよくわからない!今度行ったときには雷神もちゃんと写真撮ってこよう。 龍元さんのブログ「国指定重要文化財 柞原八幡宮 其の二」には可愛い雷神さんのお姿がくっきりと。 岡田玉山の王裒もお墓が二つ。こちらは雷神は不在。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
山で薪を集めていた時、「息子よ、早く帰って来て」という母親の心の叫びをキャッチした曽参。 後ろを振り返りつつ、母の待つ家に急ぎます。薪が誰かに盗まれないか心配してるのかしら。 岡田玉山の曽参。こちらの曽参は前を向いてます。首から下、手足の動きは彫刻と挿絵はよく似てますね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 謎の薄笑い。 薪と薪の間に桶がぶら下がってます。ここに桶があるのは初めて見ました。
妻子も地位も捨てて、生き別れになっていた母親に会いに行った朱寿昌。 岡田玉山・絵本二十四孝の朱寿昌。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より玉山の絵では山中の二人ですが、日暮門の彫刻では母親の背後に家がありますね。 やっぱり朱寿昌が訪ねていった母親の家があったほうが落ち着きますね。
母親を車に乗せて曳く江革。多分戦火が収まって避難先から自宅に帰るところ。 岡田玉山の「絵本二十四孝」の江革。 彫刻の江革は振り向いて母親の様子を見守っています。
将来的に、「時代にそぐわない不適切な表現」という理由で撤去されてしまう可能性も否定できない唐夫人。 岡田玉山の唐夫人。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
鹿の扮装をして山に入り、猟師に狙われる剡子。 岡田玉山「絵本二十四孝」の剡子。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 変な奴!討っちゃえ! 怪しい者ではありません!説得力ゼロだけど!
介護を女性に押し付けなかった黄庭堅。 上の部屋には病床の母親。回廊から母親のお小水を流す黄庭堅。下にはお湯を沸かしている女性。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 滝の音を聴きながら飲み物を運ぶ女性。風流ですねー。 その滝の上流で何やら流す主人。 見ないほうがいいわね~。
今日ご紹介する彫刻は仲由です。 孔門十哲の一人、子路。 岡田玉山の仲由。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 仲由は親と暮らしていた頃、貧しくていつもアカザの実などを食べ、米を運ぶ仕事をしていました。両親の死後、仲由は出世して御馳走が食べられるような身になりました。けれども仲由はアカザを食べながら親を養っていた暮らしに戻りたい、と思い涙するのでした。 彫刻ではテーブルの前の女性はいませんね。 食べ物を運ぶもう一人の女性は回廊を歩いています。 先日外食したとき「キヌアのサラダ」というメニューがあり、「キヌアってなあに?」と思って調べたら「アカ…
さて今日はこちらの彫刻です。「丁蘭」です。 左の祠の中には小さな像が二つ。丁蘭の両親をかたどったもの。 「丁蘭」の話を知らない人がこの彫刻を見たら、中央で棒を振り回す人が丁蘭だと思っちゃいそう。 そして右上の女性は、乱暴な夫から像を守ろうとする健気な丁蘭夫人だと思ってしまいそう。 岡田玉山の「丁蘭」。詳しいお話はこちらをご覧ください。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より ということで、この暴徒は丁蘭家の隣人の張叔さんでしたー。 丁蘭は不在です。
体温で氷を解かし、母親の為に鯉を捕まえて持ち帰った王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 王祥 王祥 いとけなくして母をうしなひ 父また継母をもとめ その名を朱氏といひはべり 継母のくせなれば 親子のなかをあしくいひなしてにくましはべれども うらみとせずして けいぼにもよく孝行をいたしける かやうの人なる程に もとの母 冬のきはめてさむき折ふしなま魚をほしく思ひける故に 肇慶府といふ所の川へ もとめにゆきはべりされども冬のことなれば こほりとぢて うを(魚)みへずすなはち衣をぬぎて はだかになり こほりの上にふし魚なき事をかなしみゐたれば …
母の身に何かあったのではと、薪を背負って山から飛んで帰ってきた曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰来晩 骨肉至情深 曽参 曽参あるとき 山へ薪を取にゆきはべり 母るすにゐたりけるに したしき友来れりこれにもてなしたく思へども 曽参はうちにあらずもとより家貧しければかなはず 曽参がかへれかしとてみづから指をかめり曽参山に薪をひろひゐたるが にはかに むなさはぎしけるほどに いそぎいへにかへりたれば母ありすがたをつぶさにかたりはべりかくのごとく ゆびをかみたるが とほくへこたへたるは 一段の孝行にして 親子のなさけふかきしるしなりそうじて曽参の事は 人にかは…
冷たい継母の仕打ちにも黙って耐えた閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子有賢良 何曽照(怨?)晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫 閔子騫 いとけなくして母をうしなへり 父また妻をもとめて二人の子をもてり かの妻 我が子をふかく愛して 継子をにくみ 寒き冬の日も葦の穂を取りてきる物に入れて着せける間 身も冷へて たへかねたるを見て父 後の妻を去らんとしければ 閔子騫がいふやうは かの妻を去りたらば 三人の子さむかるべし今我一人寒さを こらへたらば 弟の二人は暖かなるべしとて 父をいさめたるゆへに これを感じて 継母ものちには へだてなく いつくしみ もとの母と同じくなれり ただ人…
亡くなった親の像を祀って毎日生きている人に対するように仕えた丁蘭。奥さんはしぶしぶ従ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭 丁蘭は 河内の野王といふ所の人なり十五の年 母におくれ ながきわかれをかなしみ母のかたちを木像につくり いける人につかへぬるごとくせり丁蘭が妻 ある夜のことなるに 火をもつて 木像のおもてをこがしたればかさのごとくに はれいで 膿ながれて 二日をすごしぬれば妻のかしらの髪が 刀にてきりたるやうになりて おちたるほどにおどろいて わびことをするあいだ丁蘭もきどくに思ひ 木像を大道へうつしおき つまに三年わびこと…
雪の中から生えてきたタケノコを収穫する孟宗。 国立国会図書館デジタルコレクションより 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春筝出 天位報平安 孟宗 字恭武あざな けうぶ 或子恭 あるひはしけう 孟宗は いとけなくして父におくれ ひとりの母をやしなへり母年おいて つねにやみいたはり 食のあぢはひも たびごと かはりければ よしなきものを のぞめり ふゆの事なるに 竹の子をほしく思へり すなはち 孟宗 竹林に ゆきもとむれども ゆきふかき折なればなどかたやすく得べきひとへに天道の 御あはれみをたのみ奉るとて いのりをかけて大にかなしみ 竹によりそひける所に にはかに大地ひらけて 竹のこ あまた おへ出侍りけ…
漢文帝。着物や床、調度品まで模様が細かく描きこまれてます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝 漢の文帝は 漢の高祖の御子なり いとけなき御名をば恒(ごう)とぞ申侍りき 母薄太后に孝行也よろづの食事をまいらせらるるときはまづみづからきこしめ召 こころみ給へり兄弟も あまた ましましけれども此みかどほど 仁義を おこなひ孝行なるは なかりけりこのゆへに 陳平周勃などいひける臣下達 王になしまいらせたりそれより漢の文帝と申侍りきしかるに孝行の道は 上一人より下万民まであるべき事也としるといへど 身におこなひ心に おもひ入ことはなりがたきをか…
トップは大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより ※文中、人名・地名と「かうかう(孝行)」「父」「母」などは漢字に変換して読みやすくしています。 隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心 大舜 大舜は いたつて 孝行なる人なり父の名は 瞽䏂(こそう)といへる 一だん かたくなにして 母は かしましき人なり弟は おほいに おごりて いたづら人なりしかれども大舜は ひたすら 孝行をいたせりある時 歴山といふ所に かうさく(耕作)しけるにかれが 孝行をかんじて 大象が来つて 田をたがやし又 鳥 とび来つて 田のくさを くさぎりかうさくのたすけをなしける也さてその時の天下の御あるじを尭(ぎや…
明日からは「二十四孝教近道」をご紹介します。 国立国会図書館デジタルコレクションより 初代の北尾重政さんは1820年に亡くなられているようです。こちらは二代目の重政さんの挿絵ですね。
とうとうラスト。黄山谷です。 母親のお小水をダーと流す黄山谷。 お小水を入れる容器は桶・タライ・ポット型などがありましたが・・・。 これは壺! ーーー 栃木市 太山寺観音堂の二十四孝彫刻 終 ーーー
さていよいよ残り二つになりました。本堂正面の右側二つの彫刻のうち、今日は右側の彫刻です。 張孝兄弟。服をはだけてないのでちょっと迷いましたが。 こちらの絵の二人もはだけてませんでした。髪を束ねてるリボンみたいなのも彫刻の二人と似てますよね。 「二十四孝教近道」国立国会図書館デジタルコレクションより 悪党は「張孝張礼」の絵とはちょっと違いますね。これは同じ「二十四孝教近道」の「蔡順」ですが、こちらの右端の悪党が彫刻と似てますねー。この絵を参考にしたのかな?
高齢の両親の前で子どもの振りして踊る老莱子。両親に老いを感じさせまいとする、老莱子なりの親孝行。 常人には理解し難い。 御伽草子の老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子が持っているのは羽が何枚かついた風車でしょうか。背景のお花と重なっているようですね。 御伽草子の老莱子部分を拡大。 どこかで子育て間違えたんでしょうかねえ、と話し合ってるかもしれない両親。
これは自信あります。孟宗です。 タケノコ掘ってるもんねー。 ササの上に雪が積もってます。季節は真冬なのよ~。これが初夏の風景だったらあまり感動しないですよね。
母親を乗せた車を曳く男性。これは江革でしょうね。車を紐で引っ張る、見たことない図柄ですが。なんでうじゃうじゃと子どもがいるのかしら。 江革なかなかしんどそう。 「親を車に乗せて曳く」というエピソードがあるのは江革のほかには董永と閔子騫がありますけど、どちらも乗っているのは父親です。董永はNo.3で出てるし、閔子騫なら子どもだし。この彫刻では曳いているのは成人男性っぽいし、乗っているのは母親ですよね。ということできっと江革。 子どもたちは手伝っているのか、邪魔しているのか。右端の子は寝てるのかしら。
No.7、No.9に続き太山寺観音堂で三番目のタイトル不明。さてこのお二人さんはどなたでしょう。前の人は男性のようですね。後ろの女性はお茶か何か運んでいます。 漢文帝っぽいんですけどねえ。でもこれが漢文帝だとすると栃木市 太山寺観音堂・7は漢文帝ではない、ということになりますよね。 上の彫刻と比べると、こっちの7のほうが漢文帝っぽい気がする。カーテンの向こうには母親らしき人物もいるしね。 別角度から。 ↑前の人は何か持っているような・・・。 ↑何も持っていないような・・・。 後ろ姿。背中に名前書いておいてくれると助かるのにね。 夫婦で何か運ぶ、というと丁蘭も考えられますが、丁蘭はすでに出ている…
これも間違わない孝子。ひび割れた氷から鯉二匹が踊りだしたところをすかさずキャッチする王祥。 両手で二匹をがっちり掴んでますね。 二匹手づかみは初めて見ました。 王祥のいろんなパターン。 輪王寺糸割符燈篭の王祥。寝転がって頬杖をつき、池から鯉が二匹並んで顔を出しています。スタンダードな構図です。 貞泉寺の王祥は一匹を押さえつけてます。 静岡県八千戈神社と神奈川県真鶴神社の王祥は押さえつけずに下からそっと持ち上げる感じ。 成田山釈迦堂の王祥は意気揚々と二匹ぶら下げて家路につきます。
これもミカンさえ確認できれば間違わない孝子。陸績。 ところがその肝心のミカンが見にくい場所にあるんですよねー。 たいてい彫刻の真下から見上げると見えないようなところにミカンが転がってます。 右のミカンをよく見ると枝と葉っぱがついているようです。 「二十四孝教近道」の陸績。この本も近いうちにテキスト起こししてご紹介しようと思います。 国立国会図書館デジタルコレクションより
背面左から二番目の蟇股彫刻は唐夫人。これも間違えようがないですね。 幼子も直視できない(?)異様な光景。 「二十四孝諺解」の唐夫人。 ARC古典籍ポータルデータベースより
さて今日の彫刻は背面左側から三番目。お墓の前で手を合わせる男性。これは確実に「王裒」ですね。 王裒の背後に忍び寄る雲。雷神の太鼓は見えますが雷神は不在? 王裒と雲の間にある板状の部分には細かい直線が平行に刻まれている様子。これは刻んで雨を表現しているのかもしれない。単に木目なのかもしれない。 そしてひょっとして蛾がここにいた? 何という蛾なのか調べようとしましたが、蛾の種類は国内に5000種以上あるとのこと。早々に諦めました。
先日栃木市 太山寺観音堂・7で下の彫刻について「黄山谷かもしれない」と書きましたが・・・。 黄山谷の彫刻は正面にありましたっ!まごうことなき黄山谷!! 場所は正面、画像中央の蟇股彫刻。左がトップにご紹介した大舜の彫刻です。 ちゃんと自分で作った太山寺観音堂の画像フォルダーに「19黄山谷」って名前を付けて保存してありました(恥)。 じゃあやっぱりこれは漢文帝かなあ・・・。でもなんか左半分の無駄な空間が気になるんですよね。ぶちぶち。
背面右から二つ目の彫刻がこちら。 お父さんがスヤスヤ寝てる!呉猛だわ! いや、ちょっと待って。右の少年は服着てる??? もしかしてこれはお父さんの布団を団扇で仰ぐ黄香の、右手と団扇が欠損してる状況? お茶セットも気になるわね。 この彫刻の元になった絵を調査中。ということでタイトル保留二個目。「黄香」か「呉猛」かで悩んだのは初めてかも。「漢文帝」と「丁蘭」はよく悩みますけどね。