日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
戦乱を逃れて、母とよその土地へ避難した江革。行きは背負って、帰りは車で母親を運んだんですね(本によっては行きも車利用)。 この絵は戦火が収まり、無事親子で故郷に帰ってきた場面ですね。奥に見えるのがきっと懐かしの我が家。(故郷から逃げる途中で賊に会うエピソードは「艱難」という言葉に集約されてます) 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 江革 行傭供母 後漢の江革字は次翁。斉国「りんし」の人なり。幼して父におくれ。母につかへて孝行の聞えあり。其比天下乱れければ。母を背に負ひ道すがら艱難経て。やうやうに栖を。もとめけり。つねに身は裸に。足は跣にて人に傭れ。其賃をとりて母をやしなひなぐさめけ…
鹿の扮装をして親の目薬採取のために山へ行く剡子。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 剡子 鹿乳奉親 剡子は其名字時代を詳にせず。相伝て孝行の名を称せり。父母老て眼を患ければ。剡子かなしみ。医療を尽けるに。鹿の乳汁を用れば癒べしとをしへける故。是を得ん事をおもへども。鹿を殺して乳の出る事あらざれば。身に鹿皮を蒙り。鹿の群たる中にまじりて。乳汁をうかかひ求けるを。猟人実の鹿とおもひ。間近く来りて。討とらんとしけるに。剡子声をあげて。しかじかのよしを述て。なげきわびければ。たけき猟人も。さすかに孝心を感じ。弓箭をふせて通りけるとなん。か(く?)をさなうあやふき事をなせしも。親をおもふ孝…
董永。お迎えの天女と一緒に雲に乗って天に帰るシーンが多い織姫が珍しく(?)機織りしています。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 董永 売身葬父後漢の董永字は延年は。はやく母を喪ひ。常に人に傭れて。父を養ふ事。孝心の誠を尽せり。父死して葬(をさ)むべき便なくて。日比傭るる主人の家に至り。銭十貫文を貸(かり)て。身を売り。永く其家の奴僕とならんと約束し。銭を得て。其礼を完(ととのへ)。主人の家に還らんとする路次にて。美しき女に遇るに。女強て妻とならん事を求め。共に主人の家に至りて董永が暇を乞けるに。縑(きぬ)三百匹を織たらん後ゆるさんといへるに。此女三百匹の多(おほき)を。僅一月の中…
仲由。お米を背負っているか、ご馳走を前にして泣いているか、どちらかのことが多い人ですね。岡田玉山の絵は泣いているほう。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 仲由 為親負米仲由字は子路。洒水の人。其性勇をこのむ。孔門十哲の一人也。家貧しうして。常に藜(アカザの実)藿(まめのは)を食とし。人にやとはれ。百里の遠きより。米を負ひはこび。身を苦しめ。其賃をとりて。両親を養ひけり。父母没して後。楚国につかへ。大功を立て。富貴の身となり。常に鼎をつらねて食し。粟を積蓄ふ事万石に及び。出るに百輌の車をしたがへ。居るに錦の茵(しとね)を重ね。栄耀こころにかなはざる事なし。しかれどもこれをよろこびと…
大舜ほどではないにしろ、親からひどい仕打ちを受けていた一人、閔損。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 閔損 単衣順母 閔損字は子騫(しけん)は。孔子の御弟子。十哲の一人にて。孝なる哉。と。孔子のほめさせ給へる人なり。幼して母におくれたり。後母二人の子ありて己が子を愛し。閔損を悪(にくみ)て。冬の裘には芦の穂を綿として着せけれども。いささかも恨とせず専ら孝敬を尽されける。或日父他へ行に。閔損に御とて。車のわきに(傍そひ?)て。馬を御(つかふ)事を命(いひつけ)しに。肌寒てつとむる事あたはざりしより。其衣の薄く。芦の穂を綿としたるを見て。大に怒り。継母を去んといふに。閔損父をいさめて…
胸騒ぎを感じて急ぎ山道を駆け降りる曽参。鎌と薪を放置。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 曽参 齧指痛心 曽参。 字は子輿。魯の南。武城の人なり。孔子の御弟子にて。道統の伝をつぎし人なり。其孝心あつきを以て。孔子。これが為に孝経を授給へり。或時。曽参。山中へ薪を採に行れしあとへ。 母のしたしき人来りければ。母もてなしたくおもひ給へども。曽參家にあらざれば。こころにまかせざるがゆゑ。我子はやくかへれかしと思ひつつ。何となく。自ら指を噛給ひけるに。山中にありし曽参。たちまち心痛けるにおどろき。母の御身の上。こころもとなく。薪をうちすてて。いそぎ帰見るに。客は既にかへり。母はまちわひ給…
舜に続いてお二人目の皇帝は漢文帝。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 漢文帝 親嘗湯薬漢の文帝。諱は恒。高祖の中子。御母を薄大夫人といふ。はじめ代王に封ぜられ給ふ。恵帝崩じて子なく。呂后封じて後諸大臣むかへて。天子とあふぎ奉れり。御母につかへて御孝行にましましける。御母かりそめの御病に臥給ひ。已に三年に及べり。帝其間。衣冠を解給はず。昼夜御目まじろかず。睡をわすれて。御看病ましまし。御薬。又は朝夕の供御をも。御みづから嘗こころみ給はざれば。すすめ奉らせ給はざりけり。天子のたふとき御身にて。かく御看病せさせ給ふを以て。其平日の御孝行をおもふべし。さればかくありがたき御孝徳を内にをさ…
一人目は虞舜(大舜)。社寺彫刻の大舜は象や小鳥と農作業をしているものがほとんどですが、こちらの書籍では立派な皇帝になったあとの舜。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 虞舜 孝感動天有虞氏。帝舜姓は姚。名は重華。黄帝の後なり。父を瞽䏂(こさう)といふ。 幼して母を喪い給ひ。父後母(のちのはは)を娶て。弟象(しょう)を生む。父頑に。母嚚(ひすかし)く。象(しょう)傲(おご)れり。父後母と象とに迷ひて。しばしば舜を殺さんとす。しかれどもあやふきをのがれて。あつく孝行を尽し給へり。いまだ童にておはせし時。歴山といふ所に。農作し給へるに。人皆畔(くろ)とて。己が田の界を譲て争はず。或は大象…
絵本二十四孝 岡田玉山画 天明8年(1788)初刊、寛政4年(1792)再刊
この本の挿絵を参考にしたと思われる彫刻も時々見かけます。岡田玉山(おかだ ぎょくざん)さんの挿絵による絵本二十四孝。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より(資料番号 arcBK02-0319) 表紙画像を見るとタイトルは「画本」のようですが、ARC古典籍ポータルデータベースでは「絵本二十四孝」として登録されていますので、「絵本」で統一しておきます。 明日からご紹介していきます。
「朝見の儀」の画像を輪王寺糸割符燈籠・7 大舜の記事に一緒に載せていましたが、独立させます。 胡粉の白さが眼を引く唐門。 「朝見の儀」の彫刻。横に長~い。 親に殺されそうになったり、象と耕作していた舜君がこんなに立派になって。 左端には太鼓をたたく男性。これは舜を皇帝にスカウトした尭帝が始めた「諫鼓(かんこ)」。尭帝は宮門の前に太鼓を据え、「政治に文句があったら、この太鼓を鳴らして教えよ」と民衆に告げた。けれど善政だったので誰も太鼓を叩かず、鳥がのんびり止まってた、というお話。 この人は叩いてますね。文句あったのかな。試し打ちかな。 ↓先日成田駅近くで開催された山車人形展で展示されていた諫鼓鶏…
正座して織姫一行を見送る董永。織姫も名残惜しそうです。ここの「董永」の彫刻はとても立体的に見えて好き。 こちらは先日ご紹介した日立市 船見山天満宮の董永。人物の配置はほぼ同じですね。左下に董永、右側に雲に乗る織姫、両脇に侍女。 船見山天満宮の彫刻には梅の木はないですね。桑橋熊野神社の彫刻には梅の枝があるけれど。ちょっと混乱。ーーー 桑橋熊野神社の彫刻 終 ーーー
唐夫人に負けてなるものかと孟宗も登場。 孟宗の笠の上、竹の葉の上などよく見るとあちこちに雪が積もってます。真冬の場面ですからね。 で、肝心のタケノコがよく見えないという。丸の中に二本あるんです。欄干で見えませんが。
毎回登場する唐夫人。このところ紹介する回数が郭巨や大舜よりずっと多いような。人気があったんですねー。 唐夫人。ご主人の名前は唐さんではなくて崔山南さんです。「唐夫人」は唐の時代の夫人、という意味のようです。 二十四孝の彫刻は説明がないと何の話かわからないものも多いけれど、「唐夫人」に関しては、見れば大体想像つくかな。親孝行、幼な子、おばあさんに乳を飲ませる若い母親とくれば。 お嫁さん、内心イヤだったろうなーということも想像つくわね。「ふふふ、これで遺産は私が多く貰えるわ」と黒い心を持っていてくれたほうがこちらとしては救われる。 唐夫人の足元には子供がいます。顔見えません。手に持った太鼓は見えま…
船橋に用事があり、帰りに寄りました。ここは船橋市かと思ったら八千代市でした。八千代市も彫刻が見事な社寺が多いところですね。 木に守られた社殿。虫よけ忘れた・・・。 二十四孝の彫刻は3点。明日からご紹介します。
ラストは董永。董永の借金返済を助けた後、天に帰っていく織姫(三人の女性の真ん中)を見送るシーンですね。 天女三人娘ゴツい。 ーーー 日立市 船見山天満宮 終 ーーー
父親を虎から守った楊香。珍しく楊香が左側、虎が右側にいますね。 ↓御香宮神社の楊香。このように楊香が右、虎は左という構図が圧倒的に多いですね。 高虫氷川神社は楊香が左、虎が右ですね。 楊香の彫刻は多いので、これからもいろんな楊香に会えそうです。
見やすい彫刻は有難いですねー。参拝客も彫刻見てあーだこーだ話し合えるものね。 姑に乳を飲ませている唐夫人。その左側に子供が二人。「唐夫人」で子供が二人って珍しいですね。 二人とも「総角(あげまき、そうかく)」という、子供の髪型。兄弟でしょうかね。で、この二人は何をしているのか。お兄ちゃんの左手を見ると・・・。 何か握ってますね。何かの柄らしきものを。デンデン太鼓かペロペロキャンデーか。上部は破損したのかな。 僕の玩具返してよー、お兄ちゃん!の図?
十王町の艫神社を参拝し、旧本殿である境内社・船見山天満宮の彫刻を鑑賞しました。 胴羽目に二十四孝の彫刻が三枚ありました。明日からご紹介していきます。
★★ 番外編では二十四孝以外の彫刻で、何かあったら書いておきます ★★ この春、地元の某神社の本殿を見る機会に恵まれました。覆屋ですっぽり覆われていて外からは見られない本殿です。その日覆屋の中に入ると、脇障子に武将の彫刻がありました。 武将が二人。これは誰と誰? 「絵本写宝袋」を確認したら、第三巻「伊豆の院宣」によく似た挿絵がありました。左の一段高いところにいるのが源頼朝、長刀を受け取っているのが加藤景廉です。彫刻の左の武将は鎌倉殿でございましたか~。 画像はARC古典籍ポータルデータベースより <伊豆の院宣> 頼朝は院宣を蒙り北条時政をかたらひ先づ伊豆の目代泉判官兼高を夜討にせんと北条承り打…
ラストは鹿男・剡子。狩人二人と剡子、猟犬一匹。 木のウロ(?)に猟犬がいます(青丸)。鹿乳採取容器が赤丸、剡子の右手が握っているのは猟師の射た弓(黄丸)。右手見えませんけど。 剡子が左手を挙げて猟師たちに「私は鹿ではなく人間です」とアピールする場面。でも強引に縦位置にしているので剡子が犬に話しかけているように見えてしまいます。「ヘーイわんちゃん、僕は人間だから噛まないでよね」。 ↓八千代市飯綱神社の剡子。本来はこのように横長の画面での剡子の姿なのでございます。これならちゃんと猟師に語り掛けてるところになってますよね。 ーーー 印旛郡栄町安食(あじき) 駒形神社の彫刻 終 ーーー
王裒。こんなぼやけた画像しかないのが悲しい。それはそれとして、お墓はどこ? 今回は毎回登場する八千代市飯綱神社の彫刻。駒形神社の脇障子は、飯綱神社の王裒と雷神を縦位置にしたような構図ですね。 飯綱神社の彫刻は18世紀後半のもの、駒形神社は1807年創建とのことで、飯綱神社のほうが少し早い時期に作られたということになるのかな。
子供のふりして派手な服着て踊る老莱子。それは年老いた両親に「あなたたちはまだ若いんですよ~。僕まだ子供だもん」と錯覚させるため。無理ありすぎでしょう。 ↓老莱子の両親。「騙されたふりしてようね」。 ↓老莱子の左側には子供が三人。楽器を鳴らして遊んでいます。 三人の様子がよくわかならいですね。下の飯綱神社の子どもたちと大体一緒です。太鼓、笛、シンバル。 ↓こちらは八千代市飯綱神社の老莱子。登場人物の動きと小道具、ほぼ同じ。 三人のポーズ、小道具、ほぼほぼ安食駒形神社と同じです。
唐夫人。坂東市の延命院観音堂、所沢市東光寺に続いて三回連続登場です。 ↑おうちの中にいるのがわかりますね。 ↑おばあさんが椅子に座っているのもわかります。左側には子供がいますが顔が見えない・・・。 ああ、ぼけている・・・。両手を広げてタイコ叩いているんでしょうね、たぶん。 ↓こちらは飯綱神社の唐夫人。左右反転するとこんな感じですね。
楊香と、木の上のお父さんと、トラのしっぽ。 楊香とトラの下半身。楊香の彫刻は祈るパターン、駆け寄るパターン、トラの首や身体に抱き着くパターンなどがありますね。この楊香は両手を広げて駆け寄るパターン。 そしてこちらがトラの顔。 ほぼ同じ構図の八千代市飯綱神社の楊香親子は丸っこいものを投げつけています。この投擲攻撃は文献では見たことありません(笑) 彫刻の全体像はShin-Zさんや龍元洞さんのサイトの美しい画像をご覧になってくださいねー。 青い金網の向こうに古い金網。私には全体像の撮影無理~。
成田線安食駅で下車して、駒形神社をお参りしました。 本殿は厳重に保護されていました。保護されすぎて彫刻がよく見えません(笑)。金網が二重に巡らされていて、撮影も難しかったです。 二十四孝の彫刻は、胴羽目に三枚、脇障子が二枚の計五枚。 棟札から、200年以上前に再建されたことがわかったそうです。 境内にはご神木の胎内くぐり。 脇に小っちゃい木もありました。犬と猫の絵が描いてあるのでペット用ですね。短すぎない? この後駒形神社と安食駅との間にある大鷲神社にも寄りましたが、そちらは彫刻が見やすくて、撮影も簡単で妙に感動しました。
背面には、二十四孝ではなく「韓信の股くぐり」の彫刻がありました。 ごつい男の人が袴の裾を持ち上げています。這いつくばって潜り抜けようとする韓信。魚籠の前に立つ人は韓信を指さして「情けない男だ」と嘲っているところでしょうか。 こちらは秩父・三峰神社の八棟木灯台の「韓信の股くぐり」。魚籠から魚がたくさん顔を出しています。 韓信よりも、左の男性の首が気になって気になって。どういう状況なんだろ。 ーーー 所沢市東光寺の彫刻 終 ーーー
もう一人の孝子は唐夫人でした。男性と女性で一名ずつ選んだんでしょうかね。 右下隅に長方形の板が。彫師の名前が記されてたんでしょうか。この画像では全く確認できません。 この「二十四孝繪抄」の「唐夫人」と似てるんですよね。ほとんどの唐夫人は姑を見ているのですが、これは珍しくわが子を見つめてます。 私の蔵書です~。3年前の記事を見直したら「唐夫人」と書いてあるだけで何の説明もなかった。そのうちテキスト起こししましょー。
建物の両側の胴羽目には二十四孝の彫刻。そのうち一つは、二十四孝彫刻の代表格の一人、郭巨でしたー。 両手を合わせて天を拝む郭巨の彫刻が多い中、この独特の手と指の感じは・・・。 渓斎英泉の絵とよく似てる~。顔の向きはちょっと違うけれど。 画像は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より 掘る道具に関しては、英泉の絵では鋤。彫刻ではちょっと見にくいけれど鍬のようですね。
所沢市坂之下の曹洞宗のお寺、東光寺さん。すっきり綺麗な境内が安らぎます。 本堂の左手に回り、上に鳥居のある真っすぐな階段を上ります。 金毘羅堂に到着。 裏に回ります。 二十四孝の彫刻が二枚、中国の武将の彫刻が一枚ありました。明日から紹介させていただきます。
ラストは王裒。生前雷が苦手だった母親のために、母の死後も墓前で励ます王裒。 かみなりさまが接近中。 王裒、早く逃げたほうがいいのにねー。 ーーー 坂東市 延命院観音堂の彫刻 終 ーーー
社寺の二十四孝彫刻で妙に起用率の高い唐夫人。郭巨・大舜・楊香・孟宗、そして唐夫人の5人が先頭集団ですね。どれも他の孝子と間違えない独特の小道具(釜)や脇役(タケノコとか動物)に恵まれてます。中でも唐夫人は、ほぼこれ以外にない、という嫁と姑の構図。 「ねーねーママー」と母親の着物を掴んで呼びかける子ども。母親は姑の世話で忙しいという悲しい事態。 おばあさんは椅子に座ってるのかな。
王祥は魚が二匹。姜詩も魚が二匹だけど、捕まえる大変さは王祥のほうがずっと上。 体温で氷を溶かす王祥。親孝行な王祥のために、魚が捕まりに来てくれました。 親孝行というか、無謀というか。絶対見習いたくない。 右腕を左腕の下に置く、両腕の感じは葛飾戴斗の王祥の絵に似てますね。彫刻では魚二匹がわかりやすく氷の上に顔を出してますが。 画像は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より
「ブログリーダー」を活用して、小心さんをフォローしませんか?
日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
訪問先で出されたミカンをこっそり持ち帰ろうとして見つかっちゃった陸績。 挨拶する時に袂からミカンが転がり落ちてしまったのでした。悪いことは出来ませんね、というお話・・・ではありません。美味しそうなミカンを母親のために持ち帰ろうとしたのでした。 鹿沼市千手院観音堂の陸績。ミカンが転がってます。 こちらの彫刻ではミカンが見当たらない。 陸績の足元がなんか怪しい。 画像を調整してみました。「浩」の下あたり、赤丸部分にミカンが数個あったのでは。ガリガリ削った跡があるし。これでは陸績が何を咎められているのかわからないですね。
性格悪くて追い出されそうになった義母を庇う閔損。 岡田玉山の閔損。義母の連れ子二人は置いていくのね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 自分の実子二人には優しく、冬には厚着をさせていましたが、先妻の子である閔損には寒くてたまらない服を着せていた後妻。 反省なんかしてないでしょうねー。 激怒する父親をなだめる閔損。お義母さんがいないと子ども三人ともこごえます!お義母さんがいれば僕は寒くても小さい子二人は暖かくしてもらえます!という謎理論で父親を説得。もっと自分を大事にしてほしいものです。 父親は閔損の謎理論に納得してしまったのか、後妻は家に…
蔡順。左上に「蔡順」と彫ってあるので蔡順。 桑の実の入った籠の横で座っているのが蔡順。なぜか籠が一個しかない。自分用(未熟)と母親用(完熟)、二つの籠がほしいところ。 で、この中央で妙なポーズを決めて、やたら目立っているお兄さんは誰なの。刀背負ってるから盗賊の一味なんでしょうけど。そのポーズの意味はなあに。お米はー?肉の片腿はー?御伽草子の蔡順のお話はこちら。 蔡順:早くご褒美下さいよー。 近所の道路わきに勝手に生えてる桑の木が、ちょうど実をつけてました。 上のように黒っぽくなったら食べごろですねー。桑の木って鳥が種を運んで勝手に生えてくるケース多いみたいですね。
年老いた母親を長生きさせるために、郭巨夫婦は幼い我が子を埋めて殺す計画を立てました。地面を掘ると黄金の釜が出てきたので生活は安泰になりました。子どもの命も救われました。 なんだか掘りにくそうな体勢。 岡田玉山の郭巨。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 郭巨はカメラ目線になっています。 奥さんは泣いてますね。彫刻で、泣いてる郭巨の奥さんは珍しいかも。 重宣の郭巨では奥さん泣いてます。 『和漢廿四孝』重宣 画 (東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース
姑のために遠いところまで水を汲みにいっていた姜詩の奥さん。その献身的な親孝行により神仏のご加護を受け、自宅敷地内から水が湧き出るようになりました。しかも毎日鯉も二匹ずつ捕れる様になりました。 水際にしゃがんで、柄杓で桶に水を汲む女性の図は「姜詩」の絵や彫刻ではスタンダード。 御伽草子 二十四孝 姜詩 国立国会図書館デジタルコレクションより 鯉が二匹水面から顔を出しています。 和漢廿四孝 (柳下亭種員撰 房種画)・9 姜詩 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より ↑この絵の中に、ご主人の姜詩は不在。 魚を運びながら橋を渡るのは姜詩かな。 水汲み場から奥の家まで結構距離ありそう。もっとも自…
董永。主役の董永は画面右上の遠いところにいます。 拡大しないとよくわからない存在。何か農具を担いで帰ってきた様子の董永。 元にしたと思われる岡田玉山の挿絵では織姫のそばにいるのにね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻では無理やり後ろを向かされている織姫。赤い部分は椅子の足なんですよね。普通に椅子に座っているのに上半身は後ろ向き。 江革や曽参、黄香も挿絵では前を向いているけれど彫刻では顔の向きが変わってます。黄香は身体ごと挿絵とは反対向きになってますが。 どうしてもこちらに向いている顔を彫りたかったのかなあ。でも織姫の姿勢は無理矢理す…
服を脱ぎ、身を挺して親の代わりに蚊に刺される呉猛。土の上に何か敷いて寝てるし。親は爆睡。呉猛の孝心に感動するより父親への批判のほうが強そうな場面。 岡田玉山・絵本二十四孝の呉猛。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 挿絵では一応屋根のある場所。 呉猛は丸々と太って血も美味しそう。蚊が狂喜する状況ですね。
漢文帝の右側には大舜。お二人の皇帝が並んでました。 つらい幼少期を過ごしながらも親を恨んだりしなかった舜。 これまでご紹介した彫刻では主に参考にしていたと見られる岡田玉山の「絵本二十四孝」ですが、大舜(虞舜)は一般的な少年時代の大舜ではなく皇帝になってからの姿が描かれてます。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の象はこちらが似てる感じ。「二十四孝教近道」の大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより バッグの中には何が入ってるのー。クンクン。
漢文帝は立派な宮殿にお住まいですね。豪邸過ぎて人物が小さくなってます。 岡田玉山の漢文帝。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の人物の部分を拡大してみましょう。 赤で囲んだ漢文帝と病床の薄太后、そして黄色で囲んだ男性二人と女性一人が彫刻にも描かれているよう。 こちらの厨房担当?の女性は挿絵には出てこない人ですね。 家の中にはこんなに使用人がいるのに、母親の食事は漢文帝自ら味見をして運んだ、というお話ですね。
夏には寝床を扇いで涼しくしてから父親を寝かせる、親孝行な黄香。 岡田玉山の黄香。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 黄香の立ち位置は違いますが、着崩した父親はよく似てますね。
雷雨の度にお墓へ飛んでいく、お墓参り好きな(?)王裒。 お墓が二つ並んでます。父親と母親のお墓でしょうね。 王裒後方頭上には雷神の姿がありますが・・・。 この画像では何だかよくわからない!今度行ったときには雷神もちゃんと写真撮ってこよう。 龍元さんのブログ「国指定重要文化財 柞原八幡宮 其の二」には可愛い雷神さんのお姿がくっきりと。 岡田玉山の王裒もお墓が二つ。こちらは雷神は不在。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
山で薪を集めていた時、「息子よ、早く帰って来て」という母親の心の叫びをキャッチした曽参。 後ろを振り返りつつ、母の待つ家に急ぎます。薪が誰かに盗まれないか心配してるのかしら。 岡田玉山の曽参。こちらの曽参は前を向いてます。首から下、手足の動きは彫刻と挿絵はよく似てますね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 謎の薄笑い。 薪と薪の間に桶がぶら下がってます。ここに桶があるのは初めて見ました。
妻子も地位も捨てて、生き別れになっていた母親に会いに行った朱寿昌。 岡田玉山・絵本二十四孝の朱寿昌。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より玉山の絵では山中の二人ですが、日暮門の彫刻では母親の背後に家がありますね。 やっぱり朱寿昌が訪ねていった母親の家があったほうが落ち着きますね。
母親を車に乗せて曳く江革。多分戦火が収まって避難先から自宅に帰るところ。 岡田玉山の「絵本二十四孝」の江革。 彫刻の江革は振り向いて母親の様子を見守っています。
将来的に、「時代にそぐわない不適切な表現」という理由で撤去されてしまう可能性も否定できない唐夫人。 岡田玉山の唐夫人。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
鹿の扮装をして山に入り、猟師に狙われる剡子。 岡田玉山「絵本二十四孝」の剡子。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 変な奴!討っちゃえ! 怪しい者ではありません!説得力ゼロだけど!
介護を女性に押し付けなかった黄庭堅。 上の部屋には病床の母親。回廊から母親のお小水を流す黄庭堅。下にはお湯を沸かしている女性。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 滝の音を聴きながら飲み物を運ぶ女性。風流ですねー。 その滝の上流で何やら流す主人。 見ないほうがいいわね~。
今日ご紹介する彫刻は仲由です。 孔門十哲の一人、子路。 岡田玉山の仲由。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 仲由は親と暮らしていた頃、貧しくていつもアカザの実などを食べ、米を運ぶ仕事をしていました。両親の死後、仲由は出世して御馳走が食べられるような身になりました。けれども仲由はアカザを食べながら親を養っていた暮らしに戻りたい、と思い涙するのでした。 彫刻ではテーブルの前の女性はいませんね。 食べ物を運ぶもう一人の女性は回廊を歩いています。 先日外食したとき「キヌアのサラダ」というメニューがあり、「キヌアってなあに?」と思って調べたら「アカ…
さて今日はこちらの彫刻です。「丁蘭」です。 左の祠の中には小さな像が二つ。丁蘭の両親をかたどったもの。 「丁蘭」の話を知らない人がこの彫刻を見たら、中央で棒を振り回す人が丁蘭だと思っちゃいそう。 そして右上の女性は、乱暴な夫から像を守ろうとする健気な丁蘭夫人だと思ってしまいそう。 岡田玉山の「丁蘭」。詳しいお話はこちらをご覧ください。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より ということで、この暴徒は丁蘭家の隣人の張叔さんでしたー。 丁蘭は不在です。
体温で氷を解かし、母親の為に鯉を捕まえて持ち帰った王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 王祥 王祥 いとけなくして母をうしなひ 父また継母をもとめ その名を朱氏といひはべり 継母のくせなれば 親子のなかをあしくいひなしてにくましはべれども うらみとせずして けいぼにもよく孝行をいたしける かやうの人なる程に もとの母 冬のきはめてさむき折ふしなま魚をほしく思ひける故に 肇慶府といふ所の川へ もとめにゆきはべりされども冬のことなれば こほりとぢて うを(魚)みへずすなはち衣をぬぎて はだかになり こほりの上にふし魚なき事をかなしみゐたれば …
母の身に何かあったのではと、薪を背負って山から飛んで帰ってきた曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰来晩 骨肉至情深 曽参 曽参あるとき 山へ薪を取にゆきはべり 母るすにゐたりけるに したしき友来れりこれにもてなしたく思へども 曽参はうちにあらずもとより家貧しければかなはず 曽参がかへれかしとてみづから指をかめり曽参山に薪をひろひゐたるが にはかに むなさはぎしけるほどに いそぎいへにかへりたれば母ありすがたをつぶさにかたりはべりかくのごとく ゆびをかみたるが とほくへこたへたるは 一段の孝行にして 親子のなさけふかきしるしなりそうじて曽参の事は 人にかは…
冷たい継母の仕打ちにも黙って耐えた閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子有賢良 何曽照(怨?)晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫 閔子騫 いとけなくして母をうしなへり 父また妻をもとめて二人の子をもてり かの妻 我が子をふかく愛して 継子をにくみ 寒き冬の日も葦の穂を取りてきる物に入れて着せける間 身も冷へて たへかねたるを見て父 後の妻を去らんとしければ 閔子騫がいふやうは かの妻を去りたらば 三人の子さむかるべし今我一人寒さを こらへたらば 弟の二人は暖かなるべしとて 父をいさめたるゆへに これを感じて 継母ものちには へだてなく いつくしみ もとの母と同じくなれり ただ人…
亡くなった親の像を祀って毎日生きている人に対するように仕えた丁蘭。奥さんはしぶしぶ従ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭 丁蘭は 河内の野王といふ所の人なり十五の年 母におくれ ながきわかれをかなしみ母のかたちを木像につくり いける人につかへぬるごとくせり丁蘭が妻 ある夜のことなるに 火をもつて 木像のおもてをこがしたればかさのごとくに はれいで 膿ながれて 二日をすごしぬれば妻のかしらの髪が 刀にてきりたるやうになりて おちたるほどにおどろいて わびことをするあいだ丁蘭もきどくに思ひ 木像を大道へうつしおき つまに三年わびこと…
雪の中から生えてきたタケノコを収穫する孟宗。 国立国会図書館デジタルコレクションより 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春筝出 天位報平安 孟宗 字恭武あざな けうぶ 或子恭 あるひはしけう 孟宗は いとけなくして父におくれ ひとりの母をやしなへり母年おいて つねにやみいたはり 食のあぢはひも たびごと かはりければ よしなきものを のぞめり ふゆの事なるに 竹の子をほしく思へり すなはち 孟宗 竹林に ゆきもとむれども ゆきふかき折なればなどかたやすく得べきひとへに天道の 御あはれみをたのみ奉るとて いのりをかけて大にかなしみ 竹によりそひける所に にはかに大地ひらけて 竹のこ あまた おへ出侍りけ…
漢文帝。着物や床、調度品まで模様が細かく描きこまれてます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝 漢の文帝は 漢の高祖の御子なり いとけなき御名をば恒(ごう)とぞ申侍りき 母薄太后に孝行也よろづの食事をまいらせらるるときはまづみづからきこしめ召 こころみ給へり兄弟も あまた ましましけれども此みかどほど 仁義を おこなひ孝行なるは なかりけりこのゆへに 陳平周勃などいひける臣下達 王になしまいらせたりそれより漢の文帝と申侍りきしかるに孝行の道は 上一人より下万民まであるべき事也としるといへど 身におこなひ心に おもひ入ことはなりがたきをか…
トップは大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより ※文中、人名・地名と「かうかう(孝行)」「父」「母」などは漢字に変換して読みやすくしています。 隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心 大舜 大舜は いたつて 孝行なる人なり父の名は 瞽䏂(こそう)といへる 一だん かたくなにして 母は かしましき人なり弟は おほいに おごりて いたづら人なりしかれども大舜は ひたすら 孝行をいたせりある時 歴山といふ所に かうさく(耕作)しけるにかれが 孝行をかんじて 大象が来つて 田をたがやし又 鳥 とび来つて 田のくさを くさぎりかうさくのたすけをなしける也さてその時の天下の御あるじを尭(ぎや…
明日からは「二十四孝教近道」をご紹介します。 国立国会図書館デジタルコレクションより 初代の北尾重政さんは1820年に亡くなられているようです。こちらは二代目の重政さんの挿絵ですね。
とうとうラスト。黄山谷です。 母親のお小水をダーと流す黄山谷。 お小水を入れる容器は桶・タライ・ポット型などがありましたが・・・。 これは壺! ーーー 栃木市 太山寺観音堂の二十四孝彫刻 終 ーーー
さていよいよ残り二つになりました。本堂正面の右側二つの彫刻のうち、今日は右側の彫刻です。 張孝兄弟。服をはだけてないのでちょっと迷いましたが。 こちらの絵の二人もはだけてませんでした。髪を束ねてるリボンみたいなのも彫刻の二人と似てますよね。 「二十四孝教近道」国立国会図書館デジタルコレクションより 悪党は「張孝張礼」の絵とはちょっと違いますね。これは同じ「二十四孝教近道」の「蔡順」ですが、こちらの右端の悪党が彫刻と似てますねー。この絵を参考にしたのかな?
高齢の両親の前で子どもの振りして踊る老莱子。両親に老いを感じさせまいとする、老莱子なりの親孝行。 常人には理解し難い。 御伽草子の老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子が持っているのは羽が何枚かついた風車でしょうか。背景のお花と重なっているようですね。 御伽草子の老莱子部分を拡大。 どこかで子育て間違えたんでしょうかねえ、と話し合ってるかもしれない両親。
これは自信あります。孟宗です。 タケノコ掘ってるもんねー。 ササの上に雪が積もってます。季節は真冬なのよ~。これが初夏の風景だったらあまり感動しないですよね。
母親を乗せた車を曳く男性。これは江革でしょうね。車を紐で引っ張る、見たことない図柄ですが。なんでうじゃうじゃと子どもがいるのかしら。 江革なかなかしんどそう。 「親を車に乗せて曳く」というエピソードがあるのは江革のほかには董永と閔子騫がありますけど、どちらも乗っているのは父親です。董永はNo.3で出てるし、閔子騫なら子どもだし。この彫刻では曳いているのは成人男性っぽいし、乗っているのは母親ですよね。ということできっと江革。 子どもたちは手伝っているのか、邪魔しているのか。右端の子は寝てるのかしら。
No.7、No.9に続き太山寺観音堂で三番目のタイトル不明。さてこのお二人さんはどなたでしょう。前の人は男性のようですね。後ろの女性はお茶か何か運んでいます。 漢文帝っぽいんですけどねえ。でもこれが漢文帝だとすると栃木市 太山寺観音堂・7は漢文帝ではない、ということになりますよね。 上の彫刻と比べると、こっちの7のほうが漢文帝っぽい気がする。カーテンの向こうには母親らしき人物もいるしね。 別角度から。 ↑前の人は何か持っているような・・・。 ↑何も持っていないような・・・。 後ろ姿。背中に名前書いておいてくれると助かるのにね。 夫婦で何か運ぶ、というと丁蘭も考えられますが、丁蘭はすでに出ている…
これも間違わない孝子。ひび割れた氷から鯉二匹が踊りだしたところをすかさずキャッチする王祥。 両手で二匹をがっちり掴んでますね。 二匹手づかみは初めて見ました。 王祥のいろんなパターン。 輪王寺糸割符燈篭の王祥。寝転がって頬杖をつき、池から鯉が二匹並んで顔を出しています。スタンダードな構図です。 貞泉寺の王祥は一匹を押さえつけてます。 静岡県八千戈神社と神奈川県真鶴神社の王祥は押さえつけずに下からそっと持ち上げる感じ。 成田山釈迦堂の王祥は意気揚々と二匹ぶら下げて家路につきます。
これもミカンさえ確認できれば間違わない孝子。陸績。 ところがその肝心のミカンが見にくい場所にあるんですよねー。 たいてい彫刻の真下から見上げると見えないようなところにミカンが転がってます。 右のミカンをよく見ると枝と葉っぱがついているようです。 「二十四孝教近道」の陸績。この本も近いうちにテキスト起こししてご紹介しようと思います。 国立国会図書館デジタルコレクションより
背面左から二番目の蟇股彫刻は唐夫人。これも間違えようがないですね。 幼子も直視できない(?)異様な光景。 「二十四孝諺解」の唐夫人。 ARC古典籍ポータルデータベースより
さて今日の彫刻は背面左側から三番目。お墓の前で手を合わせる男性。これは確実に「王裒」ですね。 王裒の背後に忍び寄る雲。雷神の太鼓は見えますが雷神は不在? 王裒と雲の間にある板状の部分には細かい直線が平行に刻まれている様子。これは刻んで雨を表現しているのかもしれない。単に木目なのかもしれない。 そしてひょっとして蛾がここにいた? 何という蛾なのか調べようとしましたが、蛾の種類は国内に5000種以上あるとのこと。早々に諦めました。
先日栃木市 太山寺観音堂・7で下の彫刻について「黄山谷かもしれない」と書きましたが・・・。 黄山谷の彫刻は正面にありましたっ!まごうことなき黄山谷!! 場所は正面、画像中央の蟇股彫刻。左がトップにご紹介した大舜の彫刻です。 ちゃんと自分で作った太山寺観音堂の画像フォルダーに「19黄山谷」って名前を付けて保存してありました(恥)。 じゃあやっぱりこれは漢文帝かなあ・・・。でもなんか左半分の無駄な空間が気になるんですよね。ぶちぶち。
背面右から二つ目の彫刻がこちら。 お父さんがスヤスヤ寝てる!呉猛だわ! いや、ちょっと待って。右の少年は服着てる??? もしかしてこれはお父さんの布団を団扇で仰ぐ黄香の、右手と団扇が欠損してる状況? お茶セットも気になるわね。 この彫刻の元になった絵を調査中。ということでタイトル保留二個目。「黄香」か「呉猛」かで悩んだのは初めてかも。「漢文帝」と「丁蘭」はよく悩みますけどね。