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二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

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2019/09/30

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  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・3 丁蘭

    他界した母親の木像を作って、生きている人に対するように世話をした丁蘭。奥様は嫌々ながら、という表情。 国立国会図書館デジタルコレクションより 丁蘭刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭は。かだい(河内)の。やわう(野王)といふ所の人なり。十五の年。母に後れ。長き別れを悲しみて。母の形を。木像に作り。生ける人に仕へぬるごとくせり。丁蘭が妻。有る夜のことなるに。火をもつて木像の面を焦がしたれば。瘡のごとくに腫れいで。膿血流れたり。二日を過ごしぬれば。妻のかしらの髪が。刀にて切りたるやうになりて。落ちたるほどに。驚ひて。詫び言をする間。丁蘭も奇特に思ひ。木像を大道へ移し置き。妻に三年。詫…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・2 漢文帝

    漢文帝。母親の薄太后に、帝自ら味見を済ませた食事を運んでます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 漢文帝仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝は。漢の高祖の。御子なり。いとけなき御名をば。ごう(恒)とぞ申はんべりき。御母。薄(はく)太后に。孝行なり。よろづ。食事を参らせらるる時。まづ。自ら聞し召し。こころみ給へり。兄弟もあまたましましけれども。此の帝ほど。仁義を行ひ孝行なるはなかりけり。この故に。陳平。周勃など。いひける臣下たち。王になし参らせたり。それより漢文帝と申侍りき。しかるに孝行の道は。上一人より。下万民まで有べきことなりと知るといへども。身に行ひ。心に思ひ入る事は…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・1 大舜

    一番初めは大舜。白象と黒象、鍬を担ぐ大舜。鳥は飛んでいるのと、枝でくつろいでいるのがいますね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 大舜隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心 大舜はいたつて孝行なる人なり。父の名は。こそうといへる。一段かたくなにして。母はかたましき人なり。 おととは おほひにおごりていたづら人なり。しかれども。大舜はひたすら。孝行をいたせり。あるとき。れきさんといふところに。耕作しけるに。かれが孝行を感じて。大象が来たつて。田をたかやし。又鳥飛来たつて。田の草をくさきり。 耕作のたすけをなしたるなり。さて其時の天下の御あるじをば。尭王と名付けたてまつる。姫君まします…

  • 二十四孝 出版社 中野市右衛門(寛永9、1632年)

    明日から、「二十四孝」 出版社 中野市右衛門 (寛永9、1632)を紹介していきます。かなり古い本ですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより

  • 君津市 三石山観音寺・5 唐夫人 (完)

    ラストは唐夫人。左半分は大木ですね。この木の代わりにもう一つ二十四孝の彫刻を作れるような気がする。 お母さん貫禄ありますね。一方、嫁の乳を飲むお姑さんは小柄なのでまるで子供のようです。 ーーー 三石山観音寺の二十四孝彫刻 終 ーーー

  • 君津市 三石山観音寺・4 丁蘭

    両親の木像を敬う丁蘭です。 木像はお母さんだけだったり、両親揃っていたりします。こちらは両親バージョン。 お雛様みたい。隣人の張淑さんが怪訝に思うのもわかる気がする。

  • 君津市 三石山観音寺・3 孟宗

    真冬にタケノコを求めて竹林に来た孟宗。 雪が積もってます。 赤枠の中にタケノコ。袖の下に出っ張りがありますね。黄枠のあたりには鍬があったのかな?

  • 君津市 三石山観音寺・2 朱壽昌?それとも仲由?

    パッと見は朱壽昌。 でも仲由に見えなくもない。背負っているのは米袋なのか、旅の荷物なのか。 朱壽昌なら久しぶりに会う母親を見て腰を低くする図が多いんですよね。 母親の姿を確認する直前の朱壽昌? これは母親・・・ですよね?父親も一緒にいるなら仲由確定なんですが。やっぱりこの彫刻は「朱壽昌」・・・かな? おそらく朱壽昌だとは思いますが、確信が持てないのでタイトル保留にしておきます。

  • 君津市 三石山観音寺・1 郭巨

    釜を掘り当てた郭巨。 天に感謝する郭巨、幼子を抱いて釜のほうへ身を乗り出す妻。 郭巨の鍬がありますね。釜は形がよくわからないです。

  • 千葉県君津市 三石山観音寺(みついしやま かんのんじ)

    君津市の山の上のお寺、観音寺。大きな岩が圧巻です。 本堂には彫刻がいっぱいです。 正面の彫刻。龍虎とか、鳳凰が飛んできたり、亀に乗ったり、鶴の舞う仙人たち。 奥の院(といっても本堂からの登山時間は2-3分)には縁結び祈願のハンカチがたくさん結ばれてました。 二十四孝の彫刻は本堂の両側に5点ありました。明日からご紹介していきます。

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・24 黄庭堅 (完)

    トリは黄庭堅。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 黄庭堅 滌親溺器 宋の黄庭堅字は魯直自ら山谷道人と号す。幼にして警悟。博学にして。文章をよくし。尤も詩に長ぜり。東坡の門に遊ぶといへども。其名を等くして。蘓黄と称せられ。天下の文宗たり朝につかへて官高く。家富み。親に孝を尽せり。母病に臥し給ふ時は。其看病をつとめらるる事。最も篤く。昼夜かたはらに侍りて。衣帯を解かず。薬を煎じ。食をすすむるより。大小便をとりて。清き水を汲。其器を滌ふなどに至るまで。みなみづからせられける。これを以て。其孝心の程をおもふべし。もとよりあまたのめしつかひ有。富貴の身にして。其労を厭はれざる事。ありがたき…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・23 孟宗

    泣いている孟宗。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 孟宗 泣竹生笋 呉の孟仁 本の名は宗といふ 字は恭武。江夏の人なり。少して学をつとめ。孫皓につかへて司空となれり。呉滅て晋に降り。監池司馬とて。池奉行となるにより。手づから網して魚を捕。鮓に調へ。母におくりけるに。母うけず。推還していはく。其奉行し守る所の魚を捕。我におくれる事。他人は官の魚を盗取たりなど。疑を生ずべし。已後其職に居る間は。かかるものをおくるべからずといましめたり。賢母といふべし。此母。笋を食する事を好みけるが。冬の比病に臥。熱におかされて。すずろに是を望聞ゆるにぞ。孟宗孝心深き人故。遠く竹林を求入。雪に立。天に…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・22 丁蘭

    丁蘭。隣人トラブルバージョン。絵の中には丁蘭本人は不在。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 丁蘭 刻木祀親 漢の丁蘭は。河内の人なり。少して父母を喪ひ。思慕のふかきより。木に刻て其かたちを造り。これに事ること生るにつかふるがごとく。朝夕定省のつとめおこたらざりけり。隣家に張淑なるものありて。常にこれを嘲弄しけるが。或時。丁蘭が留守をうかがひ。つと木像の前に至り、大に罵。杖を以て。其頭をうちけり。丁蘭かへりて。いつもの如く。木像を拝しけるに。其面よろこびざる色あり。妻亦其事を告ければ。丁蘭大に怒り。張淑を打擲して。傷るにより。官人来り。からめとり。獄に下さんとす。丁蘭木像に別れを告…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・21 王裒

    王裒。お馴染みの雷神は描かれていませんね。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 王裒 聞雷泣墓 晋の王裒字は偉元。少き時より心に操を立。博学多能なる人なり。父王儀罪なくして。文帝に害せられしより。終身に西に向て坐せず。文帝西に都するを以てなり 其朝に臣たらざる事を示し。父母の墓のそばに小廬を造り。朝夕墓前に至て拝し跪き。信に植たる栢樹を攀て。父の罪なくして死せるを泣悲しむ。涕涙にて栢樹終に枯けり。又母存生の時。甚だ雷を畏れける故。没しても雷の鳴る時は。昼夜をいはず。輙(すなはち)墓前に至りて。裒ここにあり。裒ここにありと云て。生るに事るがごとくせり。其身隠居して。経術を生徒に授るに…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・20 蔡順

    母親用と自分用に果実をより分けていたとき盗賊に襲われるも、親孝行ぶりに免じて解放され、お土産まで貰った蔡順。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 蔡順 拾椹供親 後漢の蔡順字は君仲は。汝南の人なり。幼少にて父にはなれ。母につかへて。孝を尽せり。此時王莽といふ逆臣。天下をぬすみて。兵乱うちつづき。飢饉しければ。母の養のために。椹(くはのみ)を拾へり。其器を二つ持て。実の赤きと黒きと。別にして盛るを。赤眉の賊といへる盗人ども見て。別々にするは如何なる事と問ふ。蔡順答て。 黒きは熟して。味甘き故。母の養ひに供え。赤きは熟せざるゆゑ。己が食とするといふに。さしもの悪賊も。孝心を感じて。米二…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・19 老莱子

    年老いた両親の前で老莱子が踊っています。楊香や王祥のように身体を張ってはいない、まあ踊っているだけの親孝行。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 老莱子 戯綵娯親 老莱子は。周の代。楚国の人なり。少き時より。孝行を尽して。父母をやしなひ。甘脆とて。味ひうまくて。老て歯なきにも。こころよく食せらるるものをえらみ供へたり。其身已に七十に至れども。父母猶存命なりしかば。我老衰を父母の前にて。あらはしては。御身の老をかへり見て。はかなう思ひ給らん事をおそれて。つねに綵たる小児の衣る物を着て。をさな遊びの戯れを。親の前にて。ふるまひ。口に老たる物語をせずして。娯しましめけり。或時食をすすむる…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・18 姜詩

    姜詩。奥さんが良くできた人。姜詩本人はこの絵の中には登場してません。姜詩さんって二十四孝の中でいちばん存在感薄いような気がする。健気な姜詩の奥さんは存在感ありますけどねー。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 姜詩 湧泉踊鯉 後漢の姜詩は。母につかへて至孝なり。其妻ホウ氏も。又姑乃意に順ひ。命に逆ふ事なし。母。井の水をきらひ。江水をのむ事を好めり。姜詩が家近く清江なきにより。ホウ氏日々遠きに至り。清流を汲かへりけり。或日雨風はげしくして。遅くかへりければ。姑。以ての外怒りののしりける故。姜詩。其怒りを休めんがため。妻を追出しけり。ホウ氏これを恨みとせず。父母の家にもかへらず。隣家の…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・17 黄香

    父親の寝床を仰いで涼しくしている黄香。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 黄香 扇枕温衾 後漢の黄香字は文強は。経典を学び。道術を究め。文章を能するを以て。其名高し。九歳の時。母を失ひ。其悲みに。やせおとろへ。命も危きに至れり。素り家貧して。婢僕なければ。父につかへて。躬ら力を竭(つく)し。夏の暑き頃は。夕に床を扇ぎ。枕を涼しくし。冬の寒き夜は。床のひややかならん事をおもひ。身を以て床。又は衾をあたためて。父を臥さしめ。うしろをつくろひ。すそをおさへ。夜の中には。二三度もおきて。これをうかかふなど。侍養するを以て。其名世にかくれなく。朝廷につかへて。尚書令魏郡大守に至り。子の黄瓊…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・16 ゆ黔婁

    ゆ黔婁走る。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より ゆ黔婁 嘗糞憂心 ゆ黔婁は。南齊の時の人なり。出て扇陵といふ所の令となれり。いまだ十日も過ざるに。忽ちむなさわぎしきりにして。身より汗出ければ。これただ事にあらず。故郷の父の病に臥し給ふなるべしと。即日官を棄て。昼夜をわかず。急ぎ帰けるに。果して。父重き疫痢を患ひ。親族集て看病せり。其黔婁が帰る事の甚だ早きを怪むに。黔婁其よしをかたり。父の病重く。命の危からん事をかなしみて。医に其生死を問に。これを知らんと思はば。糞を嘗めて。味苦くば愈べく。甘きは愈べからずといへるに。即これをこころむるに。甘かりけれは。猶々心を苦しめ。夜々北辰に祈…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・15 楊香

    トラの首根っこに巻き付く楊香。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 楊香 搤虎救父 楊香は。魯国にて。楊豊といへるもののむすめなり。幼より孝心深く。父につかへてしばらくも離れず。或時父にしたがひて。山に入て薪を採るに。大なる虎来りて父を食んとす。父刀器(きれもの)をも持ざれば。防ぐべき便なく。ただ聲をかぎりにたすけよと叫びければ。時に楊香年十五なるが。父の聲を聞て驚きかけ来り。少しもおそれUず。虎にむかひ涙をながし。我を害して。父を助けくれよと。猛く怒れる。虎の首筋に飛かかり。いだき付ければ。虎敢て食んともせず。かへつておそれふりはなち逃たりけりとぞ。其所の太守孟肇之といふ人。此事…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・14 郭巨

    わが子よりも母親が大事。郭巨。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 郭巨 為母埋児 後漢の郭巨。字は文挙。家貧ければ。老母を養ふに。其食の不足ならん事を悲めり。一子あり。已に三歳。老母これを愛し。我食の中を分ちあたふ。郭巨いよいよ母の食の乏しからんを察して。妻に語ていへるには。我身かく貧して。母に供する事。心のままならざるに。母の孫を愛して。分ちあたへ給へり。我つくづくおもふに。夫婦の縁尽ずば。子は又もあるべし。母は再び得べからず。ただ我子をひそかに殺して。母を養ひ奉らんと。おもうはいかにといふに。さすが孝子の妻なれば。涙ながら。其言に従へり。さらば一思ひに埋殺さんとて。坑を掘る事…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・13 王祥

    鯉二匹を下げ、橋を渡って帰宅する王祥。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 王祥 臥冰求鯉晋の王祥字は休徴。天性至孝の人なり。継母不慈なれども。恨とせず。愈恭謹にせり。父母疾ある時は。晝夜側にありて。帯を解ず。湯薬をも先嘗味ははざればすすめざるなり。寒天の比。母の生魚を食はんといへるに。水凍りて魚を取べき使なけれども。其望を遂ざらん事をなげき。池に臨みて。魚を求ん為に衣を脱て氷の上に臥し。身の温りにて、氷を剖んとす。其志の篤き感応にや。さしもはりつめたる厚氷。忽ちに解て。双鯉踊出たり。母又黄雀の炙(あぶりもの)を求るに。これを奉らん事を欲へば。黄雀数十飛入けるなど。其感応の致す所を…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・12 朱壽昌

    朱壽昌。ここは一体どこなんでしょう。母親の家の玄関先には見えない。左手は海が広がってるんでしょうか。奥は断崖絶壁? 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 朱壽昌 棄官尋母 宋朱壽昌七歳の比。父新に美女を娶て。壽昌が母を去ける。それより母を見ざる事をかなしみなげきて。一日もわすれざりけり。しかれども父又後母につかへて。孝道を尽し。父存生のうちは。一旦離別し給へる母なれば。父への無礼。後母へのはばかりをおもひ。心の中にのみ。深く慕ひて。いささかも色に出さず。五十年を経て。官禄をすて。天に誓て謂く。我若母のながらへ在さすして。逢奉らずば。再び家にかへり。世に交るべからずとて。行方をもとめけ…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・11 呉猛

    蚊に身体中刺されて大変なことになっていても耐え忍ぶ呉猛。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 呉猛 恣蚊飽血 呉猛は。いづれの時の人といふ事を詳にせず。八才にして。孝行の名。世に高し。其家もとより貧く。夏の比。蚊帳をたるる事だになければ。父母の蚊になやみ給はん事をかなしみ。衣を脱て。父母にきせまゐらせ。赤裸になり。かたはらにうづくまり。通夜口の中にて唱へ云けるは。蟲類たりとも心あらば。父母を噬事をゆるせよかし。父母は年老て血気うすく。我はやうやうにみちさかんなれば。あくまで我をくらふべしとて。ちひさき身の。はだへも見(へ)ぬまで群がれども。身を動かしては。父母の方へ飛び行んを恐れ。…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・10 唐夫人

    姑に良く仕えた唐夫人。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 唐夫人 乳姑不怠 唐夫人は。唐の博陵なる崔南(さいなん)といふ人の妻にて。姑の長孫夫人につかへて孝を尽くせり。姑年老歯なくて。食事心のままならざるか故。朝夕乳をふくめて。心を尽し養ひけるにより。無病にして寿をたもたれける。後長孫夫人病に臥しければ。子孫諸侄をあつめて。我かく天寿を全うして。終をやすくする事。偏(ひとへに)唐夫人が多年の供養怠りなきによれり。只此恩を報ずして。今般時に及べるを憾(うらみ)とするのみと。感涙を流し。唐夫人を拝謝し。願はくは子孫のともがら此夫人の孝心を学び行はば。ゆくすゑ繁栄なるべしと。遺言し。さ…

  • 書籍/絵本二十四孝(岡田玉山)・9 陸績

    陸績。 画像は「ARC古典籍ポータルデータベース」より 陸績 懐橘遺母陸績字は公紀は。三国の時。呉の孫権につかへし人なり。博学や多識にして。星歴算数をも兼通じたり。はじめ六歳の時。九江郡といふ所なる。袁術とて。当時威勢あるものの方へ行けるに。橘を出しもてなしければ。陸績ひそかに三枚を懐にす。帰る時。腰をかがめ礼拝するとて地におとせり。袁術これを見て。貴方は賓客となりて、いかにかく尾籠の事をし給ふとはづかしめければ。陸績跪て。児が為に出し給ふ珍菓をむげにくらはん事ををしみ。持かへり。母におくらんと存してなりと。をとなしくこたへければ。袁術をはじめ。満座の人々。幼きものの。孝を含んで。其ことわりを…

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