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二十四孝に会いに行く! https://shousin.hatenadiary.org/

社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。

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2019/09/30

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  • 書籍/中国古代二十四孝全図・6 江革

    母を背負って戦場から避難の途中、賊に襲われる江革。中国古代二十四孝全図、これまでのところ絵を見れば孝子の誰なのか、すぐにわかりますね。日本の書籍の絵と大きく違うこともありません。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより To Work as a Servant to Support His Mother Kiang Ko of the later Han dynasty waswhile very young, left an orphan by the deathof his father. He lived with his mother alone.At that time t…

  • 書籍/中国古代二十四孝全図・5 剡子(たんし)

    鹿の格好をして山に入った孝行息子。漢文では「剡子」、英文では「タンシ」になってます。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより To Serve Parents With Deer's MilkTan Tzu of the Chow dynasty was very filialin nature. His parents were so old that theireyes grew dim. They had a desire to drink thedeer's milk, or rather a remedy for eyes cure. Tan Tzu, then putti…

  • 書籍/中国古代二十四孝全図・4 丁蘭

    両親の像を彫って祀った丁蘭。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより Wood Carved for Parent's Worship Ting Lan of the Han dynasty lost hisparents, in his early youth. Impossible to servethem both, he devised to carve a piece of woodinto his parents' image, which he should serveas if the deceased were alive in order to fulfillhi…

  • 書籍/中国古代二十四孝全図・3 王裒

    母の墓前で跪き語り掛ける王裒。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより Hearing the Thunder and Weeping before the Tomb Wang Pau of the Wei dynasty served hisfather and mother very faithfully. His mother,in her life time, was much afraid of thunder.After she was dead, and buried in the deep ofmountain forest, whenever thunder was…

  • 博物館展示品:王史二氏墓誌銘稿巻(黄庭堅)

    親の下の世話を自ら行った、親孝行な黄庭堅(黄山谷)の書。ただいま上野の国立博物館で鑑賞できます。東洋館8室で2022/09/21~10/16まで。 犬養毅氏もご覧になったとのこと。横に長~い書でした。

  • 書籍/中国古代二十四孝全図・2 漢文帝

    漢文帝。母親の薄太后に湯薬を自ら運ぶ、孝行な帝。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより To Taste the Medicine in Person(親嘗湯薬) Emperor Wen Ti named Heng of the Han dynasty was the third son of Kao Tzu andwas begotten by his mother afterwards calledEmpress Dowager Po seeondary(secondary?) wife to KaoTzu Prior to his accession to the thron…

  • 書籍/中国古代二十四孝全図・1 大舜

    エンペラー・シュン。舜も象も一仕事終わって休憩中かしらね。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 気分転換で今回は英文を書き出します。 THE TWENTY FOUR CASES OF FILIAL PIETY Filial Piety Moving Heaven to Sympathy (孝感動天) Emperor Shun, the son of Ku So, of the Yudynasty was veryfilial in nature; but his fatherobstinate, his mather ill-tempered, and hisyounger br…

  • 書籍/中国古代二十四孝全図(出版者、出版年不明)

    明日から「中国古代二十四孝全図」を紹介していきます。 中国古代二十四孝全図 "The Twenty four cases of Filial Piety" (filial piety=孝行) 「早稲田文庫」という朱印が押してありますね。どこの国で出版された本なのかしら。 左頁に上下二人の孝子、右頁には漢文と英文が書かれてます。 画像は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より 明日、トップは大舜からですね。1番大舜、2番漢文帝という順番が多いですね。

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・24 陸績 (完)

    陸績。床に2~3個橘の実が・・・転がってませんね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 陸績孝悌皆天性 人間六歳児 袖中懐緑橘 遺母報含飴 陸績。六歳の時。袁術と。いふ人の所へ行き侍り。袁術陸績がために。菓子に橘を出せり。陸績これを三つ取りて。袖に入れて帰るとて。袁術に礼をいたすとて。たもとより落とせり。袁術これを見て。幼き人に似あはぬ。事といひ侍りければ。あまりに見事なるほどに。家に帰り。母に与へんためなり。と。申し侍り。袁術。これを聞きて。幼き心にて。かやうの。心づけ。古今まれなりと。誉めたるとなり。さてこそ。天下の人。彼が孝行。なりつることは知りたるとなり ーーー 日光市輪王寺糸割符…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・23 黄山谷

    かいがいしく母親の世話をする黄山谷。 国立国会図書館デジタルコレクションより 山谷貴顕聞天下 平生孝事親 汲泉涓溺器 婢妾豈無人 山谷は。宋の世の詩人なり。今に至りて。詩人の。祖師といはるる人なり。あまた使ふ人も多く。また妻もありといへども。自ら。母の大小便の器物を取り扱ひて。けがれたる時は。手づから是を洗ひて。母に与(へ)。朝夕に。よく仕へて。怠ることなし。されば一をもって。万を知るなれば。そのほかの孝行をしはかられたるとて。この人の孝義。天下にあらはれたるとなり。この山谷のことは。世人にかはりて名の高き人なり ーーー

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・22 田真・田廣・田慶

    木にも心があるのを知り、伐採するのをやめた田真兄弟。 国立国会図書館デジタルコレクションより 田真・田廣・田慶海底紫珊瑚 群芳總不如春風花満樹 兄弟復同居 田真。田廣。田慶。この三人は兄弟なり。親に後れて後は。親の財宝をも。三つに分けてとれるが。庭の前に紫荊樹とて。枝葉さかへ。花も咲き乱れたる木一本あり。これをも三つに分けて取るべしとて。三人詮議しければ。夜の間に枯れたり。田真これを見て。草木心ありて。切り分かたんといへるを聞ひて。枯れたり。まことに人として。是をわきまへざるべしやとて。分かたずしてをきたれば。また再びもとのごとくさかへたるとなり。まことに兄弟。あまたあれども。根本は。親の恩な…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・21 張孝張礼

    親思い、兄弟思いの張孝張礼。 国立国会図書館デジタルコレクションより 張孝張礼偶値緑林児 代烹云痩肥人皆有兄弟 張氏古今稀 張孝。張礼は。兄弟なり。世間飢饉の時に。八十余りの母を養へり。木の実を拾いに行きたれば。一人たへ疲れたる者来て。張礼を殺して。食らはんといへり。張礼云やう。我老いたる母を持てり。今日いまだ食を参らせさりつる程に。少の暇を給れ。母に食物を参らせて。やがて参らん。もしこの約束を違へは。家に来て一族まで殺し給へと云て帰り。母に食をすすめて。約束のごとく。彼の者の所へ至りけり。兄の張孝是を聞きて。また跡より行て云やうは。我は張礼よりこへたる程に食するによかるべし。我を殺して張礼を…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・20 呉猛

    呉猛。子どもの自己犠牲の上に成り立つ親孝行は痛ましいものです。 国立国会図書館デジタルコレクションより 呉猛夏夜無帷帳 蚊多不敢揮恣渠膏血飽 免使入親闈 呉猛は。八歳にして。孝ある人なり。家まどしくして。よろづ心に足らざりけり。されば。夏になりけれども。(し)帳もなし。呉猛自ら思へり。我衣を脱ぎて。親に着せ。我が身はあらはにして。蚊にくはせたらば。蚊も我身を食らひ。親を親をたすけむと思ひ。すなはちいつも。夜もすがら。裸になり。我身を蚊にすはせて。親の方へ。蚊の行ぬやうにして。仕へたるとなり。いとけなきものの。かやうの孝行は不思議なりしこと共なり ーーー

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・19 ゆ黔婁

    ゆ黔婁。 国立国会図書館デジタルコレクションより ゆ黔婁到縣未旬日 椿庭構疾深願将身代死 北望起憂心 庾黔婁は南斉の時の人なり。「せんりよう」といふ所の。官人になりて。すなはち「せんりやう県」へ至りけるが。いまだ十日にもならざるに。たちまちに。胸騒ぎしけるほどに。父の病み給ふかと思ひ。官を捨てて帰りければ。案のごとく。大きに病めり。黔婁。医師に。よしあしを問ひければ。医師。病者の。糞を甞めて見るに。甘く。苦からば。よかるべしと。語りければ。黔婁。やすき事とて。嘗めてみれば。味わひよからざりけるほどに。死せん事を悲しみ。北斗の星に祈りをかけて。身代はりに立たんことをいのりたるとなり ーーー 病気…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・18 蔡順

    蔡順。 国立国会図書館デジタルコレクションより 蔡順黒椹奉親闈 啼飢涙満衣赤眉知孝順 牛米贈君帰 蔡順は。汝南といふ所の人なり。王莽(わうまう)といへる人の時分の末に。天 大に乱れ。また飢饉して。食事に乏しければ。母のために。桑の実を拾ひけるが。熟したると。熟せざるとを分けたり。この時。世の乱れにより。人を殺し。剥ぎ取りなどするものども来たつて。蔡順に問ふ様は。何とて。二色に拾ひわけけるぞといひければ。蔡順一人の母をもてるが。この熟したるは。母に与へ いまだ熟せざるは。我ためなりと語りければ。心強き不道の者なれども。彼が孝行を感じて。米二斗と。牛の足一つ。与へてさりけり。その米と牛の腿とを。母…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・17 剡子

    鹿の格好をして山にいたら、狩人に殺されそうになった剡子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 剡子老親思鹿乳 身掛褐毛衣若不高聲語 山中帯箭帰 剡子は。親のために命を捨てんとしけるほどの。孝行なる人なり。そのゆへは。父母老ひてともに両眼をわづらひしほどに。目の薬なるとて。鹿の乳をのぞめり。剡子。もとより孝なるものなれば。親の望みを叶へたく思ひすなはち鹿の皮を着て。あまた群がりたる。鹿の中へまぎれ入侍れば。狩人是を見て。まことの鹿ぞと心得て。弓にて射んとしけり。その時。剡子。これはまことの鹿にはあらず。剡子と云ふ者なるが。親の望みをかなへたく思ひ。いつはりて。鹿の形となれると。声をあげていひ…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・16 朱壽昌

    幼いころ生き別れになった母親に会いに行った朱壽昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱壽昌七歳生離母 参商五十年一朝相見面 喜気動皇天 朱壽昌は。七歳の時。父。その母を去りけり。されば。その母をよくしらざりければ。この事を嘆き侍れども。遂に会はざる事。五十年に及べり。ある時。壽昌官人なりといへども。官禄をも捨て。妻子をも捨て。しん(秦)と云ふところへ。たづねに行けるとて。母に会はせて給へとて。自ら。身より血をいだして。経を書きて。天道へ祈りをかけて。たづねたれば。こころざしの深き故に。つゐにたづねあへるとなり ーーー

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・15 郭巨

    郭巨。釜が巨大な栗に見えます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 郭巨貧乏思供給 埋児願母存黄金天所賜 光彩照寒門 郭巨は。家貧しくして。母を養へり。三歳の子を持てり。郭巨が母。かの孫をいつくしみ。我が食事をわけてあたへ侍り。あるとき郭巨。妻に語るやうは。母の食事さへ心に足らずと思ひしに。その内をわけて。孫に給はれば。さぞ乏しかるべし。所詮。わが子の有し故なり。汝と夫婦たらば。子は二度あるべし。母は二度あるべからずとて。夫婦ともに。この子を埋づみに行き侍り。郭巨。涙ををさへて。少しほりたれば。黄金の釜掘り出せり。其の釜に。不思議の文字あり。その文に。天孝子。郭巨に賜ふ。官。奪ふことを得ざ…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・14 王裒

    母の墓前で亡母に話しかける王裒。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王裒慈母怕聞雷 冰魂宿夜台阿香時一震 到墓遶千廻 王裒は。営陰といふ所の人なり。父の。王義。不慮の事によりて。帝王より法度に行はれて。死にけるを恨みて。一期の間その方へは。向かふて座をせざりしなり。父の墓所にゐて。ひざまづき。礼拝して。柏の木に取り付きて。悲しむ程に。涙かかりて。木も枯れたるとなり。母(は)常に。雷を。恐れたる人なりければ母むなしくなれる後にも。雷電しける折には。急ぎ母の墓所へ行き。王裒是にありとて。墓をめぐり。死したる母に力を添へたり。かやうに死して後まで。孝行をなしけるを以て。いける時の。孝行までをし…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・13 黄香

    黄香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 黄香冬月温衾煖 夏天扇枕涼児童知子職 千古一黄香 黄香は。あんりやうといふ所の人なり。九歳の時。母に後れ。父によく仕へて。ちからをつくせり。されば。夏のきはめてあつきおりには。まくらや床をあふひで。すずしめて。又冬のいたつて。さむき時には。ふすまの。つめたきことをかなしみて。わが身をもつてあたためて。あたへたり。かやうに。孝行なるとて。太守劉讙(りゅうかん)といひし人。札を立てて。彼が孝行を褒めたるほどに。それよりして。人みな黄香こそ。孝行第一の。人なりとしりたるとなり。 ーーー 日光市輪王寺糸割符灯篭の「黄香」。 匝瑳市飯高神社の「黄香」。

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・12 董永

    董永。天に帰る織姫を見送るシーンですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永葬父貸方兄 天姫泊上迎織絹償債主 孝感盡知名 董永は。いとけなき時に。母に離れ。家貧にして常に人に雇はれて。耕作をし。賃を取りて。日を送りたり。父老いて。足も立たざれば。小さき車を作りて。父を乗せて。田のあぜにをいてやしなひたり。有時父にをくれ。葬礼をととのへたく思へども。もとより貧しければ。かなはず。されば。りょうそく(料足)十貫に身を売り。葬礼をいとなみ侍り。さてかの銭主のもとへ行きけるが。道にて。一人の美女にあへり。かの人。董永が妻に成るべしとて。ともに行きて。一月にかとりの絹。三百疋織りて。主の方へ返…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・11 楊香

    父をかばい、トラに立ち向かう勇敢な楊香。 国立国会図書館デジタルコレクションより 楊香深山逢白額 努力搏腥風父子倶無恙 脱身纔甲中 楊香は。一人の父を持てり。あるとき父と山中へ行きしに。たちまち荒き虎に会へり。楊香は。父の命を失はん事を。恐れて。虎を追ひ去らせんとしけれ共。かなはざるほどに。天の御あはれみを頼み。乞ひ願はくは。我いのちを虎に与へ。父を助けて給へと。心ざしを深くして。祈りければ。さすが。天もあはれと思ひ給ひけるにや。今まで。猛き形にて。取り食らはんとせし虎。俄かに尾をすべて。逃げしりぞきければ。父子ともに。虎口の難を免れ。つつがなく。家にかへり侍るとなり。是ひとへに。孝行の心ざし…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・10 唐夫人

    唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人孝敬崔家婦 乳姑晨盥梳此恩無以報 願得子孫如 唐夫人は。姑。長孫夫人。としたけて。よろづ食事。歯にかなはざれば。常に乳をすすめ。あるひは朝毎に。髪をけづり。其ほかよく仕へて。数年養ひ侍り。ある時長孫夫人。わづらひつきて。此の度死せんと思ひ。一門一家を集めていへる事は。我が嫁。唐夫人の数年の恩情を。報ぜすして。今死せん事。残り多し。我が子孫の唐夫人の孝義をまねて有ならば。必ず。末繁昌すべしといひ侍り。かやうに姑に孝行なるは。古今まれなるとて。人みなこれをほめたるとなり。されば。やがて報ひて。末も繁昌すること きはまりもなく。ありけるとなり …

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・9 姜詩

    姜詩。姑のために泉で水をくむ奥さん。水面から魚が二匹顔を出してます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 姜詩舎側甘泉出 一朝双鯉魚子能知事母 婦更孝於姑 姜詩は母に孝行なる人なり。母つねに。江の水を。飲みたく思ひ又生魚の膾を欲しく思へり。すなはち姜詩妻をして。六七里の道を。へだてたる江の水を。汲ましめ又魚の膾を。よくしたためて。与へ婦夫ともに。常によくつかへり。ある時姜詩が家のかたはらに。たちまちに。江のごとくして。水はきいで。朝ごとに。水中に鯉あり。すなはちこれを取りて。母に与へ侍り。かやうの不思議なることのありけるは。ひとへに姜詩婦夫の。孝行を感じて。天道より。あたへたまふなるべし。…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・8 老莱子

    派手な格好で踊る老莱子。70歳で派手に踊ったら、息切れて翌日寝込むんじゃない?で、親に看病してもらうのね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子戯舞学嬌痴 春風動綵衣 双親開口笑 喜色満庭圍 老莱子は。二人の親に仕えたる人なり。されば老莱子。七十にして。身にいつくしき衣を着て。幼き者の形になり。舞ひたわぶれ。又親のために給仕をするとて。わざとけつまつきて。転び。いとけなき者の泣くやうに泣きにけり。この心は。七十になりければ。年寄りて。姿うるはしからざるほどに。さこそ。この形を親の見給はば。我が子の年よりたるを。悲しく思ひ給はむ事を恐れ。また親の年も寄りたると。思はれざるやうにとのため…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・7 王祥

    氷上の王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥冰摸 王祥はいとけなくして。母を失へり。父また妻を求む。その名を。朱子といひ侍り。継母の癖なれば。父子の仲をあしく言ひなして。憎ませ侍れ共。恨みとせずして。継母にもよく孝行にいたしける。かやうの人なるほどに。もとの母。冬のきはめて寒き折節。生魚をほしく思ひけるゆへに。肇慶府(ちょうけいふ)といふ所の川へ。求め行き侍り。されども。冬のことなれば。氷閉ぢて魚見えず。すなはち衣を脱ぎて。裸になり。氷の上に臥し。魚なきことを悲しみゐたれば。かの氷少しとけて。魚二つ。おどり出たり。すなはち取りて帰り。母に与…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・6 曽参

    曽参。薪取りの途中、胸騒ぎを感じて飛んで帰りました。母と息子の絆は深いものでした。来客のもてなしには間に合わなかったようですが。 国立国会図書館デジタルコレクションより 曽参母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰未晩 骨肉至情深 曾参。ある時山中へ。薪をとりにゆき侍り。母留守にゐたりけるに。したしき友きたれり。これにもてなしたく思へども。曾参はうちにあらず。もとより家貧しければ。かなはず。曾参がかへれかしとて。自ら指を噛めり。曾参山に。薪を拾ひゐたるが。にはかに胸騒ぎしけるほどに。急ぎ家に帰りたれば。母ありすがたを。つぶさに語り侍り。かくのごとく。指を噛みたるが。遠きにこたえたるは。一段孝行にして。親子…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・5 閔子騫

    閔子騫。意地悪な継母にも優しく接する、仏のような閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子騫閔氏有賢郎 何曽怨晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫いとけなくして。母をうしなへり。父。また妻をもとめて。二人の子をもてり。かの妻。我が子をふかく愛して。継子をにくみ。寒き冬も。葦の穂を取りて。きるものに入れて。着せ侍る間。身も冷えて。たえかねたるを見て。父。後の妻を去らんとしければ。閔子騫がいふやうには。かの妻を去りたらば。三人の子。さむかるべし。今我一人。寒きをこらへたらば。弟の二人は暖かなるべしとて。父をいさめたるゆへに。是を感じて。継母ものちにへだてなく。いつくしみをくはへて。もとの…

  • 書籍/二十四孝 (中野市右衛門1632)・4 孟宗

    孟宗。右上にある家で母がタケノコを待ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 孟宗涙滴朔風寒 蕭蕭竹數竿須臾春笋出 天意報平安 孟宗は。いとけなくして。父に後れ。ひとりの母をやしなへり。母とし老いて。常にやみいたはり。ものの味はひも。たびことにかはりければ。よしなきものを望めり。冬の事なるに。たけのこをほしく思へり。すなはち孟宗。竹の林に行き。求むれども。雪ふかきおりなれば などかたやすく得べき。ひとへに天道の御あはれみを頼み奉るとて。祈りをかけて大きに悲しみ。竹によりつきゐたりける所に。にはかに大地ひらけさけ。竹の子あまた生ひ出侍り。大きに喜び。すなはちとりてかへり。あつものに作り…

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