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ブログタイトル
鳥海山近郷夜話
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/ayasiiojisann
ブログ紹介文
最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。
更新頻度(1年)

272回 / 365日(平均5.2回/週)

ブログ村参加:2019/08/17

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ハンドル名
ayasiiojisannさん
ブログタイトル
鳥海山近郷夜話
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鳥海山近郷夜話

ayasiiojisannさんの新着記事

1件〜30件

  • んーっ、カップ・ヌードル

    よく出来ていますねー、カップヌードルのプラモデル。昭和46年(1971)9月18日の発売だそうです。半世紀も前ですね。発売当時は100円、袋麺が30円の時代に。様々なカップラーメンが発売され、カップ・ヌードル自体もいろいろな味のものが発売されたけど、最後に行きつくところはこれ。左本物、右プラモデル。取り外しのできる全面が少し浮いているのでちょいと違和感はありますけれど、蓋をとって置いておくと間違ってお湯を入れそうになってしまいます。んーっ、カップ・ヌードル

  • 鳥海山の八十年前の絵葉書

    古いカラーの絵葉書があります。左は御田ケ原、今の御田でしょう。右は七高山。左の写真を見ると神事に倣い、田植えをしているようです。そういう故事があるために撮影用に行ったのではないでしょうか。左の葉書の下の方にアルファベットで、GodengaharaonMt.Chokai,Akitaと書いてあります。このころは「ごでんがはら」と呼んでいたのでしょうか。象潟口に御田ヶ原がありますが「オタガハラ」です。矢島口のこの地形は「御田」として神事が行われていたのではなかったでしょうか。矢島方面の詳しいことはわかりませんのでどなたか教えてください。ただし御田は「オダ」とは呼ばれていなかったのは確認しています。上の絵葉書の表記が間違いないなら御田の読みは「ゴデン」でしょうか。左、新山への登り、右は山頂御本社です。左は行者岳、右は中...鳥海山の八十年前の絵葉書

  • 昔、大清水での山納

    ずーっと昔、会社の広報に頼まれて書いた原稿が出てきました。このブログを書き始めたころこの大清水の避難小屋のことを書いたことがあるのですが、その時の詳細を書いたものです。大清水の避難小屋での宴会は十年ほども続きました。このころ体育の日は10月10日と決まっていましたから、その前後休みをもう一日とって行っていました。これはその初回の記録です。何度も言いますが大清水は「オオシミズ」ではなく「オシズ」です。地名の漢字は古ければ古いものであるほど音に合わせて文字を当てはめた場合が多いようです。以下お暇でしたらお読みください。八月の四日間の黄金の日々が過ぎ去ると、しばらくは休日の度に悪天候に見舞われ、山行きも思い出に残るようなものがなくていたところ、十月に入って、連休に山小屋で酒飲みしようと友達から電話があり、鳥海山百宅口...昔、大清水での山納

  • 地名考 えーいっ、もう一丁虫穴だー

    考というほどのものではないんですが、わかりやすい、が伝統を駆逐するんですね。それが「虫穴岩」の表記にも表れています。変色した写真も色情報を破棄すれば、あらなんと、少しは見られるではないか。よく見ると虫穴の上でお昼寝している人がいます。「虫穴岩」でいいとする人に共通するのは以下の二例を見ていただきましょう。虫穴は「虫穴」とだけ表現するとすでに知っている人には問題ない名称ですが、初めて聞いたり見た人はいったいなんのことだか分からないでしょう。「虫穴岩」とすれば溶岩が冷える過程でガスが抜けた細かい穴だらけの岩石だろうという推測ができます。したがってどちらの名前でもよく、正誤の話ではないと思います。「虫穴とするよりも、ガイドとしては虫穴岩とした方が分かりやすいかな、という判断で虫穴岩にしました。」何のことかわからないか...地名考えーいっ、もう一丁虫穴だー

  • まだ続く虫穴

    まずはご覧ください宝永元年(1704)蕨岡と矢島との鳥海山頂をめぐる争いに際して作られた張抜模型です。右から生嶽(笙ケ岳)、弥三郎岩(御浜小屋の右隣にある巨大な岩)、その下稲村嶽(稲倉岳)左、七高山の上に「虫穴」が見えます。この時の裁決の図面の裏書した裁決文があります。引用は松本良一「鳥海山信仰史」です。読みやすいように新かなづかいにして書いてあります。「矢嶋百姓申す所、峯通りの証據一円これなし、今度新規の総図面に峯境相知らざる由、これを記すに付、正保年中の古絵図點検せしめ候、庄内領百姓申す趣と符合せしめ候、その上蛇石を限り両郡境の由申すといへども、膀示より八拾間余り北方に件の石これあり、糾明せしめ候処、蛇石より南は飽海郡の由証文これあり候、此石庄内領においては、虫穴と名付けている旨申すに付、由利郡鳥海山麓の者...まだ続く虫穴

  • 続・虫穴

    現在虫穴の名称について二件回答が来ています。いまだに回答のないところは山に対して真面目じゃないんでしょうね。回答のないところはどれも観光を目的としたサイトです。山形県山岳会では現地の山岳会に確認し、「虫穴」が正しいと判断し、ホームページ上のすべての「虫穴岩」表記を「虫穴」に訂正しました。真摯に向き合っていただいた結果です。「山と高原地図」発行元では、「虫穴」と「虫穴岩」の記述があるのは把握していたが行政の資料の中で「虫穴岩」の名称が確認できたという事と、現地で「虫穴」と「虫穴岩」両方使用されているとの認識で混乱を避けるため「虫穴岩」としたと回答がありました。おまけに「本メールの転載はご遠慮ください」と、なのでメールの記述通りではありません。どうも責任逃れですね。再度問い合わせるとともに、執筆者の斎藤氏への確認も...続・虫穴

  • 七高山北ピーク

    雪田爺さんから写真使用の許可いただきましたので七高山の北のピークをじっくり見てみましょう。七高山北のピークやはりこれは拝所ですね。北のピークから奥に七高山舎利坂から七高山に登る踏み跡はトラバース気味に七高山に向かっていますが、北峰に直接向かう踏み跡もあります、という情報も頂きました。北のピークから北方向「この北峰のさらに北側に、七高山を形成する一枚の溶岩の末端と繋がる20~30mの断崖で尾根が途切れているところを歩く内壁に刻まれたトラバース道があった、と聞いたような微かな記憶があるのですが、怪しい記憶です。」という話もこの写真を見ると内壁からここまで登る道がかつてあったのではないか、という気がしてきます。 七高山北ピーク

  • 佐藤允彦、山下洋輔を聴きなおす

    今日もちょっと一休み。まだまだ日本のジャズが真面目に燃えていたころのアルバムのデザインを見てみましょう。あの頃中山千夏が、だれかお嫁に貰ってくれないかなあ~、と言ったところ居合わせた佐藤允彦が「じゃ俺ん所へ来な」という事で結婚したという話が記憶にあります。中山千夏と言えば「ひょっこりひょうたん島」の博士ですね。その後離婚して参議院議員になったんでしたっけ。話は脱線しますが「くるみ」さんというおばさんとあった時はつい「チロリン村とクルミの木」を思い出しました。「ランランチロリンやさい村うれしい村だよとぼけ村」という歌詞で歌が始まります。クルミのクル子、タマネギのトン平、イタチのプー助なんてのが出てきまして、そのクルミのクル子が真っ先に思い浮かびました、というのは嘘で記憶の中ではクルミの頑固おやじとなっていました。...佐藤允彦、山下洋輔を聴きなおす

  • アルバムジャケットを楽しもう

    今日はジャズのアルバムからこのデザイン、いいなあと思ってみています。よく見ると、vol.1、vol.2、vol.3、vol.4と壜が一本ずつ増えている気がしますけど。vol.1は三本、vol.2は四本、vol.3は五本、vol.4は、あれっ七本ある。しかもどれのものでもない蓋が一個。誰のデザインだろうとCDの極小の文字をハズキルーペ二つ重ねて読んだら何とか読めました。ReidMilesでした。やはりそんじょ其処らの人のデザインとは違います。LP、LD、DVD、CD全部買いましたが今手元にあるのはCDだけ。なかなか全部観たり聴いたりすることはないです。ジャケットデザインを楽しんでみることの方が多いです。(DVDは面白みのないデザインです。)もちろん中身は最高です。この当時のCDの値段を見たら3,200円。今はCD...アルバムジャケットを楽しもう

  • 鳥海山破方口(八方口)の謎

    鳥海山に詳しい方に聞いたり、古絵図を見たりしていますが今一つわかりません。どなたかご存じでしたら教えてください。ここに飽海郡誌という本があります。現物はかなり膨大な内容量で古書としての価格も結構高額です。古書市場にも出回っていますが、幸い国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧、ダウンロードすることが出来ます。飽海郡誌巻之二第六篇山川の冒頭に鳥海山大物忌神社の項があります。その中に何枚かの絵図があります。破方口はそのどれにも記載してあります。しかしながらPDF内を検索しても文字として破方口或いは八方口は出てきません。口という言葉は現在では矢島口、象潟口、湯ノ台口など登山道の入り口或いは登山道そのものをを指して言いますが果たしてその時代、口に登山道の意味があったのか。現在で言う所の登山道、このころは登山ではなく登拝の...鳥海山破方口(八方口)の謎

  • 鳥海山の地名、読み方

    先日、虫穴について質問状を各所に送付しましたがいずことも未だ回答ありません。そんなものほっとけ、と思われているかもしれません。いずれ回答が来たら公開します。今回は地名の読みについて、まずは下の地図、青で囲んだところをご覧ください。左から檜の沢、蛇石流、少し下に荒木沢、上に戻ってビヤ沢雪渓、白沢雪渓とあります。ヒノサワ、ジャセキリュウ、アラキサワ、ビヤサワ、シラサワと読みそうですが違います。蛇石流はまずおいて、檜の沢はヒノソ、荒木沢はアラキソ、ビヤ沢はビヤソ、白沢はシロソ、と読みます。どう読み発音しても通じるし、いいんでしょうけれどやはり地元に根差した名前で行きたいですよね。蛇石流はジャイシナガレです。ジャセキリュウと正しい音読みかもしれませんがここ重箱読みでジャイシナガレです。勝手に地名をつくる人は蛇石流沢、ジ...鳥海山の地名、読み方

  • 鳥海山古絵図

    色も焼けボロボロになった印刷での復刻版ですが」画像編集ソフトで何とか見られる状態にしてみました。百名山、鳥海登山にしか興味ない方はスルーしてください。吹浦口のこういった絵図は見たことがありません。往時の蕨岡大物忌神社は隆盛を誇っていたのでしょう。少し拡大してみます。右に赤瀧大神、大沢神社が見えます。でも「澤」でなく新字体の「沢」になっているのがなんか変。その上の方に読みにくいですけど、ツルマキ池と書いてあります。そういえば古絵図では鶴間池ではなくツルマキ池だなあ、と思っていたところ、今日鳥海山に詳しいAさんより、鶴間池はかつて弦巻池と呼ばれた、という事をききました。小鶴間池と大鶴間池とその2つを結ぶ水路の配置が、旧清吉新道から見下ろすと弦を巻き取るような構図になっているからそう呼ばれたのだそうです。こうしてみる...鳥海山古絵図

  • 虫穴

    鳥海山七高山近くにある大きな溶岩塊虫穴、大清水の園地からも肉眼ではっきり見えます。これを斎藤政広執筆「山と高原地図鳥海山・月山羽黒山」に於いて「虫穴岩」記載してあるのは誤りであると先日も述べたのですが、同様に「虫穴岩」と呼称している例がかなりありました。個人のブログでは、そう記載してある地図やインターネット上の記載によってそう書いたのでしょう。一例をあげると、山形県山岳連盟ホームページ、鳥海国定公園観光開発協議会のWEBページ百宅口登山ルートガイド、由利本荘市観光協会の登山案内等が挙げられます。一般登山者にある程度の影響を与えるこういったサイトで何故伝統も無視した名称の改変を行うのでしょうか。しかも鳥海山の聳える地元の団体ですよ。実際岩だもの、そんなの虫穴岩でいいじゃないか、という人は由緒も伝統にも、まして鳥海...虫穴

  • ポスターを作ってみよう

    オンデマンドでも簡単に作ることが出来るようなのですが、まずはもっと簡単なコンビニプリントでポスター作製に挑戦。ローソンのコピー機でやったらJPGを読み込まないし、なんだか相性が悪いようだ、とうことでセブン・イレブンへ。どちらの店も近所にあります。セブンン・イレブンは最初にコピー機で持参の写真データをプリントします。今回はA3で出力。プリントしたらそのA3をコピー機にセットしてコピー→いろいろコピー→ポスター、原稿サイズA3を選択、次に出来上がりサイズA3×4枚を選びコピースタート。ボタンをポチッ。これでA1サイズの4分割ポスターの出来上がりです。上の画像にあるのがA3×4枚に分割プリントしたもの。右下のものがA3にプリントした原稿です。あとはゆっくり貼り合わせましょう。A3×4枚を他に変更すればもっとおおきなサ...ポスターを作ってみよう

  • 余りにもくだらない命名「 洞吹ノ滝」

    今日も地図にまつわるお話。これは古い地図ですが、最近の地図には青で囲んだ滝は載っていません。滝の小屋へ行く途中、車道から見えます。洞吹ノ滝、ドースイノタキなどと無理やり読ませているようですが、実はこれ、誰やら怪しい、と言ってもこれを書いているayasiiojisannではありません、怪しい親父が命名したという話。もう一度読んでみてください。ドースイノタキ?最初の文字は、洞ほらですね。そう、これは本当はホラフキノタキなのです。くだらない名前ですよね。あまりにもセンスのない、マタフリ滝、白糸の滝などと比べて明らかに違和感があります。澄郷沢、鹿俣(カノマタ)沢に挟まれて、やはりへんてこな名前です。河原宿の小屋で滝の名前は俺が命名したんだと、それこそほらを吹く親父が威張り散らしていました。その親父が登ってくるとみんな嫌...余りにもくだらない命名「洞吹ノ滝」

  • 1976年の山と高原地図 鳥海山 その二

    1976年の山と高原地図鳥海山今度は別の方面を見てみましょう。よく見ると賽の河原にもキャンプ場の印があります。破線ながら中島台口があります。ずっと昔ですが、八月の快晴の日、山頂で姿を見かけた単独行の老人が千蛇方面に下ったまま行方不明になり出てきませんでした。不思議なことに目撃情報は山頂が最後、下山途中の目撃情報はなかったという話でした。千蛇から中島台方面へ迷い込んだのではないかとの噂が飛び交ったものでした。後年、御浜の小屋の外にその老人らしきものがあらわれたという話もありました。きっと成仏できずに人のいる所へあらわれるのでしょう。これはこの地図の裏面です。稲倉岳への登路として奈曽渓谷を詰め蟻ノ門渡へ取りつく道が書いてあります。かつては多くの人が登ったことでしょう。その記録はいろいろと見ることが出来ます。しかし気...1976年の山と高原地図鳥海山その二

  • 山と高原地図に見る清吉新道の変遷

    1976年の山と高原地図には今は廃道となった多くの登山道が記されています。その中の清吉新道は斎藤清吉さんが切り開いた道ですが、その経緯・開削の記録は斎藤清吉さんの著書「鳥海山登行山男のひとりごと」に詳しくあります。そのまえがきに新道をつくることになるいきさつが書いてあります。「昭和三十二年十月、山形県総合体育大会山岳部門が鳥海山に決まり、八幡町が主担当になった。しかし鳥海登山道の中、山形県側のものは行政区域的に遊佐町に集中していて、八幡町から頂上に直行できる道はなかった。だが山岳関係者にしてみれば、八幡町からは平素大分お世話になっている。この際大会記念に、八幡町から頂上まで直接登れる道を開削して街に寄贈しようと思い立った。」この年の七月十四日から八月十四日の短期間に開削されました。新道の名前は県総体のおり、県岳...山と高原地図に見る清吉新道の変遷

  • 1976年の鳥海山地図 その一

    まず全体を見てみましょう。主要な所をスキャナーで取り込んだものです。ちょっと小さくてわかりずらい、少し拡大してみましょう。自然公園法で国立公園、国定公園では許可なくキャンプできません。先日、最近山頂近くでテント泊をしたと自慢げに書いている山に登る資格のない輩が投稿しているのを見ました。我々も時々監視員の腕章を渡され注意に行って撤収させたこともあります。しかし、この当時地図には国定公園とありますがいくつかキャンプ場として記載されています。鉾立に国鉄鉾立キャンプ村とあります。その関連か、かつて鉾立山荘に国鉄の何とかと書いた看板があったと思うのです。もちろん現在鉾立もテント禁止です。鳥海湖畔にもテントマークがあります。また河原宿にもテントマークがあります。昭和初期の写真には鳥海湖、河原宿での幕営写真が結構残っています...1976年の鳥海山地図その一

  • 鶴岡にあったジャズホールLexingtonのレキシントンシリーズCDアルバム

    今日は久しぶりにジャズCDのお話。昔、鶴岡市にあったLexingtonというジャズホール、そこで出したCDシリーズです。JuniorMance何をどこで演奏してもいいですね。一曲目のWHISPERNOTがいいですね。このジャズホールではレキシントンシリーズとして四枚のアルバムを出していますが、これはその二枚目です。その一枚目、最初のアルバムがDuskoGoykovichのLexingtonでのライブです。非常にくつろいで演奏しているように思われます。三作目はなんとニューヨークでの録音です。リーダーは一作目のドラマー大坂昌彦。サイドメンにMulgrewMiller,ChristianMcBride曲によってPhilWoods,DuskoGoykovichも演奏しています。よく言って盛りだくさん。まあそれなりの出来...鶴岡にあったジャズホールLexingtonのレキシントンシリーズCDアルバム

  • 石段

    今日は山本坊さんまで先日頼まれた写真を届けに。自宅のプリンターで印刷するよりもコンビニサービス使ったほうが簡単です。それに滅多にプリンター使わないんでモノクロ印刷がおかしくなったりと、家庭用インクジェットプリンターは純正インクが高いし、純正以外使うとプリンターが不調になるようにできているようです。昔の参道です。鳥海山の参拝者はこの石段を登って蕨岡大物忌神社へと向かいました。もちろん今は使われていません。先の石段を上り終わると次はいつも撮影しているこの石段です。昔の人は良く歩きますね。神社の拝殿の中には中年の男女が正座して御祈祷していました、が、なんと拝殿の中に土足で入っているではありませんか。降りてきたところ優しく注意はしました。土足禁止と書いてはあるのですが、古い看板なので目にはつきにくいようになっています。...石段

  • 先日の蕨岡再訪

    朝から暑いですね。先日蕨岡大物忌神社の宿坊のご主人を訪ね、昔の鳥海山の話ををいろいろとうかがってきましたが、その時大物忌神社にもお参りしてきました。かつての修験者はこの景色を見ながら登拝したのですね。稲穂も色づきはじめています。拝殿は訪れる人もなく静寂の中にあります。落ち着いた気分でいられるのはこの辺りまで。この先、拝殿跡への石段を上ると、この石段を上っていくと松岳山、旧大物忌神社拝殿跡に出会います。草も生い茂り、小さな虫がたくさん飛び交っていて、汗に反応してか、体にまとわりつきます。慌てて手で叩き潰すと真っ赤な血が腕の上にピチャッとつきます。虫除けスプレーを塗っていたとしてもこれだけ虫が飛び交うと効き目がありそうにありません。これでは拝殿跡まで行くのは無理とあきらめ、途中の大きなごみを拾って戻りました。昭和の...先日の蕨岡再訪

  • 山と高原地図 鳥海山

    はじめて鳥海山に登ったのは、決して早い方ではなく1979年。追分から横堂、西物見、河原宿を通って新山まで、下りは外輪、御浜、大平というルートでした。そのころの記録も保存してあります。その時使った地図がこれですが、何故か中身が行方不明。ずっと探していました。Amazonにも日本の古書にも在庫なし、所在が確認できたのは国会図書館のみ。我が家のどこかにはあったはずなのですが、捨てられてしまったのかもしれません。なんと先日オークションサイトで発見しました。山と高原地図鳥海山ではなくて、古地図のカテゴリーにありました。山と高原地図では見つからなかったわけです。ところが安く購入できると思ったら思わぬ伏兵があらわれ超苦戦。入札参加歴の極めて少ない方々と競争になりましたが、こちとら欲しい度合いが違うんでい!これだけは金に糸目は...山と高原地図鳥海山

  • 昔の河原宿

    大物忌神社蕨岡口の宮宿坊の山本坊さんに手元の資料を持参して鳥海山の様々なお話を伺ってきました。山本坊さんもこの写真には驚かれました。河原宿です。左にこんもりしているのが笹小屋です。笹小屋は河原宿と横堂にありました。年代は不明ですが山本坊さんもこんな写真んが残っているとはびっくりしていました。河原宿の小屋は、というより鳥海山の参籠所、拝所、山頂本殿は従来蕨岡の大物忌神社がすべて取り仕切っていました。河原宿の笹小屋はのちに今廃墟となっている石室に木造の構築物をのせた小屋になりましたが、そのひとつ前の姿が次の写真です。日付を見ると8.8.1とあります。漢字は右から左へと書いてあります。1年の8月8日と思うかもしれませんが、大正元年は1912年7月30日から、昭和元年は1926年12月25日からですから、この参拝記念の...昔の河原宿

  • 鳥海山の古い写真

    僅かですが、鳥海山の古い写真が出てきました。昭和28年7月の横堂の写真です。右上隅に横堂の表示の一部が見えます。手前休憩している人がいる所がかつての笹小屋を引き継ぐものでしょう。以前掲載した上の写真には手前の小屋はありません。どちらが古いのでしょうか。こちらの写真には年の表示が無いのです。左に何かの植物が生い茂っていますので、これらを刈り払い、整地して先の小屋を建てたと思うのですが正確なところはわかりません。五合目西物見と標識があります。標識の上部の横向きの板の左部分には至河原宿と書いてあるように読めましたが、右側は至の後が読めませんでした。これは昭和28年8月15日に撮影されたものです。こちらも同じく昭和28年8月15日に撮影されたものです。場所は河原宿となっていますが現在の登山ルートからは結構離れた場所のよ...鳥海山の古い写真

  • シベリア抑留の記録

    戦争が終わって75年、戦争を語ることのできる人はもうごくわずかになってしまいました。うちの父親はすでにこの世にいませんが、敗戦後シベリアに抑留されていたそうです。今もうちに残されているのは捕虜収容所で作らせられたというアルミ製のフォークとスプーン。日本人捕虜は食器も自分で作らねばならなかったのだそうです。フォークは何故か先端が六つに枝分かれしています。収容所では何もかも没収され、わずかに残された女性の写真が一枚、女優高峰三枝子の写真です。これも没収されそうになったのですが、ワイフの写真だと言って没収を免れたそうです。シベリアではどのような地獄を見てきたかは語ることはありませんでした。いつ日本に戻ってくることが出来たかは忘れてしまいましたが、母親はすでに世を去っていたという話は聞いた記憶があります。そのうち過去の...シベリア抑留の記録

  • 誰もいない山小屋で一人飲みながら聴きたいアルバム

    EmilyRemler、彼女と一緒でも駄目ですよ、聴くのはあなた一人。HowInsensitive河原宿の廃墟の小屋の中で一人聴くのにいいかもしれません。それは無理でしょうけれど、暗闇の外に出ても星もみえない山小屋の中で金属製のグラス傾けながら聴きたいですね。誰もいない山小屋で一人飲みながら聴きたいアルバム

  • 久しぶりにプラモデルをつくってみたら難しかった

    テナーサックスのプラモデル。ずっと昔にこのシリーズ作ったような気がします。普通のプラモデル用の接着剤じゃくっつかないんですね、このモデル。ABS樹脂なのでABS用接着剤でないとつきません。おまけにすべてメッキ仕様なので接着部位はすべてメッキを剥がさなければなりません。これは剥がすところが小さく、接着しようとすると接着剤ははみ出る、それ以前にランナーからパーツを切り出すときに切り間違うといった状況でした。貝殻部分は白を塗るのですがもう面倒くさい、そのままです。完成品は粗が見えないようにあえてピンボケで。やはり自分にはこういった作業は向いていないようです。なんといっても、テナーサックスの構造を熟知していなければ難しいですね。金管楽器ならわかるのですが、木管楽器はちょいとわかりません。一日数時間のアルバイトでも、この...久しぶりにプラモデルをつくってみたら難しかった

  • 鳥海山をめぐる人々 降格三度、破談二回、それでもめげない山男

    滋賀県に住むDさんはあまりにも頻繁に、山へ行くための休暇を取るのでせっかく昇進しても降格すること三度、と笑って話す人でした。女優の沢口靖子が従妹だといい、靖子も綺麗になったなあ、あいつのおじいさん(だったか?)は飛島の人なんだよ、などと話しながら何度か鳥海山に一緒に登りました。そんなある日、鳥海山へよく行くTさんが、鳥海山仲間の秋田のKD女子から秋田駒へ登ろうと電話があったのでので現地集合して登りましょうと言うことになり、ちょうどその時こちらへ向かっていたDさんも一緒に秋田駒に行くこととなりました。駐車場でKDさんと合流、あいにくの雨の中男岳まで登りました。こちらから田沢湖までは結構遠いんです。遠くから来れば少々の雨、登ってしまうんですね、やっぱり。(この時の写真はほとんどありません。右がDさん、左KDさん、中...鳥海山をめぐる人々降格三度、破談二回、それでもめげない山男

  • 鳥海山をめぐる人々 「お父さん、フィルム入れて」「えっ、またかよ」

    結構な年齢になってから鳥海山の魅力に取りつかれたSさん。奥さんも体がそれほど丈夫ではなかったのですが、やはり鳥海山の魅力に取りつかれ夫婦で一緒に登るようになりました。右の男性、Sさんではありませんがザックはキスリングです。鳥海山の真下に住む人で鳥海山は庭のような人。荷物も年季が入っています。中央がSさんの奥さん。我々の写真はいつも鳥海山のどこかで飲みつつ食べているところばかり。この奥さん、やたらと写真を撮ります。一度の山雪で36枚撮り何本使ったでしょうか。昔で言うバカチョンカメラ、(今では差別だなどと、一番人を差別する人が騒ぎ立てる言葉なのですが。バカは差別なので頭の不自由な人と言いましょう。)でバシバシと目に付いたものなんでも獲ります。あっという間に一本終了。すると「お父さん、フィルム入れて。」「えっ、またか...鳥海山をめぐる人々「お父さん、フィルム入れて」「えっ、またかよ」

  • カメラ、カメラ、かめら

    皆さん、いいカメラを丁寧に扱っているのでしょうけれど、このわたくし、いたってぞんざいに扱いメンテもしない、撮影もほとんどプログラムオート、たまにマニュアルで撮影するくらい。前は絞りなんか一生懸命いじっていたのですが。このニコンのD200、右にフィギュアで支えているのはそうしないと縦位置グリップをつけているせいで前に傾くからです。この縦位置グリップ、興味半分で買ったもののはっきり言って邪魔。縦構図撮影するのに別にいりません、それに持ち歩くには不便です。グリップの中にバッテリーがダブルで入る、または単三電池が使えるくらいでしょうか。純正バッテリーは高いので予備は某国産でUSB充電器の付いたやつ。あまり信頼のできるものではありません。こうしてみると、縦位置グリップ大きくて邪魔ですね。それにしてもカメラが汚い?東京街歩...カメラ、カメラ、かめら

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