八光洞から西へバイクで10分足らずの距離に常照皇寺があり、その手前には「丸山しだれ桜」が植栽されています。「丸山」は当地の地名「右京区京北井戸町丸山」によるものと思われ、京都市内で桜が散った頃、当地は桜の見頃となります。北へ進むと正面に参道の石段があり、そ
西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
城山公園から国道27号線へ戻って東へ進み、「和田駅」の信号を右折して南へ進んだ先に馬居寺(まごじ)があります。山号を「本光山」と号する高野山真言宗の寺院で、若狭観音霊場の第30番札所及び北陸三十三ヵ所観音霊場の第2番札所です。駐車場から石段を登ると山門、その先
中山寺から国道27号線へ戻り、27号線を東へ進んで「宮崎」の信号を右折した先、中山寺からバイクで10分の距離に佐伎治神社(さきちじんじゃ)があります。第12代・景行天皇(在位:71~130)に仕えていた磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭国造を授けられた時には既に
舞鶴市の「赤レンガ博物館」、「舞鶴引揚祈念館」、「多禰寺(たねじ)」、「松尾寺(まつのおでら)」の記事は既に掲載していますので、カテゴリーは福井県若狭地方に変更します。松尾寺から国道27号線へ戻って小浜方向へ進み、青葉トンネルを超えた左側に杉森神社がありま
平成29年(2017)の成相寺への参拝は傘松公園へリフトに乗って向かいました。ケーブルカーとリフトのどちらの乗車も可能で、当時の運賃は往復660円でしたが、現在では往復800円に値上がりしています。傘松公園からの天橋立の眺めは、龍が天へと昇って行くかのように望まれ、「
天橋立へはまず文珠水道(天橋立運河)と呼ばれる水路に架かる長さ約36mの「小天橋」と呼ばれる廻旋橋を渡ります。大正12年(1923)に手動の廻旋橋ができ、昭和35年(1960)からは電動式になりました。廻旋時にはこのようになります。続いて大天橋を渡ります。天橋立は、『丹後風
鬼の足跡への駐車場から府道9号線をバイクで約30分北上した先に智恩寺があります。山門は、江戸時代に足掛け7年の工事期間を経て明和4年(1767)に上棟されました。再建にあたって第117代・後桜町天皇(在位:1762~1771)から黄金を下賜されたことにより「黄金閣」と称され、掲
元伊勢外宮・豊受大神社から府道9号線を北へ、バイクで10分弱の距離に元伊勢内宮・皇大神社がありますが、こちらには民間の有料駐車場しか無く、天岩戸神社の方に無料の駐車場があります。有料駐車場からの表参道は約300m、220段の石段が続きます。鳥居をくぐった先に天皇神
天寧寺から東へ進み、その先の国道175号線へと左折して北上すると宮川橋があり、その手前を左折して川沿いに北上すると、鎮守の森の中に豊受大神社があり、川は伊勢神宮の外宮近くを流れる川に因み「宮川」と称されています。駐車場先の石段かって、天照大御神は宮中で祀られ
長安寺から北へ、バイクで約15分の距離に天寧寺(てんねいじ)の駐車場があり、西へ進むと山門があります。山号を「紫金山」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、西国薬師四十九霊場の第27番札所です。貞治4年(1365)に愚中周及(ぐちゅう しゅうきゅう:1323~1409)が丹波の地
長安寺は京都府福知山市奥野部にあって最寄駅である京都丹後鉄道・宮福線の「福知山市民病院口」駅からは徒歩約40分ほどの距離なので、当日は自宅からバイクで約2時間半を要して、丹波大文字・標高406mの姫髪山の麓にある長安寺へ参拝しました。駐車場から山門まで西国三十三
杭全神社からJR大和路線を超え、北東方向へ10分足らず歩いた先に旭神社があります。天平5年(733)頃に、現在地から東の加美小学校付近で牛頭天皇を祀ったのが始まりで、元禄12年(1699)に現在地へ遷座されたと伝えられています。南向きに建つ注連柱から入り、参道を西へ進むと
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八光洞から西へバイクで10分足らずの距離に常照皇寺があり、その手前には「丸山しだれ桜」が植栽されています。「丸山」は当地の地名「右京区京北井戸町丸山」によるものと思われ、京都市内で桜が散った頃、当地は桜の見頃となります。北へ進むと正面に参道の石段があり、そ
貴船神社の奥宮から北へ、標高680mの芹生峠を越えた先、奥宮からバイクで10分足らずの距離に「芹生の里」の碑が建っています。芹生の里は、上桂川支流・灰屋川(はいやがわ)の上流にあって、灰屋川に芹(せり)が自生していたことが地名の由来とされています。かっては、林
杉坂の船水の先を左折して北へ進むと「古道 若狭街道」と記されています。若狭街道は朽木を経由するものなど幾筋かのルートがあります。その直ぐ先に「氷室分れ」の標識があり、左折して北への坂道を登り、その先で下りとなって、標識からバイクで5分余りの距離に氷室神社が
北山台杉の畑の先で鷹峯街道は、直進する府道107号線と分かれ、右折して南下し、その先に地蔵院があります。山号を「桃源山」と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院ですが、創建に関する詳細は不明で、平安時代(794~1185)には真言宗の寺院であったと伝わります。明治20年(1887)
国道162号線を北上して、バイクで中川へ向かいました。平成10年(1998)に延長1,582mの中川トンネルが竣工し、現在での国道は集落を迂回しているため、集落内は閑散としています。日本人初のノーベル文学受賞者・川端康成(1899~1972)の小説『古都』の舞台となった所でもありま
東雲寺から東へ、バイクで20分余りの距離に四所神社(ししょじんじゃ)があります。所在地は京都市右京区ですが、カテゴリーは「京都府亀岡市~福知山市・綾部市」に含めます。天文21年(1552)に愛宕山白雲寺福寿院の幸海(こうかい)僧正が、清滝四所明神を原村の「かぶとの
清源寺の南西方向、バイクで約5分の距離に巴塚があります。源義仲 (みなもと の よしなか:1154~1184)の愛妾(あいしょう)・巴御前(ともえごぜん:生没年不詳)を祀る供養塔があります。寿永2年(1183)5月11日の倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で大勝し、
京都帝釈天の駐車場から南へ、バイクで5分足らずの距離に文覚池があります。神護寺中興の祖である文覚上人(もんがくしょうにん:1139~1203)が治承年間(1177~1181)に当地へ訪れ、この地を適地と村人を指導し、村人が掘削した溜池で、周囲850m、面積4.22haの大きさです。当
京都帝釈天の駐車場から南西方向へ、バイクで5分余りの距離に西光寺があります。山号を「飯森山」と号する真言宗の寺院で、山門は龍宮造の鐘楼門です。勝宝8年(756)に良弁大僧正(ろうべん/りょうべんだいそうじょう:689~774)により創建されたと伝えられています。その後、
日吉ダムの南、バイクで約10分の距離に福寿寺の駐車場があり、その先から帝釈天参道の登りとなります。参道には「願いの鐘」が設置されています。本堂石段下までの約700mに108の鐘が設置され、願いを込めて左手で叩いていけば、帝釈天に届くと記されています。また、「庚申塔
生身天満宮から北東方向へ、バイクで約15分の距離に日吉ダムがあり、ダムの手前の橋を渡り、上桂川の北側の道路を川に沿って登ればダム管理所前の駐車場へと続きますが、こちらは上桂川の南側の道路からの画像です。こちらは管理所側で、石垣に見える目印は平成25年(2013)9月
九品寺の東、バイクで10分足らずの距離に「園部城址」の碑が建っています。元和5年(1619)12月に但馬国出石藩主であった小出吉親(1590~1668)が移封され、園部藩が誕生して園部陣屋が築かれました。小麦山南東の丘陵に方形居館、武家屋敷を構え、周囲には外郭線を築いた本格的
摩氣神社から北東方向へバイクで5分余りの距離に九品寺があります。参道を入ると「天宗」と刻まれ、その奥に大日堂があります。天宗は昭和29年(1954)に開かれ、真言宗の流れを汲み、大日如来を本尊としています。東京都日野市にある日仏寺聖殿が総本山とされています。堂内に
摩氣神社(まけじんじゃ)は、JR山陰本線「園部」駅の西にあって、徒歩だと2時間近くを要しますので、当日はバイクで向かいました。園部川に架かる「摩氣橋」の畔に御神燈が建ち、徒歩ならばこの橋を渡って神社へ向かうと思われますが、現在は工事中で「この先通行止」となっ
伊夫岐神社から北へ、バイクで10分足らずの距離に長尾護国寺があります。本坊・惣持寺の近くとその下にも駐車場があり、下の方の駐車場にバイクを置きました。本坊への登り口に「長尾寺大門跡」があります。この辺りは「大門坂」と呼ばれ、長尾寺の山門が建っていた所と伝え
悉地院から南西方向へ、バイクで10分足らずの距離に太平観音堂があります。伊吹四大寺の一つ、太平護国寺が廃寺となり、当地に太平観音堂が建立され、遊行僧・円空(1632~1695)が造立した十一面観世音菩薩立像が安置されました。円空は太平寺の中之坊を拠点に伊吹山で修行を
伊富岐神社から西へ、バイクで約20分の距離に悉地院(しっちいん)があります。伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境にあって、標高1,377mで滋賀県の最高峰です。日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)が伊吹の神に退けられたとの物語があって、古来から霊峰とされていました。
南宮大社の北西方向、バイクで約10分の距離に伊富岐神社(いぶきじんじゃ)があり、入口には石造りの太鼓橋が架けられています。神社付近には石器時代の遺跡や古墳なども多く、古代から豪族が住んでいたことが明かで、伊富岐神社は古代、伊富岐山麓に勢力を張っていた伊福氏
養老の滝入口駐車場から北へ、バイクで約20分の距離に南宮大社があります。第10代・崇神天皇(在位:BC97~BC30)の御代に創建され、古くは「仲山金山彦神社」と称されていましたが、美濃国府が現在の岐阜県不破郡垂井町府中に置かれたことにより、その国府の南に位置する宮と
関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」から南東方向の養老の滝へ向かうと、養老の滝への入口の手前の大菩薩寺の境内に「日本武尊史跡 当芸野(たぎの)」の碑が建っています。日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)が東国を平定して尾張国へ戻ると、伊吹山に悪い神がいる
西教寺から北の信号を左折して伊香立浜大津線をバイクで5分余り進んだ先に飯室谷不動堂があります。詳細はこちらをご覧ください。その奥に元三大師堂への登り口があります。約1時間ほど登ると横川から三石岳を経て八王子山への縦走路と合流します。縦走路へ左折して三石岳の
日吉大社の大政所から伊香立浜大津線を北へ直ぐの西側に西教寺の総門があります。高さ6.4m、幅5.6mの門で、明智光秀(1516~1582)によって築かれた坂本城の城門が天正年間(1573~93)に移築されたと伝わります。昭和59年(1984)に修理が施されましたが、形はそのままの姿で復元
八王子山から下り、西へと進むと神輿収蔵庫があります。延暦10年(791)に第50代・桓武天皇(在位:781~806)の詔により二基の神輿が奉納され、延暦寺の面目がつぶされたり、何か不利なことが起こると日吉神社の神輿を担ぎ出し、京へと繰り出し強訴しました。「神輿振り」と呼ば
坂本城跡公園から北西方向、京阪電車石山坂本線の「坂本比叡山口」駅の直ぐ西側に生源寺があります。山号を「比叡山」と号する天台宗の寺院で、「伝教大師生誕の地」です。父・三津首浄足(みつのおびときよあし)の居館跡であり、最澄(766or767~822)はここで誕生し、境内に
七本柳鳥居の直ぐ北側に坂本城跡公園があります。本丸跡は企業の所有地、二の丸・三の丸跡地は市街地となり、この公園は城外の当時は琵琶湖中で後世に埋め立てられた場所にあります。公園には明智光秀(1516~1582)の像が造立されています。坂本城は元亀2年(1571)の織田信長(1
近江神宮から北東方向へ、バイクで10分弱の琵琶湖岸に唐崎神社があります。日吉大社で代々神職を務められた家の先祖である琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまるのすくね)がこの地に居住して「唐崎」と名付けました。第38代・天智天皇6年(667)に大津京へ都を遷した天皇は
弘文天皇陵から北へバイクで約5分の距離に近江神宮の一の鳥居が建っています。社号標は近江神宮奉賛会の初代会長で、第34・38・39代内閣総理大臣などを歴任した近衛文麿(このえ ふみまろ:1891~1945)の筆によるものです。一の鳥居は、第二期工事の昭和19年(1944)に建立さ
近江今津港から南へ、バイクで20分弱の距離に白髭神社があります。国道161号線に面し、全国に約300社に及ぶ白鬚神社の総本社で、「琵琶湖とその水辺景観」の構成資産として、日本遺産に認定されています。社伝では第11代・垂仁天皇25年(BC5年)に倭姫命(やまとひめのみこと)
本堂から石段を登ると三十八所権現社本殿があります。慶長年間(1596~1615)に淀殿(1569~1615)により、石山寺の復興が行われた際に石山寺の鎮守社として「石山寺硅灰石(けいかいせき)」の上に建立され、国の重要文化財に指定されています。初代・神武天皇(在位:BC660~BC5
建部大社から瀬田の唐橋を渡り、瀬田川右岸を南下した先、バイクで5分余りの距離に石山寺があります。画像は平成30年(2018)11月参拝時のものを使用しています。石山寺は山号を「石光山」と号する東寺真言宗の大本山で、西国三十三所観音霊場・第13番、神仏霊場・第146番など
瀬田の唐橋から東へバイクで5分弱の距離に建部大社があります。社伝では、第12代・景行天皇46年(116)に日本武尊(やまとたけるのみこと:82~111)の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと:生没年不詳)が神勅により、日本武尊を祀ったのが始まりとされています。当初は御子
水のめぐみ館アクア琵琶から瀬田川左岸をバイクで約5分北上すると右側に「瀬田城跡」の碑と「勢多古城地碑」が建っています。瀬田城(勢多城)は、「山岡城」とも呼ばれ、永享元年(1429)に山岡資広(すけひろ)が南の大日山に城を築き居城としました。第9代城主・山岡景隆(15
立木観音の駐車場から瀬田川沿いに、バイクで5分弱北上した左側に南郷公園の駐車場があります。駐車場から道路を横断すると「皇后陛下行啓記念碑」が建立されています。第123代・大正天皇(在位:1912~1926)の貞明皇后(ていめいこうごう:1884~1951)が大正11年(1922)11月1
佐久奈度神社から鹿跳橋まで戻り、瀬田川右岸を北上した直ぐ先の右側に安養寺の駐車場があり、駐車場から道路を横断すると「立木観音参道」の碑が建ち、810段の石段が連続して続きます。かっては南郷から2kmの登山道が参道となっていましたが、約150年前に京都の町衆により、
東笠取から南へ下り、瀬田川沿いに東へ進み、鹿跳橋を渡って進んだ先に佐久奈度神社があります。東笠取からはバイクで20分弱の距離です。佐久奈度神社は第38代・天智天皇(在位:668~672)が大津京へ遷都したのを機に、天智天皇8年(669)に勅願により中臣金(なかとみ の かね
奥宮神社から南へ進み、山道へ入って正法寺へ向かいます。奥宮神社の標高は400m、正法寺は標高443mの岩間山の南麓、標高390m辺りに立地し、標高差は僅かで、所要時間は約10分です。正法寺の手前に動物の防護柵があり、それを入ると正法寺の境内と思われます。防護柵から入り
東笠取清瀧宮から下ると電柱に「宇治市 東笠取」と表記されています。その先に奥宮神社・岩間寺(正法寺)への道標が立っています。電柱に張られてた岩間寺徒歩参拝道路図。バイクを路肩に置き、集落の最上部まで登ると、奥宮神社と岩間寺への登山道が左右に分かれ、奥宮神
瀬田川を宇治から上流へ向かって進むと、道路が左岸から曽束大橋(そつかおおはし)を渡って右岸を走ることになりますが、直進して府道242号線へ入り、その先で京滋バイパスの笠取インターの方へ進み、その先を右折して西笠取川沿いに北上して西笠取清瀧宮へ向かいました。曽
宝巌寺から舟廊下を渡った所に都久夫須麻神社の本殿が鎮座しています。永禄元年(1558)の大火で焼失し、永禄10年(1567)に再建されました。これが現存する庇(ひさし)と向拝の部分にあたります。庇の部分は素木仕上げで彫刻が施されています。撮影は禁止されていましたが、こ
近江今津港発9:30発の船に乗り竹生島へ向かいました。現在では竹生島往復の料金が3,000円となっています。今津と長浜からは琵琶湖汽船が運行し、今津港からは約25分で往復の料金は3,000円、長浜港からは乗船時間が約35分で、往復の料金は3,400円です。彦根港からはオーミマリ