西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ先に祇王寺があります。受付から入ると苔庭を周遊するように順路が設定されています。祇王寺は山号を高松山、院号を往生院と号する真言宗大覚寺派の寺院です。平安時代の末期、平清盛が盤石な地盤を築き上げた頃、都で白拍子
二尊院から北へ進み、その先で左折して西へ進んだ突き当たりに祇王寺への参道があります。祇王寺本堂の模型でしょうか?参道を登ると右側に祇王寺の入口あり、その左側を進んだ先に滝口寺の拝観受付があります。滝口寺は山号を小倉山と号する浄土宗の寺院です。かって、この
小倉百人一首文芸苑の右隣りに二尊院があります。二尊院は正式には山号を小倉山、院号を二尊教院、寺号を華台寺と号する天台宗の寺院です。承和年間(834~847)に第52代・嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師・円仁が開山したと伝わります。但し、円仁は承和2年(836)から遣唐使と
常寂光寺から戻って東に進み、元来た四つ角を左折して北に進むと、「小倉餡発祥の由来」の駒札が立っています。日本で初めて小豆と砂糖で餡が炊かれたのは、弘仁11年(820)とされています。当時、小倉の里に和三郎という菓子職人がいて「亀の子せんべい」を作っていました。大
「無動庵」から100m足らず西へ進んだ突き当りに常寂光寺があります。南約100mに小倉池があるので随分遠回りして来た感があります。山門は江戸時代後期に改修されました。江戸時代中期の「都名所図会」には袖に土塀をめぐらした薬医門が描かれていますが、現在は土塀は取り払
清涼寺西門から西へ進んだ北側に慈眼堂があります。鎌倉時代前期、この地に藤原定家(1162~1241)が中院山荘を営み、慈眼堂を開基したと伝わり、慈眼堂には本尊として木造千手観音立像が安置されていました。千手観音立像は像高58.1cm、鎌倉時代の作で「中院観音」とも呼ばれ
薬師寺の本堂は清涼寺の境内に向かって建っています。現在の本堂などの建物は、江戸時代初期の寛永年間(1624~1645)に焼失し、その後再建されたものです。薬師寺は山号を竜蟠山(りゅうばんさん)と号する浄土宗知恩院派の寺院で、清涼寺の境内塔頭です。薬師寺は弘仁9年(818
小倉池から東へ進み、府道29号線へ左折して北へ進んだ突き当りに清涼寺の仁王門があります。現在の仁王門は天明4年(1784)に再建されたもので、京都府の文化財に指定されています。和様と禅宗様を折衷した建物で、初層には室町時代の長亨(ちょうきょう)年間(1487~1489)作の
清涼寺の仁王門の手前に愛宕野々宮両御旅所があります。御旅所とありますが、ここに両社の神輿が納められています。5月の第四日曜日に野宮神社と愛宕神社合同の還幸祭が行われますが、愛宕神社は山の上なので勿論、野宮神社の神輿でさえ、神社に立ち寄ることはありません。大
妙見大菩薩は、北極星、北斗七星を神格化した菩薩であり、諸星の王として宇宙万物の運気を司どり支配される菩薩です。「洛陽十二支妙見めぐり」は、京都の中心である御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られた妙見宮から構成され、それぞれの妙見宮をめぐり開運、厄除けを
小倉百人一首文芸苑の北側はJR山陰線(嵯峨野線)に面し、踏切がありますが、渡らずに野宮神社まで戻り、神社の南側の竹林を進みます。「竹林の道」と呼ばれ、野宮神社から大河内山荘(おおこうちさんそう)まで約200mの小道で、毎年12月には、京都・嵐山花灯路が開催され
天龍寺総門から府道29号線を北へ進み、次の丁字路を左折して道なりに進んだ竹林の中に野宮神社があります。野宮とは天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を清める場所で、主に嵯峨野の地が選ばれ造営されましたが、天皇一代ごとに場所を変え、造り替えら
天龍寺総門は、南は渡月橋から北の嵯峨釈迦堂へと至る府道29号線に面して建っています。天龍寺は正式には「霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)」と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、神仏霊場の第86番札所です。平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の構
宝巌院前の車道には杭が立てられ、乗用車では通行できませんが、先へ進むと天龍寺の自転車・原付の無料駐車場があり、そのすぐ先には法堂(はっとう)があります。元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変で、長州藩は天王山と伏見の長州藩邸及び天龍寺に陣を敷いていたこ
承和年間(834~847)、法輪寺を中興した道昌は勅願により大堰川(おおいがわ)を修築し、現在の渡月橋より上流約100mに橋を架けました。大堰川とは渡月橋の上流から松尾の辺りを指し、それより上流は「保津川」、下流は「桂川」と呼ばれています。この地を開拓した秦氏により
法輪寺から府道29号線を北上し、渡月橋を渡らずに更に北へと進んだ左側に宗像神社・櫟谷神社への石段があります。神社の境内左側に「嵐山モンキーパーク(入園料550円)」の入口がありますが、新型コロナの影響で、閉園されています。宗像神社・櫟谷神社とも古くから松尾大社
西光院から北へ進むと府道29号線に合流し、府道を更に北へ進むと法輪寺があります。府道から境内に入ると轟橋が架けられていますが、現在川はありません。北向きの石段を登ると山門があり、左側に無料駐車場があります。無料駐車場の向かいに稲荷社があります。フェンス内に
蔵泉寺前の街道を北へ進んだ所に西光院があります。西光院は山号を二尊山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院で、京都洛西観音霊場の第29番札所です。塀の前に「西行法師旧跡」の石碑が建っていますが、西光寺は西行法師が住したと伝わる庵を起源としています。かって本堂の北
松尾大社から府道29号線を北上し、郵便局の手前の信号を左折し、その先の四つ角を左折して道なりに進んだ先に蔵泉寺があります。蔵泉寺は山号を宝珠山と号する臨済宗相国寺派の尼寺で、京都洛西観音霊場の第28番札所です。山門の手前には夢窓国師の腰掛石があります。夢窓疎
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