織田信長の主要な合戦や外交、経済政策、そして家臣団を分かりやすく記事にしています。それ以外にも、ある1つの出来事にスポットを当てて、なぜそうなったのかをご説明します。来世で使えそうな情報をより多くの方々に!
織田信長家臣団→https://raisoku.com/category/history/oda_nobunaga_veterans 織田信長の合戦や外交の詳細→https://raisoku.com/category/history/nobunaga_battle_and_diplomacy
前回に引き続き伊勢国司北畠氏のお話です。第2回目となるこの記事は、主に「北畠氏と神領および山田三方衆との関係について」「大和国における北畠氏の行動」そして「北畠氏は応仁・文明の乱をどのように切り抜けたのか」を書いています […]
らいそくちゃん お久しぶりです。今回は伊勢国司として知られる戦国時代の北畠氏について紹介します。 目次 謎に満ちた在国の国司・北畠氏戦国時代の北畠氏を語る主な史料信長介入以前の伊勢国司家南北朝の争乱と和睦2度の挙兵と北畠 […]
誕生~叔父信光死去まで(1534~1555) 叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで(1555~1560) 桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで(1560~1564) 美濃攻略戦(1564~1567) 覇王上洛(1567~15 […]
今回は後奈良天皇女房奉書の副状を読み、本状との違いを探りましょう。加えて島津貴久の修理大夫任官の時代背景、摂関家近衛氏との繋がりについてもご紹介します。
女房奉書は究極にくずされた仮名書きが難読と有名です。今回はその女房奉書を題材に、島津貴久の修理大夫任官について読んでみましょう。他にも島津一族の内乱と朝廷との繋がりについても触れています。
書簡を書く際に守らねばならない礼儀作法を書札礼(しょさつれい)といいます。今回は書札礼の決まり事とその意味、古文書の専門用語についてわかりやすく解説いたします。当サイトは戦国時代の面白さを古文書から伝えるものです。
誕生~叔父信光死去まで(1534~1555)叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで(1555~1560)桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで(1560~1564)美濃攻略戦(1564~1567)覇王上洛(1567~1569)血戦 姉川の戦い(15
誕生~叔父信光死去まで(1534~1555)叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで(1555~1560)桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで(1560~1564) 美濃攻略戦(1564~1567)覇王上洛(1567~1569)血戦 姉川の戦い(1
「戦国時代の印象外交と政治的な大言壮語」織田信長の書状から見てみよう
らいそくちゃん 戦国大名も組織の代表者です。現代と同じように、彼らも生き残りを賭けて外聞には非常に気を遣いました。時には虚勢を張り、一のことを百のように話を盛ることもあったでしょう。今回はそんな「政治的な大言壮語」を織田 […] らいそくちゃん 戦国大名も組織の代表者です。現代と同じように、彼らも生き残りを賭けて外聞には非常に気を遣いまし […]
【古文書解読初級】 翻刻を読んでみよう③(佐竹義重・今川義元編)
らいそくちゃん 「翻刻を読んでみよう」のシリーズ3回目です。翻刻とは、くずし字で記された原文を語順等を組み替えず活字化したものを指します。 らいそくちゃん 今回は佐竹義重・今川義元の史料を紹介します。 目次 甲駿手切 佐 […]
「露と落ち露と消えにしわが身かな」豊臣秀吉の辞世から古文書を読んでみよう
らいそくちゃん 「今回は豊臣秀吉の辞世を題材にして古文書を解読してみましょう。辞世とはこの世に別れを告げる際に残す和歌のことです。 「露と落ち露と消えにしわが身かななにわのことも夢のまた夢」誰もが聞いたことのあるこの歌を […] 2021年5月22日
織田信長の年表13回目です。天正元年(1573)8月~10月までのおもに織田家の行動を年表にしています。
~忠義か家名存続か~戦国時代の書状から見える闕所(欠所)の無常さ
忠義か家名存続か、それとも権益拡大か・・・。戦国時代の小領主はいろいろと大変でした。今回は「闕所(欠所)」という視点から実際の史料を例にして見ていきたいと思います。当ブログは戦国時代の面白さを古文書から紹介するサイトです。
戦国時代定番の贈り物と数え方②繊維類、日用品、貨幣、その他編
戦国時代定番の贈り物と数え方について解説します。最終回となる今回は「繊維類」、「日用品」、「貨幣」および「その他」です。実際の史料を進物に絞って調べ、複数回登場したものを挙げています。最も多かった贈り物とは一体何でしょうか。当サイトは戦国時代の面白さを古文..
戦国時代定番の贈り物と数え方①食品、武具・馬、鳥類・猛禽類編
らいそくー信長戦国の古文書解読サイトー 1.古文書
河尻秀隆はどこにいた?長島一向一揆戦から見える信長公記の信憑性
らいそくちゃん 今回の記事は長島一向一揆との最後の戦いである天正2年(1574)に、織田信長が家臣の河尻秀隆へ […] らいそくちゃん 今回の記事は長島一向一揆との最後の戦いである天正2年(1574)に、織田信長が家臣の河尻秀隆へ宛てた書状を紹介します。そこから話を広げ、当時の織田家の諸将がどのように動いたのか。さらに、この時期の『信長公 […]
足利義昭陣営につき、信長と敵対した松永久秀・久通父子でしたが、織田勢の攻撃に抗しきれず天正元年(1573)に降伏します。その時、降伏の条件として信長が佐久間信盛へ宛てたのが今回の書状です。いつものように書状の解読のほか、時代背景も合わせて解説します。
【古文書解読初級】 翻刻を読んでみよう②(足利義昭・三好長慶・浅井長政編)
らいそくちゃん 前回に続きまして、今回も「翻刻を読んでみよう」です。翻刻とは、くずし字で記された原文を語順等を […]らいそくちゃん 前回に続きまして、今回も「翻刻を読んでみよう」です。翻刻とは、くずし字で記された原文を語順等を組み替えず活字化したものを指します。今回も細かい時代背景は割愛し、足利義昭・三好長慶・浅井長政の史料3点を紹介 […]
【古文書解読初級】 翻刻を読んでみよう(島津義久・山中幸盛・森長可編)
らいそくちゃん お久しぶりです。皆さん、お正月は有意義に過ごせましたでしょうか。私はこの1月は寝てばかりでした […] らいそくちゃん お久しぶりです。皆さん、お正月は有意義に過ごせましたでしょうか。私はこの1月は寝てばかりでした(^^; らいそくちゃん さて、今回の記事は「翻刻を読んでみよう!」と題しまして、活字化された古文書の読み方を […]
闕所(欠所)ってなに?織田信長が発給した判物を例に解説します
中世日本の闕所(けっしょ)という謎ルールについて織田信長の判物を例に解説します。"これはどちらの意味を指すのか"クイズ感覚で楽しんでいただければ幸いです。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(3)
元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。最終回となる今回は、武田家の視点からこの史料と時代背景を紹介します。信玄一流の外交はどの程度実を結んだのでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(2)
元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。第2回目の今回は、上杉家の視点からこの史料を紹介します。謙信を取り巻く当時の外交情勢は、どのようなものだったでしょうか。
信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(1)
元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。ここには前代未聞の無道、侍の義理を知らずなど武田信玄を激しく糾弾する内容が列挙されています。この書状の背景には何があったのでしょうか。
織田信長が毛利輝元へ宛てた書状を題材に、戦国古文書の解読方法をご説明します。闕字(けつじ)や副状(そえじょう)といった専門的な解説もしております。
信長は将軍の権力を縛る条書を送ったのと同じ日。禁裏様や将軍に挨拶をせよと大々的に触れを出し、サミットへの参加を呼びかけた時の古文書を解読します。そこにはどのような時代背景があり、その結果どうなったのか。永禄時代最後の謎に迫ります。
戦国時代の古文書に「判物(はんもつ)」というものがありますが、どのような意味を持つのかを理解している人はあまり多くないのかもしれません。今回も実際の判物を例にして解説します。
突然で申し訳ありませんが、ブログ更新を終了いたします。恐らく今年末までは閲覧可能でしょうが、サーバーの関係上、それ以降は閉鎖となるでしょう。それなりに幸せな人生でした。今まで弊サイトをご覧くださりまことにありがとうございました。 酔えぬれど旅へと誘ふ月時雨骸のほかに知る人もなし
越前合戦~姉川合戦 信長打倒に燃える朝倉義景が浅井長政へ宛てた書状を解読
外交の力で信長を撤退へ追い込んだ朝倉義景。義景はさらに信長を追い込むべく周辺の勢力と誼を通じ、調略を活発化させます。この時期に朝倉義景が浅井長政へ宛てた書状を解読し、そこから何が見えるのかを記事にしています。
信長をやっつけろ!武田勝頼の快進撃に再起を賭ける六角承禎の覚悟とは
信長を倒し旧領を取り戻すのが悲願だった六角氏。山奥へと追いやられ、最後に期待を賭けたのが長篠城へと進撃する武田勝頼でした。今回はそんな武田氏に宛てた六角承禎の書状を解読します。
古文書のくずし方にはある共通点があります。今回はそんなくずし字で特に出現頻度の高い「旁(つくり)」10種のパターンを紹介します。これを覚えると学習の効率を上げることが可能です。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
古文書のくずし方にはある共通点があります。今回はそんなくずし字で特に出現頻度の高い「偏」12種のパターンを紹介します。これを覚えると学習の効率を上げることが可能です。
書状の封じ目 墨引きの謎の記号「ー ー」は何?①折り紙切封上書編
今回は古文書でたまに見かける謎の記号「ー ー」についてわかりやすく解説します。理解しやすいように、織田信忠の書状を元にして写真を多めに使用しました。墨引きとは何なのか。また、切封上書とは?当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
明智光秀による丹波平定戦 大河ドラマには描かれないであろう栄光と挫折
明智光秀の丹波平定の顛末を複数の史料からまとめました。信長につくか、将軍義昭につくかで揺れる丹波国。そんな中、明智光秀が丹波攻めの総大将に抜擢されます。今回はそんな光秀の丹波平定の栄光と挫折を描きます。
戦国時代の丹波国 明智光秀が平定する以前の時代を史料から読む
明智光秀が平定する以前の丹波国情勢をまとめました。時の権力者に翻弄されながらも逞しく生きた丹波の国人衆たち。生の史料6点から引用し、その時期に誰が丹波国で力を持ったのかを簡潔にまとめています。
麒麟がくる明智光秀の古文書 愛宕山へ宛てた書状から丹波攻略を見る
明智光秀と愛宕山の関係を示す史料を解読します。この文書は、明智光秀の丹波攻略戦の進み具合を窺い知ることができる興味深いものです。なお、愛宕山は本能寺の変の数日前、光秀が連歌の会を催した舞台として知られています。
天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗が争った安土宗論を、前回よりより深く考察します。とりわけ、信忠へお金の送金を依頼した目的と、その使者として岐阜へ派遣された『十等分の花婿』を特定します。
安土城下で宗教論争!? 織田信忠へ宛てた知られざる信長の直筆書状
天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗による論戦が繰り広げられました。時は天正7年(1579)5月。この時、信長は何を考えどう動いたのか。同時期に信長が直筆の書状で嫡男信忠に宛てた書状からその手がかりを探ります。
武田信玄の恥ずかしい書状 本当に春日虎綱と男色関係だったのか?
明:今回は武田信玄が若い頃、浮気を巡って修羅場に発展したことを物語る古文書を解読します。宛名の春日源助とは一体何者なのでしょうか。そこから見えてくるものとは?
若き信長の行状を憂う斎藤道三の書状を解読します。この文書は、家督を相続して間もない信長の様子を窺い知ることができる史料的価値の高い文書です。丁重な手紙のワケとは何でしょうか?
戦国時代の鉄砲のレシピ書?上杉謙信が将軍義輝から賜った古文書を解読
戦国時代の鉄砲火薬のレシピ書で、足利義輝が上杉謙信に授けた現存する文書です。木を乾燥させて焼くところから始まり、竹の筒に入れて完成するまでの工程が細かく記されていて大変興味深い史料です。当時の人はどのように鉄砲を作ったのでしょうか。
上杉七免許? 足利義輝が上杉謙信に宛てた書状から見えるものとは
将軍足利義輝は、上杉謙信に最も期待を賭けた人物です。彼は何を考え、若き謙信を京都に呼び寄せたのかを書状から読み解きます。
「武田晴信悪行の事」と題し、全7ヶ条からなる上杉謙信の願文です。「誓紙をもって和睦したのに翌日すぐにそれを破った」や、「晴信は父信虎を追放した親不孝者だから、神の御心に適うはずがない」など激しい罵りが列挙されている興味深い文書です。
武士たちが名乗った官職風の名前一覧4 玄蕃・民部・主計・主税編
武士たちが名乗った官職風の名前一覧です。今回は玄蕃(げんば)系・民部(みんぶ)系・主計(かずえ)系・主税(ちから)系・外記(げき)系の名前を名乗った人物をご紹介します。また、それらは何をする官職だったのかも書いています。
堺の町を脅迫?柴田勝家・佐久間信盛・森可成らが大金を要求した時の書状
柴田勝家・佐久間信盛・森可成・蜂屋頼隆が堺の町を脅迫した書状です。「15日までに支払わなければ御成敗」、「もってのほか御腹立ち」など、恐ろしいことが記されています。当時日本で最大の繁栄を誇った堺の町がなぜこのような事態に追い込まれたのでしょうか。
長篠の戦い前夜 徳川家康が織田信長への感謝の意を示した書状を解読
長篠の戦いの少し前、徳川家康は織田信長に大量の兵糧が届いたことを感謝し、礼状を送ります。そこから浮かび上がる当時の情勢と信長との関係性がなかなか興味深いです。また、記事の最後には徳川家康が用いた花押と印判を載せています。
「絵本石山軍記の解読(10)明智光秀の貧乏生活 それを支えた妻の言葉とは
戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
武士たちが名乗った官職風の名前一覧です。今回は式部(しきぶ)系・大学(だいがく)系・治部(じぶ)系の名前を名乗った人物をご紹介します。また、しきぶとは何をする官職だったのかも書いています。
武士たちが名乗った官職風の名前一覧2 縫殿・内蔵・図書・内匠編
武士たちが名乗った官職風の名前一覧です。今回は縫殿(ぬいどの)系・内蔵(くら)系・図書(ずしょ)系・内匠(たくみ)系の名前を名乗った人物をご紹介します。また、縫殿とは何をする官職だったのかも書いています。
武士たちが名乗った官職風の名前一覧です。今回は蔵人(くらんど)系・修理(しゅり)系・中務(なかつかさ)系の名前を名乗った人物をご紹介します。また、修理とは何をする官職だったのかも書いています。
原田甲斐・大石内蔵助・平賀源内…この変わった名前は何ですか?
江戸時代に入ると内蔵助(くらのすけ)、源内(げんない)というような時代劇風の名前が流行します。それは一体なぜなのか?百官名と東百官とは?当サイトは戦国時代の古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介するサイトです。
【古文書解読】武田信玄の侵略から寺を守りきった、ある住職の苦労(受連覚書)
「受連覚書(じゅれんおぼえがき)」といいまして、一人の住職がたった一人になりながらも寺を守り抜いた執念を感じる古文書です。そこからは住職の苦労と、権力者が発給する制札のメリット・デメリットが見えてきます。永禄年中に甲斐武田家と長野家を中心とする上州勢が、激戦を繰り広げた上野国(群馬県)が舞台です。
今月の面白かったツイート集です。「おかえりなさい。外出は楽しかったかしら?」「どうぶつの森の先進国」「令和と平安時代の共通点」「日本のすごすぎるアート」「「三密」の構造体」「じっくり煮込むと加工肉は自分が加工肉であることを忘れる」「国よりドンキ」「尾張小牧ナンバーの悲哀」「黄金の織田信長像もマスク」「お刺身アート」など
「絵本石山軍記」の解読(9)覚慶、細川藤孝らの助けで奈良を脱出 流浪将軍足利義秋の誕生
石山軍記の9話目です。永禄の変で将軍義輝が横死後の畿内の覇権をめぐって、さまざまな調略や懐柔が行われていた時代です。幕臣の細川藤孝らはどのようにして幽閉された足利義昭を救い出し、各地流浪の旅へ出たのでしょうか。このあたりから戦国ファンには馴染みの深い名将が次々と現れます。
2020年の干支は庚子!日本における干支の算出方法とそれぞれの意味とは(3)
干支全60通りのうち、後半の30パターンの説明をします。これは「甲午(きのえうま)年生まれの性格は?」という記事ではなく、「甲午年にはどんな性質がある」といった記事です。あくまで備忘録として簡単にまとめていますので、参考程度にご覧ください。
2020年の干支は庚子!日本における干支の算出方法とそれぞれの意味とは(2)
前回は干支には十干と十二支があると説明しましたが、今回は干支全60通りのうち、前半の30パターンの説明をします。これは「庚子(かのえね)年生まれの性格は?」という記事ではなく、「庚子年にはどんな性質がある?」といった記事です。あくまで備忘録として簡単にまとめていますので、参考程度にご覧ください。
干支は子丑寅卯辰巳・・・の十二支だけではありません。甲乙丙丁戊己・・・といった十干(じっかん)もありまして、本来は十干と十二支を組み合わせて干支を現していました。今回は干支の成り立ちや算出方法を説明し、次の記事で干支60通りそれぞれの意味を書きたいと思います。
石山軍記の8話目です。 第四章「三好松永将軍義輝公を弑す 並びに義昭公所々御動座」に入ります。 今回は主に三好長慶の死去からはじまり、越後の上杉政虎上洛、永禄の変で将軍義輝死亡、阿波の御所である足利義栄を将軍に据えるかどうかというお話です。 三好三人衆と松永久秀も出てきます。
「絵本石山軍記」の解読(7) 毛利元就の献金により正親町天皇即位式が執り行われる
第三章「正親町天皇御即位」に入ります。北陸では朝倉氏との合戦で予断を許せない状況で、本願寺氏が教団として資金の捻出に苦しんでいた永禄3年。正親町天皇の即位式の際、献金をして躍進を狙う本願寺は、どのようにしてその資金を捻出したのでしょうか。毛利元就との意外な接点とは?今回はそんなお話です。
今回は伊達政宗が主役です。伊達成実が記した政宗記の巻十「政宗一代之行儀」と、木村宇右衛門が記した「木村宇右衛門覚書」をもとに政宗の一日のスケジュールを表にしてみました。そこからは政宗の知られざるルーティンの数々と異常な喫煙時間が明らかに(笑)
今月の面白かったツイート集。「今でしょうに!」「「体調が悪く、熱も37.8℃あるので休ませてください」」「紫式部と清少納言」「普通の人の感覚とゲーマーの感覚」「プレーヤーを選択してください」「おばあちゃんもおじいちゃんもおじさんも昭和なのに」「ブラジルメディア「コロナウイルスにはニンニクを二つ噛むと良い」」など
絵本石山軍記の6話目です。応仁・文明の乱が終結し、将軍・足利義尚が病死したあたりからはじまります。それから細川政元の天下を経て時代は両細川の乱へ・・・。今回はそうした時代の話です。中盤に三好長慶、終盤に本願寺のことが記されています。
古文書解読や和歌に使える 表現語法のパターンをなるべく簡単に解説
今回は「らむ」や「だに」といった古文書・和歌によく出る表現の語法を、なるべく簡単に分かりやすく解説します。私がこういったページがあったらいいな~と思う部分をまとめてみました。例として百人一首の歌などを取り上げてます。どれも百人一首でも頻出するワードばかりです。 索引代わりにこのサイトを使っていただけたら幸いです。
絵本石山軍記の5話目です。今回から第2章「足利将軍家盛衰並びに顕如上人門跡に任ぜらる」です。足利義満による治世からはじまり、義持、義量ときて関東で,享徳の乱が勃発します。そこから室町時代はしだいに戦乱の時代へ。足利義教が誅された後、8代将軍義政の時代となりますが・・・
織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍追放!事実上の室町幕府滅亡
信長の年表12回目です。今回の主な出来事は丹羽長秀に大舟建造を命じる、足利義昭再び挙兵の風聞、河内畠山家の遊佐信教らが主君・畠山秋高(昭高)を弑逆、足利義昭再び挙兵、二条御所の戦い、宇治槙島の戦い、足利義昭追放、一乗寺・静原山両城の戦い、木戸・田中両城の戦い、「天正」と改元などです。
今回の記事は古文書の初歩である「かな文字」です。かな文字とは漢字を元にした文字のことです。古文書に興味があるけど難しすぎる~!という方は、まずはかな文字から勉強してみると入りやすいかもしれません。クイズ形式で楽しく学んでいきましょう。
明智軍法は実在したのか?本能寺のちょうど1年前に定められた明智軍法の真偽に迫る
今回は「明智軍法は本当に明智光秀が出したのか」です。これは本能寺の変のちょうど1年前に光秀が定め、他の大名に先駆けて石高あたりの動員人数まで規定した画期的な軍令書です。これが真実ならば本当にすごいことなのですが、怪しい点も随所に見られます。さあ、その真偽はいかに。
「絵本石山軍記」の解読(4) 山科本願寺焼き討ちから石山本願寺建立へ
絵本石山軍記の4話目です。山科本願寺の焼き討ちからはじまり、大坂に石山本願寺を建立、朝廷や幕府と密接な関係を築きつつ北陸で朝倉家と泥沼の死闘を繰り広げます。時代は証如から顕如へと移ります。織田家との抗争へと至った原因も記されています。詳細は本文で!
「絵本石山軍記」の解読(3) 実如から証如へ 天文の錯乱・天文法華の乱を招く
絵本石山軍記の3話目です。内容をまとめると戦国初期の加賀一向一揆が成功するところから、畿内の動乱に本願寺が介入し、六角定頼と法華宗に山科本願寺の焼き討ちされるところまでです。詳細は本文で!
【滋賀旅行のすゝめ】湖西の歴史ある名所を「近江八景の図」から紹介
今回は近江八景の図から8つの観光スポットをご紹介します。全て湖西にある歴史豊かな観光地です。0.近江八景の図の由来、1.石山寺(石山秋月)、2.瀬田(勢多の夕照)、3.粟津(粟津晴嵐)、4.三井寺(三井晩鐘)、5.唐崎神社(唐崎夜雨)、6.矢橋(矢橋帰帆)、7.堅田の浦 浮御堂(堅田落雁)、8.比良山(比良暮雪)
今月の面白かったツイート集。「徳川家虎」「合コンに遅刻した理由」「NaCl(ナックル)はヤバイ物質」「鼻くそが無い」「座椅子が安かったから購入するも」「おばあちゃんからのバレンタインチョコ」「名古屋コメダの六芒星」「地球に飽きた花輪君」「でもね、それが、Twitter」「引きこもり、ウイルス、社会の3すくみ理論」など。
【御内書乱発】将軍・足利義昭が吉川元春へ宛てた書状から信長との関係を考える
今回は足利義昭が吉川元春に宛てた御内書(ごないしょ)の解読をします。まだ毛利元就が存命中の時代の話です。この古文書から何が見えるのか楽しみですね!今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに当時の時代背景も加えてご紹介します。
絵本石山軍記の2話目です。比叡山門徒衆に大谷本願寺を焼かれてから、蓮如は近江の堅田や日野や大津に潜伏したのち、越前の朝倉孝景(敏景)の庇護を受ける。越前吉崎御坊に本拠を移して多くの信徒を集めた蓮如は、やがて加賀の一向一揆を扇動する。詳細は本文で!
【古文書独学】これを覚えるだけで変わる! くずし字でよく出る文字8選
古文書の記事をいくつか書いてきましたが、やはりくずし字の解説は必要ですね!私は独学で古文書を勉強中ですが、コツさえつかめばだいぶ読めるようになります。今回はくずし字の中でも特に頻出する字を8つに絞ってご紹介します。これだけでも完璧にマスターすると、江戸時代の大衆小説くらいはきっと読めるようになりますよ!
【古文書入門】 明治時代の「絵本 石山軍記」の解読に挑戦(1)
先日、古書即売会で入手した明治時代の「絵本 石山軍記」を解読をします。11年におよぶ織田信長と石山本願寺の死闘を繰り広げた石山合戦の本です。信憑性はアレですが、返り文字がない分、古文書の手習いとしては丁度良い品だと思います。内容も面白いですし、オススメですね( ˘ω˘ )
【古文書講座】猿の出世は早かった!? 秀吉が出した最古の書状から見えるもの
秀吉が発給した最古の文書を解読します。この書状は信長の花押がなく、秀吉ほか4名の連署状となっています。そのうち花押を据えているのは秀吉と島田秀満だけですが、これでも書状に効力があったというのが面白いです。今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、さらに時代背景も入れてご説明します。
戦国の幕開け 名門細川家のややこしい権力争いを和歌の面から見る(終)
今回は三好長慶を家臣に加えて全盛期へと登り詰めた細川晴元の時代から始まります。この記事はこんな人にオススメです。「戦国中期の武士の和歌が見たい」「細川家のごたごたした内紛を簡単に知りたい」「短歌が好き」「細川晴元と三好長慶のバトルが好き」「細川幽斎と三斎の和歌が見たい」なるべく簡単にわかりやすくご説明いたします。
戦国の幕開け 名門細川家のややこしい権力争いを和歌の面から見る(2)
今回は大内義興の後援を受けて覇権を握った細川高国の時代から始まります。この記事はこんな人にオススメです。「戦国中期の武士の和歌が見たい」「細川家のごたごたした内紛を簡単に知りたい」「短歌が好き」「細川高国と細川澄元のバトルが好き」「大内義興・朝倉宗滴・六角定頼が好き」「細川晴元と三好元長を知りたい」わかりやすく説明..
戦国の幕開け 名門細川家のややこしい権力争いを和歌の面から見る(前編)
この記事はこんな人にオススメです。「中世の和歌の例句が見たい」「細川家のごたごたした内紛を簡単に知りたい」「短歌が好き」「応仁・文明の乱とその後の畿内の情勢が知りたい」「死ぬほど和歌が好き」「大内義興がどのように中央に介入したのかが知りたい」「だから早く句を見せろって言ってんだろ!」なるべくわかりやすい説明を心掛...
織田信長の清州城攻略戦 父をも成し得なかった大事件を「信長公記」から考える
若き織田信長による清州城攻略。それを示す史料はそう多くはない。今回は当時の信長の行動が最も詳細に記されている「信長公記」から見てみようと思う。どのような経緯があって信長は主家を滅ぼし、さらにその主家である斯波家を傀儡化することができたのか。
今月の面白かったツイート集です。「渦巻のオムレツ(オムライス)」「オービス速度取締機の物真似がバレる」「タイムリープしてきた人用に2020年の正しい和暦」「サイコパスなプーさん」「キめ顔でルービックキューブ」「コミケで行われる闇の取引」「子供をゲーム嫌いにする方法」「タイで2020年よりビニール袋が禁止」などです。
武勇に秀でたマムシの子・斎藤利治 信長・信忠を支えた働きはまさに忠勇比類無し(後編)
斎藤利治の後編。斎藤道三の末子として生まれ、佐藤忠能の婿養子となった。姉川の合戦や宇治・槙島の戦いなどで武功あり。誠実な人柄もあってか、織田信忠一番の家老格として良き相談役となった。越中太田保・月岡野の戦いで上杉軍を撃破し、感状を賜る。その後、病が癒えたとウソをつき、信長・信忠の下へ馬を走らせ本能寺の変に・・・
武勇に秀でたマムシの子・斎藤利治 信長・信忠を支えた働きはまさに忠勇比類無し(前編)
斎藤利治。この人物の功績と偉業は計り知れない。彼は斎藤道三の末子として生まれ、織田信長への協力を惜しまなかった。加治田城における攻防戦で大いに奮戦。その後も信長にとって必要不可欠な武将に成長する。謎の空白期間はあるものの、信長・信忠父子にとってもっとも信頼できる家臣の一人だったであろう。今回はそんな利治の軌跡を辿る。
刀でするばかりがいくさではない 歌のバトルで城を奪還したお話
戦国時代初期、斎藤妙椿(みょうしゅん)に郡上八幡一帯の所領を奪われた東常緑(とうつねより)は、和歌によって人々を感動させ、敵にまで感動を与えて所領を取り返したというお話です。ペンの力の偉大さを物語るエピソードです。東常緑と斎藤妙椿とはどのような人物だったのでしょうか。今回は和歌を中心にしてご説明いたします。
前田利家を呪った謎の屋根瓦 小丸城跡から出土した古文書を解読
織田信長による越前一向一揆の殲滅作戦は残虐非道なものだった。それを裏付ける史料として小丸城跡から発掘された丸瓦の古文書を解読してみる。そこには前田利家が「一揆千人ばかりを生け捕りにし、磔・釜であぶられ・・・」とあるが、どういうことなのか。今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに時代背景も入れてご説明します。
軍略に優れた武藤舜秀 信長も一目置いた知られざる武将の足跡を辿る
信長の野望には登場しない知られざる織田家臣・・・。その一人が武藤舜秀(きよひで)である。彼が活躍した期間は決して長いわけではないが、天正年間前半を非常に忙しく駆け回った人物だった。一説によると、舜秀は軍略・兵法に通じ、軍議の際には信長が真っ先に意見を聞いた人物のようだ。今回はそんな武藤舜秀の軌跡を辿る。
本当にそれでいいのか 戦国時代の「鶴翼の陣」についての3つの疑問
今回は戦国時代の陣形。とりわけ「鶴翼の陣」の謎について、大きく3つの疑問から探っていきたいと思います。皆さんは鶴翼の陣を想像するとき、どのような陣形を連想しますか?恐らく多くの方はU字型のような形を想像されたと思います。しかしながら・・・果たしてそれは真実でしょうか? 今回は乃至政彦氏著の「戦国の陣形」を元に、過去の史料からも引用し、鶴翼の陣の真実に迫りたいと思います。
信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。
【古文書講座】将軍義昭挙兵 和平を望む信長が細川藤孝に宛てた書状を解読
将軍・足利義昭が信長に対して兵を挙げた時に、織田信長が幕臣である細川藤孝に宛てた書状の解読をします。この時期の信長は意外にも将軍とは和平を望んでいて、人質も信長の方が差し出すと交渉しています。信長と細川藤孝の真意とは・・・。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに時代背景も入れてご説明します。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(最終回)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事で、甲相駿三国同盟の最終回です。河越夜戦後、今川・北条・武田の三家がどのような行動を取ったのかをご説明します。小豆坂合戦、東南海大地震、山内上杉氏の滅亡、上田原の合戦、塩尻峠の合戦、戸石崩れ、長尾景虎との対決などがあった末に三国同盟へと至りました。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(5)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその5回目。北条氏康の危機を救ったのは武田晴信でした。晴信は今川義元と交渉し、北条家が河東地域から完全に手を引くという条件で合意にこぎつけます。残るは関東の敵8万余騎。のちに河越夜戦とよばれる戦いは日本三大奇襲の一つとして有名です。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(4)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその4回目。北条氏綱の代に河東地域を奪われた今川義元は、ついに奪還へと動きます。義元は甲斐の武田晴信だけでなく、山内上杉氏、扇谷上杉氏、さらに古河公方足利氏とも連携し、北条大包囲網を敷きます。絶体絶命の北条氏康。この難局をどう切り抜けたのか。
今月の面白かったツイート集です。「ラブホの前で土下座を検討中の方へ」「スズメバチVS人間」「埼玉県産のさわらって何?」「上司「ツイッターってやってる?」の模範的回答」「パリ条約」「く(らもとがショート)!」「主人公に厳しい詩織」「笠地蔵」など。
当時16歳の織田信長が熱田社に出した制札を解読します。現存する中では信長が発給した最古の古文書です。そこには「藤原信長」と名乗っていますが、その理由とは。今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、難読箇所の解説、さらに当時の時代背景もご紹介します。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(3)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその3回目。氏綱包囲網が敷かれて北条家が大ピンチの中、当主の氏綱が病死。家督を氏康が継ぎます。一方、甲斐では武田晴信がクーデターを起こして当主となります。これにより、武田-北条間で急速に関係の改善が模索され、甲相駿の外交関係は新たな局面を迎えます。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(2)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその2回目。今川義元-武田信虎間での同盟の成立から北条氏綱が駿河へ攻め立てた第一次河東一乱までです。宿敵ともいえる三大名がどのような苦難を乗り越えて同盟へと至ったのでしょうか。
武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(1)
今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。今川家と武田家、後北条家による甲相駿三国同盟がどのような経緯を辿って結ばれたかを、天文5年(1536)あたりからわかりやすく解説します。さあ、宿敵ともいえる三大名がどのような苦難を乗り越えて同盟へと至ったのでしょうか。
信長の野望シリーズの中でも根強い人気がある天翔記。今回は25年やり込んだ管理人が魅せるプレイ目指して頑張ります。まずは1547年シナリオの毛利元就で、そんなにギリギリなプレイをしなくても、一人で天下をとれることを証明します。合戦で元就以外出さない以外の縛りはないので、誰でもできます。
天正元年(1573)17歳の若き織田信忠が弟の信雄に宛てた書状を解読します。本状には尚々書(追而書)の部分が存在し、もしかするとここが織田信忠の直筆かもしれないです。織田信忠の現存する書状自体が非常に希少なものです。さあ今回はどのような面白いことが記されているでしょうか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳も載せてます。
蒲生氏郷と細川忠興の人生を比較する記事です。二人はライバル関係で、若いころは激しく衝突していたようですが、やがてお互いを認め合う良き親友となりました。今回はそんな両者の生い立ちや初陣、結婚、本能寺の変後の行動、夫婦仲や家族との関係、合戦スタイルなどを紹介します。
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