chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「存在の喜び」との出会い―宮村武夫先生の思想―

    食堂の窓から見える校庭の木々がもみじして、穏やかな明るい日差しのなか、その葉を散らし始めていた。「水草君はまるで『存在の喜び』のセールスマンだね。」友人たちがそう言って笑った。「存在の喜びのセールスマン」。筆者は、この称号がいたく気に入ってしまった。もう二十数年前、国立にあった東京キリスト教学園の昼食時の食堂でのことである。当時は、東京基督教短大TCCと東京基督神学校キリシンと共立基督教研究所が国立キャンパスに同居し始めて三年目のことであったから、私が食堂で『存在の喜び』を話題にしていた相手はキリシンとTCCの友人たちである。 『存在の喜び』とは宮村武夫先生が仕えておられた新約教団青梅キリスト…

  • 福音散歩の理由

    苫小牧全戸に福音をとどける散歩を始めて5年目になります。4月から10月、原則として毎朝1時間ほど歩いています。この働きの理由・信じていることをメモしておきます。 1.伝道とは第一にすべての人にキリストの福音を伝えることである。 2.伝道とは第二に悔い改めてキリストを信じた人を主の弟子とすることである。 3.すべての人に福音を伝えても、その人たちがただちに信じるわけではないが、主の命令に忠実に応える教会には求道者を送ってくださる。

  • 主の日、おはようございます

    今朝は雨かと思ったら曇り→晴れ。錦町という飲み屋さん街を散歩しましたが、当たり前ですが、ポストがほとんどありません。朝5時過ぎに「お疲れ様~」と言いながら、お店を出る若い人たちがいました。 こんな街ですが3つアパートと1つマンションがありました。この町で働いている人たちはお酒を飲まないといけないから、車で通えないから、こういうところに住んでいるほうが便利だということで、住んでいるのかなあと勝手な想像しながら歩きました。「むかしは、この錦町と教会の南の音羽町が苫小牧の中の飲み屋さん街で、タクシー屋さんはこの間を行ったり来たりしてもうけさせてもらったんですよ。でも、今ではさっぱりです。」とタクシー…

  • コメの価格について

    JAの責任者が「現在のコメの価格は決して高くないと思う。」という発言をして、波紋を広げている。去年2000円だったものが、現在4000円で高くないというのは、どういう感覚なのか理解できない。 今年3月、4月、政府は価格を下げるために備蓄米を放出したが、JAがその8割を落札した。5キロでおよそ1700円が落札価格である。そして、JAが小売りに卸した価格は5キロでおよそ3500円である。流通のための諸経費と言ったって、JAが取りすぎだと私には見える。 政府備蓄米の買戻し条件付売渡しの入札結果(第3回)の概要について:農林水産省 政府備蓄米の買戻し条件付売渡しの入札結果(第3回)の概要について 第1…

  • 明治天皇が昼食をとった場所

    今朝の福音散歩で苫小牧市矢代町にある石碑に行きました。2年前の散歩のときも書いたのですが、苫小牧というほとんど歴史がない街の中では貴重なものなので、もう一度メモしておきます。 1881年(明治14年)、明治天皇が北海道に来て、札幌を訪ね、札幌農学校や牧場や工場を見学した帰り道、馬車でやって来て、ここで昼食を取ったんだそうです。この辺りに郡役所、郵便局、学校が造られ、苫小牧市発祥の地となったと書いてあります。王子製紙が苫小牧に工場を始める明治43年よりだいぶ前のことです。 この国が欧米列強に植民地化されないため、あるいは欧米列強に肩を並べる帝国となるため、「坂の上の雲」を目指して進んでいた近代国…

  • コンクラーベ

    日本中のオッサンたちが、「ローマ教皇が4回目の選挙でやっと決まったか。根比べやなあ。」と何度も言って、家族から「もうわかった、寒い。」と顰蹙を買っていることでしょう。今、グーグル翻訳で調べたら、ラテン語conclaveは「寝室」という意味なのだそうです。みんな寝ながら選挙してるのかというと、そうでなく、cum clavis(with a key 鍵付き)というのが語源だそうですから、「密室」という感じでしょうね。 新教皇はレオ14世と名乗るそうですが、レオ1世は、あのゲルマン民族を刺激して大移動させたフン族の首長アッチラを「ヨーロッパに来ないで、あちらに行って。」と説得して侵攻をやめさせ、ヨー…

  • 幸町散歩

    天気予報では雨だったので寝ているつもりでしたが、年のせいで4時半には目がさめました。窓を開けると曇ってはいるけれど、雨は降っていません。それで「幸町」というところに福音散歩に出かけました。王子製紙の広大な敷地の南側に隣接する町です。東側は錦町という飲み屋さん街ですから、苫小牧の昔の中心地なのですが、今は家々は古びて、むかし文化住宅と呼ばれた二階建ての階段はサビています。あちこちに空き家、空き地があります。空き地があるのは、車をちょっと停めるのに助かります。4ブロック半1時間ほどあるいたら汗ばんで帰って来ました。 今日はもう備えの日ですね。

  • 手編みの靴下

    お嫁に行った娘から、靴下を編んで送ってくれました。サイズ、ぴったり。こういう立体的なものをうまく編めるものですねえ。

  • 第1回 苫小牧青年キャンプ

    主日午後、月曜日の「第一回苫小牧青年キャンプ」はとても楽しく良い時でした。賛美、金太郎の池での花見、晩御飯、賛美、学び、銭湯、ゲーム、会堂の1,2階にわかれて就寝、朝ご飯、学び、車でアルテンキャンプ場へ行きバーベキュー、温泉、解散、後片付けという流れでした。青年たちが1月から自主的に企画し始めて、近所の教会の青年にも呼びかけて実現しました。苦労はあったようですが、 「青年たちが自主的に」というのが意義深いことでした。参加者は17名。 お天気も守られて、1日目の桜も見ごろでしたし、アルテンキャンプ場へ向かう道の新緑もすばらしかった。すぐ近くに森と海がある苫小牧は、環境的に恵まれているなあと感じま…

  • 聖書解釈における文化還元主義の根底にあるもの

    1 文化還元主義 文化還元主義者は、創世記1章の創造記事をバビロン神話と関係づけたり、カナンの神殿神学の枠にあてはめたり、パウロを第二神殿期のユダヤ教文書から解釈したり、コリント書に見える習俗とかエペソ書に見える夫婦の役割分担などを当時の周辺文化に還元する。聖書のことばを執筆当時の文化に特有の現象に還元してしまえば、それは規範的・不変的な真理ではないことになる。こういうのを聖書解釈における文化還元主義という。 聖書解釈における文化還元主義の根底にあるものは、理神論や自然主義の「自然は閉じた系である」という非聖書的な世界観である。神は自然を造ったが、そのあと自然に直接介入して奇跡や啓示を行なうこ…

  • 原風景と美意識

    人の美意識、とくに風景に関する意識というのは、幼い日に過ごした環境にずいぶん影響される。もう十年ほど前にある数学者がそんなことを書いていたが、なるほどそうなんだろうと思う。宮村武夫先生が秋の信州に来られたことがあって、先生の旧友を訪ねるために車でお連れしたことがあった。秋の信州の山々は目を奪われるほどに赤、橙、黄にもみじして美しかったのだが、先生は風景にはまったく興味を示さず、ひたすらに神学の話をなさっていた。先生は墨田区あたりで幼少期を過ごされたのだと伺った記憶がある。奥さんも「主人はまったく美しい風景に関心を示さないのよ」と笑いながら話しておられた。 私自身はというと、神戸市須磨区須磨寺町…

  • 平岸いずみキリスト教会

    1時間ほど早く到着し、だんだん人が集まってきました。 昨日は、JECAの平岸いずみキリスト教会という教会にHBIサンデーでうかがいました。場所は札幌の中心から南に延びた南北線の沿線地域です。英国から来られたOMFジョン宣教師が開拓中の群れで、ビルの二階にありました。ジョン先生以外に韓国の女性宣教師がいて、さらにこの春からマレーシアからの宣教師も加わったようです。この教会にはH姉というHBIに以前聴講に来られていた姉妹がいらして、娘さんとかわいいお孫さんもいました。 群れは会堂建築のビジョンをもって祈りささげている最中で、図面もできていて、紙の模型もありました。長野県の小海で借家をして、会堂建築…

  • 栄の王

    今朝は栄町を歩いていたら、聖歌が浮かんできた。 ♪ 栄の王にます主のみことばに堅く立ちて 神にはみ栄あれと、高く歌い叫ばん 立て立て 永遠に変わらぬみことばを 信じ 立て 神のみことばに立て ♪ 「栄町のみなさん。イエス様はみなさんの王様です!」と叫びたかったけれど、午前5時過ぎなのでやめました。 今朝はうちの温度計で摂氏6.4℃でしたが、ベストにジャンバーを羽織っていくと1時間散歩すると汗ばんできます。今朝は空が明るくて気持ちよかった。空き地にツグミが1羽飛んできていました。 www.youtube.com

  • 御救いを受けし罪人

    カーテンの隙間から光が入り始めたころ、ふと「きよい器でなければきよい働きには用いられない」という昔どこかで聞いたことばが、浮かんできた。自分は福音を伝えるにふさわしくない、寝ていようかと思った。でも、「そんなことをつぶやいていて福音を伝えなかったら、それこそサタンの思うつぼだ。自分が汚れていても、イエス様の福音にはきよい力がある」と、ふとんから抜け出た。 見上げると今朝は曇天で、車の窓に小さな水滴がつく。でもとにかく行ってみようと出かけたら途中、雨はやんだ。今朝から「栄町」というありがちな名の町。この町は東側はカルチャー通りという道路で裁判所に隣接している。福音通信を配りながら歩いているうちに…

  • 安住康雄兄のお葬式

    昨日、復活節の主日の午後、建具屋さんだった安住康雄兄の葬儀が行われました。ご遺族は、その葬儀のようすをキリストを証しする時として欲しいと願われて、youtubeで公開することになりました。お葬式では「タラントの譬え」からお話をしました。 www.youtube.com 故 安住康雄(あずみ・やすお)兄の紹介1933年、北海道伊達市生まれ17歳から建具職人の道に入り、1965年から独立し、苫小牧市に安住建具製作所を設立。以来、90歳まで現役で働く。2020年12月13日、妻芳枝とともにイエス・キリストを信じ洗礼を受け、礼拝を中心とした生活をし、賜物を活かして、聖餐卓など教会の調度を作りささげる。…

  • 元町

    ここ二日、苫小牧の海沿いの元町という地域を福音散歩をしているのですが、今日は雨でお休み。少し時間ができたのでメモします。 私にとって「元町」といえば、故郷神戸の元町で明治時代からの老舗のお店が並んだ商店街です。今はどうか知りませんが、私が十代のころは神戸では三宮センター街が一番栄えていて人通りがとても多く、元町の方は道幅が広いこともあり、また高級店が多いこともあって、人は少なめでした。神戸っ子らしくなく無粋な私はウィンドーショッピングなどまったく関心がなく、ただ通り道として歩くだけでしたから、人ごみのいない元町の方が好きでした。 関東に出て、横浜にも元町という地名があることを知りました。横浜の…

  • 今日、明日

    今日も朝一番は元町福音散歩。風があって海が荒れていました。 そして午前は子どもイースター、夕方はA兄の納棺、明日は復活節礼拝、そして建具屋さんだったA兄のお葬式です。復活節にクリスチャンのお葬式。復活の希望があかしされるよいお葬式となりますように。

  • 元町散歩

    今朝は浜町散歩を終えて、元町というところに入りました。「元町」という名は神戸にもありましたし、横浜にもありますね。古い町なのでしょう。ここには曹洞宗の中央院という大きな寺があります。 海沿いのかなり年数が経ったと見える木造平屋からお爺さんが出てきて、お話をうかがったら50年ここに住んでいるけれど、ずいぶん様子が変わったとのこと。「以前は、こんな柵などなくて砂浜に降りて行って、すぐに釣りができたんだよ。海が温かくなって、以前ならこのあたりで一日シャケが20,30本獲れたけれど、今は2,3本だよ。それにテトラポットにも昆布がつかなくなってしまった。」とのこと。 「何か調べてるのかい?」と聞かれたの…

  • nonびり~の

    今朝は潮騒を聞きながら、浜町を歩きました。曇り空の下、灰色の海が大きなしぶきを上げていました。浜町には「のんびりーの」というイタリアンのお店があり、そこまで行きました。3年前、福音散歩をしていて見つけたお店です。 家内と訪れた際、マスターはもともと土建屋さんだったそうですが、早めに引退し、忙しい生活を離れてのんびりと過ごそうと思い、このお店を始めたそうです。お店の調度品の多くは、浜辺で拾った流木を使っています。しかし、最近は店が評判になり、祝日や連休になるとお客さんが押し寄せて、のんびりできなくなって困っているとおっしゃっていました。犬も歩けば棒に当たると言いますが、車でも自転車でもなく、歩い…

  • 終末論でなく希望論

    古代教会からの伝統的諸信条をおさらいしてみると、個人的終末論でも世界終末論でも、関心の中心は最後の審判であることに気づく。他方、再臨の前兆、いわゆる千年王国、新天新地の相続などについては主題的に扱われていない。ローマ教会における終末論の特徴は、聖書正典に根拠のない煉獄の教理である。 だが、聖書を読んでみれば、イザヤがメシア到来による完全な平和のヴィジョンを描き(イザヤ11・6‐8)、パウロがテサロニケの手紙第一(1テサロニケ1・3、5・8)やローマ書で、キリスト者は信仰によって義とされた者として、愛によって今を生き、未来には御国の完成を希望して歩むことを教えているように(ローマ5・1—8、8・…

  • 高砂町散歩

    摂氏5度くらいになったので、今年も福音散歩を始めました。今朝は高砂町。その名のとおり、海沿いの町です。海にはたくさん入船が浮かんでいました。ぼくは須磨の生まれなので海が見えるのは楽しみですが、おっかないのはサビた階段です。

  • エパタの出来事、創造の出来事の理解

    「32人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。33そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。34そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。35すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。」マルコ7章32-35節 世界は一定の法則によって営まれていて超自然的現象は起こる余地はないと信じ、イエスは自然法則の支配下にある人間であると信じている者は、エパタの出来事は後年の信者たちがイエスを神格化するために捏造した文…

  • 北海道聖書学院 カテキズムの授業

    今週から北海道聖書学院の新年度授業がスタートします。1学期はカテキズムと、キリスト論・贖罪論です。カテキズムは数年前から「神を愛するための教理問答」というのを作成して用いています。これはここ半年くらい教会の朝夕の祈り会での学びという現場で用いて、さらにわかりやすくペンを入れて、仕上がったかなという感じです。 はじめのあたりをちょっと紹介します。 1 序問1-1 人のおもな目的は何か。答 人のおもな目的は、心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛することである。 マルコ12・28-31 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、…

  • 誕生日

    4月4日で67回目の誕生日を迎えました。多くの兄弟姉妹からお祝いのことばをいただいて感謝します。 私の母はこの歳で天に召されているので、ああ、母の歳まで来たかという小さな感慨はあります。父はもっと早く私の神学生時代に召されました。戦前戦中戦後という激動の時代を生きた父母に比べれば、自分は実に平和な時代に生きることが許されたのは感謝なことだと思います。 二十歳を前に闇のなかをさまよう思いでいたときに、イエス様と出会うことが許されて、神様のご栄光を現わすことを人生のおもな目的として与えられ、神の家族の中で生きて来られたこと、さらに伝道者としての召しを受けて歩んで来られたことはなんと幸いなことかと思…

  • 耐震強化・内装刷新工事

    苫小牧福音教会では、3月末から4月初旬、会堂の耐震強化工事および一部内装の刷新をしました。会堂は建てられたときには十分耐震基準を満たしていましたが、阪神大震災、新潟中越沖地震、東日本大震災、能登地震と地震が起こるたびに、耐震基準が段階的に上げられて来ました。2年前、建築士さんに構造計算をしていただいたところ、この会堂は南東の部分の開口部が多いため、大きな揺れがあったばあい、ねじれの力が働きやすいとの診断を得ましたので、これを強化するための工事をしました。 方法は2点です。第一は、内壁の石膏ボードを剥がしてそこに2.5倍の強度のあるOSBとかいう集成材を貼り、その上に石膏ボードを貼るということで…

  • 嬉しかった主日礼拝

    90代半ばのおばあちゃんが、一か月前脊椎の圧迫骨折をして入院していらっしゃいましたが、今日は退院して礼拝に出席されました。とっても嬉しい主の日の礼拝でした。

  • 『舟の右側』の記事の訂正

    『舟の右側』誌2025年2月号の拙稿「藤本満師『LGBTQ 聖書はそう言っているのか?』における聖書解釈の方法」(p16)の上段と下段の「売春」という語を「買春」という語に、お詫びして訂正いたします。

  • ダビデに一貫していたこと

    紙芝居の準備で、ちょっと思ったこと。 先日の紙芝居はダビデとゴリアテのお話で、ダビデが主の陣営をなぶったゴリアテを倒した場面でしたが、今度は、ダビデをつけ狙う理不尽なサウル王をダビデは討とうとしないという場面です。教案誌が結論として提供する暗唱聖句は「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」です。この暗所聖句でいいのかなあと思ってしまいました。 もしその結論からいえば、「ダビデがゴリアテを倒したことは、悪に対して悪をもって報いたのだから間違いだったの?」と子どもは思わないでしょうか。ダビデは悪いゴリアテに善をなすべきだったのに、撃ち殺してしまってよくなかったんじゃない…

  • 驚くべき惑星 地球

    www.youtube.com www.youtube.com

  • 北海道聖書学院 オンデマンド授業の紹介 1回目おためし視聴をお勧めします

    北海道聖書学院では、聖書・神学を学びたいという方たちのために、オンデマンド授業をオンラインで提供し始めました。現在、提供されているのは、 「ざっくり味わうキリスト教史2000年」講師 川崎憲久 「新約通論①」講師 吉田麻希子 「神を愛するための教理問答」講師 水草修治 の3つです。リンク先をご覧ください。 第1回目の序論的授業はおためしで無料です。1回目を視聴してみて、続けて学ぼうと決めた方は、どうぞ申し込んでください。ご自分の都合のつくときに学べるのがオンデマンドの良い所です。 www.hbi-wmc.o 学院ではさらにオンデマンド授業科目を充実させてまいります。

  • 王制の対義語は民主制ではない件

    王制の対義語は民主制ではない。王制の対義語は、王の代わりに大統領や主席といったリーダーを立てる共和制である。他方、民主制の対義語は独裁制であるが、むしろ「民主」とか「独裁(専制)」ということばは修飾語として用いるのが適切である。 民主的な王制もあれば、民主的な共和制もある。民主的な王制とは、英国やベルギーや戦後日本の立憲君主制を意味している。民主的な共和制とは、たとえばフランスや米国などを指す。 他方、独裁的な王制もあれば、独裁的な共和制もある。独裁的な王制とはたとえばフランスのルイ14世のような王制がその典型である。独裁的な共和制とは、たとえば北朝鮮や中国やロシアやポルポト政権のような体制で…

  • ポストモダニズムと聖書解釈

    ポストモダンとは、「モダン後」という意味である。モダンとは近代。近代後とは、つまり現代を意味する。ポストモダニズムというのは、モダニズム(近代主義)に対する反動としての現代である。 「われ思う、ゆえに、われあり」と言ったデカルト以降、哲学思想は「知る私」に関心の中心を置く主観主義の時代となった。それ以前の哲学の主題は神の存在を問う存在論だったが、デカルト以降、人間中心の主観主義となった。 デカルトは『方法序説』冒頭にあるように、万人には理性が共通して与えられていて、その理性を適切に用いるならば、普遍的な真理を知ることができると信じていた。17世紀のデカルト以降、18世紀の啓蒙主義時代も、19世…

  • HBI卒業生のために

    きょうは北海道聖書学院での今年度最後のチャペルでした。卒業式は来週ですが、3年生に向けてパウロの絶筆テモテの手紙第二の4章1—8節からお話をしました。 「神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるか…

  • 山中伸弥氏と益川俊英の進化論についての対談

    山中伸弥(ノーベル生理学医学賞2012年)、益川敏英(ノーベル物理学賞2008年)の対談の本、『「大発見」の方法』(文春新書)に興味深い部分があるので、紹介しておきます。 山中 生物学は、歴史的に見て、キリスト教との葛藤という宿命がつきまとっています。たとえば、アメリカでは今も人口の約半分が、「進化論」を信じていないといわれています。 益川 日本人は、「進化論」を信じないなんて怖いな、と思うかもしれませんが、実は、「進化論」を信じるのも、ある意味では怖いことなんですよね。 山中 はい。なぜなら、「進化論」はまだ誰にも証明されていないからです。なぜか日本人は、人間はみんな猿から進化したと信じてい…

  • 帯広から来客

    きょうは帯広から、M牧師ご一家が訪ねてくださいました。赤ちゃんが与えられて、間もなく5か月になろうとしています。ご夫妻は北海道聖書学院で、とても積極的に組織神学のクラスに臨んでくださり、お昼ご飯のときにもずっと質問をされていました。もうあれから8年たったのですねえ。 私たち夫婦には孫が二人いますが、遠くに住んでいるので、あまり抱っこなどできないでいるのですが、今日はTちゃんを抱っこさせてもらえました。 M牧師夫妻はコロナのときからYOUTUBEを活用して、積極的に伝道されています。リンク先をどうぞ。 www.youtube.com

  • 「ろーまじんへの手紙」でなく「ろーまびとへの手紙」と読むわけ

    新約聖書に「ローマ人への手紙」、「コリント人への手紙」といった書簡が収録されている。これらは、それぞれ「ろーまじんへの手紙」でなく「ろーまびとへの手紙」、「こりんとじんへの手紙」でなく「こりんとびとへの手紙」と読む。これは漢籍を訓読するときの習慣にしたがっているのである。 中学校の漢文のクラスで習う「矛盾」の出典として、「 楚人有鬻盾与矛者」という『韓非子』の一文がある。「そひとにたてとほこをひさぐものあり」と読む。「そじん・・・」とは読まない。つまり、ある地方出身の人を指すときには、地方名に「ひと」を付けて読むというのが漢文訓読における習慣なのである。 その伝にしたがって、ローマ帝国内のロー…

  • 「ろーまじんへの手紙」でなく「ろーまびとへの手紙」と読むわけ

    新約聖書に「ローマ人への手紙」、「コリント人への手紙」といった書簡が収録されている。これらは、それぞれ「ろーまじんへの手紙」でなく「ろーまびとへの手紙」、「こりんとじんへの手紙」でなく「こりんとびとへの手紙」と読む。これは漢籍を訓読するときの習慣にしたがっているのである。 有名で中学校の漢文のクラスで習う「矛盾」の出典として、「 楚人有鬻盾与矛者(そひとにたてとほこをひさぐものあり)」という『韓非子』の一文があるが、これは「そひとにたてとほこをひさぐものあり」と読む。「そじん」とは読まない。つまり、ある地方出身の人を指すときには、地方名に「ひと」を付けて読むというのが漢文訓読における習慣なので…

  • 日本に食糧危機が迫っている

    www.youtube.com 日本の食糧不危機、財務省・政府目を覚ませ、という話。鈴木宣弘氏(農水省・東大大学院特任教授)の講義。40分。 ぜひご覧ください。

  • 真理はあなたがたを自由にする

    主イエスは「真理はあなたがたを自由にする」と言われたが、国立国会図書館法前文には、「真理がわれらを自由にする」とある。これは参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎さんがフライブルグ大学図書館で目にした銘文に感銘を受けて、ここに記すことにしたものなのだそうで、図書館の玄関にはギリシャ語では「HYMAS(あなたがたを)」とあり、日本語では「われらを」となっている。 昭和二十三年法律第五号国立国会図書館法国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。 羽仁五郎さんという人はマルクス主義歴史学者でありつ…

  • コメの大事な話

    今、手を打たないと、あと10年でコメ農家が確実に無くなってしまう危機です。 www.youtube.com www.youtube.com

  • 真理はあなたがたを自由にする

    明日、ヨハネ福音書8章32節に記録された「真理はあなたがたを自由にする」という主イエスのことばを説き明かすので、少し調べていたら興味深いことに気づいた。 このことばが国会図書館の玄関に掲げられているのだが、ギリシャ語では聖書にある通り「真理はあなたがたを自由にする」となっているのに、日本語では、「真理がわれらを自由にする」となっているのだ。なぜだろう? 「あなたがたを」とすると、そう言ったお方は誰か?という問いが生まれて、それはイエス・キリストだと見いだされるのを避けたかったのだろうか。

  • 人権思想とキリスト教の類似と相違

    人権思想とキリスト教の類似点は、それが国家権力の暴政からの解放を求めた点である。人権思想とキリスト教の相違点は、それぞれ目指していることである。人権思想もとめているのは自律である。これに対してキリスト教信仰が求めていることは神のことばへの服従である。 これは自由の定義を考えると明瞭になる。自由は、<何からの自由>であり<何への自由>であるかということを明らかにするときに、その内容が明瞭になる。 人権主義者が求める自由・・・・・<国家権力からの自由><自律への自由> 真正なキリスト者が求める自由・・<国家権力からの自由><聖書への服従への自由> <追記> もうちょっと丁寧に書いた方がよかったです…

  • 半世紀ぶり

    三日前に、ふとFB上で昔の知り合いを見つけて、メールを出したら、今朝返事が届きました。なんと50年ぶりのことです。ぼくが大学1年生のとき、彼は日本語研究のために来ていた大学院生でした。ぼくは当時国語・国文学を専攻しようと思っていたので、日本語の助動詞の用法についていろいろ対話したことを懐かしく思い出します。 その後、僕は大学を卒業して神学校に行き伝道者となったわけですが、最初の任地で一緒に働いた宣教師が、彼のお父さんとお母さんだったんです。不思議なめぐりあわせでした。 彼はもう71歳ですが、ハーバード大学の言語学・日本語学の先生をしているとのことです。こんな再会はインターネットのおかげだなあと…

  • 神のことばと当事者

    ここ数年、特にLGBTQを巡っての話題に関して、「当事者」ということを耳にする。LGBTQについて物を書いたり、語り合ったりするとき、「当事者を置き去りにした抽象的議論をしてはいけない、それを読んだり聞いていたりする当事者がそこにいるかもしれないことを忘れてはならない。」というふうに言われる。正しい注意喚起であると思う。 しかし、「当事者に耳を傾けること」が絶対とされ、それを基準として聖書の教えを忘れたふりをしたり、聖書の新解釈を後付けしたりする「当事者主義」は、いかがなものか。この問題にかぎらず「当事者主義」は、理性と普遍的真理を否定するポストモダンの相対主義・多元主義に陥ってしまう。だが、…

  • 啓示の器と内容の関係(ChatGTPとの対話)

    ChatGTP(無料)とのやり取り 私がしょっちゅう言ったり書いたりしている啓示の器と内容に関することを、ChatGTPに言ってみたら、よく整理してくれました。びっくりですね。 <私> 神が聖書を啓示する方法は、共通恩恵としての文化という器に、特別恩恵としてのメッセージを載せて提供するという方法である。したがって、聖書啓示には文化との類似性がある。そうでなければ、宇宙人から届いた宇宙語の手紙のようなもので同時代の人々からまったく理解されなかっただろうから。しかし、器は同時代の文化であったとしても、そこに盛られた神のことばは、同時代の文化とは異質なものである。したがって、聖書解釈者は同時代の文化…

  • 神性の輝き

    きのうの主日礼拝ではヨハネ福音書8章12節から20節を説き明かしました。イエス様が「わたしは世の光です。」とおっしゃると、パリサイ人は、「自己証言は意味がない」と突っぱねます。するとイエス様は、「いや、わたしは自分のことを正確に知っているから大丈夫だよ。」と答えます。 かみ合わない対話だなあと思いました。何がかみ合っていないかというと、パリサイ人は、「人間は嘘をつくものだから自己証言には意味がない」という趣旨でものを言っているのですが、イエス様はご自分が嘘をつく可能性など念頭にすらなく、「わたしは自分のことを正確に知っているから、大丈夫。」と説明なさったのです。 さらにイエス様は、「証言者は二…

  • 被造物の歴史性

    神の創造は、歴史性を含んでいる。被造物は歴史性を備えている。たとえば、アダムとエバは受精卵としてでなく新生児としてでもなく、最初から成人として造られた。さもなくば、彼らは生きることができなかっただろう。 このような奇跡が主イエスによってもなされた。主イエスが聾唖の青年を「エパタ」ということばで癒されたことにも彼の個人史が含まれている。彼は単に言語中枢をいやしてもらっただけでなく、彼が生まれてこの方、言語を習得するために必要だった経験―母親をはじめとする人たちからの語りかけに始まり、家族との交流、地域の人々との交流、学校で言葉を学んだことーを、一瞬のうちに彼は主イエスのことばによって創造していた…

  • パラダイムによる自然史解釈の違い・・・ChatGTPとの対話

    パラダイムによる自然史解釈の違いについて、また「科学」は本来の実験科学と、過去や未来について推測する「自然史推測学」に区別すべきである件について、ChatGPTに提案してみました。感情に左右される人間の科学者よりも、冷静でまともな答えが返って来たので感心しました。ここに公開します。水草 私は、19世紀に生物進化論・宇宙進化論が始まってから、科学が本来的な守備範囲を逸脱したと考えています。17世紀に確立された自然科学の方法論では、現在目の前で繰り返し起こっている自然の事象を対象にして、これを観察・実験により検証するものでした。ところが、生物進化論・宇宙進化論は直接には観察・実験によって検証できな…

  • 有神論的進化論者コリンズの信仰

    コリンズの本『DNAに刻まれた神の言語』(『ゲノムと聖書』)の第11章「真理の探究者たち」に彼の回心、信仰について書いてあるのを電車で読みました。彼はキリストの受肉、十字架における贖罪、復活を信じていると告白しています。「もしキリストがはっきり宣言していたように本当に神の御子であるなら、より重要な目的を達成するために自然法則を一時的に止めることができたとしても、不思議はないとも思った。」 ということなので、コリンズは宇宙の形成、生物界の形成についていえば、神が最初の自然法則を無からの創造したことは信じる点では超自然主義者だが、その後の進化については神は指を触れなかったが進化によって宇宙と多様で…

  • 原則、そして例外への配慮

    聖書には、全体への視点と個人への視点の両方がある。「全体と個」といっても、「統一性と多様性」と言ってもよいし、「原則は大事だが、例外者への配慮が必要」と言い換えても良い。原則を大事にしなければ社会は壊れてしまう。だが同時に例外者への思いやりある配慮を忘れないようにしなければならない。だが、歴史を振り返り現代社会を見ると、どうやら私たち人間はそのバランスをとることができず、両極端に走ってしまいがちなもののようである。

  • 有神論的進化論者フランシス・コリンズの矛盾

    有神論的進化論とは何かについて、フランシス・コリンズは次のように整理している。 1 宇宙は、約40億年前にまったくの無から現れた。 2 宇宙の物理定数は、生命が生存できるように寸分の狂いもなく正確に調整されているようだ。 3 地球上での生命の起源の正確なメカニズムはまだ解明されていないものの、生命が現れてからは、進化と自然選択の過程を通して、長期間を経て生物的多様性と複雑性が発達していった。 4 進化の過程が始まってからは、特別な超自然的な介入は必要ない。 5 人間もこの過程の一部であり、類人猿と共通の祖先を持つ。 6 しかし人間には、進化論では説明できない唯一無二の部分もあり、その霊的な性質…

  • 実験科学と自然史推測学-パラダイムの違いー

    1.2種類の「科学」 17世紀にガリレオ、ケプラー、パスカルらが確立した自然科学は、実験によって仮説を実証するもの、つまり、実験科学であった。ある事象について仮説を立て、仮説に基づいて実験をすることを繰り返しつつ、事象の本質に迫っていくというものである。したがって、実験科学は現在起きている事象を対象とし、過去に一度限り起きた事象、未来に起きる事象は、対象外であった。 しかし、19世紀以降、生物進化論、宇宙進化論は実験科学ではない。生物進化論・宇宙進化論は、過去に一度限り起こった事象、未来に起きるであろう事象を対象とするからである。それは、今手元にある史料・資料からから過去に起こった事象がどうい…

  • 愛するとは受容することだけではない

    愛するということは、ただ相手をありのままに受容するだけでなく、相手を責任ある人格と認めることである。

  • 窓際冷気防波堤をどうぞ

    リンク先の防寒対策をどうぞ、ご利用ください。 koumichristchurch.hatenablog.jp

  • 自然科学の変質

    1.自然科学の本来の守備範囲 近代自然科学の方法論が確立したのは17世紀のことである。その背景には、キリスト教信仰があったことは、教会史家たちの今や常識である。ルネサンスの三大発明はいずれもアジア圏におけるもので、羅針盤、火薬の発明はともに中国でなされ、活版印刷術は朝鮮で発明された。個々の発明は他の文明圏でもあったのだが、宇宙全体を支配する法則があることを信じて探求する近代自然科学は、ヨーロッパ・キリスト教社会においてこそ誕生しえた。それは、天地万物の見えるもの見えないものすべてを創造したreasonある神が実在し、その神がreasonに貫かれた被造物世界を造ったゆえに、神からreasonを付…

  • インテリジェント・デザイン論に反論する人々

    自然科学はHOWを問う学問であって、WHYは守備範囲外のことであるとしばしば言われる。こういうことを言いだしたのは、18世紀の哲学者インマヌエル・カントである。カントは人間は感覚器官によって外から情報を時間と空間という感性形式で取り込んで、それを悟性のカテゴリーにあてはめて科学的認識が成り立つと考えた。だとすると、神、魂、自由といった事柄は嗅ぐことも見ることも触ることも味わうことも聞くこともできないのだから、これらは科学的認識として不可能だと考えた。人間が科学的に知ることができるのは、五感でキャッチできることだけでありこれは科学の対象だが、五感でキャッチできない神・魂・自由・信仰・生きる意味な…

  • 聖書の創造記事について

    1.通常の方法なのか、特別の方法なのか 神が被造物に対して行われる行為には、通常の方法と特別の方法がある。通常の方法において、神はご自分が定めたいわゆる自然法則をもちいて、被造物を導かれる。特別の方法においては、神は自然法則を超えて無から万物を創造した力をもって被造物を導かれる。これがいわゆる奇跡である。 たとえば、主イエスがガリラヤ湖を吹き荒れる嵐に向かって、「黙れ、静まれ」とお命じになって嵐を静められたという出来事は、創造主としてのことばの権威をもって鎮める特別の方法によるものだった。このことを正しく認識するには、主イエスが万物を支配する神としての権威をもっておられること対する信仰が必要で…

  • 初春のお慶びを申し上げます

    2025年元旦 昨春、修治は定年に達して、ようやく教団の重責を解かれて、毎月上京しなくてもよくなり、北海道の宣教に専念できる身となりました。感謝しています。 その記念ではありませんが、夏休みをいただいて、夫婦でこず江の実兄姉たちが住む岐阜と長野の小諸に数日間の旅を敢行しました。信長の岐阜城からの濃尾平野の眺め、中央線から見る美しい信州の山々が今も瞼のうらに焼き付いています。8年前に苫小牧赴任以来、初めての兄姉たちとの交流は懐かしいときでした。本当にやさしく誠実な方たちなのです。幼かった姪の娘は、もう大学受験を控える年齢でびっくりしました。 さて、2025年も私どもは足を使って苫小牧17万市民へ…

  • メモ:量子物理学と魂の存在

    量子物理学者たちのことば。 「私はかつて魂など存在しないと確信していた。この世界は物質だけで成り立っていると思っていたのだ。しかし、物質を研究すればするほど、この世界の本質は『意識』にあった。」マックス・プランク 「私は体が動かない。でも私の意識はむしろ冴えわたっている。だとすれば意識とはいったいどこにあるのだろう?意識は脳や体とは別の何かなのではないか。意識は消滅しない。それは宇宙の法則だ。」スティーブン・ホーキング 「脳は意識を作り出しているのではない。むしろ脳は受信機のように働いているようだ。」マーク・デイビス 「肉体という装置が壊れても意識という情報は決して消えない。」ミチオ・カク 「…

  • 創造の事実と信仰

    「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで無から創造されたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」(へブル11・2) 神は、万物を無から、ご自分のことばによって出現させるという超自然的方法によって創造した。本来、17世紀に出現した天才たちによって確立された自然科学は、今、目の前で起こっている自然現象に関して、仮説を立て実験・検証を繰り返して、その真相に近づいて行くものである。したがって、厳密な意味での自然科学は過去に一度かぎり起きた事象については守備範囲外である。今、ここに起きている事柄、あるいは過去にあった出来事の痕跡から、過去にあった出…

  • クリスマスの諸集会

    クリスマス主日礼拝、クリスマスイブ礼拝には、それぞれ多くの兄弟姉妹と求道者の方たちが集われ、祝会はずいぶんに盛り上がって感謝しました。 反面、8年前を振り返ると、すでに天に召された兄弟姉妹、施設や病院にいらっしゃる姉妹たち、ご自宅で療養生活をしていて、youtube配信で礼拝している兄弟姉妹も少なからずいて、心寂しい思いもしました。

  • ナナカマド

    「我が家の庭」ー隣の駐車場ーのナナカマドに雪が積もり、ようやくヒヨドリがやって来て味見を始めました。以前書いたように、冷え込むとナナカマドの実は毒が抜けるて食べられるようになるそうです。つまり神様が鳥たちに用意してくださった冬場のための保存食です。

  • 北海道聖書学院のクリスマス会

    昨晩は神学校で、神学生たちが教師たちとスタッフ家族を招いてくださって、クリスマス会がありました。賛美をささげ、神学生たちが作ってくれた美味しい食事をし、子どもたちもいっしょに楽しいゲームをしました。恒例の行事です。自分が東京基督神学校の神学生だった時は、こんな教師やスタッフに対する感謝の行事というのはせず、自分のことばっかり考えていたなあと、少し反省。こういうことも、北海道聖書学院の良いところでしょうね。 北海道聖書学院の紹介 HBIの信仰面での特徴は、「旧新約聖書66巻は信仰と生活の誤りのない唯一絶対の基準である」という聖書信仰に堅く立っていることです。混乱の時代に教えの風に振り回されず、し…

  • 津村俊夫先生

    今週前半は、北海道聖書学院では、津村俊夫先生をお迎えして、特殊講義をしていただきました。テーマは「三位一体の聖書の神とカナンの『神さま』」 パレスチナの北、ウガリットで三千余り発掘された楔型文字の粘土板の文書を読み解いてゆくと、そこに現れる祖先崇拝、神さま、神々とそれにともなう習俗が、日本におけるそれと酷似していることに驚きました。特に公的なパンテオン表(全神様序列表)なるものが出土して、第一にご先祖様、第二にイル(エル)つまり神さま、第三以降八百万の神々というものです。これは皇居の中の三つの神殿、皇霊殿(天皇の祖先を祀る)、賢所(天照を祀る)、神殿(八百万の神々を祀る)と同じですねえ。真の神…

  • ヨハネ福音書メモ

    苦労しましたが、ヨハネ福音書7章3分割の三回目の説教の準備がようやく最後まで書き上がりました。しばらく寝かせます。ヨハネ福音書はひたすらイエスがどういうお方なのかということに集中していきますねえ。 牧師になって40年ほどになりますが、ヨハネ福音書の連続説教は難関だなあと先送りにしてきました。それを今年から始めたんです。 午後5時前なのに、牧師室の窓の外はもう真っ暗です。

  • 今風の聖書学者は事実上、理神論者になっているのではないか

    神は被造世界を創造し、かつ、これを摂理によって統治する。神は通常は、被造物である法則を道具として被造世界を摂理しておられるけれども、時折、みこころのままに被造世界に介入し、その法則を停止したり、あるいは、その法則を強化することによって被造世界に、奇跡や啓示を行なわれる。奇跡とは、権威あることばによって無から万物を創造なさった創造のわざと同質の行為である 神は世界を造りはしたものの、あとは被造世界の自律的運動に任せていて、そこに介入するようなことはないとするのは理神論(deism)であって、聖書的な有神論とは異なる。ギリシャ哲学の影響を受け、霊魂の不滅、復活、天使の存在を否定したサドカイ派はすで…

  • 北海道宣教懇談会

    昨日は、北海道宣教懇談会というのが私が仕えている苫小牧福音教会で行われました。教団・教派、太平洋放送協会超教派宣教団体の代表が遠くから集まって来られて、それぞれの活動報告をしてくださいました。滅多にお会いすることのない方たちですが、ともに賛美し、祈り、語り合う、主にある同労者の交わりは、ああいいものだなあ、と感じました。

  • 兵庫県知事選の件

    前職齋藤元彦さん(47歳)が兵庫県知事に、開票当日早々と当選確実が出ました。「稲村さんを斎藤さんが猛追している」というテレビ・新聞の報道とは大違いで、あっという間に齋藤さん再選の当確が出てしまいました。兵庫はわたしの故郷なので、気になってようすを見ていました。 私はほんの一か月前まで斎藤さんが兵庫県民のためにしてきた政策を知らず、大メディアの「おねだり・パワハラ疑惑」を見せられて、いつまでも辞めようとしないので、なんと厚顔無恥な人だろうと呆れていました。けれども、疑惑はあっても決定的証拠・証言が出てこないので妙だなと感じるようになりました。証拠が確定しないのに県議会が知事に不信任を突き付けて辞…

  • 信徒説教者の養成について

    私が洗礼を受けた改革長老教会東須磨教会は、牧師(宣教長老)と複数の長老(治会長老)によって治められていた。牧師は宣教長老であるから毎主日説教をするのは当然であるが、信徒である治会長老も夕礼拝では順番に説教卓に立って説教・奨励をすることがあった。牧師の説教のように本格的な釈義をしたものではないけれども、長老の説教は素朴ではあったが、社会の経験を踏まえいて興味深くもあった。 同盟基督教団の教師になり数年たって30歳の頃、教団の将来について検討する委員会のメンバーに加えられて、筆者は献身者発掘について調査をしたことがある。それで教職の人口動態を調べてみたところ、当時の見通しとして、もし65歳までなら…

  • 聖書解釈と言語・文化的背景

    もし主と教会のお役に立つならばと思って、『神を愛するための教理問答』(仮題)の原稿をまとめつつあります。その中で聖書の読み方について述べたいくつかの問答のうちの一つを、紹介しておきます。 問2-9 聖書解釈において文化・言語的背景を参考にする場合、注意すべきことはなにか? 答 その巻の書かれた時代の周囲の文化・言語と聖書との表面的類似を見出した場合、本質的相違を読み取り、執筆者が最初の読者に伝えようと意図したことを見出すことである。 <解説> 聖霊は、当時の言語を用いて神のメッセージを表現して啓示なさったから、聖書には同時代の文化・言語との表面的類似はある。しかし、聖書は啓示の書であるから、同…

  • 福音書そのもの、パウロ書簡そのものを、熟読玩味すること

    大学時代、国文から哲学に専攻を変更して哲学書を読み始めたとき、難しくて何を言いたいのかがさっぱりわからなかった。そこで指導してくださる先生に「何か哲学辞典を買うべきでしょうか?」と質問したところ、先生は「いやすぐれた哲学者というのは、その時代にあって誰も疑問に思わなかったことについて問いを立て、その問いになんとかして答えようとした人である。哲学書はそうした哲学者が、考えに考えて文章をつづったものであるから、彼の用いることばは当時の言葉を用いながらも、当時の言葉遣いとは異なる独特の意味を含んでいるものなのです。ですから、辞典では通り一遍の意味をとりあえず確認はできても、その哲学者が言わんとするこ…

  • プリンタが紙を拾わない時

    用紙は十分あるのに、プリンタが「用紙がありません」というサインを出すようになりました。今回の原因はピックアップローラーの経年劣化です。そこで、プリンタをひっくり返して液体ゴムをローラーに塗って、しっかり乾かしてから印刷すると、ちゃんと拾うようになりました。修理に出せばそれだけで18000円+部品代ですから、だいぶ節約になりました。

  • 北海道聖書学院(HBI)の紹介

    HBIの信仰面での特徴は、「旧新約聖書66巻は信仰と生活の誤りのない唯一絶対の基準である」という聖書信仰に堅く立っていることです。混乱の時代に教えの風に振り回されず、しっかりと聖書の真理を説き明かす伝道者を養成することを目指します。 1.学びの面 聖書は部分部分をしっかり丁寧に読むことと、全体への展望をもって読むことの両方が大事です。 部分部分を丁寧に読むために、聖書を原語から釈義する訓練を受けることができます。ヘブル語・ギリシャ語、各書研究が充実しています。TCUの学部卒後、HBIに入学した神学生は、「HBIは小規模クラスなので、わからないことをその場でしっかり質問して学べる」と好評で、彼女…

  • 北海道宣教区聖会

    昨日、今日と北海道宣教区聖会が登別でもようされました。今回はIⅠ先生を講師として行われました。宣教師スピリットと歴史神学・聖書釈義が融合した濃く熱いメッセージに、皆が「宣教大会のようでした」と感想をもらしたことです。 私はⅠ先生と十年ほど前にいっしょに奉仕のための旅をしたことありますが、それ以降、滅多にじっくり話す機会がなかったのですが、今回は昼食時、カッパドキアの三教父の三位一体論においてヒュポスタシスという語を位格を表現する語として採用した意図についてなど、お話をうかがうことができて楽しく有益でした。宣教という実践的意図をもって、古代教父を読んでいらっしゃるところに共感を覚えました。教父た…

  • 植苗

    今日は午後、寒くないので、妻と植苗(うえなえ)というところを散歩しました。かなり田舎で一軒一軒の敷地が広くて、ぽつりぽつりと家々が建っていて、半分別荘的な感じのところで、鹿もキツネもリスモ、もしかしたら🐻も出そうなところす。 以前、教会関係のお年寄りが二人、この植苗にある特別養護老人ホームに住んでいて何度も通ったことがあるのですが、周辺の住宅をくまなく歩いたのは初めてでした。 これで苫小牧の東の端っこは歩き終わりました。

  • 情けは人の為ならず

    施せし情けは人の為ならず おのが心の慰めと知れ われ人にかけし恵みは忘れても 人の恩をば長く忘るな これが新渡戸稲造のことばとは知りませんでした。

  • 齋藤謙治牧師『結婚とホーム』

    2024年10月27日当教会を会場に、港南福音教会の齋藤謙治牧師によるすばらしい講演『結婚とホーム』がなされました。感銘を受けました。ご視聴ください。 www.youtube.com

  • 近年の福音派混乱の根本原因

    「拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」詩篇11:3 私が東京基督神学校の学生であった時代、宇田進教授がチャペルで上記のみことばを引いて聖書信仰の重要性について説教をされたことがあった。聖書信仰とは、「聖書はすべて誤りなき神のみことばであり、信仰と生活の唯一の基準である。」(JEA信仰基準第一条)という信仰である。宇田師は、福音派の拠り所はこの聖書信仰であって、この拠り所が壊されるならば、福音派は壊れてしまうのだと話された。聖書信仰は私にとって当たり前のことであったから、当時「何をいまさら・・・」と聞いてしまったのだが、今、福音派がガタガタと揺れて壊れてしまいそうな状況において、改め…

  • 創世記13章12節 ロトの転落プロセスを表現する前置詞 「アド」から「ベ」へ

    創世記13章12節 口語訳 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。 新共同訳 アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。 新改訳第三版 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。 新改訳2017 アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。 聖書協会共同訳 アブラムはカナンの地に住み、ロトは低地の町に住んで、ソドムの近くに天幕を移した。 アブラムのしもべたちとロトのしもべたちは、エジプトから戻って来てまもなくカナンの地で水場争い、…

  • ウトナイ

    早朝はもう暗いので、このところ午後三時から四時まで福音散歩しています。今日はウトナイを散歩してきました。ウトナイとはアイヌ語で「小さな川の流れの集まるところ」という意味だそうです。 歩いたのはできたてほやほやの住宅街ですが、40メートルばかりの幅で堤があって、その中に蛇行する小川があって、ぽつぽつ白樺も生えていました。また大きなススキケ原があって、その風景は映画ナウシカの仮死状態の主人公がふわりと降りて来た白い穂の波の上のようでした。街路樹はもみじした白樺・ナナカマドが美しかった。

  • 進歩史観と聖書信仰

    19世紀の思想界は進歩史観の時代だった。人類の歴史はより良い方向に向かっているという考え方である。コント、ヘーゲル、マルクス、そしてダーウィンがその典型である。彼らは、理性の光が閉ざされた中世から抜け出て、近代は理性の時代となり、科学技術の発展、産業革命によって、欧米文明は世界を席巻して人類の歴史は華々しく進歩していくものだと考えたのである。しかし、20世紀を迎えて二つの大きな世界大戦を経験して、進歩史観は崩壊した。人類はその神に背を向けた理性によって作り出した文明の利器をもって、お互いに殺し合い文明を破壊し、全地球を滅ぼしてしまうのではないか、ということに気づいたからである。 というわけで、…

  • ウトナイ

    昨日の福音散歩は苫小牧の東の端っこのウトナイ北でした。沼ノ端とウトナイという地域はびっしり新興住宅地で、苫小牧で人口が増えている場所で、小中学校も新設されています。 そろそろ寒くなって来たので、手袋をしなければならなくなる前に、東の地域を歩き尽くしたいと思っています。 写真は広々とした街路樹スペース。紅葉がきれいです。北海道はやはり土地が余っていています。

  • ポストモダン風の「愛」の誤解

    <主観的事実がすべてであり客観的事実などは存在しない>というのがポストモダン思想である。それが心理学に影響を及ぼし、日本のキリスト教界にはここ40年ほど前から牧会カウンセリングの手法として影響が入って来た。そうした心理療法では傾聴すること、受容することの重要性が非常に強調される。精神的に病んだときに、人は意見されると、非難されたと感じて貝のように心を閉ざしてかたくなになり、正常な判断が出来なくなってしまう。そういう人は傾聴され受容されることによって、冷静になって正常な判断ができるようになることがある。だから、「先生に話を聴いてもらったら、自分のごちゃごちゃになっていた頭の中が整理できました。」…

  • ジャンバー、ジャンパー

    今朝は急に冷えて摂氏6度となり、ジャンバーが必要な感じ。だが前から気になっていることばの一つがジャンバーなのか?ジャンパーなのか?ということ。「ジャンパーだと飛び上がるものという意味になってしまうしなあ。でもジャンブなんていう動詞は知らないし・・・」という疑問がだいぶ前から、ふと頭によぎっていた。 便利な時代になってネットで調べてみたら、ジャンパーjumperが正しいそうである。jumpの変化した形。でも最近はフランス語のブルゾンblousonを使う人も多いとのこと。 でもあれを着てなぜ飛び跳ねるわけでもないのに、なぜジャンパーなのだろう。これも調べてみたら、「歴史 17世紀頃に存在したカート…

  • 丸山忠孝先生

    数年前HBIに特別講義に来てくださった恩師丸山忠孝先生の紹介文がひょんなところから見つかったので、ここに掲げておきます。 丸山忠孝先生は東京都のご出身で、青年時代、杉並長老教会の小畑進先生の薫陶を受けられ、主に召されて献身し、東京基督神学校に聴講の後、1962年 東京基督神学校より派遣されて、米国、カベナント神学校、ウェストミンスター神学校卒業、イェール大学神学部卒業、プリンストン神学校卒業。その後、ジュネーブ大学神学部、宗教改革研究所で教会史・教理史を研究され、1973年 ジュネーブ大学神学部で神学博士号を授与されました。しかし、丸山先生はその後、宗教改革史の気鋭の研究者として将来を嘱望され…

  • 信仰・愛・希望

    1テサロニケ 1:3「 絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」 同 5:8「 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」 テサロニケ教会への手紙を読んでいると、パウロは信仰・愛・希望ということばで、キリスト者の人生を語っていることに気づく。ある日キリストを信じる信仰によって義と認められ、現在は、主にある兄弟姉妹を愛の実を結ぶ生活をし、未来は神の怒りから救われ神の栄光にあずかるという希望である。このことはローマ書5章1-11で整理されて…

  • 聖書各巻はそれが初代教会でどのように受容されたのかを考えて読むべきこと

    私はパウロの書簡がどのように、諸教会に受容されたのかに思いを馳せるならば、「一節説教」をするのは不適切ではないかと考えているんです。初代教会のころある町のピリピの教会に「パウロ先生から手紙が届いたよ」ということになれば、礼拝で、短い手紙ならその全体が一気に朗読され聞かれたでしょう。同時に書写されて原本は他の群へと回覧されていく。また、長い手紙なら、内容で区切って朗読され聞かれたでしょう。同時に書写される。そして書写されたものを繰り返し繰り返し、朗読して味わっていく。「読書百遍義自ずから通ず」ということは大事なことだと思います。 だから私たちも、基本的には、そのようにパウロ書簡を読むのが適切な受…

  • 子とされた恵みの重要性

    秋の研修会に出かけて思ったこと。 「ルターはカトリックの神人協働説(律法主義)に苦しんで、信仰義認を聖書に発見しました。救いは恩寵のみ、信仰のみです」というプロテスタント教会の牧師が、バリバリ頑張って伝道牧会しているうちに成果主義に陥って、くたびれてカトリックの黙想の家で癒されて立ち直ったという例を散見します。成果主義というのは現代風の律法主義です。それが黙想の家で静まって、キリストの優しいまなざしを経験して癒されたということのようです。静まっていると、成果以前に、主は私のことを喜んでいてくださるとわかったということです。まあ、癒されたのは感謝なんですが、なんだか変ですよね。 プロテスタントの…

  • 義認・聖化の罠と子とすること

    1.義認には、個人主義と、無律法主義という罠がある。 義認において、人は聖なる審判者の前における私を自覚させられる。それは信仰の経験において重要なことであるが、義認からは教会(神の民)は見えてこないので、個人主義に傾くことになる。 また義認は、ただキリストを信じる信仰によって義とされるという恵みの教理であるが、律法の行いをまったく根拠としないというと、人は律法などは無用であるとする無律法主義に陥ることがある。 2.聖化には、個人主義と、律法主義という罠がある。 聖化におけるキリスト者の意識も、聖なる神の前にある単独者の自己というものである。ゆえに、聖化の教理からも教会共同体は見えてこない。また…

  • ウトナイ

    今朝はウトナイの方を歩きました。秋ですね。

  • 君は愛するため救われた

    「君は愛されるため生まれた」という賛美が、そのわかりやすいメロディも相まって広く親しまれている。名曲だと思う。作詞者の証しを読むと、なるほどと思わされる。 www.chfilms.net だが愛されたのは、そこで満足して終わるためではなく、今度は神を愛し隣人を愛するためであることは言うまでもないことは、クリスチャンならだれでも知っている。 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。」1ヨハネ4:10,…

  • 多様性一辺倒の時代に:『新・神を愛するための神学講座』

    昨日、札幌で教会の女性たちの集まりがあって、アッシー牧師たちが数名、別室で交わりをしました。最初大谷翔平君はもちろん話題になりましたが、近年気になっている神学的動向、それから健康によい体操などが話題になりました。そういえば若い日、先輩のY牧師に言われました。「君たちは若いから集まると、最近、聖書のどの箇所から説教しているとか、註解書はあれがいいとか、最近読んだ本を話題にしているけれども、ぼくくらいの年齢になると、『あれが血圧にいい』とか『これが肩こりにいい』とかいう話題になるんだよ。」北海道の牧師の集まりは、まだ神学的動向が話題になるだけ、気が若いようです。 話題になったのは、新使徒運動、セカ…

  • 「召し」と「摂理」について

    ローマ8:28 28:神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(中略) 30:神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。 これは神が私たちを救う順序、オルド・サルティスを教えている典型的な聖書箇所である。その順序とは、<予定→召し→義認→栄光を与える>である。このうちの「召し」とは神が世の始まる前にキリストにあって子とすることを予定した者を、歴史の中で実際に救い出す行為を意味している。伝統的な神学においては、「召し…

  • 「召し」について

    ローマ8:28 28:神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(中略) 30:神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。 これは神が私たちを救う順序、オルド・サルティスを教えている典型的な聖書箇所である。その順序とは、<予定→召し→義認→栄光を与える>である。このうちの「召し」とは神が世の始まる前にキリストにあって子とすることを予定した者を、歴史の中で実際に救い出す行為を意味している。伝統的な神学においては、「召し…

  • 今朝は寒かった

    今朝は寒かった。摂氏13度。私はセーターを着て、妻はジャンバーを着て散歩しました。沼ノ端という地域です。その名前からして、沼地だったってわかるでしょう。苫小牧は、今でこそ北海道の物産を集めて本州に運び出す港なのですが、もともとは遠浅の海なので港には向いていなかったんです。その遠浅の海を掘って、巨大な運河を造って、大きな船が停泊できる港にしたんです。その掘った土砂を沼にどんどん埋め立てて行って、建物が建てられ、人が住むことのできる地面ができたというわけです。

  • 日課

    今朝は、苫小牧の東の沼ノ端中央2丁目を散歩し始めました。朝4時半はまだ暗い季節になってしまいました。ラジオ深夜便の終わりのところを聞きながら走って行き、マイあさラジオが始まるころから、歩き始めます。東京方面は暑いようですが、苫小牧はもう秋。高い空にいわし雲。6時まで散歩の後、帰り道に会堂に立ち寄って、花壇の水やりをします。

  • 勇払散歩完了

    今朝、妻と苫小牧の東端っこの海沿い勇払の散歩。昨朝、妻が出会った女性が、「何枚配るんですか?」と問われて、「苫小牧全戸に。」と答えたら、「はあ、それはごくろうさまです。」とおっしゃったそうです。 今朝は住宅わきの緑地帯に鹿が二頭、木陰で休んでいました。耳をピンと立てますが、逃げませんでした。 勇払はヨットの船着き場があり、小ぶりですが釧路湿原みたいなところもある場所です。やりようによっては、海の好きな人たちの別荘地になるような場所だろうなと思いますが、市にはそういう考えはないようです。紙を作らなくなった日本製紙の工場の煙突が二本立っています。 これで勇払福音散歩は完了。世帯数は851軒。

  • 勇払の謎

    今朝、妻と勇払を福音散歩していたら、小さな家があって柵の上に猫やリスや色んな動物の木彫りがあって、家の壁に「すだくいはうよじうど」と書いてありました。「すだくいはうよじうど」とはなんでしょう?グーグルで検索しても、何も出ません。

  • 物置づくり(1)

    今日の午後は、教会の兄弟姉妹と物置づくりをスタートしました。もと校長先生だった兄弟が、物置が手狭になったから、もう一つ作ろうと思い立って、奥さんの手を借りつつ部材をカットしてステインを塗って準備して来られたのを、今日、会堂の横に運んできて、組み立て始めたのです。好天に恵まれて暑いくらいでしたが、なんとか土台までできました。

  • 聖書解釈の前提となる神観・世界観

    日本長老教会によるN.T.ライトに関するレポートで、ライトの聖書理解の手順が示されている(37ページ)。ライトは、聖書のある概念を理解するには、まず第二神殿期のユダヤ教文献を読むことが必須であるとする。 ①まず第二神殿期のユダヤ教文献においてそれがどのように教えられているのかを調べ、②次にユダヤ教文献の概念や理解が使徒たちの理解と同じてあると仮定し、これを新約聖書の解釈に適用する。③そして最後に旧約聖書を開き、第二神殿期のユダヤ教文献および新約聖書とのつながりを確認する。 上に述べたライトの聖書解釈の方法は、別にライトが見つけ出した彼に独特のものではない。単に啓蒙主義的前提に立つ聖書学者たちの…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、caelnoutaさんをフォローしませんか?

ハンドル名
caelnoutaさん
ブログタイトル
苫小牧福音教会水草牧師のメモ
フォロー
苫小牧福音教会水草牧師のメモ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用