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2019/06/05

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  • 郵便為替 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    三〇 郵便為替 郵便はただ信書の送達のみでなく、之に伴って貨幣や品物も共に送達すべき者であるとは、私が郵便に下した提議である。中にも貨幣の如きは或る場合では信書よりも尚急用な事のあるのは、実験上見易い道理である。故に私は郵便創業の時からして、此の点に就い

  • 飛脚屋の競争と強願 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二九 飛脚屋の競争と強願 明治四年私が西洋から帰った時は、東京大阪間と、東京横浜間とに郵便が開けて居ましたが、此の官設郵便に向かって、三都の定飛脚屋が競争を起して、東京大阪間の賃銭を郵便と同額に引き下げ、東京横浜間は郵便賃の半額に減じて、郵便類似の方法を

  • 郵便船車 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二八 郵便船車 高崎長右衛門、岩橋万造などという汽船業を営んで居る人々に、帝国郵便蒸気船会社を創立させた所が、人も不適当なら時もまだ到らなかったので、遂に失敗に終わったのは遺憾でしたが、明治五年の冬、其の会社に琉球藩との間に定期の郵便航路を開かせて、同時

  • 郵便局長 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二七 郵便局長 始め取扱役と称えた地方の局長は、相当の資産のある紳士でなければならん所が、其の職掌は飛脚屋の取次人の様で、まだ世間からは全く貴重視されない通信物の取り扱いであり、其の所得も郵便物の少ない為にしたがって僅少であるから、利益上から進んで之に任

  • 郵便局 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二六 郵便局 最初暫時の間は郵便取扱所と言ったのを郵便役所と改め、それから局と改めたのですが、初め役所と改称した理由は、此処は飛脚屋の営業場でない、政府の通信事務を扱う役所であるという事を広く示す為であったので、それは大いに必要があったのです。其の頃の発

  • 新聞紙 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二五 新聞紙 明治五年には、郵便の組織の稍其の体裁を成して、新聞紙を送達する事も出来る様になりましたが、当時は新聞紙の発兌がまだなかったので、其の方法は設けたけれども只名ばかりであったのです。凡そ法律規則は其の必要があってから、後に設ける筈であるのに、ま

  • 郵便配達 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二四 郵便配達 郵便局所在地でない所の僻地に宛てた郵便物は、極少数であるのに、却って多くの入費を掛けて遠距離までも送達しなければならん、迚も乏しい資本では弁じ様がないので、延滞したらばどうしようかと言うのは、最も創業者の苦心した所です。そこで是非なく決断

  • 郵便切手 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二三 郵便切手 当時日本の紙幣は贋造の多いのに苦しんでいる最中であったが、其の贋造の多く出来る原因は印刷が粗末だからなので、私は之を防ぐには西洋に注文して、精巧な者を拵えるのが一番であるという事の発議者であったのです。そこで郵便切手も精巧なのを拵えようと

  • 郵便の税名 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二二 郵便の税名 最初は郵便税とは言わないで、郵便賃と言いました。税と名のついたのは明治五年で、是は私が斯業経営中の一方便に出たのです。畢竟此の金は事に対する報酬ですから、料とか賃とか言うのが適当ですけれども、外の意義から言えば、国が之を独占して、法を制

  • 郵便税額 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二一 郵便税額 人は最初に概念を起して、其の大要を言うときは大そう利口な様でも、さて実際其の局に当たってやって見るとなかなか左様は行かない者で、まして私の様な浅学不才の者は尚更ですが、私は疾に通信事業を大いに起こさねばならないという概念を起して、斯う斯う

  • 郵便物の重量 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二〇 郵便物の重量 従前の飛脚屋では、信書一通分の目方何程という制限もなく、大凡の目分量で其の賃銭を受け取った者ですから、官民共に信書の目方には、一般に注意しない風でしたが、私は郵便には必ず其の制限が必要であると思った。併し其の一通分は何程の目方としてき

  • 逓送の速度 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一九 逓送の速度 立派な紳士に就いて、其の幼少の自分の事などを聞く時は虚言らしく思われる事も幾らもありましょうが、是と同じ事で、汽車も汽船も郵便に用い、馬車や人力車も自由に用いられる今日に在って、此の様な話をするのは馬鹿げて居る様ですけれども、全く実際の

  • 郵便規則 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一八 郵便規則 私は郵便創設の第一着手として、先ず郵便規則の草案を起しました。然るに尚能く考えて見ますと、是は只試験の為であって、一部の地方だけに行おうとする者で、まだ全国一般に実施する者ではない。して見れば一の規則として発布するのは、如何な者であろうか

  • 朝鮮への郵便 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一七 朝鮮への郵便 朝鮮は言う迄もなく外国である、故に朝鮮に出す郵便は、道理上外国郵便であるから、其の税額にも内外の差別あるべきは固より当然であると言う論者もあった。其の上我が対馬と朝鮮釜山とは、所謂一衣帯水の地で、呼べば応えんとする所だが、元山仁川其の

  • 支那への郵便 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一六 支那への郵便 明治八年の十月、私は清国に渡航した。其の用向きは上海に我が郵便局を設置して、併せて北京及び彼の各開港場にも我が通信の道を開こうと思ったからである。それは此の年三菱会社が太平洋郵便汽船会社の上海支線に属する船や、其の他一切の物を買い入れ

  • 英仏との郵便交換条約 附万国郵便 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一五 英仏との郵便交換条約 附万国郵便 前にも述べた通り、明治六年米国との交換条約は締結されたので、ブライアンを直ちに英仏両国に遣わして米国の例に倣って交換条約の商議を申し入れた。私は此の両国が容易く之に応じない事を予知したけれども、ブライアンが米国との

  • 外国郵便の開始 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一四 外国郵便の開始 外国郵便が始まったのは明治八年一月一日で、米国との郵便交換条約を実施したのが初めてである。英仏両国との条約はまだ出来なかったが、米国を経由すれば欧羅巴諸国に日本の郵便物を送る事も出来れば、又向こうからのも此の方に来るだけの通路が開け

  • 外国郵便開始の準備 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一三 外国郵便開始の準備 明治八年一月一日から、外国郵便を愈よ開く事になったが、此の事務に当たる本寮員の中で、英語の能く出来るのは芳賀可伝一人しかない。其の上芳賀も英語は出来るが、外国郵便の経験はまだないのだ。けれども其の頃経験のある人は勿論ない。そうし

  • 米国と交換条約締結 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一二 米国と交換条約締結 私は郵便の本義を知ったと同時に、郵便上我が帝国の国権を侵害されて居た事を大いに憤慨した。それ故帰朝の後本官に任ぜられてからは、之が恢復を謀るのを本分の最大要事として考えて居た。 明治五年の冬の頃には、内国郵便の組織は粗末ながら建

  • 外国と交換条約締結前の郵便取扱方 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一一 外国と交換条約締結前の郵便取扱方 明治四年に私が欧羅巴から帰ると直ちに、横浜にある英米仏の郵便局を訪問して其の局長に面会し、その各国から我が国人に宛てて送って来た郵便物は、どういう手続きで取り扱って居るかと聞いた處が、其の局長は何れも甚だ面白くない

  • 外国郵便の初歩 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一〇 外国郵便の初歩 内国郵便の事は先ず此れ位として、是から外国郵便の事を少々お話しましょうが、其の前に当時の事情の能く分かる為に、外国郵便に関する種々の雑件をお話しましょう。 昔からして日本では、政治家でも学者でも、概して通信の事には甚だ漠然として居て

  • 郵便という名称 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    九 郵便という名称 私が斯事業を計画するに就いて、第一に考えたのは、何という名を付けたら好かろうと言う事であった。最初は先ず便宜上、矢張り人の耳目に慣れた飛脚の二字を用いて、飛脚便と呼ぼうかと思ったが、それでは余りに其の名が野卑であるのと、又従前の飛脚営

  • 自ら請うて駅逓寮頭と為る - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    八 自ら請うて駅逓寮頭と為る 私が帰朝したのは明治四年八月十五日であって、官制大改革のあった十日ばかり後です。其の改革で駅逓司は進んで三等寮となりました(郵便の発達に従って後には二等寮となり一等寮となりましたが)。そうして私の不在中何事も変更せずして帰朝

  • 欧米制度視察の利益 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    七 欧米制度視察の利益 私が乗って横浜を出帆した船は、米国飛脚船と言いますから、是は屹度我が邦の飛脚屋の大仕掛けなような営業者だろうと思ったのです。其の後も久しく英仏等の郵便船を飛脚船と称えましたし、今日でも郵便船という事を知らない人も少なくはありますま

  • 郵便施行上の無知識 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    六 郵便施行上の無知識 前述べます通り、規則の草案と各般の設備とは、細大となく私が自身規画して属僚に示す事ですから、其の人たちは其の意を得たような得ないような塩梅で、自他とも経験のない新設の事業ですから、丁度不知案内の深山で、霧の籠めた中を鹿の足跡を便り

  • 萌芽健全に発育せんとす - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    五 萌芽健全に発育せんとす 右申す通り、政府が支出を許すかどうかという事に就いて、最も苦心する折りしも、図らず明治三年五月十三日、彼の官信飛脚賃の廻議を視て、郵便創設の基金額が分かった。此の廻議を再三読んで見て、覚えず我が事成れりと叫んで喜んだ。傍らに居

  • 種子漸く萌芽せんとす - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    四 種子漸く萌芽せんとす 全国普及の通信線を開くというのは、文明の事業であって、半開以下の時代に在っては達せられるべき希はないので、まして幕府の末路、威信地に墜ちて政令行われず、各藩は割拠の勢いを成し、其の疆域を鎖して或いは互いに敵視するという状態である

  • 種子に一段の温度を与ふ - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    三 種子に一段の温度を与ふ 私は通信不便の害を感ずると共に、物貨運輸の不便からして来る所の弊をも深く感じたのです。そこで我が邦の運輸力は専ら海にあるから、大いに航海学の開ける事を冀望して、自分も其の学生となりました。尤も陸上運輸に就いても、嘗て駅伝改良法

  • 帝国郵便の種子 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    二 帝国郵便の種子 私が駅逓権正を兼任してから、幾日も立たぬに郵便創設の事に着手した。なぜに斯く迅速にやったかという事を怪しんで、問われた人も幾らもあった。それは以前に私の胸中に下ろして置いた所の一粒の種があったからして、其の機会に触れて直ちに発芽した者

  • 帝国郵便の発芽 - 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    一 帝国郵便の発芽 凡そ事物の出来るというは、時に在る事ですが、又先覚の人が在って、法を制して施さなければ成功を見る事は出来ません。その時とは何かならば、明治の盛代即ち是です。若しも此の盛時に逢わずして、封建割拠の時代であったならば、通信普及の道は到底開

  • 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    左様、我が国の郵便史は政府で編纂せられるでしょうが、併し創業の際の事は、僅かに残って居る廻議書を本にして大凡の梗概を記載する外はありますまい。処が其の廻議書というものは、唯形式上簡単に要領を挙げた丈の物ですから、之を種にして出来た郵便史は、ホンの皮相を

  • 郵便創業談 - 郵便の父 前島密遺稿集

    郵便創業談(注。遺稿中に次のものあり。原文の儘ここに載す。「郵便創業談」の発表後その序文として起稿せられたるもの乎。) 余は帝国駅逓史を編纂せんを欲し、明治十二年青江秀氏をして其の稿を起さしめたるも、彼は大化以降歴代の駅逓制度の沿革を主とし、郵便及び郵便

  • 略解 - 郵便創業談 郵便の父前島密遺稿集

    郵便の父 前島密遺稿集郵便創業談昭和11年12月10日 印刷昭和11年12月15日 発行定価 1円逓信協会発行郵便創業談略解 本編は博文館発行の雑誌「太陽」に『現代人物・実歴史伝(前島密君直話)』と題して明治三十二年四月号(第五巻第九号)から四回に亘って連載せられたもので

  • 東京の史蹟 - 名所案内 - 東京市民読本(昭和14年)

    第七 名所案内三 東京の史蹟花子 お父様、お土産ありがとうございました。京都は面白かったですか。父 うん。面白いとはいえない。お仕事で行ったんだからね。花子 でも、方々見物なすったんでしょう。父 している暇がなかった。でも清水寺へだけはお詣りして来た

  • 神社と仏閣 - 名所案内 - 東京市民読本(昭和14年)

    第七 名所案内二 神社と仏閣 日の本の国の光のそひゆくも神の御稜威によりてなりけり これは明治天皇の御製である。 神は尊い。神はありがたい。神は大きい。わが国は神のつくり給うた国であり、我が国民は神の裔である。ゆえにこそ神をうやまい、祖先をたっとぶことは

  • 四季の名所 - 名所案内 - 東京市民読本(昭和14年)

    第七 名所案内一 四季の名所 春の東京は花に明け花に暮れる。花のたよりを一番先に都の人達にもたらすのは上野の動物園である。彼岸桜の一本二本が咲き初めると、間もなく全山の山桜が蕾をひらく。黒門道の両側はいうまでもなく、動物園の中では獅子、虎などの猛々しい心

  • 空のまもり - 帝都の守護 - 東京市民読本(昭和14年)

    第六 帝都の守護三 空のまもり兄 誰だ。武男か。あんまりうろうろするんじゃないよ。武男 兄さん。外はとても暗いよ。足もとも見えやしない。燈火管制もこれなら完全なものですね。兄 防衛司令官みたいなことをいうな。武男 星がとても奇麗だよ。僕、東京の空にこ

  • 消防 - 帝都の守護 - 東京市民読本(昭和14年)

    第六 帝都の守護二 消防 江戸の名物は、「火事と喧嘩に犬の糞。」と昔の諺にいわれた。どれもこれも余り自慢にはならない。江戸にはそれほど火事が多かった。中でも明暦三年二月の振袖火事、明和九年二月の大火は江戸の二大火事として有名であり、その他にも火事は非常に

  • 警察 - 帝都の守護 - 東京市民読本(昭和14年)

    第六 帝都の守護一 警察 青い眼、赤い眼、黄色い眼、 赤いおめめがつむって、 青いおめめが光ります。 街頭に立つと大人でも思わず、この歌を心の中でうたい出す。市民はそれほどこの歌に親しんでいる。いや、それほどこの歌の意味を強く教えられている。 信号

  • 東京の大都市計画 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市六 東京の大都市計画 年は人の集まりやすい所である。だから何処の都市でも年々膨張して行く。殊にわが東京市のような所は、膨張が最もはげしい。 ところで、都市が膨張して行く時には、別に順序立てて発展して行くのではないから、若し成り行きのまま

  • 市の財政 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市五 市の財政松子 お母さん、私たちの学校は増築になる増築になるといっていて、まだちっともその様子がありませんけど、どうしたのでしょうか。母 それは、まだ市会が通らないからでしょう。松子 どうして市会が通らないのでしょう。もう随分せまく

  • 市役所と区役所 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市四 市役所と区役所 東京市の市役所は麹町九丸の内三丁目にある。馬場先門前を二重橋とは反対の方へ行くと、省線のガードに接して右側にある赤煉瓦の旧式な建物がそれである。大玄関を入ると、正面階段の両側に二つの銅像が立っている。右が太田道灌で、

  • 市長 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市三 市長 市政をどうするかということは市会や市参事会で決める。決めたことは誰かが実行しなければならぬ。そこで此の実行機関として一切の権限を任されているのが市長である。 市長は市会が選挙してきめるもので、その任期は四年間である。 市長は市

  • 市会と市参事会 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市二 市会と市参事会 大東京の人口は七百万である。七百万人は一人残らず東京市の市民である。けれども其の中には赤坊もいれば御隠居さんもいる。女子もいれば病人もいる。つまり自治をする力のないものがいる。そこで自治をする力のあるものだけが全市民

  • 自治と自治体 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市一 自治と自治体太郎 お父さん、自治って、どういうことですか。父 読んで字の通り、自分で治めることだ。自分たちのことは他人の手を借りずに自分たちで始末する。東京市のことは東京市民自身で立派に治めて行くということだ。そういう団体を自治体

  • 産業と金融 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十五 産業と金融1 市の産業 東京は政治や文化の中心であるばかりではなく、また経済の中心で、全国各種産業及び金融の中心機関はほとんど市内に集まり、なお有名な大会社、大商店も軒をならべている。 産業中の主位を占めるものは工業で、全生産の九

  • 運動と娯楽 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十五 運動と娯楽 今日は明治神宮の外苑へ野球を見に行った。早慶戦があったからである。放送や人の話はいつも聞いていたが、まのあたり早慶戦を見るのは今日が始めてである。六七万の観衆があの広い野球場にぎっしりつまって、選手の一挙一動にやんやと

  • 公園 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十四 公園 母 清さん。日比谷公園へ連れて行って上げましょうか。今日はお天気がよいし、お母さんも銀座にちょっと御用があるから。清 うれしいなあ。日比谷公園には何があるのですか?母 何でもありますよ。お花畠も、子供の遊び場も、音楽堂

  • 大東京港 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十三 大東京港 朝だ。夜明けだ。東京港。 かっと日が照りや、出船の知らせ。 殖えは鳴るなる、空一面に、 ひゞけ、港はまつりだ。春だ。 仰げ青空。東京港。 雲もかゞやく、黄金の色に。 風よ吹けふけ、アジヤの空を、 晴らせ、

  • 川と橋 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十二 川と橋 川といえばまず思い出すのは墨田川である。 千年の昔、東に下った在原業平朝臣はこの流れをながめ、千鳥の鳴く音に遠い都のことを思い出しながら、 何しおはばいざこと問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやととうたった。だがその頃の墨

  • 交通機関 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十一 交通機関 我が東京市を旧東京から大東京にまで発展させたものは交通機関である。 元来都市と交通機関とは密接な関係を持っている。都市の発展により都心からあふれ出た人口は、止むなく交通機関によって近郊へ移って行くが、近郊の人口がふえるに

  • 道路 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十 道路 都市の生命は道路にある。なぜなら道路は交通の根幹をなし、交通こそ経済と文化発達の基礎をなすものだからである。しかも道路はまた都市の美観を構成する基ともなる。故に都市の発達程度は道路を見て知ることが出来る。 東京市の道路は、その

  • 電気と瓦斯 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展九 電気と瓦斯 開闢以来、わが国で電燈が始めてついたのは、明治十一年三月二十五日であった。 その日、東京中央電信局では、盛大な開設祝賀会が催されたが、夜になって宴たけなわになった時、誰も灯をつけないのに、会場は一時にパッと昼をあざむくよ

  • 水道事業 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展八 水道事業「あらあら、まあ大変。大水じゃないの。賢ちゃん。また水道を出しっぱなしにしましたね。」 お母さんの声に、僕ははっとして飛んで行ったが、もう遅かった。お風呂の水はざあざああふれ出ていた。雑誌に気をとられていて、お風呂のことはす

  • 保健と衛生 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展七 保健と衛生 健全なる精神は健康なる身体にやどる。 先ず健康、ということは、人間一人一人にとっても、国家全体にとっても、何より大切なことである。 ところが元来都会というものは不健康な場所である。人間が多すぎる。従って空気がにごっている

  • 社会事業 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展六 社会事業 東京市のような大都会には大勢の人が寄り集っている。従って色々な身の上の人が多くいるわけである。何かよい職業はないかと探している人もあろう。貧乏でその日の暮らしにも困っている人もあろう。親に捨てられて養い手もない可哀想な子供

  • 少年団・青年団 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展五 少年団・青年団「孫氏」という書物の中に、「敵の来らざるを恃まず、待つあるを恃む」という言葉がある。敵が攻めて来なければよい、どうかして攻めて来ないようにと願うようなことをせず、何時でも来い、何処からでも来い、と十分に身構え、いつでも

  • 放送局見学 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展四 放送局見学「新聞社を見たから、ついでに放送局も見学しよう。」 先生はこうおっしゃった。すると尾崎君が喜んで叫んだ。「すてきだなあ。帰りには愛宕神社へお参りしましょう。あそこには曲垣平九郎が馬に乗ったまま上ったという、とっても高い石段

  • 新聞社見学 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展三 新聞社見学 僕たちは土曜日の午後、先生につれられて、有楽町にある大きい新聞社の参観に行った。先生が前もって電話でお願いしておいて下さったので、新聞社へ着くと、すぐ四階の講堂に通され、社の方から、いろいろと新聞の出来るまでのお話をうか

  • 文化施設 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展二 文化施設 我輩は上野公園である。 こういえば少年少女諸君は、すぐ西郷さんの銅像と動物園とを思い出して、それが我輩のすべてだと思うかも知れないが、我輩はなかなかそんな単純なものではない。不忍の池を入れて総面積六百二平方粁余、山あり、谷

  • 教育の中心地東京 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展一 教育の中心地東京 国家を身体にたとえると、政治はこれを動かすためにいろいろな命令をする頭脳、経済はこれに活力を与える血液、文化はこれを養うところの栄養素である。頭脳と血液さえ働いていれば人間は生きていられるが、栄養素がなくなると身体

  • 丸之内と銀座 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観四 丸之内と銀座 東京市の表玄関東京駅に降り立ったものは、その前に立ちならぶ大廈高楼に先ず眼をみはるだろう。地方の人は西洋へ来たのではあるまいかと思い、西洋から来た人は自分の国へ帰ったのではないかと疑うそうである。これこそ大東京の偉容を

  • 市域の大観 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観三 市域の大観 飛行機に乗って上空から東京市を見下ろすと、東部一帯は一面に黒煙がたなびき、光って見えるのは洋々たる隅田川のうねりと、これにつらなって縦横に走る無数の川ばかり、あとは皆ぎっしりとうちつづく屋根、屋根、屋根の連続である。もし

  • 市の人口 - 第東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観二 市の人口 東京市の人口は約六百五十万人で、ニューヨークに次ぐ世界第二の大都会である。しかも年々十七万から二十万人の人がふえて行き、旅行者を合わせれば常に七百万人の人間が住んでいる。 徳川幕府が江戸に出来た頃には、いうまでもなく現在の

  • 地勢と面積 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観一 地勢と面積 東京市中で一番高いのはどこだろう。 また、一番低いのは何処だろう。 一番高いのは板橋区石神井関町一丁目で、海抜五四・八米、一番低いのは本所区向島押上町一七八番地で、海抜九厘である。これを大観すると、板橋、杉並、世田ヶ谷な

  • 大東京の建設 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧九 大東京の建設 我が東京市は、今、人口では世界第二位、面積では世界第三位と称される世界屈指の大都会である。近年までは人口に於いては大阪にさえ劣っていたが、急にこの膨張をしたのは、昭和七年以後のことである。 その年の十月一日、我が東京市は

  • 大震災と復興 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧八 大震災と復興(1) 大震災文子 お父さん、もうすぐよ。あと一分よ。父 そうか。 (各所から一斉にサイレンや汽笛が鳴る)父 文子、お立ちなさい。黙祷しましょう。 (二人、一分間の黙祷をする)文子 お父さん、東京の大震災は、ずいぶん凄

  • 市制発布 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧七 市制発布 東京は、こうして新しい日本の首都となった。けれども、その頃は、まだ今日のように「東京市」とはいかなかった。なぜなら、まだ市制を布いていなかったからである。 東京が始めて市制を布いたのは、明治二十一年四月十七日からのことである

  • 東京奠都 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧六 東京奠都 西郷と勝が江戸に於いて江戸城明け渡しの大交渉をしていた丁度その日、明治天皇におかせられては、京都に於いて五箇条の御誓文を宣布なされた。これは、幕府が、既に大政を奉還し、諸政はすべて朝廷から出るようになっていたので、ここに明治

  • 西郷隆盛と勝安芳 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧五 西郷隆盛と勝安芳 鳥羽・伏見の戦が起こるや、徳川十五代将軍慶喜は大いに驚き、直ちに大阪から海路を江戸に馳せ帰り、江戸城にも入らず、上野寛永寺に引きこもって、ひたすら謹慎の意を表した。けれども朝廷では、慶喜が江戸城によって叛籏をひるがえ

  • 江戸文化 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧四 江戸文化 江戸の街を急ににぎやかにしたのは、三代将軍家光のとった参勤交代の制度である。諸大名は競って江戸に屋敷を建て、家族を始め多くの家臣を江戸詰めとした。このために江戸は急に人口が増加し、附近で産する物だけでは市民を養いこれなくなり

  • 徳川家康と松平定信 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧三 徳川家康と松平定信 太田道灌を東京市の生みの親とすれば、家康は育ての親というべきであろう。 天正十八年、秀吉は、小田原征伐の功により、北條氏の旧領地たる関八州を家康に与えた。そこで家康は旧領の三州岡崎を出て江戸城に移った。当時の江戸は

  • 太田道灌と築城 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧二 太田道灌と築城 市役所の玄関を入ると、正面玄関の両側に二つの銅像が威風堂々と立っている。向かって右は太田道灌、左は徳川家康である。なぜこんな所にこの二人の銅像があるのか。いうまでもなく我が東京市にとって最も縁の深い建設の大恩人だからで

  • 武蔵野 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧一 武蔵野 出づるにも入るにも同じ武蔵野の尾花をわくる秋の夜の月 昔の人の眼にも武蔵野は、どんなにかわびしく映じたことであろう。山一つ見えず、広漠として涯なく続く平野には、行けども行けども裸木の林と枯尾花ばかりであった。住む人もなければ鶏

  • 大使館・公使館 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京六 大使館・公使館 半蔵門を来たへ折れた所を千鳥ヶ淵という。近衛師団裏から九段にかけてお濠の水を青々と湛え、その昔はさぞかし千鳥も来鳴いたであろうと思われる静けさ。お濠沿いの公園を中心としてこの辺一帯に桜樹が多く、早咲きの花の名所として名高

  • 官庁 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京五 官庁 今日はお父さんに連れられて東京へ行った。東京市民でありながら「東京へ行く」というのはおかしいが、こんな端の方に住んでいると、なんとなく市民のような気がしない。「馬鹿なことをいってはいけない。これでも立派な東京市民だ。市民たる智識と

  • 議事堂 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京四 議事堂(1)一郎 お父さん、お隣の正男君が昨日議事堂に参観して来たのですって。僕もつれて行って下さい。父 よろしい。出かけよう。だが一郎は、議事堂が何をする所だか知っているか。一郎 国会議員が集って国の政治を相談しあう所でしょう。父 そ

  • 靖国神社 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京三 靖国神社 帝都の少し高い所に立って見渡すと、緑なす樹々と銀色に光る屋根々々の上に、一段とぬきんでている白く四角い尖塔と、黒く円い大鳥居とが眼にはいって来る。いうまでもなく、一つは議事堂であり、一つは靖国神社である。 大鳥居は何処からでも

  • 明治神宮 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京二 明治神宮 山手線を原宿の駅に降り立つと、右手に広大な森がつづく。いうまでもなく明治神宮である。 第一の大鳥居を仰ぎ、はき清められた参道の玉砂利をふんで静かに歩を運べば、両側に茂る木立にも、神橋の下を流れる谷川のせせらぎにも、なんとなく神

  • 宮城 - 帝都東京 - 東京市民読本(昭和14年)

    第一 帝都東京一 宮城 宮城は、一天万乗の大君が宮居まします所である。 仰げば、大内山の松は千代の緑をたたえ、お濠の水は平和な波をただよわせ、白み行く朝靄のなかに、はや旭日の光をうけて、お城の壁はくっきりと金色に輝き、甍の苔むすところ瑞雲たなびくかとばか

  • 東京市歌 - 東京市民読本(昭和14年)

    東京市歌作歌 高田耕甫作曲 山田耕筰一、紫にほいし武蔵の野辺に日本の文化の華咲きみだれ月影いるべき山の端もなきむかしの広野のおもかげいずこ二、高樓(たかどの)はるかにつらなりそびえ都のどよみはうずまきひびく帝座(みくら)のもとなる大東京ののびゆく力の強き

  • 自序(学習院教授 竹澤義夫)- 東京市民読本

    六百五十万の人口を有し、世界第二の大都会と自他相許す大東京に住んでいながら、東京を本当に故郷のように愛していない人がかなり多いようである。 地方出身の市民は、自分の生まれた土地を故郷と思い、東京はただ仕事をする所だと考えている。又東京に生まれた生粋の江

  • 序(東京市教育局長 皆川治廣) - 東京市民読本

    己の住む土地、父祖の土地を愛するの念なくしてよき国民たることは難しい。都市の人間が兎に角軽佻浮薄の弊に陥り易いのは、錯雑せる刺激に眼目を奪われて愛郷愛市の念に意識の通ずる機会を失うからである。 わが東京市は日本の帝都である。而して近く皇紀二千六百年の輝

  • 序(東京市長 頼母木桂吉)

    東京市長 頼母木桂吉 序東京市教育局長 皆川治廣 序学習院教授 竹澤義夫 編東京市民読本昭和14年11月20日 印刷昭和14年11月25日 発行定価 90銭東京 愛之事業社序 東京市は申しまでもなく日本帝国の首都であり、同時に日本の政治・産業・文化を代表する

  • 結言 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第八節 結言 前にも述べたように、今日迄形の上では低物価は曲がりなりにも維持されていますが、その低物価政策の下に於いて、生産が旨く増加して居るかどうかというと、一寸それは裏切られている。即ち理想とは逆な萎縮的効果が現れてし

  • 金融業の国家管理 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第六節 金融業の国家管理 ここに、われわれとしては、も一つ、特に、最近痛感することは、金融に対して積極的な統制を加える必要であります。ご承知の通り、今日はかなり反動的な情勢になりまして、そのために金融業者は貸付の回収を急い

  • 国民生活の切り下げとその安定工作 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第六節 国民生活の切り下げとその安定工作 以上、みてきたように、経済封鎖下の日本経済は決して、むざむざ挫折するような弱弱しいものではなく、尚、ブロック的自給力の向上に努力を集中して、前進する可能性が充分あるのでありますが、

  • 東亜経済建設の進捗 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第五節 東亜経済建設の進捗 さて、然らば、そういう風に経済封鎖をうけた暁に於いて日、満、支の国防産業力はどれ位の実力を発揮できるであろうか? 先ず、基本的な、日本自体の国防産業力はどうかというと、これはまだ必ずしも充分強力

  • 東亜圏内の自給可能性 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第四節 東亜圏内の自給可能性 かりに海外からこれらの必需物資が経済封鎖のために輸入出来なくなるとして、一体わが国の経済のやりくりはどうして切り抜けられるか? 加工品の方は、最近、生産設備も増加したから先ず第二として(現在機

  • 英米依存の重要性 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第三節 英米依存の重要性 しかし我が国工業全体として、どれほど海外に依存しようとも、容易に必需品を得る事が出来れば左程案ずることはない訳であります。それ故次にこれ等の物資の獲得の難易について検べて見ることにしましょう。 工

  • 国防産業の海外依存性 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第二節 国防産業の海外依存性 一体、工業資源に関しては、島国、日本は甚だ貧困であります。このことが日本重工業の発展に重大な影響を与えてきたことは改めて云う迄もないのでありますが、全体としての我が国の工業原料品の自給率を他の

  • 日支事変後のわが経済界 - 経済封鎖下の日本戦時経済

    第七章 経済封鎖下の日本戦時経済第一節 日支事変後のわが経済界 世界情勢の極度に険悪化してきている今日、我が国の産業経済界を概観しますと必ずしも無条件に楽観は許されません。それに砂金のその生産増加の趨勢が多少鈍化してきているようにみえるからであります。即

  • 行政機構の一元化と事務の簡易化 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第十節 行政機構の一元化と事務の簡易化 ドイツに於きましては戦争の始まります直前に国防最高会議というものを設けまして、ゲーリングがその長官になり、その下に相当代理であるヘス、それから内閣書記官長であるランメルス、行政総監である

  • 活躍する経済団体 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第九節 活躍する経済団体 戦争が始まりますまでは民間の経済団体は、出来るだけ自治統制機関であるという建前でありまして、前にヘルフェリヒ氏の言葉を引用しましたが、必ずしも官僚のいうことをその儘御無理御尤もで聞いて居るのではないと

  • 高度の産業合理化 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第八節 高度の産業合理化 藤原前商工大臣の時に、日本に於きましても産業総力発揮委員会というものを作って合理化をやらなければならぬということがやかましくいわれたことがあります。それは商工大臣の諮問機関として産業総力発揮委員会とい

  • 機械的大合同の排撃 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第七節 機械的大合同の排撃 それから合同の問題ですが、ナチスになってからは殆ど合同というようなものはやって居りません。ナチスになるまで色々恐慌があった場合に、資本主義の原則に基づいて自然に合同が出来たものがいくらもあります。製

  • 所有と経営の分離問題 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第六節 所有と経営の分離問題 尚日本では所謂「所有権と経営権を分離する」とか、或いは「民間の事業を取り上げて国策会社にする」という議論がややもすれば行われるのでありますが、ドイツに於いて一体この問題をどういう風に取り扱って居る

  • 何故社会不満が起こらぬか - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第五節 何故社会不満が起こらぬか それでは労働者がどうして満足して働いて居るかということが問題になるかも知れませんが、詰まり資本乃至企業というものに対する考え方が、全体主義に於いては「国家の為に御奉公するもの」とされている。そ

  • 鞭撻的利潤寛容政策 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第四節 鞭撻的利潤寛容政策 これと並んで吾々が特に今日考えて置かなければならんことは、ナチスに於きましては「民間の事業というものを否定し、或いは民間の所有というものを圧迫するのが能ではない。出来るだけこれを有効に動員し、国策的

  • 建設のための財政 - ナチス統制経済の検討

    第六章 ナチス統制経済の検討第三節 建設のための財政 以上に依ってお分かりになりますように、ドイツの経済界というものが全力を挙げて建設に没頭し、その結果が着々と事実の上に増産となって現れて来ておるのでありますが、一体これだけのことをやるのにドイツはどんな

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