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2019/06/05

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  • 市会と市参事会 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市二 市会と市参事会 大東京の人口は七百万である。七百万人は一人残らず東京市の市民である。けれども其の中には赤坊もいれば御隠居さんもいる。女子もいれば病人もいる。つまり自治をする力のないものがいる。そこで自治をする力のあるものだけが全市民

  • 自治と自治体 - 自治体東京市 - 東京市民読本(昭和14年)

    第五 自治体東京市一 自治と自治体太郎 お父さん、自治って、どういうことですか。父 読んで字の通り、自分で治めることだ。自分たちのことは他人の手を借りずに自分たちで始末する。東京市のことは東京市民自身で立派に治めて行くということだ。そういう団体を自治体

  • 産業と金融 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十五 産業と金融1 市の産業 東京は政治や文化の中心であるばかりではなく、また経済の中心で、全国各種産業及び金融の中心機関はほとんど市内に集まり、なお有名な大会社、大商店も軒をならべている。 産業中の主位を占めるものは工業で、全生産の九

  • 運動と娯楽 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十五 運動と娯楽 今日は明治神宮の外苑へ野球を見に行った。早慶戦があったからである。放送や人の話はいつも聞いていたが、まのあたり早慶戦を見るのは今日が始めてである。六七万の観衆があの広い野球場にぎっしりつまって、選手の一挙一動にやんやと

  • 公園 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十四 公園 母 清さん。日比谷公園へ連れて行って上げましょうか。今日はお天気がよいし、お母さんも銀座にちょっと御用があるから。清 うれしいなあ。日比谷公園には何があるのですか?母 何でもありますよ。お花畠も、子供の遊び場も、音楽堂

  • 大東京港 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十三 大東京港 朝だ。夜明けだ。東京港。 かっと日が照りや、出船の知らせ。 殖えは鳴るなる、空一面に、 ひゞけ、港はまつりだ。春だ。 仰げ青空。東京港。 雲もかゞやく、黄金の色に。 風よ吹けふけ、アジヤの空を、 晴らせ、

  • 川と橋 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十二 川と橋 川といえばまず思い出すのは墨田川である。 千年の昔、東に下った在原業平朝臣はこの流れをながめ、千鳥の鳴く音に遠い都のことを思い出しながら、 何しおはばいざこと問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやととうたった。だがその頃の墨

  • 交通機関 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十一 交通機関 我が東京市を旧東京から大東京にまで発展させたものは交通機関である。 元来都市と交通機関とは密接な関係を持っている。都市の発展により都心からあふれ出た人口は、止むなく交通機関によって近郊へ移って行くが、近郊の人口がふえるに

  • 道路 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展十 道路 都市の生命は道路にある。なぜなら道路は交通の根幹をなし、交通こそ経済と文化発達の基礎をなすものだからである。しかも道路はまた都市の美観を構成する基ともなる。故に都市の発達程度は道路を見て知ることが出来る。 東京市の道路は、その

  • 電気と瓦斯 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展九 電気と瓦斯 開闢以来、わが国で電燈が始めてついたのは、明治十一年三月二十五日であった。 その日、東京中央電信局では、盛大な開設祝賀会が催されたが、夜になって宴たけなわになった時、誰も灯をつけないのに、会場は一時にパッと昼をあざむくよ

  • 水道事業 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展八 水道事業「あらあら、まあ大変。大水じゃないの。賢ちゃん。また水道を出しっぱなしにしましたね。」 お母さんの声に、僕ははっとして飛んで行ったが、もう遅かった。お風呂の水はざあざああふれ出ていた。雑誌に気をとられていて、お風呂のことはす

  • 保健と衛生 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展七 保健と衛生 健全なる精神は健康なる身体にやどる。 先ず健康、ということは、人間一人一人にとっても、国家全体にとっても、何より大切なことである。 ところが元来都会というものは不健康な場所である。人間が多すぎる。従って空気がにごっている

  • 社会事業 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展六 社会事業 東京市のような大都会には大勢の人が寄り集っている。従って色々な身の上の人が多くいるわけである。何かよい職業はないかと探している人もあろう。貧乏でその日の暮らしにも困っている人もあろう。親に捨てられて養い手もない可哀想な子供

  • 少年団・青年団 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展五 少年団・青年団「孫氏」という書物の中に、「敵の来らざるを恃まず、待つあるを恃む」という言葉がある。敵が攻めて来なければよい、どうかして攻めて来ないようにと願うようなことをせず、何時でも来い、何処からでも来い、と十分に身構え、いつでも

  • 放送局見学 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展四 放送局見学「新聞社を見たから、ついでに放送局も見学しよう。」 先生はこうおっしゃった。すると尾崎君が喜んで叫んだ。「すてきだなあ。帰りには愛宕神社へお参りしましょう。あそこには曲垣平九郎が馬に乗ったまま上ったという、とっても高い石段

  • 新聞社見学 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展三 新聞社見学 僕たちは土曜日の午後、先生につれられて、有楽町にある大きい新聞社の参観に行った。先生が前もって電話でお願いしておいて下さったので、新聞社へ着くと、すぐ四階の講堂に通され、社の方から、いろいろと新聞の出来るまでのお話をうか

  • 文化施設 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展二 文化施設 我輩は上野公園である。 こういえば少年少女諸君は、すぐ西郷さんの銅像と動物園とを思い出して、それが我輩のすべてだと思うかも知れないが、我輩はなかなかそんな単純なものではない。不忍の池を入れて総面積六百二平方粁余、山あり、谷

  • 教育の中心地東京 - 大東京の発展 - 東京市民読本(昭和14年)

    第四 大東京の発展一 教育の中心地東京 国家を身体にたとえると、政治はこれを動かすためにいろいろな命令をする頭脳、経済はこれに活力を与える血液、文化はこれを養うところの栄養素である。頭脳と血液さえ働いていれば人間は生きていられるが、栄養素がなくなると身体

  • 丸之内と銀座 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観四 丸之内と銀座 東京市の表玄関東京駅に降り立ったものは、その前に立ちならぶ大廈高楼に先ず眼をみはるだろう。地方の人は西洋へ来たのではあるまいかと思い、西洋から来た人は自分の国へ帰ったのではないかと疑うそうである。これこそ大東京の偉容を

  • 市域の大観 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観三 市域の大観 飛行機に乗って上空から東京市を見下ろすと、東部一帯は一面に黒煙がたなびき、光って見えるのは洋々たる隅田川のうねりと、これにつらなって縦横に走る無数の川ばかり、あとは皆ぎっしりとうちつづく屋根、屋根、屋根の連続である。もし

  • 市の人口 - 第東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観二 市の人口 東京市の人口は約六百五十万人で、ニューヨークに次ぐ世界第二の大都会である。しかも年々十七万から二十万人の人がふえて行き、旅行者を合わせれば常に七百万人の人間が住んでいる。 徳川幕府が江戸に出来た頃には、いうまでもなく現在の

  • 地勢と面積 - 大東京の大観 - 東京市民読本(昭和14年)

    第三 大東京の大観一 地勢と面積 東京市中で一番高いのはどこだろう。 また、一番低いのは何処だろう。 一番高いのは板橋区石神井関町一丁目で、海抜五四・八米、一番低いのは本所区向島押上町一七八番地で、海抜九厘である。これを大観すると、板橋、杉並、世田ヶ谷な

  • 大東京の建設 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧九 大東京の建設 我が東京市は、今、人口では世界第二位、面積では世界第三位と称される世界屈指の大都会である。近年までは人口に於いては大阪にさえ劣っていたが、急にこの膨張をしたのは、昭和七年以後のことである。 その年の十月一日、我が東京市は

  • 大震災と復興 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧八 大震災と復興(1) 大震災文子 お父さん、もうすぐよ。あと一分よ。父 そうか。 (各所から一斉にサイレンや汽笛が鳴る)父 文子、お立ちなさい。黙祷しましょう。 (二人、一分間の黙祷をする)文子 お父さん、東京の大震災は、ずいぶん凄

  • 市制発布 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧七 市制発布 東京は、こうして新しい日本の首都となった。けれども、その頃は、まだ今日のように「東京市」とはいかなかった。なぜなら、まだ市制を布いていなかったからである。 東京が始めて市制を布いたのは、明治二十一年四月十七日からのことである

  • 東京奠都 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧六 東京奠都 西郷と勝が江戸に於いて江戸城明け渡しの大交渉をしていた丁度その日、明治天皇におかせられては、京都に於いて五箇条の御誓文を宣布なされた。これは、幕府が、既に大政を奉還し、諸政はすべて朝廷から出るようになっていたので、ここに明治

  • 西郷隆盛と勝安芳 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧五 西郷隆盛と勝安芳 鳥羽・伏見の戦が起こるや、徳川十五代将軍慶喜は大いに驚き、直ちに大阪から海路を江戸に馳せ帰り、江戸城にも入らず、上野寛永寺に引きこもって、ひたすら謹慎の意を表した。けれども朝廷では、慶喜が江戸城によって叛籏をひるがえ

  • 江戸文化 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧四 江戸文化 江戸の街を急ににぎやかにしたのは、三代将軍家光のとった参勤交代の制度である。諸大名は競って江戸に屋敷を建て、家族を始め多くの家臣を江戸詰めとした。このために江戸は急に人口が増加し、附近で産する物だけでは市民を養いこれなくなり

  • 徳川家康と松平定信 - 東京の回顧 - 東京市民読本(昭和14年)

    第二 東京の回顧三 徳川家康と松平定信 太田道灌を東京市の生みの親とすれば、家康は育ての親というべきであろう。 天正十八年、秀吉は、小田原征伐の功により、北條氏の旧領地たる関八州を家康に与えた。そこで家康は旧領の三州岡崎を出て江戸城に移った。当時の江戸は

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