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『充電』という透析 https://blog.goo.ne.jp/pun_juden

今年透析16年目を迎えた日々。「透析」にとまどい「充電」と呼ぶことに。 鉄腕アトムがエネルギーをケーブルで注入するイメージに置き換えた。 https://punctum-juden.blogspot.comからの引越。(無断転載禁止)

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2019/05/24

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  • 2019年登り納め そして『低山を重ねる』の第一歩。

    きのうは2019年登り納め。そして『低山を重ねる』の第一歩。余命2年宣告以降初めての山歩きで多少緊張気味。カラダの変化のひとつでも見落とすまいと神経も尖らす。しかし息もそれほど弾むことなく心臓への負担も感じることなく400mを登れた。むしろ前回の忘年登山から2週間のブランクの筋肉の衰えを感じる。というかこの筋力の劣化こそが心臓機能の低下ということもあるので用心!用心!主宰者には余命宣告のことも話してるので帰り際「よかったな」「登れて」とねぎらいも。 http://hyakunichikaiho.blog.jp/archives/54179537.html2019年登り納めそして『低山を重ねる』の第一歩。

  • 「ゆっくりと低山を重ねて八十歳まで生きる」

    先週主治医から余命2年宣告があったばかりのなかきのう「古希」を無事迎えられた。山の倶楽部の数人に地元の美味しい居酒屋で屈託のない話を肴に祝福された。私は「ゆっくりと低山を重ねて八十歳まで生きる」と。「ゆっくりと低山を重ねて八十歳まで生きる」

  • イブ

    イブだからといってなにも特別なことはないので久しぶりにアーカーゲーのヘッドホンで聞いてみようとランダムにパソコンの収録リストからフルートのエマニュエル・パユの数曲をボリュームいっぱいで聴いた。歪んでいた音空間認識もなく復帰できたと感じるのはうれしい。久しぶりの友人からの励ましのメールも嬉しかった。イブのクリスマス・プレゼントのようだイブ

  • 「タプカーラ交響曲」

    今日は日曜日。降水確率午後60%。曜日感覚も忘れていた一週間。なんとなく日常が戻ってきたような感覚。そもそも「余命2年宣告」が余計なことでどこかに日常がなくなっていたことをつくづく感じる。音の空間も少し落ち着いてきたような気がする。カラダが修正してるのかも知れないと思いながらその音に関する一番無心になれる趣味のNHKのらじるらじるでクラシックを聞きながら無心になってパソコンに収録する。どこかに置いてきてしまってた日常が戻ったと実感する。今日は聞いたことのない「タプカーラ交響曲」に出会った。どこか懐かしさを感じる。タプカーラとはアイヌ語で「立って踊る」と言う意味だそうで久しぶりにこころに伝わるものがある。芥川也寸志はなんどもこの曲を指揮したという。パソコンには蜘蛛もに参加してきた。モニターという平面にもかかわらず...「タプカーラ交響曲」

  • 余命2年の宣告

    先日からのトラブル続きを踏まえて心肺停止の際の蘇生について家族を含めて病院側と意思表示を確認する機会をつくった。その結果蘇生方法ではなく主治医の現在の病状説明になってしまい現在の各検査データの検査結果からすると、「慢性心不全」という診断となります。通常、慢性心不全と診断されると通常、余命が2年とされています。すでに2年以上経過してる段階ですので、いつ緊急な事態が起こってもおかしくない。なので、詳しく心カテで検査をして、その結果で大動脈弁置換手術やバイパス手術や弁置換手術などの選択肢を加えてはいかがでしょうか」という内容だったようだ。「ようだ」というのはどうも特に病院などには私が先入観が強いのか聞き方も歪んでいて知らないうちに主治医がなにを言ってるのか真意がわからなくなることがある。「「程度としてはかなり重度で重...余命2年の宣告

  • イコライザー

    音の空間認識について脳梗塞直後のことを書いた。さらに衝動的に「イコライザー」を衝動的に買うかも知れないということを書いてきた。音曲はもっぱらデジタル化してほとんどがパソコンのハードディスクにはいってる。たいしたオーディオを使うことはいまはないのでハード的なイコライザーをも考えはしたがパソコン上で使えるアプリを探したがあるにはあるが幾つかダウンロードしても使えなかったりでMacにくっついてるiTunesでとにかく試してみようと思いiTunesの「エコライザー」を恐る恐る使ってみた。いつものエコライザーの設定は「clasical」でそこから素直に聞けるところまで各ヘルツのレバーを動かしてみた。まだ一曲だけの試行なのでさらに精査してみたいがいずれにしても大雑把にはわかる。とりあえず「clasic-01」として保存して...イコライザー

  • 「ゆっくりさん」のブログ。

    最近フォローした「ゆっくりさん」のブログ。ブログに記すその絶妙なゆっくり度が心地よい。模倣しようと試みるがまるでできない。書き方技術ではないんだね。きっと生活そのものが呼吸するようにゆったりしてるのでしょう。それが伝わる。私のようにこれでもかこれでもかという考え方では到底無理というもの。ゆっくりさんのブログを読むと心が落ち着く。お住まいの背景に小さな山があるのも心引かれる。その山と一体となってゆったりとお暮らしになってることが伝わります。羨ましささえ感じます。余命2年の宣告を受けた今最善を尽くし、注意深く一日一日を「ゆっくり」暮らしたい。何も起こらなければ、一日生き延びることができたと喜び目標は八十歳まで生きてもう一度個展も開くことができたらこの上ない。「ゆっくりさん」のブログ。

  • 心肺停止の際の救急措置の本人の意思表示と家族の意思表示

    もちろん無理な透析が原因になってるともいえるが先日のような突発的な意識障害や脳梗塞が発症する可能性はないわけではない。その際受けた心臓エコー検査では最近の数値より悪化しているようで順当な透析を行えるようなさらなる厳しい体重調整をするように言われている。心臓エコーの検査数値だけみるとかなりひどい。大動脈狭窄症をみる数値はAVA(CW)だそうだがAVA(CW)=0.53基準値3−5桁が違うのでシロウトでもいつ何時でも心臓機能停止になる可能性が高いことはわかる。現実的にはその時のことを前もって考える必要を考える。心肺停止になるとふつう本人が意識がなく家族が呼ばれる。そこで心肺停止に対処する方法が医師から問われる。それは家族は本人に代わる代弁者としての立場と家族の立場としてを聞かれる。ここはその時の病院の対応にもよる。...心肺停止の際の救急措置の本人の意思表示と家族の意思表示

  • せめてエコライザーを衝動的に購入するような気がする

    だんだん聞こえてない音域が気になってくる。はっきりしてくると言っていい。それはテレビをふつうに見ていても変な反響があったり聞きづらい音域があったり。そういえばあるときいつも風の音のような同じサーという雑音が耳につくと主治医に相談したらあまり「気にしないように」といわれたことを思い出した。それしか対応ができないのだろうか。あたかもあきらめろと言わんばかりに。なにか衝動的に思いついたのはではオーディオのエコライザーを買ってみようか?ある程度知識はあるものの詳しい仕組みやエコライザーの本当の機能はほぼ知らない。でも多少クラシックもせめて曲として聴けるかもと思うのだ。それができれば救われるのに。だれか詳しい人がいないか。。せめてエコライザーを衝動的に購入するような気がする

  • いや まだ覚悟できない。

    まだ若き高校の頃初めて聞いたレコード「悲愴」に涙した。その「悲愴」を恐る恐るヘッドホンで聴いてみた。そこにチャイコフスキーの「悲愴」はなかった。姿は「悲愴」かもしれないがまるでチャイコフスキーをまねようとした紛いもの。端々に入ってこなければならない音域の音がない。上にも下にものびがない。こんなにも変化に富んだ音の世界に包まれていたのだとつくづく感じさせてくれる。いやまだ覚悟できない。そんな歪んだ音の受け取りしかできないこの脳。いやまだ覚悟できない。

  • 聞こえていない旋律

    ゆうべ気になってる音の聞こえ方についてそれならとパソコンに何千曲も収録しているいつも聞くクラシックの数曲を聴いてみた。まだ数曲とはいえ明らかに聞こえていない旋律があり平坦なへたな作曲家の曲にしか聞こえない。聞こえていない旋律

  • 空間認識

    きのうは何回目の救急車だろう。最初に救急車で運ばれたのは15年前の透析導入に至った時だ。今回はそんな緊急性はなかったが前日の透析が最近は5時間の透析を6時間することになってかなりハードで5.3kgの除水だった。5kgの水をカラダから抜けば誰もが脱水症状がでるとは想像するしかも当番医の指示だった。敢えて言えば私本人は残して帰っても良いと言ったのだが。帰り道に寄ったスーパーのレジで意識が飛んだのだ。支払いが済んだのにたちすくんでいるので店員がショッピングカゴを運びましょうかといわれて我に返った。スーパーを出て電車に乗ってエスカレーターで降りるのに他の人のバッグに何度かぶつかったような記憶がある。その挙げ句に改札口でなにやら松葉杖の兄ちゃんに言われていた。「松葉杖を見りゃわかるだろう」と言われているのは記憶にあるが何...空間認識

  • 忘年山行 「これでクリアしましたね おめでとう」

    早々と忘年山行。主宰者が私の体調に合わせて低山を選択させてくれた。といっても体調に確信はない。幸い友人が誘ってくれた先の横沢入りが踏み台になって心臓より脚の脚力すなわち筋力が落ちてることを体感的に自覚できた。主治医の指示でいくつかの検査を受けてきたものの自分なりの見立てが当たってたのかもともとは脚の骨折事故による体重のかけ方でずいぶん長い間歪な重心の掛け方をしていたようでそれに気がついて違和感を感じ自分なりの「重心移動」を意識してきた。それをきっかけに骨折あとの状況を整形外科での検査診察を受けたが安定しているというお墨付きをもらいさらに「重心移動」を意識して歩いた。それをリハビリというならばそのリハビリが急すぎて整体師に「時間的に長い」と指摘された。といっても通院の一部の10分くらいはという思いはあったが。その...忘年山行「これでクリアしましたねおめでとう」

  • ふくろはぎや脚の筋肉が第2の心臓になる

    山のブログを更新しながら早12月の師走だが山歩きの2ヶ月のブランクを知る。もっとも倶楽部に告知メールを送りながら出かけようとして脚が動かないことで躊躇した経緯もある。それで幾つかの検査もしたが予想したほど決定的な原因はなかった。その後も日々体感を確かめながらいろいろ考えもした。脊柱管狭窄や血管や心臓の石灰化やそれなりに進んでいて心臓から全身に血液を送り出す「駆出力」も数値として減少して弱くなっている。つまり送り出す力も減少していれば送られた管も狭まって血液が流れるのを妨害しているという構図になる。その結果末梢の細胞は必然的に壊れていくしかない。現に爪は先から割れボロボロになっていく。爪は見えやすいが細胞は認識しにくいが指先が冷たく痺れることにもなっている。わかりにくいのは筋肉も同じで実は歩けないのは筋肉への酸素...ふくろはぎや脚の筋肉が第2の心臓になる

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