chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
お地蔵さん愛好家
フォロー
住所
板橋区
出身
未設定
ブログ村参加

2019/04/04

arrow_drop_down
  • 首地蔵(兵庫県宝塚市)

    宝塚市には、市外にもその名が知られるユニークな歴史スポットがいくつかあります。その中でも一際「珍スポット」として話題になったこともあるのが、小浜地区にひっそりと佇む「首地蔵」です。 ちなみに管理人は同じ兵庫県(神戸市)で同名のお地蔵さん(くび地蔵)と対面したことがあります。このお地蔵さんを見たときは本当に驚きました jizo-bosatsu.hatenablog.com 今回は、この不思議で魅力的な首地蔵の謎に迫るべく、実際に訪れたような気持ちでその魅力をお伝えしたいと思います。 宝塚の住宅街に突如現れる「首地蔵」への道のり 首地蔵は、宝塚市小浜の大堀川沿いにある墓地のすぐそばに祀られています…

  • 磨崖和霊石地蔵(広島県三原市)

    広島県三原市の佐木島に、潮の満ち引きによってその姿を変える珍しいお地蔵様が鎮座しています。広島県指定重要文化財である「磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)」です。今回は、この歴史ある磨崖仏について、近年行われた科学的な劣化評価研究の知見も交えながらご紹介します。 海辺に佇む歴史の証人 磨崖和霊石地蔵は、三原市佐木島の海岸、波打ち際に存在する花崗岩塊(コアストーン)に刻まれた磨崖仏です。銘文から、西暦1300年(鎌倉時代)に佛師念心によって製作されたことが確認されており、平茂遠が願主となったとも記されています。高さ約2.7m、幅約4.7mの花崗岩に、高さ約1mの地蔵坐像が薄肉彫りで表現されてい…

  • 丹波篠山の不思議な子授け地蔵~旅する石の物語

    兵庫県丹波篠山市川原地区。緑豊かな自然に囲まれたこの静かな場所に、地元の人々に大切にされてきた、ちょっと変わったお地蔵様がいらっしゃいます。 その名も「子授け地蔵」。子宝に恵まれたいと願う人々の間で、古くから特別な信仰を集めてきたお地蔵様です。このお地蔵様には、なんと自宅に持ち帰って祈願するという、全国的にも珍しい風習があるのです。 近年、この素朴なお地蔵様を巡る心温まるニュースが話題となりました。約3年もの間、人知れず村を離れていた子授け地蔵が、2024年5月にひょっこりと祠に戻ってきたのです。 tanba.jp しかし、その喜びも束の間、わずか1ヶ月後には再び旅立って行かれました。一体どこ…

  • 六地蔵尊(世尊院)

    JR阿佐ヶ谷駅の北口を出て、中杉通りを少し北へ歩くと、ひときわ目を引く立派な山門が見えてきます。ここが今回ご紹介する世尊院です。阿佐ヶ谷駅から徒歩わずか2~3分 という好立地にありながら、歴史の重みを感じさせる佇まいを見せています。 世尊院の基本情報 世尊院は、真言宗豊山派のお寺で、山号は阿谷山、寺号は正覚寺。本尊として不動明王立像を祀っています。 寺号標 道路で分断されたユニークな境内 世尊院を訪れると、まずその立派な山門に目を奪われます。 山門 多くの口コミにもあるように、残念ながらこの山門は普段は固く閉ざされていることが多いようです。事実管理人が訪れた日も閉門されていました。しかし、お正…

  • 韮崎市の温もりにつつまれて~子宝と健やかな成長を願う「子育て地蔵尊」

    山梨県韮崎市には、ひっそりと佇みながらも篤い信仰を集めるお地蔵様がいらっしゃいます。今回は、子宝祈願はもちろん、延命と厄除けのご利益もあると伝えられる延命子育て地蔵尊をご紹介します。 円野の里に湧き出る慈悲:荒倉山林道入口の子育地蔵尊 韮崎市円野町上円井の荒倉山林道入口には子育地蔵尊が安置されています。こちらのご本尊に祈願することで、子宝のご利益が得られると伝えられています。 古くから受け継がれる祈りの形:お地蔵様との往復 この地の子育地蔵尊には、独特の祈願方法があります。 まず、ご本尊にしっかりと祈願した後、安置されているお地蔵様の中から一体を選び、自宅へ持ち帰ります。 持ち帰ったお地蔵様に…

  • 一六子育て地蔵尊(横浜市伊勢佐木町)

    横浜の賑やかな商店街、伊勢佐木町。その7丁目にひっそりと佇む「一六子育て地蔵尊」は、地域の人々にとって心の拠り所であり、訪れる人に温かい安らぎを与えてくれる存在です。商店街を歩く人々が行き交う中に現れるその姿は、都会の喧騒の中に現れた一服の清涼剤のようです。 震災と戦火を乗り越えた歴史 一六子育て地蔵尊の歴史は、明治三十七年(1904年)に富山県出身の僧、奥田真眠師がこの地に横浜善光寺別院を創建したことに始まります。その後、境内に子宝に恵まれ、子供たちが丈夫に育つようにとの願いを込めて、現世利益の守り仏としてお地蔵様が安置されました。 しかし、その歴史は平坦なものではありませんでした。大正十二…

  • 越谷にひっそりと佇む不思議な地蔵尊 - スマッカラ地蔵を巡る物語

    道を歩いていると、ふと目に留まるお地蔵様。 人々の生活に寄り添い、様々な役割を担ってきたお地蔵様ですが、埼玉県越谷市には、その名も珍しい「スマッカラ地蔵」というお地蔵様がいらっしゃいます。 「スマッカラ」とは一体何を意味するのでしょうか?そして、このお地蔵様はどのような歴史を歩んできたのでしょうか?今回は、そんな謎に包まれたスマッカラ地蔵を巡る物語を紐解いていきましょう。 「スマッカラ」という響き 「スマッカラ」という不思議な名前。 これは、かつてこの地を流れていた元荒川の砂河原が訛った言葉だと伝えられています 。そのため、「スナッカラ地蔵」と呼ばれることもあるようです 。川と共に生きてきた人…

  • 帯解子安地蔵(帯解寺)

    古都奈良にひっそりと佇む帯解寺 日本最古の安産・求子(子授け)の祈願所として、千年以上もの間、人々の切なる願いを受け止めてきました。皇室からの篤い信仰を受け、現代に至るまでその御利益は脈々と語り継がれています。 歴史を彩る 深い繋がり - 天皇家、徳川家との深い絆 帯解寺の歴史は、およそ1200年前に遡ります。文徳天皇の妃である染殿皇后が長らく子宝に恵まれなかった際、この寺の地蔵菩薩に祈願し、後の清和天皇を無事にご出産されたことが創建の由来です。 御本尊 帯解子安地蔵菩薩 - 子供たちを優しく見守る霊像 youtu.be 帯解寺の本堂に安置されているのが、御本尊である帯解子安地蔵菩薩です。この…

  • 浦島地蔵と浦島太郎ゆかりのお寺

    横浜市神奈川区は浦島太郎伝説が伝わる地として、浦島地蔵をはじめ関連するお寺などを見ることができます。過去に公開していた記事ですが、今回実際にお寺を訪問し画像を追加し、記事もリニューアルしました 【目次】 浦島太郎ゆかりのお寺 蓮法寺 蓮法寺へのアクセス 慶運寺(浦島寺) 寺号標 山門 手水舎 本堂 観音堂 慶運寺で出会ったお地蔵さん 慶運寺へのアクセス 成仏寺 寺号標 本堂 涙石 成仏寺へのアクセス 浦島地蔵 浦島地蔵へのアクセス 浦島太郎ゆかりのお寺 蓮法寺 蓮法寺は日蓮宗のお寺で、山号は本照山。宝永7年(1710)足柄下郡荻窪村に創建。明治44年当地に移転されました。 境内では「浦島父子の…

  • 真養寺で見つけた不思議な石像 – 地蔵菩薩?それとも…?

    真養寺で見つけた不思議な石像 – 地蔵菩薩?それとも…? 寺社の入り口などで、穏やかな表情で佇む石像を見かけることがあります。多くの方が、その姿から「お地蔵さん」という愛称を思い浮かべるのではないでしょうか。特に、道行く人々を見守るように安置されている石像には、親しみやすさを感じますよね。 日蓮宗寺院では珍しいお地蔵さん しかし、日蓮宗のお寺においては、一般的に地蔵菩薩像を見かけることは比較的少ないと言われています。地蔵菩薩は主に、釈迦如来が入滅してから弥勒菩薩が出現するまでの間、この世に現れて人々を救済するとされる菩薩です。 jizo-bosatsu.hatenablog.com 一方、日蓮…

  • わらじを履いたお地蔵さん - 願いを叶える鈴虫寺の使者

    京都の嵐山に近い場所にひっそりと佇む鈴虫寺その名の通り、一年を通して鈴虫の美しい音色が響くことで知られています。しかし、このお寺の魅力は鈴虫の音色だけではありません。訪れる多くの人が心惹かれるのは、山門脇に立つ、わらじを履いた珍しいお地蔵さんなのです。 一つだけ願いを叶えに - 幸福地蔵菩薩 鈴虫寺の石段を上り、山門のすぐそばに立っておられるお地蔵さんの正式なお名前は「幸福地蔵菩薩(こうふくじぞうぼさつ)」とおっしゃいます。右手には錫杖(しゃくじょう)、左手には宝珠(ほうじゅ)をお持ちの穏やかなお姿です。しかし、何と言っても目を引くのは、その足元にしっかりと履かれたわらじでしょう。わらじを履い…

  • 静かに佇む祈り - 円通寺の吉展地蔵と歴史の息吹

    東京都荒川区南千住に所在する円通寺は、由緒ある曹洞宗の寺院です。その静かな境内には、悲しい出来事を記憶する吉展(よしのぶ)地蔵が、訪れる人々の心を深く捉えます。この地蔵尊は、痛ましい事件の記憶とともに、円通寺の豊かな歴史を伝える存在と言えるでしょう。 古刹・円通寺の歴史 - 坂上田村麻呂が開いたと伝わる寺 円通寺は、伝承によれば791年(延暦10年)に坂上田村麻呂によって開かれたとされています。山号を補陀山と称し、本尊は聖観音菩薩です。この聖観音菩薩は、聖徳太子の一刀三礼による御作とも伝えられています。 境内には、八幡太郎義家が奥羽征伐の際に討ち取った賊の首を埋めたとされる四十八首塚があり、こ…

  • 芳重地蔵

    宮澤芳重と芳重地蔵 宮澤芳重(1898年~1970年)は、長野県下伊那郡生田村(現在の松川町生田)出身で、向学心に燃えながらも家庭の事情で進学を断念した人物です。20歳で上京し、時事新報社に勤務しながら正則英語学校の夜間部に通い、その後も職を転々としながらドイツ語専修学校、東京理科大学予科を卒業しました。 飯田大学設立への情熱 宮澤芳重は、「飯田大学」の創設を夢見て、郷里である下伊那に公立でも私立でもない「郷立」の大学を設立しようとしました。故郷の若者が働きながら通える大学を目指し、文学部、農学部、理学部、工学部、医学部を擁する総合大学を八幡原の台地に建設するという壮大な構想を持っていました。…

  • 波せき地蔵堂

    波せき地蔵堂は、京都府宮津市の籠(この)神社(海部穀成宮司)の奥宮・真名井神社境内に安置されています。大宝年間(約一三〇〇年程以前)大地震の大津波が押し寄せたのをここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て病気よけのご利益があるとも言われています。飛鳥時代から続く長い歴史の中で、地域住民の信仰の対象として大切にされてきました。 歴史と由来 波せき地蔵堂の創建時期や詳細な由来は、残念ながら明確な記録が残っていません。しかし、約1300年前に発生した大津波をせき止めたという伝説を残すことから、古くからこの地域に根ざした信仰の対象であったと考えられています。 信仰の対象として 波せき…

  • 富士見市の勝軍地蔵:甲冑をまとい火伏せを祈願する騎馬地蔵

    富士見市水子には、甲冑を身につけ、馬に騎乗した珍しい地蔵菩薩像があります。この地蔵は勝軍地蔵と呼ばれ、文化3年(1806年)に建立されました。市内では唯一の勝軍地蔵です。 勝軍地蔵とは 勝軍地蔵を念ずれば戦に勝利するとされ、武家の信仰を集めました。また過去世に犯した罪の報いをまぬがれたり、飢饉を防ぐともいわれています。 jizo-bosatsu.hatenablog.com 水子の勝軍地蔵の特徴 水子の勝軍地蔵は、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿で表現されています。通常、勝軍地蔵は武器を持っていることが多いようですが、水子の地蔵は錫杖を持っている点が特徴的です。像の彫りは細かく、馬の蹄に至るまで…

  • 並木地蔵尊(埼玉県富士見市)

    富士見市東みずほ台にある並木交差点にひっそりと佇むお地蔵さん並木地蔵尊と名付けられた地蔵尊は悪疫退散や旅の安全を祈願して建立されたとのことです 並木地蔵尊の詳細情報 名称:並木地蔵尊富士見市のウェブサイトによるといぼ取り地蔵の側面も?水子3地蔵の一つとのこと、水子地蔵の水子ではなく地名の水子だと思われます 建立年:享保8年(1723年) 特徴 丸彫り型の延命地蔵 台座を含めた全体の高さは2メートルを超える(本体の高さは133㎝) 像の損傷が少ない 台座の銘 台座正面に造立年月日(享保八癸卯天十一月十四日) 台座の四面や蓮台の下の反花に施主の名前が刻まれている 再調に関する記述:寛政3年(179…

  • AIに変わったお地蔵さんについて聞いてみた

    日々進化しているChatGPTに代表される生成AI以前質問した時の回答は微妙なものでした jizo-bosatsu.hatenablog.com あれから2年 今回はまともな回答を返してくれるのでしょうか?比較的精度が高いとされている「Gemini」「ChatGPT」「Claude」に同じ質問(都内やその近郊で変わった(風変わりな)お地蔵さんを紹介してください)と質問してみましたちなみに全て無料版を使用しています Geminiの場合 Geminiとは、Googleが開発した生成AIですスプレッドシートやマップなど、様々なGoogleプロダクトと連携できるという強みがあります 回答がこちら 都内…

  • 六波羅蜜寺の二体の地蔵菩薩像

    六波羅蜜寺には、2体の素晴らしい地蔵菩薩像が安置されています。一体は平安時代につくられた地蔵菩薩立像もう一体は鎌倉時代につくられた地蔵菩薩坐像です。 今回は、それぞれの時代を代表する仏師の作風を反映した、この二体の魅力について迫りたいと思います。 平安時代の優美さ:地蔵菩薩立像 画像引用:六波羅蜜寺公式サイト 優雅で穏やかな表情 六波羅地蔵堂の本尊であった地蔵菩薩立像は、平安時代を代表する仏師・定朝の作と伝えられています。伏し目がちで、どこかあどけなさも残る穏やかな表情が特徴です。顔は体に対して小ぶりに作られており、その穏やかさをより一層際立たせています。 洗練された装飾 この像は、切金や彩色…

  • 豊明市のお化け地蔵:伝説と史跡を巡る

    豊明市には、「お化け地蔵」という少し怖い名前を持つ地蔵尊があります。このお地蔵様は、ただの古いお地蔵様ではなく、今川義元の亡霊が出没したという伝説と深く結びついている、興味深い史跡です。 お化け地蔵の由来 お化け地蔵は、嘉永6年(1853年)に尾張藩士によって建立されました。この地蔵が建てられた背景には、当時この地域で今川義元の亡霊が出没するという噂が頻繁にあったことがあります。このお地蔵様を建立したところ、亡霊は現れなくなったため、「お化け地蔵」と呼ばれるようになったそうです。 画像引用(豊明市教育委員会所蔵):豊明市ウェブサイト お化け地蔵のある場所 お化け地蔵は、高徳院の敷地内にあります…

  • 歴史上の地蔵信仰者 平清盛編

    平清盛像 久々の歴史上の地蔵信仰者シリーズ足利尊氏に次ぐ第二弾です jizo-bosatsu.hatenablog.com 平清盛とお地蔵さんの意外な関係 平清盛といえば、武家として初めて太政大臣に就任し、絶大な権力を誇った人物として知られています。武士でありながら、仏教に深く帰依していたという側面も持ち合わせていました。 今回焦点を当てるのは、平清盛と意外な繋がりを持つ「お地蔵さん」についてです。 平清盛が建立に関わった「六地蔵巡り」 大善寺の地蔵菩薩立像(京六地蔵) 京都の夏の風物詩として有名な「六地蔵巡り」は、実は平清盛が深く関わっていると言われています。 平安時代末期、都で疫病が流行し…

  • 深坂峠と堀止地蔵~歴史と伝説が交差する道

    深坂峠は、滋賀県長浜市西浅井町にある峠です。古くから塩津街道の一部として、北陸と畿内を結ぶ重要な交通路でした。万葉集の歌人・笠金村や紫式部もこの峠を越えたと伝えられています。 深坂峠には、堀止地蔵と呼ばれる地蔵尊が祀られています。 この地蔵尊には、平清盛と重盛父子にまつわる伝説が残されています。 平清盛と言えば京都六地蔵のきっかけをつくったことを思い出します。お地蔵さんとゆかりの深い人物なのですね。 運河計画と地蔵尊の出現 平安時代末期、平清盛は琵琶湖と日本海を結ぶ運河の開削を計画し、息子の重盛に工事を命じました。 しかし、深坂峠に差し掛かると、どうしても動かすことのできない大きな岩が出現しま…

  • 水の神様? 普段は水中にいる「雨乞い地蔵」

    日本には、古くから様々な神様仏様が信仰されていますが、その中でも少し変わった存在として知られるのが「雨乞い地蔵」です。 雨乞い地蔵とは? 雨乞い地蔵は、文字通り雨乞いの際に祈願されるお地蔵様のこと。一般的には、日照りが続く際に、地蔵尊にお水をかけたり、水の中に移したりして雨を願う風習があります。 浄恩寺の雨乞い地蔵 山梨県甲府市にある浄恩寺には、一風変わった雨乞い地蔵が祀られています。このお地蔵様は、普段は用水路の中に安置されており、年に一度、10月5日の雨乞いのお祭りの時だけ、川から上げられて供養されるのです。まるで、普段は水の中で眠り、雨乞いの時だけ目覚める水の神様のようですね。 テレビで…

  • お静地蔵尊(成就院)

    2025年明けましておめでとうございます。本年もお地蔵さんブログをよろしくお願いします(ありがたいことにブログも9年目を迎えました) 昨年は未訪問の記事が多かったので、反省の意味も込めて今年の初記事は、実際に訪れたお寺から たこ薬師で知られる目黒の成就院では、お静地蔵尊という名前のお地蔵さんと出会うことができました。徳川二代将軍秀忠公の側室の名前を冠したお静地蔵尊は、どのような経緯で誕生したのでしょうか?お寺の基本情報とともに紹介していきたいと思います。 成就院の基本情報 成就院(じょうじゅいん)は天台宗のお寺で、山号は不老山。858年(天安2年)、慈覚大師円仁によって開山。本尊の薬師如来(た…

  • 2024年管理人を驚かせたお地蔵さん3選

    早いもので今年最後の記事になります。 例年通り今年管理人を今年出会った管理人を驚かせたお地蔵さんを振り返る企画しかし!ほとんど寺院めぐりができなかったといった事情から、未訪のお地蔵さんばかりのランキングになってしまいました。 今年も規模を縮小して3選とさせていただきました。 バックナンバーはこちらから jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bos…

  • 熊野古道で見守る優しさ:道休禅門地蔵

    熊野古道の中辺路ルートを歩いていると、水呑王子と伏拝王子の間にひっそりと佇む道休禅門地蔵に出会います。赤い前掛けをかけられ、冬には地元の人々が手作りの藁帽子をかぶせている姿は、写真愛好家にとっても人気の被写体です。 道休禅門地蔵の由来 「道休」は道で休むこと、「禅門」は修行僧を意味します。このお地蔵さんは、かつて熊野詣でに向かう人々が、あと少しのところで力尽きてしまったという悲しい出来事を偲び、その慰霊のために建立されたと言われています。多くの参詣者が道中の安全を祈り、手を合わせてきました。 地域の人々の温かさ 道休禅門地蔵は、地元の人々によって大切に守られています。特に冬になると、榎本萬千代…

  • 興昭院のお地蔵さん

    虎ノ門にある興昭院ではお地蔵さんのほかに「こんにゃく閻魔」という珍しい閻魔様と出会うことができました。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 興昭院の基本情報 興昭院は浄土宗のお寺で、山号は智相山、寺号は随養寺。天文2年(1533)紅葉山に創建。慶長16年(1611)現在の地に移転。昭和3年(1928)智相院と随教院と合併して、智相山随教寺興昭院となる。本尊は阿弥陀如来像。 寺号標 本堂 閻魔堂 江戸時代に眼病の方がそっと隠れて願掛けをし、治るとお礼にこんにゃくを副えて、お詣りをする習わしがあったことから「こんにゃく閻魔」と呼ばれています。形が崩れているのは、関東大震災の影響です。港区の指…

  • 道の真ん中に立っているお地蔵さん(古山地蔵尊)

    栃木県真岡市を車で走っていると、住宅や田畑が点在する地域で、何と!道路の真ん中に立っているお地蔵様が! 知らない人はよそ見をしていたら、車で衝突してしまいそうです。一体なぜ、こんな場所に?と不思議に思う方もいるかもしれません。 かつての寺院の参道 このお地蔵様は、古山地蔵尊と呼ばれ、約500年前には薬王院というお寺の境内または参道だった場所に立っています。 当時はお寺の敷地内だったため、道の真ん中ということはありませんでした。 しかし、時代が流れ、薬王院は廃寺となり、その跡地に道路が作られることになり、現在のように道路の真ん中に地蔵堂が位置するようになったのです。 災いを招いた移設 道路建設の…

  • おしろい地蔵(玉造温泉)

    玉造温泉の美肌伝説!おしろい地蔵とは? 玉造温泉は美肌の湯として有名ですが、その温泉街の最端にある清巌寺には、さらに美肌になれると評判の「おしろい地蔵さま」がいらっしゃいます。 今回は、このおしろい地蔵さまについて、その由来やご利益、そしてユニークな参拝方法について詳しくご紹介します。 顔のアザが消えた!?おしろい地蔵さまの伝説 おしろい地蔵さまの伝説は、少なくとも150年以上前にさかのぼります。 昔、顔にアザがあったお坊さんが、お地蔵様におしろいを塗って祈願したところ、アザがきれいに消えてしまったというお話です。 感謝したお坊さんは、そのお地蔵さまを清巌寺に安置し、その後「おしろい地蔵さまに…

  • 北浦和で出会ったお地蔵さん

    北浦和から与野方面に線路沿いを歩いていたら、お地蔵さんを見つけました。近くの京浜東北線の事故で亡くなった方を供養する為に建てられたとのこと。 花が供えられ、傘で雨宿りしていました。近隣住民に愛されているお地蔵さんだと感じました。 お地蔵さんへのアクセス 埼玉県さいたま市浦和区北浦和5-16-22 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • ふじみ野市で出会ったお地蔵さん

    散歩の途中で出会ったお地蔵さんです。住宅地の中で住民を見守るように立っておられました。台座には「大龍院 薬王寺」と彫られており、元々は薬王寺のお地蔵さんだった可能性がありそうです。 地蔵尊へのアクセス この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • 薬王寺のお地蔵さん

    埼玉県ふじみ野市にある薬王寺では、何体かのお地蔵さんと出会うことができました。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 薬王寺の基本情報 薬王寺は曹洞宗のお寺で、山号は大龍山。創建年代は不明。本尊は薬師如来像(市指定文化財) 本堂 薬王寺で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 水子供養子育て地蔵尊 薬王寺へのアクセス この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • 十二支地蔵(蓮光寺)

    川越市の蓮光寺で十二支地蔵と呼ばれる12体並んだお地蔵さんと出会うことができました。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 蓮光寺の基本情報 蓮光寺は曹洞宗のお寺で、山号は鷲嶽山。下野国足利郡山川村の長林寺の末寺。正確な創建の年代は不詳ながら、室町時代中期頃と推定されます。天正19年(159)に、徳川家康から七石の朱印状を下付されたと言われています。本尊は薬師如来。 寺号標 本堂 鐘楼門 門左右には二天王尊が安置されています。 鐘楼 その他写真を撮り忘れましたが、総門は川越市内でも、現存する最も古い建築物として川越市指定建造物となっています。※総門は平成9年(1997)の河川改修により境内…

  • 新天地地蔵尊(広島市中区)

    原爆投下の悲惨さを後世に語り継ぎ、被害者を供養する目的で建立されたお地蔵さんを、これまで何体か紹介してきました。 jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com 広島の名所「お好み村」の1階広場にたたずむ「新天地地蔵尊」もまた原爆の犠牲になった子供たちを供養する目的で建立されました。管理人未訪のお地蔵さんですが、紹介してみたいと思います。 お地蔵様建立の背景 新天地地蔵尊は、1992年、お好み村があるビルの建て替えと同時に建立されました。 ビルオーナーであった住田一也さんは、原爆で幼くして亡くなった子供たちの供養にと、このお地蔵様…

  • 大願寺のお地蔵さん

    ららぽーと富士見に向かう途中に小さなお寺を見つけました。道に面したお地蔵さんに惹かれるように境内に入り、お参りをさせてもらいました。 大願寺の基本情報 大願寺は曹洞宗のお寺で、1988年(昭和63年)に開山。元々は東京都文京区にある江岸寺の別院として創建されたが、1993年(平成5年)に大願寺として独立しました。バリアフリー設計のお参りしやすい境内が特徴的です。 本堂 稲荷社 東京都北区の王子稲荷神社から勧請 その他、写真には撮りませんでしたが、広島の厳島神社から勧請した弁天堂もあるとのことです。 大願寺で出会ったお地蔵さん きれいに手入れされていました。 www.daiganji.com 大…

  • 新河岸川近くのお地蔵さん

    埼玉県ふじみ野市と川越市の市境に流れる新河岸川近くで見つけたお地蔵さんです。 造立された年代、理由などは不明。川の近くにあることから、もしかしたら水難の被害にあった方を供養するためかもしれません。そっと手を合わせその場を去りました。 新河岸川近くのお地蔵さんへのアクセス この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • 一石一二地蔵尊(駒込)

    豊島区駒込の「染井墓地」入口手前に舟型光背型の一石一二地蔵尊を見つけました。1.7メートルほどの大きな石碑に六地蔵尊が縦に2対彫られているのは大変珍しく、管理人も初めて目にしました。 一石一二地蔵尊とは 享保15(1730)年の大火の犠牲者を供養するため江戸中期のころに造立されたという説もありますが詳細は不明。昭和56年9月に改修されています。 正面から見ると、石碑には桜が彫られているように見えます。染井の桜は江戸時代から名所だったとのこと。 一石一二地蔵尊へのアクセス 東京都豊島区駒込7-3-2 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • あんこ地蔵(福島県新地町)

    福島県新地町には、あんこ地蔵という珍しい名前のお地蔵さんがいらっしゃいます。 毎年8月のお盆の後の日曜日に「あんこ地蔵供養祭」が行われる、珍しい風習があります。このお祭りでは、地元の人々に親しまれている「あんこ地蔵」の口元に、あんこを塗って供養します。 福島県新地町には、あんこ地蔵という珍しい名前のお地蔵さんがいらっしゃいます。毎年8月のお盆の後の日曜日に「あんこ地蔵供養祭」が行われる、珍しい風習があります。このお祭りでは、地元の人々に親しまれている「あんこ地蔵」の口元に、あんこを塗って供養します。 あんこ地蔵が建立された経緯 元禄年間、家山(かざん)という和尚が諸国を巡り、小川を永住の地と決…

  • 舟に乗ったお地蔵さん(率川地蔵尊)

    画像引用:写真AC 奈良公園の猿沢池からならまち方面へ続く小さな川、率川。その橋の上から川を覗くと、珍しい光景を目にします。 コンクリートの舟に乗った、40体ほどの石仏群「率川地蔵尊」です。 江戸時代に河川工事の際に出土した石仏を集めたものとされ、 別名「尾花谷地蔵尊」や「舟地蔵」とも呼ばれています。 管理人未訪のお地蔵さんですが、紹介していきたいと思います。 【目次】 なぜ舟に? その由来と歴史 地域の人々に大切に守られるお地蔵様 水辺と石仏の織りなす風景 率川地蔵尊へのアクセス なぜ舟に? その由来と歴史 率川地蔵尊の始まりは、幕末の河川工事中に遡ります。工事の際に多数のお地蔵様が出土し、…

  • 地蔵院(埼玉県ふじみ野市)

    埼玉県ふじみ野市にある地蔵院は、本尊がお地蔵さん(延命地蔵菩薩)の寺院です。ふじみ野市天然記念物に指定されているしだれ桜が著名なこのお寺では、どんなお地蔵さんと出会うことができるのでしょうか? 【目次】 地蔵院の基本情報 山門 本堂 水琴窟 無憂樹 しだれ桜 薬師堂 鐘楼 地蔵院で出会ったお地蔵さん 六地蔵 水子子育地蔵尊 その他の石像など 地蔵院へのアクセス 地蔵院の基本情報 地蔵院は真言宗智山派のお寺で、山号は佉羅陀山(きゃらださん)、寺号は薬王寺。本尊は延命地蔵菩薩。 正和三年(1314年)、覺應(かくおう)という僧によって開山。鎌倉幕府の高官であった二階堂氏が反幕府勢力を監視するため、…

  • ケダニ地蔵(秋田県横手市)

    画像引用:横手市役所「施設案内 ケダニ地蔵(大雄)」 秋田県横手市には「ケダニ地蔵」という珍しい名前のお地蔵さんがいらっしゃいます。その名前の由来は、何なのでしょうか?横手市役所のウェブサイトにその解説が記されていました。 ケダニ地蔵とは 雄物川中流一帯には、つつが虫病(俗にケダニ)と呼ばれる風土病があり、住民や通行人に大変恐れられてきました。旧大雄村でも春から夏にかけて、毎年数人がこの病気にかかり、医療技術の遅れていた昭和の初め頃までは多くの死亡者が出たということです。この地蔵様は、つつが虫病で死亡した人達を弔い、つつが虫病がなくなることを祈願して、明治37年、雄物川川船の船頭をしていた手賀…

  • 六道地蔵尊(ふじみ野市)

    六道の辻の地蔵尊 上福岡駅西口を歩いていると「六道の辻の地蔵尊」という道標があり、示す方向に歩いていくと、地蔵祠に安置されている4体のお地蔵さんを見つけることができました。向かって右から厄除け地蔵、招福地蔵、願い地蔵、水子地蔵(水子地蔵だけ祠の外に安置されていました)以下案内板より解説を引用します。 厄除け地蔵 寿命長遠、聰明智慧、災難、事故などに守られ長命ができる。子安成長と聡明な知恵が得られ幸せな日々が到来六道の辻にたって冥界の苦しみを救う身代わり地蔵といわれています。 招福地蔵 衆人愛嬌、神明加護、多くの人から慕われ、天地の神の力に守られて福を招く地蔵として親しまれています。 願い地蔵 …

  • 撤去されていくお地蔵さん

    寺院の境内に安置されているものとは異なり、路傍のお地蔵さんはやむを得ない事情から、撤去されてしまうことがあります。近隣の住民や商店街の人たちによって管理されているものも多い一方で、過疎化で管理する人がいなくなってしまったり、区画整理などの理由でなくなってしまうケースがあります。 管理人が過去に訪れたお地蔵さんの中にも現在は存在しないものがいくつかあります。(なくなったことが判明次第、記事は修正しています) 名古屋市熱田区のお地蔵さんも、現在(2024年8月)老朽化などの理由で撤去が検討されています。 名古屋市熱田区にある「熱田空襲」の犠牲者を慰霊するために建てられた地蔵が、老朽化と安全性の問題…

  • 河童封じ地蔵尊(北九州市 高塔山)

    福岡県北九州市にある標高124mの高塔山。その山頂には夜景を楽しめる展望台があります。そして脇には河童封じ地蔵尊が安置されている地蔵堂が 一体どうしてこのような名前が付けられているのでしょうか?管理人未訪の場所になりますが、解説していこうと思います。 河童封じ地蔵尊とは 変わった名前のお地蔵さん。その由来を掲示板から引用して紹介します。 昔、この高塔山の上空で、島郷と修多羅のカッパ群が、縄ばり争いのため、夜、手に手に葦の葉を太刀のようにひらめかして飛びたち、空中戦をした。朝になると、戦死したカッパは、青いドロドロの液体になって田や畠に流れ込み、稲や野菜を腐らせてしまった。 これを、聞いて現れた…

  • 子授麻羅地蔵(静岡県菊川市 西福寺)

    子宝・安産で有名な静岡県菊川市にある西福寺には、子授麻羅地蔵と呼ばれるお地蔵さんがいらっしゃいます。 いかにもw子授にご利益がありそうな見た目をしていますが、良縁や夫婦円満にもご利益があるとのこと。お寺の基本情報とともに紹介していきましょう。 西福寺とは 西福寺は曹洞宗のお寺で、本尊は子安観世音菩薩。本尊は33年に一度しか開帳されない秘仏で、通常は御前立である菊川観音にお参りする形となります。 子授麻羅地蔵とは 「子授麻羅地蔵」は、その昔縄文時代の遺物として出土したと伝えられています。当時は珍しいものがあるという噂で人々が見学に訪れ、そのうちに子供に恵まれないご婦人が触ると子宝に恵まれる不思議…

  • 慶珍地蔵尊

    慶珍地蔵尊 埼玉県ふじみ野市富士見台に、周囲を交差点で囲まれた富士見台第一公園があります。ほぼ正三角形のその公園の一角に慶珍地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんが立っていました。 慶珍地蔵尊とは 慶珍地蔵尊は、いったいどのような由来で建てられたお地蔵さんなのでしょうか?こちらについては近くに建てられていた「慶珍地蔵尊由来記」という掲示板の画像を参照してください 今から三百年以上前、徳川吉宗の時代に建てられたという歴史の古いお地蔵さんです。当時は洪水や大火などの天災に加えて、米価暴騰による餓死者も多く出た時期で、こうした混乱期の中、念佛講が盛んに行われ、その寄付によって建立されたお地蔵さんとのことです。 …

  • 延寿堂地蔵尊手前の地蔵

    今回は短めの記事です。 かつて鎌倉七口の一つ亀ヶ谷坂には、建長寺の僧の保養所(延寿堂)がありました。現在は墓地となっているその場所には、延寿堂地蔵尊が安置されています。 残念ながら通常立ち入りは禁止されていますが、その手前の入り口付近にお地蔵さんを見つけました。 延寿堂地蔵尊 由緒書 福山延寿堂の旧跡は、平安時代から死者を火葬にした場所で、里人たちも従ってここに埋葬するようになった。 さて、依有信士、俗名仙次郎は、捶石像(たせきぞう)のお地蔵さまにおすがりして、まだ成仏できずにいる亡者たちを苦しみの世界から救っていただき、その霊を安らかにしたいと考えた。 仙次郎は農業の暇をみて何度も村を訪れ男…

  • 岩船地蔵堂

    岩船地蔵堂とは 岩船地蔵堂の解説を掲示板から引用して紹介しましょう。 亀ケ谷に建つこの堂は、古くから頼朝の娘大姫を 供養する地蔵堂と言い伝えられてきました。木造地蔵尊の胎内の銘札にも「大日本国相陽鎌倉扇谷村岩船之地蔵菩薩者當時大将軍右大臣頼朝公御鬼女之守本尊也」との記述があり、続けて元禄三年に堂を再建し、あらたに本像を造立した旨が記されています。『北条九代記』にも、許婚との仲を裂かれた姫が傷心のうちに亡くなったこと、哀れな死を悼む北条、三浦 梶原など多くの人々が、この谷に野辺送りしたことが 記されています。このたび堂を再建し、本仏石造地蔵尊堂奥に、今なお、ほのかに虹をさす木造地蔵尊を前立像とし…

  • 網引地蔵尊&矢拾地蔵尊(浄光明寺)

    鎌倉二十四地蔵霊場 第十六番、第十七番のお地蔵さんが安置されている浄光明寺に足を運びました。お寺の基本情報とともに紹介していきたいと思います。 【目次】 浄光明寺の基本情報 寺号標 山門 客殿 不動堂 鐘楼 楊貴妃観音 浄光明寺のお地蔵さん 網引地蔵 矢拾地蔵 浄光明寺へのアクセス 浄光明寺の基本情報 浄光明寺は真言宗泉涌寺派のお寺で山号は泉谷山。本尊は阿弥陀三尊。1251(建長3)年、真阿を開山、第6代執権北条長時を開基として創建されました。鎌倉三十三観音霊場 第25番でもあります。 寺号標 山門 市指定文化財 客殿 中には愛染明王などが祀られています(非公開) 不動堂 延享二年 (1745…

  • 子育経読地蔵大菩薩(宝戒寺)

    鎌倉二十四地蔵巡りの為、週末に鎌倉へ行ってきました。最初に訪れたのは、子育経読地蔵大菩薩が安置されている宝戒寺。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 宝戒寺の基本情報 宝戒寺は天台宗のお寺で、山号は金龍山、院号は釈満院。1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐(ごだいご)天皇の命をうけた足利尊氏公によって建立。本尊は子育経読地蔵大菩薩。鎌倉三十三観音第二番、鎌倉・江ノ島七福神の毘沙門天がいることのほか、秋のお彼岸になると境内中が白萩に埋め尽くされ、萩寺という名でも親しまれています。 寺号標 参道 梵鐘 聖徳太子堂 聖徳太子様がお祀りされています。毎年1月22日に聖德太子講が厳修(…

  • 赤地蔵(愛知県西尾市)

    赤地蔵と冠するお地蔵さんには、これまで二度目にしたことがあります。一度目はアジサイの名所として著名な鎌倉の明月院(本堂裏庭園)二度目は長野市の善光寺の近くにある裁松院。 前者(明月院)が身に纏っている帽子や涎掛けが赤色であることと対照的に後者(裁松院)は全身が赤く、とても印象に残っています。今回紹介する愛知県西尾市の赤地蔵も全身が真っ赤に染まったお地蔵さんです。 管理人未訪のお地蔵さんですが、紹介していこうと思います。 赤地蔵とは 西尾市巨海町(こみちょう)には、真っ赤に染まった三体の地蔵尊が安置されています。 (画像を紹介できないのが残念ですが)向かって一番右の延命赤地蔵尊は、延享元年(17…

  • 長命地蔵尊(東北沢)

    下北沢から東北沢に向かって茶沢通りを歩いているときに見つけたお地蔵さんです。地蔵祠に大中小様々な大きさのお地蔵さんが安置されていました。 長命地蔵尊と名付けられているようですが、その名前の由来など詳しいことは調べても分かりませんでした。 長命地蔵尊へのアクセス 東京都世田谷区北沢3-5-14 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • どこも苦地蔵尊(瑞泉寺)

    引き続き鎌倉二十四地蔵巡りの続きです。今回はどこも苦地蔵尊というお地蔵さんが安置されている瑞泉寺を紹介しましょう。 瑞泉寺の基本情報 瑞泉寺は臨済宗円覚寺派のお寺で、山号は錦屏山(きんぺいざん)嘉暦2年(1327年)に夢窓国師(夢窓疎石)によって創建されました。本尊は釈迦如来。瑞泉寺境内を含む周辺地域は国の史跡瑞泉寺境内、また古都保存法による歴史的風土特別保存地区に指定されています。​また境内に安置されている千手観世音菩薩は、鎌倉三十三観音第6番になっています。 寺号標 山門 本堂 錦屏晩鐘 庭園 夢窓疎石が岩盤を削って築いたといわれる岩の庭園は、禅の思想と庭が融合したもので、国の名勝に指定さ…

  • 黒地蔵尊(覚園寺)

    鎌倉の覚園寺には黒地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんが安置されています。赤地蔵尊など色を冠したお地蔵さんは存在しますが、黒地蔵尊と名乗るお地蔵さんは初めてです。その由来をお寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 覚園寺の基本情報 覚園寺は1218(建保6)年、第2代執権北条義時が​十二神将の戌神将のお告げを受けて建立した大倉薬師堂を前身とするお寺です。1296(永仁4)年、第9代執権北条貞時が元寇を退けることを祈って寺に改め、​心慧上人を開山として覚園寺を創建。現在は真言宗ですが、当初は真言・天台・禅・浄土の四宗兼学の寺でした。本尊は薬師如来坐像。 山門 愛染堂 廃寺となった大楽寺の本堂を移築したも…

  • 岩上地蔵尊(来迎寺)

    鎌倉二十四ヵ所地蔵めぐり今回は来迎寺に安置されている、第二番の岩上地蔵尊に会いに行きました。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 来迎寺の基本情報 岩上地蔵尊 来迎寺へのアクセス 来迎寺の基本情報 来迎寺は時宗のお寺で、山号は満光山。1293年(永仁元年)一向上人によって創建。本尊は阿弥陀如来。 客仏の岩上地蔵菩薩、如意輪観世音菩薩、跋陀婆羅尊者の三体は、源頼朝公の持仏堂の後身。法華堂(現在の源頼朝公の墓所付近)あったが、明治の神仏分離により法華堂が神社となったため、当寺に移されました。 拝観は予約制となっています。拝観日については、公式サイトのお知らせを確認しましょう。 岩上…

  • 鎌倉国宝館に展示されていたお地蔵さん

    鎌倉国宝館で開催されていた展示会「鎌倉の仏像」を拝観してきました。鎌倉国宝館とは不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、あわせて鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観、見学できるよう一堂に展示する目的で、昭和3年4月3日に開館した歴史・美術の博物館です。 出品されていた仏像の中には、重要文化財の地蔵菩薩像も含まれていました。残念ながら撮影は許可されていなかったので、画像を掲載できないのが残念ですが、見学してきたお地蔵さんを紹介したいと思います。 木造地蔵菩薩坐像(伝宗庵) 円覚寺塔頭「伝宗庵」の本尊である木造地蔵菩薩坐像(重要文化財) 鎌倉地方独特の装飾方法「土紋(粘土や白土に膠(にかわ…

  • 鎌倉二十四ヶ所地蔵尊巡り

    鎌倉二十四ヶ所地蔵尊巡りとはウィキペディアページによれば、江戸時代宝暦年間(1751年 – 1764年)に成立した「鎌倉廿四ヶ所地蔵尊霊場」が源流となっており、一度は廃仏毀釈運動で廃れたが、1901年(明治34年)宝戒寺の住持であった静川慈潤によって復興されたものとのこと。 今後はこの表を埋めるべく、しばらくは鎌倉二十四ヶ所地蔵尊巡りに力を入れてみようと思います。 table { border-collapse: collapse; width: 100%; } th, td { border: 1px solid black; padding: 8px; text-align: left; …

  • あの有名なお寺にお地蔵さんはいるのか?(中尊寺金色堂編)

    今年建立900年で注目を集める岩手県・平泉の中尊寺金色堂。管理人未訪のお寺ですが、東京国立博物館で開催されていた特別展に行ってきました。 そこで久々のあの有名なお寺にお地蔵さんはいるのか?シリーズ中尊寺金色堂にお地蔵さんはいるのか?という記事を書いてみました。 中尊寺金色堂とは 中尊寺金色堂は、岩手県平泉町にある平安時代後期の仏堂です。奥州藤原氏初代藤原清衡が建立し、1124年に上棟されました。平等院鳳凰堂とともに、平安時代の浄土教建築の代表例として国宝に指定されています。 中尊寺金色堂にお地蔵さんはいるのか? 中尊寺金色堂にお地蔵さんはいます。 まさに金色堂の須弥壇の上にご本尊である阿弥陀如…

  • 鼻の地蔵さん(地蔵鼻)

    広島県尾道市因島の南部にある小さな岬に通称「鼻の地蔵さん」と呼ばれるお地蔵さんがいらっしゃいます。潮が引くときに現れ、子授け・安産・恋愛成就など女性の願いにご利益のあるお地蔵さんです。管理人未訪ではありますが、紹介していきたいと思います。 ※記事内の画像は、無料写真素材「おのみちや」と「尾道まちかど広報室」様から引用させていただきました。画像使用許可を頂きました管理人様には大変感謝申し上げます。 【目次】 鼻の地蔵さんとは ご利益 鼻の地蔵さんへのアクセス 鼻の地蔵さんとは 慶長4年、因島村上水軍の金山亦兵衛泰時は、捕らえた娘の美しさに惹かれ側女にしようとしましたが、応じなかったため殺害しまし…

  • 開山堂(両大師)のお地蔵さん

    東京国立博物館に行く途中、隣に未訪のお寺(開山堂・両大師)を見つけました。寛永寺は訪問済ですが、その開山堂にはまだ行ったことがありませんでした。基本情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 開山堂(両大師)の基本情報 山門 手水舎 本堂 阿弥陀堂 開山堂(両大師)のお地蔵さん 地蔵堂のお地蔵さん 阿弥陀堂のお地蔵さん 開山堂(両大師)へのアクセス 開山堂(両大師)の基本情報 開山堂(両大師)は天台宗のお寺で、山号は東叡山、寺号は輪王寺。明治二年寺号は廃止されたが、明治十六年に復活するとともに門跡の公称が許可されました。門跡とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院を指します。 ちなみにその名前…

  • 快慶作のお地蔵さん(藤田博物館)

    画像引用:藤田美術館「快慶作の地蔵菩薩」 快慶は鎌倉時代初頭に活動した仏師です。同じ流派(慶派)の巨匠として運慶がおり、共作である東大寺南大門の金剛力士像の印象が強いが、その作風には違いがあります。運慶は力強く荒々しい表現が特徴である一方、快慶は繊細で優美な表現が特徴的です。作風的には快慶の方がお地蔵さんとの相性が良い気がしますが、その手によって生まれたお地蔵さんはあまり多くないみたいです。 【目次】 藤田美術館の地蔵菩薩 藤田美術館とは 快慶作の地蔵菩薩 藤田美術館へのアクセス 快慶作のその他の地蔵菩薩 藤田美術館の地蔵菩薩 藤田美術館とは 藤田美術館は大阪市都島区網島町にある美術館です。明…

  • 延命地蔵塔(豊島区)

    とげぬき地蔵尊で著名な「巣鴨地蔵通り商店街」から種子地蔵のある「大正大学」に向かう途中に偶然見つけた延命地蔵塔です。 【目次】 延命地蔵堂の石仏群 延命地蔵塔 地蔵像庚申塔と馬頭観音塔 延命地蔵堂の石仏群へのアクセス 旧中山道にある「延命地蔵尊」と書かれた路地を入ります。 するとすぐに「延命地蔵堂の石仏群」と書かれた建物が見えてきます。 延命地蔵堂の石仏群 以下は地蔵堂の近くにあった「豊島区教育委員会の掲示板」より抜粋したものです。 江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。その墓標として延命地蔵が建立された。以来、さまざまな供養塔が集まった。 昭和二十…

  • 嘗試地蔵(味見地蔵)

    高野山奥の院には、嘗試地蔵(味見地蔵)という珍しい名前のお地蔵さんが安置されています。管理人未訪の地ではありますが、基本情報と共に紹介していきたいと思います。 【目次】 高野山奥の院とは 嘗試地蔵(味見地蔵) 高野山奥の院へのアクセス 高野山奥の院とは 高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。 引用:高野山真言宗総本山金剛峯寺公式サイト 嘗試地蔵(味見地蔵) とても珍しい名前のお地蔵さん…

  • 種子地蔵(大正大学)

    偶然にも駒澤大学を訪れた帰りに立ち寄った大正大学でも、お地蔵さんに出会うことができました。仏教系の大学には意外とお地蔵さんが設置されているのかもしれません。 【目次】 種子地蔵 すがも鴨台観音堂(おうだいかんのんどう) 種子地蔵へのアクセス 種子地蔵 大正大学ではここに「種子地蔵」 を建立し、令和4年5月に開眼式を行いました。地蔵菩薩は釈尊滅後の悪世にあって、六道の衆生を救済する慈悲深い菩薩として信仰されています。普通の像と異なり、種子地蔵は植木鉢を抱えていますが、それはすぐ前を通る 旧中山道が 「種子屋通り」と呼ばれていたことに因みます。 植木鉢はこの種子屋 通りの歴史を顕彰するとともに、地…

  • 石龕地蔵尊(十輪院)

    画像引用:南都 十輪院ウェブサイト 「本尊 地蔵菩薩」 奈良県にある十輪院というお寺では、石で造られた龕(がん)と呼ばれる仏像を納める厨子に浮き彫りされている大変珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。 管理人未訪のお寺ですが、紹介していきたいと思います。 【目次】 十輪院の基本情報 本堂 石龕地蔵尊 十輪院へのアクセス 十輪院の基本情報 十輪院は真言宗醍醐派のお寺で、元興寺の一子院といわれています。山号は、雨寶山、本尊は地蔵菩薩。右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられています。中世以降は地蔵信仰の場として知られたとのこと。 本堂 画像引用:南都 十輪院ウェブ…

  • 駒澤大学の石んこ地蔵

    石神彫刻工房さんが作っている「石んこ地蔵」は様々なところで目にすることができます(鎌倉にある長谷寺のお地蔵さんが有名ですよね) 今回は駒澤大学駒沢キャンパスの構内にある「石んこ地蔵」に会ってきました。 石んこ地蔵微笑み 石んこ地蔵微笑みは、禅研究館前ソメイヨシノの根元に立っていました。全長は45㎝とのこと。 石んこ地蔵3人日だまり 石んこ地蔵3人日だまりは記念講堂脇(8号館側)ジャノヒゲの植え込みの中に立っていました。こちらも全長は45㎝。 どちらのお地蔵さんも、大本山永平寺・大本山總持寺から寄贈されたとのこと。 駒澤大学駒沢キャンパスへのアクセス 東京都世田谷区駒沢1-23-1 この記事が面…

  • 地蔵菩薩坐像(福智院)

    奈良県奈良市にある福智院の本尊、地蔵菩薩坐像は光背の小さな化仏がある大変珍しいお地蔵さんです。管理人未訪のお寺ですが、紹介していきたいと思います。 【目次】 福智院の基本情報 福智院のお地蔵さん 本尊の地蔵菩薩坐像 勝軍地蔵尊 福智院へのアクセス 福智院の基本情報 福智院は真言律宗のお寺で、山号は清冷山。天平8年(736年)に玄昉によって創建。建長6年(1254年)に興福寺大乗院の実信により再興。本尊は地蔵菩薩。大和北部八十八ヶ所霊場第7番、大和地蔵十福霊場第4番でもあります。 福智院のお地蔵さん 本尊の地蔵菩薩坐像 管理人未訪のお寺なので、画像を掲載することができないのですが(ググると色々出…

  • 根津美術館 庭園のお地蔵さん

    根津美術館には17,000㎡におよぶ広い庭園があり、入場者は自由に探索することができます。田舎家風の建物や茶席、様々な石造物が配されている庭園内で、お地蔵さんと出会うことができました。 考えてみれば美術館内のお地蔵さんを紹介するのは初めてかもしれません。美術館の基本情報とともに紹介していきましょう。 【目次】 根津美術館とは エントランス 日本庭園 吹上の井筒 日本庭園で出会ったお地蔵さん 石造地蔵菩薩像龕 根津美術館へのアクセス 根津美術館とは 根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(1860~1940)が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するため…

  • 地蔵菩薩群像など(京都 誓願寺)

    京都にある誓願寺では、少し変わった姿のお地蔵さんを見ることができます。管理人未訪のお寺になってしまいますが、お寺の基本情報と共に紹介していきたいと思います。 誓願寺の基本情報 誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山で、山号は深草山。浄土宗西山深草派とは、あまり耳なじみありませんが、法然上人の高弟・西山善恵房證空上人の流れをくむ浄土宗の宗派とのこと。 天智天皇6年(667)に奈良で創建。天正19年(1591)現在の地に移転。本尊は阿弥陀如来座像。 平安時代に清少納言と和泉式部という歴史上有名な二人の女性作家がこのお寺で極楽往生されました。また落語の祖と呼ばれる「策伝上人」や謡曲「誓願寺(世阿弥作)」に…

  • 延命寺のお地蔵さん

    板橋区志村にある延命寺は、本尊が地蔵菩薩のお寺です。お寺の基本情報と共に紹介していきたいと思います。 【目次】 延命寺の基本情報 寺号標 山門 鐘楼 本堂 延命寺で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 本尊の地蔵菩薩像 延命寺で出会ったその他の石像など 蛸薬師 延命寺へのアクセス 延命寺地蔵堂 延命寺地蔵堂へのアクセス 延命寺の基本情報 延命寺は真言宗豊山派のお寺で、山号は見次山、院号は松寿院。大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が居宅を寺として創建したと言われています。本尊は地蔵菩薩。豊島八十八ヶ所霊場22番、北豊島三十三ヶ所霊場24番札所にもなっています。 寺号標 山門 鐘楼 本堂…

  • 融念寺の地蔵菩薩立像

    奈良県斑鳩町にある融念寺では、珍しいポーズのお地蔵さんがいらっしゃいます。お地蔵さんといえば、片手に錫杖、もう一方の手で宝珠を持ち立っている姿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか? しかし融念寺の地蔵菩薩立像は右手で衣の端をつまむという珍しい姿をしているのです。一体どうしてこのようなポーズを取っているのか? 管理人未訪のお寺ですが、基本情報と共に紹介していきましょう。 融念寺の基本情報 融念寺は融通念仏宗のお寺で、山号は圓通山。寺の由来など詳細は不明。本尊は阿弥陀如来立像。 融通念仏宗とはあまり耳なじみがありませんが、平安時代末期に天台宗の僧侶である良忍が開宗した宗派で、明治時代に策定さ…

  • 総泉寺のお地蔵さん

    板橋区小豆沢にある総泉寺では、何体かのお地蔵さんと出会うことができました。お寺の基本情報とともに紹介していきましょう。 【目次】 総泉寺の基本情報 山門 本堂 骨仏堂 総泉寺で出会ったお地蔵さん 地蔵堂 六地蔵尊 総泉寺へのアクセス 総泉寺の基本情報 総泉寺は曹洞宗系単立のお寺で、山号は妙亀山。千葉介により浅草橋場に建仁元年(1201)2月創建。大雄山最乗寺三世噩叟宗俊が曹洞宗に改宗開山。当地へ移転したのは昭和3年です。本尊は釈迦如来。 山門 本堂 本堂は関係者以外立ち入り禁止となっていました。 本堂に続く階段の左右には石像が二体。 骨仏堂 総泉寺で出会ったお地蔵さん 地蔵堂 扉が閉ざされ、中…

  • 見返り地蔵(五劫院)

    奈良市にある五劫院というお寺には、背後を振り返るような姿をしている珍しいお地蔵さんが安置されています。なぜそのようなポーズを取っているのでしょうか?管理人未訪のお寺ですが、基本情報と共に紹介していきたいと思います。 【目次】 五劫院の基本情報 見返り地蔵とは 五劫院へのアクセス 五劫院の基本情報 五劫院は奈良県奈良市にある華厳宗のお寺で、山号は思惟山。 寺号の五劫院の「劫」は時間の単位を表わしており、大きな石に天女が三年に一度舞い降りて、天衣で石をなでることを繰り返し、石が擦り切れて無くなるまでの時間が一劫。 本尊の五劫思推阿弥陀如来坐像は、五劫という長い時間思推されていたため、螺髪が長く伸び…

  • 板橋区小豆沢のお地蔵さん

    今回は短い記事になります。板橋区小豆沢の「志村三丁目交差点」付近で出会ったお地蔵さんです。 調べてみましたが、どのような経緯で安置されるに至ったかなど、詳細は不明でした。 板橋区小豆沢のお地蔵さんへのアクセス この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • 腹帯地蔵尊(善願寺)

    京都市伏見区にある善願寺には、腹帯地蔵尊と呼ばれる安産祈願で名高いお地蔵さんがいらっしゃいます。管理人未訪のお寺ですが、紹介してみたいと思います。 【目次】 善願寺の基本情報 腹帯地蔵尊 善願寺へのアクセス 善願寺の基本情報 善願寺は天台宗のお寺で、山号は誓弘山(せいぐ-ざん)。天平年間(729-749)、第45代・聖武天皇皇后・光明皇后の発願により、行基によって創建。長保年間(999-1004)、比叡山の恵心僧都によって再興。本尊は地蔵菩薩坐像。平清盛の5男・重衡(しげひら)夫人の安産を祈願して堂宇が建立されるなど安産祈願のお寺として知られています。拝観料:500円 腹帯地蔵尊 腹帯地蔵尊は…

  • 荘厳寺のお地蔵さん

    2024年明けましておめでとうございます。本年もお地蔵さんブログをよろしくお願いいたします。 今回は練馬区氷川台にある荘厳寺で出会った、お地蔵さんを紹介したいと思います。 【目次】 荘厳寺の基本情報 山門 寺号標 光明院 本堂 鐘楼 東参道 荘厳寺で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 荘厳寺で出会ったその他の石像など 荘厳寺へのアクセス 荘厳寺の基本情報 荘厳寺は真言宗豊山派のお寺で、山号は医王山、院号は不動院。良仁によって天正2年(1574)以前に開山。豊島八十八ヶ所霊場58番札所にもなっています。 山門 寺号標 光明院 本堂 鐘楼 東参道 荘厳寺で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 荘厳寺で出会ったそ…

  • 2023年管理人を驚かせたお地蔵さん3選

    早いもので今年も年の瀬。当ブログでは恒例の今年出会った管理人を驚かせたお地蔵さんを振り返る時期になりました。今年は諸事情あって、あまりお寺巡りできなかったから3選とさせて頂きました。 過去の「管理人を驚かせたお地蔵さん」は下記から jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com jizo-bosatsu.hatenablog.com 【目次】 第三位 猫地蔵(自性院) 第二位 子授け地蔵尊(宗泰院) 第一位 勝軍地蔵(長…

  • 光伝寺のお地蔵さん

    練馬区氷川台にある光伝寺で出会ったお地蔵さんを紹介します。お地蔵さんと大変所縁が深い、閻魔大王にも会うことができました。 jizo-bosatsu.hatenablog.com 【目次】 光伝寺の基本情報 寺号標 山門 鐘楼 閻魔堂 本堂 観音堂 コウヤマキ 弘法大師像 光伝寺で出会ったお地蔵さん 六地蔵尊 子育て地蔵尊 地蔵菩薩像 光伝寺へのアクセス 光伝寺の基本情報 光伝寺は真言宗豊山派のお寺で、山号は大明山、院号は無量院。浄土宗寺院として創建(創建年代不明)しましたが、江戸時代に法印権大僧都公恵によって真言宗に改められました。豊島八十八ヶ所霊場10番札所にもなっています。 寺号標 山門 …

  • 日本一のお地蔵さん

    お地蔵さんというと道端で人々をお守りしてくださる小さな石仏という印象を持つ人が多いと思います。しかし世の中には巨大なお地蔵さんも数多く存在します。 管理人が最初に遭遇したのは「江戸六地蔵」えっ?大仏じゃないの??と思ったこのお地蔵さんですら、丈六(2.7メートル)です。 今回調べてみたら、それをも大幅に上回る実に巨大なお地蔵さんが存在することが分かったのです。 【目次】 石造地蔵菩薩坐像(泉橋寺) 石造地蔵菩薩坐像へのアクセス 八坂神社のお地蔵さん(鹿児島県出水市麓町) 八坂神社へのアクセス 大子地蔵尊(茨城県久慈郡大子町) 大子地蔵尊へのアクセス 幸福地蔵(新潟県佐渡市) 幸福地蔵へのアクセ…

  • 勝軍地蔵(長久寺)

    埼玉県坂戸市にある長久寺には何と!猪にまたがった勝軍地蔵があります。最初お地蔵さんが馬にまたがった勝軍地蔵の存在を知った時には大きな驚きがありましたが、まさか猪にまたがったお地蔵さんが存在するとは!これは一目見なければいけない!と長久寺を訪れました。 【目次】 長久寺の基本情報 寺号標 山門 観音堂 鐘楼 長久寺で出会ったお地蔵さん 勝軍地蔵 六地蔵 長久寺へのアクセス 長久寺の基本情報 長久寺は真言宗智山派のお寺で、山号は八葉山、院号は来迎院。創建年代は不詳、争含によって開山されました。 寺号標 山門 門の左右に金剛力士像を配する仁王門はよく見ますが、こちらは左右にお地蔵様。いうならば地蔵門…

  • はらほげ地蔵

    長崎県壱岐市には、はらほげ地蔵と呼ばれる満潮時には胸まで浸かってしまう六地蔵尊があります。管理人未訪の地にはなりますが、いつかはお目にかかりたいお地蔵さんの一つであります。 【目次】 はらほげ地蔵とは はらほげ地蔵にまつわる民話 はらほげ地蔵へのアクセス はらほげ地蔵とは 地蔵のお腹の部分にまるい穴があいてるので、「はらほげ地蔵」 と呼ばれている。干潮時には、近くで地蔵を拝むことができるが 満潮時には、地蔵の胸の部分まで海中に隠れるので、陸上から しか拝むことができない。 何時、誰によって安置されたかは不明であるが、 干潮時にお腹の部分にお供え物を入れ、再び干潮になる時、お腹に入れたお供え物が…

  • 坂戸市のお地蔵さん

    坂戸市では一本松地蔵尊のほかにも何体かお地蔵さんと出会うことができました。短めの記事ですが、紹介していきたいと思います。 【目次】 延命地蔵尊 延命地蔵尊へのアクセス 鍛冶屋地蔵尊 鍛冶屋地蔵尊へのアクセス 延命地蔵尊 延命地蔵尊へのアクセス 鍛冶屋地蔵尊 鍛冶屋という土地の名前にちなんだ古い地蔵で、昔は縁日には露店も並びとても賑わったとのこと。宝暦8年(1758)造立。 鍛冶屋地蔵尊へのアクセス この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • べすとすこあ地蔵

    山梨県の勝沼ゴルフコースには、べすとすこあ地蔵というお地蔵さんがいます。管理人未訪の地ですが、珍しいので紹介したいと思います。 べすとすこあ地蔵とは 画像引用:山梨県の勝沼ゴルフコース べすとすこあ地蔵とは、山梨県の勝沼ゴルフコースに2011年7月に設置されたお地蔵さんですお地蔵さんと言えば、錫杖を持っているのが一般的ですが、べすとすこあ地蔵は4番アイアンを持っています。 ゴルフコースの会員(堀内石材店)が製作・寄贈したもので、全体的にやわらかい見た目にするために、ひらがなで「べすとすこあ」と表記したとのこと。もちろんそのご利益は、ゴルフでのベストスコアということになるのでしょう。 なおベスト…

  • 一本松地蔵尊

    今回は短い記事です。 埼玉県坂戸市で見つけたお地蔵さんです。最寄り駅は「一本松」名前の由来もそこから来ているのだと思います。その他詳細は不明でした。 ここまではっきりとしたアルカイックスマイルのお地蔵さんも珍しいかも。 一本松地蔵尊へのアクセス 埼玉県坂戸市厚川11-9 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

  • ろうそく地蔵尊(茨城県古河市)

    茨城県古河市には、何と!お地蔵さんを燃やしてしまうという奇祭が存在します。高野ろうそく地蔵尊祭と呼ばれるこのお祭りはどんなものなのでしょうか? 管理人未訪の地蔵尊ですが、紹介していきたいと思います。 高野ろうそく地蔵尊祭とは 高野ろうそく地蔵尊祭とは、茨城県古河市高野で毎年8月23、24に行われる、1719(享保4)年から続く伝統行事です。病気やけがの治癒を願い、地蔵に立てたろうそくに火をともすものです。 圧巻は熱でろうそくのろうが溶けると、お地蔵さんに火が燃え移り、全体が炎で包まれることです。使われるろうそくは例年、2日間で約3千本に上るとのこと。 高野ろうそく地蔵尊祭の様子はYoutube…

  • 延養寺のお地蔵さん

    群馬県高崎市にある延養寺で出会ったお地蔵さんです。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 延養寺の基本情報 山門 本堂 延養寺で出会ったお地蔵さんなど 延養寺へのアクセス 延養寺の基本情報 延養寺は真言宗のお寺で、山号は吠瑠璃山、院号は正法院。室町時代の至徳年間(1384~1387年)、慶覚によって開創。当初は上野国岩鼻村にありましたが、その後何度か移転。現在の地に移ったのは慶長3年(1598年)のことです。本尊は薬師如来。 山門 本堂 延養寺の寺宝である円空作神像は、平成9年(1997)に高崎市指定重要文化財に指定されています。この神像は底に梅の木が描かれている事から、天神(菅…

  • はだか地蔵尊(伝香寺)

    管理人未訪のお寺ですが、奈良県にある伝香寺には「はだか地蔵尊」というお地蔵さんが安置されており、毎年7月22日には衣の着せ替えが行われるとのこと。大変珍しい行事ですので、お寺の基本情報とともに紹介していきたいと思います。 【目次】 伝香寺の基本情報 はだか地蔵尊とは 伝香寺へのアクセス 伝香寺の基本情報 伝香寺は奈良県にある律宗のお寺で、鑑真和上の弟子である思託(したく)律師により宝亀2年(771年)に開創(当初の寺号は実円寺)。天正13年(1585年)寺号を実円寺と改める。本尊は釈迦如来。奈良三名椿の一つ「散り椿」があることでも知られています。大和北部八十八ヶ所霊場第10番、大和地蔵十福霊場…

  • 小万地蔵尊

    【目次】 小万地蔵尊 小万地蔵尊とは 小万地蔵尊改築の碑 小万地蔵尊へのアクセス 群馬県高崎市の街歩きをしていて出会ったお地蔵さんです。 小万地蔵尊 小万地蔵尊とは この地蔵尊の造立年などは不詳ながら、次のような謂れが伝わっています。 一説には、鎌倉時代に夫婦の者(諸国の礼拝してる人) があり、この辺で小万という妻が病のため没してしまいました。人はこれを哀れみ、堂宇を建立して祀ったと伝えられています。 また、小万という越後の小百姓の娘が、江戸深川にいる恋の清三郎訪ねる途中、この坂で死んだとされる伝承もあります。以来、地元では「小万地蔵さん」と呼び、坂道を往復するたびに一礼し歌って来ました。その…

  • 眼鏡地蔵(永源寺)

    滋賀県東近江市にある永源寺には、メガネをかけている珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。管理人未訪のお寺ではありますが、紹介していこうと思います。 【目次】 永源寺の基本情報 眼鏡地蔵 永源寺へのアクセス 永源寺の基本情報 永源寺は臨済宗永源寺派の大本山で、山号は瑞石山。康安元年(1361)佐々木六角氏頼によって創建。本尊は観世音菩薩(秘仏で25年に一度御開帳)「神仏霊場巡拝の道」第140番札所(近江国8番)にもなっています。 眼鏡地蔵 気になるのが「なぜこのお地蔵さんは眼鏡をかけているのか?」ということでしょう。その答えは永源寺公式サイトの解説にありました。 交通事故に逢い修行半ばで世を去った…

  • 興禅寺のお地蔵さん

    群馬県高崎市にある興禅寺で出会ったお地蔵さんを、お寺の基本情報と共に紹介します。 【目次】 興禅寺の基本情報 山門 寺号標 本堂 地蔵堂 興禅寺で出会ったお地蔵さん 子育て地蔵尊 六地蔵 興禅寺で出会ったその他の石仏 興禅寺へのアクセス 興禅寺の基本情報 興禅寺は曹洞宗のお寺で、山号は白龍山。平安時代末期、新田義重によって開基。享保年間(1264年~1275年)に現在の場所に移転されました。 こちらから境内へ 山門 寺号標 本堂 地蔵堂 秘仏である子育て地蔵尊が安置されています。 興禅寺で出会ったお地蔵さん 子育て地蔵尊 こちらは秘仏の子育て地蔵尊を線刻で描いたものでしょうか? 六地蔵 興禅寺…

  • おだんご地蔵、鼻かけ地蔵(滄浪泉園)

    滄浪泉園(そうろうせんえん)という、東京都小金井市にある庭園では、おだんご地蔵と鼻かけ地蔵に出会うことができました。庭園の基本情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 滄浪泉園(そうろうせんえん)とは 滄浪泉園で出会ったお地蔵さん おだんご地蔵 鼻欠け地蔵尊 滄浪泉園へのアクセス 滄浪泉園(そうろうせんえん)とは 滄浪泉園(そうろうせんえん)とは、東京都小金井市にある波多野承五郎の別荘の一部が庭園として残されたもので、緑地保全地区に指定されている。犬養毅が命名した。 敷地内にはブナやケヤキ、アカマツなどが生い茂り、雑木林の樹種は、135種類にも及ぶ。入園料は15歳以上100円(2023年8月…

  • 聖徳太子とお地蔵さん

    聖徳太子もまたお地蔵さんと非常にゆかりの深い人物です。調べていくと実にたくさんのエピソードがあることが分かりました。 【目次】 聖徳太子とお地蔵さん 地蔵院(滋賀県) 地蔵院へのアクセス 油掛延命地蔵尊 油掛地蔵尊へのアクセス 法隆寺(聖霊院)のお地蔵さん 興福寺(八釣山地蔵尊) 興福寺(八釣山地蔵尊)へのアクセス 瓦屋禅寺のお地蔵さん 瓦屋禅寺へのアクセス 管理人が訪れた聖徳太子ゆかりのお地蔵さん 聖徳太子とお地蔵さん 地蔵院(滋賀県) 推古天皇14年、聖徳太子は百済寺に向かう道すがら、池から不思議な瑞光が放たれていたので、村人にそこを掘らせたところ、輝く地蔵菩薩像が現れました。聖徳太子は、…

  • 宝永四年六地蔵(黄金の水)

    【目次】 宝永四年六地蔵とは 黄金の水とは 宝永四年六地蔵(黄金の水)へのアクセス 宝永四年六地蔵とは 高さ117センチ宝永四年(1707)造立の六地蔵は、笠付きの六角柱の各面に一体ずつ半肉彫りにされており、それぞれ印相や持ち物に違いがあります。 どのような目的で建てられたのかは不明ですが、塔身には、「奉建立六地蔵壹品念仏講中為二世安楽也 旹宝永四丁亥稔九月廿四日 武刕多麻郡小金井村念佛同行四拾六人」という銘が刻まれています。 黄金の水とは 宝永四年六地蔵の近くにある無料の井戸。「水と緑のまち」がキャッチフレーズの小金井市で、水か緑で何かできないかと商店街の人が話し合い、六地蔵の敷地に井戸を掘…

  • 蛸地蔵(天性寺)

    大阪府岸和田市にある天性寺には、蛸地蔵という名前の珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。管理人未訪のお寺ですが、実に珍しいので紹介したいと思います。 【目次】 天性寺の基本情報 蛸地蔵 天性寺へのアクセス 天性寺の基本情報 天性寺は浄土宗のお寺で、山号は護持山、院号は朝光院。創建は元亀元年(1570年)と伝わっているが定かではない(火災で記録が焼失したため)本尊は阿弥陀如来と地蔵菩薩。和泉円光大師二十五霊場第3番にもなっています。 蛸地蔵 天性寺の本尊である地蔵菩薩は蛸地蔵と呼ばれています。その謂れはこのようなお話があるからです。 天正年間(1573~86)、紀州根来の武士に攻められ、落城寸前だ…

  • しあわせ地蔵(武蔵小金井)

    武蔵小金井駅南口近くに「しあわせ地蔵」というリュックサックを背負ったユニークなお地蔵さんを見つけました。いったいどのような目的で建てられたのでしょうか? 【目次】[:contents] しあわせ地蔵とは しあわせ地蔵が立っている石には「三百六十五歩のマーチ」の一節が書かれています。これは作詞をした星野哲郎さんが小金井在住だったからという理由と、しあわせ地蔵がウォーキングのまち小金井をPRする目的で建てられたという2つの理由からです。 確かにウォーキングに「三百六十五歩のマーチ」はぴったり。「三百六十五歩のマーチ」を歌った水前寺清子さんは日本ウォーキング協会の理事を務めているとのことです。 しあ…

  • 日本三大地蔵とは

    日本三景や日本三大夜景など、とかくBEST3を決めたがる日本人。仏像関係の三大を調べてみても、日本三大仏に始まって、三如来、三薬師、三不動と枚挙にいとまがありません。 そこで浮かんだ素朴な疑問。「日本三大地蔵」は存在するのだろうか? 【目次】 日本三大地蔵 生身地蔵尊(栃木県 岩船山 高勝寺) 地蔵菩薩大銅像(滋賀県 木之本地蔵院) 猿羽根山地蔵大菩薩(猿羽根山地蔵堂) 日本三体地蔵 日本三大地蔵 結論から申し上げましょう。非公式ながら「日本三大地蔵」と謳っているお地蔵さんは存在しました(何をもって公式とするのかという話もありますが)それは以下の3つです。 生身地蔵尊(栃木県 岩船山 高勝寺)…

  • 子授け地蔵尊(宗泰院)

    杉並区高円寺にある宗泰院には、乳房を嬰児にふくませている子授け地蔵尊という大変珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。 お地蔵さんの性別は?という疑問を頂くことがありますが、この子授け地蔵尊に関しては紛れもなく性別は女性。 今回もお寺の基本情報とともに紹介していきましょう。 【目次】 宗泰院の基本情報 山門 開運弁財天堂 子授け地蔵尊 宗泰院へのアクセス 宗泰院の基本情報 宗泰院は曹洞宗のお寺で、山号は永昌山。天正12年(1584)嘯山春虎和尚によって麹町表四番町(現千代田区四番町)に開創。文禄2年(1593)格峰泰逸和尚によって開山。元和2年(1616)市ヶ谷左内坂に移転。明治42年(1909)…

  • 地蔵信仰最重要人物!?小野篁とは何者か?

    小野篁は、平安時代の貴族であり、歌人、学者、陰陽師として知られています。また当ブログでも何度となく、名前が登場している地蔵信仰に深く関わった人物でもあります。この記事では小野篁という人物について掘り下げていきたいと思います。 【目次】 小野篁とは 小野篁とお地蔵さんとの関連 京六地蔵と小野篁 六臂地蔵尊を作成 冥界で地蔵に出会った小野篁 小野篁と関連の深い寺院 矢田寺 六道珍皇寺 京六地蔵 小野篁とは 小野 篁(おの の たかむら)は、平安時代初期の官僚。学者・詩人・歌人としての顔も持つ。遣唐使派遣の際、乗船を拒否。そのことを綴った漢詩が嵯峨上皇の怒りにふれ、隠岐(おき)国へ流罪になった。また…

  • 三瀧寺のお地蔵さん

    広島市西区の三滝山の中腹にある三瀧寺では、たくさんのお地蔵さんと出会うことができました。寺院自体も、自然と調和していてとても素晴らしかったです。お寺の基本情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 三瀧寺の基本情報 参道 鐘楼 多宝塔 龍神堂 本堂 鎮守堂 本坊 瓶岩権現(かめいわげんげん) 十三佛道 十六羅漢 金剛力士像 三瀧寺で出会ったお地蔵さん 延命地蔵尊 日限地蔵尊 交通安全地蔵尊 春風地蔵尊 六地蔵 三瀧寺で出会ったその他の石仏など 水かけ七尊像 各宗祖師の像 三瀧寺へのアクセス 三瀧寺の基本情報 三瀧寺は高野山真言宗のお寺で、山号は龍泉山。大同4年(809年)空海(弘法大師)によっ…

  • 日本最古のお地蔵さん

    日本最古のお地蔵さんは、三重県亀山市の関地蔵院にあります。管理人未訪のお寺になりますが、基本情報と共に紹介していきましょう。 関地蔵院の基本情報 関地蔵院は真言宗御室派のお寺で、山号は九関山(きゅうかんざん)、寺号は宝蔵寺(ほうぞうじ)。本尊は地蔵菩薩。天平13年(741年)行基によって創建されたと言われています。元禄13年(1700年徳川綱吉によって地蔵院本堂が建立(愛染堂・鐘楼と共に重要文化財に指定)三重四国八十八箇所第28番札所にもなっています。 関宿と呼ばれる門前町があり、越前の愛発(あらち)、美濃の不破(ふわ)とともに古代の三関のひとつ、鈴鹿関が現在の関宿だと言われています。また関宿…

  • 歯痛地蔵(広島県)

    後日記事にしますが、広島県にある三瀧寺を訪問した際に道すがら見つけたお地蔵さんです。 歯痛地蔵 明治8(1875)年4月に建立。 かつては現在地の北東約400メートルの道端にありましたが、昭和 30(1955)年頃、太田川放水路掘削工事に伴いここに遷座。地元では歯痛地蔵とも言う。そばの松の木の葉でつついてお願いすると、歯の痛みが治ると言われている。平成8年(1996)広島市による三滝地区整備事業によって、地蔵堂を移築し新たに建立。平成13年(2001)三滝本町地蔵堂保存会が三瀧寺住職を導師として落慶法会を行う。 解説文は「三滝寺・参道2022_A3観音折ヨコ左表紙-表_アウトライン前」などから…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、お地蔵さん愛好家さんをフォローしませんか?

ハンドル名
お地蔵さん愛好家さん
ブログタイトル
お地蔵さんブログ
フォロー
お地蔵さんブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用