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2019/04/04

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  • わらじを履いたお地蔵さん - 願いを叶える鈴虫寺の使者

    京都の嵐山に近い場所にひっそりと佇む鈴虫寺その名の通り、一年を通して鈴虫の美しい音色が響くことで知られています。しかし、このお寺の魅力は鈴虫の音色だけではありません。訪れる多くの人が心惹かれるのは、山門脇に立つ、わらじを履いた珍しいお地蔵さんなのです。 一つだけ願いを叶えに - 幸福地蔵菩薩 鈴虫寺の石段を上り、山門のすぐそばに立っておられるお地蔵さんの正式なお名前は「幸福地蔵菩薩(こうふくじぞうぼさつ)」とおっしゃいます。右手には錫杖(しゃくじょう)、左手には宝珠(ほうじゅ)をお持ちの穏やかなお姿です。しかし、何と言っても目を引くのは、その足元にしっかりと履かれたわらじでしょう。わらじを履い…

  • 静かに佇む祈り - 円通寺の吉展地蔵と歴史の息吹

    東京都荒川区南千住に所在する円通寺は、由緒ある曹洞宗の寺院です。その静かな境内には、悲しい出来事を記憶する吉展(よしのぶ)地蔵が、訪れる人々の心を深く捉えます。この地蔵尊は、痛ましい事件の記憶とともに、円通寺の豊かな歴史を伝える存在と言えるでしょう。 古刹・円通寺の歴史 - 坂上田村麻呂が開いたと伝わる寺 円通寺は、伝承によれば791年(延暦10年)に坂上田村麻呂によって開かれたとされています。山号を補陀山と称し、本尊は聖観音菩薩です。この聖観音菩薩は、聖徳太子の一刀三礼による御作とも伝えられています。 境内には、八幡太郎義家が奥羽征伐の際に討ち取った賊の首を埋めたとされる四十八首塚があり、こ…

  • 芳重地蔵

    宮澤芳重と芳重地蔵 宮澤芳重(1898年~1970年)は、長野県下伊那郡生田村(現在の松川町生田)出身で、向学心に燃えながらも家庭の事情で進学を断念した人物です。20歳で上京し、時事新報社に勤務しながら正則英語学校の夜間部に通い、その後も職を転々としながらドイツ語専修学校、東京理科大学予科を卒業しました。 飯田大学設立への情熱 宮澤芳重は、「飯田大学」の創設を夢見て、郷里である下伊那に公立でも私立でもない「郷立」の大学を設立しようとしました。故郷の若者が働きながら通える大学を目指し、文学部、農学部、理学部、工学部、医学部を擁する総合大学を八幡原の台地に建設するという壮大な構想を持っていました。…

  • 波せき地蔵堂

    波せき地蔵堂は、京都府宮津市の籠(この)神社(海部穀成宮司)の奥宮・真名井神社境内に安置されています。大宝年間(約一三〇〇年程以前)大地震の大津波が押し寄せたのをここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て病気よけのご利益があるとも言われています。飛鳥時代から続く長い歴史の中で、地域住民の信仰の対象として大切にされてきました。 歴史と由来 波せき地蔵堂の創建時期や詳細な由来は、残念ながら明確な記録が残っていません。しかし、約1300年前に発生した大津波をせき止めたという伝説を残すことから、古くからこの地域に根ざした信仰の対象であったと考えられています。 信仰の対象として 波せき…

  • 富士見市の勝軍地蔵:甲冑をまとい火伏せを祈願する騎馬地蔵

    富士見市水子には、甲冑を身につけ、馬に騎乗した珍しい地蔵菩薩像があります。この地蔵は勝軍地蔵と呼ばれ、文化3年(1806年)に建立されました。市内では唯一の勝軍地蔵です。 勝軍地蔵とは 勝軍地蔵を念ずれば戦に勝利するとされ、武家の信仰を集めました。また過去世に犯した罪の報いをまぬがれたり、飢饉を防ぐともいわれています。 jizo-bosatsu.hatenablog.com 水子の勝軍地蔵の特徴 水子の勝軍地蔵は、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿で表現されています。通常、勝軍地蔵は武器を持っていることが多いようですが、水子の地蔵は錫杖を持っている点が特徴的です。像の彫りは細かく、馬の蹄に至るまで…

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