-----------------------劉弘基-----------------------父昇は隋河州刺史。弘基は放蕩無頼であり輕俠と交際していたが,父の蔭位で右勳侍となった。大業末に煬帝の高麗遠征に出征したが、貧のために準備ができずに遅れ死刑を宣告された。脱獄逃亡して太原に逃げ、留守李淵[唐高祖]の庇護を受け、世民[太宗]等と交遊した。義寧元年五月反乱に際しては監視役の王威・高君雅を殺した。義寧元年八月統軍として世民に従い西河を降し、隋將宋老生を破り、霍邑を攻めた。老生を斬り、拜右光祿大夫となった。河東を攻め、馮翊を降して渭北道大使となり、殷開山と扶風を陥し、渭水を渡り長安故城に屯した。長安では衛文昇を破り功績第一であった。世民に従い薛舉を扶風に破り、右領都督封河間郡公となった。また世民に従い東...唐初功臣傳17劉弘基