清水公園フィールドアスレチックは「腕力を使う壁系の登山」のトレーニングに最適槍ヶ岳から穂高まで大キレットを超えていくことを槍穂縦走といいますが、かつて私は槍穂縦走をやっています。一般登山者には難所といわれているコースです。いやむしろ槍穂縦走
書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』『通勤自転車から始めるロードバイク生活』小説『ツバサ』執筆者。
生きることへの恋歌を綴っています。
【相続・実体験】株式・投資信託の評価基準日。死亡日がはっきりしない場合
たとえ相続であっても、銀行系投資信託の場合にとられなかったキャピタルゲイン(売却益に対する税金)が、証券系投資信託の場合にはちゃんと取られます。同じ相続で、同じ投資信託なのに、銀行系は税金がとられないのに、証券会社系は税金がとられるというのはおかしいと感じました。
人がふれあいを求めるのは、マッサージしてほしいから? 抱き合うことって、全身マッサージなのかもしれません。 しかし……すこし運動したらクリスタルデポジットが詰まってマッサージしないとならない体なんて、じっさいのところ初期不良品のようなものじゃないでしょうか。
かつて海外旅行するのにもっとも必要なものは「勇気」でした。今夜どこに泊まるかわからないという状況の中でも次の街に進むためには勇気が必要でした。しかし今日海外旅行するのにもっとも必要なものは「ネットリテラシー」のようです。もはやネットリテラシーさえあれば勇気さえも旅には必要ないのかもしれません。
現在の台北には街中の両替屋が簡単に見つけられません。他のアジアの諸都市のようなつもりでいつでも両替できるつもりでいると現金が枯渇して旅が続けられなくなるかもしれません。台湾を旅行される方は、現金残高にご注意ください。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』の魅力、あらすじ、感想、書評
何とも言えない強烈な読後感が残りました。繰り返しますが、何が正しいのか、はっきりわからないのです。作者の意図が読めません。意図を読めないようにするのが作者の意図なのかもしれませんが……。しばらく時間がたったらまた読み返してみたいと思えるような心に残った一冊でした。
さくら剛『君たちはどの主義で生きるか』のあらすじ、感想、評価、魅力
この手の勉強系の本は、いかにわかりやすくたとえるか、卑近なものによせてわかりやすく説明する、というのがキモになります。そういう意味でギャグで読ませるさくら剛の本はこれからも読んでみたい本のひとつです。
「自分なりの世界三大名画」を選んだら何になるかやってみたら面白かったので、ここでは「自分なりの世界七不思議・セブンワンダー」を選んでみました。
人に飼い慣らされているというジンベエザメのことを彼女は信頼しているのでしょう、人間を襲ってこないと。しかし私はしょせんは魚にすぎない巨大生物のことをまったく信頼できないのです。指先サイズぐらいしか脳ミソのない魚畜生のことを何でそんなに信頼できるというのでしょうか。
海外旅行にモバイルWiFi、トラベラーSIM、eSIMは必要か
何も準備しない主義だからこそ、ふっと思いたった時に旅に出られるのだと思う。だからこそ多くの旅に出られたのではないか。旅は、現地で何が起こるかわからないぐらいの空身素手で旅した方が「トラブルをクリアしていくゲーム」になって楽しくなると思うのだが……。
空港は関門。必須アイテムがないと突破できない私は海外旅行をドラクエ的な関門突破ゲームと思って楽しんでいます。空港がイミグレーションに代表されるひとつの関門であることは誰しも異論のないところだと思います出入国、トランジットではぜったいにパスポ
高齢者は政策でみんな市街地に集めてしまえばいいのではないかと思います。駅前市街地ではすべてが歩ける距離の範囲内にコンパクトにまとまっているため、もう車に乗る必要がなくなります。用を足すため歩くことで健康寿命を延ばす役にも立つでしょう。
雨と日本人。傘を差さずに雨に濡れても気にせず平気で歩く外国人
なぜ日本人は雨に濡れるのをそんなに嫌がるのでしょうか? かつて勘当息子にも傘だけは持たせて家を追い出した、と聞いたことがあります。野天、野ざらしはそれほど辛いことでしょうか。あるいは傘が大好きだから、なんですかね。
『裸の王様』みたいに、はじめに誰かが言い出さなきゃいけなんじゃないか。そう思って投稿した次第です。「あんなものは子供のラクガキでアートじゃないぞ!!」
海外旅行でホテルを予約するデメリットは、逆に予約に縛られて自由を失うこと
ホテル探しのコツというものはあります。旅慣れてくると安宿を探す嗅覚が発達してきます。言葉にすれば、地元の商人が泊まる市場の近く、駅の近くの裏通りに存在することが多いのですが、こればっかりは現地を嗅覚で当てるしかありません。
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清水公園フィールドアスレチックは「腕力を使う壁系の登山」のトレーニングに最適槍ヶ岳から穂高まで大キレットを超えていくことを槍穂縦走といいますが、かつて私は槍穂縦走をやっています。一般登山者には難所といわれているコースです。いやむしろ槍穂縦走
実際に請求される金額とまったく違う格安ウェブ広告は詐欺じゃないのかね。客よせパンダ的な広告を載せてとりあえず人を集めて、あとは何とかしようという商法はやめてもらいたいものですよね。どうせ値段はデタラメなのだとすれば、業者を選ぶ際は、値段以外のところで判断した方がいいのかもしれません。
依存症には依存症です。ギャンブルよりももっと危険で命がけのゲームに熱中すれば、病的ギャンブラーは自然とそちらに熱中し、ギャンブルのことを忘れてしまうでしょう。
紙のガイドブックが不必要になれば、むしろ軽量化に貢献します……むかしはマップを持たずに登山するなんて考えられなかったんだけどな。もうヘッドライトもいらんかな。スマホのライトがあるしなあ(笑)。
最初からすぐプレイできるゲームというのは飽きるのも早くつまらないものです。逆に最初は失敗ばかりの難易度の高いゲームほど奥が深くて満足できるゲームが多かったのをよく覚えています。
払わなくてもいいお金は一銭も払わないというこのスピリッツこそが「お金を貯める力」の真骨頂です。「お金を稼ぐ力」だけで「お金を貯める力」のないもう一人の相続人に、どうすればお金が貯まるのかを見せつけてやりました。「節税はお金持ちへの一里塚」です。
「海外旅行に必要なのは昔は勇気、今はネットリテラシー」だと私は言いました。ロングステイの場合、ベッドではなく部屋を借りるためにも、長期滞在の時間を有意義に過ごすためにも、やはりネット環境が必要のようです。旅のために、ネットリテラシーをあげていきたい今日このごろです。
実店舗証券会社は手数料で儲けているとは知っていましたが、これほどまでとは驚きました。そして自分が選んだネット証券がやっぱり正しかったのだと確認できました。
もともとが他人の財産だったものを相続人だということでやっと引き継いで売却できるのですが、そのためには「遺産分割協議書」と「法定相続人情報一覧図」が必要になります。作成に時間がかかるのは法定相続情報証明のほうです。したがってまっさきに片づけるべき書類は法務局の「法定相続人情報」ということになります。
私はマラソンの経験を通して人生はマッチポンプ(ハレとケのバランス)だと学びました。それはスペンス氏が議論を通じて学んだものと同じものでした。 たとえ相手を変えることができなくても、生きている実感を感じることはできるでしょう。ジャンプしなさい!
たとえ相続であっても、銀行系投資信託の場合にとられなかったキャピタルゲイン(売却益に対する税金)が、証券系投資信託の場合にはちゃんと取られます。同じ相続で、同じ投資信託なのに、銀行系は税金がとられないのに、証券会社系は税金がとられるというのはおかしいと感じました。
人がふれあいを求めるのは、マッサージしてほしいから? 抱き合うことって、全身マッサージなのかもしれません。 しかし……すこし運動したらクリスタルデポジットが詰まってマッサージしないとならない体なんて、じっさいのところ初期不良品のようなものじゃないでしょうか。
かつて海外旅行するのにもっとも必要なものは「勇気」でした。今夜どこに泊まるかわからないという状況の中でも次の街に進むためには勇気が必要でした。しかし今日海外旅行するのにもっとも必要なものは「ネットリテラシー」のようです。もはやネットリテラシーさえあれば勇気さえも旅には必要ないのかもしれません。
現在の台北には街中の両替屋が簡単に見つけられません。他のアジアの諸都市のようなつもりでいつでも両替できるつもりでいると現金が枯渇して旅が続けられなくなるかもしれません。台湾を旅行される方は、現金残高にご注意ください。
何とも言えない強烈な読後感が残りました。繰り返しますが、何が正しいのか、はっきりわからないのです。作者の意図が読めません。意図を読めないようにするのが作者の意図なのかもしれませんが……。しばらく時間がたったらまた読み返してみたいと思えるような心に残った一冊でした。
この手の勉強系の本は、いかにわかりやすくたとえるか、卑近なものによせてわかりやすく説明する、というのがキモになります。そういう意味でギャグで読ませるさくら剛の本はこれからも読んでみたい本のひとつです。
「自分なりの世界三大名画」を選んだら何になるかやってみたら面白かったので、ここでは「自分なりの世界七不思議・セブンワンダー」を選んでみました。
人に飼い慣らされているというジンベエザメのことを彼女は信頼しているのでしょう、人間を襲ってこないと。しかし私はしょせんは魚にすぎない巨大生物のことをまったく信頼できないのです。指先サイズぐらいしか脳ミソのない魚畜生のことを何でそんなに信頼できるというのでしょうか。
何も準備しない主義だからこそ、ふっと思いたった時に旅に出られるのだと思う。だからこそ多くの旅に出られたのではないか。旅は、現地で何が起こるかわからないぐらいの空身素手で旅した方が「トラブルをクリアしていくゲーム」になって楽しくなると思うのだが……。
空港は関門。必須アイテムがないと突破できない私は海外旅行をドラクエ的な関門突破ゲームと思って楽しんでいます。空港がイミグレーションに代表されるひとつの関門であることは誰しも異論のないところだと思います出入国、トランジットではぜったいにパスポ
左折の場合は大丈夫です。問題は右折。知らない道路で右折する場合、道路逆走でないか、みなさんよく確認してください。追い越し車線を、右折の走行車線と間違えないように。せめて反対車線にヘッドライトを光らせた車が走っていればいいのですが、夜で周囲が暗いため、中央分離帯がときに路肩に見えてしまうときがあるのです。
子供の学費に苦しんでいる親が多いと聞くけど、ランドセルを義務にしないで、カバンなんて何でもいいことにすればいいじゃないか。デイパックなんて二千円ぐらいで買えるのに。登山用のバックパックで兼用させてください。
食品添加物はほんとうに体に悪いんでしょうか? 和食しか食べなかった江戸時代の人たちはどうして現代人より寿命が短かったんでしょうか? 歩くことは本当に体にいいんでしょうか? 人間の寿命が延びているのは、医学の進歩だけが原因なのでしょうか?
第十九章心の中の何かがはち切れそうになっていた。ミナトセイイチロウに会いたい。会って話しがしたい。こんなときになぜミナトの顔が浮かぶのだろうか。ツバサは自分の心の流れを不思議に思った。向こうは演劇界の大物、それにくらべて自分はまだ何もなしと
「××」といって人それぞれで連想するものが違うからです。「××」から「想像するものが違う」「思い浮かべる主体が違う」などによって会話が成り立たないんですね。会話は、まずは「頭に描いている主体語」のすりあわせから始めなければなりません。
「領土」をお金で買えるシステムは「禁じ手」ではなく、アリとしておいた方がいいのではないかと思います。商売(お金)で買えないとなると、どうしても欲しかったら強盗・強奪(戦争)するしかなくなりますから。
第九章すべてが、終わった。ツバサは力なく椅子に座りこみ、うなだれていた。控え室に戻ると、劇団のみんなが彼を避けるように遠巻きに見ていた。舞台の上で何が起こったのか今でも理解できていない。どうして客席から拍手がわき起こったのか。たった今、キリ
国際化がすすんで近所の高校のクラスメートに普通に黒人がいることにも驚いたし、その黒人が体育の授業前に日焼け止めを塗っていることにも驚いたし、彼のいないところで総ツッコミを受けていることにも驚きました。笑いをこらえるのがたいへんでした。
作者のカレル・チャペックは『白い病』を上梓した翌年、1938年に、自分の戯曲の予言が半分あたり、半分はずれたことを知らずして死にました。あるいは戦後まで生き残っていたら、『白い病』におかしな改作に手を染めたかもしれません。これでよかったのでしょう。
第一章アスカの過去と母の祐希の過去が重なった。二人はあまりにも似すぎていた。ひとつだけ違うことは、母は死を選び、アスカはひたすらに明るいことだ。しかしその明るさがツバサの心を苦しめた。なぜ母はおれを置き去りにして自ら死を選んだのか。少年の日
元寇のためには朝鮮半島ではたくさんの舟を建造する必要がありました。もしかしたら元に征服されて強制労働に狩りだされた朝鮮人が、こっそり日本に情報をくれたのではないでしょうか。敵の敵は味方ですからね。いつ来るともわからない敵あいてに七年間も総動員体制が維持できるはずがありません。
情報通信や人工知能の発展によって、仕事がなくなるのではないか、と心配している人がいますが、心配はいりません。江戸時代にメジャーだったお仕事だって、現在はたくさんの業界が没落、壊滅しています。でも日本人は飢え死にすることなく、人口は増え続けました。経済規模も拡大したのです。
海を行く船が一時的に淡水湖を通過するというのがパナマ運河のしくみでした。スエズ運河は平坦な地形で掘削しやすかった。パナマ運河は山岳地帯で川で人造湖をつくりやすかった。そういう地形と工事上の違いがスエズ運河とパナマ運河の違いを生み出しているのです。
断食派の言うことを信じるならば、食欲は「なかったこと」にして煩悩滅却するしかないのです。食欲に悩まされている限り、心の平安はありません。欲は捨てろ、という仏陀の悟りが断食によって見えてきました。だから断食派は宗教ぽいというのです。ヨガ行者のようでもあり、カスミを食って生きる仙人のようでもあり、仏陀のようでもあるからです。
断食派の言うことを信じるならば、食欲は「なかったこと」にして煩悩滅却するしかないのです。食欲に悩まされている限り、心の平安はありません。欲は捨てろ、という仏陀の悟りが断食によって見えてきました。だから断食派は宗教ぽいというのです。ヨガ行者のようでもあり、カスミを食って生きる仙人のようでもあり、仏陀のようでもあるからです。
幸福論を読んだからって幸福になれるわけではありません。どちらかといえばわたしは悲劇の物語を読んだときの方が、自分の幸福を感じることがあります。彼らはきっと幸福な気持ちを瞬間燃えるように感じて生きたんだろうなあと感じるからです。
「病院に行くと病気になる」信念で、これまで痛くないかぎりは病院に行かなかった私が、坐骨神経痛で人間ドックをはじめて受けたわけですが、やはり病気になってしまいました。だから行きたくなかったんだよ病院。だって病院に行くと病気になるんだもん。
Amazonアソシエイトをやれば、商品紹介にかこつけて、いくらでも画像を引用することができます。引用した画像がブログ記事をたすけてくれます。Amazonアソシエイトはすべてのブロガーがやるべきだ、という理由がおわかりいただけたでしょうか。
自作小説『片翼の翼』を公開します。読みやすい媒体で読んでいただきたく思います。
死ぬ気で戦えば、人間の方が犬よりも強いのです。体重60kgの生き物に、体重20kgの生き物は勝つことができません。体重が勝負を決めます。証拠はあります。人間の方が強いことが心底わかっているから犬だって人間に従うのです。自分の方が強いと心底思っていたら野性を残したオオカミの末裔が、人間なんかに従わないでしょう。それが証拠です。