chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
がじゃらぼ | -統合失調症"当事者"が発信する- https://gajalabo.com/

がじゃらぼ -統合失調症"当事者"が発信する-【公式サイト】統合失調患者がじゃまる(@gajamarudesu)が発信する、精神病をよく考えるブログです。

がじゃまる
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/02/02

arrow_drop_down
  • 統合失調症を持ちながらの就職活動までについて

    どうも、がじゃまるです。 私は統合失調症を持ちながら就職活動をして今の会社に就職して4年が経ちました。しかし就職活動をしている時に困ったことがあったんだよね。 それが、統合失調症を持ちながら実際に就職活動をしたことをネットで公開されている方は少ないってこと。 ということで、私の就職活動をモデルケースとしてご紹介しますのでイメージが湧かないという方はご参考にしてください。 ただし、これが正解というわけではありません。このようなやり方も一つとしてあるんだと読み物として読むといいかもしれません。 オープン雇用をするためにやったこと 障害者就業・生活支援センターに相談 精神障害者保健福祉手帳を取得 障害者リハビリテーションセンターで職業訓練 就労移行支援事業所で訓練 ハローワークと連携して就活スタート 企業から内定 まとめると以上になります。 では一つずつ簡単に説明していきますね。 障害者就業・生活支援センターに相談 クローズで前職に就職し断念した私は絶望してしばらく家で塞ぎこみ生活をしていました。もうこの時の状態はめちゃくちゃで一日中部屋に籠っていたかな。この時の生きがいは大学時代の友達と一緒にするオンラインゲームだった気がする。誰とも喋る機会が全くなかったからね。 しかし、ここでこれではいけないと思って、手帳を取ってオープンで働こうと一念発起しました。ただ、全くやり方がわからない。色々ネットで調べてもわからないし一人でやっても自信がないし。そしたら近所に精神疾患を持ってる人のための就活を相談してくれる事業所があるって知ってね。それが障害者就業・生活支援センターだったんよね。 精神障害者保健福祉手帳を取得 障害者就業・生活支援センターに実際に行って身の上を話して相談したら職員の方が親身に相談に乗ってくれて。精神障がい者就労コーティネーターとかいう専門の担当の方がついてくれたのよ。 職員の方と計画を練ってまずは障害をオープンで働くために手帳を取りましょうってことで手帳を取得することになりました。

  • 初めての精神科の閉鎖病棟の保護室での体験談

    精神科と言われてイメージするのはどのようなものでしょうか。 私は病気になる以前は全体的に部屋は薄暗くて患者さんが数人ウロウロしながら車いすに座っている老人が独語を喋っているみたいなイメージだったのですが、実際に入院して思ったことは半分は合っているし、てかほぼ違うしって感じです。 でも閉鎖病棟の保護室に関しては「そんな所あるとも思わなかった」が正直な感想です。 最初の入院は、すぐに保護室に入った 私は発症直後、精神科の病院に行きすぐに保護室に入りました。 それは大部屋を介さずそのまま保護室に入りました。 最初の問診を経て何も説明されずにそのまま保護室です。 今でも感じていますがいくら未成年で極度の興奮状態とは言え少しは説明が欲しかったなとは思います。書類や何ももらいませんでしたから。 初めて保護室に入った瞬間、病衣に着替えさせられ。鍵を閉められて部屋に一人にされました。保護室は布団とトイレ以外何もない窓には檻がかかった密室です。おまけに部屋には監視カメラまであります。 見たことはありませんが例えるなら独房のような所でしょうか。 トイレも自分で流すことが出来ません。看護師が巡回した時に流してもらいます。 水も看護師が巡回した時に紙コップに入れてもらいます。 初めて保護室に入ってまず思ったこと 「これで学校の勉強をしなくてすむんだ」 それはなぜか安心をしたのでした。 しかし夜になり一人になると猛烈に不安になります。 「自分はこの部屋で一生を暮らすのではないか」 その夜からずっと起きて叫び壁を叩いていたのですがそれから記憶はありません。 気づいたら朝になった。それが何時間起きていて何時間寝たのかもわかりません。 だって時計もカレンダーもないわけですから。 窓から外を眺めると病院の患者さんが外を集団で散歩しているのがたまに見えました。 そこには若い方から年を取った方までいます。 「自分もこの病院で暮らして一生自由がないのでは」という不安も生まれてきます。 保護室の中には何もありませんでしたし、ただ考え事をして一日が過ぎるだけでした。 想像してください。スマホや本も何もない状態で部屋で一人きりで過ごすのです。

  • 障害者雇用で実際に働いて感じたこと

    病気を持ちながらある程度回復してきてまず思うのが 「そろそろ働かないとアカンな」 だと思うんだよね。 どれだけ多様性のある働き方が出来るとはいえやはり会社に勤めて働くっていうのはスタンダードな働き方のはず。 それは精神のジャンルでも同じだと思うんだよね。 働くことは必要だと。 今回はそんな精神の枠で障害者雇用に4年勤めている私が見えてきた障害者雇用の企業側の本音に少し言及します。 企業は障害あるなしに関わらず優秀な人材が欲しい 今、病気を持っているみなさんが就活をする時に考えてほしいことは、決して会社が自分を成長させてくれると考えない方が良いことです。 それが実務経験のない若い人であれば長い間、働くことができるという武器になるし年齢がある人は実務経験が武器になる。 年齢がある程度いっていて実務経験がない人はまずどんなジャンルでもいいから実務経験を積むことからだろう。 そうなると、企業としては当然だけど病気を持っていても実務経験や技術がある人が当然欲しい。もうそれは当たり前なんだ。 企業とは利益を追求する組織であり、ボランティアでもなんでもない。 だから、病気があるんだけど雇ってください!と憐みの心で挑んでも全く響かないないし、ただただ「働きたいなー」と思っても雇ってくれるわけがない。 だから、病気を持っていようが関係なく自分が市場で価値のある人間にならなければそれは需要から考えるに難しいし、企業も当然優秀な人材が欲しくなると思うんだよね。 会社の取締役の上司がしてくれた話 会社の取締役の上司が話してくれた内容がとても印象的で 「以前、前職で銀座で働いていた時に近くに取引先のクロネコヤマトさんの展開する障害者の人たちが販売するカフェに行ったことがあるんだけど、コーヒーもパンも美味しくてとても良かった。病気や障害があるに関わらず価値を生み出せるかが大切なんだ。憐みから買ってくれという商売ではなくて、消費者が買いたいと思うようなサービスを提供するのが大切なんじゃないか」 ごもっともですホント。 やはりしっかりと価値を消費者にも提供できないとお互いの為にならないと思うのです。

  • 統合失調症の急性期の体験談について語ります

    先日、ふと統合失調症の急性期について話題になったので、そう言えば自分も急性期があったなぁ……と振り返る機会があったので今回は私の急性期の経緯についてちょっと語ります。今でこそ自分のペースで働いて、結婚もしましたが正直言って結婚願望なんて全くなかったし10年後20年後なにをしているかなんかわからなかったわけですから。 よく発病前は将来の自分はどうなっているか想像したり発病後も自分はどうなるんだろうとか思ってましたが…まだまだ人生において未熟者ですがふと、自分を振り返る時があります。 今考えても訳の分からない前兆期 高校1年生の春休みでしょうか。 本屋さんで一冊の本を見つけて興味本位で買ってみたんです。 当時私は厳格な父のもと私立の進学校、それこそ全国の誰でも名前の聞いたことのあるような高校にいました。しかしそこは賢い人ばかり集まる場所ですから、僕のような目標もなくやる気を失った生徒は当然落ちこぼれになるわけです。 僕は典型的なエリートからの落第者でした。 学校の先生も両親もとても厳格だったので当時はとても叱られていました。 高校1年生の冬頃でしょうか。 このままではいけないと一念発起した僕は心を入れ替えて勉強したんですよ。 そしたら自分でも予想しない成績のうなぎ上り。 なんか、嬉しくてそれが。 自分が認められた気がして嬉しくてたまらなかった。 成績が上がるためにはとにかく時間が必要だった でも、巻き返しを図るには時間がとにかく足りなかった。 そこで冒頭の本に出会ったんだよね。 その本の内容は…詳しく覚えてないけど確か「瞑想とか睡眠法」の本だった。 その本には瞑想を習得したら睡眠すら要らないって確かかいてあったんだよね。 「これだ!」 とその時に思ったんだよね。 「睡眠なんて無駄だ!その時間を勉強に充てればいいじゃないか」 すでにこの考え方自体がヤバイのでおそらくこの頃から前兆期は始まったんでしょうね。 僕はその日から本に書いてある瞑想をして眠らず夜通し勉強しました。 そしたらね、なにが起きたかって言うと全く勉強できずに考え事がどんどん頭に浮かぶようになったんだよね。

  • 働いているから偉いとか言っている人はその程度

    「うるせぇ、ニートのくせに偉そうなことを言うな!」 たまに見かけるよね、こういう人。 いや、理屈はわかるんだよ。 自分は税金を払っているだ!とか自分のお金で生活してんねんとかね。 この国の三大義務の中に「労働の義務」があるわけだから確実に働いている人は偉いんですよ。 嫌なことがあっても取引先に頭下げ回っても上司に怒鳴られても、それでも日々働いているってのは僕は偉いと思うよ。 僕も職場でキツイ事言われたら頭が「イーッ」ってなるもんね。 だから僕は自分で自分のことを偉いとちゃんと褒めてあげるよ。 かと言ってニートを叩くのは違うんじゃないか そこでですよ。 働かない人を叩くのはちょっと違うんではないかと。 身内ならまだ、わかりますよ。 働けるのに働かない放蕩息子だったら。 それは自立を促すべきです。 働けというよりは自立しなさいと。 でもね、働けない人を叩くのはちょっと違うんじゃないかなって思う。 それは精神疾患に限らないよ。 世の中には働きたくても働けない人はいるんだよ。 そういう人に向かって「このニートが!」ってのはちょっと違うんじゃないかって。 うつ病に、統合失調症になったら。 症状がきつかったらとても働けないよ。 特にその病気の原因が見えない家庭環境だったりしたらね。 親に十分な愛情を受けた人はわからないかもしれない。 だけど、そういう人もいるんだ。 すると不安から周りに迷惑をかけたり不快な思いをさせてメンヘラと言いたくなるかもしれない。 反論してきたらメンヘラニートと言いたくなるかもしれない。 その気持ちも正直わかる。 大切なことは自分の主観なんだ だから、僕が言いたいのは「偉い、偉くないは個人の主観でしかない」ということ。 そもそも偉い、偉くないと考えている時点ですっごい器が小さいんだ。 じゃあ、もっと働いて稼いでいる人が偉いの? お医者さん? 国会議員? ソフトバンクの孫さん? 僕は商店街の八百屋さんだって十分素晴らしい仕事だと思うよ。 よく売れる野菜を仕入れて在庫も管理して接客からなんまで全部して。 バイトだから偉くない? コンビニのバイトしたことある? 宅配便の受付からゴルフ便やらカード支払いに発注に金庫管理。

  • 聴覚過敏の私が音が敏感での辛い!イライラ!を考え抜いて解決した話

    やたら音がキツイ。大きい音はもちろんのこと、些細な小さな音にもイライラしてしまう。横になろうとしても家の外を走る車の音や家電の音とかですらなんかもう疲れてしまう。自律神経が乱れているのか神経質なのかわからないけど辛いよね…。 音が敏感で辛い時はデジタル耳栓とイヤーマフのW遮断 私はその対策として最終的に考えに考え抜いてキングジム デジタル耳せん MM1000とAVANTEK 防音イヤーマフに落ち着きました。 一般的なドラッグストアに売っている耳栓もいいんですけどね。 なんかすぐ外れちゃうしフィット感が気持ち悪いので私は断念しました。 抑うつが強いと家でも些細な音が気になる 私は一年間抑うつがきつくて自宅療養していたことがあるのですが、一日中家にいるってのも結構ストレスがかかるんですよね。 もちろん、体に力が入らないので外にも出れないし。 私の家は近くに幹線道路があるので車の走る音やパトカーの音がかなりしんどいでした。 自宅療養しても完全な無音ってのはなかなか難しいのはみなさんも理解できると思います。 入院しても完全な無音にはならない 療養期間中に私は調子が悪すぎて一か月ほど精神科に入院しました。 これでゆっくりできる!と思ったんですが病院は病院で実はうるさいんです。 館内放送でドクターの呼び出しだったり大部屋では隣の人の小さな音とか。 だからこそトラブルも多かったんですけど。 そもそも何もしないで完全な無音なんて無理なんじゃないかと。 無人島行っても鳥とか飛んでるわけですからね。 風も波もあるし。 ということでデジタル耳栓とイヤーマフを試してみた というわけでデジタル耳栓とAVANTEK 防音イヤーマフを試してみたんです。 デジタル耳栓はノイズキャンセリング機能だけあるイヤホンです。正直これだけでもかなり違います。ただしデジタル耳栓は実用も兼ねてるので実生活で必要な音、人の会話なんかは全然聞こえちゃいます。 でも外の車の走る音なんかはこれだけでもかなりカバーできます。

  • メンヘラとレッテルを貼られたくないなら自分もレッテルを貼らない!

    「Twitterやってるメンヘラってだいたい○○だよね」 「精神病持っている人は○○アピールするよね」 精神疾患を持っている人にとってこのような言葉はとても胸が痛くなりますよね。 「みんながみんな、そんなわけじゃないのに…」 このような時ってのは精神病を一括りにレッテルを貼られて発言されています。 なので、こんな発言をやめてほしい!って人の考え方の提案がこの記事になります。 とうのも私も今まで似たケースでこれに近い考え方をしていた瞬間がありました。 しかし、それが「認知の歪み」という偏った考え方からくるものだったと理解するのに非常に困難でした。この「レッテル貼り」を客観的に見られるようになってから、心の苦しみや生きづらさが確実に減ります。事実これだけは断言できます。 まず自分がレッテルを貼らないようにするべき まずは自分からではないでしょうか。自分の無意識による先入観やレッテル貼りはないでしょうか。 例えば今だったら高齢者へのバッシングとか。 「だから老害は!」と考えてしまう瞬間とかありませんか? 「政府が!」 「国会議員が!」 「男って!」 「低学歴は!」 これってよく考えると全部レッテルを貼っていませんかね? ある属性に関わる人を全てこのような形で語るのは完全に偏った考え方だと私は思うのです。 だから「メンヘラは○○だ!と言わるのは嫌だ」なのに「老人は○○だ!「国会議員は○○だ!」そしてきわめつけは「健常者は○○だ!」と断定的に言うのはおかしな話なのです。自分はレッテル貼りをされたくないのにレッテル貼りをしてしまうんではないかと。 だからこそ、この歪んだ考え方であるレッテル貼りをしてないか自分自身で気を付けないといけないと思うのです。 全くレッテルを貼らないことは不可能だ ここまで説明しましたが、正直全くレッテルを貼らないで生きていくのは僕は無理だと思います。中には器の大きい人を判断できる人もいるでしょう。 しかし、そこは人間ですからこのタイプは多分こうだろうと自身の経験から相手を決めつけする場合もあると思うのです。 だからこそ、このレッテル貼りではないか自分を客観的に見る余地がないかが大切だと私は言いたいのです。

  • 【体験談】障害者雇用のオープンで実際にどんな仕事をしているの?

    どうも、がじゃまるです。 私は障害者雇用で働いて4年ですがこの間どんな部署でどんな仕事を実際にしているかご紹介します。会社や職種によって違うと思いますが、私に与えられた仕事の内容になります。 まず会社の簡単な概要ですが詳しくは話せないのですが 会社:家庭用品の商社 部署:本社 経営企画部→総務部人事部 そして仕事内容です。こちらも具体的には書けないのですが 画像加工 動画作成 データ入力 画像加工システム作成 企画書システム作成 販促POP作成 ブランドホームページ制作 商品システムWebサービス開発 各EC企業用商品入力フォーマット作成 イベント運営 システム効率化ソフト開発 取締役会資料作成 他社分析 まぁ、なんでも屋さんでしたね…。 これにシュレッダーとかコピーの資料作成とかしてましたから。 障害者雇用でも仕事は正社員と変わらないと言われていましたが正直技術的な面では正社員以上の事をしていたと思います。 ただし、商談をあまりしなくて良かったり出張もなく、また私が電話応対が苦手なのでなるべく配慮してもらったりそこに関してはちゃんと考えてもらえました。 私は技術的に動画制作や画像加工にExcelもVBAまで扱えたので会社としては貴重な戦力としてとても重宝されました。 なので自分の作ったPOPが実際に店頭に並んだりWebサービスがプレスリリーズされると言葉では言い難いやりがいみたいなもの生まれました。 唯一、働きにくかったことは直属の先輩が過干渉だったので、それがストレスとして大きいことでしたかね。 一つだけ言えるのはかなり仕事内容としては権限が少なかったことです。 私も変になんでもできてしまうと責任が取りきれないので助かりましたが、もしかしたらこのことを疑問に思われる方もいるのかなぁと。 仕事の忙しさに関してですが、とりあえず休む暇はまずありませんでした。 一日のタスクが10近くあり、終わっても終わってもタスクが増えていくみたいな。 一年で唯一自社開催の展示会直後だけゆっくりできるというか。 わたしのような事務職は障害者雇用であまりないかもしれませんが仕事内容としてはこのような感じです。なかなか具体的に説明されてるものもないと思いますんでね。 ということで体験談といしての障害者雇用の仕事内容でした。

  • 統合失調症を持ちながら彼女の家族に結婚のお願いをしに行ったら

    どうも、がじゃまるです。 今回は私が今の妻と結婚に至るまでの「彼女の両親に挨拶に行った話」です。 統合失調症を持ちながら相手の家族に結婚の許可を貰いに行くのはキツ過ぎる いや、今思い出してもあの時はキツイでした。 彼女の家族に挨拶に行くときの緊張は尋常ではなくさすがにバンバン頓服を飲んだ記憶があります。 脳裏にあるのはひとつだけ。 「病気があるのでは娘とは結婚は出来ない」 やっぱりこれですね。 お互いがどんなに固い意志があっても相手の両親にこれを言われるともう一気にきつくなりますから。 相手に病気の兄弟がいるだけでも反対する家族がいるのですから…こればっかりはどうしようもありません。 彼女は私が病気であることを理解してくれおりそれも受け入れたうえで私との結婚を誓ってくれました。 実際はとてつもなくあっけなかった 彼女の家に着き彼女のお父さんが居間にやってきました。 緊張からか喉がものすごく乾いて出されたお茶ばかり飲んだ気がします。 しかし、最初に挨拶をして天気の話など世間話をしたらどうも、お父さんの様子がおかしいのです。 というのも、ニコニコしながら 「さぁ、ね。お話しましょう」 と早く結婚の話してくれという雰囲気に。せかされた私は想定外に早めに 「娘さんと結婚をさせてください」 とお願いをしました。 お父さんはすると、ちょっと困り気味つつ笑顔で 「それは、娘が決めた相手だからね。こちらがどうこう言うことじゃないよ」 …せっかちなのか?なんなんだこのくだりは。 本題である自分の病気について話してみた 私「私は統合失調症をという重い病気を抱えています。今は安定していますが調子が悪い時もあります。ですが娘さんを必ず大切にします。それでもよろしいでしょうか?」 お父さん「娘が幸せなら病気とか関係ないよ。娘をよろしくお願いします」 あっさり終わった…。 ご家族との挨拶はこの後に1時間ほどで終わりました。 後から聞いたのですが、お父さんは全く結婚の反対をしてなかったみたいでむしろ喜んでいたみたいです。 それは意外な所からわかりました。 私は当時、彼女と同棲をしていたのですがよく彼女のお母さんが家に遊びに来ていてお母さんと食事をしたり話をしていました。その様子をお母さんが事前にお父さんに伝えていたそうです。 それが好印象だったらしく全く問題なかったとのこと。

  • 自分を許せないと他人も許せないし病気も治らないぞ

    どうも、がじゃまるです。 あなたは他人を許せていますか? 他人の行動が気になるとかどうしても許せない人がいるとか。 他人の行動が許せないって人がいたら要注意です。 それは自分の健康を悪くしている可能性もあるかもしれませんよ。 自分を許せないと他人を許せないぞ 他人を許せないって人、それは自分の価値観を他人に押し付けている事と同じだと気づいていません。 それは、何を意味するかと言うと「自分を許せていない」わけです。 自分自身が自分を許せていないのです。 もっと詳しく言うと「自分を受け入れていない」ということです。 自分を受け入れていない人は未熟です。 未熟だから故に他人の行動が気になるし、口を出したくなるのです。 例えば「太っている自分が嫌だ」という人は「太っているという事実」を受け入れていません。 事実を認めていないのです。 だから、他人に「太っている」と言われたら不快になるわけです。 「太っている」ことを認めている、受け入れている人は特に怒りを感じませんし、だったら痩せようと努力をするわけです。 つまり、他人にどう言われようが関係ないし他人に何かを指摘する気もおきないのです。 自分を許すことで日々の生きづらさか変わってくるんです。 回復は許すことから始まる とは言っても相手に嫌な事をされたら当然、腹が立ちます。 世の中は理不尽なことばかりです。 それは十分にわかります。 しかし、まずは自分を許すことができないと他人を許すことなど到底できないのです。 病気だってそうです。 誰かが悪かったから病気になったと恨み続けたら治るもんも治りません。 まずはそのような負の感情を持つ自分を許すことからなのです。 そして理想とする自分と現実の自分のギャップを埋めていくのです。 それが精神的に病気が回復していくということなのです。 まずは自分を許すことから始めよう なので、まずは些細なことからでいいと思います。 許しの心を持つこと。それはまずは自分からでいいのです。 他人や相手ではなくまず自分から許すことがスタートなのです。 あなたが誰よりも許せないのは不甲斐ないと思っている自分自身である可能性がとても高いのですから。

  • 【統合失調症の当事者が選ぶ】統合失調症の効果的だった治し方ベスト3

    どうも、がじゃまるです。 私は統合失調症を抱えながら一般企業の障害者雇用で働く成人男性です。 私は、この記事を書く1年前に統合失調症の寛解が医者から告知がありました。 統合失調症を寛解と診断された件 と言っても寛解ってこういうことなのね…、と思いましたが。 完全に治るタイプの人も中にはいるんだろうなと思いながら。 統合失調症って治し方がだいたい よく休みましょう 薬をしっかり飲みましょう 生活リズムを整えましょう いや、こんなんじゃないからって思いませんか? わかりますよ。言いたいことは。 でももっと本質的な方法を知りたいって思いませんか? なので統合失調症の当事者がこれが良かったよ!って情報がなかなかないので今回は私が自身の体験で良かったことをまとめました。 ただし、私の場合なので全ての人に効果的か出来ることなのかはわかりません。 当事者が発信する情報としてご覧ください。 1.家族と別居する 家族は統合失調症において重要な存在です。 症状が酷い時は周囲の家族の助けがかなり必要になります。 しかし、そんな家族だからこそ逆に病気が回復してきた時にストレスになることもあります。 「早く仕事につきなさい」 「病気は治らないの?」 家族の理解というのは必要ではあるけど上手くいかないのも現実だったりします。 家族は言いたいことがお互いに言えるため喧嘩やトラブルになりやすいです。 私は支配的な親の元で育ったため病気を発症した後にこの人たちの近くにいてはまずダメだなと思い親元を離れて一人暮らしをしました。 親と物理的な距離を置くことでかなり過ごしやすくなったのも事実です。 病気を持ちながら一人暮らしは壮絶に辛いでしたが…。 しかし、効果的ではありますが金銭的な問題や病気の症状、自身が一人で生活できるのかどうかなどの問題からこれは条件としては難しいのもまた現実であります。 2.統合失調症を治さない わたしはこれをまずは推しますね。 病気と共存するという生き方です。 私も20年近くこの病気と付き合って生きてますが多分、完全に治すのは難しいと思うんです。 症状がキレイさっぱりなくなったという人はごく稀なんじゃないかなと。

  • なぜ自己否定は簡単で自己肯定は難しいのかを考える

    みなさん、どうもがじゃまるです。今回は病気関係なく多くの人々が悩むことであり、また精神病の人にとっては大きく回復に向かう「自己肯定はなぜ難しいのか」を考えます。 自分の長所について 「自分の長所を探しましょう」と言われてみなさんは困ったことはありませんか?僕はとても困りました。素直に思ったことは「自分の悪い所だったら簡単に分かるんだけどな……」でした。自分の長所を探すというのは私の体験や周りの人を見ていると実に難しいものだと思います。これは一体なぜなのでしょうか。 では、ここで「自分の短所を探すこと」に焦点を合わせましょう。自分の短所を探すのはとても楽です。ポンポンとまるで山ができるように出てきます。頑固、せっかち、優柔不断、神経質、完璧主義……。もう考えるより早く私の場合は出てきました。 ここで、就活の学生さんみたくエントリーでもした会社の面接であればそれを表現を変えて長所に持っていくことができるのですが、この記事と方向性が違うので今回はなぜ短所がこんなにも簡単に分かるのか考えていきます。 私が考えた自分の短所を探すということは言い換えれば「自己否定すること」に極めて近いことだと思います。なので「自己否定をすることはとても簡単」だということに気づきいてしまいますね。それは自分が上手くいってない、やりたいことがあるけど現実できていない。現状の自分の問題点・課題で、まず修正しないと自分の人生が不幸で前進しない。だから、脳が注意喚起してるからだと私は考えました。生物として自分が生き残る為の本能として警告しているのだと思います。だから「自己否定すること」は簡単なのではないでしょうか。 だからこそ、現状問題なく上手くできてること「自分の長所」が見えづらいのです。なにか自分の長所を探せと言われて「おこがましい」「謙虚な気持ちであまり認めたくない」となりませんか。これが「自分の長所」を見つけづらさのひとつの要因だと思うものです。 では、自己肯定というのは実際大切なのでしょうか?

  • 抑うつが強すぎる時に将来の不安をするのは損だ!

    「この先の事を考えると不安だ」 「将来、結婚できるかな。老後は大丈夫かな」 とにかく、この先のことって不安になりませんか? 将来の自分はどうなるのかなって。 僕はめちゃめちゃ不安でしたよね。 お金のことから結婚からもう何から何まで。 でもね、ある日気づいたんです。 先のことを不安に思うのはめちゃくちゃ損だと。 不確定な未来の事を不安に思っても解決はしない では、あなたが安定した余裕がある収入があり、自分を理解してくれるパートナーがいたとして不安は消えるのでしょうか。答えはもちろんNoです。 収入があっても不慮の事故にあえば簡単に命を落とすでしょうし、収入も会社が倒産したり過失で払わないといけないなど、こんなん例えそれを手にしても不安は尽きないと思うんですよね。もちろん、安心はすると思いますよ何もない時にくらべて。 でも、不安ってのは想像したら尽きないものだと思うんですよ。 とりあえずどんな人間でも将来は100%死ぬ 僕は死についてとても考えた時期がありました。 自分も自分の周りの人もいずれ死ぬことを考えるだけでうなされて気分が悪くなり夜中突然目が覚めるみたいな。抑うつが酷い時は常に死について考えていました。 そこで、考えて考え抜いて一つだけわかったことがあったんですよね。 「まだ、死んでないのに死について考えるのはおかしいんではないか?」 ちょっと哲学みたいな感じになってしまいますが、要するに死について考えても仕方がないんじゃないか。だって生きてる以上は必ず死ぬわけだから。 そしたら、まだ起こってない未来のことをどんだけ考えても仕方ないんじゃないかって結論に達したんですよね。 今を生きるしかない もちろん、不安は尽きないですよ。じゃあ、不安に押しつぶされないようにどうすればいいかって考えたら、自分が嘘偽りなく本当にやりたいことをして、それが達成できたら…その間の時間というのは不安について考えないんじゃないかなって。 だから、今できる事を真摯に取り組んで、夢中になるのが一番なんじゃないかなって。 それは、大人になって忘れてしまってた"没頭"なんじゃないかなって。 子供の頃は何もかもが新鮮で没頭する毎日じゃなかったかなって。

  • 統合失調症を寛解と診断された件

    どうも、精神病をよく考える・統合失調症ブロガーのがじゃまるです。今回のブログは統合失調症を寛解と診断された記事になります。 私は現在35才病歴19年の男性の統合失調症患者です。今回はこの19年間の闘病生活の中で初めて医師に「寛解している」と診断された体験談をご紹介します。 初めに注意事項としましては、あくまで今回は個人の体験談であり、具体的な寛解の仕方ではありません。なので個人のケースにより寛解は違うことをご理解ください。 寛解について日ごろから思っていたこと 私は高校生の時に統合失調症になり今では病歴19年になります。 発症当時は幻覚や妄想がとても激しいでしたが発症直後の3回の入院でかなり症状は良くなりました。今現在は長い回復期の途中で「早く寛解しないかなー」と待ちわびている毎日であります。数年前の資料になりますが私の病歴です↓ 私は高校も卒業し大学に進学して、就職までしましたがそれでも担当医は口をそろえて寛解に関して何も言いませんでした。 そう言えば普段、担当医の先生って寛解に関して何か言ったりしませんよね。 私は単刀直入に聞いたんですよね。 まぁ当時は寛解したら体が楽になって体調も良くて仕事もなんでもできるだろ!って思ってたんで「まぁまだ寛解はしてないよな」ぐらいに感じていたんですよ。 ある日を境に突然、寛解を宣言された それが、ある日以来医師に寛解を告げられたんです。 それは、何かと言うと 精神科病棟入院。 ってのもこの入院は急性期から10年以上経って療養のために入院した時の話です。 その時、担当医に病歴を全て話して診断してもらったんです。 というのも僕はセカンドオピニオン的に医師に判断してもらったんですよね。 というのも、入院時の医師いわく、寛解というのはある程度、統合失調症の症状が残っていても社会生活が無理なく送れる状態とのこと。私の場合は話を聞く限り大きなストレスがかかると陽性症状や陰性症状がふわっと再燃するらしいです。 確かに今まで闘病生活で人間関係やイライラした時にものすごく体調が悪くなったり緊張するシーンでふっと妄想が湧いたような気がする…。 寛解ってものすごいフワフワしたものなの?

  • 【病気を受け入れる】精神病のおススメ回復方法ベスト確定だ!

    統合失調症早く寛解しないかなー。なんでうつ病になってしまったんだろう。この辛い症状に耐えられない。 精神疾患を持った多くの方がこの辛さを抱えていると思います。それは、精神疾患に限らず全ての病気や怪我にいえることなのですが。メンタルの病気はそれが自分の内側の問題で外見に出にくいので、さらに辛さを抱え込みがちです。そんなこの病気の回復方法について考えていきましょう。 病気を受け入れることがベスト 精神疾患で多くの人を見て回復してる人の傾向は「病気を受け入れること」ができている。逆に苦しんでる人は「完治を目指している」ケースが多い。もちろん違うケースで回復してる人もいるけどね。病気と共に生きる選択をした人と症状や副作用に悩み続けている人、この差はとても大きいよ。#がじゃめも — がじゃまる|精神病を考える・統合失調症ブロガー (@gajamarudesu) 2018年7月13日 精神疾患の患者には病気を受け入れて病気と共に生きる人と、病気を受け入れらないで完治を目指す2つのタイプに大筋わかれます。 この中で病状が良くなっている人は圧倒的に病気を受け入れている人です。 なぜかというと 「仕方ない」「どうにかなるだろう」 という楽観バイアスがかかるからです。この楽観バイアスは悲観しそうな自分に楽観性の幅を多く持たせて自分を守る方法です。 病気を受け入れるとこの楽観バイアスにより辛さが半減するのです。 「気持ちが落ち込んでいる…。人生に希望が見いだせない。」 この感情が出た時に 「でも仕方ないか、病気なんだもの」 この一言を自分で言って慰められるかどうかで病気の回復というのは大きく変わってくるのです。 病気と闘っていた急性期 そんな私も病気になりたての頃は全くそんなことなく「なぜ病気になったんだ」「自分は悪くないのに、辛すぎる」という感情で自暴自棄になり暴れたり死ぬことを意識したりとにかく苦しいでした。しかし今は違います。 精神病になったのは仕方ないじゃないか。行き場を失った憤りはあるけど、いつまでも悲観してても前は見えない。病気になったら病気になったで落ち込んだ後に、上を向いて楽しく生きようじゃないか、が僕の理念。悲観なんてどれだけでもできるから自分の幸せを目指そうじゃないか。#がじゃめも — がじゃまる|精神病を考える・統合失調症ブロガー

  • ネットでの人間関係に疲れるのは当たり前だよ

    ネットと言っても一括りに言えないのですがTwitterをしていると人間関係でトラブルを起こしてお互いが攻撃をしたり周りの人間も加わって誹謗中傷をするというのをよく見かけるんですよね。 僕はあまり興味ないというか、純粋にトラブルになったらさっさとスパブロして相手にしないのが一番だと思うんですが。時間は有限なわけですからそんな相手に割く時間がもったいないし、そんな相手にキレるのも自分の健康のために良くないし。いつもニコニコしていた方が自分のために良いのではないかと思っちゃいます。 ネットの人間関係に依存していると足元をすくわれる ネットは便利です。スマートフォンができてからより身近にアクセスできる環境になったので、なおさら距離が近くなっています。でも、ネットの人間関係に深入りしてしまうと、それは距離感の問題ですからトラブルに必ずなります。 リアルの人間関係であればより自分と属性が近い人とコミュニティを作りやすいです。年齢や所属や収入などね。 でも、ネットはそれこそスマホを買ったばかりの小学生からノーベル賞を取った学者までいるわけですから、悪い意味で全ての人に平等に公平にコンタクトができてしまうものなんですよね。 Twitterでのトラブルを見てるとトラブルを起こす人はある一定のアンチ、論破、逃げたという表現を好んで使っています。だからこの表現の正しい解釈さえ入れておけばトラブルもある程度回避できるのではないかと思うんです。 アンチ 自分と意見が違う。価値観が違う。間違いを指摘された。侮辱・攻撃された。これらの行動をされた場合に全てをにアンチであると。 それは自分と異質なことを認められないだけの人間なわけですから。 そういう人もいるくらいでいいんじゃないですかね。不快だったら関係を切って終わりでいいんじゃないかな。その後になぜ女々しく攻撃するんだろうって。 論破 これは子供が好んで使う言葉ですね。なんでしょう、論理的な発言で相手を言い負かすというニュアンスでしょうか。これも口喧嘩なんですよね。社会に出たらわかると思うのですが正しいことが良いこととは限らないし間違ったことが悪いこととも限らないんですよ。

  • 完璧を求めすぎると何もできなくなってしまうゾ

    少し前になりますがスマートフォンのバーコード決済アプリでPayPayというアプリが多額の還元セールをして話題になりました。ここで質問なのですがあなたはPayPayをインストールしましたか? 私の知る限りインストールした人は一部の人で多くの人はスマホに入れてないと思うんですよね。だって、あまり知らない会社だし知らない技術だし、何よりこれで銀行の情報が流出したって噂も聞いたし…。わりと当然だと思うんですよ。 でも、それの根本にあるのは損をしたくない、もっと言うと失敗したくないからじゃないからじゃないですか? 実はこの人間の失敗を恐れるために行動になかなか移れないってのは完璧主義の特徴のひとつなんです。何事も完璧にしないと気が済まない、だけではなかったりします。人に自分の理想を押し付けたり、自分に厳しかったりというのは説明するまでもなく完璧主義なのです。 完璧主義は簡単に辞められないから完璧主義に気づけばいい! しかし、完璧主義というのはそう簡単に変えられるものではありません。人間が長年こびりついた考え方を簡単に変えられるわけがないのです。 あなたが完璧でありたいと望むのはあなたを守る本能的なものであり、そこに生き辛さがあってもあなたは完璧主義で悩む必要はないと思うのです。安易に考え方(認知)を変えよう!と言う人は僕はあまり信頼ができません。何度も言いますが認知は簡単には変えられないものだからです。 で、あれば。完璧主義である考え方に気づけば十分なのではないかと私は思うんですよね。自分が仕事か何か、例えば料理とかでもいいです。完全なものでないと許せないと思った時「あ、これは完璧主義だ!」とね。 そしたら少しでも自分の考え方が偏っているなと気づくはずなんです。この気づくだけってのを毎回繰り返し認めることがまず第一歩なのではないでしょうか。 完璧主義は気づくだけで充分 そんなこと言っても、自分で気づかないこともあるし、気づいたとしても自分を変えることはできないというのも十分わかります。私も完璧主義だったし、今でもその傾向があるからなにか違和感のような辛さもわかります。でも、例えばわかりやすい具体例を出しましょう。あなたが読んでいるこのブログ(がじゃらぼ)は全く完全なものではありません。恥ずかしい文章ですし、内容も誤字脱字どころか構成も正直めちゃくちゃです。

  • 今、高校生で統合失調症を発症したあなたへ

    今、高校生・中学生で統合失調症になったというあなた。 こんにちは、精神病をよく考える・統合失調症ブロガーのがじゃまるです。 このブログを読んでいるあなた今まさに発症したのか、もしくは初めての入院生活が終わり退院しているのかわかりません。 そんなあなたに、私の体験そして現在に至るまで、また確実にお役に立てるお言葉を送らせて頂きます。 発症したてで、現在のこと将来のことが不安であればぜひ最後までお読みください。 高校生の頃に統合失調症を発症しました 私は今から19年前、高校1年生の時に統合失調症を発症しました。 発症したての頃は「自分が神様である」「病院に盗聴器が仕掛けられている」「テレビや新聞が自分のことを話題にしている」と誇大妄想や被害妄想がとても強いでした。その度に保護室に入り、強い向精神薬を飲んで苦しい闘病生活を経て8か月に及ぶ入院生活をおえて高校に戻りました。 高校に戻った私は二度目の高校二年生を迎えましたが高校三年生の時に再発して、結果最後の半年は保健室登校をしながら一人だけ春休みに必要な単位を取り、一人で卒業式を迎えました。 自死をしないことを自分と約束しましょう 一番大切なこと。 自死を絶対にしないでください。死にたいと思う気持ち自体はこの病気独自の症状なので仕方ありません。でも行動に起こさないでください。私は周りが悲しむからとか産んでくれた親が悲しむとか周りの人を使って死なないように脅しのようなお願いはしません。なぜなら、私も死にたい時そのような言葉にいら立ちを感じていましたから。 私が言いたいのは「あなたは幸せになっていい」ということです。 それは病気であるとか関係ありません。 治療と時間とともに必ずあなたにその気持ちが生まれます。 もちろんそれまでにかなりの苦しさと辛さがあなたを待ち受けています。 でも、あなたが願うなら必ず幸せになります。自死はそれを阻む最悪の行為なのです。だからそれは絶対にしてはいけないことなのです。 もし自死をしたいと思ったら、その時だけは「自死の誘惑に絶対に負けない」という強い思いを思い出してください。後々のあなたはその強い思いに必ず感謝する日が来るはずです。 病気を治すのではなくて病気と付き合うこと

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、がじゃまるさんをフォローしませんか?

ハンドル名
がじゃまるさん
ブログタイトル
がじゃらぼ | -統合失調症"当事者"が発信する-
フォロー
がじゃらぼ | -統合失調症"当事者"が発信する-

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用