日出処天子が国書をだした隋の史書に「阿蘇山あり」と書かれています。え?なんで阿蘇?って思いませんか?
お盆が過ぎると涼しくなると、昔の人は言いました。しかし、最近はそれが通じません。9月まで暑いのです。さて、まだ暑さの厳しい時期ですが、阿蘇はさすがに8月後半から風が変わり、さわやかな風が吹くようになります。8月28日もそんな風が吹きますように。 8月の歴史カフェは、万葉集の...
7月31日(水)14時から「歴史カフェ阿蘇」の7回目です。今回のテーマは「壬申の乱を勝利に導いた高市の皇子の悲劇」です。 壬申の乱は、大海人皇子(天武天皇)の周到な計画のもとに起きた内乱でした。天武は東国の兵を召集していました。ですから、吉野を脱出して不破ノ関辺りのワザミが...
今日は平成最後の日になりました。 歴代の天皇の中でも国民に寄り添うことを願われたのは、今上天皇をおいては他に知りません。多くの国民に直接声をかけられた方も今上天皇だけでしょうか。平成の平和な時を過ごされたことを何よりと思います。 それにしても、次が「令和」という元号であると...
とうとうその日が来るのですか。誤解から始まった邪馬台国近畿説が、国家の歴史として決定される日が。何と恐ろしい! 真実がみえなくなり、歴史はゆがみます。 箸墓が卑弥呼の墓だという信じられない説を一般化した畿内説学者は、文献や考古資料では「邪馬台国九州説を撲滅することは出来ない...
今年も歴史カフェ阿蘇を計画しました。前回は2018年の8月・9月に4回の「歴史カフェ」を行う事ができました。今年は5回計画しています。4・5・7・8・9月になります。 スケジュールは次の通りです。 早速ですが、「歴史カフェ」を4月から熊本県西原村で始めます。 昨年から次回は...
「百済観音は飛鳥時代の代表的な仏像で、高さはーー、材料はクスノキです。百済観音は何処から日本に来たのか、今日でも分かりません」 就学旅行の中学生に、ガイドさんが説明していました。わたしは思わず振り向きました。 『百済観音は九州で造られたのでしょうね。』と言ってあげたかったの...
今日は、このブログを三回目書いています。何故かエクスプローラーが中断し、せっかく入力したのに、全て消えるのです。どうしたのでしょうね。 でも、何とか再度書きましょうか、前に何と書いていたか忘れたので、前文と全く違っていますが、誰も前文を知らないので、まあ、いいでしょうか。 ...
十年前の阿蘇山。まだ地震の爪痕は有りません。俵山峠からの写真です。 なつかしさと同時に胸が締め付けられるような気分になります。 あの時、わたしはどんな思いでこの風景を見たのだろうかと。 火口の御池です。火口は満々とたたえた雨水を沸騰させていました。硫黄で青く濁っています。 ...
斑鳩の三塔は、法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、それに法起寺の三重塔です。法輪寺の三重塔は落雷で焼失し再建されました。いずれも聖徳太子と山背大兄にまつわる由来を持つ寺院です。この三寺だけが、塔と金堂が東西に並びます。法起寺式と呼ばれる伽藍様式です。 敷地内は静かですが、世...
最近の考古学研究の片寄りに驚いています。 ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、...
聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。 その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。 地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。 写真は現在地という地点から岡の原に向...
法隆寺の近くには「ミササギ山」と呼ばれる古墳があり、それが近年大注目を浴びました。藤ノ木古墳です。 副葬品が大変豪華だったからです。 それらは、家形石棺の中に置かれていたのです。 副葬品はこれだけではありませんが、これらが家形石棺の中に置かれていたことが重要だと思うのです。...
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