パスカルの火の体験は読む者の状況で多様な受け取り方があります。パスカルが生前には公にすることもなく、自分の胴着に縫っていたというのですから、まさに心と体に刻み込んでいたもので、死後に発見されてから、「メモリアル」として公になったものです。この息遣いが聞こえてくるような不思議なパスカルの体験。これを一般的にキリスト教では、神体験と言いますが、その告白が息づいていますので、多くのパスカル研究をする後の学者たちは今日まで360年間、論争と言いますか評価が分かれてきたのです。なぜならパスカルのような神体験を経験しない限り、それを受けとめることはできないからです。日本ではパスカル研究のトップであり、パスカル著作集を一人で全部翻訳された田辺保先生もそうでしたが、田辺先生がガンの手術の時にパスカルの火の体験をされそれま...パスカルの火の体験04死の切迫04田辺先生の本に出会う