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2017/07/21

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  • 8月27日のことです。S介護医療院を見学・面談させていただきました

    8月27日(火)14時にS介護医療院へ行きました。I老健の医療レベルではさっちゃんに責任を持ち続けることが出来ないと言われています。軽度の誤嚥性肺炎を患っていましたから、今の病院へ入院した訳です。その誤嚥性肺炎もすでに快復していますから、病院には長く入院し続けることは出来ません。相談員さんとの話し合いで、紹介していただいた介護医療院を見に行くことになったのです。老健ょりは医療レベルの高い介護医療院を紹介してもらったのです。遠い場所だと面会するのに時間がかかってしまいます。僕は車を持っていませんから、自転車で行くことになります。紹介していただいたS介護医療院は我が家からの直線距離がI老健よりも少し遠いだけです。I老健へは苦なく自転車で行けていましたし、最悪、歩きでも何とか行けていました。ですから、この日も僕...8月27日のことです。S介護医療院を見学・面談させていただきました

  • 毎日の面会が日常になっています

    さっちゃんが入院している病院はスーパーマーケットが隣りにあります。僕はそのスーパーで買い物をします。ですから、面会ついでだか、買い物ついでだか、毎日の面会後には買い物もします。連日、暑い日が続いていますから、陽が傾き始め、僅かに風も涼しくなる4時台に出かけるわけです。8月8日(木)▲16:43。さちゃんの手の甲だったと思いますが、点滴の針がセットされていました。暑い日が続いているので、体内の水分を補うためなのでしょうか?▲16:44。この日のさっちゃんは目を覚ましてくれませんでした。無理に起こすことはしません。8月9日(金)▲16:48。点滴をセットしている手の甲には絆創膏が貼ってあり、セットした日と終了日(多分)が記されています。8月10日(土)▲16:44。土日で避難小屋泊まりするつもりでしたが、オリ...毎日の面会が日常になっています

  • 病院の相談員さんとお話しをしました

    先週の8月5日(月)の正午前、病院の相談員さんから電話がありました。そして、その日のさっちゃんとの面会後に相談員さんと会うことになりました。夕方5時を過ぎて、相談員さんとお話をしましたが、内容は予想通りでした。さっちゃんが退院できるようになってから、どこへ行くか?です。その相談員さんは女性で、わりと物事をはっきりとおっしゃる方でした。会話の流れの中で、延命措置をどのレベルでとるのかという、お決まりの話が出ます。心臓マッサージはしません。相談員さんは「高齢なので肋骨が折れちゃいますしね」と言います。それは分かっていますけれど、「しなくていいです」と僕は言っているのですから、そこまで具体的に表現しなくてもね。人工呼吸器は使いません。それで生きながらえても、植物人間のような状態になり易い、と言うような感じをおっ...病院の相談員さんとお話しをしました

  • 入院中は直接会えるのが嬉しいですね

    前回の肺炎の際も今回入院した病院と同じでした。と言うことは、面会システムも同じです。2~5時の間で毎日15分間は病室で会えるのです。その点は僕にとってはとても嬉しいですね。もちろん、さっちゃんにとっては病気なわけですから辛いでしょうけれどね。それに身の回りの世話や人との交流はI老健の方が行き届いていますから、刺激は少なくなります。たったの15分間ですけれど、僕が刺激を与えてあげようと思います。入院の翌日、8月2日(金)に早速面会に行きました。▲16:45。バイタルをチェックする器具は付いていましたが、点滴は付いていませんでした。と言うことは、胃瘻から栄養も水分も入っているのでしょう。嬉しいことです。8月3日(土)にも面会へ。▲16:45。この日はぐっすり寝ているさっちゃんでした。起こしても悪いですし、小声...入院中は直接会えるのが嬉しいですね

  • 前回と同じ病院に入院しました

    7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。さっち...前回と同じ病院に入院しました

  • 7月下旬、2回の面会が出来ました

    この直前のブログ記事とは前後関係が逆になりますが、記録しておきます。7月17日(水)は面会日でした。同じ日にさっちゃんの洗濯物も受け取る予定です。▲16:02。両足が車椅子の足置きに揃っているのを見て、驚きました。右足は拘縮して140度ほどに曲がったままのはずなのです。でも、この日は右足がよく伸びていました。嬉しいですね。▲16:03。腕も極端にクロスした状態ではありません。目もよく開けてくれています。この日も「ふるさと」を歌ったと思います。先々週のことなので、記憶はあやふやになっています。水曜日に受け取ったさっちゃんの洗濯物を木曜日に洗濯し、金曜日にI老健へ持っていったと思います。その7月19日(金)、S田さんから声を掛けられ、医師からの話を聞くことになりました。医師の話の内容は、さっちゃんの軽度な肺炎...7月下旬、2回の面会が出来ました

  • さっちゃんに再び転機が訪れたようです

    7月29日13時50分、I老健の相談員のS田さんから電話がありました。さっちゃんの簡単な現状報告の後、「今日4時ころに来れませんか?」と言います。医師からの説明があるようです。もちろん、行くことにしました。I老健へ行き、面談室で待つ間、いろんなことを考えます。最悪の事態も考えるのですが、詳細な情報がまだありませんから、漠然としか考えられません。しばらくして、いつもの高齢のお医者さんと少し遅れて看護師さんが来ます。お医者さんはもごもごとした喋り方で、あまりよく聞き取れないことも多くあります。女性の看護師さんが明瞭に話してくださって、あまり耳の良くない僕にとっては助かりました。医師と看護師の話の要点はこうです。・先々週からの肺炎治療は継続中。・薬、水分、栄養の投与は点滴(末梢静脈栄養)で行なっている。・しかし...さっちゃんに再び転機が訪れたようです

  • 2度の面会と、7月の面談がありました

    7月2日(火)、さっちゃんとの面会をしました。妹のK子さんも来てくださいました。暑い中、電車とバスを乗り継いで、僅か15分の面会時間のために来てくださいます。有難いことですね。▲14:30。K子さんが声を掛けてくれます。歌も唄ってくれました。写真では目を瞑っているさっちゃんですが、よく目を見開いて、こちらを見つめてくれていました。この写真で注目して欲しいのは、さっちゃんの腕と脚です。まず腕ですが、さっちゃんは両腕が拘縮していて、胸の前でXに組んだ状態になっていました。でも、この日の腕は組まれていません。そして、脚は右足が拘縮していて、140度くらいに曲がったままなんです。でも、この日はそれほどは曲がっていなかったように見えます。何故なら、右足の靴の位置が左足とさほど大きくは変わらないからです。▲14:31...2度の面会と、7月の面談がありました

  • 胃瘻の交換をしました。6ヶ月おきくらいに行ないます

    6月29日(土)、この日はさっちゃんの胃瘻の交換日です。前回、12月16日に交換しましたから、もう6ヶ月が経ったのですね。僕は付き添いをするためにI老健へ8時10分までに行かなければなりません。自転車で30分ほどかかりますから、7時半には家を出ます。ゆっくりと朝ご飯(パンですけれど)を食べる時間がありませんから、バナナ1本食べました。I老健に到着すると、介護タクシーがすでにスタンバイしていました。▲8:19。さっちゃんも予定通り1階に降りて来て、介護タクシーに乗りました。退院した時以来の直接対面です。ほぼ1ヶ月ぶりですね。I老健に戻ってから、車椅子の角度が少しずつ立って来ていますね。車ですから、左右に揺れたりガタガタしたりしますから、さっちゃんは不安なのではないでしょうか?▲8:33。病院に着きました。受...胃瘻の交換をしました。6ヶ月おきくらいに行ないます

  • I老健での面会は最頻でも週1回です

    5月6日から26日間の誤嚥性肺炎による入院でした。肺炎自体はなって欲しくない事ですけれど、悪いことばかりではありませんでした。病院では毎日15分間は病室で直接面会できたのです。19回の面会が出来ました。入院と退院の日にも会えていますから、それも入れると21回ですね。さっちゃんと会うのが日課のようになっていました。ある意味、嬉しい日々でした。コロナやインフルエンザなどへの対応がしっかりしている病院ならではなのでしょうね。ところが、老健へ復帰するとそうはいきません。病院ほどの強固な対応力はないでしょうから、致し方ありません。最頻でも、週1回のペースでしか面会できません。しかも、直接ではなく窓越しです。I老健へ再入所してからは2回の面会が実現しています。▲6月14日(金)14:33。顔が少し上向きの姿勢でした。...I老健での面会は最頻でも週1回です

  • 無事退院し、I老健に戻りました

    病院と老健の対応力の違いなんでしょうが、病院では毎日さっちゃんに直接面会できるのが嬉しかったですね。老健に戻ると、さっちゃんに対してのキメ細かな介護があって、僕もより安心ですし、さっちゃんも心地よいのではと思います。ただ、老健に戻ると、直接面会は出来なくなります。窓越しの通話機を使った面会です。▲5月30日16:21。病院での最後の面会です。いつも通り、僕がさっちゃんの目の前に顔を出すと、「あ~う~」と何やら小声で少し喋ります。僕の顔の印象、記憶が少しでも残っているのなら嬉しいですね。この日はその後で『オッペンハイマー』を観るので、面会は15分で切り上げました。さっちゃん、ご免ね。『オッペンハイマー』は3時間もの大作で、アカデミー賞も受賞しています。しかし、感動作とは思えませんでした。扱っているテーマが重...無事退院し、I老健に戻りました

  • 月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり

    痰の吸引は4時間おきくらいになってきていますから、I老健へ戻れる条件は整いつつあります。病院はI老健よりも近く、15分間だけですけれど、毎日面会もできます。しかも、直接面会できますから、手で撫ぜたり、鼻を擦り付けたり、唇を当てたりだって出来ました。I老健では窓越しの面会を週1回だと思います。寂しい限りです。退院の日が近づいていることを肌で感じ始めていました。▲5月27日16:57。うたた寝してしまって、目が覚めて、慌てて時計を見たら、16時半でした。一瞬、「これは無理だ、今日は面会できない」と思いましたが、すぐに気を取り直して急いで準備。自転車で病院へ。面会が許される時間は17時までです。それまでにNSに到着すればいいと思い、ぎりぎりセーフ!いったん病室に入れば、許された15分間いたって構いません。あまり...月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり

  • さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?

    いろいろとやらないといけないことがあったりして、バタバタと暮らしています。僕自身も遊ぶところはしっかりと遊び、それが自らのリハビリにも繋がっていますし。さっちゃんとの面会も日常のルーティン化しています。もう退院している予定でしたが、嘔吐があって延期されました。▲5月16日。この日は天覧山での岩トレをしました。自分自身のリハビリを兼ねて、岩にも少し触っておきたかったのです。平日なので独りで行なうことになるだろうと思っていたら、2人も一緒にやってくれることになりました。嬉しいことですね。天覧山に向かう時、病院から電話がありました。退院についての話でした。この日までは、さっちゃんは20日に退院することに決まっていたのです。▲5月17日15:05。この日はさっちゃんの妹さん二人が面会することになっていました。僕も...さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?

  • さっちゃんの退院が近いかもしれません

    5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。やはり相談員さんからでした。さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。ところが、そうではありませんでした。なんと!なんと!いきなり退院についてでした。▲5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう?この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しい...さっちゃんの退院が近いかもしれません

  • 連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

    5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。100リットルの登山用ザックを持って行きます。I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。そして、病院へ自転車を走らせます。さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きを...連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね

  • 嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました

    5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」その後、I老健の看護師さんとも話し、「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。僕はそれを了解し、次のように伝えました。「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?!と。そんなことを想像すると、涙が滲み出て来そうです。この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので...嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました

  • K子さんが面会に来てくださいました

    僕が入院する直前、2月8日にK子さんが面会に来てくださいました。その後、コロナ感染等の影響もあって面会の出来ない状況が続きました。ですから、ほぼ3ヶ月ぶりにK子さんはさっちゃんとの面会が出来たことになります。有難いことです。さっちゃんの意識は確認のしようもありません。しかし、認知症は新しい記憶よりは古い記憶の方が残っている可能性が高い病気です。僕との濃密な生活や刺激的な登山や旅の記憶よりは、子供の頃の姉妹の生活記憶の方が残っているのかもしれません。僕からすると、悲しいことです。でも、絶対にさっちゃんの意識の底に僕の記憶も生きていると信じているのです。電車とバスでI老健まで来てくれるK子さんはすでに到着していました。▲15:01。さっちゃんは最初は割と目を開けてくれていました。妹のK子さんが来てくれていると...K子さんが面会に来てくださいました

  • さっちゃんの服を洗濯するのは楽しいですね

    さっちゃんの洗濯物の外注を止めて、半月以上は経ちました。自力で生活する体力が戻って来て、さっちゃんの服の洗濯をする余裕も生まれたわけです。ただ、さっちゃんのものを洗濯すると嬉しいですし、力も湧く気分です。離れて住んでいるさっちゃんと一緒に暮らしているような錯覚を一瞬ですが感じられるのです。錯覚だと分かっていても幸せな気分ですね。▲4月26日(金)15:02。雨が続いていましたから、23日に受け取った洗濯物を24日夕方に洗濯して外干し。25日は晴れの日だったのですが、朝から天覧山の予定だったのです。結局、26日も外干ししていました。この写真を撮ってすぐに回収し、I老健へ届けに行きました。さっちゃんの服を洗濯するのは楽しいですね

  • 先週の面会の報告です。今週は面会の予約が取れませんでした

    4月17日(水)にさっちゃんとの面会に出かけました。さっちゃんからは声がほとんど発せられなかったので、何となく寂しいですね。目を開けてくれるのも少なかったです。▲15:05。時々、さっちゃんは目を開けてくれます。この写真を撮った時は、何故だか少し顔が斜めに向きました。何か気になることでもあったのでしょうかね。この日は洗濯物も届け、受け取りもしました。4月21日(日)にも洗濯物を授受しました。その後は天気が悪くて、洗濯できていません。23日(火)は洗濯物を受取るだけでした。今、家には2回分のさっちゃんのまだ洗濯してないのが溜まっています。23日は玄関ロビーに顔馴染みの看護師さんがいました。なので、聞いてみました。「直接会って面会できるのは何時頃になりそうですかね?」「インフルエンザも収まって来ましたよね。コ...先週の面会の報告です。今週は面会の予約が取れませんでした

  • 雨の日の面会、さっちゃんは前の週より目も瞑ることが多く、声もあまり発しませんでした

    4月9日(火)、さっちゃんとの面会です。朝から雨が本降りでしたが、予報では午後3時くらいから雨が上がることになっています。いつも通り自転車で行けるか、歩いて行くか、それともタクシーか、ギリギリの時点で判断が必要になりそうです。気象庁のHPで「今後の雨」を見ていると、午後2時くらいには雨が上がりそうです。ですから、僕はひとまず自転車で行くことにしました。出発前になって、雨具を着ていくか、それとも雨の時だけ自転車を押して行くか、決めることにしました。2時前からは、気象庁の「雨雲の動き」をチェックします。これは5分おきの雨雲の動きを1時間後まで予測するもの。ただ、それほど正確に5分おきの雨雲の位置が予測できるわけもなく、信頼し過ぎてはいけません。自転車で大丈夫そうな予報になったので、2時半前に家を出ました。「雨...雨の日の面会、さっちゃんは前の週より目も瞑ることが多く、声もあまり発しませんでした

  • さっちゃんと一緒に歩いている気分でお花見散歩しました

    多摩川土手はあちらこちらに桜並木が植えられていて、花見スポットが豊富です。こちらへ引っ越してきて以来、ほぼ毎年さっちゃんと二人でお花見をして来ました。お花見と言っても、散歩をしたり、レジャーシートを敷いてお昼ご飯を食べたりするだけですけれどね。▲2021年3月29日14:35。この年がさっちゃんと二人での最後の花見散歩の年になってしまいました。この年の暮れに家の中で転倒し、大腿骨転子部骨折。歩けなくなったり、誤嚥性肺炎を繰り返したりするようになったのです。この写真の前の年くらいからさっちゃんから笑顔が消えていました。自分の意志を伝えられなくなっていましたから、何か苦しさを抱えていたのかもしれませんね。でも、その後一時期笑顔が復活しました。今はまた消えてしまっていますけれど。4月7日の日曜日、僕は独りで花見...さっちゃんと一緒に歩いている気分でお花見散歩しました

  • N子さんと二人で面会して来ました。S田さんとの面談も3ヶ月ぶりです

    4月2日(火)、先週に引き続きさっちゃんとの面会が出来ました。このペースが続いて欲しいと思います。この日はさっちゃんの妹のN子さんも来てくださいました。僕の入院中も含めて、N子さんは2回ほど面会予定が流れてしまっています。N子さんにも久し振りにさっちゃんの顔を見てもらえて嬉しいです。さっちゃんが降りてくる前に、スタッフさんがこんな風に言っていました。「眠たそうにしています」もちろん、そんな日もありますよね。▲15:00。確かに、さっちゃんは目を瞑った様子でここまで来ました。N子さんが通話機で話しかけます。完全な座位姿勢を長くは保てないさっちゃんですから、目線も上向きなのは仕方ありませんけれどね。頭の後ろに何か置いて、視線がもう少し下がるようにして欲しいですね。「さっちゃ~ん」「今日は暖かいよ~」「桜も咲き...N子さんと二人で面会して来ました。S田さんとの面談も3ヶ月ぶりです

  • 退院後初めて、ほぼ7週間ぶりの面会です

    一昨日の3月26日(火)、実に久し振りの面会が実現しました。先月の2月8日(木)に面会して以来、僕は12日に入院した訳ですが、I老健は面会できない状況に陥りました。コロナ感染者が出たせいです。2月28日に退院し、3月5日(火)には面会できると思っていたら、またまた面会は出来ず。さっちゃんの妹さん達も2度ほど面会できるつもりで準備してくださったようですが、それもふいになりました。そしてやっと巡って来た、さっちゃんとの面会。一昨日はは朝から本降りの雨でした。どうやって行こうかとちょっと悩みました。雨具を着て自転車で行くか、歩いて行くか。電車で行く選択肢はありません。ひと駅しか電車には乗りませんから、駅までの歩きと駅からの歩きを足すと、全部歩くのとさほど変わらないのです。これまでなら、雨具を着て自転車で行ったと...退院後初めて、ほぼ7週間ぶりの面会です

  • 面会停止はまだ続くようです。さっちゃんにお土産を届けました

    昨日の午後2時23分、I老健から電話が入りました。内容は予想したとおり、面会できない状況がまだ継続することです。本来なら来週5日の火曜日が面会日でした。ですから、その日はまだ駄目です、との連絡が入った訳です。僕はその電話で退院したことと、その日の夕方までにさっちゃんへの届け物をしに伺うことを告げました。I老健まで自転車で行くことが出来ました。こんなに早く、自転車に乗れるとは思っていませんでしたから、タクシーやバスと歩きで行くとばかり予想していました。左足はまだあまり力が入りませんから、サドルを下げ、6段変速の4から3に下げて走りました。凄くゆっくりとしたスピードです。以前なら25分もかからなかったのですが、30分以上かかったと思います。でも、これで退院後も何時でも自由にI老健へ行くことが出来ます。I老健へ...面会停止はまだ続くようです。さっちゃんにお土産を届けました

  • 入院中の僕にI老健から電話が入りました

    今日、2月19日の2時16分、I老健から電話が入りました。気も付かなかったのですが、気付いたとしても病室では電話での会話は禁止です。ちょうど点滴中でもありましたしね。点滴も終了し、3時28分、電話室からI老健へ電話しました。何となく用件がなんだかは感じ取れていたので、心配はしていませんでした。案の定、I老健でコロナ患者が発生したので、明日(20日)の面会は中止になります、と言うもの。再開されたら電話連絡するということですが、来月5日の面会日も中止になる可能性が高いかな?どうあっても、5日までには退院していて、面会に行こうと思っていましたから、凄く残念です。でも、退院はして元気になって、面会再開されたら行けるようにしておきたいものです。僕の手術は予想外に上手くいったみたいです。僕に関する情報はこちらから。僕...入院中の僕にI老健から電話が入りました

  • 1ヶ月ぶりの面会、これから再び1ヶ月は面会できません

    先週、面会再開について電話で聞くと、「7日から可能になると思います」とのことでした。ですから、6日に面会申込みを電話でお願いしてみました。本来ならば、6日の火曜日が面会できる日だったのです。これまでなら、予約表を確認するのでしょうが、すぐに「では〇日の△時に」と返事が返って来たものです。ところが、「あとで連絡しますね」との返答。その日に連絡が来るかと思いましたけれど、結局その日には連絡がありませんでした。そして、昨日7日の午後、「8日の14時30分に面会できます」と、連絡が入ったのです。面会が出来なかったのは他の方々も同様ですから、面会の要望が集中しているのだと思います。相談員のS田さんは僕が12日から入院することを知っています。なので、その前に1度は面会を実現してあげたいと考えてくださったのだと思います...1ヶ月ぶりの面会、これから再び1ヶ月は面会できません

  • 1月9日を最後にさっちゃんとの面会が出来ていません

    1月9日(火)に今年最初の面会がありました。翌週の16日(火)もK子さんと共に面会に行く予定でした。しかし10時12分、I老健から電話が入り、面会が中止になったのです。理由は、入所者の中にコロナ感染者が発生したからです。感染理由は分かりませんが、正月休みに自宅へ戻り、そこで感染したのかもしれませんね。翌週の23日(火)の面会は中止になりそうだとは思いましたが、30日(火)の面会は出来るだろうな、と思っていました。ところが、30日は中止、さらに6日(火)も中止となってしまいました。感染者は個室で隔離はされているそうですが、どんな状況なんでしょうね。さっちゃんには問題は及んでいないそうですけれどね。7日からは通常に戻ると思いますから、そこで面会予約をしてみたいと思います。入院前に一度はさっちゃんの顔を見ておき...1月9日を最後にさっちゃんとの面会が出来ていません

  • 2週間ぶりにさっちゃんに面会し、その後、S田さんとの面談では僕のがんを報告しました

    年末年始の期間はI老健も休日体制です。面会も出来なくなります。新しい2024年の最初の面会は1月9日(火)でした。クリスマスの日に面会して以来ですから、15日ぶりの面会ですね。エレベーターの扉が開き、車椅子でこちらに向かって来たさっちゃんの様子は昨年と変わらないようです。「さっちゃ~ん、こんにちわ~」「もう2024年だよ。明けましておめでとう!」「さっちゃんは元気でしたか~」僕から一方的に話しかけ続けます。さっちゃんも少しかすれた小さな声で「あ~~、ヴ~~」と喋ってくれます。「そうそう、もっと喋ってごらん。あ~あ~」「今日はね青空がとっても綺麗だよ」「もうすぐ水仙とか花が咲くよ~。来月には梅も咲き始めるよ~」「一緒に見たいね~」すると、さっちゃんは「あ~~、う~~」と小さな声で喋ってくれます。まるで「そう...2週間ぶりにさっちゃんに面会し、その後、S田さんとの面談では僕のがんを報告しました

  • 日曜日の朝、最初にさっちゃんの服の洗濯をしました

    I老健の洗濯物受け渡しルールが去年から若干変更されました。洗濯物を受け取るのが週に1回だけになったのです。以前は、何回でも受け取ることが出来たのですけれどね。洗濯済のものを渡すのはこれまで通り何回でも大丈夫です。金曜日の5日に洗濯物を受け取る予定にしていました。でも、その日の午後、HTさんと天覧山で岩トレすることになりましたから、予定変更。金曜日をキャンセルして、日曜日に変更したのです。ところが、木曜日の夜、HTさんが突然致し方ない事情で天覧山に行けなくなりました。それを受けて、放射線治療終了後の金曜日の11:33に僕はI老健に電話します。「昨日の電話で、今日の洗濯物受け取りをキャンセルして日曜日に変更させていただいたのですが、急遽その所用がなくなったので、今日洗濯物を受け取ることは出来ないでしょうか?」...日曜日の朝、最初にさっちゃんの服の洗濯をしました

  • クリスマスの日、さっちゃんと面会しました

    12月25日のクリスマスにさっちゃんと面会しました。その後、いろいろとバタバタしていて書き記すのが遅れてしまいました。クリスマスは月曜日です。さっちゃんとの面会予定日はいつも火曜日なんですが、変更してもらったのです。と言うのも、火曜日の26日にN村さんから天覧山での岩トレに誘われていたからです。一度は断ったのですが、よく考えると面会日を変更してもらえばいいんだと、当り前のことに気付いたのです。電話してみると、変更できました。前の週の19日もそうすれば良かったんですね。19日は午後に僕の放射線治療が予定されていたんです。▲15:11。さっちゃんは毛布に覆われて暖かそうな格好でやって来ました。でも、この日は眠たかったのか、あまり目を開けてくれません。「さっちゃ~ん、目を開けてごら~ん」「あっ!目が開いたね。あ...クリスマスの日、さっちゃんと面会しました

  • 胃瘻のPEG交換をしました

    さっちゃんは食べ物を噛んだり飲み込んだりする能力を失っています。ですから、胃に直接栄養を流し込むために胃瘻を設置しています。その胃瘻はおよそ半年ごとに交換しなければなりません。その交換日が今日、12月16日(土)でした。朝7時40分に僕は家を出て、自転車でI老健へ向かいました。8時20分、予定通りI老健を出発して、介護タクシーで病院へ向かいます。いつもの介護タクシーよりも立派な、一見すると救急車のような車体です。I老健へ入所する前に入院していた病院ですし、近いので、さっちゃんもあまり大変ではないと思います。▲8:32。僕は固定された車椅子のすぐ横の座席に座りました。久し振りにさっちゃんの手を握り、額を擦り、間近に視線を交わしました。さっちゃんの体温とともに、温かみが伝わって来ます。嬉しい!病院で受付を済ま...胃瘻のPEG交換をしました

  • さっちゃんとの面会はやっぱり嬉しいですね

    今日は毎週火曜日の面会日です。洗濯したさっちゃんの服を渡し、ガラス窓の前の面会スペースで待っていました。エレベーターから車椅子に乗ったさっちゃんがこちらへ来ます。いつものさっちゃんです。表情もあるようなないような、よく分からないさっちゃんです。だからと言って、さっちゃんの心を感じない訳ではありません。僕の心の中のさっちゃんと共鳴して、何かを言いたいような気持ちを感じ取れます。「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」と、名前を連呼して呼びかけるのは基本中の基本です。「こんにちは~」「元気にしてましたか~?」「もう少し喋ってごらん」「あ~~、う~~」などとさっちゃんが声を出すと、「そうそう、もっとあ~~って言ってごら~ん」さっちゃんが目を瞑ると、「さっちゃ~ん、目つむっちゃったね~」「目を開けてごら~ん。こっちを見てご...さっちゃんとの面会はやっぱり嬉しいですね

  • さっちゃんの服を洗濯するのは嬉しいですね

    昨日の10時2分にI老健から電話がありました。毎度のことですが、病院やら施設やらから電話が来ると、緊張しますよね。内容自体は平凡な日常的なことでした。僕は昨日の金曜日にさっちゃんの洗濯物を受け取りに行く予定でした。ところが電話では「来ていただいても洗濯物はほとんどありません」と教えてくださいます。それに、金曜日の午後は入浴の日ですから、洗濯物が発生します。と言う訳で、土曜日の今日、洗濯物を受け取りに。明日の日曜日はM谷さんから誘われて、天覧山へ岩トレに行くのですが、ついでに少しハイキングもして来ようと思っています。今後、歩けるチャンスも減って来たり、なくなるかもしれませんからね。月曜日は雨が少し降るみたいですから、洗濯は出来ません。ですから、今日早めに洗濯物を受け取りに行き、午後すぐに洗濯したんです。明日...さっちゃんの服を洗濯するのは嬉しいですね

  • がんでした。でも、思いのほか心理的ダメージはありませんでした

    12月7日(木)は抜糸と生検の最終的結論の報告日でした。抜糸は予約時間からさほど遅れることなく、しかも痛くもなく終了。それから長時間、報告の場に呼ばれるのを僕は待ち続けました。正午を過ぎて呼ばれると、すぐに「脂肪肉腫です」との報告を受けました。その報告を僕はまったく動揺なく冷静に受け入れていましたね。自分でも何故だか理由は分かりません。それとも今後じわじわと心理的錯乱が訪れるのでしょうかね。その脂肪肉腫の中にも悪性度の低い順に4種類あると説明してくれます。低い順に、高分化型、粘液型、多形型、脱分化型、です。そして、僕のは2番目の粘液型脂肪肉腫なんだそうです。さらには、治療方針を話してくれます。一般的に脂肪肉腫には放射線治療はあまり使えないそうなのですが、粘液型に関しては使えるのだそうです。放射線治療を用い...がんでした。でも、思いのほか心理的ダメージはありませんでした

  • N子さんとK子さんが先に面会していて、僕はほとんど面会できませんでした

    12月5日(火)は面会と面談のある日です。家でいろいろと雑用を済ませて、ギリギリの時間に出発しました。I老健に面会予約時間の2、3分前に到着。洗濯物を渡し、新たな洗濯物を受け取ります。玄関ロビーの端っこには面会中の方の姿が二人見えました。「前の面会の方が押してるんだな~ぁ」と思いました。でも、何となくその面会者の声に聞き覚えがあります。その二人も僕のことに気付いたみたいです。N子さんとK子さんです。さっちゃんの実の妹のお二人。この日に来られることを聞いていなかったので、ちょっと驚きました。さっちゃんはこの日も車椅子に座っています。前回よりはほんの少しだけ背もたれを倒しているのかな?なおさら、視線が上向きになっているような気もします。通話機を渡してくれるので、僕は「さっちゃ~ん」と話しかけます。K子さんが言...N子さんとK子さんが先に面会していて、僕はほとんど面会できませんでした

  • モラトリアムっぽい期間もあと僅かで終了です

    僕の左足大腿部に関するこれまでの経過をまとめておきます。2023年10月11日(水)、H村整形外科でレントゲン検査。10月12日(木)、紹介された健診センターでMRI検査。10月17日(火)、H村整形外科でMRI検査結果の報告を受ける。K林大学病院の専門医を紹介され、予約をとる。11月16日(木)、K林大学病院でレントゲン検査をし、専門医の診断を受ける。同日、血液検査も。11月24日(金)、K林大学病院で生検手術。11月27日(月)、K林大学病院で包帯等を外す。今後ですが、12月7日(木)、生検の結果報告。11月24日の生検当日に悪性腫瘍かそうでないかの結果が判明する予定でした。しかし、明確な判定に至らず、12月7日まで判定が延ばされることになりました。左足大腿部から取り出した生体を急速冷凍し、それを極薄...モラトリアムっぽい期間もあと僅かで終了です

  • さっちゃんは面会の際、車椅子に乗っていました

    さっちゃんがI老健に再入所してから5週間ほど経ちました。病院の時とは違って、直接手を握りながら面会することは出来なくて、窓越しの面会になっています。でも、ほぼ毎週面会できて、顔を見ることが出来るのは嬉しいことです。もうひとつ嬉しいのは、さっちゃんの着ている服の洗濯が出来ることですね。さっちゃんの着た服を洗濯することで、ほんの僅かですが、さっちゃんと一緒に暮らしているような錯覚を楽しむことが出来るのです。▲11月27日(月)9:58。さっちゃんの着ていた下着と上着を洗濯しました。家のベランダで干されているさっちゃんの服を見ると、何故か嬉しい気持ちが湧いて来ます。正式にはI老健での面会は2週間に1回との決まりです。さっちゃんの場合、隔週で火曜日の3時からと決まっています。でも、間の火曜日に他の人の面会予定が入...さっちゃんは面会の際、車椅子に乗っていました

  • K子さんがI老健での面会に初めて来てくれました

    11月7日(火)にさっちゃんと面会しました。11月14日(火)にも面会の予約を入れていたのですが、急用のためキャンセルせざるを得ませんでした。そして、2週間ぶりの11月21日(火)、K子さんも来てくれて二人で面会に臨みました。その前からその後にかけて、様々多忙な日々が続き、ブログに書き残すことも出来ませんでした。多忙なことのひとつは岩登りトレーニングなんですが、高齢の僕に声を掛けてくださる方が幾人かいて、たまたまここのところそれが重なったのです。19日(日)日和田、20日(月)天覧山、22日(水)天覧山、23日(祝)日和田、といった具合です。もうひとつの多忙理由は別途ブログに書くことになると思います。さてさて、21日の面会の様子です。僕が自転車でI老健に着くと、K子さんがすでに到着して、玄関ロビーにいまし...K子さんがI老健での面会に初めて来てくれました

  • 僕の左足大腿部にがんの可能性が再登場しました

    先月の10月17日にH村整形外科でMRI検査の報告を受けた時、K林大学病院の専門医を紹介され、予約をしてくれました。そして、11月16日(木)にその病院へ行きました。新型コロナのパンデミック以降では最も都心へ近づきました。(とはいえ、23区ではなく多摩地域ですが)大きな病院ですから、待ち時間が長いことは覚悟していましたが、予想よりは短く済んだかと思います。10時半予約のところ、10時前には病院に到着し、2時前には病院を出ることが出来ました。この日の経過をかいつまんで書いておこうと思います。最初に、担当医師でない若いお医者さんから問診を受け、レントゲン検査をすることになりました。12時を過ぎて、数多く待っていた患者さんも全員がいなくなり、僕のことが忘れられているのではと心配になって来ました。受付に行って、「...僕の左足大腿部にがんの可能性が再登場しました

  • 老健へ再入所して初めての面会でした

    10月27日(金)にI老健へ再入所したさっちゃんです。昨日、11日ぶりに会って来ました。▲15:09。I老健での面会は窓越しです。手前は玄関ロビーで、椅子が2脚置いてあります。窓の向こう、写真では長机が置いてある場所に、さっちゃんのベッドが入ります。インフルエンザやコロナの感染状況が収まると、直接会えるようになるのですけれどね。▲15:17。さっちゃんが来ました。頭を撫でてあげたり、手を握ったり出来ないのは寂しいですけれど、やっぱり面会はいいですね。さっちゃんは終始こちらへ視線を向け続けてくれます。そして、何やら喋ってくれます。声は小さくて回数も少ないですけれど。▲15:17。窓越しなので、電話のような通話装置を介して話をします。さっちゃん側のはさっちゃんの顔の前にセットされています。さっちゃんの小さな吐...老健へ再入所して初めての面会でした

  • さっちゃんが老健へ戻ることになりました

    10月24日(火)10:08でした。さっちゃんの入院している病院の相談員さんから電話が入りました。この時、僕は天覧山の最下部岩場に到着したころでした。毎回そうですが、病院からの電話は緊張しますよね。相談員の黒Nさんからの電話でした。内容は、さっちゃんの痰の吸引の頻度が下がったこと。以前は2時間おきくらいだったのが、数時間おきでも良くなったようです。そして、このレベルの痰の吸引ならば、I老健で受け入れることが可能だと言われていること。この2点でした。介護医療院の方はなかなか空きが生じないので、すぐと言う訳にはいかないそうです。I老健は長くさっちゃんがお世話になった老健で、さっちゃんのことをよく知るスタッフも多くいます。その点でも安心ですし、実は今年になってI老健は今さっちゃんが入院しているT病院の経営傘下に...さっちゃんが老健へ戻ることになりました

  • 日曜日にコロナワクチンを接種して来ました

    新型コロナが5類になってから、日本における感染状況が分かりにくくなっています。でも、それなりに蔓延しているようです。いま流行しているタイプのウイルスは重症化はしにくいのでしょうけれど、高齢者にとってはどうなんでしょうね?どちらにしても、万が一コロナに感染するとさっちゃんとの面会に支障が生じます。可能な限り感染しないに越したことはありません。10月22日の日曜日、7回目の新型コロナワクチンを接種しました。2年4ヶ月間で7回ですから、5~6ヶ月おきに接種して来たのですね。(最初の2回は1ヶ月も空けないで接種しましたからね)最初は熱も出たのですが、それ以降は倦怠感だけでした。でも、動く気にならないほどの倦怠感で、翌日は毎回丸つぶれでしたね。ところが今回は、倦怠感がさほどありません。ほんの少し熱っぽい感じもあって...日曜日にコロナワクチンを接種して来ました

  • 面会予定が急に決まりましたから、僕ひとりで面会に行って来ました

    10月の前半は僕の左足大腿部のことでバタバタしていましたから、面会に行くことが出来ませんでした。少し遅れましたが、19日の木曜日に面会が出来るようになりました。時間もこれまでよりは遅い16時からです。それも前日に決まりましたから、僕ひとりでの面会になりました。▲15:59。自身の贔屓目かもしれませんが、さっちゃんは目を大きく見開いて僕を見てくれます。僕と会っていない時のことは知らないのですが、「あ~う~」と僕に喋りかけてくれている気がします。僕はさっちゃんの左手を持って、指で擦り続けます。そして、「さっちゃ~ん、さっちゃ~ん」と呼び続けます。「元気にしてた~ぁ?僕のこと覚えてる~ぅ?」など、様々喋りかけます。さっちゃんの鼻に僕の鼻をくっつけたりします。本当はキスをしたり、抱きしめたりしたいのですが、さすが...面会予定が急に決まりましたから、僕ひとりで面会に行って来ました

  • 僕の左足大腿部のこと

    2023年10月11日(水)、H村整形外科に行きました。この病院は一昨年くらいだったか、僕のテニス肘(テニスはしませんけども)を治療してもらった病院です。整形外科病院で診てもらおうと思うに至った経緯ですが、1年前だか2年前だか、左大腿部の膨らみに気が付きました。ただ、ずっとそれを筋肉の発達だと思っていました。と言うのも、さっちゃんが1998年2月に右足脛骨骨折の大怪我をし、1999年4月28日に登山を再開するわけなんです。そんなさっちゃんと僕は一緒に登山を続けてきました。さっちゃんは右足が弱くなっていて、130度くらいまでしか膝も曲がりません。ですから、僕はその後ずっと、さっちゃんが歩き易いように気遣いながら、歩き方を選んできていました。さっちゃんの気持ちになって、弱い右足を庇いながら歩く習慣が知らず知ら...僕の左足大腿部のこと

  • K子さんが面会に来てくれました

    9月29日の金曜日、15時30分からさっちゃんとの面会に行って来ました。妹のK子さんも来てくださいました。その後、連日の用事が重なって、ブログへの記録が遅れてしまいました。1週間以上たって、やっとその時のことを書いています。▲15:39。さっちゃんの体はほんの少し手前が低く傾いているのですが、視線はしっかりとK子さんの方に向いています。何か言いたげなのは感じるのですが、一体何を言おうとしているのかは全く不明です。千分の一でもいいので、何かが通ずればと思うのですが。いつものPT(理学療法士)さんが来て、月に1度のリハビリテーション実施計画書の説明をしてくれました。さっちゃんに対して行なっていることは基本的には変わりません。端坐位もほんの2、3分しか出来ないようですね。それ以上すると苦しいのか、何かしら嫌な意...K子さんが面会に来てくれました

  • 久し振りに僕ひとりで面会して来ました

    昨日、9月15日の午後3時半にさっちゃんとの面会に行って来ました。今回はさっちゃんの妹さん、弟さん、皆さんご都合がつかずに僕ひとりでの面会でした。面会前にナースステーションでインフルエンザワクチン接種の同意書にサイン。コロナワクチン接種券のこともついでに尋ねてみましたが、どうやらこの病院には届いていないみたいですね。I老健に届いていれば、必ずこのT病院に連絡が入るでしょうから、恐らくはどこにも届いていないのだと思います。もし、接種しなければならない状況になれば、市役所へ問い合わせることになるかもしれませんと、おっしゃっていましたね。コロナワクチンは副作用がきついので、可哀想な気もしますし・・・・どうしたものでしょう?僕はと言えば、7回目の接種券が届いています。そんなこんなのサインや話が終わり、いつもの面会...久し振りに僕ひとりで面会して来ました

  • 相談員さんと今後のさっちゃんの方向性について話し合いました

    9月5日はさっちゃんが今の病院に誤嚥性肺炎で入院してから6ヶ月目です。6ヶ月で入院生活にもひと区切りつけなければなりません。ですから、1日の午後3時37分から20分間、相談員の黒Nさんと電話で話しました。まず最初に、聞いておいてくれることになっていたI老健のことを聞きました。I老健としては現状の痰の吸引の頻度では受け入れることは困難だそうですね。2時間おきくらいだそうですから。痰の吸引の頻度が減って来たならば、受け入れは可能だそうです。I老健へ移るということは将来的に自宅介護を考慮してのことですから、そうなると自宅と老健間の移動方法が問題になります。車椅子に座っての移動が難しい可能性がありますから、ストレッチャーや車椅子をほぼ水平に倒した状態で乗れる車があるかどうかが問題です。それも黒Nさんは聞いてくださ...相談員さんと今後のさっちゃんの方向性について話し合いました

  • 今回もN子さんが来てくれました

    今週の月曜日、さっちゃんに面会して来ました。とくに変わった様子はありませんでした。特段記載することもなく、という理由もあったのかもしれませんが、僕自身の用事やら疲労感やらで、今日まで面会の報告が後回しにされてしまいました。順番(と言うものがあるのなら)で言えば、K子さんが来られるのかな、と思っていたのですが、用事があるようでした。弟さんのT男さんも用事があって、前回に続いてN子さんが来てくださいました。▲15:04。ベッドでデイルームに来た時は目を瞑っていたさっちゃんでしたが、来てくれたのがN子さんだと分かったからでしょうか、目を見開いて見つめています。小さな声で「あ~う~」と、何かを言いたいような感じも伝わって来ます。N子さんは今回もさっちゃんが好きなスヌーピーを持って来てくれています。N子さんはさっち...今回もN子さんが来てくれました

  • 丹沢の葛葉川本谷で沢登りトレーニングの会山行を行ないました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年4月24日(日)葛葉川本谷葛葉川本谷(会山行参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、M田、A立、K島、Y口今回は初級者の実践トレーニングと銘打っての山行であった。我々のトレーニング的山行にずっと参加してきたK島、A立をメインに、いたるところでザイルを出させ、自然物を利用してのセット、ビレーを行なう。沢の入門コ...丹沢の葛葉川本谷で沢登りトレーニングの会山行を行ないました

  • N子さんが面会に来てくれました

    先日、相談員さんと話した時に、さっちゃんが帯状疱疹を患っていることを知りました。少し面会を遅らせた方がいいのかなと思っていましたから、今日になってしまいました。ベッドごとデイルームに運ばれてきたさっちゃんはこれまでと変わりない様子に見えます。ちょっとホッとしますね。さっちゃんは目をしっかりと見開いて、こちらを見つめているようです。N子さんに何かを言いたいのでしょうか、もぞもぞと何やら喋っています。でも、その声はか細くてほとんど聴き取れません。N子さんはさっちゃんのすぐ下の妹さんで、年もいちばん近いですから、さっちゃんの中では最も記憶に残っているのかもしれません。妹さん、弟さんの中ではさっちゃんの心が一番動いているように感じるのは僕の思い込みでしょうか?▲15:41。さっちゃんはN子さんをしっかりと見つめて...N子さんが面会に来てくれました

  • グループリハビリのS田先生からメールがありました ――― さっちゃんを愛してくださって有難うございます

    2年ほど前まで、さっちゃんは言語リハビリに通っていました。担当してくださったST(言語聴覚士)のT田先生が紹介してくださった失語症のグループリハビリにも通うようになりました。このグループリハビリは病院ではありませんし、デイサービスなどの介護施設でもありません。さっちゃんが一個人として参加しているグループ活動のようなものなんです。もちろんそんな意識はさっちゃんにあろうはずもなく、何故そこにいるのか理解できていなかったと思います。僕だけの想いだったでしょう。それでも貴重な社会との接点のひとつとして、大切な場だと感じていました。その失語症グループリハビリでは毎月の月報が発行されていました。手元には2019年5月の月報から残っていました。その月報はさっちゃんの入院中も毎月送られて来ていました。もうグループリハビリ...グループリハビリのS田先生からメールがありました―――さっちゃんを愛してくださって有難うございます

  • 相談員さんと話をし、介護医療院のことを知りました

    今日は1時半にさっちゃんが入院している病院の相談員さんと面談の場を持ちました。暑い盛りの時間帯に、僕は自転車で病院へ向かいます。暑いのは暑いのですが、風を受けながらですから、意外と心地よいものですね。病院への道の途中には長~い登り坂があります。その坂をのんびりペースで漕ぎ登っていると、後ろから「あっ、○○さん、こんにちは!」と声を掛けながら抜き去って行く自転車が現われました。ケアマネのT口さんのようです。自転車を停めて僕に話しかけないということは、次の訪問先に向かって急いでいるからなんでしょうね。T口さんの自転車は電動アシストですから、速い!速い!そんなT口さんを僕は立漕ぎにチェンジして追いかけました。何とか追い付くと、T口さんは「速いわね。病院へ行くんですか?」と聞きます。「ええ、相談員さんと面談がある...相談員さんと話をし、介護医療院のことを知りました

  • 久し振りにケアマネのT口さんから連絡が入って来て・・・・

    今日の昼、1時20分にケアマネージャーのT口さんから電話がかかって来ました。久し振りです、懐かしい感じすらしますね。僕は最近のさっちゃんの様子を報告しました。ひと通りの報告が終わると、T口さんが「介護保険の更新申請は済ませましたか?」と聞きます。僕にはそんなことをした記憶はありませんから、「え~?なんですか?それって?」といった反応しか出来ません。どうやら更新申請書が市役所から6月中に届いているはずのようなんですね。7月中に申請しなければならないようで、「じゃあ、4時にお宅へ伺いますね」となりました。その電話終了後、僕は大忙し!何故なら、ここ何ヶ月間か我が家には誰も訪れることがありませんでしたから、部屋は荒れ放題なんです。テーブルの上は封筒や書類や本や地図が山積みになっていますし、床は埃だらけになっていま...久し振りにケアマネのT口さんから連絡が入って来て・・・・

  • さっちゃんの弟、T男さんが面会に来てくれました

    昨日、20日ぶりにさっちゃんの面会へ行って来ました。今回はさっちゃんの弟のT男さんが一緒です。念のために1階待合室に30分前集合とはしているのですが、僕は15分前に到着。病院の玄関を入ると、すぐそこにT男さんがいました。電車等の連絡がうまくいって、予定の1時間前には着いていたんだそうです。いつもの窓口に行って、「さっちゃんの夫ですが、3時から面会予約しています」と言うと、「じゃあ、病棟へ行ってください」と言われました。「手続きの用紙に記入しなくてもいいのですか?」と聞くと「4月から変更になったので」と言われました。「先月もここでその用紙に記入したのになぁ」と内心思いましたけれど、どうでもいいことなので、そのままエレベーターの人に。病棟のナースステーションで別の用紙に記入しました。T男さんは5人兄弟姉妹の中...さっちゃんの弟、T男さんが面会に来てくれました

  • さっちゃんの末の妹さん、K子さんと一緒に面会しました

    許されている面会は2週間に1度。前回から2週間経過して、今月2度目の面会を今日してきました。さっちゃんのいちばん下の妹さんのK子さんと二人で面会して来ました。予約した2時になると、ベッドが運ばれて来ます。パッと見ての最初の印象は「髪が短くなったな」というもの。前回も短かくて散切り頭に感じましたけれど、今日はまるで坊主頭です。ずっとベッドで寝ているので、髪なんて関係ないと言えばそうなんでしょうけれど、前髪だけはもう少し伸ばしておくとか、工夫は出来ないものでしょうか。さっちゃんにとって自分の妹弟は特別な存在なんでしょうね。K子さんに対しても、前回のN子さん同様、目の前の人が誰だかが分かっているような雰囲気でした。目を見開くだけではなく、K子さんの方を見つめているのです。さらに、何やら語り掛けてるような感じで言...さっちゃんの末の妹さん、K子さんと一緒に面会しました

  • さっちゃんの妹さんのN子さんと一緒に面会しました

    5月25日(木)の前回の面会から3週間が経ってしまいました。本当なら先週面会したかったのですが、6日に接種したワクチンの影響が意外と残って、今週まで延びてしまいました。それと、東京在住のさっちゃんの妹さん2人から面会同行の希望がありましたから、さっちゃんのすぐ下の妹さんと2人で面会に出かけました。面会回数は月に1回から2回に増えましたが、人数はたった2人まで、時間もたったの15分間だけです。面会の予約時刻は3時でしたから、T病院1階の待合室で2時半ころ集合の約束でした。雨でしたから、僕は歩きで病院へ。ちょっと遅れて、2時40分過ぎに落ちあいました。必要な手続きをして、予約時刻の前には病棟の階へ。▲15:14。今日のさっちゃんはこれまでで一番目をしっかりと開けてくれました。それは妹のN子さんが来てくれたから...さっちゃんの妹さんのN子さんと一緒に面会しました

  • 『Life is Climbing』を観て来ました

    さっちゃんと僕は一緒に山へ沢へ行くことになって、互いを深く知るようになりました。登山が共通の趣味でしたから、登山や自然やクライミングにまつわる映画はよく一緒に観に行ったものです。僕は今でもそんな映画が公開されると、観に行ってます。昨日の金曜日はHTさんと天覧山で岩トレする予定だったのですが、岩場が濡れていますから中止にしました。ですから、近所の映画館のHPを覗いてみると、なんと!『ライフ・イズ・クライミング』という映画が上映中なんですね。全盲のクライマー小林幸一郎(コバ)が彼のサイト(視覚)ガイド鈴木直也(ナオヤ)とともに繰り広げる冒険物語です。すごく魅力的なテーマでしたから、すぐ観ることに決めました。観ての感想ですが、素晴らしいドキュメンタリーでした。大自然の中でのクライミングシーンが2場面あるのですが...『LifeisClimbing』を観て来ました

  • 僕は一昨日、6回目の新型コロナウイルスワクチンを接種しました

    6月6日(火)、僕は6回目の新型コロナウイルスワクチンを接種して来ました。1回目の接種が2021年6月18日でしたから、2年間で6回接種したことになります。数多く接種したものですね。何の科学的根拠はないのですが、こんな短期間に数多く接種すると、自分の体にもあまり良くない影響が出て来そうな気すらして来ますよね。4回目までは全てファイザー製と記されていますが、5回目もコミナティ(2価:BA.4/5)と記されているのでファイザー製ですね。6回目の今回はオミクロン株対応モデルナスパイクバックス(2価:BA.4/5)でした。僕としては初めてのモデルナ製です。心配なのは副反応。これまでの5回は全て倦怠感が酷くありました。何もする気にならず、と言うか、体を動かすこと自体が大変で、翌日は一日中布団の中でした。今回も同様だ...僕は一昨日、6回目の新型コロナウイルスワクチンを接種しました

  • 水無川本谷の遡行をさっちゃん中心で実践しました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年4月17日(日)水無川本谷水無川本谷○○(僕の姓)、M田少しうすら寒く、降りそうな気もしたが、いつものように沢だから・・・・と言って、3人で出かける。10日ほど前の雪、それに雪解けで、水量多いかなぁと思っていたが、それほどでもない。のんびり歩く。沖源あたりで呼ばれているような気がして振り向くと、O原、O庭、U野...水無川本谷の遡行をさっちゃん中心で実践しました

  • 短髪になったさっちゃんに面会しました

    23日の火曜日、病院に電話を入れて面会の予約をしました。そして、25日の木曜日、今日さっちゃんとの面会をして来ました。今日は介護ベッドの頭の方が少し高くなっていました。左の背中あたりと左足の膝の下あたりに柔かいクッションのようなものが差し込まれていました。褥瘡予防のために体位を替えているのでしょうね。そして、見た目で一番変わったのは髪の毛です。理容の予約を入れましたから、確か昨日の24日だと思いますけれど、髪の毛を切ったのです。ずっとベッドで寝ていますから、髪の毛が長いと髪の毛同士が絡み合ってしまうそうなんですよね。まあ、それにしても散切り頭ですね。短くすると言っても、女性ですから、「もう少し可愛らしく切ってあげればいいのにな」と思います。サッパリとした感じはしますけれどね。さっちゃんは今日は時々目を開け...短髪になったさっちゃんに面会しました

  • 介護ベッドが返却されて、寝室が殺風景になってしまいました

    2月14日の聖バレンタインデイにさっちゃんは自宅に戻って来ました。そして、3月6日には誤嚥性肺炎で入院となってしまいました。今日まで介護ベッドや車椅子、吸引器などは返却されないままでした。入院後しばらくしてから、レンタル用品会社に事情を連絡し、その時点でレンタル料金はストップします。後は都合のいい時に回収に来てくれる訳なんですが、それが今日の午前中でした。I老健でショートステイ中に嘔吐し、誤嚥性肺炎ということで救急搬送されましたから、車椅子はI老健で回収されたようです。介護ベッドと吸引器は我が家からの回収でした。一度も使うことのなかった吸引器は小さいですからともかく、大きな介護ベッドがなくなると、部屋は急に寂しくなってしまいます。さっちゃんが居なくても、介護ベッドにはさっちゃんの存在が微かに感じられます。...介護ベッドが返却されて、寝室が殺風景になってしまいました

  • さっちゃんと面会して来ました ――― さっちゃんが喋らないので心配です

    先週予約し、今日面会して来ました。療養病棟の階へ行くと、すでにさっちゃんのベッドが前回と同じ場所に運ばれていました。「さっちゃ~ん」と呼びかけます。目を開けてくれたので、僕はマスクを下げて、「僕だよ~」と言います。すると、リハビリ担当の男性が来て、前回と同じくリハビリテーション実施計画書へのサインを求められました。月に1度のサインが必要なんだそうです。そして再び、「さっちゃ~ん」と呼びかけます。さっちゃんはまた目を開けてくれました。薄くではなく、比較的しっかりと目を開けてくれました。つぶらな瞳をぱっちりと、そんな具合には行きませんが、前回の薄っすらと開けてくれたのに比べると、しっかりと開いていました。▲15:12。僕はさっちゃんの左手を持ちます。指で擦ったり撫でたりし続けます。握り返したりの反応はありませ...さっちゃんと面会して来ました―――さっちゃんが喋らないので心配です

  • 来週、面会することになりました

    昨日のことです。天覧山の中腹広場に着いた時、電話が鳴りました。病院からです。病院からの電話は、いつも不吉な予感しかありませんよね。不安な心境を抱きながら電話に出ると、さっちゃんが入院している療養病棟の事務の女性からでした。「病院の面会が2週間に1度になりました」と言うのです。恐らくは新型コロナウイルスが5類になったことの影響なんだと思います。でも、まだ2週間に1度、月に2度でしかありません。それに面会時間がたったの15分間だと言うのは変わりません。せめて週に1度くらいにならないものでしょうかね。ついでにで申し訳なかったのですが、その電話で面会の予約もしてしまいました。来週です。今日明日の土日はすでに予約で満杯だそうです。楽しいですね、さっちゃんに会えるのですから。病院や老人の多い施設で面会制限が大幅に緩和...来週、面会することになりました

  • 4月なのに奥多摩は雪山に変貌! 鋸山を歩いて来ました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年4月10日(日)奥多摩駅~愛宕山~鋸山~大ダワ~神戸岩尾根歩きがどうしても少なく、5月連休のこともあるので、少しは歩いてみようということで出かけた。天気は高曇りで、ハイキングには良い日であった。登山靴はザックの中。前回の棒の嶺のように一度も足を入れずというわけにはいかず、歩きだしてすぐに道がぬかるんで来だしたが...4月なのに奥多摩は雪山に変貌!鋸山を歩いて来ました

  • つづら岩での会山行をさっちゃんは無事にまっとうしました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年4月3日(日)つづら岩会山行晴れ2月21日の膝の捻挫はまだ完治(当分かかるだろう)していないが、会山行には支障がないまでに回復し、ホッとした。参加者も毎度の顔ぶれであり、主催者側の甘えは許されないが、ザイル1本持つことだけは許してもらう。O原氏(僕のお師匠さん。弟子の邪魔になると思うのか僕の主催会山行には参加し...つづら岩での会山行をさっちゃんは無事にまっとうしました

  • 3週間ぶりに、さっちゃんに面会して来ました

    一昨日の4月24日(月)にT病院へ行き、さっちゃんに面会しに行って来ました。ひと月にたった1回の面会です。前の週に電話を入れ、予約をしての面会です。僅かに15分間の面会です。時短なのはコロナ禍ですから仕方ないのは理解できます。でも、せめてひと月に2、3回は面会できるようにして欲しいですね。病室から面会者のいるティールームのようなスペースにベッドを運んでくるだけのことですから。さっちゃんは3週間ほど前に会った時よりはほんの少しは生気が増したような気がしました。意味不明な声も前よりは発していました。でも、相変わらず以前よりは小声ですし、「あ~」とか「う~」とか「お~」とかの声が多かったですね。3週間前にあった際には付いていた小さな計器はもう付いていません。容態が安定しているからなのでしょう。前回はまったく目を...3週間ぶりに、さっちゃんに面会して来ました

  • 城ヶ崎の2日目は昼から雨が降りました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月21日(祝)城ヶ崎2日目城ヶ崎I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)2日目天気も午前中はもちそうなので、9時ごろの電車であかねの浜に向かう。今日は3級or3級+(下記追記参照)くらいの少し長いルートにトップロープを張り、攀じる。見た目より難しく、身長差ですごく苦しい箇所あり。昼ごろ、雨がポツポツ落ち出したの...城ヶ崎の2日目は昼から雨が降りました

  • 城ヶ崎で初めてのクライミング。さっちゃんが計画、立案しました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月20日(日)城ヶ崎1日目城ヶ崎I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)1日目足(ヒザ)もまだ完治しないし、雪山は無理。かと言って、テントしょって重荷の縦走も無理。ではゲレンデということで、前から行ってみようと思っていた城ヶ崎の岩場に行くことになった。民宿は1週間と言うことで、とれないのではないかと心配したが、...城ヶ崎で初めてのクライミング。さっちゃんが計画、立案しました

  • 療養病棟の担当医師から説明を受けました。そして、・・・・

    一昨日のこと、さっちゃんが入院している病院から電話がありました。一般病棟から療養病棟に移ったことと担当医師との面談の場を持つ予定だということでした。面談の予定日を3日、候補として上げてくれました。そして今朝、再び電話があって、「今日の4時からいかがでしょう?」と。4時前には病院へ行き、受付に入院申込書兼誓約書を提出、さらに療養病棟へ入る許可を受けました。療養病棟のナースステーションへ行き、すぐに医師との面談が始まりました。医師からの説明は、先日相談員さんから聞いた説明とさほど大差はありませんでした。でも、1点だけは大きな違いがありました。それは痰の吸引に関してです。相談員さんからは2~3時間おきと聞いていましたが、今では1日に3、4回に減って来ているようです。熱も、時には37度を超えることもあるようですが...療養病棟の担当医師から説明を受けました。そして、・・・・

  • 病院の相談員さんから連絡が入りました

    今日の1時29分、さっちゃんが入院している病院の相談員さんから電話が入りました。「療養病棟に空きが出たので、4月4日にそちらへ移ります」との報告でした。同じ病院内での移動なので、連絡なしにすでに移動しているのかな、とも思っていました。でも、わざわざきちんと連絡をくれるのですね。その電話で僕は幾つかの質問をしました。第1に、痰の吸引はどれくらいの頻度かということ。2~3時間おきだそうです。第2には、今現在どのような方法で栄養を摂っているかということ。もうすでに経管栄養になっているそうです。200Kcal×3で、1日600Kcalのようです。それはいいですね。嬉しいです。第3は、入院申込書兼誓約書のことです。僕は昨日、さっちゃんの妹さんにお会いして、連帯保証人欄に記入・捺印してもらいました。この書類は退院まで...病院の相談員さんから連絡が入りました

  • 今年もさっちゃんとはお花見が出来ません

    我が家の桜が満開です。我が家のと言っても、我が家はアパートで庭はありませんから、ベランダから手が届くほどの近くで咲く桜のことです。▲2023年3月28日14:52。今日は少し陽の差すこともありましたが、雲の多い一日でした。満開になってから気温の低い日が続きましたから、落花せずに美しさを保っています。さっちゃんが入院することがなければ、この桜を目にすることが出来たのにと、残念です。さっちゃんと僕は毎年、多摩川土手の桜を見に散歩していました。さっちゃんが認知症になってからは、尚更そんなお花見を大切に思っていました。ところが、昨年は最初の誤嚥性肺炎で入院中。お花が終わったころ、I老健へ入所しましたから、自宅に戻ることはありませんでした。一昨年の2021年は桜の時季に何度も散歩をしました。▲2021年3月29日1...今年もさっちゃんとはお花見が出来ません

  • さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

    先週、担当のお医者さんから電話があって、「今週中くらいには退院する予定だ」と聞かされていました。「相談員の者から電話が行くでしょう」とも聞いていました。昨日の11時34分、ちょうど天覧山にいてトラバースを終了させていた僕に病院から電話が入ります。病院からの電話は基本的には驚きますし、不安になります。でも、おそらく相談員さんからだろうな、と予想できていましたから、この時はさほど不安にならずに済みました。予想通りで相談員さんからでしたが、その内容には驚くしかありませんでした。予期せぬ内容だったからです。退院後、すぐに自宅へ戻ることは困難だろうとは予想できましたけれど、当然病院から老健へ移るものと思っていました。それが老健側が「受け入れ困難だ」と返答したんだそうです。その理由ですが、さっちゃんの現状は痰が多く出...さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

  • さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

    今日の正午ころ、病院から電話が入りました。嫌な気分ですね。でも、さっちゃんの担当医師からの病状説明の電話でした。先週、担当看護師さんと話した時に、担当医師から説明をしますとの約束を守ってくださったのです。僕もいろいろと詳しい内容を聞かなかったこともありますが、報告内容は至ってシンプルなものでした。「炎症度合も良くなっているので、来週くらいには退院する方向で考えています」と。具体的にもっと状態を聞けばよかったのですが、突然の電話でしたから、そこまで思いが回りませんでした。栄養補給は経管栄養なのか点滴なのか、聞いておきたかったですね。微熱はあるのかとか、便秘の状態はとかも聞きたかったです。僕が聞いたのは病院の相談員さんのことでした。入院した際に、相談員を付けることは聞いていましたから、退院に向けてや退院後のあ...さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

  • さっちゃんの夢を見ました

    さっちゃんが入院していると、我が家には誰も訪れる人はいません。訪問看護師さんもケアマネさんも来る用事はないのです。すると、テーブルの上は片付けない物で埋まり、床も掃除しないので埃だらけになってしまいます。今週の土日はどこへ出かけることもなく家でじっとしています。早く起床する必要もないので、だんだんと夜寝るのが遅くなっていきます。ついに昨晩は4時ころに寝て、今朝は10時過ぎに起床する、昼夜逆転直前の状況になってしまいました。さっちゃんが居ないと、僕のいい加減さはエスカレートしてしまいます。かろうじて山へ行ったり岩トレしたりの日があることで、普通の生活リズムを取り戻すことが出来ています。今朝、目覚めるころに夢を見ました。さっちゃんの夢です。入院しているはずのさっちゃんが何故か家に来ています。そして、僕はさっち...さっちゃんの夢を見ました

  • 捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月13日(日)鷹取山鷹取山I川、A立、K子、A木(K子さん友人)、さっちゃん、○○(僕の姓)足の捻挫はまだ直らないというのに、少しでもよいかなあと思うと、じっとしていられず、自分では見学と決めて出かけた。みんなには捻挫のことは内緒にしてある。少しビッコをひいているのだが、誰も気づかないようだった。見学なんて出...捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

  • さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月21日(日)つづら岩つづら岩○○(僕の姓)会山行(4月5日)の下見もかねて、トレーニングに出かけた。東面3級ルート、南面一般ルート(はじめて)のリードをした。あとはトンネルくぐりのオケラルートのリード。天気もよく、あたたかい。岩場はそれほどの混雑はなかった。リードもできたし、気分はよかったのに、下りにすって...さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

  • さっちゃん、突然の入院です

    今朝11時14分、ショートステイしているI老健のS田さんから電話が入りました。「昨晩嘔吐し、これから救急車に乗ります。健康保険証を持って、T病院に向かってください」僕はちょうど洗濯機を回している最中でした。早く目覚めたのですが、前日の岩トレ後の打上げで飲み過ぎて(さほど飲んではいないのですがアルコールに弱くなっています)、二日酔い気味でした。朝食も食べていませんでした。バナナ1本食べて、健康保険証を持って、自転車でT病院へ向かいました。11時40分ころ、救急車の到着口に着きましたが、さっちゃんはまだ到着していませんでした。12時過ぎ、救急車が来ましたが、さっちゃんではなく別の方でした。12時半ころ、救急車が来て、さっちゃんが運ばれて来ました。目をつぶっているさっちゃんは苦しそうでもなく、いつもの表情でした...さっちゃん、突然の入院です

  • さっちゃんのショートステイ中、僕はけっこう多忙です

    3月1日の水曜日から8日の水曜日までさっちゃんはショートステイに行っています。ショートステイの送り迎えには僕も同行する必要があります。往きは一緒に車に乗ってI老健へ行き、徒歩と電車で僕は帰宅します。帰りはその逆で、徒歩と電車でI老健へ行き、さっちゃんと一緒に車に乗って帰宅するのです。ですから、水曜日は両日ともほぼそれで潰れます。本当に僕の自由になる日数は6日間ですね。自由と言っても、半分はさっちゃんのために行なうことがありますけどね。2日の木曜日は武蔵五日市駅の裏山を歩いて来ました。3日の金曜日、今日は洗濯と買い物で大忙しでした。汚れたオムツやパッドを入れるポリ袋を買いました。スーパーで自然に手に入る枚数だけでは不足するからです。さっちゃんの枕も買いました。さっちゃんが使っていた枕は小さい枕でしたから、今...さっちゃんのショートステイ中、僕はけっこう多忙です

  • 明日から1週間のショートステイに出かけます

    さっちゃんが初めてショートステイしたのは2021年11月のことでした。そして、それが最初で最後になってしまいました。何故なら、2回目のショートステイの前に部屋で転んで大腿骨転子部骨折という重傷を負ってしまったからです。明日からは、さっちゃんにとっての2回目のショートステイです。訪問看護師のM木さんのひと言、「2月中に一度ショートステイしてみたら」との言葉に押されるようにとんとん拍子で進みました。二転三転して、結局2月には利用できなかったのですが、明日3月1日から利用することになったのです。これまで長くお世話になっていたI老健でショートステイも行なっているということで、お願いすることにしたのです。さっちゃんをよく知っていてくれるスタッフさん達が多くいる安心感は大きいですね。ただ、ここのショートステイのシステ...明日から1週間のショートステイに出かけます

  • 1988年初めての尾根歩きを奥多摩で行ないました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月14日(日)ハイキング御嶽駅~棒の嶺~白谷沢~有間ダム~河又今年はどういうわけか、ぜんぜん尾根歩きをやっていない。足ならしをしなくてはと、奥多摩のハイキングコースにでかける(5~6時間コース)。時期的にもたまには雪がでてくるのではと登山靴をザックに、その他はとくにもってゆくものがない。荷が軽いのはよいことだ...1988年初めての尾根歩きを奥多摩で行ないました

  • 今日、市役所からオムツなどが届きました

    さっちゃんがいま必要なのはテープ止めタイプの紙おむつと尿とりパッドの夜用と昼用です。1日4回、オムツ交換タイムがやって来ます。おしっこが漏れずにパッドで止まっているとパッドだけを取り替えます。ですから、昼用パッドが通常1日に3枚は必要になります。昨日の金曜日、僕は天覧山へ行きました。数日前はこの日は行けそうにないと思っていました。昼用パッドが足りそうになかったからです。天覧山ではなくて、パッドを買いに行かなければならないと思ったからです。でも、翌日だったか、よく考えてみると夜用パッドを昼に使っても構わないんだ、と思ったんです。夜用パッドの方がたくさん残っていましたから。それで、天覧山へ行くことにしたんです。ところが、火水木金土と、5日連続して朝のオムツ交換で紙オムツを交換しなければならなくなってしまいまし...今日、市役所からオムツなどが届きました

  • 昨日も今日も朝のオムツ交換が大変でした

    バレンタインデーにさっちゃんが戻って来てから10日間が経過しました。多くの人々の助けを受けながらですが、自分なりにだんだんと慣れて来たと思います。手際が悪いので、自分の時間(デイケアの日以外で)をなかなか作ることが出来ません。まあ、でも、だんだんに介護生活に慣れて行けば自分の時間も作れていくだろうと楽観しています。僕自身の食事を作る時間もなかなか十分には確保できないのが現状ですね。朝食はさっちゃんと一緒に暮らすようになってからの定番メニューを守り続けています。コーヒー、パン(今はイギリスパン)、ベーコンエッグ、トマト、レタス。コーヒーは豆から毎朝挽いています。朝食を8時前後に食べることが出来た日は2日間ほどあったでしょうかね。ほとんどは10時前後に遅れてしまいがちです。昼食はカップ麺、オートミール、パンな...昨日も今日も朝のオムツ交換が大変でした

  • 今日は訪問看護師のM木さんと今後の便秘薬ピコスルファートナトリウムの使い方について話し合いました

    さっちゃんは昔から便秘持ちです。認知症になる前からその苦痛はたま~に話を聞くことがありました。さっちゃんが自分で排泄処理が上手く出来なくなり始めると、その問題には僕も直面するようになったのです。僕のブログの「トイレ」カテゴリーにはそのような内容のがたくさんあります。一例として、次のブログを載せておきます。昨年は10日間以上排便がないの当り前でしたが、今年からはそれほどでもありません。ですから、排便周期を考えることにしました2021年も10日間以上排便がないことも、当り前ではありませんでしたが、ありました。さっちゃんと一緒にトイレにこもって、何10分もお腹のマッサージなどしましたね。その効あって見事に出た時は、まさに「万歳!」でした。今は胃瘻を通じての経腸栄養剤ですし、なかなか固形の便は出辛い状況です。それ...今日は訪問看護師のM木さんと今後の便秘薬ピコスルファートナトリウムの使い方について話し合いました

  • 日曜日、さっちゃんは車椅子で食事(経管栄養)しました。テレビからはユーミンや竹内まりやの歌が

    さっちゃんの食事(経管栄養)は一日に2回、12時からと17時からです。I老健の時は確か10時からと16時からだったと思います。でも、デイケアでの食事時刻と自宅での食事時刻とを一緒にして、生活リズムを一定にしようと、このような設定になったようです。日曜日の朝、僕は自宅介護で初めて二度寝してしまいました。疲労が溜まっていたんでしょうかね?ですから、8時からの白湯200ccを飲む(経管投与)のが9時25分からになってしまいました。そのままスライドして、12時からの食事が13時20分からになってしまったのです。I老健入所中は食事は車椅子で摂っていたそうです。家でも、ベッドの上ばかりでの食事では変化に乏しいですし、身体も少しは動かした(移動させた)方がいいのではと思います。家でも、お昼の食事は車椅子で摂るようにした...日曜日、さっちゃんは車椅子で食事(経管栄養)しました。テレビからはユーミンや竹内まりやの歌が

  • さっちゃんのデイケア最初の日、僕は天覧山へ行きました

    老々介護の身の小生です。以前はケアマネさんも介護士さんも山の仲間も、誰もがみんな僕のことをことさらに心配するのを不思議に感じていました。もちろん、理屈では僕自身も理解は出来ていたのですが、しっくりと納得できてはいませんでした。でも今、意思疎通が不可能な、自分で飲み食いできない、動けない、排泄処理が出来ない、そんな妻のさっちゃんを自宅介護していると、痛感できます。周囲の手助けしてくださる方々の優しい想いが痛いほど有難く感じられます。自宅での単独の介護、しかも老々介護ですから、僕が倒れるとさっちゃんも共倒れです。僕自身の肉体的健康、精神的健康を大切にしなければならないことがよく理解できるようになりました。登山を愛する者は幸いなり。何故なら、登山をすることが肉体的精神的健康に直結しているからなり。(聖書の一節の...さっちゃんのデイケア最初の日、僕は天覧山へ行きました

  • 暖かな陽ざしが入る部屋の中で、僕はさっちゃんに話しかけました

    「さっちゃん、外を見てごらん。青空だよ」「・・・・・・」「こんなに天気がいいと、山を歩きに行きたいね」「・・・・・・」「いろんな山を登ったねぇ」「・・・・・・」「いろんな沢や岩も登ったねぇ」「・・・・・・」「ニュージーランドにも行ったね」「・・・・・・」「ヨセミテにも行ったね」「・・・・・・」「ネパールには一緒に行きたかったね」「・・・・・・」僕はこんな風にさっちゃんに話しかけ続けました。外は寒気が強くて寒い日ですけれど、ガラス越しに差し込んでくる陽射しで部屋はポカポカと温かいんです。さっちゃんが横になっているベッドの脇に僕は座り込んで、さっちゃんの顔を覗き込みながら喋りかけ続けました。ゆっくりと、過去の想い出を噛みしめながら、喋りかけていました。「また、さっちゃんと一緒に山へ行きたいなぁ」「・・・・・・...暖かな陽ざしが入る部屋の中で、僕はさっちゃんに話しかけました

  • 今日の午前中はウンチとの格闘でした

    昨晩、ピコスルファートナトリウム15滴を投与した時点から予測されている事態ではありました。この液体の薬は下剤なんです。現状、この薬の使用法を模索状態のようですね。I老健では朝夕に7滴ずつ入れていたのですが、自宅介護になるので、改めて対応を考えているみたいです。おそらく、僕の介護が楽になる方法を模索してくれているような気がします。今朝の8時前からオムツ交換をしました。白湯を入れる前にそうした方がいいからです。液状の下利便の可能性もありました。でも、軟便ではありましたが、液状ではありませんでしたから、少しホッとしたのも束の間、その量に驚きました。軟便のせいもあったのかもしれませんが、おそらくは昨晩の僕のオムツの穿かせ方が悪かったのでしょうね。パッドからはみ出しているばかりか、オムツからもはみ出して、寝巻きのズ...今日の午前中はウンチとの格闘でした

  • さっちゃん本人が聖バレンタインデーのチョコレートです!

    さっちゃんがついに我が家に帰還しました。長かったですね。2021年11月に大腿骨転子部骨折、その後の重篤な肺炎、そして老健生活ですから、1年3ヶ月ぶりです。途中10日間の自宅生活はありましたけれど、不安だらけの10日間でしたからカウントする必要ないでしょう。今日一日は怒涛のような一日でした。それは夜中の今も続いていて、このブログも手短かに済ませようと思います。▲11:56。自宅に帰って来てすぐころの様子。介護タクシーに揺られてきたので疲れているのだと思います。▲12:08。前日に届いた介護ベッドに寝てもらいます。▲12:44。寝てます。13時45分、尿取りパッドの交換、尿量200g。14時20分から白湯200cc補給。15時30分ころから担当者会議のために、看護師、ケアマネ、介護士、理学療法士の計5名が来...さっちゃん本人が聖バレンタインデーのチョコレートです!

  • 介護ベッドと吸引器が入りました。今晩はその寝心地を味わってみようかと思います

    介護用品レンタル会社から午後の3時過ぎ、介護ベッドが搬入されました。今回のベッドは3モーターで、ラクリアモーションという機能も付いています。まだその機能の良さは理解できていないのですが、ベッド全体が足側を下にして傾くのです。実際に試して、その機能を十二分に活用しなければなりませんね。もちろんベッドに敷くマットも同時搬入です。最大のメリットは自動体位変換機能を備えていること。夜も僕自身が起きなくても決められた時間ごとに体交をしてくれるのです。他にも優れた機能があります。このマットは直径5cmほどの円筒形の空気の詰まったチューブが横向きに何本も集まって出来ています。チューブの圧を観察してみると、3本のチューブが圧が高くて、隣りの1本は圧が低くて潰れたようになっています。3本、1本、3本、1本、・・・・・と並ん...介護ベッドと吸引器が入りました。今晩はその寝心地を味わってみようかと思います

  • 僕がリーダーでさっちゃんがサブリーダーの岩トレ会山行を日和田で行ないました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月11日(祝)日和田山久しぶりの岩今日は久し振りの岩。それも5年ぶりの日和田山。始発でかけつけた男岩には、もうザイルがセットされ、ほとんどLMCのメンバーのみが取り付いていた。常連の4人は男岩南面の右の2本のバンドのあるフェースで二人ずつでリードの練習。偶然にも会ってしまった平日のL二人と、新人の一人は左の上...僕がリーダーでさっちゃんがサブリーダーの岩トレ会山行を日和田で行ないました

  • 最後の介護トレーニングを済ませました。自宅への帰還に向けて動いています

    今週もすでに金曜日です。さっちゃんが帰って来る来週のバレンタインデーに向けて準備を進める週です。日曜日は哲さんに誘われて奥多摩を歩いて来ました。久し振りに僕としては長い距離を歩きました。月曜日には午前10時にケアマネのT口さんが来て、サービス利用票を持って来てくれました。見積もりのようなものですね。ショートステイは3週に1週(2週自宅で1週ショートステイ)で行ないたいのですが、月に2週ショートステイが入ると、ちょっと大変です。つまり、介護サービスの支給限度額を超えてしまうのです。超えた部分は実費になってしまいます。超過分が数万円になりますから、ちょっと痛いですね。月曜日の午後は箪笥の移動をするつもりでしたが、急遽火曜日に天覧山へ行くことになりました。ですから、もともと火曜日に行くつもりだった眼科には月曜日...最後の介護トレーニングを済ませました。自宅への帰還に向けて動いています

  • さっちゃんの受け入れ準備を進めています。まずは箪笥1つを移動させました

    我が家は2LDKのアパートなんですが、1部屋は寝室、1部屋は僕の仕事部屋でした。部屋を必要とする仕事をしなくなって、その元仕事部屋は物置状態になってしまっていたんです。さっちゃんの介護ベッドを置く寝室を、快適で、介護もし易いようにしたいと思い、少しだけ模様替えをするつもりです。その構想自体は去年の春くらいから抱いてはいたのですが、少しずつ進めておくつもりが結局なにもしませんでした。で、さっちゃんの帰還が現実的になって来た今月から僕は慌てて部屋の模様替えをし始めたわけです。本当ならば、元仕事部屋の物置状態を解消し、今では不要となったデスクひとつ(2つあるのです)とPCラックを廃棄するつもりでした。でも、デスクとPCラックの廃棄は後回しにして、物置状態の解消を優先することに。それは3日間ほどで最低限のレベルで...さっちゃんの受け入れ準備を進めています。まずは箪笥1つを移動させました

  • バレンタインデーにさっちゃんが戻って来ます!

    昨日の15時半からI老健で関係者会議が催されました。相談員のS田さん、ケアマネのT口さん、さっちゃん担当の看護師さん、介護士さん、理学療法士さん、そして僕です。テーマは明瞭にさっちゃんが自宅に戻ることへの確認や質疑応答でした。まず最初に、各担当者からのこれまでの報告等がありました。よく聞き取れなかったりした部分もありましたが、多くは僕も知っていることでしたし、僕のトレーニングのことは当事者ですから、既知の内容です。以下、報告のあった中から、僕のあまり知らなかったことや大切そうなことをピックアップして箇条書きしておきます。・体交は夜中でも2時間おきくらいで行なっている。自宅では夜中に起きるのは大変なので、体交が出来る専用マットがいいと思う。・残っている下顎の前歯3本が鼻に当たることがある。鼻の下にワセリン等...バレンタインデーにさっちゃんが戻って来ます!

  • さっちゃんは写真仲間の家でのカレーパーティーに招かれました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月7日(日)自分のHR会の仲間であるY岸さんの家でインド式カレーパーティーによばれる。2023.02.02追記さっちゃんは山岳写真家の故・U田氏が主宰する山岳写真愛好グループ・HR会に所属していました。主にヒマラヤの山々がメインでしたが、日本やヨーロッパの山の写真も幅広く撮影しているグループでした。多くのメン...さっちゃんは写真仲間の家でのカレーパーティーに招かれました

  • さっちゃんの自宅に戻る話が具合的に動き始めそうです

    昨日の夕方5時29分、I老健から電話が入り、木曜日にケアマネさんも含めて会うことが決まりました。当然、さっちゃんが自宅に戻る件の話し合いがもたれるわけでしょうから、さっちゃんの自宅復帰が突然現実味を帯びて来ました。そんな想いの中で行なわれた今日の介護トレーニング。やることは先週と同じ。吸引、栄養補給、薬の投与。だんだん慣れて来て、胃瘻のボタンへの着脱もこれまでよりはスムーズに出来るようになりました。看護師さんと胃瘻の取り換えのことも話しました。7月に胃瘻造設をしましたから、そろそろ胃瘻を取り替えなければなりません。看護師さんがおっしゃるにはさっちゃんの胃瘻のタイプはバルーン・ボタン型だそうです。器具の進歩等、あるとは思いますが、もっと早く交換しなければならなかったのではないでしょうか?でも、さっちゃんの胃...さっちゃんの自宅に戻る話が具合的に動き始めそうです

  • さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月31日(日)鷹取山(当時所属していた山岳会の月報より)大草原をめざそう!珍しくゆっくりした集合時間でのんびりした気分で出かける。一年ぶりの鷹取山ゲレンデであるが朝から天気も上々だし、追浜の高級住宅地の朝を、住みなれたわが街のようにリッチな気分にひたりながら、前方に要塞のようにそびえる鷹取山へといつもの顔ぶれ...さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

  • 天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月24日(日)天覧山岩トレ○○(僕の姓)、A立、さっちゃん、(以下、現地にて出会う)K島、A部またまた天覧山に遊びに行った。今年は雪の状態もいまいち。氷はダメ。天候不順、北風の寒い日は天覧は意外と暖か。トラバースをしたり、3段ハングをやってみたり、のんびりと遊ぶ。下部の岩場の方で見たようなヘルメットと声、A部...天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

  • 天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月17日(日)天覧山岩トレ天覧山○○(僕の姓)、A立、さっちゃん前回にひき続き、3段ハングに挑戦。前回は思いがけず、1段目に立つことが出来た。しかし、今日は駄目だろうと思っていたが、同じく1段目に立ち、2段目に左足をかけるところまでいく。3段ハングの右のハングも前回より手が上に届いた。午後から雲も出て、少し肌...天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

  • 3ヶ月ぶりの山歩きは、さっちゃんとの想い出がたくさんある青梅丘陵です

    山のブログ『ザイルと焚火と焼酎と』にもまだ記録してませんが、昨年の10月に僕は腰を痛めてしまいました。2週連続で今の僕にとってはハードで重荷も背負う山行に行ったからです。それ以降はクライミング三昧の山生活を行なっていました。3ヶ月ぶりの山への復帰戦が、超易しいハイキングコースの青梅丘陵です。3ヶ月ぶりの山歩き。小手調べに選んだコースはちょうど1年前と同じ青梅丘陵ハイキングコースさっちゃんと2020年2月8日に歩いた時の写真を一枚載せておきます。この日は二俣尾駅から西城林道へ入り、すぐ左の尾根を登って青梅丘陵に出ました。青梅丘陵に出てからは、少しだけ雷電山方面へ進み、登って来た尾根の西隣りの尾根を下ったのでした。▲14:22。下山後の二俣尾駅ホームで。山行中は笑顔のなかったさっちゃんに最後になってやっと笑顔...3ヶ月ぶりの山歩きは、さっちゃんとの想い出がたくさんある青梅丘陵です

  • 雲仙スラブの翌日は、天覧山

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月10日(日)天覧山岩トレI川リーダーの会山行。M田(SL)、○○(僕の姓)、K子、さっちゃん、Y井大ハング(以下、3段ハングと書き替えます)に挑戦。一段目に立つ(初)。二段目タッチ。1月とは思えないポカポカ陽気。4時ころまで遊ぶ。いつものタケダにて新年会をかねて打上げ。おばあさん(タケダの女将さん)も元気。...雲仙スラブの翌日は、天覧山

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