3月13日(木)花粉症のK子さんは外出控え目を心掛けていますから、この日は僕ひとり。さっちゃんは起きていてくれました。この日の担当看護師さんがおっしゃるには「体調に変わりはない」とのこと。久し振りに「ふるさと」をさちゃんの耳元で唄いました。▲14:22。この日はほんの時々は声を発してくれました。目もよく開けてはくれましたが、すぐに閉じてしまいます。開けても、この写真の開け具合が最大かな。3月13日、まずまずの安定状態が継続しています
さっちゃんが入院している病院はスーパーマーケットが隣りにあります。僕はそのスーパーで買い物をします。ですから、面会ついでだか、買い物ついでだか、毎日の面会後には買い物もします。連日、暑い日が続いていますから、陽が傾き始め、僅かに風も涼しくなる4時台に出かけるわけです。8月8日(木)▲16:43。さちゃんの手の甲だったと思いますが、点滴の針がセットされていました。暑い日が続いているので、体内の水分を補うためなのでしょうか?▲16:44。この日のさっちゃんは目を覚ましてくれませんでした。無理に起こすことはしません。8月9日(金)▲16:48。点滴をセットしている手の甲には絆創膏が貼ってあり、セットした日と終了日(多分)が記されています。8月10日(土)▲16:44。土日で避難小屋泊まりするつもりでしたが、オリ...毎日の面会が日常になっています
先週の8月5日(月)の正午前、病院の相談員さんから電話がありました。そして、その日のさっちゃんとの面会後に相談員さんと会うことになりました。夕方5時を過ぎて、相談員さんとお話をしましたが、内容は予想通りでした。さっちゃんが退院できるようになってから、どこへ行くか?です。その相談員さんは女性で、わりと物事をはっきりとおっしゃる方でした。会話の流れの中で、延命措置をどのレベルでとるのかという、お決まりの話が出ます。心臓マッサージはしません。相談員さんは「高齢なので肋骨が折れちゃいますしね」と言います。それは分かっていますけれど、「しなくていいです」と僕は言っているのですから、そこまで具体的に表現しなくてもね。人工呼吸器は使いません。それで生きながらえても、植物人間のような状態になり易い、と言うような感じをおっ...病院の相談員さんとお話しをしました
前回の肺炎の際も今回入院した病院と同じでした。と言うことは、面会システムも同じです。2~5時の間で毎日15分間は病室で会えるのです。その点は僕にとってはとても嬉しいですね。もちろん、さっちゃんにとっては病気なわけですから辛いでしょうけれどね。それに身の回りの世話や人との交流はI老健の方が行き届いていますから、刺激は少なくなります。たったの15分間ですけれど、僕が刺激を与えてあげようと思います。入院の翌日、8月2日(金)に早速面会に行きました。▲16:45。バイタルをチェックする器具は付いていましたが、点滴は付いていませんでした。と言うことは、胃瘻から栄養も水分も入っているのでしょう。嬉しいことです。8月3日(土)にも面会へ。▲16:45。この日はぐっすり寝ているさっちゃんでした。起こしても悪いですし、小声...入院中は直接会えるのが嬉しいですね
7月29日にI老健の医師からさっちゃんの現状と中心静脈栄養について説明を受けました。その時のブログにも書きましたが、その時点で僕は二者択一で決定をしなければならなくなりました。つまり、I老健でこのままの対処を継続し、結果的には看取りを行なうか、入院して中心静脈栄養の点滴を造設するか、どちらかを選ぶことになったのです。医師の説明を受けながら、僕には後者の選択肢しか考えられませんでした。その後、さっちゃんの部屋へ案内され、直接会うことが出来ました。部屋ではさっちゃんはマスクを外しています。マスクをしている時よりも、顔の表情がより分かります。基本的にさっちゃんは自分の感情を表現できないと思います。さっちゃんが表わしている表情は喜怒哀楽等の個人的表層の感情を超えた、内面の根底とでも言うべき表情だと思います。さっち...前回と同じ病院に入院しました
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3月13日(木)花粉症のK子さんは外出控え目を心掛けていますから、この日は僕ひとり。さっちゃんは起きていてくれました。この日の担当看護師さんがおっしゃるには「体調に変わりはない」とのこと。久し振りに「ふるさと」をさちゃんの耳元で唄いました。▲14:22。この日はほんの時々は声を発してくれました。目もよく開けてはくれましたが、すぐに閉じてしまいます。開けても、この写真の開け具合が最大かな。3月13日、まずまずの安定状態が継続しています
3月6日(木)K子さんが来てくれました。前々週は熱を出していましたし、前週も眠ったままでした。この日は起きていましたから、良かったなと思いました。でも、目を開けているのは疲れるのか、長くは目を開け続けてくれません。目を開けるのに、力強く開いている時と力弱く開いている時とがあるのです。▲14:18。久し振りに声も出していたさっちゃんでした。▲14:26。力が入っている方かな?3月6日は目も開いていて、声も出ていました
2月27日(木)この日の面会の様子を簡単なメモで残しておくことを忘れていました。なので、この日のさっちゃんがどうだったかは今となってはよく分かりません。でも、次週のメモを読むと、この日のさっちゃんはほとんど寝たままだったようです。写真を見ると、K子さんやN子さんの姿がありませんから、僕一人での面会だったようですね。次週のメモを裏付けるように写真の中のさっちゃんは目を大きく開けていません。下の写真ではほんの少しだけ薄目を開けているようです。▲14:23。よ~く見ると、ほんの少しだけ薄目を開けているさっちゃんです。見えているかどうかは分かりませんが。2月27日、この日のさっちゃんはどうだったのか、記録のメモがありません
2月20日(木)僕ひとりでの面会です。病棟へ行くと、年輩の小柄で細身の看護師さんが、話しかけてきます。どうやらこの日のさっちゃん担当のよう。「熱があるんですよね」と言います。38.5度だそうです。さっちゃんは寝ていて、目も開きません。額に手を当てると、確かに熱い。小声で「さっちゃ~ん」と呼びかけるだけ。耳元で「ふるさと」を久し振りに唄って聞かせました。面会終了時、看護師さんが来て胃瘻から解熱剤を流し込むようにセットします「こういうのは胃瘻は便利ですね」と僕。手首付近で血圧も計ろうとするのですが、ちょっと大変そうです。100台~70台、だったかな。▲14:22。熱があるので、マスクはそのまま。手が冷たかったですね。2月20日、さっちゃんは熱があって、ほとんど寝ていました
2月13日(木)風が強い日でした。そんな日なのに、K子さんが来てくれました。さっちゃんのいる階に行くと、部屋がこれまでの向かいの部屋に替わっていました。2人部屋で、以前同じ部屋だった人とまた同部屋です。この方はいつも眠っているように静かで、体もほとんど動かしません。部屋は少し狭くなりましたが、窓側なので明るくて感じのいい部屋です。▲14:20。来た時は目を閉じていましたが、K子さんが呼びかけて、目を開けるようになりました。その後は開けたり閉めたりでしたけど。▲14:28。さっちゃんの手は温かいけれど、足は冷たいんです。K子さんが足を擦ってくれます。2月13日、部屋が向かいに移りました
K子さんが来てくれました。旦那さんのH樹さんも来られていて、車で送ってもらったようです。面会は一度に2人までですから、H樹さんは面会できません。決まり事ですから仕方ないとは言え、3人くらいまでは認めてもらいたいものですね。2月6日(木)▲14:26。この日のさっちゃんは目を瞑っていることも多かったですね。声は前回ほどではありませんが、発してくれていました。▲14:27。写真の左下側にマスクが見えます。本当は良くないのでしょうが、面会中はさっちゃんのマスクを外しています。顔の全部が見えた方が嬉しいですからね。2月6日、K子さんの旦那さんは残念ですが面会できません
1月30日(木)この日はさっちゃんのすぐ下の妹さんのN子さんが来てくださいました。さっちゃんの目の前に突然僕の顔を出現させると、さっちゃんは驚いたように声を発しました。この日はいつにも増して、声をよく発してくれています。何を言いたいのか、分かればいいのですけれどね。▲14:19。N子さんがいろいろと喋りかけてくれます。僕の顔よりもN子さんの顔の方が記憶の底に残っているのでしょうか?▲14:20。何か意志を感じる目です。僕の主観かもしれませんが。1月30日、N子さんが来てくれました
1月17日(金)K子さんが来てくれました。部屋へ行くと、さっちゃんは寝ているようです。完全に寝ているみたいで、簡単には目が覚めそうにありません。でも、声を掛け続け、手や足を擦り続けていると、薄目を開けてくれるようにはなりました。▲14:28。これくらいが最大に目を開けてくれた姿でしょうね。▲14:31。K子さんはさっちゃんの冷たい足を擦ってくれてます。さっちゃんは気持ちいいと思いますね。そんな表情は見せませんが。帰るころになって、やっとしっかりと目を見開いてくれました。1月17日、ほとんど寝ていたさっちゃんでした
年末年始は面会は休止、その前後の面会可能日は予約ですでに埋まっていました。普段なかなか面会に来れないご家族も、この時期には来るのだと思います。なので、18日ぶりの面会でした。1月6日(月)病院に着くと、すでにK子さんがいました。連絡がありませんでしたから、僕ひとりでの面会だと思っていました。さっちゃんにとっては良いことですね。▲14:24。さっちゃんの部屋は同じでしたが、ベッドの位置が逆になっていました。さっちゃんは目を瞑っていて、寝ているようです。K子さんが呼びかけ続けると、薄っすらと目を開けます。寝ていたせいなのか、目やにと言うほどでもないですが、目尻が濡れています。▲14:31。K子さんの手です。よく話しかけてくれ、足も擦ってくれます。足を擦っている間、僕の主観ですが、何となく気持ちよさそうな表情に...1月6日、18日ぶりの面会となりました
12月19日(木)さっちゃんの診療費を払うためにいつもより少し早く行くと、ちょうどK子さんがバスを降りるところでした。他に、コロナワクチン接種を希望する申込書も提出しました。▲14:25。この日さっちゃんがどうだったかは覚えていませんが、写真を見る限りでは、元気そうですね。▲14:31。さっちゃんは声を出して、何か伝えたさそうな様子でした。僕の主観ですけれどね。薄い青色の上着は腕を通して着させるのではなく、体に掛けてくれていますね。腕を通すのが大変なんでしょうね。病院そばのコンビニでさっちゃんの寝巻き等、日用品費用を支払いました。家へ向かって歩き始めると、病院から電話が入りました。「デジカメを忘れてますよ」と。病院の近くにいたので、すぐに病院へ行き受け取りました。12月19日、K子さんが来てくれました
12月12日(木)さっちゃんの部屋が変わっていました。西側で、バス道路側の部屋です。なので、午後は明るくなる部屋ですね。だいたい4人部屋が多いのですが、この部屋は2人部屋です。静かで、落ち着いた雰囲気なのでいいですね。男性患者が増えたので、部屋替えの必要が生じたんだそうです。▲14:18。この日は妹のN子さんが来てくださいました。▲14:25。この日、さっちゃんはどれくらい声を発していたのかな?僕はいつものようにさっちゃんの指を伸ばしてやります。これも無理に伸ばそうとしたら駄目です。指をさすってあげて、リラックスして自然に伸びるようにしてあげるんです。12月12日(木)、部屋替えがありました
12月4日(水)この日から面会での出来事のメモだけは残しておくことにしました。看護師さんが「さっちゃんは変わりないですよ」と教えてくれます。看護師さんは大勢いますし、僕は人の顔を覚えるのが超苦手ですから、さっちゃん担当の看護師さんがいても覚えられません。面会途中で看護師さんがこんなことを言います。「『今日、旦那さんが来るよ』と言ったら、目を開けたわよ~」っと。偶然だとしても、嬉しいですね。この日も「ふるさと」を唄いました。▲14:28。K川病院では着るものは全てレンタルです。僕にとっては楽になるのは事実ですが、さっちゃんとの接点が無くなって残念な気持ちも強いですね。12月4日(水)、面会での看護師さんとの会話
3回目の面会も8日後でした。面会に関する説明文書を読むと、面会は2週間に1度くらいになると思っていたので、予想よりも頻繁に会えるようですね。嬉しいです。このブログを書いているのは半年以上後になっていますから、この日のさっちゃんの詳細な様子は分かりません。11月27日(水)▲14:20。表情はいつもと変わりませんが、何となく安定しているように思えます。▲14:21。いつものように拘縮気味の指をゆっくりと伸ばしてみました。この日はほとんど抵抗なく伸びました。珍しいことです。3回目の面会も8日後でした。僕一人での面会です
さっちゃんとの面会が出来ないのは日曜祝日などです。(他にもあったような‥‥)それ以外の曜日の14:15~14:30の15分間だけ面会できます。面会後、窓口で次回の面会予約が出来ます。さっちゃんの病室は3階なのですが、その3階で1日3組しか面会できません。面会できる枠が少ないですから、予約の枠は次々と埋まっていくことになるわけです。と言う訳で、2回目の面会は8日後のこの日になりました。11月19日(火)▲14:26。さっちゃんの一番下の妹・K子さんが来てくれました。▲14:27。手を握り締めて拘縮気味なので、両手には柔らかな布を握らせてくれています。2回目の面会は11月19日でした
10月7日に、さっちゃんはT病院からK川病院に転院しました。その日僕はさっちゃんに付き添って介護タクシーに乗り、K川病院へ向かいました。病室で別れた後、最初の面会日を決めてもらいました。どのような決め方をしているのかは知りませんが、すぐには面会できないようです。9日後の10月16日になりました。T病院ではほぼ毎日面会できていましたから、突然のこの状況は寂しいものです。まあ、I老健入所時もこんな間隔、しかも窓越しの面会でしたから、病室で直接会えるだけでもいいことです。ところが、面会予定日の前日にK川病院から電話が入りました。「明日の面会が出来なくなりました」と言うのです。院内でマイコプラズマ肺炎の感染があったのだそうです。で、面会日が11月11日に延期されてしまいました。そんなこんなで、1ヶ月以上さっちゃん...1ヶ月以上ぶりにさっちゃんと会えました。様子は変わっていませんでしたから、ホッとしています
今、この日から7ヶ月後の2025年5月です。長くこのブログをお休みしていました。悪いことではありませんが、さっちゃんの状況に大きな変化がなかったのも一因でしょう。意外に早くK川病院に空きが出たので、療養型病院へ移ることになりました。▲10:45。移動はいつも通り介護タクシーです。今後は介護タクシーのお世話になることも減るでしょう。10月7日(月)、療養型病院のK川病院へ転院しました
9月25日に療養型病棟のあるK病院で説明を受けました。家からも凄く近いので、ここでお世話になることに決めました。空きが出るのを待つ状態です。10月1日(火)天覧山でM谷さんと岩トレしました。10月2日(水)▲16:44。この日だって、いつもと違うようなことがあったはずですが、何も記憶がありません。10月3日(木)▲16:49。いつも『ふるさと』を3番まで唄います。10月4日(金)▲16:37。▲16:38。いつものように、拘縮気味の手の指を優しく伸ばします。10月5日(土)▲16:36。▲16:36。10月6日(日)▲16:32。後頭部が枕の中に沈み込んでいますね。どうなんだろう?さっちゃんに聞いても、答えてくれないし・・・・10月の面会です
4ヶ月前の記録です。記録と言っても、さっちゃんと会えるのは面会時のみです。ただ、入院しているT病院は時間帯は決められていますが、毎日自由に面会できます。15分間だけですけれどね。随分前のことなので、当然その日その日の記憶はありません。たまに、メモ的な記録が残っていることもあります。ほとんどが何もないのですが、さっちゃんの写真だけでも嬉しい記録です。9月1日(日)理由は不明ですが、面会していません。9月2日(月)五日市の金剛の滝へ行って来ました。W科さんのリハビリBBQ山行の偵察でした。当てにしていた広場が水浸しで候補からは外れました。思いのほか時間がかかりましたが、面会時刻には間に合いました。▲16:50。部屋が移っていました。さっちゃんはちょうど右向きに体交されています。ベッドと壁の隙間が無くて、さっち...9月の面会、30日のうち22日で面会できました
さっちゃんは軽い肺炎もあって、I老健からT病院へ移りました。事情あって、I老健へは戻ることはありません。その辺りの事情は以下のブログで。前回と同じ病院に入院しました-さっちゃん空を飛ぶ(goo.ne.jp)8月1日に入院しましたが、その後の面会の様子はブログに記録しています。T病院は予約も不要で毎日でも面会できます。毎回という訳ではありませんが、小さな出来事や些細な感傷があったりします。半月間はこまめに記録し続けましたが、それも生活の多忙に紛れて来て、後回しになってしまいました。でも、せっかく撮ったさっちゃんの日々の姿もありますから、載せておこうと思います。8月16日(金)▲16:56。8月17日(土)中央線沿線の小篠沢へ沢登りに行きました。なので、面会は出来ませんでした。8月18日(日)▲16:49。点...8月後半の面会です
S介護医療院の見学・面会からほぼ1ヶ月後、家の近くのK川病院の見学・面談に行きました。T病院の相談員に療養型病院のことをお願いしたのです。S介護医療院は面会に訪れるには遠いことと、費用の高さがネックでした。介護面では充実している様子だったのですが、そこが充実していてもさっちゃんにとっては・・・・・・・・K病院は家の近くですから、すぐ横を通ったことは何度もあります。3階建ての古い建物です。普通の町の病院だと思っていましたが、療養型病院だとは知りませんでした。僕が住んでいる市には2ヶ所の療養型病院があるそうです。(K病院は隣りの市なのですが、すぐ近くなので同じ市だとカウントしました)もうひとつの方が、大きくて建物も新しそうですが、遠いのです。K病院の最大の魅力はその近さですね。徒歩なた10分ちょっとでしょうか...9月25日(水)のことです。療養型病院のK川病院へ行って来ました
5月6日から26日間の誤嚥性肺炎による入院でした。肺炎自体はなって欲しくない事ですけれど、悪いことばかりではありませんでした。病院では毎日15分間は病室で直接面会できたのです。19回の面会が出来ました。入院と退院の日にも会えていますから、それも入れると21回ですね。さっちゃんと会うのが日課のようになっていました。ある意味、嬉しい日々でした。コロナやインフルエンザなどへの対応がしっかりしている病院ならではなのでしょうね。ところが、老健へ復帰するとそうはいきません。病院ほどの強固な対応力はないでしょうから、致し方ありません。最頻でも、週1回のペースでしか面会できません。しかも、直接ではなく窓越しです。I老健へ再入所してからは2回の面会が実現しています。▲6月14日(金)14:33。顔が少し上向きの姿勢でした。...I老健での面会は最頻でも週1回です
病院と老健の対応力の違いなんでしょうが、病院では毎日さっちゃんに直接面会できるのが嬉しかったですね。老健に戻ると、さっちゃんに対してのキメ細かな介護があって、僕もより安心ですし、さっちゃんも心地よいのではと思います。ただ、老健に戻ると、直接面会は出来なくなります。窓越しの通話機を使った面会です。▲5月30日16:21。病院での最後の面会です。いつも通り、僕がさっちゃんの目の前に顔を出すと、「あ~う~」と何やら小声で少し喋ります。僕の顔の印象、記憶が少しでも残っているのなら嬉しいですね。この日はその後で『オッペンハイマー』を観るので、面会は15分で切り上げました。さっちゃん、ご免ね。『オッペンハイマー』は3時間もの大作で、アカデミー賞も受賞しています。しかし、感動作とは思えませんでした。扱っているテーマが重...無事退院し、I老健に戻りました
痰の吸引は4時間おきくらいになってきていますから、I老健へ戻れる条件は整いつつあります。病院はI老健よりも近く、15分間だけですけれど、毎日面会もできます。しかも、直接面会できますから、手で撫ぜたり、鼻を擦り付けたり、唇を当てたりだって出来ました。I老健では窓越しの面会を週1回だと思います。寂しい限りです。退院の日が近づいていることを肌で感じ始めていました。▲5月27日16:57。うたた寝してしまって、目が覚めて、慌てて時計を見たら、16時半でした。一瞬、「これは無理だ、今日は面会できない」と思いましたが、すぐに気を取り直して急いで準備。自転車で病院へ。面会が許される時間は17時までです。それまでにNSに到着すればいいと思い、ぎりぎりセーフ!いったん病室に入れば、許された15分間いたって構いません。あまり...月末の退院が決まりました。嬉しくもあり、寂しくもあり
いろいろとやらないといけないことがあったりして、バタバタと暮らしています。僕自身も遊ぶところはしっかりと遊び、それが自らのリハビリにも繋がっていますし。さっちゃんとの面会も日常のルーティン化しています。もう退院している予定でしたが、嘔吐があって延期されました。▲5月16日。この日は天覧山での岩トレをしました。自分自身のリハビリを兼ねて、岩にも少し触っておきたかったのです。平日なので独りで行なうことになるだろうと思っていたら、2人も一緒にやってくれることになりました。嬉しいことですね。天覧山に向かう時、病院から電話がありました。退院についての話でした。この日までは、さっちゃんは20日に退院することに決まっていたのです。▲5月17日15:05。この日はさっちゃんの妹さん二人が面会することになっていました。僕も...さっちゃんの退院は嘔吐があって延期になりました。今月中に退院できるかな?
5月14日の朝9時41分、前日にひき続き病院から電話がありました。前日のこともありますから、さほど心臓には負担がかかりませんでした。前日に「相談員の方からも電話が行くと思います」と言われていましたし。とは言え、やっぱり病院からの電話は嫌なものです。やはり相談員さんからでした。さっちゃんの転院先や療養病棟への移動についてだろうと思いました。ところが、そうではありませんでした。なんと!なんと!いきなり退院についてでした。▲5月14日15:23。この日のさっちゃんはどんな風だったのでしょう?この日の面会から数日後に書いていますから忘れてしまいました。僕だって数日後にはいろいろ忘れてしまうことがあるのですから、さっちゃんは僕が連日面会に来ていることを覚えていないのかもしれませんね。それでも、僕は会えることが嬉しい...さっちゃんの退院が近いかもしれません
5月7日(火)は、本来ならばI老健でS田さんと面談を行なう日でした。入院すると、いったん退所扱いになるようで、入所者ではありませんから面談もありません。そればかりか、さっちゃんの持ち物を全部持って帰らなければならないんです。まあでも、持ち物のほとんどは入院生活で必要なものでしょうから、どうせ運ばなくてはならないのですけれどね。この日は午後から雨が降りやすくなる予報でしたから、雨の予報と睨めっこしながら、自転車で出かけました。100リットルの登山用ザックを持って行きます。I老健に着くと、さっちゃんの荷物が手押しの荷台に載せられて大きな段ボール箱に入っていました。たいした量はなくて、70か80リットルくらいの量で収まりました。そして、病院へ自転車を走らせます。さっちゃんの居る病棟のNSへ行くと、面会の手続きを...連日、さっちゃんと面会できるのが嬉しいですね
5月6日(月)の朝、I老健から電話が入りました。「さっちゃんが昨晩嘔吐して、発熱があります。酸素も使っています」その後、I老健の看護師さんとも話し、「今日は連絡が行くかもしれませんから、電話を気にしておいてください」と言われました。僕はそれを了解し、次のように伝えました。「今日は用があってこれから埼玉県の方へ出かけます。戻るとしても少し時間が掛かります」その時点では、さっちゃんの詳しい容態は僕には分かっていませんでしたから、最悪のことまで予想していました。このまま危篤状態になって、最期を看取れなかったらどうしよう?!と。そんなことを想像すると、涙が滲み出て来そうです。この日は僕が所属している山岳会YYDのI橋さんから誘われて、天覧山で岩トレをする予定でした。もう一人参加者はいるのですが、岩登り初心者なので...嘔吐からの誤嚥性肺炎で、さっちゃんは救急搬送されました
僕が入院する直前、2月8日にK子さんが面会に来てくださいました。その後、コロナ感染等の影響もあって面会の出来ない状況が続きました。ですから、ほぼ3ヶ月ぶりにK子さんはさっちゃんとの面会が出来たことになります。有難いことです。さっちゃんの意識は確認のしようもありません。しかし、認知症は新しい記憶よりは古い記憶の方が残っている可能性が高い病気です。僕との濃密な生活や刺激的な登山や旅の記憶よりは、子供の頃の姉妹の生活記憶の方が残っているのかもしれません。僕からすると、悲しいことです。でも、絶対にさっちゃんの意識の底に僕の記憶も生きていると信じているのです。電車とバスでI老健まで来てくれるK子さんはすでに到着していました。▲15:01。さっちゃんは最初は割と目を開けてくれていました。妹のK子さんが来てくれていると...K子さんが面会に来てくださいました
さっちゃんの洗濯物の外注を止めて、半月以上は経ちました。自力で生活する体力が戻って来て、さっちゃんの服の洗濯をする余裕も生まれたわけです。ただ、さっちゃんのものを洗濯すると嬉しいですし、力も湧く気分です。離れて住んでいるさっちゃんと一緒に暮らしているような錯覚を一瞬ですが感じられるのです。錯覚だと分かっていても幸せな気分ですね。▲4月26日(金)15:02。雨が続いていましたから、23日に受け取った洗濯物を24日夕方に洗濯して外干し。25日は晴れの日だったのですが、朝から天覧山の予定だったのです。結局、26日も外干ししていました。この写真を撮ってすぐに回収し、I老健へ届けに行きました。さっちゃんの服を洗濯するのは楽しいですね
4月17日(水)にさっちゃんとの面会に出かけました。さっちゃんからは声がほとんど発せられなかったので、何となく寂しいですね。目を開けてくれるのも少なかったです。▲15:05。時々、さっちゃんは目を開けてくれます。この写真を撮った時は、何故だか少し顔が斜めに向きました。何か気になることでもあったのでしょうかね。この日は洗濯物も届け、受け取りもしました。4月21日(日)にも洗濯物を授受しました。その後は天気が悪くて、洗濯できていません。23日(火)は洗濯物を受取るだけでした。今、家には2回分のさっちゃんのまだ洗濯してないのが溜まっています。23日は玄関ロビーに顔馴染みの看護師さんがいました。なので、聞いてみました。「直接会って面会できるのは何時頃になりそうですかね?」「インフルエンザも収まって来ましたよね。コ...先週の面会の報告です。今週は面会の予約が取れませんでした
4月9日(火)、さっちゃんとの面会です。朝から雨が本降りでしたが、予報では午後3時くらいから雨が上がることになっています。いつも通り自転車で行けるか、歩いて行くか、それともタクシーか、ギリギリの時点で判断が必要になりそうです。気象庁のHPで「今後の雨」を見ていると、午後2時くらいには雨が上がりそうです。ですから、僕はひとまず自転車で行くことにしました。出発前になって、雨具を着ていくか、それとも雨の時だけ自転車を押して行くか、決めることにしました。2時前からは、気象庁の「雨雲の動き」をチェックします。これは5分おきの雨雲の動きを1時間後まで予測するもの。ただ、それほど正確に5分おきの雨雲の位置が予測できるわけもなく、信頼し過ぎてはいけません。自転車で大丈夫そうな予報になったので、2時半前に家を出ました。「雨...雨の日の面会、さっちゃんは前の週より目も瞑ることが多く、声もあまり発しませんでした
多摩川土手はあちらこちらに桜並木が植えられていて、花見スポットが豊富です。こちらへ引っ越してきて以来、ほぼ毎年さっちゃんと二人でお花見をして来ました。お花見と言っても、散歩をしたり、レジャーシートを敷いてお昼ご飯を食べたりするだけですけれどね。▲2021年3月29日14:35。この年がさっちゃんと二人での最後の花見散歩の年になってしまいました。この年の暮れに家の中で転倒し、大腿骨転子部骨折。歩けなくなったり、誤嚥性肺炎を繰り返したりするようになったのです。この写真の前の年くらいからさっちゃんから笑顔が消えていました。自分の意志を伝えられなくなっていましたから、何か苦しさを抱えていたのかもしれませんね。でも、その後一時期笑顔が復活しました。今はまた消えてしまっていますけれど。4月7日の日曜日、僕は独りで花見...さっちゃんと一緒に歩いている気分でお花見散歩しました
4月2日(火)、先週に引き続きさっちゃんとの面会が出来ました。このペースが続いて欲しいと思います。この日はさっちゃんの妹のN子さんも来てくださいました。僕の入院中も含めて、N子さんは2回ほど面会予定が流れてしまっています。N子さんにも久し振りにさっちゃんの顔を見てもらえて嬉しいです。さっちゃんが降りてくる前に、スタッフさんがこんな風に言っていました。「眠たそうにしています」もちろん、そんな日もありますよね。▲15:00。確かに、さっちゃんは目を瞑った様子でここまで来ました。N子さんが通話機で話しかけます。完全な座位姿勢を長くは保てないさっちゃんですから、目線も上向きなのは仕方ありませんけれどね。頭の後ろに何か置いて、視線がもう少し下がるようにして欲しいですね。「さっちゃ~ん」「今日は暖かいよ~」「桜も咲き...N子さんと二人で面会して来ました。S田さんとの面談も3ヶ月ぶりです
一昨日の3月26日(火)、実に久し振りの面会が実現しました。先月の2月8日(木)に面会して以来、僕は12日に入院した訳ですが、I老健は面会できない状況に陥りました。コロナ感染者が出たせいです。2月28日に退院し、3月5日(火)には面会できると思っていたら、またまた面会は出来ず。さっちゃんの妹さん達も2度ほど面会できるつもりで準備してくださったようですが、それもふいになりました。そしてやっと巡って来た、さっちゃんとの面会。一昨日はは朝から本降りの雨でした。どうやって行こうかとちょっと悩みました。雨具を着て自転車で行くか、歩いて行くか。電車で行く選択肢はありません。ひと駅しか電車には乗りませんから、駅までの歩きと駅からの歩きを足すと、全部歩くのとさほど変わらないのです。これまでなら、雨具を着て自転車で行ったと...退院後初めて、ほぼ7週間ぶりの面会です
昨日の午後2時23分、I老健から電話が入りました。内容は予想したとおり、面会できない状況がまだ継続することです。本来なら来週5日の火曜日が面会日でした。ですから、その日はまだ駄目です、との連絡が入った訳です。僕はその電話で退院したことと、その日の夕方までにさっちゃんへの届け物をしに伺うことを告げました。I老健まで自転車で行くことが出来ました。こんなに早く、自転車に乗れるとは思っていませんでしたから、タクシーやバスと歩きで行くとばかり予想していました。左足はまだあまり力が入りませんから、サドルを下げ、6段変速の4から3に下げて走りました。凄くゆっくりとしたスピードです。以前なら25分もかからなかったのですが、30分以上かかったと思います。でも、これで退院後も何時でも自由にI老健へ行くことが出来ます。I老健へ...面会停止はまだ続くようです。さっちゃんにお土産を届けました
今日、2月19日の2時16分、I老健から電話が入りました。気も付かなかったのですが、気付いたとしても病室では電話での会話は禁止です。ちょうど点滴中でもありましたしね。点滴も終了し、3時28分、電話室からI老健へ電話しました。何となく用件がなんだかは感じ取れていたので、心配はしていませんでした。案の定、I老健でコロナ患者が発生したので、明日(20日)の面会は中止になります、と言うもの。再開されたら電話連絡するということですが、来月5日の面会日も中止になる可能性が高いかな?どうあっても、5日までには退院していて、面会に行こうと思っていましたから、凄く残念です。でも、退院はして元気になって、面会再開されたら行けるようにしておきたいものです。僕の手術は予想外に上手くいったみたいです。僕に関する情報はこちらから。僕...入院中の僕にI老健から電話が入りました
先週、面会再開について電話で聞くと、「7日から可能になると思います」とのことでした。ですから、6日に面会申込みを電話でお願いしてみました。本来ならば、6日の火曜日が面会できる日だったのです。これまでなら、予約表を確認するのでしょうが、すぐに「では〇日の△時に」と返事が返って来たものです。ところが、「あとで連絡しますね」との返答。その日に連絡が来るかと思いましたけれど、結局その日には連絡がありませんでした。そして、昨日7日の午後、「8日の14時30分に面会できます」と、連絡が入ったのです。面会が出来なかったのは他の方々も同様ですから、面会の要望が集中しているのだと思います。相談員のS田さんは僕が12日から入院することを知っています。なので、その前に1度は面会を実現してあげたいと考えてくださったのだと思います...1ヶ月ぶりの面会、これから再び1ヶ月は面会できません
1月9日(火)に今年最初の面会がありました。翌週の16日(火)もK子さんと共に面会に行く予定でした。しかし10時12分、I老健から電話が入り、面会が中止になったのです。理由は、入所者の中にコロナ感染者が発生したからです。感染理由は分かりませんが、正月休みに自宅へ戻り、そこで感染したのかもしれませんね。翌週の23日(火)の面会は中止になりそうだとは思いましたが、30日(火)の面会は出来るだろうな、と思っていました。ところが、30日は中止、さらに6日(火)も中止となってしまいました。感染者は個室で隔離はされているそうですが、どんな状況なんでしょうね。さっちゃんには問題は及んでいないそうですけれどね。7日からは通常に戻ると思いますから、そこで面会予約をしてみたいと思います。入院前に一度はさっちゃんの顔を見ておき...1月9日を最後にさっちゃんとの面会が出来ていません
年末年始の期間はI老健も休日体制です。面会も出来なくなります。新しい2024年の最初の面会は1月9日(火)でした。クリスマスの日に面会して以来ですから、15日ぶりの面会ですね。エレベーターの扉が開き、車椅子でこちらに向かって来たさっちゃんの様子は昨年と変わらないようです。「さっちゃ~ん、こんにちわ~」「もう2024年だよ。明けましておめでとう!」「さっちゃんは元気でしたか~」僕から一方的に話しかけ続けます。さっちゃんも少しかすれた小さな声で「あ~~、ヴ~~」と喋ってくれます。「そうそう、もっと喋ってごらん。あ~あ~」「今日はね青空がとっても綺麗だよ」「もうすぐ水仙とか花が咲くよ~。来月には梅も咲き始めるよ~」「一緒に見たいね~」すると、さっちゃんは「あ~~、う~~」と小さな声で喋ってくれます。まるで「そう...2週間ぶりにさっちゃんに面会し、その後、S田さんとの面談では僕のがんを報告しました
I老健の洗濯物受け渡しルールが去年から若干変更されました。洗濯物を受け取るのが週に1回だけになったのです。以前は、何回でも受け取ることが出来たのですけれどね。洗濯済のものを渡すのはこれまで通り何回でも大丈夫です。金曜日の5日に洗濯物を受け取る予定にしていました。でも、その日の午後、HTさんと天覧山で岩トレすることになりましたから、予定変更。金曜日をキャンセルして、日曜日に変更したのです。ところが、木曜日の夜、HTさんが突然致し方ない事情で天覧山に行けなくなりました。それを受けて、放射線治療終了後の金曜日の11:33に僕はI老健に電話します。「昨日の電話で、今日の洗濯物受け取りをキャンセルして日曜日に変更させていただいたのですが、急遽その所用がなくなったので、今日洗濯物を受け取ることは出来ないでしょうか?」...日曜日の朝、最初にさっちゃんの服の洗濯をしました