chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
さっちゃん 空を飛ぶ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2017/07/21

  • 3週間ぶりに、さっちゃんに面会して来ました

    一昨日の4月24日(月)にT病院へ行き、さっちゃんに面会しに行って来ました。ひと月にたった1回の面会です。前の週に電話を入れ、予約をしての面会です。僅かに15分間の面会です。時短なのはコロナ禍ですから仕方ないのは理解できます。でも、せめてひと月に2、3回は面会できるようにして欲しいですね。病室から面会者のいるティールームのようなスペースにベッドを運んでくるだけのことですから。さっちゃんは3週間ほど前に会った時よりはほんの少しは生気が増したような気がしました。意味不明な声も前よりは発していました。でも、相変わらず以前よりは小声ですし、「あ~」とか「う~」とか「お~」とかの声が多かったですね。3週間前にあった際には付いていた小さな計器はもう付いていません。容態が安定しているからなのでしょう。前回はまったく目を...3週間ぶりに、さっちゃんに面会して来ました

  • 城ヶ崎の2日目は昼から雨が降りました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月21日(祝)城ヶ崎2日目城ヶ崎I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)2日目天気も午前中はもちそうなので、9時ごろの電車であかねの浜に向かう。今日は3級or3級+(下記追記参照)くらいの少し長いルートにトップロープを張り、攀じる。見た目より難しく、身長差ですごく苦しい箇所あり。昼ごろ、雨がポツポツ落ち出したの...城ヶ崎の2日目は昼から雨が降りました

  • 城ヶ崎で初めてのクライミング。さっちゃんが計画、立案しました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月20日(日)城ヶ崎1日目城ヶ崎I川、A立、さっちゃん、○○(僕の姓)1日目足(ヒザ)もまだ完治しないし、雪山は無理。かと言って、テントしょって重荷の縦走も無理。ではゲレンデということで、前から行ってみようと思っていた城ヶ崎の岩場に行くことになった。民宿は1週間と言うことで、とれないのではないかと心配したが、...城ヶ崎で初めてのクライミング。さっちゃんが計画、立案しました

  • 療養病棟の担当医師から説明を受けました。そして、・・・・

    一昨日のこと、さっちゃんが入院している病院から電話がありました。一般病棟から療養病棟に移ったことと担当医師との面談の場を持つ予定だということでした。面談の予定日を3日、候補として上げてくれました。そして今朝、再び電話があって、「今日の4時からいかがでしょう?」と。4時前には病院へ行き、受付に入院申込書兼誓約書を提出、さらに療養病棟へ入る許可を受けました。療養病棟のナースステーションへ行き、すぐに医師との面談が始まりました。医師からの説明は、先日相談員さんから聞いた説明とさほど大差はありませんでした。でも、1点だけは大きな違いがありました。それは痰の吸引に関してです。相談員さんからは2~3時間おきと聞いていましたが、今では1日に3、4回に減って来ているようです。熱も、時には37度を超えることもあるようですが...療養病棟の担当医師から説明を受けました。そして、・・・・

  • 病院の相談員さんから連絡が入りました

    今日の1時29分、さっちゃんが入院している病院の相談員さんから電話が入りました。「療養病棟に空きが出たので、4月4日にそちらへ移ります」との報告でした。同じ病院内での移動なので、連絡なしにすでに移動しているのかな、とも思っていました。でも、わざわざきちんと連絡をくれるのですね。その電話で僕は幾つかの質問をしました。第1に、痰の吸引はどれくらいの頻度かということ。2~3時間おきだそうです。第2には、今現在どのような方法で栄養を摂っているかということ。もうすでに経管栄養になっているそうです。200Kcal×3で、1日600Kcalのようです。それはいいですね。嬉しいです。第3は、入院申込書兼誓約書のことです。僕は昨日、さっちゃんの妹さんにお会いして、連帯保証人欄に記入・捺印してもらいました。この書類は退院まで...病院の相談員さんから連絡が入りました

  • 今年もさっちゃんとはお花見が出来ません

    我が家の桜が満開です。我が家のと言っても、我が家はアパートで庭はありませんから、ベランダから手が届くほどの近くで咲く桜のことです。▲2023年3月28日14:52。今日は少し陽の差すこともありましたが、雲の多い一日でした。満開になってから気温の低い日が続きましたから、落花せずに美しさを保っています。さっちゃんが入院することがなければ、この桜を目にすることが出来たのにと、残念です。さっちゃんと僕は毎年、多摩川土手の桜を見に散歩していました。さっちゃんが認知症になってからは、尚更そんなお花見を大切に思っていました。ところが、昨年は最初の誤嚥性肺炎で入院中。お花が終わったころ、I老健へ入所しましたから、自宅に戻ることはありませんでした。一昨年の2021年は桜の時季に何度も散歩をしました。▲2021年3月29日1...今年もさっちゃんとはお花見が出来ません

  • さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

    先週、担当のお医者さんから電話があって、「今週中くらいには退院する予定だ」と聞かされていました。「相談員の者から電話が行くでしょう」とも聞いていました。昨日の11時34分、ちょうど天覧山にいてトラバースを終了させていた僕に病院から電話が入ります。病院からの電話は基本的には驚きますし、不安になります。でも、おそらく相談員さんからだろうな、と予想できていましたから、この時はさほど不安にならずに済みました。予想通りで相談員さんからでしたが、その内容には驚くしかありませんでした。予期せぬ内容だったからです。退院後、すぐに自宅へ戻ることは困難だろうとは予想できましたけれど、当然病院から老健へ移るものと思っていました。それが老健側が「受け入れ困難だ」と返答したんだそうです。その理由ですが、さっちゃんの現状は痰が多く出...さっちゃんは退院後、療養病棟に移動するようです

  • さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

    今日の正午ころ、病院から電話が入りました。嫌な気分ですね。でも、さっちゃんの担当医師からの病状説明の電話でした。先週、担当看護師さんと話した時に、担当医師から説明をしますとの約束を守ってくださったのです。僕もいろいろと詳しい内容を聞かなかったこともありますが、報告内容は至ってシンプルなものでした。「炎症度合も良くなっているので、来週くらいには退院する方向で考えています」と。具体的にもっと状態を聞けばよかったのですが、突然の電話でしたから、そこまで思いが回りませんでした。栄養補給は経管栄養なのか点滴なのか、聞いておきたかったですね。微熱はあるのかとか、便秘の状態はとかも聞きたかったです。僕が聞いたのは病院の相談員さんのことでした。入院した際に、相談員を付けることは聞いていましたから、退院に向けてや退院後のあ...さっちゃんの担当医師から電話がありました。「来週には退院できるでしょう」と

  • さっちゃんの夢を見ました

    さっちゃんが入院していると、我が家には誰も訪れる人はいません。訪問看護師さんもケアマネさんも来る用事はないのです。すると、テーブルの上は片付けない物で埋まり、床も掃除しないので埃だらけになってしまいます。今週の土日はどこへ出かけることもなく家でじっとしています。早く起床する必要もないので、だんだんと夜寝るのが遅くなっていきます。ついに昨晩は4時ころに寝て、今朝は10時過ぎに起床する、昼夜逆転直前の状況になってしまいました。さっちゃんが居ないと、僕のいい加減さはエスカレートしてしまいます。かろうじて山へ行ったり岩トレしたりの日があることで、普通の生活リズムを取り戻すことが出来ています。今朝、目覚めるころに夢を見ました。さっちゃんの夢です。入院しているはずのさっちゃんが何故か家に来ています。そして、僕はさっち...さっちゃんの夢を見ました

  • 捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年3月13日(日)鷹取山鷹取山I川、A立、K子、A木(K子さん友人)、さっちゃん、○○(僕の姓)足の捻挫はまだ直らないというのに、少しでもよいかなあと思うと、じっとしていられず、自分では見学と決めて出かけた。みんなには捻挫のことは内緒にしてある。少しビッコをひいているのだが、誰も気づかないようだった。見学なんて出...捻挫から3週間後、さっちゃんはビッコをひきつつ、鷹取山へ行きました

  • さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月21日(日)つづら岩つづら岩○○(僕の姓)会山行(4月5日)の下見もかねて、トレーニングに出かけた。東面3級ルート、南面一般ルート(はじめて)のリードをした。あとはトンネルくぐりのオケラルートのリード。天気もよく、あたたかい。岩場はそれほどの混雑はなかった。リードもできたし、気分はよかったのに、下りにすって...さっちゃんはつづら岩でリードしました。でも、下山中に・・・・

  • さっちゃん、突然の入院です

    今朝11時14分、ショートステイしているI老健のS田さんから電話が入りました。「昨晩嘔吐し、これから救急車に乗ります。健康保険証を持って、T病院に向かってください」僕はちょうど洗濯機を回している最中でした。早く目覚めたのですが、前日の岩トレ後の打上げで飲み過ぎて(さほど飲んではいないのですがアルコールに弱くなっています)、二日酔い気味でした。朝食も食べていませんでした。バナナ1本食べて、健康保険証を持って、自転車でT病院へ向かいました。11時40分ころ、救急車の到着口に着きましたが、さっちゃんはまだ到着していませんでした。12時過ぎ、救急車が来ましたが、さっちゃんではなく別の方でした。12時半ころ、救急車が来て、さっちゃんが運ばれて来ました。目をつぶっているさっちゃんは苦しそうでもなく、いつもの表情でした...さっちゃん、突然の入院です

  • さっちゃんのショートステイ中、僕はけっこう多忙です

    3月1日の水曜日から8日の水曜日までさっちゃんはショートステイに行っています。ショートステイの送り迎えには僕も同行する必要があります。往きは一緒に車に乗ってI老健へ行き、徒歩と電車で僕は帰宅します。帰りはその逆で、徒歩と電車でI老健へ行き、さっちゃんと一緒に車に乗って帰宅するのです。ですから、水曜日は両日ともほぼそれで潰れます。本当に僕の自由になる日数は6日間ですね。自由と言っても、半分はさっちゃんのために行なうことがありますけどね。2日の木曜日は武蔵五日市駅の裏山を歩いて来ました。3日の金曜日、今日は洗濯と買い物で大忙しでした。汚れたオムツやパッドを入れるポリ袋を買いました。スーパーで自然に手に入る枚数だけでは不足するからです。さっちゃんの枕も買いました。さっちゃんが使っていた枕は小さい枕でしたから、今...さっちゃんのショートステイ中、僕はけっこう多忙です

  • 明日から1週間のショートステイに出かけます

    さっちゃんが初めてショートステイしたのは2021年11月のことでした。そして、それが最初で最後になってしまいました。何故なら、2回目のショートステイの前に部屋で転んで大腿骨転子部骨折という重傷を負ってしまったからです。明日からは、さっちゃんにとっての2回目のショートステイです。訪問看護師のM木さんのひと言、「2月中に一度ショートステイしてみたら」との言葉に押されるようにとんとん拍子で進みました。二転三転して、結局2月には利用できなかったのですが、明日3月1日から利用することになったのです。これまで長くお世話になっていたI老健でショートステイも行なっているということで、お願いすることにしたのです。さっちゃんをよく知っていてくれるスタッフさん達が多くいる安心感は大きいですね。ただ、ここのショートステイのシステ...明日から1週間のショートステイに出かけます

  • 1988年初めての尾根歩きを奥多摩で行ないました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月14日(日)ハイキング御嶽駅~棒の嶺~白谷沢~有間ダム~河又今年はどういうわけか、ぜんぜん尾根歩きをやっていない。足ならしをしなくてはと、奥多摩のハイキングコースにでかける(5~6時間コース)。時期的にもたまには雪がでてくるのではと登山靴をザックに、その他はとくにもってゆくものがない。荷が軽いのはよいことだ...1988年初めての尾根歩きを奥多摩で行ないました

  • 今日、市役所からオムツなどが届きました

    さっちゃんがいま必要なのはテープ止めタイプの紙おむつと尿とりパッドの夜用と昼用です。1日4回、オムツ交換タイムがやって来ます。おしっこが漏れずにパッドで止まっているとパッドだけを取り替えます。ですから、昼用パッドが通常1日に3枚は必要になります。昨日の金曜日、僕は天覧山へ行きました。数日前はこの日は行けそうにないと思っていました。昼用パッドが足りそうになかったからです。天覧山ではなくて、パッドを買いに行かなければならないと思ったからです。でも、翌日だったか、よく考えてみると夜用パッドを昼に使っても構わないんだ、と思ったんです。夜用パッドの方がたくさん残っていましたから。それで、天覧山へ行くことにしたんです。ところが、火水木金土と、5日連続して朝のオムツ交換で紙オムツを交換しなければならなくなってしまいまし...今日、市役所からオムツなどが届きました

  • 昨日も今日も朝のオムツ交換が大変でした

    バレンタインデーにさっちゃんが戻って来てから10日間が経過しました。多くの人々の助けを受けながらですが、自分なりにだんだんと慣れて来たと思います。手際が悪いので、自分の時間(デイケアの日以外で)をなかなか作ることが出来ません。まあ、でも、だんだんに介護生活に慣れて行けば自分の時間も作れていくだろうと楽観しています。僕自身の食事を作る時間もなかなか十分には確保できないのが現状ですね。朝食はさっちゃんと一緒に暮らすようになってからの定番メニューを守り続けています。コーヒー、パン(今はイギリスパン)、ベーコンエッグ、トマト、レタス。コーヒーは豆から毎朝挽いています。朝食を8時前後に食べることが出来た日は2日間ほどあったでしょうかね。ほとんどは10時前後に遅れてしまいがちです。昼食はカップ麺、オートミール、パンな...昨日も今日も朝のオムツ交換が大変でした

  • 今日は訪問看護師のM木さんと今後の便秘薬ピコスルファートナトリウムの使い方について話し合いました

    さっちゃんは昔から便秘持ちです。認知症になる前からその苦痛はたま~に話を聞くことがありました。さっちゃんが自分で排泄処理が上手く出来なくなり始めると、その問題には僕も直面するようになったのです。僕のブログの「トイレ」カテゴリーにはそのような内容のがたくさんあります。一例として、次のブログを載せておきます。昨年は10日間以上排便がないの当り前でしたが、今年からはそれほどでもありません。ですから、排便周期を考えることにしました2021年も10日間以上排便がないことも、当り前ではありませんでしたが、ありました。さっちゃんと一緒にトイレにこもって、何10分もお腹のマッサージなどしましたね。その効あって見事に出た時は、まさに「万歳!」でした。今は胃瘻を通じての経腸栄養剤ですし、なかなか固形の便は出辛い状況です。それ...今日は訪問看護師のM木さんと今後の便秘薬ピコスルファートナトリウムの使い方について話し合いました

  • 日曜日、さっちゃんは車椅子で食事(経管栄養)しました。テレビからはユーミンや竹内まりやの歌が

    さっちゃんの食事(経管栄養)は一日に2回、12時からと17時からです。I老健の時は確か10時からと16時からだったと思います。でも、デイケアでの食事時刻と自宅での食事時刻とを一緒にして、生活リズムを一定にしようと、このような設定になったようです。日曜日の朝、僕は自宅介護で初めて二度寝してしまいました。疲労が溜まっていたんでしょうかね?ですから、8時からの白湯200ccを飲む(経管投与)のが9時25分からになってしまいました。そのままスライドして、12時からの食事が13時20分からになってしまったのです。I老健入所中は食事は車椅子で摂っていたそうです。家でも、ベッドの上ばかりでの食事では変化に乏しいですし、身体も少しは動かした(移動させた)方がいいのではと思います。家でも、お昼の食事は車椅子で摂るようにした...日曜日、さっちゃんは車椅子で食事(経管栄養)しました。テレビからはユーミンや竹内まりやの歌が

  • さっちゃんのデイケア最初の日、僕は天覧山へ行きました

    老々介護の身の小生です。以前はケアマネさんも介護士さんも山の仲間も、誰もがみんな僕のことをことさらに心配するのを不思議に感じていました。もちろん、理屈では僕自身も理解は出来ていたのですが、しっくりと納得できてはいませんでした。でも今、意思疎通が不可能な、自分で飲み食いできない、動けない、排泄処理が出来ない、そんな妻のさっちゃんを自宅介護していると、痛感できます。周囲の手助けしてくださる方々の優しい想いが痛いほど有難く感じられます。自宅での単独の介護、しかも老々介護ですから、僕が倒れるとさっちゃんも共倒れです。僕自身の肉体的健康、精神的健康を大切にしなければならないことがよく理解できるようになりました。登山を愛する者は幸いなり。何故なら、登山をすることが肉体的精神的健康に直結しているからなり。(聖書の一節の...さっちゃんのデイケア最初の日、僕は天覧山へ行きました

  • 暖かな陽ざしが入る部屋の中で、僕はさっちゃんに話しかけました

    「さっちゃん、外を見てごらん。青空だよ」「・・・・・・」「こんなに天気がいいと、山を歩きに行きたいね」「・・・・・・」「いろんな山を登ったねぇ」「・・・・・・」「いろんな沢や岩も登ったねぇ」「・・・・・・」「ニュージーランドにも行ったね」「・・・・・・」「ヨセミテにも行ったね」「・・・・・・」「ネパールには一緒に行きたかったね」「・・・・・・」僕はこんな風にさっちゃんに話しかけ続けました。外は寒気が強くて寒い日ですけれど、ガラス越しに差し込んでくる陽射しで部屋はポカポカと温かいんです。さっちゃんが横になっているベッドの脇に僕は座り込んで、さっちゃんの顔を覗き込みながら喋りかけ続けました。ゆっくりと、過去の想い出を噛みしめながら、喋りかけていました。「また、さっちゃんと一緒に山へ行きたいなぁ」「・・・・・・...暖かな陽ざしが入る部屋の中で、僕はさっちゃんに話しかけました

  • 今日の午前中はウンチとの格闘でした

    昨晩、ピコスルファートナトリウム15滴を投与した時点から予測されている事態ではありました。この液体の薬は下剤なんです。現状、この薬の使用法を模索状態のようですね。I老健では朝夕に7滴ずつ入れていたのですが、自宅介護になるので、改めて対応を考えているみたいです。おそらく、僕の介護が楽になる方法を模索してくれているような気がします。今朝の8時前からオムツ交換をしました。白湯を入れる前にそうした方がいいからです。液状の下利便の可能性もありました。でも、軟便ではありましたが、液状ではありませんでしたから、少しホッとしたのも束の間、その量に驚きました。軟便のせいもあったのかもしれませんが、おそらくは昨晩の僕のオムツの穿かせ方が悪かったのでしょうね。パッドからはみ出しているばかりか、オムツからもはみ出して、寝巻きのズ...今日の午前中はウンチとの格闘でした

  • さっちゃん本人が聖バレンタインデーのチョコレートです!

    さっちゃんがついに我が家に帰還しました。長かったですね。2021年11月に大腿骨転子部骨折、その後の重篤な肺炎、そして老健生活ですから、1年3ヶ月ぶりです。途中10日間の自宅生活はありましたけれど、不安だらけの10日間でしたからカウントする必要ないでしょう。今日一日は怒涛のような一日でした。それは夜中の今も続いていて、このブログも手短かに済ませようと思います。▲11:56。自宅に帰って来てすぐころの様子。介護タクシーに揺られてきたので疲れているのだと思います。▲12:08。前日に届いた介護ベッドに寝てもらいます。▲12:44。寝てます。13時45分、尿取りパッドの交換、尿量200g。14時20分から白湯200cc補給。15時30分ころから担当者会議のために、看護師、ケアマネ、介護士、理学療法士の計5名が来...さっちゃん本人が聖バレンタインデーのチョコレートです!

  • 介護ベッドと吸引器が入りました。今晩はその寝心地を味わってみようかと思います

    介護用品レンタル会社から午後の3時過ぎ、介護ベッドが搬入されました。今回のベッドは3モーターで、ラクリアモーションという機能も付いています。まだその機能の良さは理解できていないのですが、ベッド全体が足側を下にして傾くのです。実際に試して、その機能を十二分に活用しなければなりませんね。もちろんベッドに敷くマットも同時搬入です。最大のメリットは自動体位変換機能を備えていること。夜も僕自身が起きなくても決められた時間ごとに体交をしてくれるのです。他にも優れた機能があります。このマットは直径5cmほどの円筒形の空気の詰まったチューブが横向きに何本も集まって出来ています。チューブの圧を観察してみると、3本のチューブが圧が高くて、隣りの1本は圧が低くて潰れたようになっています。3本、1本、3本、1本、・・・・・と並ん...介護ベッドと吸引器が入りました。今晩はその寝心地を味わってみようかと思います

  • 僕がリーダーでさっちゃんがサブリーダーの岩トレ会山行を日和田で行ないました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月11日(祝)日和田山久しぶりの岩今日は久し振りの岩。それも5年ぶりの日和田山。始発でかけつけた男岩には、もうザイルがセットされ、ほとんどLMCのメンバーのみが取り付いていた。常連の4人は男岩南面の右の2本のバンドのあるフェースで二人ずつでリードの練習。偶然にも会ってしまった平日のL二人と、新人の一人は左の上...僕がリーダーでさっちゃんがサブリーダーの岩トレ会山行を日和田で行ないました

  • 最後の介護トレーニングを済ませました。自宅への帰還に向けて動いています

    今週もすでに金曜日です。さっちゃんが帰って来る来週のバレンタインデーに向けて準備を進める週です。日曜日は哲さんに誘われて奥多摩を歩いて来ました。久し振りに僕としては長い距離を歩きました。月曜日には午前10時にケアマネのT口さんが来て、サービス利用票を持って来てくれました。見積もりのようなものですね。ショートステイは3週に1週(2週自宅で1週ショートステイ)で行ないたいのですが、月に2週ショートステイが入ると、ちょっと大変です。つまり、介護サービスの支給限度額を超えてしまうのです。超えた部分は実費になってしまいます。超過分が数万円になりますから、ちょっと痛いですね。月曜日の午後は箪笥の移動をするつもりでしたが、急遽火曜日に天覧山へ行くことになりました。ですから、もともと火曜日に行くつもりだった眼科には月曜日...最後の介護トレーニングを済ませました。自宅への帰還に向けて動いています

  • さっちゃんの受け入れ準備を進めています。まずは箪笥1つを移動させました

    我が家は2LDKのアパートなんですが、1部屋は寝室、1部屋は僕の仕事部屋でした。部屋を必要とする仕事をしなくなって、その元仕事部屋は物置状態になってしまっていたんです。さっちゃんの介護ベッドを置く寝室を、快適で、介護もし易いようにしたいと思い、少しだけ模様替えをするつもりです。その構想自体は去年の春くらいから抱いてはいたのですが、少しずつ進めておくつもりが結局なにもしませんでした。で、さっちゃんの帰還が現実的になって来た今月から僕は慌てて部屋の模様替えをし始めたわけです。本当ならば、元仕事部屋の物置状態を解消し、今では不要となったデスクひとつ(2つあるのです)とPCラックを廃棄するつもりでした。でも、デスクとPCラックの廃棄は後回しにして、物置状態の解消を優先することに。それは3日間ほどで最低限のレベルで...さっちゃんの受け入れ準備を進めています。まずは箪笥1つを移動させました

  • バレンタインデーにさっちゃんが戻って来ます!

    昨日の15時半からI老健で関係者会議が催されました。相談員のS田さん、ケアマネのT口さん、さっちゃん担当の看護師さん、介護士さん、理学療法士さん、そして僕です。テーマは明瞭にさっちゃんが自宅に戻ることへの確認や質疑応答でした。まず最初に、各担当者からのこれまでの報告等がありました。よく聞き取れなかったりした部分もありましたが、多くは僕も知っていることでしたし、僕のトレーニングのことは当事者ですから、既知の内容です。以下、報告のあった中から、僕のあまり知らなかったことや大切そうなことをピックアップして箇条書きしておきます。・体交は夜中でも2時間おきくらいで行なっている。自宅では夜中に起きるのは大変なので、体交が出来る専用マットがいいと思う。・残っている下顎の前歯3本が鼻に当たることがある。鼻の下にワセリン等...バレンタインデーにさっちゃんが戻って来ます!

  • さっちゃんは写真仲間の家でのカレーパーティーに招かれました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年2月7日(日)自分のHR会の仲間であるY岸さんの家でインド式カレーパーティーによばれる。2023.02.02追記さっちゃんは山岳写真家の故・U田氏が主宰する山岳写真愛好グループ・HR会に所属していました。主にヒマラヤの山々がメインでしたが、日本やヨーロッパの山の写真も幅広く撮影しているグループでした。多くのメン...さっちゃんは写真仲間の家でのカレーパーティーに招かれました

  • さっちゃんの自宅に戻る話が具合的に動き始めそうです

    昨日の夕方5時29分、I老健から電話が入り、木曜日にケアマネさんも含めて会うことが決まりました。当然、さっちゃんが自宅に戻る件の話し合いがもたれるわけでしょうから、さっちゃんの自宅復帰が突然現実味を帯びて来ました。そんな想いの中で行なわれた今日の介護トレーニング。やることは先週と同じ。吸引、栄養補給、薬の投与。だんだん慣れて来て、胃瘻のボタンへの着脱もこれまでよりはスムーズに出来るようになりました。看護師さんと胃瘻の取り換えのことも話しました。7月に胃瘻造設をしましたから、そろそろ胃瘻を取り替えなければなりません。看護師さんがおっしゃるにはさっちゃんの胃瘻のタイプはバルーン・ボタン型だそうです。器具の進歩等、あるとは思いますが、もっと早く交換しなければならなかったのではないでしょうか?でも、さっちゃんの胃...さっちゃんの自宅に戻る話が具合的に動き始めそうです

  • さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月31日(日)鷹取山(当時所属していた山岳会の月報より)大草原をめざそう!珍しくゆっくりした集合時間でのんびりした気分で出かける。一年ぶりの鷹取山ゲレンデであるが朝から天気も上々だし、追浜の高級住宅地の朝を、住みなれたわが街のようにリッチな気分にひたりながら、前方に要塞のようにそびえる鷹取山へといつもの顔ぶれ...さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

  • 天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月24日(日)天覧山岩トレ○○(僕の姓)、A立、さっちゃん、(以下、現地にて出会う)K島、A部またまた天覧山に遊びに行った。今年は雪の状態もいまいち。氷はダメ。天候不順、北風の寒い日は天覧は意外と暖か。トラバースをしたり、3段ハングをやってみたり、のんびりと遊ぶ。下部の岩場の方で見たようなヘルメットと声、A部...天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

  • 天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月17日(日)天覧山岩トレ天覧山○○(僕の姓)、A立、さっちゃん前回にひき続き、3段ハングに挑戦。前回は思いがけず、1段目に立つことが出来た。しかし、今日は駄目だろうと思っていたが、同じく1段目に立ち、2段目に左足をかけるところまでいく。3段ハングの右のハングも前回より手が上に届いた。午後から雲も出て、少し肌...天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

  • 3ヶ月ぶりの山歩きは、さっちゃんとの想い出がたくさんある青梅丘陵です

    山のブログ『ザイルと焚火と焼酎と』にもまだ記録してませんが、昨年の10月に僕は腰を痛めてしまいました。2週連続で今の僕にとってはハードで重荷も背負う山行に行ったからです。それ以降はクライミング三昧の山生活を行なっていました。3ヶ月ぶりの山への復帰戦が、超易しいハイキングコースの青梅丘陵です。3ヶ月ぶりの山歩き。小手調べに選んだコースはちょうど1年前と同じ青梅丘陵ハイキングコースさっちゃんと2020年2月8日に歩いた時の写真を一枚載せておきます。この日は二俣尾駅から西城林道へ入り、すぐ左の尾根を登って青梅丘陵に出ました。青梅丘陵に出てからは、少しだけ雷電山方面へ進み、登って来た尾根の西隣りの尾根を下ったのでした。▲14:22。下山後の二俣尾駅ホームで。山行中は笑顔のなかったさっちゃんに最後になってやっと笑顔...3ヶ月ぶりの山歩きは、さっちゃんとの想い出がたくさんある青梅丘陵です

  • 雲仙スラブの翌日は、天覧山

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月10日(日)天覧山岩トレI川リーダーの会山行。M田(SL)、○○(僕の姓)、K子、さっちゃん、Y井大ハング(以下、3段ハングと書き替えます)に挑戦。一段目に立つ(初)。二段目タッチ。1月とは思えないポカポカ陽気。4時ころまで遊ぶ。いつものタケダにて新年会をかねて打上げ。おばあさん(タケダの女将さん)も元気。...雲仙スラブの翌日は、天覧山

  • 今日も吸引と栄養補給を行ないました

    東京は大寒波のピークです。自転車でI老健へ向かいましたが、身体の表面が冷え切ってしまったようです。入館する前に体温を測るのですが、肌に数センチ近づけて計るタイプの体温計が測定不能になってしまったんです。額に向けてもLOWの表示、手首でもLOW、首筋でもLOW、腕をまくって肘の近くで計ってもLOWでした。僕自身は自転車を漕いでいたのですから、それほど寒い感覚はないのですが、体表面は想像以上に冷えてしまったみたいですね。そして、毎度の抗原検査。看護師さんが「もう慣れました?」と聞くんですが、僕の返答は「慣れません」。最初の頃のように痛いほどではなくなりましたが、嫌なものは嫌ですね。玄関ホールは館内と外部との中間ですから、外ほどではありませんが、暖房は効いていなくて寒いです。陰性との結果が出ると、館内に入ること...今日も吸引と栄養補給を行ないました

  • 1988年、最初の山行は、雲仙スラブでの岩トレでした

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)1988年1月9日(土)鳩ノ巣のゲレンデ(初見)初岩登り僕、T沢、さっちゃん今年はじめての岩登りは鳩ノ巣渓谷の中にある岩場だ。駅からすぐで、橋の下、北面で全く陽があたらず寒い。しかし、この日はそれほど風も冷たくなかった。フェースはスラブぎみでこまかく、むつかしい。ピンが上部には全くないため、○○(僕の姓)、トップロープを...1988年、最初の山行は、雲仙スラブでの岩トレでした

  • さっちゃんの山日記が見つかりました

    2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。1987年12月25日(金)~1988年1月2日にかけて同志7人で北インドのさわりの部分を旅行してきた。1度くらいはぜひ訪れてみたい大国であった。今まで話には何度も出たが、なかなか実行するまでに至らず、突然11月の初めころ話が具体化し、T桑夫婦、Y岸夫婦、K島氏、T橋さん、それに自分の七人の侍ならぬ、いろとりどりの参加者となり、エアーオンリーで出発したのである。(詳しいことは別...さっちゃんの山日記が見つかりました

  • 栄養補給のほか、吸引も行ないました

    今週の介護トレーニングは昨日の木曜日に行なわれました。入所者のおひと方がお正月に自宅へ戻って新型コロナウイルスに感染した影響で、先週は介護トレーニングが中止になってしまいました。今週も水曜日には行なうことが出来ず、翌日の木曜日へずれ込んでしまいました。その影響も受けてか、洗濯物も家族には任せない措置が取られ、所内で洗濯してくださってるようです。どうやら所内ではその後感染が広がってはいないみたいですから、そろそろ平常に戻るのでしょうね。第8波では感染者数の実態は発表されている数よりもかなり多いと言われています。それに1日あたりの死者数が第7波と比べても多くなっているので、とりわけ高齢者にとっては心配ですよね。亡くなっている方のほとんどが高齢者だと言われていますし。この日のトレーニング自体は通常通り行なわれま...栄養補給のほか、吸引も行ないました

  • 今日の介護トレーニングは中止になってしまいました

    今日は水曜日、1月からの介護トレーニングのある日です。自転車でI老健へ行く途中、老健から電話が入りました。それには気付かなかったのですが、老健へ到着すると、その理由が分かりました。お正月に自宅に戻った入所者のお一人が新型コロナウイルス陽性になったんだそうです。さっちゃんには問題はないのですが、施設としては念のために介護トレーニングを中止にするとのこと。まあ、仕様がないですね。でも、介護トレーニングが中止になるということは、さっちゃんの自宅復帰が1週間遅れるということですよね。**********介護トレーニングとは関係のない話題をひとつ。自宅にはさっちゃんが撮影した山の写真が何枚か飾ってあります。その中の一枚に、三ノ窓から見下ろした三ノ窓雪渓が朝陽に輝く写真があるのです。その写真の雪渓がこの冬の一時期、本...今日の介護トレーニングは中止になってしまいました

  • 栄養と水分補給、薬剤投与を行ないました。口腔ケアは見学だけで、吸引は機械の説明を受けました

    今日、自転車でスーパーに買い物へ行った帰り道でのこと。赤信号で待っていると、足元に見覚えのある元気そうな小さな葉っぱの草がびっしりと生えていました。「花が咲いてるかも」と思って、探してみると、ありました。小さな青い星の輝きのような花、オオイヌノフグリです。まだ綺羅星のごとくとまではいきませんが、さしずめ一番星のようにひとつだけ青く輝く星が見つかりました。まだ冬の寒さが支配している季節にでも、春が近づいていることを教えてくれる可憐な花。これからの季節、僕は無意識にこの花を探すんです、毎年。今年はとりわけさっちゃんの自宅帰還の知らせと重なっているように感じられて、信号待ちしながら嬉しくて微笑んでしまいました。昨日は介護トレーニングがありました。新年からは介護トレーニングは火曜日から水曜日に変更されたんです。で...栄養と水分補給、薬剤投与を行ないました。口腔ケアは見学だけで、吸引は機械の説明を受けました

  • 栄養補給と薬の投与を行ないました

    正午過ぎにI老健から電話が入りました。一瞬いやな予感が。さっちゃんの具合が悪くて「今日の介護トレーニングは中止です」と言われるかもしれないと思ったのです。でも、違いました。「開始時間をいつもより30分遅くします」との連絡でした。今日の介護トレーニングでは栄養補給と薬の投与を実践する予定です。可能な限り自分一人で行なおうと、僕自身も心に決めていました。面談室には必要なものはすでにだいたい揃っています。しばらくすると、さっちゃんがエレベーターで降りて来ました。「さっちゃん、お風呂入ったの?これから夕食だよ」と話しかけます。手を握ります。さっちゃんが目を見開いて、何やら声を発しました。僕の姿を見て、何かしら感じたような様子でした。そうは思うのですが、確信は持てませんし、証明も出来ません。簡単な確認を看護師さんと...栄養補給と薬の投与を行ないました

  • 夕方の栄養補給を最後までしました

    今日の介護トレーニングでは栄養剤を投与するためのセットを僕がすることになっていました。栄養剤にはそのまま吊るして容器として使えるタイプのものと容器とは別の小さな牛乳パックのようなものとの2種類あるようですね。I老健で使っているのは両方とも200cc400kcalのものなんですが、紙パックの方は一回開けても冷蔵庫で24時間は大丈夫なんだそうです。今日はその紙パックの方を使います、とのこと。あれっ?と思って、「1日に800とか1000kcalじゃあないんですか?」と聞くと、「あっ、間違えてました。まだ1日に600kcalです」とのこと、残念。体重の推移など見ながら、600kcalで大丈夫そうとの判断のようですね。朝に400kcal補給して、夕方は紙パックの半分200kcalを補給するんだそうです。先週に引き続...夕方の栄養補給を最後までしました

  • 胃瘻を通じての栄養と水分補給のトレーニングに入りました

    昨日の12月13日(火)から僕の介護トレーニングが新しい段階に入りました。いよいよ胃瘻を通じての栄養と水分補給をすることになったのです。とは言え、初回ですから必要な器具等を見たり触ったり程度でトレーニングは終了。器具同士の接続の仕方やストッパーの使い方や注入手順や器具の洗い方等々、全般にわたって大まかに教わりました。でも、まだ器具名もきちんとは覚えていませんから、ブログでも自信を持っては書けません。以前いただいた『PEG(胃ろう)ケアハンドブック』が家にありますから、それを精読したいと思います。昨日は最後に胃瘻にセットしてみることまでさせてもらいました。名称は正しくないかもしれませんが、胃瘻のボタンのキャップを外して、栄養等の注入口をボタンに嵌めるのです。カチッと音がするまで嵌めるのですが、ボタン自体がさ...胃瘻を通じての栄養と水分補給のトレーニングに入りました

  • 2ヶ月以上前の記録ですが、天覧山平日岩トレ№2です

    僕の山ブログ『ザイルと焚火と焼酎と』を長く書けないでいました。最近になって、再開できるようになりましたから、『さっちゃん空を飛ぶ』でも紹介しておこうと思います。さっちゃんとの想い出やら介護生活の中での絡みで、こちらのブログでも紹介させていただきます。では、2ヶ月以上前のその時の気持ちのままでのご報告です。**********2022年9月30日(金)天覧山平日岩トレ№2またこのように平日に天覧山での岩トレが出来るようになるとは思ってもいませんでした。2019年12月、それまで半日のデイサービスだったさっちゃんが1日のデイサービスに行くことになり、僕が活用できる時間が生まれました。それで僕が選んだその時間の活用方法が天覧山ひとり岩トレでした。その初回は2020年2月4日。さっちゃんが戻ってくるまでに帰宅して...2ヶ月以上前の記録ですが、天覧山平日岩トレ№2です

  • さっちゃんは年内には自宅に戻れないことが確定しました

    「お正月を自宅で過ごせればいいね」とS田さんがおっしゃってた言葉に僕は希望を託していました。でも、12月の介護トレーニングは4回しかありません。これまでの移乗とオムツ交換のトレーニングにも5回を費やしています。それよりも困難度が増す胃瘻を通じての栄養と水分の補給、口腔ケアや吸引などにはもっと多くの回数がかかりそうです。よくよく考えると、年内に自宅に戻ることは無理そうだなとは、薄々分かっていました。そのことを今日、S田さんからはっきりと言われました。当り前のことですから、改めてがっかりとかはないですけれどね。今日から新しいトレーニングが始まるのかなと思っていましたが、同じメニューでした。移乗とオムツ交換です。施設側の理由によるものなのか、僕自身の介護力がまだ不足していると判断されたのか、それは分かりません。...さっちゃんは年内には自宅に戻れないことが確定しました

  • 今日も移乗とオムツ交換をしました。来週からは次の課題に移れるかな、と思います

    毎週火曜日の介護トレーニング。もう5回目ですし、移乗とオムツ交換を繰り返して来ましたから、僕としてはさほど緊張感はありません。ただ今日は天候が悪く、雨が降ったり止んだりしています。電車で行くことも考えたのですが、電車では家を出てから小1時間もかかってしまいます。自転車なら20分ちょっとなので、本当に楽なんです。雨は降り続いている訳ではなくて、降ったり止んだりですし、この地域は移動する雨雲の端っこなんです。気象庁HPのナウキャストを見ていても、5分たつと状況が変わってしまいます。20分後には雨が降る予報が、5分たって15分後には雨の範囲から外れていたりします。ですから、運を天に任せて自転車で行くことにしました。もちろん傘も持って、最悪自転車を押しながら歩く覚悟です。結果的には、行きも帰りも強い雨には遭わずに...今日も移乗とオムツ交換をしました。来週からは次の課題に移れるかな、と思います

  • 移乗とオムツ交換の実地テストがありました

    I老健へ行くと、S田さんが寄って来て、さっちゃんの肺炎その後を報告してくれました。肺炎との診断があって以降、1週間は薬を飲んで、先週の土曜日にクリニックに行ったんだそうです。結果、肺炎は治っているとのこと。先週も咳等も出ていませんでしたし、元気そうでしたから、内心「もう治ってるな」とは感じていました。お医者さんもそう言ってくださって、ひと安心ですね。この日は先週とは別の男性介護士さんが立ち会ってくださいました。で、「今日は旦那さんの卒業試験のようなことをしましょう」と言います。「私はほぼ手を出しませんから、移乗とオムツ交換をしてください」と言うんです。必要なオムツ、パッド、乾いたタオル、濡れた温かいタオル、ビニール手袋、汚れ物を入れるビニール袋等も揃っています。まずは車椅子からベッドへの移乗。ベッドの高さ...移乗とオムツ交換の実地テストがありました

  • 3回目の介護トレーニングを3週間ぶりに行なうことが出来ました

    先週の中止の理由が肺炎ということでしたから、今日も「中止です」との連絡が入るかも、と心配していました。でも、そんな連絡は入らず、肺炎は軽症のままで落ち着いているか、ほとんど治ったのかなのでしょうね。3回目のトレーニングが実践できそうですから、ということはあの嫌な抗原検査もあるという訳です。こればかりは慣れませんね。いつもより少し長めに綿棒が鼻の中に入っていました。嫌だな~ぁ。当然のごとく陰性で、僕は中に入ります。今日はさっちゃんの方が先に到着していました。今日のトレーニングメニューは移動とオムツ交換。指導してくださる介護士さんは今日は男性でした。移動に関しては、今日は車椅子からベッドへ2回、ベッドから車椅子へ2回、さっちゃんに移動してもらいました。4回のうち、1回目と4回目を僕が行ないました。さっちゃんが...3回目の介護トレーニングを3週間ぶりに行なうことが出来ました

  • 新型コロナワクチン5回目接種で今日は一日中ダウンしていました

    昨日の15時30分から新型コロナワクチンの5回目接種を行ないました。ファイザー社製で従来株とオミクロン株のBA.1やBA.4-5にも効果があるとされる2価ワクチンです。接種自体は問題ないのですが、問題は翌日の副反応!これまで4回とも一日中ダウンしていました。今回も同様にダウン。ただし、これまでの主な症状が倦怠感だったのに対して、今回は頭痛でした。頭痛と言ってもさほど激しいものではなかったのですが、動きたくなくなるのです。目覚めてからも、口にするのは白湯ばかり。昼過ぎにやっとバナナ1本を口にし、夕方ちょっとだけお菓子を食べました。そして、夜になって小さなカップラーメンを口にしました。夜には頭痛も少しずつ収まって来ています。PCを開き、このブログを書くことも出来るようになりました。明朝には普段通りに戻っている...新型コロナワクチン5回目接種で今日は一日中ダウンしていました

  • 昨日の介護トレーニングも中止になりました。でも、さっちゃんとはガラス越しの面会ができました

    15時10分ころ、I老健へ着くと、まずは洗濯した衣類を渡し、洗濯する衣類を受け取ります。続いて、あの嫌な抗原検査をするものと思っていたのですが、S田さんが僕を面談室へ導くのです。S田さんは僕に2度電話したんだそうです。履歴を確認すると、13時38分と14時57分に電話がありました。この日の介護トレーニングが中止になったことを連絡するためだったのですね。もし電話を受けても、洗濯物のことがありますから、どうせ来なくてはならなかったのですけどね。さっちゃんは金曜日ころから痰がからむことが多くなったんだそうです。それで、月曜日に検査をすると、肺炎になっていることが分かったそうです。とは言え、体調にはさほど問題はないようですね。ひと通りの説明を受け、さっちゃんが下に降りて来て面会を行なうことになりました。僕は玄関ロ...昨日の介護トレーニングも中止になりました。でも、さっちゃんとはガラス越しの面会ができました

  • さっちゃんが熱を出したので、本日の介護トレーニングは中止になりました

    今日の1時過ぎ、I老健から電話が入りました。「さっちゃんが一昨日に熱を出し、いったんは下がったのですが、今日また37.5度から下がりません。ですから、今日の介護トレーニングは中止したいと思います。次回は来週ですね」僕は持病の腰痛が再発症しているので、昨晩はゆっくりと温かな湯船に浸かりました。今日の午前中はいつもの接骨院にも行きました。腰をなるべく良い状態にして介護トレーニングに臨みたかったんです。でも、中止。これでさっちゃんが自宅に戻るのが確実に1週間遅れることになりました。まあ、こんなことは有り得ることですから仕方ありませんけどね。同じ電話でさっちゃんのコロナワクチン5回目接種の件を尋ねました。僕宛には5回目接種券が届いたのですが、さっちゃん宛にはまだ届いていなかったからです。てっきり僕よりも前に4回目...さっちゃんが熱を出したので、本日の介護トレーニングは中止になりました

  • 僕の腰痛もさほど影響なく、無事に今日のトレーニングが出来ました

    先日の土日とその前の週の土日に、2週続けて泊りの山行を僕はして来ました。今の僕にとっては比較的重い荷物を背負って、岩稜登山と沢登りをして来ましたから、腰への負担が大きかったんだと思います。昔から通っている接骨院へ、先週の水木金と今週の月火と通いましたから、今日は先週よりも僕の腰の状態は良かったと思います。まさか、この程度の山行で腰にここまで影響があるとは予想できませんでしたから、今後は気を付けたいと思います。若いころのようにはいかないんだ、ということが実感できました。今日もまずは抗原検査です。前回が右の鼻だったので、今回は左の鼻でした。ほんの2、3秒ですけれど、実に嫌な気分ですね。思わず咳き込んでしまいました。もちろん陰性です。今日の介護トレーニングのメニューは以下のようでした。①上着の着せ方脱がせ方着せ...僕の腰痛もさほど影響なく、無事に今日のトレーニングが出来ました

  • 初回の介護トレーニングで2ヶ月ぶりのさっちゃんに会いました

    いよいよ今日から僕に対する介護トレーニングがスタートします。週に1回、毎週火曜日に行なわれることになりました。僕の介護技術習得の早い遅いで、さっちゃんが自宅に帰れる日も早くなったり遅くなったりするのです。頑張らなくっちゃ。とは言え、僕は土日に行なったハードな山行の影響で腰が痛くて仕方ありません。椅子から立ち上がる際にも、イタタタタ、と呻く始末。そんな不安も抱えながら、約束の時間15時15分の10分ほど前にI老健に到着しました。I老健では年輩の看護師さんが来られて、僕に抗原検査を行なってくれました。綿棒を右の鼻の穴に突っ込みます。時間的には僅か2、3秒のことだと思いますけれど、得も言われぬ刺激と不快感が僕を襲います。思わず、くしゃみも出てしまいます。15分後と言うことでしたけれど、それよりも長く経過したよう...初回の介護トレーニングで2ヶ月ぶりのさっちゃんに会いました

  • 自宅介護実現へのスタートが切られた気がします

    今日11日、I老健で面談がありました。まずは最初に、さっちゃんの最近の体調報告があります。栄養摂取ですが、胃瘻造設後400kcalしか摂れなかったのですが、最近から600kcal摂れるようになったそうです。600kcalで嘔吐することなく順調に摂取し続けることが出来たら、800kcalの実現も近いのではないでしょうか。その他、体温、心拍数、血圧、排尿、排便も安定しているそうです。排便はもちろん便秘症のさっちゃんですから、毎日という訳ではありませんが、薬と浣腸のおかげもあって順調なようです。朝は窓から差し込む光を眺めて、さっちゃんの機嫌が良さそうだとS田さんには感じられるそうです。そんな時に浮かべる笑顔がとても素敵だと、S田さんは今回もおっしゃってくださいました。そう言われると、僕まで嬉しく幸せな気分になっ...自宅介護実現へのスタートが切られた気がします

  • 24年ぶりに山栗ご飯を作りました

    9月25日にシダクラ沢を遡行して稜線に出ると、山栗がたくさん落ちていました。その時は僕だけは栗拾いせずに、拾った栗は他のメンバーにあげました。翌週の10月2日、同じ辺りの尾根を歩くことにしたのですが、N村夫妻が参加して、目的のほとんどが栗拾い山行になったのです。で、僕も今回は栗を拾いました。今年の奥多摩は山栗の当たり年のようで、どこを歩いても足元には山栗がたくさん落ちています。山栗拾いをして、山栗ご飯を作ったのは、実に24年ぶりのこと!何故覚えているかと言うと、長期入院していたさっちゃんのために山栗ご飯を作って、食べてもらったからです。1998年2月に愛鷹連峰で遭難し、脛骨上部骨折したさっちゃんは2度の手術をし、2度の長期入院をしました。秋の山栗の時季は2度目の入院中だったんです。奥多摩で山栗拾いをし、今...24年ぶりに山栗ご飯を作りました

  • 天覧山平日岩トレ№1 ――― ひょんなことからトントン拍子に決まりました

    YYDの沢仲間とのメールのやり取りの中でのことが発端でした。僕が久し振りに沢中での焚火がしたいと思って、易しい泊り沢を計画しようと思ったのです。それで、沢仲間や今年沢登りを始めたようなメンバーにその旨メールしたんです。すると、HTさんから返信がありました。「その日は仕事で参加できませんが、時々平日に休めることがあります」と言うのです。それでとんとん拍子に天覧山での岩トレが決まりました。最初の返信があった翌日には天覧山での岩トレが決まり、その翌日に実行したのです。それで前日に山行計画を公開したところ、N村さんも参加となったわけです。2年前から始まった天覧山の平日岩トレ、独りで始まり、途中F沢さんも参加しました。F沢さんが会から去り、再び独りとなり、さっちゃんの入院で平日の岩トレはなくなりました。そして、8ヶ...天覧山平日岩トレ№1―――ひょんなことからトントン拍子に決まりました

  • さっちゃんに心寄せてくださったお二人と茅尻沢左岸尾根を登りました

    ここのところ山のブログもさっちゃんのブログも滞りがちです。さっちゃんに関する情報は面会も出来ませんし、老健からも漏れ聞こえて来ません。寂しいことですけれど、「便りのないのはいい便り」と思うしかありません。4週間ほど経ってしまいましたけれど、YYDの仲間、SS木さんとT橋さんと奥多摩の山を歩いて来ました。このお二人はYYDの中でもとりわけさっちゃんに心を寄せてくださったお二人です。さっちゃんのために山歩きの計画を何度も立ててくださいました。僕から言うのも何ですが、さっちゃんはとっても魅力的な女性だったと思います。以前ともに所属していた山岳会では、僕よりもさっちゃんの方が皆さんに好かれていたのは確かです。それが認知症の影響で、さっちゃんの人間性はぼやけた有り様でしか顕われなくなりました。失語症も進み、言葉もだ...さっちゃんに心寄せてくださったお二人と茅尻沢左岸尾根を登りました

  • さっちゃんの想い出が濃く残るナメイリ沢、続いて棡葉窪を遡行しました

    ナメイリ沢はネットなどでの評価は「ショボい」「水量少なく見栄えしない」など、あまり良くはありません。僕自身何回か来ていますが、好印象は持っていませんでした。水量が乏しくて、沢らしい瑞々しさに欠けているのです。さらに言えば、埃っぽいイメージすら抱いていました。それでも僕がナメイリ沢を大切に感じているのにはこんな理由があるからです。さっちゃんが1998年2月に雪の愛鷹連峰で、脛骨骨折した3年9ヶ月後のことです。2001年11月27日に大怪我から復活後の初めての沢登りがナメイリ沢だったんです。今回同様、続いて棡葉窪も同じ日に遡行しています。僕ひとりでは心配でしたから、当時の僕の沢パートナーだったK磯さんにも同行をお願いしました。ですから、ナメイリ沢にはこの時の僕が味わった感動、さっちゃんの沢復帰への喜びの感情が...さっちゃんの想い出が濃く残るナメイリ沢、続いて棡葉窪を遡行しました

  • 北アルプスから帰って来て2週間後、やっと懸垂岩での岩トレで再始動

    若いころは夏のお盆休みの1週間前後の長期山行を終えた翌週、よく苗場山の赤湯温泉に2泊3日で行ってました。山では連日フルに動き回っていますから、若いと言ってもさすがに湯治が心地よかったのです。山口館に泊まって、コーヒー、果物、お酒、文庫本を持って行きます。2泊3日なので、2日目は朝から晩まで温泉三昧!20代の頃も行ってましたし、さっちゃんとも行くようになりました。でも仕事もありますから、確実に行けるとは限りませんでしたけれどね。今年はたかが3泊4日で、まともに動いたのは3日目の横尾本谷右俣だけでしたが、疲れましたね。赤湯温泉に行ければ良かったんでしょうけれど、天気もさほど良くありませんでしたから、自宅でじっとしていました。2週間後、YYDのS藤さんが丹沢の懸垂岩での岩トレを計画してくれたので、参加させてもら...北アルプスから帰って来て2週間後、やっと懸垂岩での岩トレで再始動

  • 北アルプスお盆山行の最終日です。今回の山行はさっちゃんとの思い出を辿るような日々でした

    天気(台風)に翻弄された北アルプスお盆山行でしたけれど、まずまず満足できる内容で終了しました。前穂北尾根に登れなかったことは残念ですが、横尾本谷右俣の日が好天でしたので、気分よく歩けました。同行のS﨑くんは横尾本谷右俣をいたく気に入ってくれたようです。K野さんは北アルプス穂高周辺のバリエーションルートの魅力を知ってもらえたと思います。僕自身にとっては、肉体的弱さをまたしても知らしめられる結果となりました。このレベルの山行から遠ざかって来たことの結果ですから甘んじて受け入れなければなりません。そして、このレベルの山行を時折り行なうことで、肉体を慣らす必要があると思いました。同時に、常日頃の山行であと2、3kg重いザックを背負うことで、歩荷力も向上させなければならないと痛感しました。今回の山行ではK野さんにた...北アルプスお盆山行の最終日です。今回の山行はさっちゃんとの思い出を辿るような日々でした

  • さっちゃんの体調は安定しているようですが、まだ課題は克服されていません

    一昨日の9月12日にI老健で面談がありました。ブログへの記録が何やかやあって、遅れてしまいました。まず最初に相談員のS田さんは「体調は落ち着いていますよ」と言います。それを聞いて、僕はひとまず安心。ただ、最初の言葉に続いて「でも、栄養摂取は400kcalのままなんですよ」と。一ヶ月以上経過しているのに、何故まだ400kcalのままなんだろう?と僕は疑問を抱きます。S田さんがおっしゃるには、こうです。「800kcalにして嘔吐した際に、それが肺に侵入している可能性があるんですよ」その心配があるので、「再度嘔吐させるわけにはいかない」と言うのです。まあ、それは当然でしょうね。「ですから、2~4週間は様子を見る必要があるんです」確かにそうかもしれません。僕はその後のさっちゃんの様子を聞いてみました。肺炎になった...さっちゃんの体調は安定しているようですが、まだ課題は克服されていません

  • 回復した天候の中、横尾本谷右俣を登ることが出来ました

    横尾本谷右俣には1996年8月にさっちゃんと二人で行っています。2008年7月にもさっちゃんとK嶋さんと3人で行きました。僕に限れば、2007年8月には穂高お池巡りの途中で横尾本谷右俣の上部カールを通過しています。2014年8月にはウェストンの槍ヶ岳登頂横尾本谷ルートの解明のため、4人で登っています。横尾本谷右俣は北アルプスの中では僕にとって思い入れの濃い場所だと言えるでしょうね。さっちゃんとの想い出も多くある場所でもありますしね。そんな横尾本谷右俣を今年も訪れました。詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。お盆山行3日目―――最初の予定通り横尾本谷右俣を登りました。でも、僕の脚の筋肉は大ダメージ!▲2014年8月13日8時5分。6年前に最上部カールを歩いた時の雪渓の様子です。雪渓があると、実に...回復した天候の中、横尾本谷右俣を登ることが出来ました

  • 北アルプス2日目は小雨模様のため前穂北尾根は断念し、北穂高岳を登りました

    僕とさっちゃんが初めてザイルを組んだのは北穂高岳の滝谷クラック尾根でした。三ッ峠等で一緒に岩トレしたことはありましたが、ザイルを組んだことはありませんでした。この時は僕が全ピッチをリードしたのですが、お師匠さんにこっぴどく叱られたのを覚えています。さっちゃんは背が低く、150cmありません。僕はリードしたといっても、まだまだ余裕はなく、必死でした。目に入るハーケンやボルトで全てプロテクションを取るといってもいいくらいに、取りまくっていました。その中には僕ですらギリギリに手を伸ばしてやっと取れるようなプロテクションもよくあったのです。そうなると、背の低いさっちゃんにはそのプロテクションのカラビナとシュリンゲの回収が凄く困難になるんです。お師匠さんたちパーティーは僕とさっちゃんパーティーの後ろから続いています...北アルプス2日目は小雨模様のため前穂北尾根は断念し、北穂高岳を登りました

  • 8年ぶりに僕は北アルプスへ行きました。その1日目は涸沢まで。そして、遥か昔の想い出話を長々と

    北アルプスは僕にとって遥か遠くの異国の山のような存在でした。テレビで上高地のニュースを見ても、自分で訪れるには遠すぎる憧れの地でした。30歳を過ぎて、クライミング技術を教えてもらおうと入会した山岳会で、僕は初めて北アルプスへ行ったのです。僕のお師匠さんはアルパインクライマーでしたから、入会翌年のGWに岳沢へ連れて行ってくれました。そこをベースにして、奥穂南稜とコブ尾根を登攀したのです。同じ年の8月には北鎌尾根、帰京してまたすぐにトンボ返りで北穂小屋で連泊し、滝谷を登攀しました。北穂小屋へは北穂東稜をアプローチに使いました。滝谷はクラック尾根、第4尾根、第3尾根を登攀しました。お師匠さん達パーティーと、僕のパーティーの2パーティー4人で行きました。そして、この滝谷で僕は初めてさっちゃんとザイルを組んだのです...8年ぶりに僕は北アルプスへ行きました。その1日目は涸沢まで。そして、遥か昔の想い出話を長々と

  • モミソ沢で滝のリードをさせてもらいました。初心に帰ってこれからも成長しなければと思いました

    僕のお師匠さんは還暦を迎えたころにほぼアルパインクライミングの第一線を退きました。当時は50代で一ノ倉沢や滝谷を登攀しているクライマーは珍しくて、お師匠さんは目立つ存在でした。日常的にジョギングや腹筋・背筋のトレーニングをしていると、聞いていました。冬が近づくと、アイスクライミングのために木刀の素振りも加えていたそうです。そんなお師匠さんでしたが、還暦が近づくにつれクライミング能力がみるみる低下してしまったのです。その一因は僕を弟子にしたことに理由があると、僕は感じています。何故かと言うと、僕がお師匠さんから岩場をリードする機会を奪ってしまったから。お師匠さんに指導してもらうようになって1年後くらいから、僕は毎週一緒に山へ行くようになりました。必ず木曜日に電話を入れて、週末の計画を聞き、山行を共にするので...モミソ沢で滝のリードをさせてもらいました。初心に帰ってこれからも成長しなければと思いました

  • さっちゃんの老健再入所後初めての面談がありました

    15日の月曜日、I老健での面談がありました。胃瘻造設手術を終え、老健再入所後初めての面談です。僕は10日夜に出発して、14日まで北アルプスに入っていました。10日にさっちゃんの洗濯物を受け取っていたので、15日は早朝から洗濯。面談は13時からでしたから、なんとかギリギリ乾いたさっちゃんの寝巻きも持って行くことが出来ました。同時に7月分の支払いも。相談員のS田さんとの面談が始まり、彼女が最初に言ったのは「よく喋りますよ」ということ。さっちゃんはI老健での生活のことやスタッフさんのこと等を覚えているんだと思います。明確な記憶としてはないんだとしても、馴染みを感じているんだと思います。抵抗なく、拒否感なく暮らしているそうです。ただ、胃瘻からの栄養摂取が入院中同様、400kcalしか摂れていないんだそうです。以前...さっちゃんの老健再入所後初めての面談がありました

  • 『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7で奥多摩の水根山を登りました。登りでは安定的にコースタイムより早く歩けるようです

    東京都の奥座敷、山の中にある奥多摩町でさえ、真夏日が続くほどの酷暑の今年。これほどに暑い中、普通にハイキングするなど考えもしなかったんですが、ひょんな理由で歩くことにしました。実際に歩いてみると、森の木陰の山道を歩きますから、思いのほか暑くはなく、心地よく歩くことが出来ました。そのうち寒気も入って来たようで、涼しさも感じるようになりました。この寒気は案の定、雷雲を生み出したようで、雷鳴が遠方から聞こえるようになって来ました。この山行のテーマにもなっている標準コースタイムで歩くことに関しては、まあ問題はありません。標準コースタイムの89%で歩けていますから、合格ですね。ただ、僕は下りが遅くて苦手ですから、下りだけに関しては106%かかっています。目が悪くて、足元も見えにくいですから、個人的には下りに時間がか...『標準コースタイムで歩く』シリーズ№7で奥多摩の水根山を登りました。登りでは安定的にコースタイムより早く歩けるようです

  • さっちゃんは胃瘻造設手術をしたT病院から退院して、再びI老健へ戻りました

    8月3日はさっちゃんがT病院から退院する日でした。朝8時40分過ぎに自転車で家を出て、病院近くのスーパーに停めておきました。入退院窓口へ行き、病棟へ入る手続きを済ませ、入院費用の精算も終えました。〇万4560円でしたが、前もって概算を多めに教えてもらっていたので、5000円以上余裕がありました。その分、介護タクシー代に回せるので、ちょっとだけですが得した感覚ですね。そんな風に感じるなんて、人の気分は可笑しなものですね。病棟へ行くと、看護師さんが僕のことを待っていてくれたようです。「さっちゃんのご家族の方ですか?」と聞かれます。何枚かの書類にサインをし、寝巻き等の持ち物を渡され、飲んでいた薬も渡されました。その上で、I老健へ渡す数通の書類も渡されました。介護タクシーのスタッフさんも来られて、さっちゃんを待ち...さっちゃんは胃瘻造設手術をしたT病院から退院して、再びI老健へ戻りました

  • ツルネ東稜を登ることになった背景には、僕の山人生での初出来事がいろいろとありました

    全ての人は平等に1年で1歳の年を取ります。その事実に抗うことは出来ますが、結果は大きくは違って来ません。でも、人はそんな小さな違いを大切に感じて、一喜一憂するのです。僕とて同様で、高齢者である現在、1年でも長く自分の山人生を引き延ばそうと足掻いているのです。足掻くことは素晴らしいことだと思いますし、楽しいことでもあります。足掻けることは幸せです。さっちゃんが入院、入所を続け、一緒に暮らせない期間、僕は自分の山体力を復活させる努力を楽しみました。山のパートナーでもあったさっちゃんなら僕のそのような努力を喜んでくれると信じています。でも、そんな努力は僕自身に惨めな現実も見せつけることになりました。標準コースタイムを大幅に超えた時間でしか歩けない。長い距離を歩き続ける体力がない。そんな問題点も時間をかけて徐々に...ツルネ東稜を登ることになった背景には、僕の山人生での初出来事がいろいろとありました

  • 胃瘻造設手術は無事終了し、さっちゃんの退院の日も決まりました

    さっちゃんの胃瘻造設手術は今週の水曜日に行なわれました。病院から何の連絡もありませんでしたから、何事もなく無事に終了したものと思っています。昨日の夕方と今朝、T病院から電話が入りました。ちょうど僕が電話に出ることが出来なくて、こちらから掛け直したのですが、繋がりません。昨日は受付の対応時間を過ぎていたからでしょうね。今朝は出ることが出来ました。予想通り、退院の件についてです。退院は8月3日(水)になりました。僕が9時に病院へ行き、9時半に介護タクシーでI老健へ向かい、10時に到着というスケジュールです。入院費もその時に支払いますから、概算を教えてもらいます。もちろん、その電話で手術が無事終了したことや、その後も順調なことを教えていただきました。僕は洗濯物のことも聞きました。寝巻きは十分な数あるとは思います...胃瘻造設手術は無事終了し、さっちゃんの退院の日も決まりました

  • 胃瘻造設手術のために入院するさっちゃん。僕は105日ぶりにさっちゃんに会い、手を握り、身体に触れました

    昨日7月25日は胃瘻造設手術のためにさっちゃんがT病院に入院する日でした。朝10時20分にI老健へ電話を入れました。今日のスケジュールの確認です。特に、T病院での手続き終了後、I老健へ戻って来る必要があるのか否かがポイントでした。戻ってくる必要はなく、病院からは直接帰宅してもいいとのことでした。ですから、自宅から比較的近いT病院まで自転車で行き、そこからI老健までは歩くことにしました。40分くらい歩きました。I老健へ12時30分ころに着き、洗濯物の交換をしようとすると、「退所するので預かれません」とのこと。「来週にはまた戻って来るのですから」と言ったのですが、無理なようです。洗濯物ばかりか、櫛やクリーム、口腔ケア用品まで全部の所持品を渡されましたから、僕も諦めざるを得ません。ザックはパンパンになり、その上...胃瘻造設手術のために入院するさっちゃん。僕は105日ぶりにさっちゃんに会い、手を握り、身体に触れました

  • 4回目の新型コロナワクチン接種もこれまで通りの副反応でした

    7月22日(金)に接種した新型コロナワクチンの副反応に関する報告です。今回は倦怠感はあまり自覚できませんでした。と言っても、日常の家事をする気力は起きなかったんですけどね。土曜日の朝から微熱(37.3度)があり、頭痛もありました。きつかったのは、頭痛ですね。倦怠感もあったのでしょうが、自覚症状の第一は頭痛でした。風邪の頭痛程度なら動けるのですが、副反応での頭痛は動く気力は出ません。微熱は夜になると36度台まで下がりましたが、頭痛は夜遅くなってほんの少し収まっただけでした。当然、食事は作らず、買っておいたプリンを3個とバナナ3本を食べただけです。他には、冷やした水と牛乳をがぶ飲みしていました。今朝起きると(二度寝してしまったので10時ころでしたが)、頭痛はほぼ収まっていて、とっても空腹でした。でも、さっちゃ...4回目の新型コロナワクチン接種もこれまで通りの副反応でした

  • 新型コロナウイルス、4回目のワクチン接種を今日しました

    さっちゃんはI老健を通じて、先月中に4回目のワクチン接種は済んでいるはずです。僕は今日10時45分からの予定でした。5分ほど前に会場へ到着すると、すでに入場していて、僕は最後の方の列に並びます。4回目ともなると、いつも通りの進行ですから、慣れたものです。ワクチン接種を終えると、僕はすぐそばの映画館へ。『キングダムⅡ遥かなる大地へ』を観ました。ずいぶん前のこと、新聞に全4面だったか、主人公・信が子供のころの漫画が掲載されたんです。大将軍になる夢を抱く奴隷の子・信と中国の歴史上初めて中華統一を実現させた若き始皇帝・嬴政(えいせい)とが織りなす壮大な歴史ドラマ。すぐに惹きつけられて、僕はコミック本を読み始めました。その第2作目の映画です。コミック本自体も今65巻までですが、中華統一道遥かといった感じですね。映画...新型コロナウイルス、4回目のワクチン接種を今日しました

  • 石津窪の遡行は僕の問題点を明瞭に示してくれました

    昨年の11月から自分のペースで山を歩き始めました。2021年はさっちゃんが山を歩けなくなっていましたから、僕も山へは行けませんでした。それまでの2年間、僕はさっちゃんのペースで山を歩いていたわけです。8ヶ月前から自分のペースで山を歩き始めても、最初は思うようにはまったく歩けませんでした。標準コースタイムよりもずっと時間がかかるスピードでしか歩けなくなっていたのです。自分自身の感覚的には、本来の1~2割くらいの山体力に低下していました。それから努力を続け、今は5割くらいにまで山体力は復活したでしょうか?高齢ゆえの体力低下は致し方ない部分もありますけれど、せめて本来の7割くらいまでには復活させたいと願っています。小同心クラックの後、その疲労がなかなか抜けません。『少し長い距離を歩く』シリーズは実践できそうにな...石津窪の遡行は僕の問題点を明瞭に示してくれました

  • 僕の肉体には重い疲労感が残っていましたが、休まずに小さな沢へ出かけました

    『標準コースタイムで歩く』シリーズを6回こなし、何とか標準コースタイムよりほんの少し短い時間で歩けるようになりました。続く第2ステージとして、『少し長い距離を歩く』シリーズをたった1回実行しただけでの小同心クラック。いきなりのレベルアップに僕の肉体は悲鳴を上げていました。でも、翌日以降に肉体に残った疲労感が凄かっただけで、山行中は問題なく体は動いていました。その疲労感は一週間後も残っていて、『少し長い距離を歩く』シリーズの2回目を実践する気にはなれません。(小同心クラック登攀の当日は全行動時間が休憩込みで11時間ですから、これは『少し長い距離を歩く』シリーズ№2ですね)それで、どういう計画を立てたかというと、こうです。短い沢の登下降を組み合わせたのです。ウルシゲ谷沢左俣、千ガ沢下降、棡葉窪、この3本です。...僕の肉体には重い疲労感が残っていましたが、休まずに小さな沢へ出かけました

  • 手術日が決まったとの一報が入りました

    今日の夕方、5時17分にI老健のS田さんから電話が入りました。S田さんからの電話ですから、何の件かは分かっています。でも、最初は「今日は市役所へ行ってレントゲンを撮って来ました」という話でした。うろ覚えなので、市役所なのかレントゲンなのか、正確には記憶していません。考えてみると、ちょっと変な気もしますよね。それはともかく、S田さんは「絶好調ですね。よく喋りますし」と言ってくださいます。続いて、「あっ、そうそう、今日、T病院からも電話が入りましたよ」とS田さん。(おいおい、この件の方がこの電話の一番の要件だろ!)胃瘻造設手術のスケジュールが決まったみたいです。7月25日(月)13時にT病院到着して欲しいということだそうです。恐らくは、翌日の26日に手術、その5~7日後に退院、そんな流れみたいですね。ですから...手術日が決まったとの一報が入りました

  • さっちゃんの胃瘻造設の件が動き始めました

    今日の11時半ころ、I老健のS田さんから電話が入りました。昨日が木曜日で主治医の先生の診察がある日でしたから、すぐに「来た~っ!」と思いました。S田さんの語る内容もまさにそれで、「胃瘻造設の手術をT病院にお願いすることになりました」とのこと。T病院は僕がいつも買い物をするスーパーの隣りの大きな病院です。「手術の日程はこれから検討するそうですから決まりましたら連絡します」と、S田さん。I老健入所後3ヶ月間、進展がありませんでしたけれど、とうとう動き始めました。僕も気持ちを新たにし、緊張感を持って日々を暮らそうと思います。さっちゃんの胃瘻造設の件が動き始めました

  • さっちゃんが家に戻って来るまでにやっておきたいことがあります。そのひとつが小同心クラックの登攀でした

    6月25~26日、八ヶ岳の小同心クラックを登攀しました。実に9年ぶりの岩登り本番です。2018年まではYYDのメンバーと沢登りする計画も立てていましたが、2019年以降はさっちゃんとしか歩いていません。さっちゃんが留守番を出来なくなったからです。2019年と2020年はさっちゃんと奥多摩の低山をハイキングしていました。2021年はそんな低山ハイクもさっちゃんには歩けなくなり、僕もどこへも行かなくなりました。せめてもと2020年10月から、さっちゃんがデイサービスへ行っているわずかな時間に天覧山ひとり岩トレだけは実践し続けました。クライミング能力はかろうじて最低限は維持し続けられたのですが、山体力は悲惨なレベルにまで衰えてしまいました。さっちゃんが大腿骨骨折で入院し、面接にも行けず、何も出来ない僕は、自分の...さっちゃんが家に戻って来るまでにやっておきたいことがあります。そのひとつが小同心クラックの登攀でした

  • 「なんて素敵な笑顔なんでしょう!」と、相談員のS田さんは言いました

    今週の月曜日、月に一度の相談員・S田さんとの面談がありました。僕は実に久し振りのハードな山行の影響で、月曜日と火曜日は疲労感に沈んでいて、ブログでの報告どころではありませんでした。水曜日になって、食欲も通常の感じに戻って来ました。ですから、やっとここにご報告できます。面談がスタートするとすぐに、S田さんが言うんです。「さっちゃんは最近笑顔をよく浮かべるんですよ!」「なんて素敵な笑顔なんでしょう!」「あんな表情をする人なんですね」そう、そう、そうなんですよ!さっちゃんの笑顔は最高なんですよ!僕も「我が意を得たり」と嬉しくてたまりません。認知症が重くなるにつれ、笑顔を浮かべることは少なくなりましたけれど、たまに浮かべる笑顔の素敵さは増したような気がしていました。それが大腿骨骨折で入院し、肺炎で救急搬送され、立...「なんて素敵な笑顔なんでしょう!」と、相談員のS田さんは言いました

  • 令和3年分の確定申告をしてきました。え~っ!? 今ごろ?

    遅ればせながら、今日やっと税務署へ行って、確定申告書を提出して来ました。今年は本当に忘れてしまっていたんです。2週間ほど前にそのことに気付き、すぐに作成しなければならなかったのですが、ウダウダと先延ばしにしてたんです。さっちゃんの大腿骨骨折による入院に始まり、肺炎による緊急搬送、老健への入所と、心落ち着かない日々が続きました。と言っても、僕は毎年確定申告書の提出は遅いんです。国民としては怠惰のそしりは免れませんが、いい加減で自堕落な僕にはそれが普通だったんです。一度(たった一度かい!)、3月に税務署へ行って提出したことがあったんです。でも、その人混みを嫌に感じて、二度と3月には行きたくなくなりました。それを過ぎると、人も少ないですしね。でも、悪いことだという自覚はあるんですよ。決められた日時は守らなければ...令和3年分の確定申告をしてきました。え~っ!?今ごろ?

  • 今回の日陰名栗沢は僕の新しいステージへの第一歩になると思います

    さっちゃんも僕も決して強い登山者ではありませんでした。クライミングもさほど上手なわけでもありませんでした。せいぜい中級の下、あるいは初級の上くらいのレベルだったと思います。でも、二人でザイルを組んだりして、少しずつ自分たちの行きたい範囲を広げていきました。二人とも山が好きで、山の自然が好きで、その中に浸ることが大好きだったからだと思います。毎週のように二人で、あるいはそこに山仲間を加えて、山行を繰り返しました。さっちゃんとの濃い想い出は山の中にあります。ですから、僕はいつまでも山の中に浸っていたいと思うのです。2020年12月6日がさっちゃんと歩いたハイキングの最後になってしまいました。それから1年間は、僕自身も山に行けない日々が続きました。僕の山体力はさっちゃんに恥ずかしいレベルまで落ちてしまいました。...今回の日陰名栗沢は僕の新しいステージへの第一歩になると思います

  • 深夜の雨や昼の雷雨でびしょ濡れの天覧山、でも、充実した岩トレが出来ました

    山岳会に所属するメリットは次の2点にあると思います。①山の仲間と出会うことが出来る。②山の技術の教育システムがある。僕自身に関しても、①については今のYYDで十分に享受しています。②に関しては、僕は年配者であり、様々な山行の経験者ですから、教える側の人間になることがほとんどです。以前30年間ほど所属していた山岳会で、僕のお師匠さんから様々教えてもらいました。岩登り、雪山、アイスクライミング、冬の岩稜登攀、等々。という訳で、僕は新人2名の岩登りトレーニングを担当することになったのです。梅雨の真っ最中ですから、天気が心配でしたが、何とかトレーニングすることが出来ました。詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでください。YYDの新人2人が天覧山で初めての岩登りトレーニングをしました▲13:41。天覧山最下部の岩場...深夜の雨や昼の雷雨でびしょ濡れの天覧山、でも、充実した岩トレが出来ました

  • サイドFIRE、この言葉からさっちゃんへの感謝を抱きました

    僕はまったく知らない言葉だったのですが、山仲間からサイドFIREという言葉を聞きました。彼は働き盛りの年齢で、多忙な毎日を過ごしています。趣味の登山に自由に打ち込みたいと思っていても、なかなかそうはいきません。そんな流れの中で出て来た言葉がサイドFIREでした。ネットで調べてみると、その意味はこんなものです。サイドFIREとは「不労所得で生活費の半分を賄い、残りは働いて稼ぐ」というFIREの中間的な考え方です。仕事を全くしなくても生きられる状態がFIRE、不労所得とちょっとした仕事で生きられる状態がサイドFIREというイメージです。要するに、どれだけ不労所得を積み上げるかの違いなので、FIREを目指す過程で一定の目標を超えればサイドFIRE達成です。サイドFIREの正確な意味をまだ知らない時に、僕は彼に以...サイドFIRE、この言葉からさっちゃんへの感謝を抱きました

  • 久し振りに散歩すると、さっちゃんとの思い出ばかりが心に浮かびます

    今日はコンビニに用事があったので、ついでに散歩もしました。本当に久し振りの散歩です。日没はまだまだ2時間ほど先ですから、綺麗な写真は期待できません。でも、カメラは持って行きました。すると、歩き始めてすぐに驚きの出会いが。▲16:16。長い間、姿を消していた野良猫との再会です。実に1年ぶりくらいでしょうか?元気そうです。さっちゃんは猫を見ると、嬉しそうでした。一度なんかは、「ネコ!」と言葉に出して、猫がいることを僕に教えてくれたこともありました。意味ある言葉がほとんど出なくなっていた頃だったので、僕は本当に驚きました。多摩川土手を歩いていると、土手の北側に黄色のキク科の花がたくさん咲き誇っていました。▲16:20。毎年、この場所で咲くオオキンケイギク(大金鶏菊)かなと思います。毎年、この花を指差して「綺麗だ...久し振りに散歩すると、さっちゃんとの思い出ばかりが心に浮かびます

  • さっちゃんと10年前に登ったシダクラ尾根をYYDの仲間と歩きました

    いろいろと考えることがあって、前日の土曜日にYYDの山行に参加させてもらうことにしました。入会者募集のための体験山行&地図読み山行で、奥多摩のシダクラ尾根を登る山行です。多摩川をシダクラ橋で渡ると、正面の尾根がシダクラ尾根です。ところが、この日のリーダーであるK藤さんは左下のシダクラ沢へ下っていくじゃあありませんか!「あれっ?シダクラ尾根は真正面の尾根だよ!」と僕は呼び止めます。そんな僕にはお構いなく、みんなシダクラ沢へ向かい、沢を渡って、対岸の尾根を登り始めます。K藤さんは山行計画書に添付してあった地形図を僕に見せて、「ここがシダクラ尾根ですよ」と言うんです。反論しても意味がないので、「まっいいか。初めての尾根を登れるわけだし」と思うことにしました。途中でシダクラ峠との道標が出て来ると、「ほら、この尾根...さっちゃんと10年前に登ったシダクラ尾根をYYDの仲間と歩きました

  • Y山さんの沢登りに参加しました。実力を付けつつあるメンバーと共に遡行するのは楽しいですね

    先日の5月29日(日)、奥多摩の鷹ノ巣谷へ行きました。YYDのY山さんの計画した沢登りです。彼とそのグループは今年は更なる実力向上を目指して頑張っています。伸びつつある姿を見るのは、嬉しくて楽しいですね。慎重さは失わず、大胆に挑戦して欲しいですね。この日は大滝までの往復計画でしたから、体力的には比較的楽でした。沢歩き、岩場やゴーロでの足さばきや体さばきが重点ポイントになっている僕にとっては良いトレーニングになったと思います。思い出や感じたこと面白い挿話などは『ザイルと焚火と焼酎と』に書きましたから、読んでみてください。登山や沢登りに興味の薄い方には長すぎる文章ですが、飛ばし読みでも大丈夫ですよ。YYDの山行で、鷹ノ巣谷を大滝まで往復して来ました▲YYD最年長の僕(左)と2番目のK田さん(右)。(撮影:Y山...Y山さんの沢登りに参加しました。実力を付けつつあるメンバーと共に遡行するのは楽しいですね

  • I老健へ行き、S田さんとの面談がありました

    昨日の月曜日は1ヶ月ぶりの面談がI老健でありました。3時5分前に着くと、洗濯済の寝巻き等を渡し、新たな洗濯物を受け取りました。先週の金曜日に入浴して着替えた寝巻きと肌着と靴下でした。玄関先で待っていると、相談員のS田さんが現われて、面談室で待つように言われます。S田さんが面談室に入って来て、最初にこんなことを言われました。「ケアマネさんとは連絡は取っていますか?」「今後もずっとさっちゃんのケアマネさんでいてくれそうですか?」ケアマネのT口さんとは具体的な用事もないので、確かに連絡回数は減っていて、1ヶ月に1回くらいになっています。それにT口さんとの関係性も悪くはありませんから、当然ずっとケアマネさんであり続けてくれることに、疑問は抱いていませんでした。ところが、です。S田さんがおっしゃるには、さっちゃんが老健等...I老健へ行き、S田さんとの面談がありました

  • さっちゃんに会えないことに慣れてしまう自分がいます

    老健に入所してからというもの、さっちゃんの様子がほとんど分からなくなってしまいました。病院に入院している時の方が医師からの説明があったり、担当看護師さんからちょこちょこと話が聞けたりしていました。病院の方が入院している患者とその家族との距離が、このコロナ禍にあっても老健よりはずっと近いように感じます。病院は僕でも簡単にナースステーションまでは近づけました。さっちゃん担当の看護師さんを呼んでもらって話を聞くことも容易でした。でも、老健はさっちゃんの居る3階まではもちろん入れませんし、玄関先で用事を済ますしかありません。相談員のS田さんも常に多忙そうですし、気軽に声を掛けてもいい雰囲気はありません。老健という施設は、コロナ禍だからかもしれませんが、さっちゃんと僕との間に高くて分厚い壁を置いているようです。11月末か...さっちゃんに会えないことに慣れてしまう自分がいます

  • 奥多摩の長尾谷を遡行しました。20年以上昔のさっちゃんのリハビリを思い出しました

    3年半のブランクの後、沢登りを再開すると、滝を登ったりする以前に、沢を歩くことが下手になっていることに気付きました。岩がゴロゴロしている、平坦ではない地面を歩くことが沢登りの基本なんでしょうね。それで思い出したことがありました。さっちゃんは1998年2月に雪の愛鷹連峰で滑落し、右膝を骨折しました。2回の手術とトータル9ヶ月の入院生活の末、やっと退院できました。病院でのリハビリの他、普段からよく散歩をするようにしてたのです。中でもよく歩いた場所があります。それは多摩川の河原でした。石っころが敷き詰められたような河原です。小石ばかりではなく、漬物石くらいの石や、それ以上のサイズの石も転がっています。そんな河原を歩くと、普通に道路を歩いたりリハビリルームで頑張ったりしても、出来ないリハビリが出来るんです。微妙な脚の筋...奥多摩の長尾谷を遡行しました。20年以上昔のさっちゃんのリハビリを思い出しました

  • つづら岩でマルチピッチを久し振りにちょこっとだけ体験。次に向けてのステップですが、その内容はまだ秘密・・・・

    僕の山体力がある程度戻って来ると、僕の心の中にやりたいことが波のように次々と押し寄せて来ます。さっちゃんは7月には老健を退所するでしょうから、とりわけそれまでにしておきたいとの気持ちが強まります。本当は梅雨入り前に実行しておきたかったんですけれどね。でも、梅雨に入ってから運よく晴れた週末に実行できればと今は考えています。それを実現させるためのワンステップとして、つづら岩へ行きました。詳しくは『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。つづら岩も3年半ぶりです。ダブルザイルの練習をしました▲13:58。つづら岩の南面です。高さ40m、幅60mあります。*********今日の午後、降り続いていた雨がやんでから、I老健へ行きました。洗濯済の寝巻き3着を届けに行ったのです。入浴以外で、寝巻きを汚したりして洗濯が必要...つづら岩でマルチピッチを久し振りにちょこっとだけ体験。次に向けてのステップですが、その内容はまだ秘密・・・・

  • とうとう3年半ぶりの沢登りの再開に辿り着きました!

    まだまだ十分な山体力には遥かに及びませんが、最低限度のレベルにまでは何とか戻れたかなと思っています。ですから、5月にもなりましたし、3年半もの長きブランクのある沢登りを再開することにしました。嬉しいです!やっとここまで来ました!詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。3年半のブランクを越えて、易しいシダクラ沢を遡行しました▲10:59。久し振りの沢にどっぷりと浸かって、心が躍ります。もっと長い沢、もっと登攀的な沢、もっとザックの重い泊りの沢、そんな沢への道筋はまだまだ遠く感じます。沢を歩く足取りも不安ですし、緑内障の影響でしょうが、足元を確信持って見定めることが出来ません。本当にここに足を載せても大丈夫か?滑らないか?不安感が付き纏います。以前のように跳ねるように歩き登ることは無理でしょうから、安全...とうとう3年半ぶりの沢登りの再開に辿り着きました!

  • I老健に洗濯物を取りに行きました。S田さんから聞けたことは・・・・

    久し振りの好天で今日は洗濯日和。日曜日につづら岩へ行った際の僕の衣服中心に洗濯しました。午後の少し暑さが和らいだころ、洗濯したさっちゃんの寝巻き、肌着、靴下を持って、I老健へ行きました。先週の水曜日からの1週間分のさっちゃんの洗濯物も受け取りました。入浴のたびに着替えるのが基本ですから、入浴のある金曜日と火曜日の着替え分がありました。それぞれ、寝巻き、肌着、靴下です。他に寝巻きが1着ありました。湿気った状態でありましたから、入浴時以外で寝巻きが汚れたんでしょうね。ところで、さっちゃんは寝巻きを6着持っているはずです。いま着ている1着、今日持って行った洗濯済の2着、今日受け取って来た3着、これで6着ですよね。来週の水曜日に訪れることにしたのですが、火曜と金曜の入浴で着替えたら、それでギリギリですね。入浴以外で洗濯...I老健に洗濯物を取りに行きました。S田さんから聞けたことは・・・・

  • GWに秩父の低山徘徊をしました。青空も新緑もまばゆいほどでした

    GWには2回山へ行きました。まだまだ重荷を背負って雪の春山へ行ったり、泊りの沢へ行ったりの山体力はありません。数年前の山体力と比べても、やっと5割くらいに復活しただけだと思います。GWの5月3日、楽しそうな計画が出ていたので参加することにしました。計画者はT原さんで、西丹沢の畦ヶ丸で一緒でしたから、今の僕の状態はよくご存知です。詳細は『ザイルと焚火と焼酎と』をお読みください。YYDの仲間と秩父の釜ノ沢五峰と品刕(しなしゅう)を歩きました。何とか迷惑をかけずに歩けるレベルになったかな、と思いました▲11:33。長若天体観測所からの眺め。北側だと思います。さっちゃんとのGW山行の思い出も振り返って見ました。GWらしい最後の山行は尾瀬だったんですね。確か、佐々木さんが声をかけてくださって実現したんだと思います。201...GWに秩父の低山徘徊をしました。青空も新緑もまばゆいほどでした

  • さっちゃんのこといろいろ・・・・

    今日は天気も良かったので、自転車に乗って2ヶ所で支払いをして来ました。最初の1件はさっちゃんが大腿骨骨折で入院していたA病院です。GW最中の5月2日、A病院から電話がありました。「未払い分が1120円あるのでお知らせします」え?僕は驚きました。「支払いは退院する際に精算したんですけれど」と言うと、「ちょっと待ってください。調べて再度電話しますね」との返答。数分後、電話が来ました。「3月1日に発熱外来に来られましたよね。・・・・」「あっ!そうです、そうです。思い出しました。分かりました」「では、GW後にでも病院のカードを持って、支払窓口まで来てくださいね」もう1件はGW前に請求書が郵送されてきました。I老健に入所した4月11日、関連病院で診察を受けたのですが、その時出された薬の代金です。その病院の隣りにある薬局か...さっちゃんのこといろいろ・・・・

  • 1ヶ月前の西丹沢バリエーション山行です。この山行を転機に山体力復活に光明が射して来たように感じます

    僕の山行記録もこの4月9日(土)を書き終えましたから、やっと5月の山行に追い付きました。5月3日(火)と6日(金)の山行記録が残るだけになりました。山行をしてすぐに書き留めないと、やっぱりどうしても印象は薄らいできます。上記2つの山行も今週中には書き終わりたいですね。この西丹沢の山行への参加はけっこう悩みました。計画したT原さんが健脚だということもありますが、その頃の僕にとっては距離も長く標高差もある山行計画だったからです。山行を計画したT原さんに参加を申し込む際、次のようなメールを送っています。僕自身がまだ自分の山体力に自信がないことが如実に表われていますね。『T原さま畦ヶ丸の山行ですが、山体力の落ちた僕でも参加できますかね?山体力が落ちているのは確かなんですが、YYDのメンバーと一緒に歩いて、自分だけで歩く...1ヶ月前の西丹沢バリエーション山行です。この山行を転機に山体力復活に光明が射して来たように感じます

  • I老健へ洗濯物を取りに行くと・・・・

    先週の水曜日に洗濯物を取りに行くと、1週間たったのに洗濯物はありませんでした。それから1週間、昨日また洗濯物を取りに行きました。午後に洗濯物を取りに行くことは伝えてありますし、顔も覚えられたのでしょうか?僕の姿を見ると、事務の方が洗濯物置き場を探し始めました。洗濯物はありました。パジャマタイプの寝巻き1着、肌着1着、靴下1足が入っていました。すると、S田さんが僕の方へ歩み寄って来て、こう言います。「看護師さんがさっちゃんの様子を話してくれるそうですから、そこ(椅子)に座って待っていてください」すぐに看護師さん(看護師長だったかな?)が来てくださって、隣りの椅子に座り、話してくださいます。食事(経管摂取ですけれど)については、「朝の10時と夕方5時ころに食事をしています」「400kcalずつ、1日に800kcal...I老健へ洗濯物を取りに行くと・・・・

  • 一ヶ月以上前のYYD伊豆ヶ岳東尾根地図読み山行に参加した記録です

    3月27日(日)に僕はYYDの仲間と伊豆ヶ岳東尾根を歩きました。さっちゃんの痰の吸引について悩み考え、胃瘻造設の決断をしたころです。さっちゃんの状態がどうであろうと、コロナ禍では面会も出来ず、僕には何も出来ることがありません。鬱々とし続けているよりも、せめて肉体的には元気であろうと山を歩くしかありません。さっちゃんは以前からよくこんな風に言っていました。「山を登れなくなったら、私はどう生きて行けばいいの」と。それほどさっちゃんは山が好きでした。なので僕はさっちゃんが山を歩ける限り、一緒に山を歩き続けました。それも2020年12月6日が最後でした。80歳を過ぎても山歩きしていたのですから、一般的な感覚では十分山を楽しんだ人生だと言えるでしょう。でも、僕はそうは思いません。おそらく、さっちゃんも同様でしょう。もっと...一ヶ月以上前のYYD伊豆ヶ岳東尾根地図読み山行に参加した記録です

  • 洗濯物を取りに行きましたけれど、ありませんでした。さっちゃんに何かあったのか心配です

    昨日「洗濯物を取りに行きます」と電話を入れておいたので、今日I老健へ行って来ました。でも、洗濯物はありませんでした。先週の水曜日に寝巻き4着など、たくさん洗濯物があって、金曜日にそれを洗濯して届けました。金曜日と火曜日に入浴し、着替えもするようなので、今日行けば2着はあるはずと思っていました。それが、1着もないんです。さっちゃんが入浴できないような事情があったのでしょうか?入浴はしたけれど、着替えは出来なかった事情があるのでしょうか?入浴できなかったのなら清拭などはしたのでしょうか?月曜日のS田さんとの面談の中ではさっちゃんの体調は問題ないとのことでした。ですから、体調が悪くて入浴できなかったことはないかと思われます。それとも、予測も出来ないようなもっと別の理由があるのでしょうか?分かりません。先日、スタッフの...洗濯物を取りに行きましたけれど、ありませんでした。さっちゃんに何かあったのか心配です

ブログリーダー」を活用して、さっちゃん 空を飛ぶさんをフォローしませんか?

ハンドル名
さっちゃん 空を飛ぶさん
ブログタイトル
さっちゃん 空を飛ぶ
フォロー
さっちゃん 空を飛ぶ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用