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毛利元就家臣団列伝 http://blog.livedoor.jp/sakonsimotukenokami/

趣味で毛利元就を調べております。興味のある方は、是非足を運んで頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

素人が趣味で研究しているブログです。宜しく願います。

佐近下野守
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2017/07/12

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  • 第21話【猿掛城について】

    【猿掛城について】 前面を多治比川が流れ、本丸の南側には土塁や堀切。出丸や物見丸、山麓には館を配した典型的な中世の山城である。元就が青少年期を過ごした城として知られ、麓の悦叟院の森には、父弘元と母福原夫人の墓が並んでいる。 猿掛城は吉田盆地の北西方に

  • 第20話【猿掛城へ隠居】

    【猿掛城へ隠居】3月29日、幕府と大内家の勢力争いに巻き込まれた父毛利弘元は33歳のとき、隠居を決意。まだ壮年であったが、病を得ていたのかも知れない。弘元は、任を解かれて吉田へ帰ると間もなく、多治比300貫の領地、その他、郡山城をはじめとする毛利氏の本

  • 第19話【家女房】

    【家女房】家女房は弘元の側室で難波氏の出というだけで名前も年齢も伝わっていない。別名に御袋様とも呼ばれる。父は難破勘兵衛元房、或は佐々木某と諸説があるが定かではないが、三男元綱、次女八幡の上様、三女相合の大方、四女松姫、五女竹姫の一男四女を儲ける。郡

  • 第18話【小領主毛利弘元】

    【小領主毛利弘元】 毛利氏の本拠は、安芸高田郡の吉田の里。中国山脈の山裾に近い平明の地だが、安芸は20を超える土豪が割拠していた。毛利氏の居城郡山城は可愛川を裾に巻く丘陵の一端にあり、もとより小規模である。父弘元は、文明八年(1476)、元就の祖父豊

  • 第17話【古河内守 井上光兼】

    【古河内守 井上光兼】 明応8年(1499)11月、将軍の座を追われた足利義稙が義興を頼って周防山口へ下向するに及び、毛利氏は大内家に従い京へ従軍。そのため父弘元は、ほとんど郡山城にはいなかった。 内政面では、井上惣領家の井上光兼が、この頃に隠居。惣

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