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愛に恋 https://pione1.hatenablog.com/

晴読雨読、乱読遅読の独歩人生を送っております!

人との出会いはめっきり少なくなりましたが、新刊、古書を問わず本との逢瀬はこれからも大事にしていきたいと日々、思っています。

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2017/07/10

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  • 「ムーンライト・セレナーデ」 世の儚さを思う

    今日、仲宗根美樹さんが亡くなったが、本当に毎年毎年、先輩方が多く亡くなって昭和はどんどん遠くなっていく。日本映画で母を演じ2012年7月9日に95歳の人生を閉じた山田五十鈴は、日本が誇る溝口、成瀬、小津、黒沢という四巨匠の名作に出演し、女の業の深さを演じきった女優は他にいない。人生の大先輩が亡くなるにつけ、一縷の寂しさが横切る昨今、こうして閏年も過ぎていくのだと世の儚さを思う私です。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。逆に大谷選手の結婚はお隣韓国でも大ニュース。あるテレビ局ではどこへいっても大谷結婚の話で持ち切りだったとか。私などが再婚しても町内のニュースにもならないのだが。おやすみなさ…

  • アレクサンドラ・ダダリオ Part.5

    2017 アレクサンドラさん、いい名前ですね。国王みたいな名前のアナタを待っていたんです。 私にアレクサンドラと呼ばせてください。 アナタの特徴は目です。 ぞっとするようなその目でいつも私を見つめてください。

  • ルビンの壺が割れた 宿野 かほる

    映画にしろ小説にしろ、最近よく見かけるのが「衝撃のラスト」こんな文字に踊らされて読んでみたら、なんのことはない、そんなことかとガッカリさせられることはないだろうか。本書は専門家が読んでも「何とも分類しようない小説」「万華鏡のような作品だ」と頭を傾げる。確かに何ともいえないラストが待ち受けている。本書を読む場合は必ず前から読み進めてほしい、決してラストのページを捲らないように。これほどの驚きは滅多にないかもしれない。因みに「ルビンの壺」というのは、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した図形で、見方によっては「壺」に見えたり「向き合った二人の顔」に見えたりするという不思議な絵で、人間の認知…

  • カール・ラーション 1853年5月28日 - 1919年1月22日

    カール・ラーション 《玩具コーナー》(1897年) 《ストックホルムの冬(屋外の画家)》(1866年) 《クリスマスと新年の間》(1899年)スウェーデン国立美術館 《史跡巡りをする夫妻》(1906年) 《カーリンの命名日のお祝い》(1899年)カール・ラーション・ゴーデン 《子供たちの就寝後》 《ケルスティの誕生日》(1909年) 《ブリータと私》 《ベンチに横たわる女性》(1913年) シエスタの時間 《かくれんぼう》(1901年) カール・ラーション・ゴーデン 初めての登場です。スウェーデンの画家で油彩・水彩ともに多数の作品を残し、フランス印象派の画家に多大な影響を与えたとされる。自身の…

  • ダメオのスター・ツーショット Part.6

    Leslie Howard and Ingrid Bergman on the set of Intermezzo, 1939 Maurice White and Natalie Cole photographed by Frank Edwards, 1978 Spencer Tracy and Clark Gable in BOOM TOWN (Jack Conway, 1940 John Coltrane and Miles Davis 1930年、ベルリンのアインシュタイン邸のタゴール Gwyneth Paltrow & Julia Roberts Monica Bellucci & S…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 阿漕平治伝説

    三重県の県都は津市である。JR紀勢本線の津駅から、南に行った二つ目の駅が阿漕(あこぎ)駅だ。ここの海は、伊勢神宮に供えるために、かつては禁漁区だった。阿漕という名の漁師が密漁したために海に沈められ、地獄に落ちても責め苦を負う。その来歴を描いたのが謡曲「阿漕」や文楽「勢州阿漕浦」であり、ここの地名はそこから付けられたという。「強欲で、しつこい」を意味する「阿漕な」は、その伝説から出た言葉なのだ。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。つまり、阿漕平治伝説ですね。おやすみなさい、また明日。

  • 人間失格 太宰 治

    太宰の文学的評価というのは未だに確定していないらしい。一般的の日本文学といえば、谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成、三島由紀夫などの名前が挙がり、太宰というと私小説作家の代名詞みたいな感覚なんだろうか。私はといえば、これまで作品よりは太宰と近しかった友人、妻、愛人などが書き残した文献などを中心に読んできた節がある。いったいに太宰とは何者なのか。全否定か全肯定しか許されないという評価もあるが、全否定の象徴となったのが三島由紀夫だろう。「私はアナタが嫌いなんです」と本人を目の前に堂々と言ってのけた。蛇足的な話だが、私は16歳のころから女性問題で周辺に迷惑をかけまくった。銃刀法違反で警察に捕まり、翌年に…

  • シャーリーズ・セロン Part.8

    2010 シャーリーズさん、アナタの名演技はよく分かっております。 とんでもない女優さんですよね。 併し、このような写真をみているとアナタも相当エロいのですね。 ますます好きになりました、私を知ってもらうためにも是非お話したいです。 私の街のコメダに行きませんか。

  • 滝平二郎 part.31

    《夏の終わり》 《行く夏》 《夏が暮れる》 《後悔先に立たず》 《お月さまいくつ》 《秋の野》 《落日》 《山ぶどう》 《赤とんぼ》 《うさぎ 》

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 阿部正弘の時代

    今の時代、50歳で総理大臣になればかなり若手だと言われるだろう。併し、江戸の昔は違った。数えで15歳になれば成人扱いだ。頼りにならない将軍家定を補佐して四年の間、老中阿部正弘は心身を酷使した。ペリーの二度の来航の時の対応、ハリスの下田総領事館の開設、日米和親条約の締結をはじめ各国との同条約の調印も、すべて正弘が決断したものだった。日本の開国という歴史上の大転換は、まさに阿部正弘の時代に決定されたものだ。内政面では、二度の安政の大地震、京都大火で皇居焼失。それら復興に忙しいなかに、国防の手当てを諸藩に命じて江戸湾防衛隊動員や台場作り、幕府の重しとしての任務に疲れ果てたのか、三十九歳の若さで安政四…

  • パウル・クレー Part.12

    《おしゃべりな男》 《北極の露》 《戦闘準備のできた大帝》 《論争》 《女の仮装衣装》 《紫と黄色の運命の響きと二つの球》 《金色の緑のあるミニアチュール》 《アフロディテの解剖学》 《透視-遠近法的な》 《無題(花と蛇)》 いつもながら解りませんね。 もっと、私が欲しくなるような絵を描いてくださいよ。 どれもこれも欲しくない作品ばかりです。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 『悲しめる友よ』永瀬清子

    悲しめる友よ、女性は男性よりさきに死んではいけません。男性よりも一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。男性が一人あとに残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから。あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。これらのことはどこの田舎の老婆も知っている事であり女子大学で教えないなのだ。『悲しめる友よ』永瀬清子。「ムーンライト・セレナー…

  • ジェニファー・ローレンス Part.10

    2014 2018 2019 ジェニファーさん、美人でスタイル抜群、何を着ても似合いますね。そんなアナタは私の横にいると、なお、その本領を発揮すると思います。 いや、アナタに横に私はいるべきなんです。 二人はお似合いのペアだからです。 そう運命付けられていると確信しているんです。 さあ、どうぞ私の横に。

  • インビジブル 坂上 泉

    昭和29年、大阪城付近で政治家秘書が頭に麻袋を被せられた刺殺体となって見つかった。大阪市警視庁が騒然とするなか、中卒の若手・新城は初めての殺人事件捜査に意気込むが、上層部の思惑で、国警から出向してきた帝大卒のエリート・守屋と組むことに。全てが正反対のふたりは衝突を繰り返しながら、戦後大阪に広がる巨大な闇に迫る。昭和29年といえば、まだ国内整備も完全ではなく犯罪も多かったろう。人権意識も薄く警察による暴力も頻繁に起きていたのだはなかろうか。まったく違う個性の二人が、ただ一つ犯人を追う執念だけは一致していた。

  • マックス・ベックマン Part.2

    《自画像》(1917年) 《カーニバル》 《黄色い猫の少女(灰色)》(1937年) 《ダブルポートレート》 《ペルセウス》 《メッシーナ地震》 《十字架からの降下》(1917年) 《バンドミュージカル》 《マックス・ベックマンの夜》 《フランクフルトのニース》 第一次世界大戦に衛生兵として参加するが、戦場での経験から、神経衰弱に陥り、除隊。この経験は彼の芸術に大きな影響を与え、表現主義のスタイルの作品を描くようになった。 1915年にフランクフルトの美術学校で教えた。1930年代までのナチスの台頭を反映して、彼の作品はリアリズムと社会批評を含むようになった。ナチスの権力が強まった1933年に、…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 清談ををしたくおもいます

    清談ををしたくおもいます。物価、税金の話、おことわり。人の悪口、噂もいや。我が子の報告、逐一もごかんべん。芸術づいた気障なものも、やだし、うけうり清談、ふるふるお助け!。日常の暮らしからは、すっぱり切れて、ふわり漂うはなし、生きてることのおもしろさ、おかしさ、哀しさ、くだらなさ、ひょいと料理して、たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか。私もうまくできないので憧れます。求む、清談の相手。女に限り、年齢問わず、報酬なし。当方四十歳(とし、やや、サバよんでいる)茨木のり子。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。NHKスペシャル「戦場のジーニャ ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~」を見た。戦場…

  • マンガでめぐる考古遺跡・博物館 今井 しょうこ

    私がいくら歴史好きだからといっても、遡ることせいぜい源平時代まで。古代史はもっとも苦手な時代で、〇〇の尊(みこと、皇子なんていうもはさっぱり分からない。だいたい、長い天皇制の間に卑弥呼が存在していたわけで、その時代に天皇は何をしていたのかも知らない。著者は考古学に並々ならぬ興味があるようで、全国の博物館に行ってはマンガ解説書を書いて、分かりやすく説明している。そもそも考古学や民俗学には、ある特定人物が登場しないところに、私の興味が注がれないのだと分かっているので、今後ともこの手の学問に興味が持てるとは思はないが。

  • ジョルジュ・ロシュグロス 1859年8月2日 - 1938年7月11日

    ジョルジュ・ロシュグロス 《古代の戦士》 《民衆に連行されるルキウス・ウィテッリウス》 《サランボーと鳩》 《メッサリナの死》 《女優サラ・ベルナール》 《オダリスク》 《アラビアの女》 《花の騎士》 《アンドロマケー》 《バレリーナ》 フランスの画家である。最初は歴史画を描いたが、後には「オリエンタリズム」の画家として、中東趣味の女性を多く描いた。オペラのポスターなどの原画も描いた。

  • 尼港事件

    日本人はすっかり尼港事件を風化させてしまったが、ロシア内戦中の大正9年3月から5月にかけてアムール川の河口にある日本人統治状態にあったニコラエフスクで発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件、尼港虐殺事件や(ニコラエフスク事件)を記憶しておいてほしい。港が冬期に氷結して交通が遮断され、孤立した状況のニコラエフスクを、パルチザン部隊4,300名が占領し、停戦協定を無視して白軍を武装解除、白系ロシア人とみなしたニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行った。それとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求。これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍艦隊と共同で殲滅すると、老若男女の別なく、最終的に…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 詩人、茨木のり子は書く

    詩人、茨木のり子は書く。「男性は何歳になっても、わんぱく小僧時代と変わらないで、やりたい放題、ちらかしっぱなし、どうともなれ式に息絶えます。そのぶざまさを人々の目から隠し、きれいなジ・エンドとして形を整えてあげ、水がいっぱいでもちあげきれない壺を抱えてゆくような悲しみに耐えるのが女の本当の仕事なのだと言っている。」うん・・・、男の私からは、そうだとは言い切れませんね。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ゼレンスキー大統領は24日、国民向けのビデオ演説で「730日分勝利に近づいた」と述べ、改めて国民の結束を訴えた。3年目に突入した戦争の出口は見えないままだが、私もウクライナの勝利を信じてい…

  • グスタフ・クリムト part.10

    《ヒュギエイアの杯》(1907年) 《愛(Liebe)》 (1895年) ウィーン・ミュージアム カールスプラッツ 《リンゴの木》(1912年) 個人蔵 《ヴァイセンバッハの森の家Ⅰ(アッター湖畔のカントリー・ハウス)》(1914年) オーストリア・ギャラリー 《ひまわりのある農場の庭》(1913年) 《踊り子》 《女性の肖像》(1894年頃) オーストリア・ギャラリー 《ブナの森Ⅰ》(1901-1902年) 《ソニア・クニプスの肖像》(1898年) ウィーン・オーストリア美術館 《ヘレネ・クリムトの肖像》 (1898年) クリムトの姪ヘレネの肖像画。ヘレネ、六歳の頃。 クリムトさん、アナタの…

  • 偉人伝 part.14

    ウィリアム・サマセット・モームです。『月と6ペンス』『人間の絆』を読みましたが、これ以上はもう読まないと思うがどうだろうか。アイデアが出ない時は、ひたすら自分の名前を繰り返しタイプライターで打ち続けていたとか。今ならパソコンですね。 ご存知、エディット・ピアフです。有名な「愛の讃歌」の歌詞は、ピアフがアメリカ初公演時に出会い、恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられる。セ…

  • 妄想仏像見学会 part.16

    『妄想仏像見学会百五十一』は【福井・羽賀寺/毘沙門天立像(1178年)】です。像高約159cm。 『妄想仏像見学会百五十二』は【京都・東寺/持国天(839年)】です。高さ1.8m。 『妄想仏像見学会百五十三』は【群馬・不動寺/不動明王像(1251年)】です。像高165cm。 『妄想仏像見学会百五十四』は【奈良・興福寺/法相六祖坐像(1189年)】計6体です。像高73~85cm、仏師康慶の作。像名は寺伝では常騰、神叡、善珠、玄昉、玄賓、行賀とされているが諸説ある。 『妄想仏像見学会百五十五』は【岩手・天台寺/観音菩薩像(平安後期)】です。像高118cm。 『妄想仏像見学会百五十六』は【三重・連光…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 維新以来77年の努力が水泡に帰した終戦だった。

    若い人にとってはピンとこないと思うが、私が生まれる前のそう遠くない過去、日本は主権国家ではなかった。つまり独立国家ではなく、天皇及び日本国政府はマッカーサー元帥に従属しており、一切の命令に服することをポツダム宣言で約束していた。国家主権は停止されており、外交、立法、行政、司法すべて最高司令官の指揮監督下にあった。かくて最高司令官は、財閥解体、農地解放、教育制度改正など、従来占領軍に認められていたハーグ陸戦法規上の権利を遥かに超えた絶大な権力を行使していた。既に陸海軍はなく航空機、艦船は全て消滅しピストルひとつない有様で、明治以来、営々と築いてきた帝国陸海軍も憲法も全て藻屑と消え、元老、重臣など…

  • ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか—民主主義が死ぬ日 ベンジャミン・カーター・ヘット

    ペリー来航の1853年から明治維新までの1868年の15年間、この幕末といわれる時代をドイツ人が勉強するとなるとかなり厄介で難しいと思う。武家、大名の名前のややこしさから、無数に出て来る人物。朝廷と幕藩体制の関わり方、目まぐるしく変わる政局など、日本人が覚えるにも大変だが、逆に第一次大戦後の1919年、ヴァイマール共和国誕生からナチ政権誕生の1933年までの14年間を日本人が勉強するとなったら、これまた厄介だ。ドイツ人の長ったらしい名前と発音の難しさ。各政党から無数に出て来る人の多さ。日本人だから幕末に関する多くの著作物を読めたが、ドイツ語が読めないのでヴァイマール時代の人物の伝記など読めない…

  • リンダ・カーター Part.12

    21歳 リンダさん、スタイル抜群のリンダさん、美人のリンダさん。どうしたってアナタに相応しいのは私しかいないでしょ。 アメリカ中、何処を探したって私以上の男はいませんよ。 一度会ってもらえれば分かります。 ねえ、じっくり話し合いましょうよ。 いかに私がアナタに適しているか分かるはずです。 もうアナタなしでは生きられない私なんです。

  • ジェームズ・ティソ Part.7

    《夏》(1878年) 個人蔵 《静粛に》(1875年頃) マンチェスター美術館 《教会》(1865-1869年頃) 個人蔵 《姉の絵》 《俄から嵐》(1877年) ビーヴァーブルック美術館 《幻影》(1885年) 個人蔵 《ロイヤル通りのサークル》(1868年) オルセー美術館 《ブライズメイド》(1883年~1885年) 《二人の姉妹》(1863) 《天地創造》(1896〜1902年頃) ティソさん、肖像画や人物画ばかり描いていたアナタが、またどうして天地創造なんですか。それこの作品、何がどうなっているのかさっぱり解りません。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 「核要塞」

    昭和20年、海軍大将鈴木貫太郎内閣の外務大臣だった東郷茂徳は、2月上旬に米英ソがクリミアでヤルタ会談を行ったのも知らず、ソ連に和平案を頼もうとしていた.。近衛文麿元首相を特使として派遣するように努力していたが、なんとも迂闊な話だった。中立条約の不延長を宣言されながら、天皇制護持を条件にソ連に縋ろうとしていたのだ。併し、8月、ソ連軍は雪崩を打って満州に侵攻し大日本帝国は未曾有の危機に立たされる。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。そして今、日本の北方に、ロシアの「核要塞」が広がっている。共産党などは大軍拡時代などと言っているが、今後50年、平和が保てると誰が保証できるのだ。決して現在の世界…

  • 首里の馬 高山羽根子

    ストーリーを忘れないために解説を載せておくが、問読者(トイヨミ)それが未名子の仕事だ。沖縄の古びた郷土資料館で資料整理を手伝う傍ら、世界の果ての孤独な業務従事者に向けてオンラインで問題を読み上げる。未名子は、この仕事が好きだった。台風の夜に、迷い込んだ宮古馬(ナークー)。ひとりきりの宇宙ステーション、極地の深海、紛争地のシェルター、孤独な人々の記憶と、この島の記録が、クイズを通してつながってゆく。第163回芥川賞受賞作。概して芥川賞というので感動したことがあまりない。何が面白かったさっぱり解らなかったが。

  • グスタフ・クリムト part.9

    《ベアトリーチェ・ポルティナリの肖像》 《オイゲニア・プリマフェージの肖像》(1913-1914年) 豊田市美術館 《モミの森Ⅰ》(1901年) 《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》(1899年) オーストリア演劇博物館 《抱擁(ストックレー・フリーズ下絵)》(1905-1909年) オーストリア応用美術博物館 《悲劇≫の寓意のための最終習作》(1897年) ウィーン・ミュージアム 《カメール城の小路》(1912年) オーストリア・ギャラリー 《喜びへの賛美歌》(1902年) 《命の木》(1905年) 《エミーリエ・フレーゲの肖像画》(1902年) クリムトさんは人気高いですね。 そりゃそうです…

  • 訃報 山本陽子

    また昭和の先輩が亡くなった。日本を代表する女優、山本陽子(やまもと・ようこ=本名同じ)さんが20日に病気のため静岡・熱海市内の病院で死去したことが21日、分かった。81歳だった。若い頃から美貌と確かな演技力で人気に。今月2日にはテレビ出演し、晩年も仕事への意欲を見せていたばかりだった。葬儀・告別式は身内で行うとみられ、突然の訃報に周囲は驚きと悲しみに包まれている。今月2日に放送されたテレビ朝日系トーク番組「徹子の部屋」に出演したばかりだったのに。先日も中村メイコが同番組に主演後亡くなったが驚くね。お悔やみ申し上げます。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 毛虫を嫌い、蝶を好むは、人情の常ならんも

    私は子供の頃から虫捕りに励んだせいか、特段、昆虫を怖がることはないし、あしなが蜂とて傍に来ても怖がるものではない。中学の頃などにはシマヘビなど見つけつとよく捕まえたものだった。ある時、冬眠中のマムシを捕まえたこともあったが、併し、私とて苦手なものはある。それは節足動物だ。ムカデ、ゲジゲジ、ヤスデ、そして蜘蛛だ。伊豆の下田で10㎝ほどもあるゲジゲジを見た時には仰天した。南国にはこんな大きなゲジゲジが居るのかと。特に大の苦手が家蜘蛛で、巣を張らない体調10㎝ほどにもなる大きな蜘蛛だ。名古屋に住んでいた頃のコーポで2度ほど部屋の中に入られ、どうしても殺さないと寝ることもままならないと1時間ほど格闘し…

  • ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集 村上春樹

    村上春樹という人は肉料理が苦手でアルコールもあまりいける口ではないらしい。その点、世界各地を旅する彼にしたら現地での食生活には一段と気を遣うようだ。併し、作家というのはいい職業だ。何処へ行っても仕事ができる。ましてや彼のよう売れっ子なら金の心配はなさそうだし、アメリカを始め、ギリシャで住むこともあったという。奥さんと一緒に旅から旅へ、まったく羨ましい。ラオスにいったい何があるかというタイトルは、ヴェトナム人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と、問われたことが一旦らしい。つまり「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるんですか?」というニュアンスが読み取れたという。別にラオスに行か…

  • アレクサンドラ・ダダリオ Part.4

    2015 2014 (2017) アレクサンドラさん、私はアナタを始めて見た瞬間から虜になりました。 もうアナタなしでは生きていけない。 部屋中アナタのポスターで埋め尽くされています。 どうか一度見に来てください。 取り合えず私のことを知ってもらいたいのです。 どうですか、私の地域に進出してきたコメダで一度お話するということは。

  • ロベール・ドローネー Part3

    《サン・セヴェラン教会》(1909年) ボストン美術館 《ジャン・メッツァンジェの肖像》(1906) 個人蔵 《ブレリオに捧ぐ》 《ハイム夫人》(1927年) ポンピドゥ・センター 《カーディフ・チーム》(1913年) パリ市立近代美術館 《パリ市》(1912年) ポンピドゥーセンター 《生きる喜び》(1930年) パリ国立近代美術館 《リズム III》(1938年) パリ市立近代美術館 《円形のフォルム、太陽 no.2》(1912-1913年) ポンピドゥーセンター 《エッフェル塔》(1926年) パリ市立近代美術館 なんか好きになれませんねアナタの絵は。 幾何学的で意味の解らない作品はどう…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 文学は職業ではない。呪いだ

    「文学は職業ではない。呪いだ」トニオ・グレーゲルの言葉を口ぐせにしていた火野葦平の声が、体内におし入る焔の底から聞こえてくる。人づきあいがよく、豪放で磊落で、精力の権化のような印象を他人に与えていた火野葦平の仮面の下には、呪いにとりつかれた、業苦に皺められた灰色の素顔が隠されていた、その火野葦平が「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書いて睡眠薬自殺を遂げた。人の予期せぬ運命は突然の決断と運命によって訪れる。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。おやすみなさい、また明日。

  • 秋津温泉 藤原審爾

    直木賞作家にして、女優の藤真利子は息女。小島政二郎に「文章の一つ一つがピタッ、ピタッと女の急所を押さえている見事さは、心憎い位の魅力」、井伏鱒二には「女性の本能的な正体を書き現わす」「野性味も実に野放しの感じ」と評された作家だが、確かにその詩的な文章には感嘆する。併し、本作では好きな女がいるにも拘わらず、どうしたことかいつのまにか他の女と結婚し、独身を通すその女と混浴で一緒に浸かりながらも、欲情を抑えるあたり私としては苛立ちを覚えた。また、心象風景や描写などが多く会話が少ない分、やや読みづらい。

  • アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック Part.8

    《騎手》(1899年) プリンストン大学美術館 《紙吹雪》 《イヴェット・ギルベール》(1894年) トゥールーズ=ロートレック美術館 《クラウン》(1886-1887年) ベルリン旧国立美術館 《ベッド》(1893年) オルセー美術館 《ルイス・パスカル》(1891年) トゥールーズ・ロートレック美術館 《ムーラン・ルージュで踊る》 《ムーラン・ルージュのイギリス人》(1892年) 三菱一号館美術館 《アリスティド・ブリュアン》(1893年) ひろしま美術館 《フィンセント・ファン・ゴッホ》(1887年) ゴッホ美術館 ロートレックさん、アナタは大変にゴッホさんと仲が良かったと私は思っていま…

  • ナワリヌイ氏が刑務所内で死亡したことにより、ロシア全土でナワリヌイ氏の追悼行為の輪が広がっている。この献花が、プーチン政権をいらだたせている。併し、現在の専制国家ロシア、中国、北朝鮮などで革命やクーデターが起きるとは思えない。それほど堅固な国家統制が敷かれていると思う。昭和20年8月15日未明。阿南陸相は割腹自決したが、これはクーデターの法的根拠となる「応急局地出兵権」を消滅させてしまうためだったのではないか、というのが浅田次郎氏の仮説らしい。陸軍大臣が空席となれば、戦争継続のためのクーデターは論理的に崩壊してしまうからだが、そうか、そういうことか、ありえる話だな。さすがわ浅田氏。現在の日本で…

  • 父の詫び状 向田邦子

    やっぱりエッセイは自虐的なものに限るね。最近、なるべく読むようにしてるのは阿川佐和子と向田邦子。二人の年齢は親子ほど違うが、どちらも共通しているのが恐父論。私にしてみればお互いさまで、とにかく戦前派の人は怖かった。怒るとよく手が出る。それが身に染みて本当に恐かったのである。私の父は実母を嫌い殺害まで考えたと生前言っていたが、理由はよく解らない。併し、向田邦子の祖母は未婚の母だったらしい。父親の違う二人の男児を生み、その長男が邦子の父で、若い頃から芸事を好んで、嫁いで来てからも色恋沙汰があり、好きな人には自分の気持ちを抑えることが出来ないとあるので、私にそっくりではないか。ともあれ本人が語るよう…

  • 伊藤若冲 年3月1日(正徳6年2月8日) - 1800年10月27日(寛政12年9月10日))

    《象図》(1790年) 《薔薇小禽図》 《旭日鳳凰図》(1755年) 宮内庁三の丸尚蔵館 《動植綵絵 貝甲図》江戸時代(18世紀) 皇居三の丸尚蔵館 《糸瓜群虫図》江戸時代中期 細見美術館 《動植綵絵 棕櫚雄鶏図》江戸時代(18世紀) 皇居三の丸尚蔵館 《動植綵絵 雪中錦鶏図》(1761-1765年頃) 三の丸尚蔵館 《動植綵絵 老松白鳳図》(1765-1766年頃) 三の丸尚蔵館 《竹梅双鶴図》江戸時代 18世紀 《雪中雄鶏図》江戸時代中期 細見美術館 この伊藤若冲という人はどうして鳥ばかり描くのだろうか。 私としてはいつもテーマが同じというのは好きになれないな。 上手いとか下手とかいう問題…

  • 今日、神戸に行って来た。三宮駅前の広い通りは何やら工事中で、阪急百貨店に用事のあった私はどこから交差点を渡ったものか分からず仕舞いで、歩道橋に上ってみたり下りたりで右往左往。やっとこ道順が分かったので歩道を歩いていると、日曜とあって大変な人だかり。その中で片や「能登半島募金」の為の沢山の人と、此方「ガザの救援募金」というグループが声を大に張り上げている。ウクライナ軍はドネツク州の激戦地アウディーイウカから完全撤退だという。戦争は避けねばならない。しかし人間の恒久平和は理想であっても、現実はむしろ平和は戦争への中休みというような冷戦状態なのではないだろうか。ウクライナやガザばかりが大きく取り上げ…

  • ヒラリー・ダフ Part.6

    2016 2016 ヒラリーさん、アナタのセンスが好きなんです。笑顔もね、私の好みなんですよ。 どうかお付き合いしてください。 もうアナタしか見えません。 本当です、私は嘘を申しません。

  • フランソワ・ブーシェ 1703年9月29日 - 1770年5月30日

    フランソワ・ブーシェ 《ポンパドゥール夫人の肖像》(1756年) アルテ・ピナコテーク 《マリー=ルイーズ・オミュルフィ》 《モディスト》(1739年)ルーヴル美術館 《化粧》(1742年)ティッセン=ボルネミッサ美術館 《エウロペの略奪》( 1732-1735年) ルーヴル美術館 《朝食》(1739年)ルーヴル美術館 《水浴のディアナ》(1742年) 《アウロラとケファロス》(1733年と推測) 《マルスとヴィーナス》(1754年頃) ウォレス・コレクション 《ヴィーナスの勝利》(1740年) スウェーデン国立美術館フランスのロココを代表する画家であり、上流社会の肖像画や神話画などを描いた。…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 将軍慶喜

    幕末、兵庫開港を転機とする内外政策の転換は将軍慶喜の指導のもとで、独創的な日本の近代化の道を歩むかに見えたのだが、幕府および水戸藩の内部には、大局を理解せず、慶喜の路線に反対する勢力がなお根強かった。慶喜は生涯この手の人間から足を引っ張られ続けたといえる。また別の角度から見れば、慶喜はそのつど影武者を生贄にして自分は生き延びてきたともいえる。先に中根長十郎があり、平岡円四郎があった。そして慶喜の親密なブレーンとして黒幕とする声さえあって、陰日向なく主君に忠節を励んだ謀臣原市之進が刺客の手に斃れた。刺客は江戸の幕臣の中から現れた。維新後の長い余生を慶喜はカメラなど物珍しいものに興味を持ち、趣味広…

  • チャールズ・コートニー・カラン Part.4

    《菊》(1890年) 《青りんご》(1904年) 《リュクサンブール公園 》(1889年) 《ぺリたち》(1898年)個人蔵 ぺリはペルシア神話の妖精です。 《食器洗い》(1907年) 《パリ万博の夜の灯り》(1889年)個人蔵 《書簡に封をする》(1890-91年)個人蔵 《立葵と陽光》(1902年) 《本を読む女性》 《クリュニーの庭の午後》(1889) 女性を美しく描くことがアナタの個性なのか、そもそも美しい女性を描くのが好きなのかどちらですか、はっきり致せ。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 繁文縟礼

    繁文縟礼、これは(はんぶんじょくれい)と読む。意味は、規則が細かすぎ、煩雑な手続きが多く、非常に非能率的な状況を指す。一丘一壑、これは(いっきゅういちがく)と読む。意味は 俗世から離れ、自然の中に身をおき、風流をたのしむこと。南蛮渡来の薔薇は音読みすると(そうび)と読む。菅原道真の漢詩や、源氏物語にも登場している。日本人でありながら日本語の難しさを痛感している。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。『イージーライダー』でピーター・フォークが乗ったバイクなどがオークションにかけられるらしい。興味あるな、買って乗ろうかな。おやすみなさい、また明日。

  • 日本の「運命」について語ろう 浅田次郎

    「歴史は何のために学ぶのか」と言えば「自分が今、こうしてある座標を学ぶ」ためだと浅田氏は云ふ。大体、作家の歴史観が自分と合致するかどうかで、その作家の信頼度が決まってくるというのが私の作家評なのだが、浅田次郎氏はまさに現代作家では最高点だ。『歴史を学ぶとは、現在という高所から過去を審くことよりは、かつて未来の闇に向かって孤独な決定を行った人間の身になることであろう』というのが、私の歴史認識で、浅田氏の父は大正13年生まれで、私の父より年下、母親は昭和2年で、私の母より年上だが、この世代は、日本史上もっとも過酷な時代に生まれ育ってきた世代だといっている。まさにその通りで、大正の終わりの世代などは…

  • シドニー・スウィーニー Part.7

    シドニーさん、最近のアナタはよく売れているんでしょうか。ストーンズのPVに選ばれた同機はなんでしょうか。 まさか、ミックジャガーと付き合うなんてことはないでしょうね。 私との約束は守ってくださいよ。

  • ウィリアム・アドルフ・ブグロー Part.11

    《百合の聖母》(1899年) 個人蔵 《歌を歌う天使たち》(1881年) 《休息》(1879年) クリーヴランド美術館 《プシュケの誘拐』(1895年) 《聖書》 《編み物をする少女》(1869年) ジョスリン美術館 《聖母と天使たち》(1900年) 《ザクロを持つ少女》(1875年) 《思いやり》 《富と愛の間で》 ブグローさん、どうもアナタの絵は中世っぽいというか、宗教画っぽいというか、あまり好きになれません。キリストはともかく天子が出て来る作品は苦手なんですよ。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 これは何回目の夏なんやろうな

    「これは何回目の夏なんやろうな、とそんなことをぼんやり思った。そんなことは自分の年齢と同じで考えるまでもないことことなのに、なぜかそれは違う数字が、正しいべつの数字が世界のどこかにはあるような気がして、わたしはそんなことを考えながらぼんやり夏の白さを見つめていた」と、ある小説に書かれている。あるある、確かにある。誕生日が来るたびに思う、ひょっとして誕生日の数を間違えて数えてないか、父が間違った年月日を区役所に届けたのではないか。おかしい、いつの間にこんなに年を取ったのか、もっと若いはずだと。しかし、そう考える私が間違っていたらしい。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。毎年、春が来るのは嬉…

  • 長崎日記・下田日記 川路聖謨

    幕末史を紐解くうえでは重要な人物とされる、勘定奉行川路聖謨。ロシア帝国海軍プチャーチン中将と、日露の国境を定めた人物として名高い。その川路が著した『長崎日記・下田日記』の存在は、以前、川路の歴史小説を読んだ関係で知ってはいたが、まさか巡り合うとは思ってもみなかったが突然、古書市で見つけてしまった。かくなるうえは買うしかない。東洋文庫を買うのは二度目だが、如何せん読みづらい。二段組で文字が極端に小さく、原文を1頁読んだら裏には注釈が1頁ってなもんですよアナタ。仕方ないので1日30頁から40頁ぐらいしか進めないが、根気よく読む。徒然に読みながら、まあ、とにかく驚くのは昔の人の健脚の凄さ。50代にし…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 第6軍の司令官フリードリッヒ・パウルス将軍

    それは、自国において敵に包囲された都市を、さらに敵もろとも逆包囲するという前代未聞の、もしこれに成功すれば、スターリングラード救出を決定的にするのみならず、そこに集中したドイツ第6軍33万人の撤退を阻止し、袋のネズミとすることができる。もし失敗すれば、ソ連は予備兵力を失い、スターリングラードの奪還は絶望的となる。スターリングラードの、ひいては本戦争の趨勢を決する作戦であった。総兵力110万人。その主力を担うのは1万3千門の大砲。1942年12月12日、ドイツ最高の知将、マンシュタイン元帥の指揮する第57装甲軍は、スターリングラードをが逆包囲するソ連軍に攻撃を開始した。もはや自力での勝利が絶望的…

  • キム・ノヴァク part.7

    1957年 1955年 1968 キムさん、アナタの美貌には参りました。 女っぽくセクシーでまさに女の中の女。 人生で一度、アナタのような女性とお付き合いしたいと思っています。 何卒、お見知りおきを。

  • ルネ・マグリット Part.14

    《ゼノンの矢》 《海から来た男》 《水滴》 《手の力》 《会話術》 《美しい言葉》 《影》 《うつろな仮面》 《狂気について瞑想する人物》 《赤いモデル》 これでアナタの作品を140枚も掲載しているが、依然として解らないのがアナタの脳だ。いったいどうなってるの?

  • 妄想仏像見学会 part.15

    『妄想仏像見学会百四十一』は【滋賀・充満寺/十一面観音立像(平安)】です。像高166cm。 『妄想仏像見学会百四十二』は【京都・三十三間堂/乾闥婆王(二十八部衆)(鎌倉)】です。160cm。 『妄想仏像見学会百四十三』は【京都・東寺/宝生如来(1497年)】です。高さ1.4m。 『妄想仏像見学会百四十四』は【福岡・長谷寺/十一面観音(平安)】です。像高188cm頭上から台座まで楠の一木造。 『妄想仏像見学会百四十五』は【京都・東寺/降三世明王(839年)】です。高さ1.7m。 『妄想仏像見学会百四十六』は【京都・金剛心寺/宝生如来立像(平安)】です。像高82.6cm。 今朝の『妄想仏像見学会百…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 耐えて忍べよ水芝の、やがて花咲く春がくる

    牛の歩みは、よし遅くとも、行かば千里の果てもみん。踏まれても、にじられても、耐えて忍べよ水芝の、やがて花咲く春がくる。そうなんですね、私も十代の頃は女性問題が絶えず、相手が変わるたびに警察沙汰。自殺未遂、留置場、家出、逃避行と問題児で、二十代、三十代、四十代になれば少しは大人しくなるかと思いきや、そうはならなかった。不倫、駆け落ち同棲と絶え間ない修羅場。そして五十代、PTSD、回転性目眩、十二指腸潰瘍、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、心筋梗塞、そして癌、癌、癌。しかし、どっこい私は生きている。自分で言うんもなんですが、類まれな生命力だと思う。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。耐えて忍べよ水…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 かえり花闇にも見えて哀れなり

    昔から私はこのような、「義を見てせざるは勇なきなり」「七つ下がりの雨と、四十過ぎての浮気はやみそうでやまない」「かえり花闇にも見えて哀れなり」、など古来より伝わるいにしえの諺、俳句、川柳などが大好きで、読むたび見るたび理解しようと味わい深く読解するように努めている。語彙こそ知性なりなんていう本があったが、最近では「すげー」「ヤバい」「可愛い」「チョー」「めっちゃ」があれば事足りるような言葉使いになってしまったのは嘆かわしくも思う。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。冬来たらば春近し、早ければ明日にも「春一番」が吹くという。梅は咲いたか桜はまだかいな。圓生の本など読んでいると、本当に勉強の…

  • 「思い出の一番」 朝青龍vs栃東

    とyoutu.be 「思い出の一番」凄い相撲だね。栃東の方が先に引退して、断髪式で朝青龍がハサミを入れた後、肩を軽く叩いて耳元で何か言っていたが、このシーンが思い出深い。

  • アガワ家の危ない食卓 阿川佐和子

    一度、エッセイストと付き合ってみたかったな。特に向田邦子や阿川佐和子みたいな文章を書く人なら大歓迎だ。女性としては中野信子みたいな人が、上の二人のようなエッセイを書いてくれたら、もう即、交際を申し込む。さて、阿川佐和子も最近やっとこさ結婚して「残るは食欲」なんて言っているが、いつの間に性欲も枯れ果てたか。然し、この人の場合、確かに食に関してのエッセイの方が面白いかもしれない。逆立ちしたって性欲の話なんか出てこないだろう。特段に喝采を送りたいのは、父、阿川弘之との食に対するエトセトラ。とにかく弘之は食に対しては煩いが、ある時、朝ごはんを食べている時に、「今晩の夕食は何を作ってくれるのかな」と言い…

  • 読書をする女 part.34

    イリヤ・ガルキン(1860-1915)《若い本の虫》(1890年) ピーテル・ヤンセンズ・エリンガ《読書する女性》17世紀後半、アルテ・ピナコテーク ジョン・レイヴリー 《レッドブック》(1901年頃) マイケル・アンカー《マーレン・ソフィー・オルセン》1885年 ジョージ・クラウセン卿《内部》1881 年 Xuan Loc Xuan ジャック=エミール・ブランシュ Robert Emil Stubner ジェラルド・ガーディナー・エヴリン、《座って読書》(1935年)

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 先祖は江戸人

    私が生まれた昭和26年といえば、明治維新からわずか83年しか経っていなかったのであると。浅田次郎は言っている。それとて若い時分には遥かな歴史に思えたのだが、歳を食うほど「わずか」に感じられてきた。その伝でいうなら、大正生まれの父は維新の56年後に、祖父に至ってはたった30年後に産声を上げた。そんな風に数えてみれば、通り一遍に学んだ歴史が、にわかにわがこととして迫ってくると語っている。ということは、明治維新が1868年なので、祖父が1898年、父が1924年という計算になる。因みに私は村上春樹や浅田次郎より年下だが、戦後第一世代には違いない。以前から謎のままだった私の先祖について、数年前に本籍地…

  • モニカ・ベルッチ Part.23

    モニカさん、何度もいいますが、私にとって女性はアナタだけということをお分かりください。女の中の女であるアナタに夢中なんです。どうか私のものになってください。

  • メルヘン画 Part.12

    Joy Laforme Winter night Paco Yao Corey Egbert cat nap Akira Kusaka Philipe Charles Jacquet good night, friends by 9Jedit Jean-Jacques Sempé 2006 Saturday Night Davide Bonazzi relax メルヘンは夢があっていいですね。 心が和むところが好きです。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 【色即是空】

    水上勉という人は子供の頃、寺に住み込み小僧のようにして働いていたらしいが、作家になってからは雁の寺など寺に関する小説も多い。その水上が『一休』の中で、このように書いている。「森よ、この世は色即是空、色あって色は空なり、万法みな色あり、しかして空なり、そなたこそわが仏なりとて」【色即是空】とは、現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空無であるということで、仏教語だが。「色」はこの世のすべての事物や現象。「空」は固定的な実体がなく空無であることと難しい。般若心経では,仏性平等を空,因縁生を色と呼び自然界を色即是空,空即是色と自覚しており、生き仏さまと自覚しており死んでから仏さまにな…

  • ビリー・ザ・キッド全仕事 マイケル オンダーチェ

    少し期待外れだったな。西部史に名高いビリー・ザ・キッドの名は子供の頃から知っていたが、はて、映画を観た記憶がない。おそらく忘れているだけで、詳しくは例によって父から教わったのだろう。その証拠に彼を射殺したのがパット・ギャレットだということも知っている。実はそのパット・ギャレットがビリーを射殺したモデルガンが家にある。30年ぐらい前だったか5万円も出して買ってしまった。どちらが先だったか忘れたが、全滅した第七騎兵隊のカスター将軍のピストルも購入して、やはり結構重たい。話がそれた。著者のマイケル・オンダーチェという人は詩人らしいが、本書は恰もビリーが想い出を詩で表すかの如く書かれている。イーグルス…

  • フェレンツィ・カーロイ Part.2

    《紅い背景の裸婦》ハンガリー国立美術館 《三月の夕暮れ (ナジバーニャの道路)」》 《森の中の画家とモデル》ハンガリー国立美術館 《画家とモデル》(1904年) ハンガリー国立美術館 《陸上選手》ハンガリー国立美術館 《石投げ》ハンガリー国立美術館 《女流画家》ハンガリー国立美術館 《人形を持った少女》 《オルフェウス》ハンガリー国立美術館 《夏の日 (メーデー)》ハンガリー国立美術館 ハンガリーにおける印象派の画家の一人なんですか。 私にはどの辺が印象派なのかよく解りません。 教えてください。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 お葉

    瀬戸内晴美に『鬼の栖』という小説がある。先日、石碑を載せたが、本郷の菊富士ホテルに夢二がしばらくいたいたことを知り、綺麗な縁を感じて、お葉のことを書いているが、瀬戸内は夢二の女たちの中では、お葉が一番好きで、小説になる人だと言っている。しかし、その当時、お葉はまだ存命で、夢二のかつてのモデルだといわれることを厭がっていると聞いたので、もう書くことはなく、幸福に暮らしておられ、今でも美しいと人づてに聞いていると語っている。そこで、お葉がいつまで生きていたのか調べてみると、1980年10月24日、76歳とある。つまり昭和55年まで存命だったわけだ。夢二が亡くなったのは昭和9年だから、どのような後半…

  • ユマ・サーマン Part.2

    1990年 1989年 1988年 1989年 1993年 2011年 ユマさん、アナタ、身長が181cmもあるんですか。 凄いですね! 『パルプ・フィクション』はもう30年前の映画になるんですね。 いい作品でした、ともあれ見上げるような身長の女性と並んで歩くことが私の理想なんです、宜しくお願いしたいのですが。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 逢ひたくて逢はずにしまふ人は澤山ある

    長谷川辰之助君はとう/\故郷に歸り著かずに、却つて途中で亡くなられた。亡くなられたのは、印度洋の船の中であつたさうだ。誰やら新聞で好い死どころだと云つた。私にもさういふ感じがする。併し臨終の折の天候はどうであつたか知らない。時刻は何時であつたか知らない。船の何處で死なれたか知らない。(略) 長谷川辰之助君はぢいつと目を瞑つてをられた。そして再び目を開かれなかつた。あゝ。つひ/\少し小説を書いてしまつた。併しこれは私の想像だといふことをことわつて置くのであるから、人に誤解せられることもあるまい。隨つて亡くなられた人を累するやうな虞もあるまい。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。これは森林太…

  • 田中小実昌ベスト・エッセイ 田中小実昌

    この人の本はある面読みにくい。本人の弁によれば漢字を知らないと言っているが、確かにかなが多い。の割には難しいことを平気でのたまう。それもそのはず東京大学文学部哲学科中退というからよく解らない。彼は、「哲学こそは、真に普遍的な、真理のうちでも真理的な真理を語るもの、なんてふつうおもわれているようだけど、じつは、小説を読むのとおなじように、哲学の本も読んでいいんじゃないか、とぼくはおもいだした」と言うが、私には苦手な哲学を小説のようには読めない。この人のエッセイの面白さは多くの職業経験と酒、旅、そして軍隊経験からなる抽斗の多さだろう。失敗談も多いが、この世代の人は、亡くなった友への想い出話が、哀切…

  • ダメオのアニマル・ラブ Part.49

    「マーシャ、マーシャ、マーシャってば、僕は悪かった。開けて、開けて、開けてよ」「今更遅いわよ、もう何べん言わせるの、同じ過ちばかり。もう懲り懲りよ」「分かってる、もう二度としないから許してくれよ」「遅いわよ、今度こそ出て行ってよ」「そんなこと言わないで」「アナタとの1年半の付き合い、それなりに楽しかったけど、今度こそ終わりよ」「頼むよ、頼むから許してよ」「それにね、私、好きな子がいるのよ」「やっぱりか、あのサミーだろ」「サミーだろうがダミーだろうが、アナタの知ったこっちゃないわよ」「ちきしょうサミーの奴」 「遅いな」「いつものことだけど、今日は特に遅いね」「またどこかのおばさんと出会って長話を…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 春風以て人に接し、秋霜以て自ら粛む

    「春風以て人に接し、秋霜以て自(おのずか)ら粛(つつし)む」江戸時代の儒者、佐藤一斉の言だが、人には、春風の如く暖かく、己れには秋霜の厳しさでという言葉は、実に手厳しい。ともすれば、自分のことは、まあいいじゃないか、そんな細かいことをぐだぐだ云わんでも、という癖に、他人に対しては、反対に重箱の隅をせせるような叱言をいってしまう。これは本来、逆が本当なのだが、どうしてこれは意外と難しい。己を律することの難しさ、分かっているのに出来ないのが人間というものだ。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ボランティアに対し「最低限のマナーを守ってほしい」と訴える投稿が、Instagramで話題になってい…

  • 郵便配達は二度ベルを鳴らす ジェームス・ケイン

    この作品は4度映画化されているらしい。中でも1981年:ボブ・ラフェルソン監督、ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングの作品が有名かと思うが私は観ていない。それにどういう訳か作品中に郵便配達は登場しない。誰だって郵便配達が殺人事件を起こすと思うだろう。舞台は米国カリフォルニア。無頼の青年フランク・チェンバースは、パパダキスというギリシア人が経営するガソリン・スタンド兼レストランで働き始めるが、それは店主の美しい妻コーラに惹かれたためで、多情な女コーラはすぐにフランクと関係を持ち、夫を殺害する計画を練る。だが、あまりにも短絡殺人で読んでいるこちらが、こんなんで大丈夫なのかと思わせる稚拙な計画。二…

  • ヒラリー・ダフ Part.7

    2018 ヒラリーさん、アナタの雰囲気、センス、抜群ですね。大好きです、是非、ぜひ付き合ってください。 もうアナタ以外考えられないんです。 コメダに行きましょう、コメダへ。

  • ピエト・モンドリアン part.3

    赤・青・黄のコンポジション』1930年 チューリッヒ美術館 《ブギウギの勝利》(1942-1944年) デン・ハーグ市立美術館 《アネモネ》(1909年) 個人蔵 《荒れた城の春》(1909-1910年) ダラス美術館 《グラス降りた白バラ》(1921年) デン・ハーグ市美術館 《突堤と大洋5(海と星空)》 《花咲くリンゴの木》(1912年) デン・ハーグ市立美術館 《オーシャン V》(1915年) ペギー・グッゲンハイム・コレクション 《楕円形の色のコンポジション I》(1914年) ニューヨーク近代美術館 《格子のコンポジション8 – 暗色のチェッカー盤コンポジション》(1919年) デン…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 もののあわれ

    『荒城の月』の作詞者、土井晩翠は戊辰戦争で官軍に落城させられた会津の鶴ヶ城や出身地・仙台の青葉城などから着想を得たという。滝廉太郎は、少年時代を過ごした竹田の岡城から、とされた。今は、いずれの地にも『荒城の月』の碑が建てられている。この二人は明治35年8月、生涯に一度だけ会っている。ヨーロッパ遊学中の晩翠は、病気でドイツ留学から帰国を余儀なくされた失意の滝を、英ロンドン郊外に停泊中の若狭丸に訪ねた。対照的な立場に置かれた2人の邂逅も「もののあわれ」でなかったか。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。あれは30年以上も前のこと。その滝廉太郎の石碑だけになった旧家跡を訪ねたことがあった。遠い明…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 蛙の詩人

    85歳で亡くなった草野心平は「蛙の詩人」と言われている。「トテモキレイナ花。イッパイデス。イイニオイ。イッパイ。オモイクライ。オ母サン。ボク。カエリマセン。」『青い花』まだ幼いカエルはヘビに呑まれてしまった。目の前に広がっているきれいな花は、ヘビの幻覚だろうか。意識が薄れるなか、母親に別れを告げているのだ。カエルは常に天敵の脅威にさらされている。その一方で、親の虐待に苦しむことはない。人間社会は親の虐待、母の同棲相手からの虐待で幼い我が子を殺してしまうニュースが後を絶たない。決して死刑になることはない。出所後にまた再婚して子供を産むつもりだろうか。殺してしまった子の亡霊に慄きながら。死んだ子供…

  • アンドリュー・ワイエス Part.3

    《さらされた場所》 《ウィンター・カーニバル》 《雪の丘》 《冬の朝》 《復活》 《シマリス・ジョージの住み家》 《歩哨のように》 《雪まじりの風》 《氷雨あらし》 《月曜日の朝》ワイエスは自宅のある生地チャッズ・フォードと別荘があるメイン州クッシング以外にはほとんど旅行もせず、作品の多くは、その2つの場所の風景と、そこで暮らす人々がテーマになっている。

  • ダメオのスター・ツーショット Part.5

    Jeff Healey and Stevie Ray Vaughan Sophia Loren & Peter Sellers Ava Gardner and Mia Farrow 1978 Brigitte Bardot & Sylvie Vartan 1967 Audrey Hepburn and Liza Minnelli 1988 Steve McQueen and Jayne Mansfield François Truffaut, 1969 Louis Armstrong & Billie Holiday Gregory Peck and Burt Lancaster ポール・ニュ…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 君たちは、何ニーズか?

    美術界の先覚者、岡倉天心は日露戦争の最中、米国に滞在していた。羽織はかま姿で、街を歩いていると、現地の若者が無遠慮に話しかけてきた。「君たちは、何ニーズか?ジャパニーズか、それともチャイニーズか?」。天心はすかさず、切り返す。「あんたこそ、何キーだ?ヤンキーか、モンキーか、それともドンキー(ロバ)か」。世界に向かって日本文化の価値を訴え続けた天心らしいエピソードだ。まあ、さすがに今の時代、互いにジャップだのヤンキーだとは言えない友好的な関係になったが、ロシアとの関係は100年以上経った今も悪いままだ。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。今年の大河ドラマはあまり見てないが、どうもお笑いタレ…

  • 落陽 朝井まかて

    予備知識のないまま読んだが、当初は神宮造営がどのように行われたかノンフィクションタッチで書かれているものだとばかり思っていたが、さに非ず。小説そのもので、明治天皇崩御直後、渋沢栄一ら東京の政財界人は御霊を祀る神宮造営を計画、その動きは巨大なうねりになっていく。一方、帝国大学農科大学の本郷高徳らは、「風土の適さぬ東京に神宮林にふさわしい森を造るのは不可能」と反論、大激論に。東都タイムスの記者瀬尾亮一は、対立を追う同僚に助力するうち、取材にのめり込んでいく。献木十万本、勤労奉仕のべ十一万人、完成は百五十年後という造営事業を成し得させた天皇と日本人の絆とは何なのか。今、神宮の森に新たに手が入ろうとし…

  • ルネ・マグリット Part.13

    《見慣れた物》 《日のきらめき》 《観念》 《武装解除した愛》 《涙の味》 《人間嫌いたち》 《遠眼鏡》 《山頂の呼び声》 《明確な意図》 《アルゴンヌの戦い》 ルネさん、アナタの妄想の創造力には負けました。 ありもしない空間をよくもまあ描けますよね。 私にはない才能です。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 女のしゃべりかたというもんには、間、がありませ。

    向田邦子がこんなことを書いている。「大体、話をしとって、女のしゃべりかたというもんには、間、がありません。よくいえば、立て板に水を流すごとしだが、ペラペラぺラと調子ばかりよくって、味わいというものがない。それに、女はしゃべとって、もうちょっとでも間があくと、どうにもいてもたってもおられないといったふうで、あわてて、何ぞ話をさがしてきちゃ、くだらんことをいっとる。たまには、だまってそこにおる、ちゅうことが出来んのかねえ。」一つ付け加えれば頻繁に笑う。そうそう、まったくその通りのおばさん連中を何組か知っている。彼女たちはパチンコ友達で毎日会って、毎日、山と話題が尽きない。おそらく、年、365日会わ…

  • ジェームズ・マクニール・ホイッスラー Part.3

    《少女と桜》(1867-1872年) コートールド・ギャラリー 《白のシンフォニー第1番 - 白の少女》(1862年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー 《ノクターン:青と銀-チェルシー》(1871年) 《ノクターン》1870-1877年頃 ホワイトハウス 《グレーとグリーンのハーモニー ミス・シセリー・アレクサンダー》(1872-1874)テート・ナショナルギャラリー 《ピンクとグレーの夜想曲、ミュー夫人の肖像》(1881)フリックコレクション 《黒のアレンジメント No.5 レディ・ミューズの肖像》(1881年) ホノルル美術館 《灰と金のノクターン、ウェストミンスター橋》(1871-18…

  • 絶唱 湊 かなえ

    五歳のとき双子の妹・毬絵は死んだ。生き残ったのは姉の雪絵。奪われた人生を取り戻すため、わたしは今、あの場所に向かう「楽園」。思い出すのはいつも、最後に見たあの人の顔、取り消せない自分の言葉、守れなかった小さな命。あの日に今も、囚われている「約束」。誰にも言えない秘密を抱え、四人が辿り着いた南洋の島。ここからまた、物語は動き始める。喪失と再生を描く号泣ミステリー。舞台はトンガ王国だが、それほどのミステリー感はないと思うな。それに「号泣ミステリー」なんて途方もない冠を付けるのはやめてほしい。一滴の涙もでない。

  • シネマへの招待 Part.9

    今日の映画は1984年に製作された映画で『アマデウス』です。アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞した。ほかにも英国アカデミー賞4部門、ゴールデングローブ賞4部門、ロサンゼルス映画批評家協会賞4部門、日本アカデミー賞外国作品賞などを受賞している。2019年には、「文化的、歴史的、美術に重要」としてアメリカ国立フィルム登録簿に選ばれた。もう40年近く前の映画になるんですね。 今日の映画はフレッド・ジンネマン監督の作品で1953年のアメリカ映画、『地上より永遠に』です。これは放題「ここよりとわに」と読みます。第26回アカデミー…

  • 妄想仏像見学会 part.14

    『妄想仏像見学会百三十一』は【三重・観菩提寺/十一面観音(10世紀)】です。正月堂で知られる観菩提寺の三十三年毎に一度しか開帳されない秘仏本尊。像高203cm。 『妄想仏像見学会百三十二』は【奈良・法隆寺/地蔵菩薩立像(9世紀末)】です。 『妄想仏像見学会百三十三』は【奈良・唐招提寺/盧舎那仏坐像(779年)】です光背の高さは5.15mにも及ぶ。 『妄想仏像見学会百三十四』は【滋賀・石山寺/大日如来坐像(平安初期)】です。像高96cm。 『妄想仏像見学会百三十四』は【滋賀・園城寺(三井寺)/十一面観音立像(平安)】です。像高81cm。 『妄想仏像見学会百三十五』【滋賀・聖衆来迎寺/薬師如来立像…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 『一月往(い)ぬる二月逃げる三月去る』

    『一月往(い)ぬる二月逃げる三月去る』正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものだが、今年も余すところ11か月。大人になるにつけ月日の流れはなんと早いものだろう。義務教育時代の1週間は長く感じたものを。そう考えると父の生まれた大正期などは、つい最近のことにもなるのか。100年などはあっという間の出来事なのだろうか。小林一茶の辞世の句は、生まれて産湯の盥、そして死んでは湯灌(ゆかん)の盥。 この間の一生とは何のことやらちんぷんかんぷん。人生をよく言い表していますね。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。坂本農水大臣は、日本ではまだ感染が確認されていない…

  • ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー Part.6

    《嵐の中のオランダ船》(1801年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《海の怪物と日の出》(1845年) テート・ブリテン 《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》(1844年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《ヴェネツィアの大運河の入口》(1840年) イェール大学美術館 《ノアハム城》(1835-1840年》 テイト 《グリニッチ公園からのロンドン》(1809年) テート・ブリテン 《虹のハイデルベルク城》(1841年頃) スコットランド国立美術館 《高波と炎》(1840年頃) クラーク美術館 《チチェスター運河》(1828年) テート・ブリテン 《青白い馬にのった死》(1825…

  • 【AB通信:オドロイター発】ヨルダン川西岸で過激なユダヤ人入植者

    バイデン大統領は、パレスチナのヨルダン川西岸で過激なユダヤ人入植者による暴力などが相次いでいるとして、関与した人物に制裁を科すことを可能にする大統領令に署名しました。O国連人道問題調整事務所によりますと、去年10月にガザ地区でイスラエルとイスラム組織ハマスの軍事衝突が始まって以降、ヨルダン川西岸でもユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力が増加しています。制裁の対象になると、アメリカ国内にある資産が凍結されるほか、アメリカ人との取り引きができなくなります。大統領令への署名を受けてアメリカ国務省は、ヨルダン川西岸で住民への襲撃や建物への放火などに関わったとされる4人に対する制裁を発表しました。「…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

    評論家の小林秀雄は大阪行きの急行列車に乗っていた。昭和30年代のことだという。食堂車で晩餐をとっていると、向かいに座った老夫婦が古びた人形を抱いて食事を始めた。夫人はスープをひと匙すくっては人形の口元に運び、次に自分で飲んだ。人形は丸刈りで、息子の身代わりらしい。「戦争で死んだのだろうか」小林氏はそう察し、バターを夫人のパンの皿の上に載せたーと、小文『人形』に書いている。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。今日で能登の地震からひと月だが、たぶんみんなも知っているだろうが、妻と3人の子供を亡くした若い旦那さんがいるが、いつもテレビに出るたびに泣いている。そりゃそうだろう、これからどうして生…

  • 慶喜のカリスマ 野口 武彦

    小学校の頃に「赤穂浪士」を知ってから、ついぞ判官びいきに凝り固まった私は、義仲、長政、勝頼、光秀、三成、慶喜、西郷と敗者の側を応援すること、紙面で格闘するが如きだが、この中で唯一滅亡しなかったのが慶喜だ。タイトルが『慶喜のカリスマ』とあるように、いったいこの人物をどう捉えたらいいのか。父斉昭は精力が強く37人の子供を作ったが、多くは夭折し、成人した者は何人もいなかった。残った慶喜は幼いころから頭脳明晰で名将の器と期待されて育った。後に慶喜は26歳の首席老中、阿部伊勢守の斡旋で一橋家と養子縁組する。安政地震の7日後、阿部は抜き打ちで下総佐倉藩城主の堀田正睦備中守を老中首座の地位に迎え、ハト派の堀…

  • 「パイレーツ・オブ・FM」 Love is over

    youtu.be 最近、バイク王のCMで使われているLove is overは誰が歌っているのかと思ったら、つるの剛士だったんですね。しかしこれフルで聴くとなかなかいいね情熱的で。ギターも私好みでいい。そもそもこれ名曲だよね、昔から好きな曲だったし。

  • フランツ・ヴィンターハルター 1805年4月20 日 - 1873年7月8日

    フランツ・ヴィンターハルタ 《バーブ・ドゥ・リムスキー=コルサコフ夫人の肖像》(1864年) オルセー美術館 《オーストリアの皇后エリーザベト》(1865年) 《イギリス女王ヴィクトリア》(1843年) 《フランス皇后ウジェニー》(1853年) 《フランス王 ルイ フィリップI世》(1839年) 《ロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナ》(1857年) エルミタージュ美術館 《オーストリア皇后エリーザベトの肖像》(1864年) ウィーン美術史美術館 《モンモランシー公爵夫人》(1860年) 《プロイセン王太子妃ヴィクトリア》(1867年) バッキンガム宮殿 《シシリアのマリア・カロライナ・オーガ…

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