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愛に恋 https://pione1.hatenablog.com/

晴読雨読、乱読遅読の独歩人生を送っております!

人との出会いはめっきり少なくなりましたが、新刊、古書を問わず本との逢瀬はこれからも大事にしていきたいと日々、思っています。

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2017/07/10

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  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。「お染風」

    『半七捕り物長』の作者、岡本綺堂が若い頃の東京は、まだ江戸の情緒が残っていた。インフルエンザが猛威を振るった明治23年から翌年にかけて、江戸時代に流行った「お染風」の呼び方が復活する。歌舞伎や浄瑠璃の演目「お染久松」で、お染が久松に惚れる場面のようにすぐに感染するからだ。20年目後に発表した随筆には、向島で出会った農家の若い娘が出てくる。白い手拭いをかぶって軒先に「お染るす」と書いて紙札を貼っていた。お染が訪ねてこないようにの、おまじないである。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。それから100年以上経った現在でも、インフルエンザばかりかはしかも流行っているらしい。今や「お染風」の復活で…

  • 大名倒産 (下)浅田次郎

    相対的に面白い設定で尚且つ読み応えのある内容だったが、個人的には全編シリアスな話でも良かったようにも思う。「新田の開拓」「産業の奨励」「節倹の徹底」など、苦労した末の返済にして欲しかった。七福神や福の神、貧乏神といった非現実な神々の出演は要らなかった。そういう面では後半はイマイチだった。まあ、逆の感想もあろうが。

  • ナタリー・ウッド Part.8

    1969 ナタリーさん、アナタ、年々色っぽくなってきてますね。 いい女は、中年になるほど良くなるんですよ。 だんだん惚れてきましたよ、アナタの大きな目もぞくっときます。 そういう目で私を見つめてください。

  • 滝平二郎 part.35

    貰い菊 薪わり 秋深し 黄落 たき火 牡丹雪 寒い朝 迷い草 冬支度 仏作って魂入れず

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 映画はアリスから始まった

    大きなキャベツから赤ちゃんが生まれる「キャベツ畑の妖精」郵便局で切手を何十枚もなめた女性が、キスした相手と口がくっていてしまう「べとつく女」120年ほど前に撮られたこれらの短編映画は、いま見ても面白いらしい。発想が斬新でユーモアと風刺が利いている。撮ったのはアリス・ギイというフランス人で、世界最初の女性監督とされる。映画草創期の約20年間に仏米で何百本もの作品を撮った。制作や脚本も手がけ、子供二人を育てながら米東部にスタジオまで建てた。ルミュエール兄弟が19世紀末にパリで初めて映画を上映したのは有名な話だ。だが、同時代に活躍したギイはほとんど知られていない。その映画史から抜け落ちたのはなぜか。…

  • 大名倒産 (上)浅田次郎

    浅田次郎という人はとにかく博学だ。 まるで江戸時代の人が書いているようで、時代考証、武家言葉など小説の名手といっていい。この人は現代劇、時代劇と両刀使いで、とにかくよく調べている。 架空の藩である三万石の御領国・丹生山を継いだ四男の小四郎は妾腹の子。 何も知らず借金の額が二十五万両、利息は年に一割二分で三万両。 しかし対する歳入はたったの一万両。先代の父は密かに倒産を企てている。 糞がつくほどの真面目さ誠実さを武器に、なんとか倒産を防ごうと必死の「経営再建」に乗り出す。 確かにユーモアあり笑いありで面白い。 よく考えた設定だと思う。

  • ジャクリーン・ビセット Part.7

    1967年 ジャクリーンさん、ジャクリーンってば、ちょっと待って、お願いだから私の話を聞いてくださいよ。本当なんです、アナタが全てなんですよ。嘘じゃありません。アナタのことを心底愛しているんです。神に誓ってアナタこそ命なんです。もう、アナタなしでは生きていけません。どうぞ、どうぞ、アナタと二人で一度お話させてくださいよ。

  • 滝平二郎 part.34

    銀杏 秋灯 弘法にも筆の誤り 隣の花は赤い 冬がくる ひと休み 葦の原 小菊 晩酌 山は雪

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 田村俊子の『絵島生島』

    「こういう饐(すえ)臭いどろどろの情火をエロティックな筆で描きあげたこの一篇は、全体に無気力な退廃な気がただよっている。メタンガスがぷくぷく浮く真黒な堀川の水に、漂い流されていく古下駄のようなみじめな女の生活が、突っ放して書かれているのに、女の生活の悲惨よりも、女の情欲の救いのない熱っぽさの方が、行間から滲み出してくる」と書くのは田村俊子の『絵島生島』について瀬戸内晴美の評だ。瀬戸内晴美の本は数多く読んだが、こういう性に関する女の性にについては実に上手い言い回しをする。見習いたいものだ。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。メッツ・藤浪晋太郎(29)が移籍早々から厳しい立場に追い込まれた。…

  • キム・ノヴァク part.8

    1961 1957 キムさん、いつもお綺麗ですね。私は以前、アナタに一目惚れしたんですよ。 これは本当の話です、信じてください。 女っぽくセクシーなところが大好きです。 プラチナブロンドのショートカットが本当に似合いますね。 一度、デートしてもらえませんか、それから先のことはまたお話しましょう。

  • ジョージ・フレデリック・ワッツ Part.5

    《枢機卿マニング》(1882年) ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー 《祈願》(1887年) マンチェスター市立美術館 《星をまく》 《あまねく満たす者》 《毎日雨が降っていた》 《持たざる者》 《かのごとく栄光は過ぎ去りぬ》 《選択》 《死の裁判》 《スパニエルとネズミ》制作年不詳 個人蔵 う~ん、どれも好きな絵はありませんね。 あまり個性を感じないんですよ。 もうひとひねりお願いします。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 反対なし。自由なし。選択肢なし

    【ベルリン時事】「ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)の地滑り的な勝利を祝福したい」。 欧州連合(EU)のミシェル大統領は15日、同日投票が始まったロシア大統領選について、X(旧ツイッター)に投稿し、早くも「祝意」を表明した。開票は17日だが、反体制派が弾圧される中、プーチン氏の圧勝が確実視される情勢を強烈に皮肉った。 プーチン政権は政敵を封じ込め、圧倒的なプーチン氏の勝利を演出する構えだ。ミシェル氏は「反対なし。自由なし。選択肢なし」と批判した。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。今日は韓国でも大谷フィーバーが吹き荒れていたが、ロシアでは強引な風が吹き荒れていた。おやすみなさい、また…

  • 蹴りたい背中 綿矢りさ

    現在の私が20歳前後の青少年だったら、これを読んでどう思っただろうか。にしては、あまりにも時の経過があり過ぎて、当時の感性を取り戻すには遅すぎる。ただ、19歳だった私なら、作家としての野望もなく遥かに遠い存在に思えたかもしれない小説家。読むに精一杯で原稿用紙に向かうなど出来もしない話だった。大体、意表を突くようなこのタイトルからして思いつかないし、男と同部屋に居たからといって、唐突に背中を蹴りたくなったという衝動的な気持ちもよく解らない。主人公の二人が処女とも童貞とも書かれていないが、それほど恋愛感情がないままに男の部屋に上がり込んでしまうのはどういうわけか。併しながら19歳で芥川賞というのは…

  • シドニー・スウィーニー Part.8

    シドニーさん、もう私にとってはアナタしかいないんです。 信じて下さい、アナタなくして私はありません。 これが正真正銘の私の心です。 とにかく一度会ってコメダで私の話を聞いてください。

  • 妄想仏像見学会 part.18

    『妄想仏像見学会百七十一回』は【京都・東寺/女神坐像(平安初期)】です。 『妄想仏像見学会百七十二回』は【広島・文栽寺/十一面観音立像(平安)】です。像高147cm。 『妄想仏像見学会百七十三回』は【京都・清凉寺/釈迦如来立像・像内納入品(宋)】です。像高160センチ 『妄想仏像見学会百七十四回』は【神奈川・東慶寺/水月観音(鎌倉)】です。像高41cm。 『妄想仏像見学会百七十五回』は【和歌山・慈尊院/弥勒仏坐像(892年)】です。 『妄想仏像見学会百七十六回』は【岐阜・清水寺/十一面観音坐像(平安)】です。 『妄想仏像見学会百七十七回』は【栃木・羽下薬師堂/薬師如来立像(平安)】です。 『妄…

  • 「大谷選手と彼の妻が韓国に向かう前の写真」

    ついに出ました。大リーグ、ドジャースが球団の公式SNSで、大谷翔平選手が開幕シリーズが行われる韓国へ向かう航空機の前で女性と一緒に撮影した写真を投稿し「大谷選手と彼の妻が韓国に向かう前の写真だ」と紹介しました。バスケットボールの選手だったとか。180㎝はあるだろうか。以前の噂では大谷選手と2、3回会ったことがあり、挨拶された言っていたから、普通、彼と会う場所といったらスポーツジムぐらしかないだろう。おそらく間違いない。ということはオールスターでレッドカーペットに登場するということにもなり脚光を浴びるな。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。 亀戸事件

    「ならし野に送り保護する事なれり」という記事は、気になる。千葉県内で軍隊がおこなった朝鮮人虐殺のほとんどが習志野聯隊によるもので、平沢計七ら社会主義者を殺害したのも同聯隊であったからである。9月2日の真夜中から5日にかけて、習志野周辺で朝鮮人16名と、日本人8名が殺害されたという。そして習志野収容所内で虐殺された朝鮮人もいた。と『梨本宮伊都子の日記』にはある、平沢計七らの殺害、これがいわゆる亀戸事件で、その昔、平沢の斬首された首を見たことがある。「危険な人物」と思われていた平澤は刺殺される時、「ここを突け」と額を指さしたが、腹部を刺され、「労働者万歳!」と叫んで死に就いたという。関東大震災での…

  • 無意識過剰 阿川佐和子

    檀ふみと阿川は共に父親が作家にして、娘二人は同学年で親友。違うのは身長で壇は170㎝もあるが、阿川は150㎝もない。ある日、二人で旅をした時の事、道中暇だからクイズをしないかと壇が持ちかけた。教養高い壇に、無教養がバレるから一旦は断ったのだが「大丈夫よ、好きなように言ってみて」といわれ、その誘いに乗ってしまった。『あいみての のちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり』ってどういう意味か解釈せよ」「あいみて・・・あいみてね」「ほら、あの時代の歌なんて、みんなそちらの方面の話だから」「ははあ、そちらの方面か、なるほどわかりましたぞ」「言って言って」「つまり、あいみてとは、アレのことでしょ。アレ…

  • スター集合写真

    Steve McQueen, Paul Newman, Barbra Streisand and Sidney Potier Katharine Hepburn, James Stewart and Cary Grant Clark Gable, Cary Grant, Bob Hope, and David Niven 1958 Cary Grant, Ingrid Bergman and director Alfred Hitchcock Demi Moore, Drew Berrymore, Lucy Liu & Cameron Diaz Gloria Swanson visits Sh…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。『ウルビーノのヴィーナス』

    マネはティッツァーノの『ウルビーノのヴィーナス』からあえてヴィーナスの象徴を取り除き、パリの娼婦を描き、それが観衆の逆鱗に触れた。なぜマネはこのような絵を描いたのか。それは、パリの闇の姿を描き出そうとしたからだと考えられている。当時のパリは1853年以降に始まるパリの大改造によって近代化が進み、ブルジョワ階級の人々が夜な夜な舞踊界を開くなど享楽的な生活を送っていた。その裏で華々しく活躍していたのが娼婦たちだ。娼婦の存在は誰もが知っていたいたし、中にはそのお世話になっている者もいたが、決して表沙汰にしてはいけないものだった。それゆえ、マネは娼婦をカンヴァスに描くことによって、人々の偽善と、人々が…

  • ある行旅死亡人の物語 武田 惇志 (著), 伊藤 亜衣 (著)

    著者が見つけた、たった数行の死亡記事、警察も探偵もたどり着けなかった真実へ。「名もなき人」の半生を追った、記者たちの執念のルポルタージュだが、これがなかなかミステリー仕立てで面白そうなので買ってみた。2020年4月、兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑。記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。舞台は尼崎から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「千津子さん」の真実とは?「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いたノンフィクション。死というゆるぎない事実の上に、かつて…

  • テイラー・スウィフト Part.6

    2013 テイラーさん、聞きましたよ、アナタは大統領選挙に絶大な影響力があると。私の好みにも絶大な影響力を発揮しています。 もう、目が点になるぐらいアナタに夢中になりました。 アナタがバイデンと言えバイデン、トランプと言えば七並べ、いや、トランプです。 とにかくアナタのポチになりたいのです。 会ってください。

  • 滝平二郎 part.33

    汽車 夕焼小焼 山椒は小粒でもぴりりと辛い 日暮れ 天高く馬肥ゆ くりひろい リンゴの歌 読む 宝のもちぐされ 柿

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 御法度の裏街道を歩く渡世なんだ

    「俺たちやくざは、御法度の裏街道を歩く渡世なんだ。いわば天下の嫌われもんだ。それだけにな、何事も渡世の筋道を通さなくちゃいけないんだ」と座頭市も言っている。しかしどうだ、座頭市さえ筋道を通して裏街道を歩いているのに、表街道を堂々と歩く身の政治家の最近の所業は。口移しでチップを渡しただと。特に物議を醸すのがその言い訳だ。多様性の重要性を問おうとしたそうだ。何だ多様性とは、意味の分からない言い回しだな。今年の流行語大賞を狙っての発言なら一票出そうじゃないか。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。白鵬は四面楚歌ではないか。今場所後には結論が出るそうだが、いくら話し合っても決定権は一門にはない。理…

  • 共同研究 パル判決書 (下)

    1941年10月、国家としての日本の存在自体が深刻な危機にさらされていた時、多少とも要職にあった政治家や外交官は、挙げて国家の名誉を傷つけずに滅亡から免れる方法を見出すのに頭を悩ませていた。彼らは重責を担い、そして勇断を持って差し迫った危険に対処するという、厳粛な義務の履行求められている。そんな時、東條は窮迫した危機を十分承知のうえで登場してきた。併し、11月26日、東郷外相に送られて来た、いわゆる「ハルノート」では、日本の陸、海、空軍および警察の中国および仏印からの即時かつ無条件の撤退。蒋介石政権以外の中国の政府または政権否認、三国同盟の破棄。こんな条件を飲めるはずもなく、これは日本を戦争に…

  • シェリル・ラッド part.2

    シェーンなどで知られるアラン・ラッドの息子、デイビッド・ラッドは元夫なんですね、だからラッドだったんですか。知らなかったです。併しまたどうして『チャーリーズ・エンジェル』でシーズン2を下りちゃったんですか、毎回楽しみに観ていたのに。 今どうしているんですか、一度、お会いしましょうよ。

  • ジャン=バティスト=カミーユ・コロー Part.6

    《海辺のバッカンテ》(1860-1865年) メトロポリタン美術館 《フィレンツェのボーボリ庭園》(1835-1840年) ルーヴル美術館 《黄泉の国からエウリュディケーを連れ出すオルフェウス》(1861)ヒューストン美術館 《ヴェネツィアの朝》(1834年) プーシキン美術館 《読書する僧》(1865年頃) ビュールレ・コレクション 《ヴィル・ダヴレー 白樺のある池》(1855-1860年) 愛媛県美術館 《イタリアの風景》(1835年) ゲッティセンター 《薄明》 《田園の演奏》(1857年) コンデ美術館 《湖畔の大きな樹木(ヴィル・ダヴレー)》(1870年頃) 山王美術館 神話や歴史物…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 十二代目片岡仁左衛門一家5人が殺害事件

    昭和21年3月16日、渋谷区千駄ヶ谷で歌舞伎役者・十二代目片岡仁左衛門一家5人が殺害されているのが見つかる。殺されたのは、片岡仁左衛門(当時65歳)、その妻で元日活女優の小町とし子(当時26歳)、四男(当時2歳)、女中2人(当時12歳と当時69歳)。5人とも頭を薪割り用の斧で殴られていた。特にとし子は頭部をめった打ちにされていた。捜査線上に浮かんだのは、殺害された女中(当時12歳)の兄・I(当時22歳)で、事件直後から行方が分からなくなっていた。捜査本部はIを指名手配し、3月30日に逃亡先の宮城県川渡温泉で逮捕された。配給米を不当に搾取されのが原因らしいが、当時はそれほど食糧難の時代だった。「…

  • 共同研究 パル判決書 (上) 東京裁判研究会

    夙に有名な本書のことはかなり以前から知ってはいたが、手に取るに、あまりにも重厚長大で私には読めないものと諦めていた。また、『東京裁判研究会』側も「これを読みこなすのは専門家にとってすら大変なことである」と断っている。併し、私の住む沿線に去年、古書店が出来たのをきっかけに通ううち、文庫本5冊で800円というものにお世話になっていたが、ある日、『パル判決書(上・下)』もその中に入ると聞いてビックリ。2冊で計算すると350円ぐらいではないか。調べてみるに、ネットでは2冊2500円はする、これは買うしかないと、読めるかどうかは清水の舞台だ。併し、いざ、ページを開いてみるに「日本国民必読」とあったが、お…

  • ジーナ・ロロブリジーダ Part.3

    1950s 1955年 1955年 1959年 ジーナさん、アナタにウエストの細さは尋常ではありませんね。 また、そのイタリア人的なキツイ顔立ちが魅了的で子供だった私を惚れさせました。 アナタと付き合いたかった、今からでも遅くないですか。

  • ヒエロニムス・ボス part.2

    《快楽の園》 《守銭奴の死》 キリストの捕縛』1515年頃 サンディエゴ美術館 《石の切除手術》(1475-1480年頃) プラド美術館 《十字架の道行》(1490-1510年頃) ウィーン美術史美術館 《パトモスの聖ヨハネ》(1490-1495年頃) ベルリン絵画館 《聖アントニウスの誘惑》(1500-1510年頃) ネルソン・アトキンス美術館 《祈る聖ヒエロニムス》(1485-1495年頃) ゲント美術館 《茨の冠》(1530-1540年頃) エル・エスコリアル修道院 《東方三博士の礼拝》(1470-1480年頃) メトロポリタン美術館 ルネサンス期のネーデルラント の画家なんですね、この…

  • メゾンテリエ―他三編

    「メゾン テリエ」「聖水授与者」「ジュール伯父」「クロシェット」の4編からなる短編集だが、何年も前に岩波文庫に凝り、外国文学の短編集など沢山読んだが何一つ覚えてない。例えば同じモーパッサンの『脂肪の塊』などは欠片も記憶にない。「メゾンテリエ」なんかは娼館に努める女将と5人の娼婦の話だが読んだはなから忘れていってしまう。だから短編集はあまり読まないようにしているのだが。

  • ルネ・マグリット Part.15

    《喜劇の精神》 《終わりなき認識》 《空気の平原》 《二重の視点》 《神々の怒り》 《偶像》 《幸福な手》 《おしゃべりな宝石》 《ナイチンゲール》 《幽霊の城》 アナタの絵は摩訶不思議という言葉がピッタリですね。 写実的に描いた作品は一枚もないのですか。 生涯に一枚ぐらい描いてもよかったんではないでしょうか。

  • ダメオのアニマル・ラブ Part.50

    わ~ら~にまみれてよ~、そだてたく~りいげ、きょうはひかれてよ~お、ま~ちへ~えゆ~く~、は~~~ああああ ラララララ~ララ、ラララララ~ララ、おっと、俺はジャマイカ犬のトーマスっていうんだ、宜しくな。アイ・ミュージック・レゲエってなもんだよアンタ、頼むぜ。とこれで飯はまだか、ジャマイカ風のやつをこってりとな。 「何じゃと、この俺さまにたてついて生きて帰れると思っているのか」「おお、おもしれえ、やってもらおうじゃねえか」「あとで吠え面かくな」「お前さんこそ気を付けな。この俺を食べてみろ、胃の中はチクチクだからな」「え、どうしてだ」「お前にとっては決して上手いエサにはならねえよ」「負けを認めたの…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 宗坊はいますか、宗坊はいますか

    大杉栄の妹あやめは、薄倖の人であった。アメリカのオレゴン州ポートランドで農業を営む橘宗三郎と結婚して宗一を生んだが、胸を病み、そのこともあってか夫婦仲が冷たくなったため、養生かたがた宗一と共に帰国し、静岡の姉婿、柴田勝蔵の世話で静岡病院に入院していた。宗一は、鶴見の大杉勇が引き取っていたが、震災でその家が倒壊したことを知った栄と野枝が迎えにきて、東京に連れ帰る途中を甘粕に拉致されて、二人の子供と間違えられて虐殺されてしまった。時に宗一は六歳で、母あやめの慟哭は悲痛であった。その時のことを友人が書いている。「宗坊はいますか、宗坊はいますか」と叫ばれました。僕たちがそれにどう答えらることが出来ませ…

  • ポトスライムの舟 津村記久子

    芥川賞選考委員会はまず文学的な技巧の高さを評価したみたいだ、併し、読み始めて何だかつまらないなと思っていたら、徐々にこれはなかなか書けない上手さだと気づかされる。29歳、社会人8年目、手取り年収163万円。工場勤務のナガセは、食い扶持のために、「時間を金で売る」虚しさをやり過ごす日々。ある日、自分の年収と世界一周旅行の費用が同じ163万円で、1年分の勤務時間を「世界一周という行為にも換金できる」と気付くが。解説には主人公の内面の心情を吐露しているように見える部分はすべて、実は外面から見た客観的な描写なのであると書かれているが、そこはなかなか難しい解釈だ。会話は極端に少なく薄い割には時間がかかる…

  • エリザベス・テイラー Part.13

    1956 1967年 1958 自宅、1948年エリザベスさん、ハリウッド史上の美人といったらアナタですよね。アナタみたいな美人を私は見たことがありません。 お会いする前からもう私は結婚を意識しています。 あとはアナタ次第。 なんなら私、アメリカに帰化してもいいですから。

  • 滝平二郎 part.32

    磯節 吾亦紅 虫 かかし 影法師 葉鶏頭 暑さ寒さも彼岸まで さんま ままごと 星

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 腰から下は敢えて保証の限りではありません

    笹川良一は艶福家としても知られているが、巣鴨拘置所で連合国軍最高司令官総司令部から、「男装の麗人」として知られるスパイ、川島芳子との関係を尋問されて「ぼくは腰から上の人格者で、腰から下は敢えて保証の限りではありません」と言い放ったこともある。そこへいくと勝新太郎は「夕立の ざっとふるほど 浮名は立てど ただの一度も 濡れやせぬ」自分は沢山の女と噂を立てられているけど、一度だって他の女性と寝たことはないと言っている。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。豪放磊落なお二人は申しておりますが、はて、わたくしことダメオはどちらのタイプでしょうか。こればかりは言えません。墓石の裏にでも、いにしえの戯…

  • サロメ 原田マハ

    本作はワイルドやイラストレータのオーブリー・ビアズリーより、女優の姉でメイベル・ビアズリーの視点で書かれているように思う。弟の才能を天才と信じるメイベルは、危険な男ワイルドと弟が知りあい接近し『サロメ』の挿絵を描いて、その名を広く世に知らしめ、ワイルドの作品は永遠の命を与えられたと、つまり、ビアズリーの挿絵があったからこそ『サロメ』は永遠に人々の記憶に残ったともいえる。確かに一度見たらビアズリーの絵は忘れられないほどの独創力がり、誰もが記憶に残る。当時からそれは人々に認知されていたのであろう。だが、姉はワイルドの男色を危険視し、弟が彼に接近しすぎるのは激しく拒み、ワイルドの恋人アルフレッド・ダ…

  • キャサリン・ウィニック Part.4

    2013 キャサリンさん、アナタ、とびっきりの美人ですね。アナタみたいな人を探していたんですよ。 昔から言うでしょ、アイドルを探せって! そう、アナタこそ私のアイドルです。 お願いします、願いを叶えてください。

  • ウィンスロー・ホーマー Part.5

    《ハーク! ラーク》(1882年) ミルウォーキー美術館 《月光 ウッド・アイランド灯台》(1894年) メトロポリタン美術館 《キーウェスト 曳航アンカー》(1903年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー 《月光(ウッド・アイランド灯台)》 《イン・ザ・ウィートフィールド(少女は麦畑に佇む)》 《海岸の陽光》(1890年) トリード美術館 《開いた窓で》(1872年) 《クリケット・シーン》(1864年)シカゴ美術館 《四葉のクローバー》(1873年) 《風が強まる(順風)》 アナタは海岸の絵を多く描くようになり、評価が高くなったんですよね。 海洋画家なんですか、特別なんとも思いませんが、…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子。

    「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子。 わたしが一番きれいだったとき、街々はがらがら崩れていって、とんでもないところから、青空なんかが見えたりした。わたしが一番きれいだったとき、まわりの人達がたくさん死んだ、工場で、海で、名もない島で、わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった。わたしが一番きれいだったとき、だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった、男たちは挙手の礼しか知らなくて、きれいな眼差しだけを残し皆発っていった。わたしが一番きれいだったとき、わたしの頭はからっぽで、わたしの心はかたくなで、手足ばかりが栗色に光った。わたしが一番きれいだったとき、わたしの国は戦争で負けた、そんな…

  • あちゃらかぱいッ 色川武大

    その昔、『スチャラカ社員』という番組があったが、それとはまったく無関係な話で、色川武大がまだ中学生ぐらいの頃の戦前、戦中、戦後の浅草を中心に活動した、ボードビリアンや軽演劇などの売れない役者などを哀歓をもって描いた作品だ。私の知らない名を残せなかった人たちが、金なし職なし飯なし女ありの、しがない人生で、あまり健康面のことなで考えず、いつ死んでも本望だと、破らかぶれでその場限りの浮世を渡り歩いたようでもの悲しい話だ。エノケン、エンタツアチャコ、古川ロッパ、益田喜頓、水の江滝子、柳家金語楼、山茶花究、森川信、有島一郎、伴淳三郎、東海林太郎、共産党の野坂参三、志賀義雄、宮本顕治、徳田球一などは知って…

  • マリリン・モンロー Part.58

    1950年 1950 モンローさん、ちょうどアナタの本を読んでいるところです。アナタの意外な素顔を見た思いです。 併し、私はアナタのある一面も見ました。 それは哀しみであり孤独と寂しさですね。 ひたすら愛を求めるアナタを見ていて手を差し伸べたいと思うようになります。 私だったらアナタを受け止められたのに。

  • ジョージア・オキーフ 1887年11月15日 - 1986年3月6日

    ジョージア・オキーフ 《青い帽子を持つ女性》 《New York Street with Moon》(1925年》 《白と青の花の形》 《音楽とピンクと青 II》 《遠くから近くに》 《黒十字社》 《マンハッタン》(1932年) 《骨盤と遠景》 《骨盤Ⅱ》 《雲の上の空》 オキーフは70年にも及ぶ長い画歴のなかで、ほとんど風景、花、そして動物の骨だけをテーマとして描きつづけた。なかでもオキーフの名を一躍有名にした画面いっぱいに拡大して花の絵を描いた作品群や、牛の頭蓋骨をイコンのように威厳を込めて描いた作品群がよく知られる。アナタ、アメリカ人で女性だったんですね、知りませんでした。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 チューブ入りの絵具

    チューブ入りの絵の具が発明されたのは1840年代初頭のことで、19世紀初めはブタの膀胱を絵具入れとして使っていた。残った絵具はまたそこに入れて保存する。これでは手間がかかるし、保存状態が悪いと絵具はすぐに固まる。そのため画家の創作活動は屋内の工房で行われるのが常で、油彩の絵具も必要な色を必要な分だけ油で溶いて使うスタイルがとられていた。チューブ入りの絵具はこうした問題を解決し、画家が戸外で絵を描くことを可能にした。当然、ゴッホはその恩恵を受けていたため、あれだけ屋外を写生することが出来たわけである。そして産業革命は西側諸国に大きな変革をもたらした。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。人類…

  • 漂砂のうたう 木内 昇

    『櫛挽道守』で第9回中央公論文芸賞を受賞に続いて二冊目の本だが、この人、木内 昇と書いて(のぼる)ではなく(のぼり)で女性作家なんですよ。本作は直木賞受賞作で、維新から10年、武士という身分を失い、根津遊廓の美仙楼で客引きとなった定九郎。自分の行く先が見えず、空虚の中、日々をやり過ごす。苦界に身をおきながら、凛とした佇まいを崩さない人気花魁、小野菊。変わりゆく時代に翻弄されながらそれぞれの「自由」を追い求める男と女の人間模様を描いたドラマだが、後半になるに従い、この作者のただならぬ筆力に絶句する。人間観察の奥深さ、時代小説の難しさ、起承転結織りなす読者の引き込みの上手さ。遊郭、着物に関する単語…

  • ファラ・フォーセット Part.2

    1978年 1970s. ファラさん、アナタ亡くなったんですよね。 残念です、せめて私と知り合っていてほしかったです。 ご冥福をお祈り申し上げます。

  • ギュスターヴ・モロー Part.5

    《キマイラ》(1867年) フォッグ美術館 《サッフォー》(1893年頃) 《ヘシオドスとミューズ》(1857年) ハーバード大学美術館 《一角獣》(1885年頃) ギュスターヴ・モロー美術館 《出現》(1876年) ギュスターヴ・モロー美術館 《ガラテイア》(1896年) ティッセン・ボルネミッサ美術館 《エウロペの誘拐》(1868年) 《夕べの声》 《オルフェウス(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)》(1865年) オルセー美術館 《ペリ》(1865年) シカゴ美術館 あまり好きになれませんね、アナタの絵は。 発想そのものが感性に合わないのです、ごめんなさいね。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 歪んだ真珠

    古来、キリスト教の教会では、静的で高貴な宗教画が好まれていた。ルネサンス、次いでマニエリスムとそれは継承されてきたが、17世紀に入ると、その流れが一変する。従来よりも派手で劇的な作品が好まれるようになった。そのような芸術様式をバロック、「歪んだ真珠」という意味のポルトガル語「バロコ」に由来するという説が有力らしい。17世紀初頭から18世紀前半にかけて、ヨーロッパ芸術の主流を成した。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ヨーロッパの絵画芸術の歴史は長い、その分、勉強は困難を要する。日本の国会よりアメリカの予備選が気になる1日だった。おやすみなさい、また明日。

  • 残り者 朝井まかて

    当初は江戸城引き渡しにあたっての政局と軍事の話かと思ったら、さに非ず。将軍と御台所の衣装係である天璋院付き「御服之間」のりつ。天璋院の愛猫を探している「御膳所」で働く御仲居のお蛸。御台所の居室の掃除や雑用を受け持つ「御三之間」のちか。「御中臈」のふき。そして静寛院宮(和宮)付き「御服之間」のもみぢが、江戸城、引き渡しの前日から城内に立てこもり、なにやら悠長なことをやっているが、明日は薩長が来るかもしれないという時の、幕府の瓦解と大奥一千人の身の処し方など、今後の行く末などを思いおもいに悩み考えるような話だ。思えば十四代将軍家茂が夭逝しなければ、歴史は変わっていたかもしれない。尊王思想の強い水戸…

  • ノーマン・ロックウェル 1894年2月3日 - 1978年11月8日

    ノーマン・ロックウェル 《濡れたキャンバスで走る少女》(1930年) 《 リンカーン・レールスプリッター》(1974年) 《時計職人》(1948年) 《鍛冶屋の少年–かかととつま先(シャフトズベリー鍛冶屋》(1940年) 《トリプルセルフポートレート》(1960年) 《目利き》(1961年) 《The Party Line》(1919年) 《家系図》 アメリカ合衆国の画家、イラストレーター。軽いタッチでアメリカ合衆国の市民生活を描き、アメリカ合衆国で幅広い大衆的人気を持つ。

  • 救世主キリスト大聖堂

    救世主キリスト大聖堂、ウクライナ ロシア帝国 (現在のウクライナ) のハリコフ近郊に建設され、完成直後の1894年に撮影された写真。併し、1930年代にスターリンによって数千の教会が破壊されたとき、この教会も破壊された。バッカじゃないのスターリンは。こんな見事な建造物を破壊するなんて、それも数千の教会を、だから共産主義は嫌いだ。

  • 妄想仏像見学会 part.17

    『妄想仏像見学会百六十一』は【京都・神護寺/五大虚空蔵菩薩坐像(平安初期)】です。 『妄想仏像見学会百六十二』は【京都・阿弥陀寺/薬師如来立像(9世紀)】です。 『妄想仏像見学会百六十三』は【京都・東寺/金剛波羅密多菩薩(江戸)】です。 『妄想仏像見学会百六十四』は【奈良・法隆寺夢殿/行信僧都坐像(750年)】です。 『妄想仏像見学会百六十五』は【京都・東寺/弘法大師坐像(1233年)】です。 『妄想仏像見学会百六十六』は【奈良・室生寺/十一面観音立像(平安前期)】です。 『妄想仏像見学会百六十七』は【愛知・東観音寺/二天立像(平安)】山門奥の収蔵庫に安置。像高1m。 『妄想仏像見学会百六十八…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 ジャンルによって序列

    フランス美術界では、19世紀中ごろまで絵画のジャンルによって序列が存在した。画家による作品の価値とは別に、歴史画、宗教画、神話画、風景画、肖像画、風俗画、静物画、といったジャンルごとの格付けがあった。最も格上は歴史画、宗教画、神話画で、次は人間をテーマにした風俗画、肖像画が続き、風景画や静物画は最も下のジャンルだった。こうした序列が決まったのは王立絵画彫刻アカデミーが設立された17世紀半ばだった。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。私だったら歴史画、風俗画、肖像画、風景画、静物画、宗教画、神話画だな。おやすみなさい、また明日。

  • 「パイレーツ・オブ・FM」 Once Upon a Time in the West

    youtu.be みなさんはあまり興味ないと思いますが、イタリアの作曲家エンニオ・モリコーネの映画『ウエスタン』の主題歌でもあった、『Once Upon a Time in the West』です。私は13歳から彼のファンで、レコードも買っていたのですが、晩年、日本公演があると知り、待ってましたと言わんばかりに出かけて行きました。有名な『ニュー・シネマ・パラダイス』の作曲者として知られていますが、数々の名曲を残しました。

  • 無名仮名人名簿 向田邦子

    森繁久彌には有名な楠木正成と正行(まさつら)の「桜井の駅の別れ」を河内弁でやるという抱腹絶倒の絶品芸があったらしい。「正成涙を打ち払い、我が子正行を呼び寄せて、父は兵庫に赴かん、彼方の浦にて討死せん、いましはここ迄来たれども、とくとくかえれ故郷へ」青葉しげれる桜井のでお馴染みの「大楠公」だが落合尚文作詞だけあって、実に格調高い。楠木正成は600年も前の河内国守護職なので親子は「おんどりゃあ」と河内弁でまくし立てていたかもしれない。いちど聞きたかったが、向田邦子も聞いたことがないらしい。彼女は教養があってせっかちでせこい。万年筆も使い込んで使い込んで先が丸くなったのが好きで、そういう物を見つける…

  • エミリー・ラタコウスキー Part.2

    2016 エミリーさん、アナタ171㎝もあるんですね。私、169㎝しかないんですけど、ダメでしょうか。 つまり付き合ってもらえないかということなんですけど。 たった2㎝なんですけど、ハイヒールを履かなければなんとか並んで歩けると思うのですが。モデル並みのアナタですからやっぱりダメですかね。

  • マックス・エルンスト 1891年4月2日 - 1976年4月1日

    《動物のいる都市》(1919年) 《水没》 《シュルレアリスムの勝利》 《男たちはそれについて何も知らないだろう》 《夜の接吻》 《沈黙の眼》 《ハレルヤ》 《偽教皇》 《仮定と否定》 《ナイチンゲールに脅かされる二人の子供》 彼の代表作のひとつに、裸婦の全身を描く『美しき女庭師』(1924年)があるが、台頭してきたナチスに接収され、「ドイツ女性への侮辱」との侮蔑的評価とともに「退廃芸術展」に出品され、そのまま消失している。エルンストは懐旧の念をもって、リメイク作『美しき女庭師の帰還』を1967年に発表している。

  • メダカの花嫁学校 阿川佐和子

    阿川佐和子と向田邦子のエッセイを読むに、どちらがどう面白いのか考えてしまう。先ず、決定的に違うのは二人の年齢差で親子ほど年が違う。向田は戦前の生まれで、戦時中の話など物の無かった時代、私も知らない遠い昔の思い出話など懐かしく語ることもある。共通点といえば、二人は共に4人兄妹で父親恐怖症。父は短気でよく怒鳴り、場合によっては拳骨が飛んで来る。文章的には向田の方がやや硬さがあり教養豊かのように思う。感心するのは来歴故事など格言が頻繁に出て勉強になる。それに比べ阿川の方は文章が平明で分かりやすく面白い。だがエッセイストは斯くあるべきという点は、両者ともへりくだってかなり自虐的に自分を見ている。そこが…

  • ソフィー・マルソー Part.3

    ソフィーさん、私はアナタのことを少女の頃から知っています。 しかし、いつの間にか大人になってセミヌードになって煙草も吸うようになったんですね。男を知った証拠です。 まあいいです、それでもアナタのことが好きなんです。 いつもアナタと別途イン、いや、ベットインしている夢を見ながら起きるようになってしまいました。どうか、私の夢を叶えてくださいな。

  • サルバドール・ダリ Part.8

    《瞑想するバラ》 《夜のメクラグモ…希望!》 《浜辺に現れた顔と果物鉢の幻》 《ハープ上の瞑想》 《エル・アンゲルス》 《目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢》 《ヴィーナスの夢》 《ピカソの肖像》 《怒りの信号》 《シャーリー・テンプル、時の映画界の最も若いアイドル》 ダリさん、アナタが天才だということは認めますが、なかには奇想天外すぎるものがあるんじゃないですか。どこまでいってもダリ風は崩さないんですね、

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 なぜ、ルネサンス初期の肖像画はみな横を向いているのか?

    なぜ、ルネサンス初期の肖像画はみな横を向いているのか?古代ローマでは正面向きや斜め向きの肖像画が数多く描かれていた。しかし、そのほとんどが中世の混乱のなかで破壊されたり失われてしまい、ルネサンス時代には手本となるような肖像画がまったく残されていなかった。そうしたなか画家が唯一、手本にできたのは、富裕層が収集していた古代ローマのコインだった。コインには、ローマ皇帝などの顔が横向きに浮き彫のように描かれていた。ただし「コインの顔は横向きにすべし」という決まりがあったわけではなく、厚みのないコインに正面向きの顔を刻むのは技術的に難しかたというのが横向きの理由らしい。しかし初期ルネサンスの画家たちは、…

  • レキシントンの幽霊 村上春樹

    七つの短編集で、どれも一人称で語られるような話。中には思い出話しのようなオカルトチックなものもある。殆ど会話のない小説というのはあまり好きな方ではないし、古い作品で、まだまだノーベル文学賞には程遠いものだと思うばかりだった。中でもこれはまあまあ面白いと思ったというか、いや、哀しかったと言った方が適切かもしれないのは『七番目の男』だろうか。最近は古書店で、ある数人の作家の文庫を見つけたら必ず買うようにしている一人が村上春樹で、未だ長編は読んだことがないが、これは面白いといったものにぶつかったことがない。

  • キャサリン・ウィニック Part.2 〇

    2014 2010 (2009 2015キャサリンさん、アナタの美人度にはもう悩殺です。どうしたらアナタと付き合うことができるでしょうか。 どうしても付き合いたいのです。 何が何でもまずお近づきになれないでしょうか。 何でもしますからお友達にしてください。 私はアナタのポチになります。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 メメント・モリ

    最近、何のCMかアニメだと思うが、優しいテーマソングが流れる中「メメント・モリ」というフレーズをよく聞く。1346年に初めてヨーロッパを襲ったペストは、ヨーロッパ全人口の三分の一を死に至らしめた。いつ死ぬか分からない状況にさらされた人々にはメメント・モリ(死を忘れるな)という思想が浸透していく。それに呼応するかのように、死を題材にした絵画作品も増え、とくに生者と死者が墓に向けて行進する「死の舞踏」という主題が北方全域に広まった。なかでもペストの流行がもたらした死生観の影響を受けたブリューゲルの『死の勝利』は有名で、荒涼とした大地で大量の「死」が展開される。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間で…

  • 桑田佳祐 68回目のお誕生日

    2月26日は…☺️🎂 サザンオールスターズ 桑田佳祐 68回目のお誕生日です‼️🎉。桑田君をはじめ、皆さんもいついつまでもお元気でいてください。

  • レイチェル・ワイズ Part.2

    2015年 1987年 レイチェルさん、いい名前ですね。一度呼んでみたいです。 何処かで待ち合わせて「ごめんねレイチェル・ワイズ、待たせちゃって」なんて言ってみたいです。よかったら私の最寄りの駅名を教えますので、どうでしょうひとつ、そんな会話をしてみるのも。

  • 沖で待つ 絲山 秋子

    結婚した親しい会社の男子社員と生前、ある約束をしていた。どちらかが死んだら、それぞれ合鍵を使ってパソコンに残された秘密の情報などを全て消去する。あっけなく死んでしまった、その同僚のアパートに忍び込み、まるで犯罪者のように悲しみを抑えパソコンに向かう女性の話だが、私としてはそれほどの感動はない。直ぐにストーリーを忘れてしまいそうだ。とにかく芥川賞、直木賞となれば、ちょっと読んでみようかというのが習性なのだ。他に『勤労感謝の日』はお見合いの席を蹴って帰るような話で、『みんなのしまのぶんたろう』は全編ひらがなで読みづらかった。

  • 川瀬巴水 Part.7

    《旅みやげ第3集 別府乃朝》(1928年)国立国会図書館 《木場の雪》(1934年)国立国会図書館 《旅みやげ第3集 大坂 天王寺》(1927年)国立国会図書館 《夕暮れの雪、江戸川》 《蒲生の満月》(1932年) 《吹雪の塩原》 《東照宮の雪》 《旅みやげ第3集 田澤湖 漢搓宮》(1927年)国立国会図書館 《松嶋五大堂の雪》 (1932年) 《伊豆湯ヶ島》(1936年) 近代風景版画の第一人者であり、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。私も好きなんですよ。このあまりに日本的な版画の雰囲気がたまりませんね。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 世の儚さを思う

    今日、仲宗根美樹さんが亡くなったが、本当に毎年毎年、先輩方が多く亡くなって昭和はどんどん遠くなっていく。日本映画で母を演じ2012年7月9日に95歳の人生を閉じた山田五十鈴は、日本が誇る溝口、成瀬、小津、黒沢という四巨匠の名作に出演し、女の業の深さを演じきった女優は他にいない。人生の大先輩が亡くなるにつけ、一縷の寂しさが横切る昨今、こうして閏年も過ぎていくのだと世の儚さを思う私です。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。逆に大谷選手の結婚はお隣韓国でも大ニュース。あるテレビ局ではどこへいっても大谷結婚の話で持ち切りだったとか。私などが再婚しても町内のニュースにもならないのだが。おやすみなさ…

  • アレクサンドラ・ダダリオ Part.5

    2017 アレクサンドラさん、いい名前ですね。国王みたいな名前のアナタを待っていたんです。 私にアレクサンドラと呼ばせてください。 アナタの特徴は目です。 ぞっとするようなその目でいつも私を見つめてください。

  • ルビンの壺が割れた 宿野 かほる

    映画にしろ小説にしろ、最近よく見かけるのが「衝撃のラスト」こんな文字に踊らされて読んでみたら、なんのことはない、そんなことかとガッカリさせられることはないだろうか。本書は専門家が読んでも「何とも分類しようない小説」「万華鏡のような作品だ」と頭を傾げる。確かに何ともいえないラストが待ち受けている。本書を読む場合は必ず前から読み進めてほしい、決してラストのページを捲らないように。これほどの驚きは滅多にないかもしれない。因みに「ルビンの壺」というのは、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した図形で、見方によっては「壺」に見えたり「向き合った二人の顔」に見えたりするという不思議な絵で、人間の認知…

  • カール・ラーション 1853年5月28日 - 1919年1月22日

    カール・ラーション 《玩具コーナー》(1897年) 《ストックホルムの冬(屋外の画家)》(1866年) 《クリスマスと新年の間》(1899年)スウェーデン国立美術館 《史跡巡りをする夫妻》(1906年) 《カーリンの命名日のお祝い》(1899年)カール・ラーション・ゴーデン 《子供たちの就寝後》 《ケルスティの誕生日》(1909年) 《ブリータと私》 《ベンチに横たわる女性》(1913年) シエスタの時間 《かくれんぼう》(1901年) カール・ラーション・ゴーデン 初めての登場です。スウェーデンの画家で油彩・水彩ともに多数の作品を残し、フランス印象派の画家に多大な影響を与えたとされる。自身の…

  • ダメオのスター・ツーショット Part.6

    Leslie Howard and Ingrid Bergman on the set of Intermezzo, 1939 Maurice White and Natalie Cole photographed by Frank Edwards, 1978 Spencer Tracy and Clark Gable in BOOM TOWN (Jack Conway, 1940 John Coltrane and Miles Davis 1930年、ベルリンのアインシュタイン邸のタゴール Gwyneth Paltrow & Julia Roberts Monica Bellucci & S…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 阿漕平治伝説

    三重県の県都は津市である。JR紀勢本線の津駅から、南に行った二つ目の駅が阿漕(あこぎ)駅だ。ここの海は、伊勢神宮に供えるために、かつては禁漁区だった。阿漕という名の漁師が密漁したために海に沈められ、地獄に落ちても責め苦を負う。その来歴を描いたのが謡曲「阿漕」や文楽「勢州阿漕浦」であり、ここの地名はそこから付けられたという。「強欲で、しつこい」を意味する「阿漕な」は、その伝説から出た言葉なのだ。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。つまり、阿漕平治伝説ですね。おやすみなさい、また明日。

  • 人間失格 太宰 治

    太宰の文学的評価というのは未だに確定していないらしい。一般的の日本文学といえば、谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成、三島由紀夫などの名前が挙がり、太宰というと私小説作家の代名詞みたいな感覚なんだろうか。私はといえば、これまで作品よりは太宰と近しかった友人、妻、愛人などが書き残した文献などを中心に読んできた節がある。いったいに太宰とは何者なのか。全否定か全肯定しか許されないという評価もあるが、全否定の象徴となったのが三島由紀夫だろう。「私はアナタが嫌いなんです」と本人を目の前に堂々と言ってのけた。蛇足的な話だが、私は16歳のころから女性問題で周辺に迷惑をかけまくった。銃刀法違反で警察に捕まり、翌年に…

  • シャーリーズ・セロン Part.8

    2010 シャーリーズさん、アナタの名演技はよく分かっております。 とんでもない女優さんですよね。 併し、このような写真をみているとアナタも相当エロいのですね。 ますます好きになりました、私を知ってもらうためにも是非お話したいです。 私の街のコメダに行きませんか。

  • 滝平二郎 part.31

    《夏の終わり》 《行く夏》 《夏が暮れる》 《後悔先に立たず》 《お月さまいくつ》 《秋の野》 《落日》 《山ぶどう》 《赤とんぼ》 《うさぎ 》

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 阿部正弘の時代

    今の時代、50歳で総理大臣になればかなり若手だと言われるだろう。併し、江戸の昔は違った。数えで15歳になれば成人扱いだ。頼りにならない将軍家定を補佐して四年の間、老中阿部正弘は心身を酷使した。ペリーの二度の来航の時の対応、ハリスの下田総領事館の開設、日米和親条約の締結をはじめ各国との同条約の調印も、すべて正弘が決断したものだった。日本の開国という歴史上の大転換は、まさに阿部正弘の時代に決定されたものだ。内政面では、二度の安政の大地震、京都大火で皇居焼失。それら復興に忙しいなかに、国防の手当てを諸藩に命じて江戸湾防衛隊動員や台場作り、幕府の重しとしての任務に疲れ果てたのか、三十九歳の若さで安政四…

  • パウル・クレー Part.12

    《おしゃべりな男》 《北極の露》 《戦闘準備のできた大帝》 《論争》 《女の仮装衣装》 《紫と黄色の運命の響きと二つの球》 《金色の緑のあるミニアチュール》 《アフロディテの解剖学》 《透視-遠近法的な》 《無題(花と蛇)》 いつもながら解りませんね。 もっと、私が欲しくなるような絵を描いてくださいよ。 どれもこれも欲しくない作品ばかりです。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 『悲しめる友よ』永瀬清子

    悲しめる友よ、女性は男性よりさきに死んではいけません。男性よりも一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。男性が一人あとに残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから。あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。これらのことはどこの田舎の老婆も知っている事であり女子大学で教えないなのだ。『悲しめる友よ』永瀬清子。「ムーンライト・セレナー…

  • ジェニファー・ローレンス Part.10

    2014 2018 2019 ジェニファーさん、美人でスタイル抜群、何を着ても似合いますね。そんなアナタは私の横にいると、なお、その本領を発揮すると思います。 いや、アナタに横に私はいるべきなんです。 二人はお似合いのペアだからです。 そう運命付けられていると確信しているんです。 さあ、どうぞ私の横に。

  • インビジブル 坂上 泉

    昭和29年、大阪城付近で政治家秘書が頭に麻袋を被せられた刺殺体となって見つかった。大阪市警視庁が騒然とするなか、中卒の若手・新城は初めての殺人事件捜査に意気込むが、上層部の思惑で、国警から出向してきた帝大卒のエリート・守屋と組むことに。全てが正反対のふたりは衝突を繰り返しながら、戦後大阪に広がる巨大な闇に迫る。昭和29年といえば、まだ国内整備も完全ではなく犯罪も多かったろう。人権意識も薄く警察による暴力も頻繁に起きていたのだはなかろうか。まったく違う個性の二人が、ただ一つ犯人を追う執念だけは一致していた。

  • マックス・ベックマン Part.2

    《自画像》(1917年) 《カーニバル》 《黄色い猫の少女(灰色)》(1937年) 《ダブルポートレート》 《ペルセウス》 《メッシーナ地震》 《十字架からの降下》(1917年) 《バンドミュージカル》 《マックス・ベックマンの夜》 《フランクフルトのニース》 第一次世界大戦に衛生兵として参加するが、戦場での経験から、神経衰弱に陥り、除隊。この経験は彼の芸術に大きな影響を与え、表現主義のスタイルの作品を描くようになった。 1915年にフランクフルトの美術学校で教えた。1930年代までのナチスの台頭を反映して、彼の作品はリアリズムと社会批評を含むようになった。ナチスの権力が強まった1933年に、…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 清談ををしたくおもいます

    清談ををしたくおもいます。物価、税金の話、おことわり。人の悪口、噂もいや。我が子の報告、逐一もごかんべん。芸術づいた気障なものも、やだし、うけうり清談、ふるふるお助け!。日常の暮らしからは、すっぱり切れて、ふわり漂うはなし、生きてることのおもしろさ、おかしさ、哀しさ、くだらなさ、ひょいと料理して、たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか。私もうまくできないので憧れます。求む、清談の相手。女に限り、年齢問わず、報酬なし。当方四十歳(とし、やや、サバよんでいる)茨木のり子。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。NHKスペシャル「戦場のジーニャ ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~」を見た。戦場…

  • マンガでめぐる考古遺跡・博物館 今井 しょうこ

    私がいくら歴史好きだからといっても、遡ることせいぜい源平時代まで。古代史はもっとも苦手な時代で、〇〇の尊(みこと、皇子なんていうもはさっぱり分からない。だいたい、長い天皇制の間に卑弥呼が存在していたわけで、その時代に天皇は何をしていたのかも知らない。著者は考古学に並々ならぬ興味があるようで、全国の博物館に行ってはマンガ解説書を書いて、分かりやすく説明している。そもそも考古学や民俗学には、ある特定人物が登場しないところに、私の興味が注がれないのだと分かっているので、今後ともこの手の学問に興味が持てるとは思はないが。

  • ジョルジュ・ロシュグロス 1859年8月2日 - 1938年7月11日

    ジョルジュ・ロシュグロス 《古代の戦士》 《民衆に連行されるルキウス・ウィテッリウス》 《サランボーと鳩》 《メッサリナの死》 《女優サラ・ベルナール》 《オダリスク》 《アラビアの女》 《花の騎士》 《アンドロマケー》 《バレリーナ》 フランスの画家である。最初は歴史画を描いたが、後には「オリエンタリズム」の画家として、中東趣味の女性を多く描いた。オペラのポスターなどの原画も描いた。

  • 尼港事件

    日本人はすっかり尼港事件を風化させてしまったが、ロシア内戦中の大正9年3月から5月にかけてアムール川の河口にある日本人統治状態にあったニコラエフスクで発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件、尼港虐殺事件や(ニコラエフスク事件)を記憶しておいてほしい。港が冬期に氷結して交通が遮断され、孤立した状況のニコラエフスクを、パルチザン部隊4,300名が占領し、停戦協定を無視して白軍を武装解除、白系ロシア人とみなしたニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行った。それとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求。これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍艦隊と共同で殲滅すると、老若男女の別なく、最終的に…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 詩人、茨木のり子は書く

    詩人、茨木のり子は書く。「男性は何歳になっても、わんぱく小僧時代と変わらないで、やりたい放題、ちらかしっぱなし、どうともなれ式に息絶えます。そのぶざまさを人々の目から隠し、きれいなジ・エンドとして形を整えてあげ、水がいっぱいでもちあげきれない壺を抱えてゆくような悲しみに耐えるのが女の本当の仕事なのだと言っている。」うん・・・、男の私からは、そうだとは言い切れませんね。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ゼレンスキー大統領は24日、国民向けのビデオ演説で「730日分勝利に近づいた」と述べ、改めて国民の結束を訴えた。3年目に突入した戦争の出口は見えないままだが、私もウクライナの勝利を信じてい…

  • グスタフ・クリムト part.10

    《ヒュギエイアの杯》(1907年) 《愛(Liebe)》 (1895年) ウィーン・ミュージアム カールスプラッツ 《リンゴの木》(1912年) 個人蔵 《ヴァイセンバッハの森の家Ⅰ(アッター湖畔のカントリー・ハウス)》(1914年) オーストリア・ギャラリー 《ひまわりのある農場の庭》(1913年) 《踊り子》 《女性の肖像》(1894年頃) オーストリア・ギャラリー 《ブナの森Ⅰ》(1901-1902年) 《ソニア・クニプスの肖像》(1898年) ウィーン・オーストリア美術館 《ヘレネ・クリムトの肖像》 (1898年) クリムトの姪ヘレネの肖像画。ヘレネ、六歳の頃。 クリムトさん、アナタの…

  • 偉人伝 part.14

    ウィリアム・サマセット・モームです。『月と6ペンス』『人間の絆』を読みましたが、これ以上はもう読まないと思うがどうだろうか。アイデアが出ない時は、ひたすら自分の名前を繰り返しタイプライターで打ち続けていたとか。今ならパソコンですね。 ご存知、エディット・ピアフです。有名な「愛の讃歌」の歌詞は、ピアフがアメリカ初公演時に出会い、恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられる。セ…

  • 妄想仏像見学会 part.16

    『妄想仏像見学会百五十一』は【福井・羽賀寺/毘沙門天立像(1178年)】です。像高約159cm。 『妄想仏像見学会百五十二』は【京都・東寺/持国天(839年)】です。高さ1.8m。 『妄想仏像見学会百五十三』は【群馬・不動寺/不動明王像(1251年)】です。像高165cm。 『妄想仏像見学会百五十四』は【奈良・興福寺/法相六祖坐像(1189年)】計6体です。像高73~85cm、仏師康慶の作。像名は寺伝では常騰、神叡、善珠、玄昉、玄賓、行賀とされているが諸説ある。 『妄想仏像見学会百五十五』は【岩手・天台寺/観音菩薩像(平安後期)】です。像高118cm。 『妄想仏像見学会百五十六』は【三重・連光…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 維新以来77年の努力が水泡に帰した終戦だった。

    若い人にとってはピンとこないと思うが、私が生まれる前のそう遠くない過去、日本は主権国家ではなかった。つまり独立国家ではなく、天皇及び日本国政府はマッカーサー元帥に従属しており、一切の命令に服することをポツダム宣言で約束していた。国家主権は停止されており、外交、立法、行政、司法すべて最高司令官の指揮監督下にあった。かくて最高司令官は、財閥解体、農地解放、教育制度改正など、従来占領軍に認められていたハーグ陸戦法規上の権利を遥かに超えた絶大な権力を行使していた。既に陸海軍はなく航空機、艦船は全て消滅しピストルひとつない有様で、明治以来、営々と築いてきた帝国陸海軍も憲法も全て藻屑と消え、元老、重臣など…

  • ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか—民主主義が死ぬ日 ベンジャミン・カーター・ヘット

    ペリー来航の1853年から明治維新までの1868年の15年間、この幕末といわれる時代をドイツ人が勉強するとなるとかなり厄介で難しいと思う。武家、大名の名前のややこしさから、無数に出て来る人物。朝廷と幕藩体制の関わり方、目まぐるしく変わる政局など、日本人が覚えるにも大変だが、逆に第一次大戦後の1919年、ヴァイマール共和国誕生からナチ政権誕生の1933年までの14年間を日本人が勉強するとなったら、これまた厄介だ。ドイツ人の長ったらしい名前と発音の難しさ。各政党から無数に出て来る人の多さ。日本人だから幕末に関する多くの著作物を読めたが、ドイツ語が読めないのでヴァイマール時代の人物の伝記など読めない…

  • リンダ・カーター Part.12

    21歳 リンダさん、スタイル抜群のリンダさん、美人のリンダさん。どうしたってアナタに相応しいのは私しかいないでしょ。 アメリカ中、何処を探したって私以上の男はいませんよ。 一度会ってもらえれば分かります。 ねえ、じっくり話し合いましょうよ。 いかに私がアナタに適しているか分かるはずです。 もうアナタなしでは生きられない私なんです。

  • ジェームズ・ティソ Part.7

    《夏》(1878年) 個人蔵 《静粛に》(1875年頃) マンチェスター美術館 《教会》(1865-1869年頃) 個人蔵 《姉の絵》 《俄から嵐》(1877年) ビーヴァーブルック美術館 《幻影》(1885年) 個人蔵 《ロイヤル通りのサークル》(1868年) オルセー美術館 《ブライズメイド》(1883年~1885年) 《二人の姉妹》(1863) 《天地創造》(1896〜1902年頃) ティソさん、肖像画や人物画ばかり描いていたアナタが、またどうして天地創造なんですか。それこの作品、何がどうなっているのかさっぱり解りません。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 「核要塞」

    昭和20年、海軍大将鈴木貫太郎内閣の外務大臣だった東郷茂徳は、2月上旬に米英ソがクリミアでヤルタ会談を行ったのも知らず、ソ連に和平案を頼もうとしていた.。近衛文麿元首相を特使として派遣するように努力していたが、なんとも迂闊な話だった。中立条約の不延長を宣言されながら、天皇制護持を条件にソ連に縋ろうとしていたのだ。併し、8月、ソ連軍は雪崩を打って満州に侵攻し大日本帝国は未曾有の危機に立たされる。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。そして今、日本の北方に、ロシアの「核要塞」が広がっている。共産党などは大軍拡時代などと言っているが、今後50年、平和が保てると誰が保証できるのだ。決して現在の世界…

  • 首里の馬 高山羽根子

    ストーリーを忘れないために解説を載せておくが、問読者(トイヨミ)それが未名子の仕事だ。沖縄の古びた郷土資料館で資料整理を手伝う傍ら、世界の果ての孤独な業務従事者に向けてオンラインで問題を読み上げる。未名子は、この仕事が好きだった。台風の夜に、迷い込んだ宮古馬(ナークー)。ひとりきりの宇宙ステーション、極地の深海、紛争地のシェルター、孤独な人々の記憶と、この島の記録が、クイズを通してつながってゆく。第163回芥川賞受賞作。概して芥川賞というので感動したことがあまりない。何が面白かったさっぱり解らなかったが。

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