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愛に恋 https://pione1.hatenablog.com/

晴読雨読、乱読遅読の独歩人生を送っております!

人との出会いはめっきり少なくなりましたが、新刊、古書を問わず本との逢瀬はこれからも大事にしていきたいと日々、思っています。

ダメオ
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2017/07/10

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  • 「ムーンライト・セレナーデ」 子曰わく、孟子反(もうしはん)伐(ほこ)らず

    子曰わく、孟子反(もうしはん)伐(ほこ)らず。奔(はし)りて殿(でん)す。将(まさ)に門に入らんとして、その馬に策(むちう)ちて曰く、敢て後れたるに非ず、馬進まざるなり。孔子様がおっしゃるよう、「孟之反は功こうにほこらぬ人だ。まけいくさのしんがりをみごとにつとめたが、城門に入ろうとするとき馬に一鞭ひとむちあてて、『わざわざしんがりをしたわけではない、馬が疲れて前へ出なかったのだ。』と言った。まことにおくゆかしいことじゃ。」の由来ですね。朝倉攻めで負け戦となった織田軍の殿(しんがり)を務めた秀吉というところだが、孟子反は、それを誇らず馬が疲れたから遅くなっただけだと言っている。「ムーンライト・セ…

  • ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー Part.5

    《レガッタ》(1828-1837年) テート・ブリテン 《ドルバダーン城》(1800年) ロイヤル・アカデミー 《ディエップの港》(1826年) フリック・コレクション 《ヴェネツィアの広場》(1835年) スコットランド国立美術館 《税関とサンタ・マリア・デラ・サルーテ》(1834年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー 《高波と炎》(1840年頃) クラーク美術館 《怠惰の噴水》(1834年) ビーヴァーブルック美術館 《雪 嵐 港口の蒸気船》(1842年) テート・ブリテン 《難破船》(1805年) テート・ブリテン 《平和 海葬》(1842年) オンタリオ美術館 好んで使用した色は黄色…

  • 第二の性

    以前にも少し書いたが、私がまだ18歳の頃に同棲していた5つ年上の女性と、ある日、喫茶店で待ち合わせしていた時の話。その喫茶店は以前、キャバレーだったのか大きなホールがあり、いくぶん遅れて行った私が見た彼女は、咥え煙草で何やら文庫本を読んでいた。座るなり唐突に「第二の性を読んでるの、将来のために」と、さも自然に言うのだが、少年の私には「第二の性」もボーヴォワールもからっきし分からない。そもそも彼女とは頭の出来が違い、相手は立命館大学卒業だが、こちらは煙草も珈琲も飲めないお子ちゃま。私の熱愛で同棲まで至ったのだが、学歴の差は歴然。今日、行きつけの古書店のレジ裏にあったこの本を以前から知ってはいたが…

  • 「パイレーツ・オブ・FM」 Love Don't Let Me Go

    youtu.be 今日の1曲はノルウェーのジャズ歌手で、アンジェリーナ・ジョーダンの「Love Don't Let Me Go」です。祖父は日本人で、ピアノ、ギター、フルート、バイオリンを弾く才媛らしい。子供の頃から有名で、2014年12月にノーベル平和賞コンサートで歌唱パフォーマンスし、クインシー・ジョーンズの誕生日会にて歌唱パフォーマンスするなどだから、相当な実力者なんだろう。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 行住坐臥

    行住坐臥とは、人生、何も難しいことはない。步いて停まって坐って寝る。たったそれだけのことだという。仏教の説く戒律や規則を守っていく中で、行く・住する(止まる)・坐る・臥す(寝る)を注意深く行うこと。転じて、日常のすべての立ち居振る舞いを意味する。これは仏教用語で「四威儀(しいぎ)」といわれ、『華厳経』等に見える。人生を歩むことは難しいことのようだが、本当にそうなのか。私たちは、日々様々なことを考え、様々な行動をしているように思えるが、突き詰めて考えれば、歩いているか、止まっているか、坐っているか、寝ているか、すべてこれらのいずれかに当てはまる。犬も、無心に行住坐臥を行じている。人生、たったそれ…

  • カトリーヌ・ドヌーヴ Part.10

    1975 ドヌーヴさん、アナタ、本当に美人ですね。 雰囲気もいいしセクシーです。 いったいどうしたらアナタと付き合うことが出来るのでしょうか。 どうしてもアナタを連れてコメダに行きたいのです。 どうか私の願いを叶えてください。

  • 藤城清治 part.2

    《生きるよろこび》(1995年) 《小さな恋》 《夕陽の中の愛の奇跡》(2004年) 《まぼろしの鳥》 《子ネコのルミちゃん》 《ねこのお相撲》 《猫のパーティー》

  • シネマへの招待 日本映画

    監督:五社英雄。勝新太郎、三島由紀夫、仲代達矢、石原裕次郎以下、早々たるメンバーが出ている映画で本当の役者ばかり。やっとDVD/Blu-ray化。勝新は岡田以蔵を演じ、その天才ぶりが分かる作品なんですよね。私の好きな映画です。 黒澤明『隠し砦の三悪人』です。これ見ましたか。両手放しで馬に乗り疾走するシーンの撮影前、三船は夜うなされ 同室の土屋嘉男が驚いてはね起きた。本番は見てのとおりの見事な出来栄えで、監督は三船の絶叫に馬がびっくりして凄い迫力だったと大喜びだったらしいが、これは相当難しい演技です。刀を両手で持って敵を追いかけている場面です。猛追する三船を死に物狂い逃げる敵。こんな凄い演技はこ…

  • なめくじ艦隊―志ん生半生記 古今亭 志ん生

    以前、『志ん生一代』という伝記本を読んだが、本書は本人が書いた自伝で、まあ、芸の肥しとはいうものの貧乏、酒、女半世紀といってもいいぐらいの前半生だろう。然し乍ら本人が語るところによると、先祖は徳川の直参で、槍の指南番で三千石というから、かなりの身分だったらしい。「旗本武鑑」にも出ているというから間違いないだろう。だが十三、十四のころから博打、酒と道楽を重ね、家を出てからというもの、とんと金に見放され家賃も払えず追い出されることの繰り返し。明治、大正の名残のあった時代の話は面白いし意外なことも多いが、私自身は志ん生の顔は知っているものの、昭和48年に亡くなっていることからして、或はテレビで何度か…

  • ハンス・マカルト 1840年5月28日 - 1884年10月3日

    《自画像》(1878年) 《ドーラ・フルニエ=ガビロン》(1879-1880年頃) ウィーン・ミュージアム 《クレオパトラの死》(1875 - 1876年) 《五感》 《カール5世のアントワープ入城》 《五感、味覚》(1872-1879年) 《マカルトによる祝祭行列のデザインの一例》(1879年) 《アリアドネの勝利》 《日本娘》 《エジプトの王女》 《ラブレター》(1875年) 「画家の王」と呼ばれた19世紀後半のウィーン美術界を代表する人物で、オーストリアの画家、ハンス・マカルト(1840年-1884年)の《クレオパトラの死》(1875-1876年)です。画家の王と呼ばれ、享受した名声と富…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 藤島武二

    洋画家の藤島武二は維新に先立つ慶応三年、鹿児島藩士の三男として鹿児島市池ノ上町に生まれた。黒田清輝とはわずか一歳違いである。八歳で父を亡くし、つづく西南戦争では二人の兄を失うという苛烈な体験をするが、その衝撃が少年武二の胸にどのように刻まれたかは分からないが、ともかく事実上、旧士族の長男となった武二である。十五歳で四条派の絵師について学びはじめる。十七歳で第二回内国絵画共進会に出店、なかなかの早熟ぶりを発揮、上京して川端玉堂に入門。翌年には東京仏語学校でフランス語を学び、すでに洋画への志向を秘めていたことが分る。少年よ大志を抱け、そのままに後年、名を残すことになった藤島武二は、またどうして絵画…

  • 暗渠の宿 西村賢太

    私の知人女性に西村賢太の大ファンがいるが、藤澤清造没後弟子と自任している私小説作家のこの人の本を読むのは2冊目。女性が彼のファンになる心理がどうも解らないのだが、私から見ると自堕落な生活で酒浸り、性欲のかたまり、風俗嬢に90万貢いで騙される。やっと見つけた女と同棲したはいいがDV的な性格が災いしている。私小説作家ということで、まったくのフィクションだとは思わず読んでいるが、これで作家としての才能があったからいいようなものを、そうでなかったら救いようがないダメ男だ。ただ、今後とも彼の作品に巡り合えばまた買うだろう。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 瀬戸内晴美時代の文学放浪記

    私はしゃがみこんで草をぬき、ハンカチで埃っぽい墓を潔めた。左隣に鴎外の妻のしげ女の墓もよりそっていた。太宰の墓から紫陽花をとりわけ、鴎外の墓に供えた。太宰の霊が見ているなら、私の行為を喜ぶだろう。正直いって、私は鴎外の文学を太宰のそれより遙かに敬愛していた。彫金のような鴎外の文学に強く憧れていた。十何年か前、田舎の女学生だった私は、太宰の「女学生」を読みはじめて、たちまち魅せられた。しかし、三十に手がとどこうという私には、もはや太宰の小説は「好きだったこともある」という過去形になった。三島由紀夫のきらきらした眩しい才能に幻惑され、まるで女学生のような他愛ないファンレターなど、せっせと送ったりし…

  • 藤城清治 1924年〈大正13年〉4月17日 -

    夢のある切り絵作品を生み続けている藤城清治さんは、100歳を迎えまだ健康だとか。素晴らしいですね、子供の頃に『銀河鉄道の夜』の作品を見て以来のファンです。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 耳無芳一

    武田百合子の『富士日記』(全三巻)を読んだことあるだろうか。その中の中巻にこんな件がある。「富士桜の花は、庭のところどころに、寄り添ったり離れたりして、薄白く浮いている。夜目には、人がひざまずいているか、佇んでいるか、うずくまっているかのように見えてしまう。私は急いで見て、急いで通り過ぎる。ほら、あの、耳無芳一に琵琶を所望して、毎夜聴きに集まる平家亡霊のようなのだ。お化けのおさむらいたちが、ひっそりとあちこちに座って琵琶を聴いているように思ってしまうのだ。あの話は怖いからな。御胎内の裏の林の中に散らばって咲いている富士桜も、夜の闇の中では怖いなあ。林の中であれが咲いているころは、夜はスピードを…

  • ダメオのスター・ツーショット Part.4

    Michael Jackson and Elizabeth Taylor (1986) Clint Eastwood and Arnold Schwarzenegger Andy Warhol and Alfred Hitchcock Akira Kurosawa and JohnFord Édith Piaf and Jean Cocteau. Frank Sinatra and Peggy Lee Paul Newman and Clint Eastwood, 1970s Freddie Mercury and Elton John バディ・ガイとトム・ジョーンズ David Bowie …

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 ブチャの虐殺

    ウクライナ戦争で起きた有名な「ブチャの虐殺」をロシア政府は「挑発」呼んでいる。つまり、虐殺や拷問や性的暴行はウクライナ軍がブチャを奪還した後に起こった出来事であり、ロシアに罪を着せるために仕組まれたものだという主張である。だが、ブチャ事件が明るみに出た後、米国の衛星画像サービス企業Maxarが同地上空の衛星画像を公開し、路上の遺体や集団墓地はロシア占領当時に出現したことを暴露した。宇宙からの目を現地住民の証言と照らし合わせて考えるならば、ロシア側の主張には全く信憑性がないことは明らかであろう。バカじゃないのか、なんで祖国防衛戦争をしているウクライナ軍が自国の民を住民の目の前で虐殺、拷問、性的暴…

  • 【AB通信:オドロイター発】 ハリコフの攻撃

    午前4時と7時20分ごろ、占領軍はハリコフ市の2つの地区の複数の地域を攻撃した。ハリコフ地方検察庁のオレクサンドル・フィルチャコフ長官は、朝の砲撃の影響について声明を発表した。現在、76歳と59歳の男性1人と女性2人の計3人の死亡がわかっている。少なくとも35人が負傷した。救出活動が続いている。このハリコフというところは、第二次大戦中、ソ連軍とドイツ軍の激しい戦いがあった所で、現在ではこのような被害が出ると必ずラブロフ外相や報道官はこういう「ウクライナの防空システムから発射されたミサイルの破片が落ちたのだろう」すると何か、ウクライナ中の廃墟はみな落ちた破片によるものか? この惨状を見よ!htt…

  • セレーナ・ゴメス Part.2

    セレーナさん、私、最近分かったことがあるんですよ。 アナタ方西洋人や黒人は、ヌードさえ厭わない平気なタイプなので、男性の前で挑発的な衣装や水着を着ても平気なんでしょ。 そこが日本人とは違うところで、生涯、ビキニなんか着て海に行かない女性はおそらく9割はいると思います。 アナタ方は30、40になってもあたりまえのようのビキニを着ますよね。 日本では考えられません。 ブラジル人なんかスタイルに関係なく太っていても平気で紐パンですからね、ビックリしますよ。 だからです、アナタを知った限りは猛アタックです。 宜しくお願いしますよ。

  • 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び 大島真寿美

    第161回直木賞受賞作。「妹背山婦女庭訓」や「本朝廿四孝」などを生んだ人形浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いた比類なき名作! この人物は近松門左衛門と縁戚関係にあるわけではないが、大阪の儒学者・穂積以貫の次男として生まれた成章は、末楽しみな賢い子供だった。浄瑠璃好きの父に手をひかれて、芝居小屋が立ち並ぶ大坂・道頓堀の竹本座に通い出してから、浄瑠璃の魅力に取り付かれ、父からもらった近松門左衛門の硯に導かれるように物書きの世界に入って、浄瑠璃本を書いた人らしい。私見では少しくど過ぎるようなところも多々あるが、友人で歌舞伎の世界に入った者と競うように、人形浄瑠璃作者がどういうものか少し解かったような作…

  • 小林清親 Part.2

    《浅草寺乃市》(1880年頃) 《開花の東京》(1915年以前)太田記念美術館 《大川岸一之橋遠景》 (1880年) 《御茶ノ水蛍》(1880年頃) 《猫と提灯》(1877年) 版画 《内国勧業博覧会瓦斯館》 イルミネーション』1877年頃 個人蔵 《九段坂五月夜》1880年 《柳原夜雨》20世紀 《両国花火之図》20世紀 《池之端花火》1881年 江戸の名残を残した明治、大正の頃に行ってみたいですね。 まだ、騒音などあまりなかった時代に。 当時の人が今の東京を見たらどう思うでしょうか。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 渋沢栄一

    渋沢栄一という人は初め政府に出仕したが、明治6年34歳で辞してから、保険、海運、陸運、航空、通信、綿業、製紙、ビール、鉄鋼、化学、ガス、電気、ホテル、倉庫などあらゆる産業に数百の会社を設立した。同時に東京高等商業(一橋大学)や日本女子大学の創立、貧民救済、養育院など数百の社会事業にも出資協力して、経済と道徳は一致すべきであるとし、財閥とはならず、公益に尽くした。栄一が生涯「官尊民卑打破」に挺身したことも薩長藩閥政府への抵抗であり、幕臣として一貫した人生だった。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。偉い男ですね渋沢栄一という人は。明治日本にはこういう偉材が多く輩出されたことで、大正時代には5…

  • ベルリン終戦日記―ある女性の記録 アントニー・ビーヴァー

    あらゆる本を読んでいてレイプほど汚辱に満ち卑劣な行為はない。私としては避けて通りたい分野だが、レイプ・オブ・南京だとか、レイプ・オブ・ベルリンという単語はよく見かける。ドイツの終戦間際、ベルリンで何が起きたかは想像に難くない。独ソ戦で、ソ連の奥深くまで侵入したドイツ国防軍や武装SSが、何をしたのかというおぞましい記憶がロシア兵に刻印されている限り、当然、起こりうるべくして起こったことといえる。なにしろ独ソ戦のロシア人の犠牲者は2000万というから驚く。著者は34歳の女性ジャーナリスト、出だしは4月20日、一斉射撃から4日目に始まる。酔っぱらったロシア兵が、ドイツ女性をレイプして殺害しているとい…

  • フレデリック・チャイルド・ハッサム Part.4

    《降雪後の夕暮れ》(1892年) マイヤー美術館 《即興演奏》(1899年) スミソニアン・アメリカ美術館 《モード・ソーイング》(1883年) セントルイス美術館 《グランプリにて》(1887年) コーコラン美術館 《五番街の雨の日》(1893年) ジョン&メーブル・リングリング美術館 《セリア・サクスターの庭》(1890年) メトロポリタン美術館 《ウォーターガーデン》(1909年) メトロポリタン美術館 《雨の大通り》(1917年) ホワイトハウス 《磯波。ショールズ諸島》(1913年) 《夏の陽光(ショールズ諸島)》(1892年) アメリカにおける印象派の代表的画家なんですよねアナタ。…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 離人・現実感損失症候群

    たとえばフィリップ・K・ディックという作家は「この宇宙も、実は誰かの頭の中の妄想にすぎない」「過去の記憶はすべて植え付けられたニセモノ」「自分は本当は自分ではない」というような、アイデンティティの不安を描いたSF作品をたくさん生み出している。スピルバーグの映画『激突』の原作・脚本で知られているリチャード・マシスンは、妻が消え、友達が消え、会社が消え、家が消え、ついには自分まで消えてしまう「蒸発」という短編を書いている。こういうわけのわからない話を、読者が面白いと感じるのも、そうした不安をどこかで少しは感じているからで、現実と思っているすべてが、実は自分の頭の中だけの幻想にすぎないのではないか?…

  • 上海ベイビー 衛 慧

    魔都といわれた1930年代の上海、そんな上海を特務機関員として青春をおくった父をどうしても思ってしまう。戦後、死亡するまでモルヒネ中毒だったのかもしれないが、それもこれも戦争のためだった。そんな魔都、上海といわれた都市を舞台に自堕落な生活をおくるココは25歳の大卒。ウエートレスのかたわら小説を書いている。同棲中の恋人とのセックスはうまくいかず、自分の生き方を自問自答しつつ上海の夜を彷徨う。あるパーティで出会った妻子あるドイツ人と結ばれ、激しく満たされるが―大胆な性描写で発禁処分になったというが、私としては本来、性描写なるものはあまり好きではない。しかし、露骨にただ長ったらしい描写でないところが…

  • キャサリン・ゼタ=ジョーンズ Part.6

    1992 キャサリンさん、もうダメです、アナタの虜です。 何とかしてください、アナタなしでは生きていけません。 こんな気持ちになったのはアナタが初めてです。 どうか、どうか私の願いを叶えてください。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 アンダーソン男爵

    イギリスの政治家であるアンダーソン男爵は、こんな警告を発している。「人間の心、無理に一つの関連ある全体の部分にしてしまうためにいろいろの事情を相互に都合よくあてはめること、またさらに必要な場合には、多少これをこじつけることをさえ好む傾向があった。しかもその人の心が怜悧であればあるほど、かようなことがらを考えるにあたって、度を越し、みずからを誤らしめ、欠けている結合関係を、補い、先入的な理論と合致し、かつこの理論を完全なものとするために、必要な事実はこれを真実と仮定する傾向がいっそう強かったのである」「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。何言ってるか解りましたか。私はぜんぜん解りません。こう…

  • ジーン・ハーロウ part.4

    1930年 1936年 1932年 1933年 1931年 1933年 1935年 ジーンさん、プラチナ・ブロンドのアナタの美貌は永遠不滅ですよ。 もっと後で生まれていたら、アナタは私のものでした。 私と知り合わなかったことが、アナタにとっての不幸でした。 でも私はアナタのことは忘れませんからね。 本当ですよ。

  • 滝平二郎 part.30

    かごめかごめ 夏草 浜ひるがお 湖畔の宿 とうもろこし 日焼け ひぐらし 鎌 昼さがり 闇夜に烏雪に鷺

  • 遺産相続

    「ちゃんと、ここに書いてあります」「何を寝ぼけたこと言っているんだ。相続は兄の俺が貰うのがあたりまえだ」「違います、遺産相続は遺言状に書いてあるのが有効なんです」「いいからジョニー、それをこっちにかせ」「嫌です」「姉さん、これは私のものよ」「何言ってんのアンタ、厚かましいわね」「壊れるって放せってば」「アンタこそ放してよ、これは私がパパから貰ったものなんだから」「違う、御祖父ちゃんが僕にって書いてあるんだよ」「何と言おうと私のものよ」「いい加減にしろってジョニー。お前にも少し分けてやるから」「ダメです」

  • 妄想仏像見学会 part.13

    『妄想仏像見学会百二十一』は【奈良・興福寺/弥勒仏坐像(1212年)】です。国宝。像高141.5cm。 『妄想仏像見学会百二十二』【奈良・中宮寺/菩薩半跏像(7世紀末)】国宝。像高126.1cm。 『妄想仏像見学会百二十三』は【三重・慈恩寺/阿弥陀如来立像(平安初期)】 『妄想仏像見学会百二十四』は【奈良・聖林寺/十一面観音立像(天です。像高209.1cm。 『妄想仏像見学会百二十五』は【奈良・璉珹寺/聖観音菩薩立像(奈良)】です。 『妄想仏像見学会百二十六』は【茨城・楽法寺/観音立像(平安)】です。重要文化財。 『妄想仏像見学会百二十七』は【福井・明通寺/降三世明王立像(平安後期)】です。像…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 ポジティブになろう!

    今は「ポジティブになろう!」というメッセージが世の中に氾濫している。歌も小説も映画も。有名人もよくそういう発言をする。ポジティブ信仰に圧倒されている人も少なくない。しかし、人を前に進めるのは、ポジティブの力ばかりとは限らない。ネガティブさからもまた力を引き出させることを、カフカを教えている。人生にはカフカの言葉が必要なときがある。生きることが苦しくて仕方ないとき。気持ちが落ち込んで仕方ないとき。ポジティブなんてとてもなれないとき。死にたいと思ったとき。ぜひ『絶望名人カフカの人生論』を開いてみてください。カフカのネガティブな言葉たちは、意外にもあなたに力を与えてくれるとか。「ムーンライト・セレナ…

  • 北野 恒富 明治13年5月28日- 昭和22年5月20日

    北野恒富 《淀君》(1920年) 《浴後》(1912年) 《暖か》(1915年) 《鏡の前》(1915年) 《戯れ》(1929年) 《福助》 (大正元年) 《朝のクラブ歯磨》 (大正2年) 《菊正宗》 (大正4年) 《さくら正宗》 《高島屋》 《鶯娘》 淀君といえばお市の方の長女で、もっと美人のイメージが強いが、なぜ、こんな怖い顔で、それも長身で小顔に描いたのか解らない。併し、関西弁の響きを思わせる丸みを帯びた造形と、背後にさまざまな物語を連想させる濃厚な情感、克明な描写、そしてそれらが生み出す頽廃的な雰囲気が特徴の「恒富風美人画」が確立され、人気画家への仲間入りを果たしたとある。まあ、他の作…

  • ダメオの妄想世界の旅 Part.63

    行ってきました中国甘粛省天水の麦地山石窟へ。凄いところでしょ。金髪の女性の腰に手を回している私が見えますよね。ジンジャーです。https://twitter.com/i/status/1726838910339387836 先日はドレイクが巨人の足跡を見つけてきましたが、昨夜はスタンリーがエトナ山(シチリア島)の噴火で、空にフェニックスを見つけました。やっぱり存在したんですね。 世界の目👁️クロアチアから写真が送られてきました。中央がメアリー、下がスザンナです。一見、簡単そうですがスザンナは怖がって真ん中に行けないそうです。吸い込まれるようで、これって意外に恐いんですよ。 扨てと、大谷もロサン…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 昭和20年5月24日未明

    昭和20年5月24日未明、B29五百二十五機が来襲して、東久邇宮、北白川宮、伏見宮ら皇族の邸宅が全焼または半焼した。文相、運輸相、陸軍次官の官邸や牧野伯爵の私邸も焼けた。東京第二部隊、陸軍第二造兵廠、海軍技術研究所などが大きな被害を受けた。25日午後10時にもB29四百七十機による空襲があり、およそ2時間半にわたって東京の市街地へ焼夷弾の雨を降らせた。宮城内の明治宮殿と大宮御所が炎上した。天皇、皇后、皇太后は御文庫と呼ばれる大防空壕つきの建物で暮らしている。怪我などの心配はない。それでも、天皇家の権威の象徴である壮麗な明治宮殿の消失は、要人たちにも国民にも大きな衝撃であった。ほかに青山御殿、赤…

  • ケイト・ベッキンセイル Part.3

    2018 アナタはイギリス人なんですね。併し、西欧の女優さんは日本人の女優と違ってヌードや恋愛は奔放ですね。 私としては当然、西欧式の女性の方が好きです。 そこで白羽の矢を立てたのがアナタです。 私の街にもコメダが出来ました。 どうですか一度。

  • テオドール・ジェリコー 1791年9月26日 - 1824年1月26日

    《羨望偏執狂(ねたみ偏執狂)》(1822年頃)リヨン美術館 《盗癖のある男》(1822年頃)ゲント美術館 《水道橋のある夕暮れの風景》(1818年) 《白い馬の頭》(1815年) ルーヴル美術館 《突撃する近衛猟騎兵士官》(1812年) 《放れ馬競争 ラ・モッサ》(1817年) 《漁師のいる壮大な風景》(1818年)ノイエ・ピナコテーク 《アラビア馬》(1812年) ルーアン美術館 《エプソムの競馬》(1819年) ルーヴル美術館 《戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官》 19世紀前半に活動したフランスの画家。同時代に起きた生々しい事件を題材とした『メデューズ号の筏』が代表作である。ジェリコーの作…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 なぜヒトラー政権に賛成したのか

    昨夜の「ムーンライト・セレナーデ」は、非合理性の政治について書いたが、現代の視点から見ても、あらゆる党派の民主派政治家が緊急事態宣言よりもヒトラー政権に賛成したのは、驚くべきことだと思える。理由の一つは、内戦が起きればナチ党か共産党が勝者となって、絶対的な権力を握るかもしれないという政治家たちの不安で、社会民主党の特徴的な考えでもある憲法厳守の呪縛、この傾向は、党内の識者からも近視眼的だと痛烈に批判された理由の一つとされている。そうなんです、ヒトラー政権はクーデターでも革命でもなく、正当な選挙で合法的に選ばれたわけで、ヒンデンブルク大統領からヒトラーは正式に首相に任命されたのです。その結果、世…

  • マリリン・モンロー Part.70

    1952 1954 モンローさん、知っていますか、これでアナタの写真を載せるのは700枚ですよ。 分るでしょ、どれだけ私がアナタに惚れてるか。 もう、わたくしなくしてモンローなしですよ。 あまりつれなくしないでくださいよ。 愛しちゃったのよ、やややんや、愛しちゃったのよ、やややんや、寝ても醒めてぇもアナタアだけを、ってなもんですからね。 け、結婚しましょ、私と。

  • 滝平二郎 part.29

    行水 急がばまわれ 裏の畑で 会津磐梯山 山百合 蓮華 朝顔 草いきれ なくて七くせ

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 人間の動機づけの根底にあるのは性的欲求である

    1903年、ベルリンで最も著名な法廷弁護士であった、エーリッヒ・ゼロは「なんと絶望的で軽薄なことか、野蛮に廃れた道徳と知性を長年ため込んでだ沼を覆う見せかけの文化は」といっているが、ヨーロッパの思想家は非合理性の再現、特に非合理性の政治への影響に関心を持ち始めた。従来型の道徳観を手厳しく分析したニーチェは、人間の動機づけの根底にあるのは合理的な考えではなく性的欲求であると主張した。オーストリアの精神分析学医フロイトも同じだった。非合理性の容認は、第一次世界大戦の経験でさらに高まった。戦争は何もかも非合理的で、機銃掃射の中に足を踏み入れるのは何故なのか。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。…

  • 『接吻の後に』 三木露風

    「眠りたまふや」。 「否」といふ。 皐月(さつき)、 花さく、 日なかごろ。 調べの草に、 日の下に、 「眼(め)閉ぢ死なむ」と 君こたふ。 20歳頃に読んでいたく感動したものです。 今読んでも素晴らしい作品だと思いますね。

  • エミール・ヴァーノン 1872年3月14日 - 1920年1月31日

    《オレンジの木の下の美しさ》(1919年) 《ル・プランタン》(1913年) 《愛の蝶》(1911年) 《レモンの中で》(1913年) 《フラワーガーデン》(1915年) 《バラを持つ若い女》(1916年) 《花の少女》(1919年) 《彼の小さな子猫》(1919年) 《桜の中で》(1904年) 《ラ・カルタ》 ベル・エポック時代のフランスの画家で、エミール・ヴァーノン(1872年-1920年)の《ラ・カルタ》です。彼は明るい色と牧歌的な風景および女性と子供の水彩画に秀でており、夫人の肖像画を通してより厳格に描く方法も知っていたらしい。第一次大戦中の1915年に歩兵として動員され、1920年1…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 米共和党の大統領候補者指名争い

    米共和党は15日夜、11月5日投開票の大統領選を戦う候補者指名争いの初戦を中西部アイオワ州で開く。直前の世論調査ではトランプ前大統領が先行し、大統領の座を巡る10カ月間の戦いが幕を開ける。現在、ウクライナ支援は米下院でストップされている。思うにトランプが返り咲く公算は60%と見ている。最悪、今年はウクライナ分割という案もないわけではない。北海道をロシアに取られるようなものだ。本当にそれでいいのか。今までの支援が水泡に帰すわけだぞ。最悪、敗戦となり武装解除となれば、ポーランド、バルト三国は即、臨戦態勢に入るだろう。北朝鮮、中国を勢いづかせるな。ひたひたと日本も戦争に巻き込まれるぞ。台湾有事となれ…

  • ピーテル・パウル・ルーベンス Part.6

    《自画像》(1623年) 《キリストの埋葬》 《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》(1615-1616) リヒテンシュタイン侯爵家コレクション 《キリスト降架》(1611年 - 1614年)ベルギー聖母マリア大聖堂 《聖カタリナの結婚》(1631年頃) トリード美術館 《ソドムから逃れるロトとその家族》(1613-1615年) ジョン&メーブル・リングリング美術館 《魔術師の崇拝》 《ダムドの堕落》(1620年) 《ダヴィデとゴリアテ》(1616年頃) ノートン・サイモン美術館 何かおどろおどろしいですね。 色使いが濃いような感じなんだが。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 水戸藩主徳川斉昭

    幕末、大老井伊掃部頭と開国か攘夷で激しく争った、水戸藩主徳川斉昭は、大の女好きで正室登美宮吉子(有栖川宮織仁親王の娘)のほか判明分だけでも9人の側室を侍らして37人もの子を生した。家老たちはその度に養子先や縁組に東奔西走する苦労が絶えなかっただろう。十五代将軍、徳川慶喜は正室腹の七男で御三卿一橋家から徳川宗家を継いだが、何と、父に似て女好きだったのか、二人の側室、中根 幸(こう)と新村 信(のぶ)に21人もの子供を産ませた。明治に入り、御三卿の一つ、七代当主、田安亀之助が徳川宗家を相続して、徳川家達(いえさと)となり十六代様と言われ、現在徳川宗家は何代目か知らないが、いったい、御三家、御三卿の…

  • エドワード・ポインター 1836年3月20日 - 1919年7月26日

    エドワード・ポインター 《エジプトのイスラエル人》(1867年) 《シバの女王の訪問》(1871年 - 1875年) 《自宅での夕べ》 《テラスにて》(1889年) リバプール国立美術館 《嵐の洞窟 ニンフ》(1903年) 個人蔵 《セイレーン》(1864年) 個人蔵 《アンドロメダ》(1869年) 個人蔵 《サンタ・マリア・デラ・サルテ、月光のヴェネチア》(1863年)ヴィクトリア&アルバート美術館 《木立の中の小道》1859年、メトロポリタン美術館 《エンデュミオンのビジョン》(1913年) テート イギリスの画家で壮大な絵巻のような作品を描きますね、驚きます。 私は徹底したリアリズムを追…

  • 桜島の大正大噴火

    昨夜、鹿児島県十島村・諏訪之瀬島の御岳で、噴煙量が中量以上の噴火が3回あった。福岡管区気象台によると、噴煙の高さは最高1100メートル。噴火警戒レベルは2。110年前の1914年1月12日、桜島の大正大噴火。写真は鹿児島市にて撮影されたものです。

  • 赤門

    196年前の昨日。1828年1月13日、将軍徳川家斉の娘・溶姫が加賀藩主前田斉泰のもとに輿入れしました。彼女を迎えるために江戸本郷の加賀屋敷に建てられた御殿の正門が、おなじみ東大のシンボル・赤門です。現在、耐震上の問題で通行できませんが、門の閉じた端正な姿が日中も見られます。戦災で焼失を免れたのは本当によかった。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 『樺太1945年夏 氷雪の門』

    『樺太1945年夏 氷雪の門』という作品がある。私も含め、殆どの人が観たことがないと思う。昭和49年に作られたものの、あまり公開されることはなかった。これは終戦の8月15日以降、南樺太に武力侵攻してきたソ連軍が、停戦の白旗を掲げた日本軍の軍使を撃ち殺して、住民たちの間に大変な犠牲を出した悲劇が描かれている。電話局の女性交換手、はつぎつぎと殺されていく市民の状況を通信で知って、青酸カリによる自殺に追い込まれていく。私はこれをノンフィクションで読んだが、ロシア兵は「マダム、マダム」と言っては若い女性を捜し歩く。交換手たちは9名は、発見されるや否やレイプの近いことを知って「私もうダメ」と言いつつ先を…

  • アルベルト・エデルフェルト 1854年7月21日 - 1905年8月18日

    《洗濯女》(1893年)エルミタージュ美術館 《ビアンカ女王》(1877年)アテネウム美術館 《海上》 《コペンハーゲンの港から》(1890年) 個人蔵 《パリジェンヌ(バージニー)》(1883年) Auピアノ、1889年 《クラウス・フレミングの死体を侮辱するカール大公》(1870年) 《タバコを持った女性》(1870年) 《ラ・レチェラ》(1889年) 《若い女性の肖像画》 エデルフェルトの誕生150周年記念として100ユーロの記念コインが作られたほどの人で、国際的な評判を得た最初のフィンランド人美術家の1人だったらしい。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 マイクロ・マネージメント

    明日は台湾総統選挙の投票日だ。私は当然、与党・民進党の頼清徳氏を応援している。3月にはロシア大統領選挙があり、11月にはアメリカ大統領選挙もある。今年は民主国家では選挙が多い。ウクライナ大統領選挙は戒厳令が敷かれているのでないらしいが、若し、トランプ前大統領が当選したらウクライナは敗北を喫するだろう。それをプーチンは待っている。第二次大戦中、ドイツの電撃戦といえばハインツ・グデーリアン大将だが、モスクワ攻撃が困難となったため、1942年2月10日に「作戦を中止して後方に下がり、越冬すべき」とヒトラーに直接具申したが、ヒトラーは死守を厳命し、グデーリアンの意見は容れられなかった。そしてこの天才戦…

  • ダメオのアニマル・ラブ Part.48

    「ママ、おっぱい、おっぱいちょうだい」「はいはい」「どこ、どこにあるの」「ちゃんとここにあるでしょ」「え、どこ」「前にきなさい、前に」「あ、あったおっぱい」「あるに決まってるでしょ。お前のために大きくなったんだから」「うん、ありがと」 「ゲロゲロゲロっと鳴くカエル、湯煙なびく、お~が~わ~や~」「何それ!」「小川屋のCMソング」「え?」「まあいいや、明けましておめでとう、ワンちゃん」「こちらこそ、明けましておめでとうございます。カモちゃん、今年もよろしくね」「うん、今年はもっと愛を深めたいね」「そうこなくちゃ、その一言を待っていたんだよ」「今や、人間界では愛の形も変化してきたからね、動物の世界…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 見る前に跳べ

    イギリス出身でアメリカ合衆国に移住した、20世紀最大の詩人、ウィスタン・ヒュー・オーデンは「見る前に跳べ」と言っている。確かに行動を起こすためには、それが大切だが、カフカの場合は、そんなことは出来ない。「見てから跳ぶ」どころか、「見続けるだけで、決して跳ばない」のだ。ならば私はどうか。やはり「見てから跳ぶ」ことになるだろう。石橋を叩いて渡るのが無難だと思ってしまう。見る前には跳べないだろう。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。

  • グレタ・ガルボ Part.3

    グランドホテル'、1932年 1930年 1934年 1928年 1939年 1931年 1946年 1927年引退した1941年にガルボはまだ35歳だった。その後もガルボのもとには多くの映画出演依頼が舞い込んできたが、ガルボが映画界に復帰することはなかった。引退後は公の場所に姿を見せることなく、隠棲生活のうちに死去。映画スターベスト100の女優部門では、キャサリン・ヘプバーン、ベティ・デイヴィス、オードリー・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンに続く第5位にランクされている。

  • 滝平二郎 part.28

    夜風 棒ほど願うて針ほどかなう やまゆり ほたる 球ひろい 蚊いぶし 手花火 木乃伊とりが木乃伊になる かなりや 怪談

  • 妄想仏像見学会 part.12

    『妄想仏像見学会百十一話』は【奈良・法隆寺/地蔵菩薩立像(9世紀)】です。像高173cm。 『妄想仏像見学会百十二』は【京都・三十三間堂/毘楼勒叉天(二十八部衆)(鎌倉)】です。165cm。 『妄想仏像見学会百十三』は【大分・臼杵磨崖仏群/古園石仏(平安末)】です。 『妄想仏像見学会百十四』は【奈良・中宮寺/菩薩半跏像(飛鳥)】です。 『妄想仏像見学会百十五』は【奈良・興福寺/維摩居士坐像(1196年)】です。像高88.6cm 『妄想仏像見学会百十六』は【奈良・三本松安産寺/地蔵菩薩立像(平安)】です。 『妄想仏像見学会百十七』は【奈良・法華寺/十一面観音立像(平安初期)】です。 『妄想仏像見…

  • キム・ノヴァク Part.6

    1955年 1955年 1958年 1955年 1950s 1955年 1960's. 1958年 1956年 キムさん、アナタの目は本当にセクシーですよね。 セミヌードなんかになるともう悩殺です。 さらにアナタのようにショートカットが似合う女性も稀ですよね。 センスも抜群ですし、若い頃から女としての色香がムンムンで、それも才能ですね。 キムさん、改めて交際をお願いしたいのですが。 私、なんでもしますからどうかお願いします。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 床ずれや長夜のうつゝ砥の如し

    褥瘡(じょくそう)とは、寝たきりの状態や車椅子生活などをきっかけとして皮膚の血流が滞ってしまうことで生じる皮膚病変を指します。褥瘡は圧迫を受けやすいお尻や腰骨周囲、踵、肘などに生じることが多く、皮膚の赤みやただれ、ひどくなると潰瘍や細菌感染を生じる場合もあります。一般的には“床ずれ”と呼ばれています。高齢化が加速する日本においては脳梗塞などで寝たきりになる人も多くなっており、看過することができない問題です。私の知り合いのおじいさんに一人床ずれの人がいますが、やはり痛いと言っている。尾崎紅葉の病中の吟に、床ずれや長夜のうつゝ砥の如し。上手いね、砥石で研がれる包丁のようだと詠んでいるのだろう。さす…

  • 八代亜紀死去

    八代亜紀さんが23年12月30日に死去していたことが9日、分かった。八代さんの公式サイトで発表された。73歳。免疫の異常により自分の身体を攻撃してしまう症状の「膠原病」を患ったため、昨年8月に活動休止することを、公式サイトで発表していた。所属事務所によると、8月下旬に本人から体調不良を訴える報告があり、複数の病院で検査を行い「膠原病」と診断され、闘病を続けていた。活動休止について八代さんは「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!」とコメントしていた。「何じゃと、八代亜紀が死んだ…

  • ポール・ドラローシュ Part.2

    《グレゴリウス 16世》(1844年)ヴェルサイユ宮殿 《ギーズ公爵の暗殺》(1834年)コンデ美術館 《パストレ侯爵》(1829年)ボストン美術館 《エリザベス 1世の死》(1828年) ルーヴル美術館 《 幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》(1831年) ルーヴル美術館 《フィリッポ・リッピとルクレツィア・ブーティ》(1822年) マニャン美術館 クロムウェルの兵士により侮辱されるチャールズ 1世』1836年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《アンリエット・ソンタック》(1831年) エルミタージュ美術館 《アルプスを越えるボナパルト》(1850年) ウォーカー…

  • リンダ・カーター Part.11

    リンダ リンダ リンダ リンダ リンダ リンダ~ア、リンダさん、美人とはアナタのような人のためにある言葉ですね。もうダメです私、アナタを見た限りはもうダメなんです。 リンダさん、いつまでも見つめていたい。 リンダさん、け、結婚してください。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 目白御殿の田中邸が全焼

    2009年3月に大磯の旧吉田茂邸が火災により焼失した。同年12月26日、太宰治の愛人太田静子が住んでいた小田原市下曽我の「雄山荘」も全焼した。令和元年10月の首里城火災、形あるものは失われるの譬えどおりになってしまったが、今日、目白御殿の田中邸が娘真紀子氏の線香の消し忘れなのか、1階と2階合わせて800平方メートルが焼けて全焼した。バッカじゃないの、はや耄碌したか。線香一本火事の元。私はこの手のことが大嫌いだ。かつて金閣寺や谷中の五重塔放火心中事件もそうだった。どいつもこいつもふざけやがって、もう二度とこんなことを起こすな。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ウクライナの4州で8日午前、…

  • 中村メイコの訃報

    昨夜、中村メイコの訃報が伝えられたが、何でも去年のクリスマスに『徹子の部屋』に出演したおり、「私が死んだらアナタが弔辞を読むのよ」と言われていたらしい。ここ数年、人生の先輩や後輩が亡くなっていくのが痛く身に染みる。思えば私も長く生きてきたものだ。記憶に残る尤も古い死亡事件は、浅沼社会党委員長の暗殺事件。そして力道山刺殺事件、三島由紀夫割腹自殺、川端康成ガス自殺、横綱玉の海急死、WBA世界フライ級ちゃんピン大場政夫の事故死、田宮二郎の猟銃自殺、沖 雅也の飛び降り自殺等々、どうして芸能人はこうも多くの自殺者を出すのだろうか。昔、大辻伺郎というはちゃめちゃな人生を送って自殺した役者がいた。そのニュー…

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 アナタの隣人にそんな人がいないとも限らない。

    いつの時代も奇人は存在しているのであろうが、歴史がその舞台を提供してくれないと表に躍り出ることはない。平和な時代に生まれたために、一生平凡に暮らす終わる多くの人々の中に潜在しているといえよう。だから、アナタの隣人にそんな人がいないとも限らない。併し、生活に脅威を受ければ、状況も気持ちも激変する。拷問や虐待は平和の時代には表にこそ出てこないが、人間社会の奥深い闇の中で密かに継承されていくものだ。だから戦争は怖い。ウクライナで、ガザで捕虜になった場合、現在でも虐待、拷問が行われてりる。或は虐殺されるかも。だからこそ両者は負けないためにも必死になって闘うのだ。ロシアやイスラエルのやっていることは度を…

  • 名探偵の生まれる夜 大正謎百景 青柳碧人

    昭和31年3月25日、東京八重洲、平塚らいてうは東京駅にほど近いデパートの催し物会場で、山下清の初展覧会を見たついでに本人を紹介され、2人は初対面で、らいてうが「山下さん、この貼り絵の海は、茅ヶ崎ですか」と訊いたことから、話は思わぬ方向にずれていく。山下は海のことより、貼り絵に使っている千代紙のことを話、もともとパン屋のおばさんから貰った、姉さま人形だと答える。それを聞いたらいてうは長く忘れていた気持ちが、すっ、と胸の中に入り込んでくる。昭和29年4月22日、東京、調布、山下清は道端の石に腰掛け、スケッチブックを広げたまま空腹に耐えかねていた。すると「あら、あなたどうしたのこんなところで」と言…

  • マリリン・モンロー Part.60

    1960 1954年 1956. 1950 1952 ああ、マリリン、今年もよろしくお願いしますね。 病気よりなにより怖いのはアナタに見捨てられることです。 アナタに捨てられたらこの世は闇です。 病みと闇が同時にきたら私はどうしたらいいのでしょう。 だからお願いです、私をアナタの傍に置いてください。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 『パル判決書』(上巻)の半分を読んだ。

    法は、組織された一つの社会における法である場合、すなわち社会の、そして個人の、活動に関する社会的な共存関係の諸条件の総和であるべき場合に、はじめて一つの動的な人間力となるのである。法は、人間の合理性および人間の天賦の正義感から発するものである。しかしその法とはどんなものであるか。また国際法はかような性格をもつものであるか。右に示したように、一国家社会は、その起源と発展の事情からして、自己の構成員の利害が、人類一般の普遍的な目的に、関係をもつものであることを承知しており、したがってまた他の国家社会が、たんに自己と同等の権利を持つ資格があるばかりではなく、自己の権利を補充するものと考える義務を負っ…

  • キャメロン・ディアス Part.4

    (2011年) 1994 2005 2010 キャメロンさん、よく日本ではただ痩せているだけの人を抜群なスタイルなんていうが。、ぜんぜん違いますよね。一度、アナタのスタイルを見せてやってください。それにはいい方法があります。私と一緒にコメダに行くことです。

  • 白夜 ドストエフスキー

    孤独な青年が傷ついた美少女と道端で知り合って忽ち恋に落ちる、現実的にはありえないような話だ。絶賛する人もいれば、けちょんけちょんにこきおろしす人もいる作品。とにかく会話が一方的に長くてうんざりする。少女ナースチェンカは叔母と住む二階を短期間、間借りした違う青年とあっという間に恋心が芽生え、青年が一年後に帰って来るからという約束を生きがいに待ったが現れない。孤独な橋の上で会った青年とナースチェンカは互いの身の上話を永遠と話し続け、待つことの意味に疑問は感じ始めていた時に、すれ違った青年が問題の男だった。ナースチェンカの女心がさっぱり解からず、男と去っていった後、また孤独な青年に帰っていく物語。何…

  • 佐伯祐三 1898年4月28日 - 1928年8月16日

    《オプセルヴァトワール附近》(1927年) 和歌山県立近代美術館 《リュ・デュ・シャトーの歩道》(1925年) 和歌山県立近代美術館 《パンテオン寺院》(1928年) 新潟県立近代美術館 休息(鉄道工夫)』1925-1926年 アーティゾン美術館 《リュクサンブール公園》(1927年) 田辺市立美術館 《佐伯祐三『広告(ヴェルダン)》(1927年) 大原美術館 《サンタンヌ教会》(1928年) 三重県立美術館 《テラスの広告》(1927年) アーティゾン美術館 《ラ・クロッシュ》(1927年) 静岡県立美術館 《ガス灯と広告》(1927年) 東京国立近代美術館 佐伯祐三の生地に行ったことがある…

  • 寂しさは夜逃げもゆるさず今日もまた

    寂しさは夜逃げもゆるさず今日もまた 去りし人らの思いを抱いて

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 気凛は、青い雪のふる空に魚の肌膚の触覚

    室生の詩の気凛(きりん)は、青い雪のふる空に魚の肌膚(はだえ)の触覚をかんずるようである。めいじょうしがたく美しく、ふしぎにさびしく青みあるでりけしいを思わせるのである。(でりけしい)はデリカシーだと思うが、気凛というのがよく解らない。また肌膚などという漢字も現在は使わないし、萩原朔太郎の室生犀星評は難しい。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。思うに「ニューハーフ」という単語は桑田佳祐の造語だという噂があるが、本人ははっきり名言してない。併し「ストリップショー」の名付け親は、15歳だったジプシーローズに才能を見出し人気者に仕上げたストリップ演出家の正邦乙彦という人で、これは本当らしい。

  • ジュリアン・ムーア 1960年 12月3日 -

    ジュリアンさん、見るからに綺麗な肌ですね。 惚れました、惚れましたよジュリアンさん、何としてもアナタを射止めたい。 さて、どうしたらいいのですか。

  • ヴァレンティン・セローフ 1865年1月19日 - 1911年12月5日

    自画像 《ジナイーダ・ユスポヴァの肖像》(1902年) 《ソフィア・ボトキーナ》(1899年) 《木漏れ日に照らされる少女》(1888年) 《皇女オリガ・アレクサンドロヴナの肖像》(1893年) 《猟犬と狩をするピョートル2世と皇女エリザベータ・ペトローヴナ》(1900年) ロシア美術館 《リムスキー・コルサコフ》(1898年)トレチャコフ美術館 《ニコライ二世》 《公女オリガ・オルロヴァ》 《桃を持った少女》 《ニコライ二世の載冠式》(1896年) ロシアの画家でレーピンの写実主義から学んだとあるので、なるほどと思う。 ニコライ二世などはそっくりだ。

  • 『AB通信:オドロイター発』 日航社長 乗員は訓練以上の結果が

    【日航社長 乗員は訓練以上の結果が】 乗客が映した、炎が見えてから脱出までの8分にわたる映像を見ただろうか。緊迫した状況が伝わるもので、CAさんが強い口調で叫んでいる。最後に機長が残った人を全員を外に出し、結局、全員が無事に脱出できた。終わってみれば完璧な脱出で素晴らしいものだった。本当に良かった、下手をしたら全員焼死なんていうことにもなりかねないことで、全員、荷物は失てしまったが命あっての物種。長く語り継がれる体験だろう。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 土屋伍一

    Happy New Year 2024 昔、浅草で自由奔放・奇妙きてれつな人生を送り、エノケンや二村定一はスターだが、脇役で陽の目を見ることなく死んでいったボードビリアンたち。時代背景として、ヒロポンが蔓延して、多くの依存者が早逝していった。その中の土屋伍一という人もヒロポン禍、またはアルコール中毒により他界したが、逝く少し前に辞世の句を書いた。 古池やターザン飛びこみワニ怒る。「あの抽出に遺産が入ってるから、俺が死んだら皆で分けてくれ」といった。死後、皆でその抽出をあけてみると、太田胃酸が入っていたとか。こんな洒落があるだろうか。遺産が胃酸だった。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。能…

  • イサーク・レヴィタン 1860年8月18日 - 1900年7月22日

    自画像 《永久の平和を超えて》 《秋の風景:ソコリニキ》(1879年) 《岸》 (1889年) 《黄金色の秋》(1895年) 《白樺林》 《春の水》(1897年) 《早春》(1899年) 《冬、村》 《メリホヴォのポーチ、ライラック》(1895年) ロシアの画家、移動派で知られるリアリズム芸術のグループによって流動性のある芸術展示に参加、移動派会員となっている。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 語彙力こそ知性

    語彙力こそ知性という本があったような気がするが、私もそう思う。現代語はあまりボキャブラリーというのを感じられない。例えば落語などではこんな会話が出て来る。「三年前国許において、我が父を討って立ちのきし大悪人。ここで逢うたは盲亀の浮木、優曇華の、花待ちたる今日の対面、親の仇だ、いざ尋常に勝負、勝負」「仇呼ばわりしゃらくせ」と、実に素晴らしい譬えで話しているが、「盲亀の浮木、優曇華の、花待ちたる今日の対面」とは、目の見えない亀が百年に一度大海で浮き木に偶然めぐり合ってその穴に入ろうとし、また三千年に一度咲くという幻の花、優曇華の花に遭遇したような、願ってもない絶好の機会という意味だが、よく、ここで…

  • ルネ・マグリット Part.12

    《ピサの夜》 《メリュジーヌの窓》 《アイドルの誕生》(1926年)https://) 《おしゃべりな宝石》 《報われた詩人》 《例外》 《説明》 《夢の鍵》 《習慣の力》 《幸福の兆し》 相変わらず私にはタイトルと作品のイメージが一致しないものがあります。 アナタの発想が豊かなのか、あまりに奇想天外なのか、どう説明してくれよう。

  • キャサリン・ゼタ=ジョーンズ Part.5

    キャサリンさん、まさかアナタがマイケル・ダグラスに手に落ちるとは思ってもみませんですた。分かってます、マイケルはアナタのそのセクシーで美人な容姿の虜になったんです。毎朝。「綺麗だ、愛してるよ」なんて言われているのですか。ああ、まったくやりきれない。こんな番狂わせがあるなんて。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 (食料はもとより煙草もわずかな配給で文字どおり貴重品であった)

    戦争がもっとも窮迫していた頃の某紙文化欄に載った大学教授の随筆がある。「貴重な煙草を(食料はもとより煙草もわずかな配給で文字どおり貴重品であった)大学への往復の途次、駅のホームなどでポケットからとりだして一服していると、火を借りにくる者があとを絶たない。近頃こういう奴が多くて実に腹が立つ。マッチも配給だから倹約して火を借りにくるのかと思うとそうではない。火のついている当方の煙草の先に、失礼、といいながら、先方の煙草をぴったりとつけて、火をつけると同時に当方の煙草の煙までできるだけ吸いこもうとしているのである。おかげで当方は、せっかくの一本を、無礼者にずたずたに吸われてしまうようで、こういうこと…

  • シドニー・スウィーニー Part.6

    シドニーさん、最近、ローリング・ストーンズの新曲ミュージックビデオに出てますよね。あれは絶対アナタです。もうこうなったらアナタしかいません、一度、浜辺でお会いできませんか。

  • 「ムーンライト・セレナーデ」 威あって猛からず

    孔子の人柄を弟子が評した言葉に、「威あって猛からず」というのがある。威厳はあっても、人間的な温かみをたたえており、荒々しくない様を言っているのだが、なかなかこうはいかない。藤原審爾だったか、「人間、ある程度年を取って来ると、変な度胸がついてくるんだよ」なんて言っていたが、それに関してはよく理解できる。私はモラルや常識がない奴が大嫌い。ここ数年、何人もの常識知らずのおじさんや、老害と思しきおばちゃんを注意してきた。先日もカフェで、注文もせずにいつまでも話し込んでいるおばちゃんを注意してやった。店では上からのお達しで、そういうお客を嫌がっており、気の強い店員は注意しているが、気の弱い人は注意できな…

  • 2023年12月古書購入

    12月の古本購入は25冊も買ってしまった。ついに積読本も500冊越え。どうするんだ、義経鵯越の逆落としじゃあるまいし、2024年の抱負はなんだ。抱負は豊富なんて言ってる場合じゃないぞ。とにかくこの写真じゃ分からないので、ここに一覧を書かねばなるめえおっかさん。 『悼む人』(上・下)天童荒太 『八月の路上に捨てる』伊藤たかみ 『エンジェルフライト(国際霊柩送還士)』佐々涼子 『帰郷』大佛次郎 『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 『あの家に暮らす四人の女』三浦しをん 『幻夜』東野圭吾 『異邦人』カミュ 『風神雷神(上・下)』原田マハ 『リボルバー』原田マハ 『盗賊会社』星新一 『いい女、ブッ散らかしており』阿…

  • 明けましておめでとうございます。

    明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になっております。いったいどれだけ投稿したのか、数多くの駄文を書きました。ことしはとにかく大病をせずに元気でいることが目標です。年が明けると、嗚呼、また誕生日がやって来るんだなと暗くなりますが、併し膨大な積読本が私の尻を叩きます。悪戦苦闘の日々ですが頑張ります。皆々様もどうか健康第一にお過ごしください。

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