新しい時代を作ったドリカムではあるが、そのくせ、なんか結婚願望が強い気がする。究極のゴールは結婚というのが感じられる。薬指の決心とか、未来予想図とか、当時の私からしたらうざったい曲も多かった。正直言って。でも、それが売れた(ウケた)んだから、そういうもの
人事部マネージャーによる、子宮がんの妻、日能研で2018年に中学受験の娘、その下の息子との東京生活。
いきなり、健康だった妻が子宮がんになった、と聞かされたら、サラリーマン各氏はどうしますか。 初めての娘の中学受験、どう向き合いますか。 新しいラグジュアリーホテルや、人気の食べ物屋ができたら、行ってみたいと思いませんか。 最近、会社に入ってくる若者をどう思いますか。 現代の就職活動っておかしくないですか。 それらに向き合って、文章化していきます。
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新しい時代を作ったドリカムではあるが、そのくせ、なんか結婚願望が強い気がする。究極のゴールは結婚というのが感じられる。薬指の決心とか、未来予想図とか、当時の私からしたらうざったい曲も多かった。正直言って。でも、それが売れた(ウケた)んだから、そういうもの
あと、ユーミンの話でも触れたが、ドリカムの功績の一つは恋愛に関して女性からの積極的なコミットを明示したことではないか。それまでは「あさましい」と言われたようなことを堂々と言うように、というか歌うようになった。それは、男子にもそれなりに影響を与えた。あ、女
そのうちにドリカムを聴いていてツラくなってくる。要するにリアリティに負けそうになる。別れた後の感情、女同士の心理的抗争、隠された欲望。聴いててつらくなるのだ。言い換えると、重いということかもしれない。そういう感情は誰でもあるし、人として当然とも言える。で
この機会にあらためて初期のドリカムを聴いてみる。本当にサブスクは便利だ。どのアルバムを聴いたことがあるか全然覚えていなかったのだが、ジャケットに見覚えのあるやつを3枚選んだ。まず Love goes on...みたいの。ああ、これは良く車内で聴いた。これだけかけときゃ女子
ユーミンとドリカムのことを書きつつ、間違ったことを書いていないかwebで調べていた。そしたらなんだか私のドリカムに対する感覚が、(現代の)世間のそれとズレていることに気付いた。私は、ドリカムは(私の好き嫌いに関わらず)エスタブリッシュメントというかスーパース
バブル後期、いやバブルがはじけていたけれど庶民がまだそれにあまり気付いていなかった頃、ユーミンとドリカムは壮絶なアルバムの売り上げ競争を繰り広げていた。冬はユーミンの独壇場だったのに、ドリカムがそのあたりに発売日をぶつけてきたのだ。あまりそれに触れられた
バブル期前後のユーミンの唄を聴いていると、今では存在しない道具や作法が登場する。例えば、リフレインが叫んでるでは、擦り切れたカセットという歌詞が出てくる。CDでさえ或いはMDだって死語だが、カセットときたもんだ。おまけに擦り切れるなんて、摩擦系の音楽再生装
ユーミンの曲の中では特に佳曲というわけでもないが、ふってあげるという曲は印象的である。ストーリーとしても、曲のアレンジとしても魅力的で、今となっては古くもあるが聴かせるポイントが多々ある。相手を思うあまり、身をひく(死語)という唄である。今夜私死んでしま
Wikipediaによると「(一部略)、フジテレビは月9ドラマ「すてきな片想い」、1991年1月 - 3月の「東京ラブストーリー」(脚本:坂元裕二)、1991年7月1日 - 1991年9月16日の「101回目のプロポーズ」(脚本:野島伸司)を「純愛三部作」と名付けた」とある。一方で、「ダイア
今さら書く話題ではないが、東横線の渋谷駅は酷い。どうしたらこういう造りになるのか、責任者出てこいと言いたくなる。一方で、三田から日吉へは、今となっては直通電車があるらしい。20世紀にはなかったルートだし、目蒲線改め東急目黒線は、もはや3両編成ではないのだ。ま
残念なことだと思うのだが、娘の大学は1、2年生のキャンパスがちょっと遠い。慣れ親しんだ都心を離れ、初めて「ちょっと遠い」キャンパスまで通うことになる。いま思えば、日能研の模試で、そこには行ったことがある。まさかあの時に、ここの大学生になるとは考えてもいなか
サークルと履修を固めれれば大学生活の基礎が固まる。と思っていた。私が大学に入った時に。SNSどころかPCも事実上なかったので、世界は単純であった。娘が大学生になった今も、冒頭一行目はそのままだと思う。しかし、今振り返ると、私はやはり4年間をどう過ごすか、という
大学生になってしっかり勉強をしたいと思っていても、知り合った先輩は口を揃えて楽な授業の履修を薦めてくる。楽に単位が取れる授業、そしてどんなに頑張っても単位の修得が難しいの情報が新入生に伝えられる。ああ、大学生の授業ってこういう感じなんだと知らされる。1年生
娘がどのサークルに入るか悩んでいる。悩んでいる、というほど真面目に考えているわけではないが、考えあぐねている。勧誘されて、下(附属)上がりだと分かると、態度が急変する先輩もいるそうだ。我々の時代と違うのは、スマホというかSNSを使った勧誘ということだ。チラシや
桜だらだら咲いているせいで春が長い。最近は時の経つのが早いと思っていたが、最近はそうではない。早く夏になって秋になって冬になって欲しい。あと何年でリタイヤできるのだろうか。まだ指折り数えるところに届かない。しかし、平和に年をとって、引退できるほど人生って
会社とか職場によると思うが、私の周りではすっかり飲み会が減った。個人ではコロナ前に戻ったが、いわゆる「職場で」はかなり減った。これに影響を受けるのは、新入社員、そしてもちろん2020年以降入社組の若手である。そもそも、義務的な飲み会なんて、という風潮もあるし
それにしても、会社を「人柄」のようなもので選ぼうという若者、特に学生は多い。気持ちは分かる。入ってみたら、悪人ばかりだったなんていう赤い銀行みたいなことはよくある。就職活動中は良さげな人ばかり登場して、さんざん「社風は自由で何でも言い合えるフラットな云々
とはいえ、会社なんて「雰囲気がいい」とか「良い人が多い」(或いはその逆)というのは幻想である。もしくは偶然である。でも、本当に赤い銀行の人はあんまりいい感じがしないことは確かだ。私は丸の内の住人なので、赤い銀行との付き合いも多いし、応援してあげたい(と上
それはともかく赤い信託銀行には知り合いが多くいる。良い人がとても多い会社だ。兄弟の銀行とはエラい違いだ。もともと信託銀行さんの気風は独立志向というか、赤いグループの一員でありながら、銀行さんとは別ですから、という感じでやってきた。しかしここ最近は、銀行は
新年度。中学受験から6年が経って、娘も大学生だ。コロナも収まったし、実り多き大学生活にして欲しい。文学部に行きたいと言ったらどうしようかと思っていたが、自ら社会科学系の学部を選んでくれた。思えば中学入学時にはハイレベルな授業についていけるか心配であったが、
選挙終わって悲喜こもごもと書いたが、やはり落選するとツラいだろうなとは思う。もちろん、THE泡沫候補という自覚があったり、共産党や公明党みたいに自分の役割と割り切っている人もいるだろうが、本気で当選しようと思っていて、さらにぎりぎりで落選する人だっている。似
選挙の後で選後。ときどき、選挙の翌朝、「当選御礼」なんて看板を掲げて駅前で挨拶している人がいる。晴れがましく、また安堵の表情を見せている。疲れているだろうが、習慣みたいなもので駅前に向かってしまうのだろうか。しかし、その翌日以降、駅頭に顔を出すことも減っ
或いは、傲慢とまでは言わないが、慢心くらいはあったかもしれない。もうとっくにギラギラせず、野心もなく、どちらかと言えば余生みたいな感じになっていた。普通は傲慢とギラギラが結びつくものだが、私はそういうタイプでなく、向上心もないからいつの間にか誰にどう思わ
自信満々のくせに、ときどき内省的になるのが私である。変なの。最近気になるのは、私は傲慢だったのではないか、ということである。より正確に言うならば、周りに傲慢と見られていたのではないか、ということだ。おそらく、だけと私は傲慢な人間ではない。謙虚とまで言うと
マスクまだしてますか。私は大体している。花粉対策として。周りは緩和されてきたというか、しない人が増えてきた。これで、多少は感染率も高まるのだろうか。コロナはもう過去のものなのだろうか。よく分からない。結局のところ、過去に高値掴みしたマスクをある程度使い切
会社で人事担当の最高責任者をしていても、よく分からないことがある。それは、私の年収は世間でどれくらいの立ち位置なんだろうか、ということだ。平均年収とか中央値とか分布とか見ても、相当高くもらっていることは間違いない。しかし、暮らし向きというか、世間での立ち
いつから日本はこんな国になったのであろうか。現職の首相が襲撃されて間一髪だったようだ。選挙制度に不満を持っていたようである。ここで、その主張も一理あるなんてことを言ってはいけないようである。例え影響力ゼロの駄文であっても。予言ではないが、そろそろもっと大
とにかく、メトロの駅前にいる区議会議員候補がウザいなあというのが出発点である。同意できない政策、名前や政党名の連呼、たすき、作り笑顔。すべてが癪に障る。ただ、民主主義を守るうえで選挙が非常に重要であることは間違いない。なんだかんだ言ってきたが、民主主義や
新しい政党を立ち上げるにしても、名前が問題だ。というか、良い名前がない。NHK党→なんとか48みたいな感じで、名前なんてどうでもいいのだが、さすがにそこまでふざけるのも気が引ける。今までに変だなと思った党名。みんなの党太陽の党たちあがれ日本れいわ新選組新自由ク
統一地方選挙前半戦では、維新の会?の躍進が話題となった。特に、奈良県知事を制したことが大きく取り上げられていたが、なんていうことはなく、単に自民党が割れて取りこぼしただけみたいだ。うまく言えないが、なんだかこの維新の会ってのはしっくりこない。胡散臭いとい
選挙の顔、じゃなくて選挙は顔、という話である。やっぱり顔が良いと有利なんじゃないか。徳島県知事選を見て思う。現職、元参議院議員の保守三つ巴を制した。他にもいわゆる野党系の人もいたのだろうけど、それは知らん。もちろん後藤田正純さんは、後藤田正晴さんの息子で
でも、選挙に出るなんて、普通に格好悪い。元speedだって、元おニャン子だって、自分が受かるって分かってるから我慢したんだろうけど、普通の神経じゃ選挙出られないよ。たすき、ハチマキ、だるま。選挙カー、握手、名前の連呼。普通無理だよね、元光GENJIの人が選挙に出る
要するに、我々世代というかレイヤーというかにちょうど良い政党がないのだ。自民党とか立憲なんとかとか共産党とか、結局は幅広いターゲットを狙い過ぎて、ハマらないのだ。そこで、維新の会やらNHKみたいなワンイシュー(一つの分かりやすい政策)が一定の支持を集める。こ
ちょっとご相談ががあるんですけど。なんでしょうか。政党を作ってみたい。というわけで、ヒマとお金があったら、政党を作ってみたい。戦略的にやれば、どんな議会でも、一議席くらい取れるんじゃないかと思う。自治体の首長や衆議院小選挙区みたいに席が一つしかなければ無
NHKとか参政とか維新とか、いくつかの政党がある。なんでこんなにパッとしないというか、惹かれないのだろう。それは既存政党が魅力的だからだ。なわけない。私見だが、結局のところ政党とは各種議員になるための手段に過ぎないということではなかろうか。或いは、それを経て
メトロの駅前に区議選候補者がいる。邪魔だし、うるさい。政策論争ではなく、ただ名前の連呼である。都心区だからといって全然洗練されていない。とはいえ、区長選は、無投票になるのだろうか。それはそれで困るというか情けない。70歳で初当選、今度は74歳で再選を目指すそ
新しい年度である。いかにも新入社員という方々を丸の内界隈で見かける。希望とやる気に満ち、目が輝いている。というのは嘘で、年々そう感じなくなってきた。そもそもあまり新人研修が丸の内界隈で行われていないのではないか。大企業は密にならない環境で、どこか別のとこ
さらば坂本龍一。数回しか(ライブで)お会いできなかったが、偉大な音楽家であった。簡単に右とか左とか言ってほしくないのだが、私は教授の思想信条も含めて好きだった。もちろん100%重なるわけではないだろうが、少なくとも脱原発という考え方には共感できた。それはともか
というわけで、偶然教を立ち上げることにした。この世はすべて偶然である。だから努力してもムダだし、神の慈悲もない。受験勉強も多少はした方がいいけど頑張りすぎない。その頑張り具合は偶然の確立を多少上げたり下げたりするが、大差ない。東大に入っても不幸になるかも
逆に偶然なんてない、と考えてみよう。偶然と思えた出会いや、受験の結果や就職先、配偶者、子ども、すべて偶然ではないのだ。さて。ってことは、それは運命と呼ぶのか、必然なのか。運命は誰が決めるのか。その必然に必然性があるのか。そう考えると、つまり偶然を否定する