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2017/01/28

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  • みことばを瞑想し祈る時間を最優先にする

    それがどれほど神聖な仕事であっても、みことばを瞑想し祈る暇もないほどそれに没頭してはならないということを彼は知っていた。主はエリヤにまず、「身を隠しなさい」と言われ、そののち、「身を示しなさい」と命ぜられた。まず神のみとのひそかな交わりのために身を隠す人でなければ、公衆の前...

  • すべて新しいことを決める時にはよく注意し、まず祈ってから行動する

    しかし、肉の力や人の知恵にたよることを避けて、御霊の力と知恵にたより、すべて新しいことを決める時にはよく注意し、まず祈ってからでなければ行動しなかった。私たちはしばしば、聖霊によるこの厳粛な警告を忘れてしまう。たとい私たちの働きの出だしは誤っておらず、正しい基盤の上に立って...

  • 静まって、主を待つ

    私たちは失望してしまってはなりません。ただがむしゃらに何かをしても変わりません。静まって、主を待つことが必要なのです。たとえ問題があったとしても、それを変えてくださることができる方を信じて進んで行きましょう。 『聖書66巻がわかる』 クリスチャン新聞編 P199より

  • 現状を認めるとは

    現状を認めるとは、「たとえ聖書がどう言っていても、私は弱いからこの程度だ」と言うことではありません。「たしかに私は弱いけれども、主が私の中に働かれるとき、私は立ち直ることができる」と言うことです。 『聖書66巻がわかる』 クリスチャン新聞編 P199より

  • 主は近くにいてくださる

    私たちは一度どん底に落とされ、失望してしまうと、なかなかもう一度主を見上げることはしにくいものです。なんとなく自分は駄目で、もう見捨てられたような気になってしまいます。しかし、エレミヤは、そこで熱心に主を求めて祈るなら、主は答えてくださることを約束しています。主は近くにい...

  • 神は私たちの弱さの中に働かれる

    私たちも、自分たちが問題の中に立つとき、しっかり目を開いて問題の本質を正面から見る必要があります。希望的観測や甘えから、まだ自分で何とかできるんじゃないかと考えるなら、いつまでたっても状況は変わりません。自分の失敗や弱さを素直に認めるところから、新しい出発が始まるのです。...

  • 神はあきらめないで立ち直らせようとしてくださる

    神は罪をいつまでも放置しておかれる訳ではありませんが、同時にどんなに失敗し、問題を抱えた人をもあきらめないで、立ち直らせようとしてくださっているのです。 『聖書66巻がわかる』 クリスチャン新聞編 P196より

  • 神の前に非常にへりくだる

    彼は非常にへりくだらされ、「もし主のご栄光が現われるためなら、自分の計画がすべて水泡に帰してしまっても、むしろそれを喜びます」と、心から言うことができるようになった。 『信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー その生涯と事業』 A•T•ピアソン P116より

  • よくよく考え、自分を探り、祈りをくり返す

    彼はどのような仕事の場合にも、それを実行に移す時にはいつも、よくよく考え、自分を探り、祈りをくり返した。このような彼のよき模範にならうことほど価値のある模倣は、おそらくほかにないであろう。 『信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー その生涯と事業』 A•T•ピアソン P1...

  • 神の預言者

    今の時代は、神の預言者を必要としています。こんなに自由で、物にあふれているのに、みな自分のよって立つものを見つけられないでいます。自分を信じたいと思いながらも、本当の自分はそんなに立派でも、力がある訳でもないことは、自分が一番よく知っています。 今私たちに必要なことは、...

  • 私たちの人生に、小さすぎるできごとなどというものはない

    ほんとうに、私たちの人生に、小さすぎるできごとなどというものはない。小さすぎて取るに足りないと思われるようなものであっても、大きな結果をもたらすものとなるかもしれない。 『信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー その生涯と事業』 A•T•ピアソン P109より

  • 私自身は全く無であり、神こそすべてである

    ジョージ・ミュラーについて特に注目すべきことは、彼がこの世の生涯を終えるまで、常に神を仰ぎ、心から神に依存したために、「私自身は全く無であり、神こそすべてである」と、心から考えるようになったということである。彼は常に、またすべてのことにおいて、自分を受け身の立場にある器とし...

  • 夫婦関係における愛

    愛は、一人の人に真剣に向かい、真実に応答することです。それこそが、神のかたちに似せて造られた人間にふさわしい態度でした。神は、最初の夫婦関係を、「ふさわしい助け手」(創世記二章18節)と名づけられました。ふさわしい助け手とは、本質的に対等で、互いに向かい合い、補い合い、や...

  • 人材の四つの階級

    ウィリアム・J・ベトカーによれば、人材というものは自ずと四つの階級に分かれるといいます。 1 常に言われたところまでしないで終わる人たち 2 言われたところまではするけれども、それ以上する気のない人たち 3 言われなくても仕事をしようとする人たち 4 周りの人たちまで仕事...

  • 最も貧しく最も弱い時に、仕事を始めるのを許容された

    神が、彼らのこのような言いようもないほどの貧困の状態において、ご自身の気前のよさが言いようもないほど大きなものであることを示そうとされたことは、明白である。すべてのものはこのかたによって成り、このかたから出たのである。その神が、そのしもべたちの最も貧しく最も弱い時に、仕事を...

  • 神は選びの器をこね、形造られた

    このようにして神は、本人がまだ知らなかった方法で、彼が最も広範囲に、最も長期にわたって働くための、彼の本来の働きの領域に彼を導いてこられた。神は選びの器をこね、形造られた。私たちはこれから、この器がどのような世界的奉仕に用いられたか、そして人からではなく、神からのすばらしい...

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